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William Wordsworth (1770-1850)
Cumberland州Cockermouthで生まれる
父は貴族の顧問弁護士(attorney)
8歳のときに母親を、13歳のときに父親を亡くす
1787年、Cambridge大学St John’s Collegeに入学
授業外で幅広く読書にいそしむ
1790年、ヨーロッパを2000マイルほど徒歩で旅行する
1791年、フランス旅行、フランス革命に共感、Annette Vallonと恋仲になる
英仏関係の悪化と経済的な問題から、Annetteを残してイギリスに帰国
1793年、イギリスとフランスのあいだに戦争が起こる
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1795年、友人から遺産を受ける、Coleridgeと知り合う
1798年、Coleridgeと協力してLyrical Balladsを匿名で出版
1798年から99年にかけてドイツに滞在、フランス革命への幻滅を感じる
1799年、妹のDorothyとともに湖水地方GrasmereのDove Cottageで暮らしはじめる
1801年、Lyrical Ballads第二版(著者としてWordsworthの名前だけが記される)を出版
1802年、Mary Hutchinsonと結婚、妹も同居
1808年、Allan Bankに転居
1813年、Rydal Mountに転居、生涯そこで暮らす
1843年、Poet Laureateに任命される
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DOVE COTTAGE IN GRASMERE
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主要著作
Lyrical Ballads (with Samuel Taylor Coleridge) (1798)
Poems in Two Volumes (1807)
The Prelude (1850) 死後出版
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Lyrical Ballads (1798)
lyric 感情を表現する詩
ballads 素朴な詩の形式
Samuel Taylor ColeridgeはBiographia Literariaの中で二人が共有していた詩についての考えを説明している
役割の分担
Coleridge自身は超自然的なテーマを扱う
‘willing suspension of disbelief’をもたらすような関心を読者から引き出す
Wordsworthは ‘film of familiarity’ によって隠されている日常的な事物の美を描き、読者の共感を惹起する
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THE FIRST EDITION OF LYRICAL BALLADS
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Wordsworthによる第二版(1800年出版)の序文
イギリスロマン主義のマニフェスト
① ‘all good poetry is the spontaneous overflow of powerful feeling’
② ‘emotion recollected in tranquility’ から詩は生まれる
③ ‘common life’ (‘humble and rustic life’) を描く
自然の中で暮らすふつうの人々の生活を詩のテーマにする
自然と調和し都会の腐敗とは無縁の生活を送る人々への共感を表現する
④ 詩人は‘a man speaking to man’ である
古典主義時代の人工的な詩の言葉遣いを批判する
‘a selection of language really used by men’を用いる
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自然の描写と内面の描写の融合( ‘Lines Written a Few Miles above Tintern Abbey’ )などの詩において顕著に見られる)
Wordworthにとって自然は客観的な認識対象ではない
→自然と内面の有機的なつながりと相互作用が描かれる
汎神論的(pantheistic)な自然観→自然そのものに神が内在すると考え、自然の外に神の存在を想定しない
自然と人間の精神の中には同じ力が働いていると考える
晩年Wordsworthは汎神論的な世界観からより伝統的なキリスト教的な世界観へと転向する
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The Prelude; or, Growth of a Poet's Mind
blank verseで書かれている
1799年から1805年にかけて執筆された
1805年版(1926年出版) 全13巻
1850年版 汎神論的な要素を削除・訂正、全14巻
The Recluseという哲学的な長編詩のための「序曲」として書かれた
詩人となるべく定められたみずからの運命と成長を語る
書物からのみ得られた知識よりも自然との交流を通じて得られた知識が人間にとって重要であると主張する
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自然を賛美、都市を批判する傾向が強い
幼年時代の経験が人間の精神にあたえる影響の大きさをくりかえし主張する
‘Love of nature leading to love of men’ (Book VIII)
自然との交流によってはぐくまれた詩的な想像力だけが人間を完全な存在にするという考え方によって貫かれている
内面的な叙事詩→古代の叙事詩とは異なり武人ではなく詩人が英雄となる
William BlakeのWordsworth観
‘a Heathen Philosopher at Enmity against all true Poetry’ (David V. Erdman, The Complete Poetry and Prose of William Blake)
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Samuel Taylor Coleridge (1772-1835)
Devonの牧師の家に生まれる
Cambridge大学Jesus College中退
アメリカに理想社会(pantisocracy)の建設を夢見る
1895年、Sara Frickerと結婚
1897年、Wordsworthと知り合う
1798年、WordsworthとともにLyrical Balladsを出版(‘The Rime of the Ancient Mariner’ を寄稿する)
1798から99年にかけてドイツに滞在、帰国後Schillerなどのドイツ・ロマン主義の作家を紹介する
1800年、湖水地方のKeswickに住みはじめる
Wordsworthの義理の妹Sara Hutchinsonに恋をする
アヘンを常用するようになる
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1808年、妻と別居
Grasmere、London、Bathと転居を重ねる
1816年、LondonのHighgateで暮らしはじめる
1817年、Biographia Literariaを出版
fancyと区別してimaginationを定義した
imagination: 異質な要素を結びつけて首尾一貫した有機的統一体を創造する能力
It dissolves, diffuses, dissipates, in order to recreate: or where this process is rendered impossible, yet still at all events it struggles to idealize and to unify.
fancy: 一貫性のない気ままな空想
1834年、LondonのHighgateで死去
Coleridgeの最高傑作はWordsworthであると言われることもある
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非日常的な世界を描く詩が多い
‘The Rime of the Ancient Mariner’「老水夫の歌」
年老いた船乗りが航海中にアホウドリを殺したために呪われた経験を語る贖罪の物語 キリスト教的な罪とその贖いを描いているだけではない →自然の摂理そのものに対する人間の罪を問題にしている ‘Kubla Khan; Or, a Vision in a Dream. A Fragment’ 1797年執筆、1816年出版 Coleridgeがアヘンを飲んで眠ったときに見た夢にもとづく 夢を詩に書き残そうとしたが、Porlockから来た友人の訪問によって妨げられる 元朝初代皇帝フビライ・ハンが上都(Xanadu)に建てたとされる宮殿の楽園的なイメージが描かれる 宮殿内を流れるAlph川は人生を表す→源(誕生)から海(死)へと流れる 生と死のあいだのはかない瞬間に築きあげられた美の宮殿を描くことによって、詩人は美のはかなさとはかないがゆえの美の力を訴える
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Lord Byron (1788-1824)
Aberdeenで育ち、Calvinismの影響を受ける
乳母の暴力と内反足に苦しむ
1798年、男爵(Baron)の爵位を相続
熊をペットとして飼っていた
1805年、Cambridge大学Trinity Collegeに入学
1809年、貴族院(House of Lords)の議員になる
地中海諸国を放浪
1812年、Childe Harold's Pilgrimageの第一篇と第二篇を発表
社交界の寵児となる
‘I awoke one morning and found myself famous’.
1814年、異母妹がByronの子であると言われている子を出産
1815年、Anne Isabella (Annabella) Milbankeと結婚
一年もたたないうちにAnnabellaはByronの元を去り離婚
1816年、イギリスを去る
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GEORGE GORDON BYRON (1788-1824)
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スイスでPercy Bysshe Shelley、Mary Shelley、Maryの異母妹Clara Mary Jane Clairmont(Claire Clairmont)と合流
ClaireはByronの娘Allegraを産む
1817年Veniceに移り住む
この時期200人の女性と関係、bisexualでもあったらしい
1817年Manfredを発表
1818年Childe Harold Pilgrimageを完成する
1819年Don Juanの執筆を開始、生涯書き続けることになる
イタリアのナショナリズム運動に関心を寄せる
1822年Allegraの死とShelleyの死が重なる
Genoaに移る
イタリアの独立運動の失敗
ギリシャでトルコからの解放運動に関わる
1824年リウマチ熱で死去、心臓はギリシャに埋葬される
死体はイングランドに運ばれるが、Westminster Abbeyへの埋葬を拒絶されたため、Nottinghamshireの教会の地下納骨所に収められる
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ANNE ISABELLA (ANNABELLA)
MILBANKE (1792-1860)
CLARA MARY JANE CLAIRMONT(CLAIRE
CLAIRMONT) (1798-1879)
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Child Harold‘s Pilgrimage (1812-18)
ピカレスク的な主人公が退屈から逃れるために大陸を放浪する様子を描く物語詩
同時代の事件を風刺的に描く(ロマン派の詩人としては異質なスタイル)
the Byronic hero(社会からの追放された存在、社会に属さない放浪者)という言葉を生む
ロマン主義に潜む悪魔的(=反社会的)な要素を表す
同時代の詩人Robert SoutheyはByronを ‘the Satanic school’ に属していると批判した
Don Juan (1819-24)
Don Juan伝説に依拠した物語詩
DrydenやPopeの伝統を意識した風刺性をもつ
1819年からByronが亡くなる1824年まで書き続けられた未完の作品
16篇(16 cantos)からなる
セビリア、ギリシャ、サンクト・ペテルブルク、イングランドで次々と美女の誘惑を受ける受動的な主人公が描かれる
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Percy Bysshe Shelley (1792-1822)
Sussex州Field Place生まれ
父は国会議員
EtonからOxford大学のUniversity Collegeに入学
Eton時代は ‘Mad Shelley’ とか ‘Eton Atheist’ というあだ名をもらう
1810年、ゴシック小説Zastroziiを個人出版、その後も詩集やゴシック小説を出版
大学では友人とともに ‘The Necessity of Atheism’ というパンフレットを出版、即刻放校される
1811年、16歳の少女Harriet Westbrookと駆け落ちしEdinburghで結婚
家族と断絶
1812年、アイルランドでカトリック教徒解放運動を支援
1813年、LondonでWilliam Godwinと知り合う
結婚生活の破綻
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PERCY BYSSHE SHELLEY (1792-1822)
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1814年、またもや16歳の少女Mary Wollstonecraft(William GodwinとMary Wollstonecraftの娘)と大陸に駆け落ちする
Maryの異母妹Clara Mary Jane Clairmont(Claire Clairmont)も同伴、三角関係は生涯続く
1815年、祖父の遺産を相続、ロンドンに戻る
1816年、妻Harrietが自殺、ShelleyはMaryと正式に結婚
1817年、John Keatsと出会う
1818年、ふたたび大陸へ渡り、ジュネーヴ湖畔でByronと知り合う
その後イタリアに向かい各地を転々とする
1821年、Byronと合流
1822年、地中海でヨットから転落、溺死する
Byronらに見守られ浜辺で火葬に付される
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主要著作
Alastor; or the Spirit of Solitude (1816)
truth、virtue、libertyを象徴するエロティックな女性の幻を追い求めて東洋を彷徨した末、失望して死ぬ詩人を描く
自己批判であると同時に現実批判でもある詩
‘Ode to the West Wind’ (1819)
Florence近郊の森で得た着想にもとづく詩
風は詩人の想像力を表象する
死と再生の主題が鮮烈で多様なイメージによって表現されている
風はまた現実世界を変革する力も象徴している
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Prometheus Unbound (1820)
革命の寓喩として読める詩劇
AeschylusのPrometheus BoundおよびMiltonのParadise Lost (特にSatanの描写)から影響を受けて書かれた
天の火を盗み人間にあたえた罪で、Jupiterから岩につながれたままハゲワシに内蔵を食われるという罰を下されたPrometheusが、生命の力の体現者であるDemogorgonによって解放されるまでを描く
Adonais (1821)
Keatsの死を悼み彼の名声の不滅を讃える
Keatsの詩を酷評した批評家をギリシャ神話に登場するAdonisを殺したイノシシに例える
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The Triumph of Life (1822)
執筆途中でShelleyは死亡
triumphとは凱旋式のこと
人間の希望や理想を打ち砕く生命の力を描く
夢の中でRousseauの霊に導かれて、詩人は生命の力に屈服した人々(Plato、Alexander、Napoleonなど)を眺める
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A Defense of Poetry (1840, 執筆1821)
工業化された社会における詩の役割を論じる
詩は現代文明の破壊的な力に抗して愛と自由を訴える力を持つ
想像力を絶対視する
‘the great instrument of moral good is the imagination’
詩による世界変革の可能性を信じる
詩人は ‘the unacknowledged legislators of the world’ であると断言する
詩人の想像力は世界の隠された真実を明らかにする→詩人は未来の世界の予言者となる