Title リルケと音楽 Author(s) 高安, 國世 Citation 独逸文學研究 (1954), 3: 48-63 Issue Date 1954-12-10 URL http://hdl.handle.net/2433/186243 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University
Title リルケと音楽
Author(s) 高安, 國世
Citation 独逸文學研究 (1954), 3: 48-63
Issue Date 1954-12-10
URL http://hdl.handle.net/2433/186243
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
リルケと普柴
四/i、
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ケ
、r、ー
一五日
柴
||ペングェ
ヌータとの往復書簡に関連して!|
I罰
.安
園
世
一九一四年六月八日、
yルケがルl
・アンドレアス・サロメに宛てて、
とと数カ月の悩みの後で思い知つ党乙
とは、誰も、誰も自分を助けるととは出来ないというζ
とだ、
と洩らし、もう一度無邪気に生が、今まで
D自分
との悪因縁を忘れて近付いて来たのに、自分はその純粋な、たのしかるべき課題にまたま党失敗してしまったと
嘆いている手紙も、
これまでは何集た〈見すごされようとして来党。その翌日の手紙に、不能に移った・三カ月の
現賓は、その聞の樫験の上に厚い冷いガラスを張ってしまって、ちょうど博物館の陳列棚を見るように、どうし
てもうまく中が見えや、自分の顔ばかりが映っている。見映えのし・ない相費らやの顔ぽかりが・・・・と嘆いても、
リルケらしい表現の背後に何が隠されていたのかを知るととは出来危かった。
しかし今ではとの三カ月の憧験が何であったかは知られている。それはベンヴェヌ
1グ(マクグ・フォン・ハ
ッティングベルク夫人)との不幸な栂愛である9その同じ八日の書簡に次のように趨べられている「手紙」も、
ベンヴェヌ
iグに宛ててそむ年の一月から二月にかけて
Fルケが書いたものを指しているととがわかるのであ
る。「途に不幸た結果に終った・今度の事の起りは、津山の一一津山の手紙からでした、それは私の心からたぎり落ちる
ように生まれ出先美しい手紙でした。今までにそのような手紙を書いたことがあるかどうか、思い出せたいほど
です0
・・・・その手紙の中には{だんだんに解って来たことですが)、何か私の最も深い本質の新しい豊か放水脈
に突き蛍った・かのように、
一つの生気が不可抗的に訪を上って衆ました。そして無重臓の告自の中に溶かし込ま
れて、それは朗かた斜商を流れ下って行きました。その間私は毎日毎日筆を動かし友がら、その幸隔た流れと、
同時に、受取る人聞の内部にいとも自然に準備されているように思える謎のようなやすらいとを感じていまし
党。との告白を純粋に透明に保っとと、そしてそれ以外のととは一切感じ究り考えたりし危いとと、
とれが突然
何故とも解らねままに、私の行震の規準と左bJ法則、と・なってしまいまし党、ーーそして悲しみに淀んだ一人の人
聞が純粋になるととが仮に出来る色のとする友らぽ、私はあれらの手紙の中でそろたったのでした。日常の物事
ま党それに謝する私の闘係は、一言いよろもたく神聖にそして責任を持てるものに怒りました、ーーそしてそとか
ら私は途に、常に宿命的なものに無気力に巻き込まれている私の献態から脆け出す遣を見つけたかのよろた心強
さを先えたむでした。その時から私が
Eん友に鐙化しつつあっ党か、
そのととは過去でさえも、
ふとそれを物語
るよろ・な時は私自身驚くよちた現れ方をするので知れました。例えば以前にも語ったことのある時期のことであ
っても、それまで注意を梯わ・なかった筒所や、殆ど意識しなかっ党筒所にアクセントが置かれました・、ーーーそし
てどの筒所もいわば風景としての無邪気さで、純粋な眼に見えるものと友り、そとに存在し、私を豊かにし、私
のもむと友りました||、私は初めて私の生の所有者とたるように思えたほどです、
しかもそれは過去の事を解
揮して自分のものとし、搾取し、
理解するといろのでたしに、私の思い出を豊かに浸してい究あの新しい民・質性
によって訟のでした。」
僕は最近に友って切一同日
02REo-B白骨切g48zF切oaH己O
〈
包
括
開
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gEEを諌む機舎を得て、
そ
ザルケと品目一梁
四
九
F
Pケと苦策
五
O
。種文といろ範曜を遥かに通院したリルケの溢れるよろ友、何もかも吐き蓋し、自らをその在るがままの姿で認
め抱擁してくれる存在を求める撃に感一倒され、
さまざま訟ととを考えさせられ党のであるが、その後、右のル
I
宛の手紙C一節に遭遇して、
やはりリルケにとってもとれらの書簡は深い意味をもっQ
ものであり、他の書簡とは
一種田買った次元に立つものであるといろ感じを裏書きされた。
マリI
・フォン・下P
ルン・ウ
シト・グクシス・
ホl
エンロ
l
エ侯傍夫人との往復書簡(殆ど九百頁にも及ぶ)の中にも随分長い、心むともつ党手紙があり、殊
に長年にわたって一種の精紳的た相互理解の上に築かれている友情の親左辿りたがら、
リルケむ生涯の側商を眺
めて行くととには、大きた喜びがあり、
さまざまむ事賓に眼をひらかれるのであっ売が、
とのベ
ydツェヌ
1グと
の桂復書簡は約一カ月の聞のものであり、殆ど毎日のよろに、朝に書き、午後に書き、夜に書いた形跡をとどめ
ているとの感情の噴出はた・だたらぬものがある。その時の心の吠態、その告白の佐賀が、三カ月後にリルケ自身
によって右のように説明されていたのである。もちろんベングェヌ
1グとの欄係が失敗に終った後であるから、
ルーに劃して轡愛やそれに類した感情については少しも漣べていないことが諒解されるが、それにしてもとれら
の手紙は賓際に栂文以上のものである。何しろ舎ったとともたい一婦人からの、自分の警箸(「紳様の話」)に封
する感謝に劃して、どろしてとのように念速度にリルケが親しみを受ぇ、全心を打ち明け、
むしろ救いを求めて
行。たかは、些か鷺くに足るととたのである。しかもリルケがとの頃全〈創作力が掴渇し、何かに髄ら・なければ
生の不安に耐へか似る献態であっ党かと言えば、必守しもそうは思え・ない。リルケの不安は創作カの披退とE比
例するのが常である。といろのは、創作によってとそリルケの生は充賓し、存在する債値を持っと貸感されるか
らである。ととろが、
一九一一一年に始まつ党「下P
イノの悲歌」の歌撃はたるほ
E中絶してはいた。しかし二一
-一一-一年のスベイ
γ放行で、グレコの萎術やトレドの風景危どから、悲歓の基調はまずまずはっきりと意臆され、
第九の悲歌の一部さえ既に出来ていたし、第十の悲歌の試みさえ正に一三年末になされ,〈断片で移り、後に棄イ」
去ったが)、「夜に捧げる歌」の幾多のものが書かれ、決して一九一六年以後のよろ友掴渇む時期では念かった。
むしろ一つの新しい活動を期待していい時期だった。念、ぜ彼はこんなに容易に未知の一婦人の短い挨拶に惹かれ
て行つもんのであろろ。
それにもっともらしい解揮を輿えることは由来る。音柴だったのだと。彼女の手紙に、彼女の音繋が庚い世界
に門出するに蛍ってリルケの著作に非常たカを得たと去を感謝している所があり、
リルグの-初めての返信に、屯の
-なたの音繋を聴きたいという言葉がす々に出て来る。その言葉に績い℃、去年の冬、
もし突然あ友たが南スペイ
シに現れていたら、私の心はあなたの究めに幾つもの凱旋門を立てていたろう、そしてあた党の一菅繋が絶え守そ
の中をくぐっ
て行くのを見売るうに・・・・と書かれている。
そしてロ
ングで初めて音柴への願いが現れたことが告げられている。それは沓詩聖書のように批大念、摩倒的
なト
νドの風景を眼の隅%でまで吸い取ったあとのことだった。
ロングで初めて
Fルケは自分の眼があまりに一ぽ
いに友っていることに気付〈。あL、自分は眼の果てまで来党、今までに取り入れて茶花形象をめぐって今や育
目にたるべき時のようだ。事象も存在も無量戴であってもとれからは全く別た感官でもって世界を受取らねばな
らねのでは友かろうか。一音紫、音業。音柴乙そがそれかも知れ白。そう考えている時隣室で誰か演奏していた・。
すると(今までよく知らなかっ党〉音紫の驚くべき要素の中へ世界が融け込んで行くのを感じた、そして世界を
そこから感じ取るという溢れるような幸幅、殆ど努力せや'K得られる幸幅が生まれた。リルケにとって彼の聴受
は赤ん坊のあしのろらのように民新しいものと感じられたのであった。
Pルケはペンヴェヌ
Iグと知り合ってから彼女をド9
イノヘ導く前に、
マリ1・グクシス侯鰐夫人に賞てて
ηJルケと一音柴
五
リルケと普祭
ヨ王
(一九一四年三月一一一日)「一人の愛すべき人聞をあなたの許へ蓮れて行くととを沿許し下さい、あな売がその人
を知って下さることが、私の生涯にとって重大注意味を持つのです!|、
ζ
の幾週間か、そろ出来たいのがつら
かったのですが!i、それは一人の女友達で、
フォシ・ハッティングペルクと一買いますが、
きっとあ・なたにもた
気に入ると思います。彼女の内には-Z
日…繋が、かつて思いみなかっ党ほど偉大に素晴らしく生きています。私は彼
女によって、以前ログンの彫刻によって私を立て直したように音紫によって立ち直るととが出来ると思っていま
す。」乙
の言葉から明らかなように、リルケにとっ
て音柴といろものが、彼む今後の創作にとって何らかの意味に治
いて基調となるべきととを確信していたのである。
ログンによって彫刻i物
lの本質に開眼したように、彼女を
遁じて管業||世界を捉える最も純紳直接な方法として
lーの世界に参入しよろとねがっていたととが知られ
る。もっとも彼女の理解する音柴とサルケのそれとの聞に全然架橋すベ〈もたい溝のあるととが這々に意識され
てくるのであるが。
リルケの青葉については、
よく知られているよろにル
1ドルフ・カスナーの女のよちた言葉がよくその本質を
ついているように思われる。
「・・・・リルケにとっ℃は音業さえも空間的危ものであった、彼のオルフォイスのソ、不ツ干の墨田繁は。ぞれは秩
序を意味するものだ、昼間内部の秩序であり、
ぃ。彼の丑日…柴はいわば昼間内部に治ける中関空間である・・:」
形姿とたつもん中関空間
(N羽目聞のげ冊目自民国)、
正にそれに他・ならな
中間昼間とは結局君。】昨日ロロ
gBE自と
か
gE耳切自己ぬとかに蛍るものと思われる。
空間内部の或る空間と
昼間との聞に存在する関係、或いはそろした関連の場としての昼間であるろ。それを裏書きするもののよろに、
ワルケ自身、ペンヴェヌ
lグに出合うより以前、
Eにスペインのト
νドに沿いて〈一九一一一年一一月一七日)候
傍夫人に宛てた手紙で、彼の管業についての考えを述べている。そこで絞は司MHVE仏
d-Z22g∞1ENU)
が古
代の菅繋について一言うζ
とに同感を表明して、それを自介流に説明している。その時被は円凶器盟ロB目。
zao『
宮ロ曲目W
といろととを言い、丑日柴の数率的危裏側、
生を秩序づける要素といろととをきロっている。
いうものは人の心を誘惑するものだが、それは結局法則性へと人を導くもの、法則そのものへ到らしめるもので
ある、法則は普通は命令的で親しみ雌いもののよろであるが、一音繋にたいてのみそれは哀願的危ものとたり、私
たちを必要とするものとたる。一背をロ賓にして、その陰から宇宙が私たちに近づいて来るのである。音繋に沿い
そして音繁と
ては耳に聴き得るものだけが決定的ではない、
といろのは耳に快いためには必ヂしもそれが異質であるを要した
ぃ。しかしすべて事術にあっては外観は決定的・なものではた〈、奥深《埋まっている「存在」こそが重要たので
ある。と
とではリルグはまだ一年後のよろに本営に音柴によって自らを建て直そろといち際
Eの積極的・注意志を示し
おん
ていない。むしろ耳にきとえる音とか旋律とかいうものは外観であり表面であり、それを背後から支えている数
的秩序といったものに音業む本質を見ているので診る。つまり美しい一音色やリズムを遇して人をして一奉に異質
の存在そのものへ、宇宙的た全樫的調和の世界、或いは後にリルケのいう君。
EH583ロ自へ入らしめるととる
に音柴の債値を見出しているのである。そろいう音柴の本質とそ、リルケの晩年の詩の本質に最も近いものと言
うことが出来よろ。
先に鯛れ究ト
νドの檀験を別の言葉で言っているよろに思われるのは(一九一五年一
(U月二七日、
エV
シ・J
プ
ルプ施〉・択の言葉である。
FLYケと者集
ヨE
リルケと晶円集
五四
「・・・・(ト
νFの)すべての物に内商世界全憧が現れていました、あたかもとの昼間乞包んでいる天使が盲目で
あって、自己の内部のみを見ているかのように。
ころいろ、人聞からでな〈天使む内部で見られた世界、
とれと
そ恐らく私の本蛍の課題たのです・・・・」
そして一一音壊はリルケにとっては、教舎で奏され、それが真直ぐに紳の方へ向。て行〈時にのみ許され、紳たら
白人聞は音柴の強烈た誘惑に堪へる乙とが出来や誠び・なければ・怒らぬ。#んがひょっとする左者業とそは死者の蘇
ふら
りかも知れね、人は珪回集の縁で一度死んで、雪地棋の中にー不滅のものとたって輝き出るのかも知れお、と考えたの
もやはりとの頃のととである。とれは何か後の「オルフォイスのソ、不ット」のオルアオイスを想わせる。そのオ
ルフォイスは詩紳であり、詩人の理想像でもある。オルプオイス・の歌撃は寓物の中に鳴り響く調和の歌撃であり
ぞれは死と生の境を知らね。オルフォイスはひとたび死んで、
死んだからとそ寓物の中に遍在するのである。ぞ
れを言いかえれば、詩人は死の世界を知り、死の不安を克服してはいレめて普遍的友「存在」の歌聾を響かぜると
とが出来るのである。
さて、リルケはベ
ングェヌ
1グに宛てた手紙で、自分はまった〈菅壊は駄目で一つの旋律也、
心を動かされ党
一つの歌も、何同聴いても後で軟うととが出来たい、
ーと洩らしているが、
W
ツルケが昔業に不感症であっ党とは決
る。して一一菅えない。むしろあまりにも心を動かされるととを恐れてい党ととが、先程からの言葉からも明らかであ
(一九一三年四月にはロマシ・ロラ
ンとの出曾いで、
E-フシが弾い党古代一の菅繋、叉グ
νゴワア袈散の一簡
にい党く感動し党ζ
とが告げられているov
マリl・ググシス夫人はリルケ宛の手紙でしばしぼ普繋
llぜアノを
彼女は唯一の慰安としてい党ーーについて語り、ドウイノの館ではよく築士たちが招かれて室内業等が演奏され
7乞。
一九一
O年頃のマリ1夫人との接鰯から徐
々にリルケは墨田繁に接近しているとも言うことが出来よろ。
jL
一(U年の夏、
ラウチンで侯健夫人と共に過したととが、「大きた分水嶺」となっ℃、「人間らしくたる乙とを拳び
はじめている」とリルケは越懐し究が、
それはいわゆる「限の仕事」から「心の仕事」への騨向(一九一四年六
月の詩)の端緒とも考えられるが、
そこに人間的な感情||愛1ーに闘するリルケの弱さが露呈して〈る。リル
ケはマルト(バリでリルケが保護してやっていた貧しい少女)に闘し℃、
自分は決してピ
oσgao円であり得な
ぃ、と侯偉夫人に嘆いていた・(一九一三年三月)。そしてベシヴェヌ!グからの最初の手紙を受取る少し前、
九一三年二一月二七日には、悲歌を完成することのみを願い、その
ためには誼蛍危場所と、姉妹のような人、家
の商倒だけを見てくれ、愛情は持た・ないでくれる人、或いは愛するにしても、働き・ながら守りたがら、限に見え
友いものの境界にとどまる乙とより他何の要求もし友い人が必要だと夫人に打ち明けている。そのリルケがペン
グェヌ
1グに癌遁し、更にル
l
・アルベール・ラザ
1ルに出合い、・なたその他幾人かの女性と愛の関係に入つて
は失敗しなければなら・なかったのは、何としても人間リルケの弱さと言わ・なければ怒らぬだろう。一九一三年の
マF1侯偉夫人がリルケ
に舎つ党時、リルケは非常友不安友、興奮し党商持で、いままで自分はいつも他人
秋の感情や意志や願望に従って来たけれども、
これからは自分の方から感じたり要求したり、愛したりしたいと思
だが、夫人に言わせると、リルケの待ちとがれているよろな、しかし本
営は一つの夢に過ぎないような、彼と金〈同じよう危考えを持っている、やさしい魂などは何慮にも見つかるは
ぅ、と打ち明けた(「リルケの思出」)。
やはたかったのである。
だが折も折、
一九}三年から一四年にか砂党各
κ作られ究という、
「あL
、あらかじめ失われた務人よ」と、
リルケと菅幾
五五
リルケと普祭
玄占ハ
「民珠がこぼれる」という詩は、激しく糟人を求めている。だがそれは奇妙なことに「あらかじめ失われた」轡
人なのだ。しかもすべての物の中心であり意味であるよう友轡人を激しく求めているのだ。そとに党またま出現
したのがペングェヌ
1グであった。
初めは管業に制到する無能の漣懐と、
「紳様の話」を書い党頃とはすっかり費って孤濁の中に閉じともって、誰
とも関係を持たや、誰も救い得ない自分のととだけを書き建つ党りルケが、
だんだんに自分の一切をとの架空の
友人(吹第に摺人〉に向って告白し、有るがままの姿で自分を理解し愛してもろろととを望むよろに怒る。それ
は離れていてとそ可能なととであった。しかも現存の往復書簡から見てとれるととは、はじめからリルケとペy
グェヌ
1タとの考え方の相遣は存していたのだ。例えば彼女ははじめから
Fルケの苦情を自分の畳目薬の魂によっ
て救済し得るととを夢想していた。だが、
リルケは苦情によってのみ往きていたし、自分の考え方が他人によっ
て費えられ、孤猫を侵害されるととには到底堪え得たい存在であるととを彼女が知り得ょうはや'も・なかった。そ
してリルケ自身、手紙では明らかにベングェヌ
1タがりルケの考えに反援している黙すら見過ごし、或いは恐れ
から、眼をふさいでいるかに見えるとこるがある。
コ一一一一日前の晩、私はグレコむ重集を聞いてみました、「十字架にかけられた基督」です。私はそれを眺める傍
ら、『プラド』
CカグE
グから、かつて私がとの絡を前にしたがら、
書くよりは眺める方に祭をとられ・ながら鉛
筆でそのカタログに書き込んだメモを解讃しよろと努めまし党。すると『管業』といろ言葉が眼に入りまじ売。
見よ、きれぎれの暗い室を後にして、十字架が彼の肉僅の蒼白く細長い光たを放って立つ。彼の頭上には、群
細た銘が書かれている、それは普通知られているよりは長〈、あたかもそれは彼の苦情の果て知らね名むよろに
見える。壷商の左宥む庁リアとヨハネスが向うむきに立って、彼の永遠に打ち建てられた苦痛の方向を繰返して
いるが、それ以上のカは壷き呆てている
lーただマググレl
ナだけは、釘づけにされた雨足から彼の血がし党党
り落ちるのを見るとき、激しい苦悩の護作に襲われる。彼女は駈け寄りひざまやいて、住を流れ下る血を受けと
める、足のすぐ下のとこるに鎚りついた手で。ま・究やっと下の方にあてがった左の手で。彼女はそれを受けとめ
る最初の、また最後の者であるろとするーーだがそれは彼女の手にあまる。途方にくれて、空中の黒い焔を見上
げるろちに||胸の傷口から噴き出し、開手の傷痕からまたほとばしる血潮が眼に入る、彼女にはもろ彼の血よ
り他見えお。だが既にその時、
一人の天使が彼女む傍に、
さっと身を傾けて舞い下りてくる、そして彼女に力を
添える、||そして蝶のよろに灰白い二人の天使が上方の暗い夜空に現われ血潮のした・党る手の下から、素手に
惹き寄せられてその血潮左抱擁しよろとするかのように、流れ出る血潮に向。て漂い寄り、そうしてそれを一音葉
のように受けとめる。
ごらん喝なさい、
乙の文章を最初私は、
一年前に走り書きして、消えそろにたっている文字の中から見つけ出し
売のですが、今とれを讃んでみると(讃んでごらん、謹んでごらん、どうです)、音柴とは賞際乙む血潮と閉じ
ものでは・ないでしょろか
llマクグょ、ぁ・な党も、
ぁ・なたの驚き蛍惑し切った心臓で以主主日柴を受けとめよろと
し、しかもそれに堪えなかったむではないでしょうか。あ友党を助けに下りて衆党天使らがなかっ究ら、それを
受けとめるととが出来なかっ党のではたいでしょろか。」(二月一三日)
とれに劃するペシグェヌ
lグの答は二月二
O日附の手紙に見られる。しかしその聞に彼女は少くとも二度手紙
を書い乞いるにも拘らや
J
、
乙のととには縮れていたい。そして彼女の馬民がリルケによってクリスマスのよろに
飾られたことを喜んだり、
の傷手を持っていたのでl|わがものにしよろと努めている。ところがその聞にリルケが数十頁にわ党るほどの
スイスのグンフで舎いたいとか、
ひたすらに喜び左||彼女も不幸な結婚によって心
pbFケと普傑
豆七
rpルケと品自衆
五八
台白をし、その中にはあとで述べるような、明らかに孤猫への愛、人間的な関係の担否、仕事への至高の忠誠、
身健的疲弊等の、
「種人」にとっては堪えられないような不協和音がふんだんに織りまぜられていたのである。
ベシヴェヌ
lグも今と友つては黙って過ごすζ
とが出来歩、
途にリルケの「管繁」に封ずる観念を是Eしよう
とするかのようた返事を書く。それは懸一倒的た不安たリルケの世界に封ずる彼女の本能的な防禦であり、
せい一
ぽいた抵抗であったと見・なければ怒るまい。
「前にあな売がグV
コについてた書きに友つ党ζ
と、もっと早〈た返事するつもりだっ党Dですけれど、いろ
んな邪魔が入ったのです。とにか〈グ
νコは二年前までは私は金〈知りませんでしたが、ミュンヘンであのこっ
。絡を見まし売。私は殆ど肉憧的な苦痛に襲われました、
そこにはそんなにも多くの絶望がありまじた・、人々の
表情にも、紳の表情にも。いいえ、音繋ってあんなものじゃありませんわ、
どうか私を会信じになって。量目柴は
いつでも復活抵のです、どんなにいたましい音葉でも、た治それは鋒え立つ雲の重荷を空から吹き梯ろ嵐訟ので
すロでも『十字架の刑』なんて。いいえ、基替の血が量目…繋じゃありません、その血に向ってとんで行〈天使、
ー司F
ググレナを助ける天使こそ一音柴です、ライナー。あなたはまだよく治解りになっていたいのです。で色、誰があ
なたほど音葉についてそんた風に書い党人があるでしょう。あなたは強感ずるカがたありなのです、そしていわ
ぽまだまどるんでいる意識の中でそれを言い営てていらっしゃるのです。」
とういう言葉がリルケにどむように幻誠であり、悲しみを催させる種であっ党かは、
むしろ容易に推差出来る
はや'である。とζ
ろが
Fルケは乙の悲しみと不安とを聴み込んでしまったらしい。ひ・売すらに遡遁を待ちamねて
書き、
「あな究に語るととは、
外へ向つての働きでは少しも友〈、
自らの内へ向ろととです、
それは誰の眼に
省、見えないとこるで少し?っ成長するととです、それは母親の胎内での子供の動きみもιい・なものです」たどと雪
って、あくまで二人の考えの一致というか、或いは自分の考えや存在がそのままそっくり彼女に受け入れられる
ことを信じたがっているのである。
髄質的に根本的なものであることが、
とろしもん意見の相遣が、
彼等の出舎後、
ドP
イノの館でリルケがロツ
テ・プリッツェルの人形。潟民主見せ、
「人形について」という彼の文章を讃んできかせ党時に最も明瞭危形を
とって現れ
-r。往復書簡では舎うまでの二人のことは解っても、合ってからのととは解らたい。それには彼女の
「リルケとベングェヌ
1グ」という這憶の書とグクシス侯健夫人む「
Fルケの思出」とを党よりにするより仕方
が友いわけであ石。侯健夫人がドタイノでリルケを迎えた時、
Fルケのいつもは澄み切った眼の中に今度に限つ
て明るい光を認めなかったというくだりは主観的ではあるが、その翌朝母親のようなとの夫人にリルケが二人き
りで何もかも打ち明け党時、
リルケの心の中にはベンヴェヌl
タとの揮がはっきり意識され党のではなかろろか
かにしたのであった。
と推祭される。そうして途に「人形」についての意見の封立は、もはや如何ともしが究いものを二人の聞に明ら
一言にして言えば、羽ツルケが人形の魂を見よろとしたロッテ・プリッツ且
ルの蝋人形の中
に、ベングェヌIグは無気味な頚駿をしか感じることが出来なかっ党のである。彼女はもはや無我夢中でそれに
抵抗する。リルケの文章がいくら納得させようとしても、もはや感畳が受けつけたいのである。言い張る彼次を
前に、リルケは悲しい眼を見はった。彼女はパッハの演奏に逃れた・。彼女が千静を取戻した時、
リルケの姿は消
えていた。
彼女の遁憶の害によれば、
ドクイノに来る前、既にパリで、
たびもんび彼女は一人の夜の時聞などに、
Fルケを
自分の愛に縛りつけ、仕事の筋げとなっていていいのかという想いに苦しめられたということである。そういう
時彼女の脳裡に蘇ったのは、往復書簡の中でも最も特徴的な、あの「犬の中へ入る」
一節であった。
リルケと普幾
ヨ五九
リbF
ケと普祭
。
それがどんなに素晴らしいことかを一しょに考えてみて〈れ
ませんか。例えば一一也の犬をです、通りがかりの一一世の犬に観入するのです、
「私は観入関吉田OVロずることを愛しています。
(観入というDは透腕とはちがい
ます、
そとでは犬をいわば一つの窓とみたし、
その背後にある人間
透視は一種の人間的危訓練に過ぎません、
的なものを見ょうとして、すぐさま犬の向う側へ出てしまうのですが、
て、犬の中へ入って
Eにその中心部、犬をして犬たらしめている鈷へ身を置く乙とです。・・・・あL、あたた・は笑
それではありません
l)、
そろでは友く
いますか、でも私の最も壮大な感情、私の世界感情、私の地上の幸稿。・・・・それはいつも・・・・そのよろ友観入の
中にあったのです、
a
一言い難いほど素年い、深い、時聞を超越し究との紳的危観入の瞬間の時々にあっ党のです。
とこるで離かを愛している時には、まっ先に脱落するものは乙れたCでした1
1、そろいろ時犬が
や
οて球完とします、すると言いようの友い苦痛が起りました、もろ思う存分に犬の中へ入って行く自由が奪わ
いいですか、
れているのでした。そとには背景に誰かがいるのでした、「私のもの」と呼びかける誰かが(ζ
の無責任放言葉ー
すると犬は先?との誰かに自己紹介をし・なければたらや、
との誰の眼にもとまらぬひそかな瞬間私が犬の中へ入
って行く許可をとの人に乞わ・なければたらたくたったととでしょう・・・・ととるが誰かがとのととを心得ていて、
とれとれの同数だけ〈「今度も」)許してくれるといろととになれば、あの魅惑的友瞬間はそれだけでもろ永久に
不可能に念つ売も同然なのです・・・・」
とんなことを言われ・ながら、たた愛し合沿うと決心出来る女があるだろうか。ベシグェヌ
1タはFルケに出合
これに眼をふさいでいたのだ。だがメリで、神経的た病気に悩まされているリルケが、或る詩を謹んで
きかせた時、誰か他の人の作品だとばかり思ったベングェヌ
1グの表情から、突然りルケは自作の不備を知ら弐・
ろまで、
れ、非常念苦しみに陥るのであった。
「-まだ骨骨〈準備がととのえられるよう友獄態に私がいると思うむですか。
三年秋タクシス候詩夫人がパリでリルケに合った時も、
民蒼に・なってしまったζ
とが語られている。だからかって悲歌が初めて生れて衆党ドウイノに来て、ベングェヌ
もうそんなことは過ぎ去ってしまったのです」とつぶやくリルケの言葉が彼女に針のように返って衆党。
「悲歌が、悲歌が・・・・」とい
う言葉と共に念にリルケが
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ーグとの聞が完全に決裂し売のはむしろ営然であった。
「犠牲」という言葉が往復書簡の中で語られていた。しかしそれは誰かがリルケの犠牲とたる意味では決して
なかった・。
また・キリストの犠牲とも何の関係もなかった・。
ととでリルケはカスナーの言葉とし
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というのをリルケは、
エジプト放行中、
原文を参照せゃにノートにひかえてたいたのが乙の文章であ
つ党ov
といろ文章を引いて、
カスナーによって初め℃自分には犠牲といろ言葉が銃く胸に突き刺さつだ。全く
の『OEUが般けていた、木賞に自分の作品が「存在」するためにはのshwoが
自分には
Hgam-向。伊丹はあったが、
無くてはか・なわない。だが
01号、むは何か。
ために無限に、もはや何慮にたいても制限されるととのあり得ない決意を固める乙とだ。リルケはζ
う言うので
それはひとりの人聞が自己の最も純粋友内商的可能性を成就する
ある。犠牲という語感と何と異った解揮であろう。どζ
に普通の意味の犠牲が存するであろうか、決意が犠牲で
あるとは。犠牲とは供物であり、自己を捧げ壷す意味で何か自己の代りをたず生物た捧げるととであったのであ
ゐろか、僕はよく知ら危い。
ととでは自らのみ-存在を賭けて、表現へ、最犬限に作品へと向わやにいられぬ決意
を表わしているのである。
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puケと品目一策
占
-'、
'bFケと苦難
.....
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wyルケがペンヴz
ヌl
グと別れて後、六月二十日にル
1・アシド
νアス・サロメに書き建つ党有名た「醇向」
といろ詩の冒頭にモットーとして掲げ売のが、他たらむとの「カスナ!の言葉」であった。との詩は「観る」
ζ
とから「愛する」ととへ、
「心の仕事」への轄向を決意している詩である。その何魔にも通常の意味での「犠牲」
は見られなかっ党。伺故カスナーのこの言葉が掲げら札ていたのか僕には疑問となってい党。
とれが右の往復書
簡中D箇所で幾分解るようた無がする。犠牲とは、
のとりた〈決意するととであっ党。大き注愛情によって偉大
た「心の仕事」を完成すべく決意しているとの詩に、
「犠牲」の文字を含んだあの文章が掲げられ売のはやはり
不自然ではない。そしてリルケの場合、自己の可能性を残りなく蛮現するととへの決意と、偉大た、
しての作品を創り出す究めに自己を捧げ壷すζ
とは同一とたると思ろのである。そこに沿いて、何物をも通常の
「存在」と
意味で「犠牲」に供しよろとは思ってい危いリルケであるのに、彼の民の存在への努力に妨げと・なる轡愛は犠牲
に供せられざるを得なくたる。
「愛」によって偉大な「心。仕事」に建せんことをねがろリルケが、生き党具憧
的友女性との関係に沿いては破れ去らざるを得ないという矛盾が生じる。轡愛関係の終意と共に、
リルケは元の
地射に立っている。
少しも襲ら・恐かったのである。
その設搬にリルケは怪懲りも・なく、
との「縛向」を書き、
「愛」の仕事を、
「心」の仕事を成就せん乙とを歌う。
もっとも、
pルケの晩年の詩は、一言葉の最も出闘い意味でやはり、限の仕事を超えた「心」の仕事といろ乙とが
出来る。
「オルフォイスのソ、不ツト」などの詩は、もはや「眼」の領域ではな〈、
「心」の領域にあり、ぞれは
通常の意味を脆した、診のリルケ的「音柴」の領域にあると一言うととが出来る。
ベング且ヌl
グのベートーヴェンやバッハやドヴォルザークの演奏によって、どれ焚けリルケの菅繋性が影響
を蒙0・党かといろことは解らね、か、それはむしる疑わしいと言つ党方がいい究るう。
pルケはたしかに音紫に惹
音楽の離でも、
かれ、愛に惹かれてベンWJZ
ヌ
iグに近づいて行ったのだが、
及、別詮の開花を抽あげる蓮ム別であった。リルケの晩年の詩がそれを語っている。
ppケと普努
愛の裁でも、
Pルケは迭に濁自
(一九五四・九・一関)
六