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Policy Brief 東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター Research Center for Marine Education, Ocean Alliance, the University of Tokyo 世界の国々では、領海・排他的経済水域を どのように教えているか?―地理の教科書の比較から― No.4 2018. 2. 1 Navigare necesse est. 領土・領海だけに固執することなく 「公共財としての海洋」の観点から教えるべき 1. 我が国の海洋教育について考えを深めるにあたっては、諸外国がどのように海について取りあげ、向 き合っているかを踏まえることが重要である。本稿ではいくつかの国における地理の教科書を比較検討 することで、我が国の海洋教育が踏まえるべき観点について提案したい。 (東京大学 教授・茅根創) 学習指導要領改訂案における「海洋教育の充実」 2017(平成29)年3、6月にそれぞれ新たに出された小学校・中学校学習指導要領では、「海洋教育 の充実」がはかられました。その結果、学習指導要領とその解説に現れる「海」の語は1.5倍に増えまし た。増えたのは主に社会科で、とくに領土・領海に関わる記述が強化されました。たとえば、中学校社 会科では「竹島や北方領土が我が国固有の領土であることなど、我が国の領域をめぐる問題も取り上げ るようにすること。その際、尖閣諸島については我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しないこ とも扱うこと」の下線部の記述が、付け加えられました。 図1 『中学生の地理』 帝国書院(2014)
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東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究セン …...2018. 2. 1 Navigare necesse est. 領土・領海だけに固執することなく...

Aug 07, 2020

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Policy Brief

東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター R e s e a r c h C e n t e r f o r M a r i n e E d u c a t i o n , O c e a n A l l i a n c e , t h e U n i v e r s i t y o f T o k y o

世界の国々では、領海・排他的経済水域を どのように教えているか?―地理の教科書の比較から―

No.4 2018. 2. 1

Navigare necesse est.

領土・領海だけに固執することなく 「公共財としての海洋」の観点から教えるべき

1.

我が国の海洋教育について考えを深めるにあたっては、諸外国がどのように海について取りあげ、向き合っているかを踏まえることが重要である。本稿ではいくつかの国における地理の教科書を比較検討することで、我が国の海洋教育が踏まえるべき観点について提案したい。

(東京大学 教授・茅根創)

学習指導要領改訂案における「海洋教育の充実」

2017(平成29)年3、6月にそれぞれ新たに出された小学校・中学校学習指導要領では、「海洋教育

の充実」がはかられました。その結果、学習指導要領とその解説に現れる「海」の語は1.5倍に増えまし

た。増えたのは主に社会科で、とくに領土・領海に関わる記述が強化されました。たとえば、中学校社

会科では「竹島や北方領土が我が国固有の領土であることなど、我が国の領域をめぐる問題も取り上げ

るようにすること。その際、尖閣諸島については我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しないこ

とも扱うこと」の下線部の記述が、付け加えられました。

図1

『中学生の地理』

帝国書院(2014)

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Policy Brief R e s e a r c h C e n t e r f o r M a r i n e E d u c a t i o n , O c e a n A l l i a n c e , t h e U n i v e r s i t y o f T o k y o

No.3

Navigare necesse est. 2.

学習指導要領改訂案における「海洋教育の充実」(つづき)

社会の教科書にはすでに、小学校社会で我が国の範囲が、中学校地理で我が国の排他的経済水域(図

1)が示されています。いずれも、改訂前の学習指導要領にも指示されていた「北方領土」についての

記述があり、中学の教科書では竹島にもふれています。新しい学習指導要領に従って、我が国の領土・

領海に関する記述は、より詳細かつ具体的になるでしょう。

各国の教科書の領土・領海・排他的経済水域の記述

では他の国々は、小中学校の社会科の教科書で、領土・領海・排他的経済水域についてどのように記

述しているのでしょうか。

◎韓国

韓国は、自国の領土、領海と排他的経済水域を、詳しく説明しています。係争のある地域について自

国の領土であることを主張し、とくに竹島について歴史的背景も含め、丁寧に取り上げています。また、

自国以外で係争のある地域として、尖閣諸島と南シナ海を挙げています。

◎中国

中国もまた、中学校地理教科書で、尖閣諸島(中国名・釣魚島)と、南シナ海の九段線内の西沙諸島、

中沙諸島、南沙諸島を、自国領土として地図に示しています。さらに、地域地誌の章では、台湾を中国

固有の領土と強調した上で、その範囲として尖閣諸島を本文中で明記しています。

◎フランス

フランスの地理教科書では、フランス本土だけでなく、太平洋のフレンチポリネシア、ニューカレド

ニア、インド洋のレユニオン、マヨット、カリブ海のグアドループ、マルティニクなどの海外領土を、

小中学校の歴史地理において丁寧に取り上げています。中学校教科書では、レユニオン、仏領ギアナ、

マルティニクを個別に紹介するとともに、これら海外領土が200海里の排他的経済水域を有しているこ

とにもふれています。

◎イギリスとアメリカ

一方、フランスと同様、太平洋や大西洋、インド洋に広く海外領土を持つイギリスとアメリカは、地

理の教科書では、それぞれの本土についてのみ記述し、海外領土についてはまったく触れていません。

排他的経済水域については、イギリスの教科書で北極海の大陸棚延伸についての説明で触れていますが、

アメリカの教科書には領海、排他的経済水域に関する説明は見あたりません。

世界の国々では、領海・排他的経済水域を どのように教えているか?―地理の教科書の比較から―

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3. 3. Navigare necesse est.

あるべき海洋教育の姿とは

確かに、我が国の排他的経済水域は広く、その範囲を教えることは重要でしょう。しかしひとたび広

い太平洋に目を移せば、太平洋は小島嶼国や米英仏の海外領土におおわれ、我が国の排他的経済水域は

その一部に過ぎないことがわかります(図2)。係争のある近隣諸国と同じ目線で、「我が国の」領

土・領海に固執しては、広大な太平洋から疎外されてしまい、かえって国益を失うことにならないで

しょうか。一方、米英仏は、小島嶼国と連携して、遠隔離島の広大な排他的経済水域に海洋保護区を設

け、環境保全を前面に出して遠隔離島の実効管理を進めています。

「公共財」としての海洋という観点を、生命や環境といったテーマの中に位置づけて教えることが、

我が国の真の安全を守ることになるのではないでしょうか。そのために、社会科においては、広く太平

洋の中で我が国の領土・領海・排他的経済水域を位置づけること、さらに新学習指導要領でほとんど海

に関する記述が増えなかった、理科や総合学習における海洋教育をいっそう充実させ、横断的・総合的

に海洋教育を推進することが求められます。

図2 太平洋の排他的経済水域(海洋アライアンスイニシャチブ小島嶼国研究会『太平

洋小島嶼国歴史アトラス(原稿)』)。米英仏の海外領土の排他的経済水域の多くは、海

洋保護区に指定され、小島嶼国の海洋保護区との連携が進められている。

(付記)

各国の教科書については、株式会社帝国書院が収集しているものを調べました。調査にご協力下さり、多くのご教

示をいただいた、帝国書院研究室の三宅麻理さん、秦篤史さん、地図編集室の本田智比呂さんに、心から感謝いたし

ます。なお対象学年の注記は、日本の対応する学年にあわせています。

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No.4

Navigare necesse est.

2018年2月発行

4.

【調査を行った教科書】

日本 『新しい社会5上』東京書籍(2014):小学5年、『社会5』光村図書(2014):小学5年

『中学生の地理』帝国書院(2014):中学、『中学校社会科地図』帝国書院(2014):中学

フランス “Histoire Géographie CM2” Magnard (2014):小学5年

“Histoire Géographie 3e” Magnard (2016):中学3年 “Atlas Bordas collège” Bordas (2014):小学6年−中学3年 “Atlas du collège” Larousse (2013):小学6年−中学3年

イギリス “geog.1” Oxford (2014):中学1年、“Geography 360°” Heinemann (2004):中学1年

“Key Geography: New Foundations” Nelson Thomas (2006):中学1−3年 “Geographical Enquiry” Collins (2015):中学2年

アメリカ “Social Studies: States and Regions” Houghton Mifflin (2005):小学4年

“World Cultures and Geography” McDougal Littell (2008):中学

韓国 『中学校社会科附図』教学社(2012)

中国 『地理』人民教育出版社 (2002) 中学2年

『中国地図冊』中国地図出版社(2008):中学

編集・発行 東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センター Research Center for Marine Education(RCME),Ocean Alliance, the University of Tokyo

2010年、東京大学海洋アライアンス(海洋に関する既存の研究科や研究所を横断する教育研究活動を進めてい

くための学際的なネットワーク組織)の中に設置された研究センター。海洋教育に関する日本初のナショナル・セ

ンター。教育学の専門家と海洋学の専門家から構成され、初等中等教育段階での海洋教育の促進のために、海洋教

育のカリキュラム開発及び研究、海洋教育を担う人材の養成と研修を実施している。

WEB: http://rcme.oa.u-tokyo.ac.jp

POLICY BRIEFについて

POLICY BRIEFは、海洋教育の促進および充実に向けて、海洋教育に関する総合的な議論の場を提供するために東京大学海洋アライアンス海洋教育促進研究センターが発行するものです。文責は執筆者に帰属します。

執筆者

茅根創(かやね・はじめ) 東京大学大学院理学系研究科・地球惑星科学専攻・地球惑星システム科学講座教授。海洋アライアンス海洋

リテラシープログラム長。1959年生まれ。地理学者。博士(理学)。専門は、地球システム学。フィールド調

査と採取試料の測定・分析を通し、サンゴ礁・沿岸を主な対象に、地形・生態系の形成・維持過程、炭素循環

機構を、現在の生物-環境の相互作用と将来の地球規模変動(二酸化炭素濃度上昇、地球温暖化、海面上昇)

に対する生命圏の応答という視点から解明している。さらに、地形や堆積物、サンゴ年輪に記録された過去数

千年間の古環境変動の記録を高時間分解能で読みとって、変動のメカニズムを解析している。