科学技術としての原子力開発
「原子力の平和利用(Atoms for peace)」(1953年) アイゼンハワー政権の原子力の国際管理政策
中曽根・正力による軍民両用技術導入による「静かな核抑止力」構想
1954年ビキニ環礁事件 1954年の「自主、公開、民主」原則 1955年の原子力三法→内閣(政治主導)による管理
原子力基本法→平和利用原則 原子力委員会設置法→内閣による政治的コントロール 総理府設置法改訂→原子力局(後の科技庁)の創設
1955年日米原子力研究協定 1956年科技庁の設置→高速増殖炉と再処理施設の国産化
過渡期としての外国技術の導入 正力松太郎が初代原子力委員長兼科技庁長官
2
商業的事業としての原子力
1956年日本原子力産業会議、1957年日本原子力発電(株) オールジャパンの商業発電所建設
外国技術の輸入
通産省主導による原子力産業育成政策
実用は民間・技術輸入、将来的には国産技術(1961年) 科技庁と通産省の縄張りの確定
早期国産化を実現するための外国産業との協力 英国の黒鉛動力炉、MHI-WHの加圧水型軽水炉(PWR)、日立・東芝‐GEの沸騰水型軽水炉(BWR)
3
電力会社による一斉導入
1960年代に原発導入が一気に進む 産業立地を巡る「我田引電」ポリティクス→産学官業政の癒着→「原子力ムラ」
使用済み燃料の処理問題
核燃料確保の問題→核燃料サイクル→MOX燃料、プルトニウム燃料 産業界のニーズと研究開発のニーズが合致→「ムラ」の強化
外国企業から学んだ国産商業炉技術 福島3号機からは国内企業が主契約
石油ショックによる原子力シフト エネ庁の創設、総合エネルギー対策→通産省の優位性
4
利益の自己増殖メカニズム
総合エネルギー政策→電源三法(1974年)
原発立地に対する補助金→利益誘導の正統化
電力供給の安定化→莫大な研究開発費とインフラ整備費
原子力委員会の改編(1978年)
政策の推進と安全管理の分離
科技庁と通産省の「事務局」争いの結果、推進は通産省、安全管理は科技庁の縄張り
核燃料サイクルの稼働(1970年代後半)
高速増殖炉「常陽」「もんじゅ」転換炉「ふげん」
5
もんじゅ事故とJCO事故
1995年、もんじゅのナトリウム漏れ事故 核燃料サイクル、プルサーマル計画への不安 「自主技術」に対する疑問、不信感
商業炉は外国技術をベースとした国産技術
1997年、動燃火災事故 情報隠しの疑い→原子力行政(科技庁)への不信感 動燃の自己肥大化、科技庁行政の透明化
1999年、プルサーマルデータ改ざん事件(高浜) 1999年、東海村JCO事故 1990年代の事故・トラブルでも原則方針変わらず
プルサーマルの推進、高速増殖炉の開発 「原子力ムラ」で作る総合エネルギー政策の強靭性 それどころか、原子力技術の輸出へと進む
6
省庁再編
原子力委員会、原子力安全委員会→内閣府 事務局機能も通産省、科技庁から分離し独立
経産省の焼け太り エネルギー政策の方向付け(原子力委員会の形骸化) 利用関係の「技術開発」を所掌
プルトニウム利用技術、再処理に関しても権限を得る
利用の安全を管理することから保安院を経産省に創設
敗北した科技庁 原子力局、原子力安全局を奪われ、学術研究、科学技術のみ
しかし、文科省となることで、大学を中心とする研究開発ネットワークをおさえる
また、科学技術・学術政策局に原子力安全課、研究開発局に原子力課、核燃料サイクル研究開発課が残る→SPEEDI、IAEAとの調整などは文科省の所管として継続
7
原子力行政の体制図
8出典:(社)原子力産業協会 http://www.jaif.or.jp/ja/policy_r&d/government/c0301.html
現実化した行政の無責任体制
福島原発事故における様々な問題 多元的な行政管理:特に保安院と安全委員会の関係
事故直後には保安院の駐在員が福島県庁に避難 安全委員会は調査員の派遣が遅れる→機能不全と無責任体質
SPEEDI情報提供や海洋放射線監視は文科省→旧体質が温存されており、これまでの権限を手放さなかった結果、データの共有できず
保安院は産業保護と安全管理の矛盾→産業界に対するコントロールが効かない
「想定外」を想定することを不可能にする仕組み 原発の安全にかかわる組織が3分割されており、統一の見解がない
「想定外」の事態を想定すること=原発が安全でないことを認めること=「原子力ムラ」の利益に反すること
9
民主主義と科学技術
主権者(意思決定者)である国民=科学技術のリスクにさらされる国民 専門家による知識の独占=国民の意思決定への排除 専門家による知識の独占→リスクの引き受け手としての国民の排除
専門家に対する不信感 利害当事者としての専門家=専門家は中立ではない 専門家は「中立」であるため責任を取る立場にない→責任は政治家
しかし、政治家は国民と同様、知識をもつ存在ではない
にもかかわらず、リスクに対応するためには専門家の知識が必要となる さらに、「想定外」のリスク→科学的な正確性に疑問が生まれる
民主主義政治と科学技術 科学技術のイデオロギー化→政治プロセスでは「賛成」と「反対」の二者択一 政治の世界ではリスク管理よりもイデオロギー的な判断が優先される
問題の解決に向けて 透明性の確保→意思決定過程で知識・データを公開していく→国民の監視を確保 当事者としての決定を可能にする
公開された情報と必要な知識に基づき、リスクを計算し、個人の行動の決定を可能とする 統治者の論理(事故の起こる確率)とリスクの当事者の論理(生きるか死ぬか)の整合化
10
地球観測衛星
地球観測衛星データの共有 国際災害チャーター
主たる宇宙開発国が加盟:機微性の低いデータ
UN-SPIDER 国連主催、途上国向け国際取り決め:欧州が中心
センチネル・アジア JAXAが主導して構築したアジア太平洋地域協力
「だいち」の電源停止 センチネル・アジアの中心的衛星 日本の国際的リーダーシップの象徴 設計寿命3年、実働5年→いつ停止してもおかしくない 後継機は存在せず→政治的リーダーシップの欠如とJAXAの無関心 「研究開発機関」→新しい技術でなければ価値がない
12
通信衛星
地震と津波による地上系通信システムの断絶 安否確認、支援要請のためのライフライン断絶 衛星通信のみが利用可能なライフライン
JAXA衛星:WINDS(きずな)とETS-VIII(きく8号) 2006年中越地震を踏まえた震災対応プロジェクト 2008,2009年ETS-VIIIを使った防災訓練 しかし、JAXA衛星はほとんど使われなかった
WINDSは釜石・岩手県庁・東京 ETS-VIIIは大槌町、大船渡市、つくば宇宙センター 可搬型通信局がともに3台しか存在していなかった 「防災機関ではない」→可搬局のコストが高い
活躍したのはNTT Docomoの衛星電話 N-Star衛星を使ったWidestarサービス 西日本各地から端末を集めて提供(次スライド参照)
13
14
以下の場所に無料衛星携帯電話サービスコーナーを設置しております。
県名市区町村名
施設
岩手県
大槌町臼澤鹿子踊保存会館伝承館、介護老人保健施設ケアプラザおおつち、寺野弓道場、株式会社千田精密工業 大槌工場、金沢地区生活改善センター、大槌町役場 金沢支所、デイサービスセンターはまぎく、大槌町役場 かみよ稲穂館、金沢小学校、ワークフォローおおつち
大船渡市 花菱縫製、リアスホール、遊YOU亭・夏虫釜石市 上栗林集会所、大平中学校、花露辺漁村センター、日向集会所、荒川集会所野田村 久慈工業高校、パティオ・ムラタ前
山田町 陸中海岸青尐年の家、大浦小学校、大浦漁村センター、岩手県立山田病院、ふるさとセンター、織笠小学校
陸前高田市
モビリア、第一中学校、竹駒地区コミュニティセンター、高寿園、米崎小学校、陸前高田斎苑、地竹沢公民館、雷神自治会館、株式会社アマタケ 滝の里工場
田野畑村 田野畑自然大学校普代村 くろさき荘、大田名部公民館
宮城県 石巻市
大原中学校、大指林業者生活改善センター、雄勝町名振コミュニティーセンター、旧水浜保育所、明神共和会葬儀場、雄勝斎場、洞源院、石巻市役所雄勝クリーンセンター、追分温泉、泊地区コミュニティセンター、北上高齢者生活福祉センターはまぎく、鮎川集会所、小沢地区コミュニティセンター、石巻市十八成老人憩の家
気仙沼市気仙沼中学校、階上中学校、介護老人保健施設はまなすの丘、仙翁寺、本吉公民館、本吉浜区多目的集会場、寺谷コミュニティーセンター、第二高松園、高松園、燦さん館デイサービスセンター、唐桑小学校、只越荘、特別養護老人ホーム唐桑園
山元町 山下中学校、山元町役場、山下第一小学校、山元町役場坂元支所、坂元中学校
女川町勤労青尐年センター、女川第一中学校、女川第一保育所、東北電力 女川原子力発電所内体育館、女川第一小学校、女川第二小学校、旭が丘集会所
南三陸町歌津つつじ苑、馬場中山生活センター、平成の森、名足保育園、大磯カネサン、荒町ふれあいセンター、大上坊契約生活センター、寺浜生活センター、旧藤浜小学校、民宿ながしず荘、津の宮荘、津の宮生活センター、滝浜生活センター
東松島市 室浜地区センター
本情報は2011年4月28日(午後1時)現在の情報です。設置場所は状況により随時変更しております。
NTT Docomoの衛星電話サービス