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jsa-web.orgjsa-web.org/taiken/17.pdf · Created Date: 5/20/2016 10:31:04 AM

Mar 23, 2018

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Page 1: jsa-web.orgjsa-web.org/taiken/17.pdf · Created Date: 5/20/2016 10:31:04 AM

病いに負けずに生きた夫を胸に

「今日は4‐回目の結婚記念日ね」と4月29日、ベッドの背を

起こし夫にケーキの生クリームをスプーンで掬って回元に持っ

ていくと笑顔で食べてくれた。その5日後、苦しいと呼びあわ

てて駆け寄

った私の腕の中で夫は目を閉じた。

27年間病と闘っ

て7‐才で逝

った。

40代半ばに小さい脳内出血を起こし手術を受けた。四肢まひ

も感覚まひもなく安堵したが相貌失認と診断された。「高次脳

機能脳障害」という聞き慣れない名で当時、300万人に1人

と言われ人の顔と名前が

一致しない。大勢の人の中から私を捜

せない。大変な後遺症だと思った。幸い自分で仕出し弁当と総

菜店を営んでいたので、主治医から仕事を続けることがリハビ

リになり社会に順応できると言われ私が付き添う日々が始まっ

た。生来の明るい性格でプラス思考の夫は、従業員の皆さんに

名札をつけてもらい、業者や銀行の方々は会社名や服装で判断

し自分なりに工夫して対応した。交通事故などの後遺症で

「高

次脳機能障害」と言う言葉が世に知られるようになったのはそ

広島県広島市 革歯尾

 

倫^率J

の頃だ

ったと思う。夫は会合に呼ばれて自分の体験を話したこ

ともあ

った。だが血圧が安定しなか

ったリストレスから円形脱

毛症に悩まされたり体調に不安を感じて10年続けた仕事をやめ

た。好きだ

った尺八を再び習い始め穏やかに過ごしていたにも

かかわらず56才で脳梗塞に倒れた。救急車で搬送され病院で目

覚めた夫は左半身が動かないことに初めて涙を見せた。左手は

回復が難しいが左足は膝の関節が生きていると言われ、装具を

作り4点杖を持ちリハビリに取り組んだ。歯をくいしばり自力

で少し歩けた時は付き添

っていて涙があふれた。「私がず

っと

そばにいるから杖でも

っと上手に歩けるようにな

って家に帰ろ

うね」と声を掛けると夫は笑顔で頷いた。介護保険制度ができ

た年で、住宅改修や介護ベッドなどの福祉用具を揃えてもらい

6ヶ月余り過ごした病院を車いすで退院した。訪問看護ステー

ションのケアマネージャーさんがケアプランを組んでくださり、

週2回のデイサービス、週1回看護師さん、理学療法士さん、

日腔ケアの歯科衛生士さんの訪間、内科や歯科の先生の診療で

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5 優秀賞

カレンダーは予定で埋ま

った。「要介護5」で新しいことも覚

えにくく以前からの失認も改善されなか

ったが、部屋で車いす

に坐リハーモニカを右手に持

ってけん命に唱歌など繰り返し吹

く練習を重ねた。まひが左肺にも影響していたがハーモニカを

吹くことで少しず

つ回復して澄んだ美しい音色が出せるように

った。通所していたデイサービス施設や併設の老人ホームを

訪ね皆様の前で演奏した。

80代90代のおばあちゃんたちから「お

にいちゃん」と呼ばれ歓声が上が

ったそうだ。地域の区民文化

センターでは舞台の中央で独奏した。抱えきれないほどの花束

をもらって夫の笑顔は輝いて見えた。障害を負

っても自分ので

きることで人の役に立ちたい、喜んでもらいたい、人は誰でも

明日がわからない、だから今日

一日を精いっぱ

い生きると夫は

よく言

っていた。私はそばで夫を支えていただけ、支えられて

いたのかも知れない。歯科の先生と筋委縮性側索硬化症

(AL

S)で自宅療養されている患者さんを訪ねたことがあ

った。夫

の吹くハーモニカに笑顔を見せて奥様が持

つ文字板で

「どうも

ありがとうございました」と言

ってくださ

った。

10年前、公民館にエレベーターが設置されたのを機に2人で

詩吟教室に通い始めた。初歩から丁寧に指導してくださり

「譜

面を見て吟じればいいですよ」言われ車いすの夫に並んで舞台

に立

った。息子たちからも実家の母からも大きな花束をもら

た。多くの方々に支えていただいた。高齢だ

った先生が亡くな

り悲しい思いもした。「人はいつか死を迎える、そのために悔

いのないよう生きたらいいんじゃないか」と夫は言

った。私は、

夫が15年前に退院する時に心に決めた。これからは自然体で寄

り添

っていこう。介護する側もストレスをためないよう生きる。

幸い夫は左半身まひだけで考え方は健康な人より勝

っていると

った。今を維持するよう私が支えていけばいいっ夫のそばで

書道の稽古をしデイサービスの日に合わせて私も教室に出かけ

る。年代の違う仲間と先生を囲んで楽しい時間を過ごす。短歌

も続けて学んでいく。ノートと鉛筆があればいい。ベッドのそ

ばでレース編みや刺繍をする。デイサービスに通い始めた夫は

刺繍したクッションをまひした左腕の下において持

って行

って

くれた。スタツフの方々にほめられると

「これは奥さんが作

てくれたんよ」と笑顔を見せていたそうだ。

介助すればいつも

「ありがとう」と言

ってくれた夫、口を真

一文字にして杖で歩く姿を家族に見せてくれた夫、車いすで施

設を訪ねハーモニカ演奏をして皆様の心に優しい風を吹き込ん

だ夫、亡くな

ってまだ6ヶ月余り、障害を負

っても強くけん命

に生きた夫を私は誇りに思

っている。