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金丸 敏志
起源 と経路の 弁証 法
Rootsの ア フ リカか らSong of Solomonの ア メ リカへ
序
enry Louis Gates, Jr.は , か っ て 黒 人を
“ traveler, albelt an
H abrupt, ironic traveler
, through time and space
”
(4) と評 した 。
民族 離散体験を共有す る黒人文化 は , 新 しい 文化 ヘ ゲ モ ニ ーの
中で 自らを再構築 して や まな い 「旅 す る文化」 に他 な らな い。 こ うした 黒
人を旅の 隠喩で な ぞ らえ る批評様式 は ,Paul Gilroyが提示す る 「黒 い大西
洋」(the black Atlantic)に も通底 して い る。
“
the web of diaspora identities”
(218)「黒 い 大西洋」は , 文化的起源 を失 っ た黒人が , 同質性を 強要す る国
民国家 と い う制度の 中で 文化的差異 を保持す る た め の 脱国家的空間を意味
す る。こ の よ うに GatesとGilroyの 政 治意 識 は , 〈 起源 を 失 っ た黒 人 の 旅 〉
とい う定点 に 顕在化す るの で あ る。
こ う した黒人 の 歴 史認識は , 近年デ ィ ア ス ポ ラ論 とい う 1 っ の 批評パ ラ
ダ イ ム を 為す ま で に 至 っ た 。こ の 批評動向 に 呼応 す る よ う に ,
Toni
Morrisonが初 め て 祖 先の ル ーッ 探 しの 旅 を前 景化 した物語 , 『ソ ロ モ ン の
歌』(Song(ofSolomon 1977)は , しば しば ア メ リカ合衆国の 黒人 とア フ リカ
大陸 との 間 に 失わ れ た文化的相同性 を回復す る旅 と して 論 じ られ る。
1 『ソ
ロ モ ン の 歌』 に ア フ リカ性を読み込 む批評 は , 黒人の ア フ リカ 起源を白人
文化 に対す る 「差異」 と して 提示す る。 だ が ,こ の 種の 批評 は , 大西洋の
向 こ う側 に あ る黒人 の 人種的起 源に執心 す る あ ま り, そ の 間を分か っ 国家
の 枠組み を見落 と して い る。 国家の 視点が不可欠で あ るの は , 黒人の 離散
状況が , 何に も増 して 国民国家が要請す る同質化の 脅迫 , そ して そ れ に 対
す る対抗を基盤 と して 存在 して い る こ とに よ る (Clifford・244;Bhahba l 39一
Sfりd’e5 ’n ハm θr’can L’tθraturθ, No.40
, February 2004 .
◎ 2004by the American Literature Society of Japan
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40)。 そ こ で 本稿で は , 「ソ ロ モ ン の 歌』を黒 人 に よ る国家 ア イ デ ン テ ィ
テ ィ 探求の 旅 と して 再考 して み た い。
しか しそ の前 に, 『ソ ロ モ ン の 歌」 出版の 前年 , 1976年 に米国で 出版さ
れ , 1977年に は テ レ ビ ド ラ マ 化 もされ , 世界 的セ ン セ ー シ ョ ン を巻 き起 こ
した 「ルー
ッ 」(Roots: The Saga ofan American Family )か ら, その 受容面
を中心 に まず論 じて お きた い 。 「ル ーツ 』は,ア メ リカ黒人 の 失わ れ た ア フ
リカ起 源を掘 り起 こ す著者 Alex Haley に よ る系譜学的年代記 で ある。 この
『ルー
ッ 』と 『ソ ロ モ ン の 歌」は , 共 に く 黒人の 祖先探求物語 〉 と して 評価
され て い る。 しか し,ア メ リカ の 黒人が 民族離散の 歴史 の 中で 失 っ た ア フ
リカ大陸に対す る両者の ア プ ロ ー チ は , 著 しく異 な る。 そ こで 本論考で は,
ア フ リカを座標軸 と して 両者を間テ ク ス ト的関係で 捉え な が ら,1970年代
後 期の ア メ リカ合衆国 並 び に両者の 人種 ・国家ア イ デ ン テ ィ テ ィ に対す
る態度を論 じて い くこ とに する。
1. 起源 の 捏造
1976年 10月 , あ る稀 に見 る文学 現象が ア メ リカ 全土 を席巻 した 。 「ルー
ツ 』の 出版 で あ る。
ア フ リカ は ガ ン ビ ア に て 白人 に 捕囚 さ れ る Kunta
Kinteか らそ の 末代の 著者 ヘ イ リー
に まで 至 る この 年代 記 は , 1977年 の ノ
ン フ ィ ク シ ョ ン部門第 1位を獲得す る。 「ルー
ッ 」は , 早々 の テ レ ビ ドラ マ
化 とい う戦略的相乗効果 も幸 い して , 1970年代の 当初か ら培われて きた米
国一般大衆 の 歴 史 に対す る熱狂 を喚起 した (Carroll 297)。 地球規模の 人
的 ・物資的流 出入 の 奔流 に 晒 さ れ た ア メ リカ の“
anchor”
(Carrol1298 )は ,
こ う して 独立 200周年 の 波 間 に下 ろ され たの で あ る 。
「ル ー ツ 」の 出版 ・放映 とそ れ に 対す る国民 的熱狂 は , ア メ リカ 史の 暗部
に 隠蔽 され て きた黒人 の 物語 を一
般 的 に認知 させ た 。 少 な くと も 250校 の
大学が ル ー ッ 探求 コ ー ス を設 け, 旅行会社 は こぞ っ て ア フ リカ ッ アー を企
画 し始 め た (Clemons 47)。 「ル ーッ 」 は , 黒人 雑誌 の 編集者 Robert Chris−
man い わ く“ ‘
[...]are −evaluation of black−white interaction’”
(Clemons
47)を刺激 し, ア メ リカ史 に黒人史が重ね 合わ され , 両者が 同語反復的に
起源 を辿 っ て い くとい う 1 っ の 記 念碑的瞬間 を生み 出 した の だ と い え よ
う。
こ の よ うに 『ルー
ッ 』 は, 白人 を 中心 と して 構築 され て きた ア メ リカ 史
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に 見え ざ る黒人史を組み 入れ た。 しか し, その 受容の 経緯を 省み る な らば ,
「ル ーッ 」は 決 して 黒人 の 現実 を改変す る 政治的な テ ク ス トと して 認知 さ
れ て は い なか っ た 。 最た る批判 は , 黒人 の 反乱を一 人称で 描 い た問題作 ,
『ナ ッ ト・ 夕一
ナー
の 反乱」 (The Confessions of Nat Tu rner l 967)を著 した
William Styronに よ る もの だ ろ う。
“
[Roots] ‘is dishonest tripe. It took a
crude mass −culture approach . It shows how dismally ignorant blacks and
whites still are about slavery’”
(Morrow 50)とい う ス タイ ロ ン の 痛烈 な批判
は ,こ の 作品な らび に 番組が た だ の エ ン タ
ーテ イ ン メ ン ト と して 消費 さ
れ , 苦痛を伴 う歴史考証 を排除 して い る こ とに 向 け られ て い る。 皮肉 な こ
と に , Time の 記者 Lance Morrow が 「ル ーッ 』 の 賞賛 を企図 して 記 した
“
many whites seem to feel not guilt but an unexpected shock of identification
with blacks” (51) と い う言葉が, 白人 の 非政治的受容 を物語 っ て い る 。
っ ま り国民的娯楽 と して 非政治的に読 まれ た 『ル ー ッ 」 は , ア メ リカ 国
民に 凡 庸な ノ ス タル ジ ア を 喚起 したの だ 。 Houston A . Baker, Jr.は黒人の
現実を 変革する た め に は , ノ ス タ ル ジ ア に 堕す こ と な き批判的記 憶“
criti−
cal memory”
の 構築 が不可欠で ある とい う (Critical 15− 16,19−20)。 しか し
『ルー
ッ 』 は , 黒人 の 現実を改変す るた め の 記憶の 再構築 に 与す る こ とな
く , 単純 に 白人 に も読 め る非政治的物語へ と擦 り寄 り, 概ね 白人の パ ター
ナ リス テ ィ ッ ク な関心に 応 じる形で 受容 され て い た 。
だが Keith Cartwrightは , 非政治的に ア フ リカ を回復す る 「ル ーッ 』を
評価す る。 彼は , 『ル ーツ 』が 現実 の 人種問題 に 向き合 っ て い な い こ とや そ
れが 剽窃 や捏造 に 満ちて い る とい う負の 側面よ り も, 過去 に 遡 る こ とで 失
わ れ て しま っ た ア フ リカ とア メ リカ との 繋が りを想像力で 埋め る創造的親
和力を強調す る (73−76)。 現実の ア メ リカ黒人 に 対す る政治 的関与 で は な
く, 失わ れた ア フ リカ を取 り戻 した 「ル ーッ 」 の 想像力が評価の 対象だ と
い うの で あれ ば, 賞賛 され るべ きは ア メ リカ 黒 人 と ア フ リカ 黒人の 相同
性 , 連帯性の 回復 な の で あろ う。 しか し, 『ル ー ツ 」が どん な に 非政治的に
ア フ リカ を取 り扱お う と も, 当時の ア メ リカ 合衆国と ア フ リカ 大陸の 間に
働 く政治的関係は果た して 無視で きるの か 。
1976 年 とい う年 は, 既述 の 通 り ,ア メ リカ 建国 200年の 歴史的祝祭の 年
で あ っ た が , 醜聞に 塗 れ た ニ ク ソ ン 政権を受け継 ぐフ ォー
ド とそ こ か らの
脱却を図 る カ ータ
ーに よ る大 統領選 が 行わ れ た政治的祝祭 の 年 で もあ っ
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た。 その 際カ ー タ ー は ,
ニ ク ソ ン と フ ォー ド主導の ア フ リカ無視の 政策を
批判 す る 。 しか し, 実 は こ の 民主党の 政策転換 の 背後 に は , 黒 人指導者 層
の ア フ リカ政策に対す る改善要求が あ っ た。
こ う した カ ータ
ーの 態度 は ,
自身が 深南部 ジ ョー ジア 州 出身 とい う人種意識 を問わ れ る 出 自も助 けて ,
ます ます人種問題 , ひ い て は ア フ リカ の 人権問題 に傾倒 して ゆ くこ とに な
る。 ま さ に 黒人の ア フ リカ に 対す る意識が ,こ の 選挙 を動 か して い た と
い っ て も過言で は な い。 事実 , ア フ リカ政策の 転換を 強調 した カ ー ターが
勝 利 し, こ こ に 事 実 上初 め て 黒人 が 選 ん だ 大統 領 が 誕生 した の で あ る。
2
国境を越え た黒人 の 連帯が , 国家を揺り動か した と もい え よ う。
と こ ろが , 実際ア フ リカ 黒人 の 人権尊重 は建前 に過 ぎず , ア メ リカ 黒人
達 に よ る国家へ の ア フ リカ 政策重視の 要求は , 自分た ち自身 の ア メ リカ で
の 地 位向上 を 目的 と した もの だ っ た (Payne 597)。っ ま り当時 の ア フ リカ
とは, ア メ リカ黒人の 国家内利害を反映す る鏡像 に他 な らない。 こ こで の
黒人同士 の 連帯は, 国境を無化す る もの で あ る どこ ろか , 逆 に 国境の 存在
を浮き彫 りに して い る とい え よ う。
さ ら に 黒人知識層 は ,ロ ビ ー 活動 を 通 じて 共産圏 の 脅威 を も煽 っ た
(Payne 587,590)。 当時ア ン ゴ ラ を始め と した南 ア フ リカ諸国に は , ソ ビ エ
ト連邦や キ ューバ の影 が 横溢 して お り, 米国 は そ れを放 置で きな い 状況 に
あ っ た。
そ れ まで ア メ リカ は , 豊富な資源提供の 見返 りに ア フ リカ諸国の
人種隔離政権を放置 して きて い た が ,こ こ に きて 共産 圏の ア フ リカ 介入を
阻止する た め, 積極的に 内政干渉を せ ざるを え な くな っ た。
こ う した経済
的利害重視か ら政治的利害重視へ の ア メ リカ 国家の 政策推移 は ,ア メ リカ
黒人 の 人種的利害 と符合す る♂ こ の よ うに , ア フ リカ は 国境を無 視 して
黒人 の 相同性 ・連帯性を追及で きる場で はな く,ア メ リカ黒 人の 国家内利
害を映 し出す場で あ り, 冷戦構造 を潜在 させ た 国家間利害が転移す る場な
の で ある 。
当時の ア フ リカ が ア メ リカ 国内外の 政治的利害を映 し出 して い た とい う
事実は ,ア フ リカ 回復の 物語 『ル ー
ツ 」 の 非政治的受容 とい う批判 ・評価
に も疑義 を突 きっ け る。ア メ リカ 黒 人 の 現実改変 に は関わ らな い 『ル
ー
ッ 』, そ して そ の一
方で 失わ れ た ア フ リカ と ア メ リカ との 繋が りを回復 し
た 『ル ーッ 』。 こ う した 「ル ー
ッ 」 に 対 す る批判 ・ 評価 は , 共 に そ れが 非政
治的 な想像力 を駆使 した こ とに 向 け られ て い た 。 だ が そ の 非 政治性 の 背後
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に は,紛れ もない 現実 の 政治性が潜ん で い る。 「ル ーッ 』の 熱狂的受容 が非
政治的で あ ればあ る ほ ど , 現実 と虚像の ア フ リカ を媒介す る ア メ リカ黒人
と国家の 政治的野心 は覆い 隠さ れ る。
さ らに 『ル ー ッ 」 の 作者 ヘ イ リー は, 自分が 家系図 を遡 りア フ リカに 辿
り着い た こ とを事実 だ と標榜 して い た 。 「ル ーッ 」が 大衆 に 驚 きを も っ て 迎
え られた 背景に は,
そ の ノ ン フ ィ ク シ ョ ン性が あ っ た の で はな い か。
そ し
て 「ル ーッ 』 の 賞賛 は , ア メ リカ合衆国と ア フ リカ大陸 とが 近親関係に あ
るこ とを歴 史的に証 明 した , その 実証主義的偉業 に こ そ向 け られて い た の
で は な い だ ろ うか 。 だ とすれ ば , 「ル ーツ」の ア フ リカ 回復 の 物語 は , ア フ
リカ に 対す る ア メ リカ 国家 と黒 人の 政治的介入の 歴史的根拠を も提供 して
い た こ と に な る。
しか し 『ル ーッ 」 は , 後 に 剽窃 と捏造 の 産物 で あ っ た と暴露 さ れ る
(Cartwright 73−75)。ア メ リカ とア フ リカ の 連帯は幻想だ っ た 。 国家 の 枠組
み を排 して , 国境を越え た黒人の 連帯を い か に 強調 しよ うと も, 逆説的に
ア メ リカ 国家は 「ル ーツ 』に 浸潤す る 。 『ル ー
ツ 』が 創造 した ア フ リカ とは ,
現実の ア メ リカ 国家の 鏡像に 他な らな い。
2. ア フ リカ か らア メ リカ へ
『ル ーッ 」が創造 した ア フ リカ は , 当時の ア メ リカ 国家内外の 権力関係が
投影 され る想像の 場で あ っ た。
ア フ リカ と は , もは や ア メ リカ 黒人 の 起源
を無垢 に 回復で きる場で はな く, 国家間の 差 異を表出す る場な の で あ る。
しか し, 「ルー
ツ 』 の 無垢 な る ア フ リカ 回復 と い うテ ー マ は , 『ルー
ッ 』 出
版の 翌年 1977年に 登場する 「ソ ロ モ ン の 歌」 の 読み手 に も受け継が れ る 。
『ソ ロ モ ン の 歌」 に ア フ リ カ 文化 の 遺 産 を 見 出す 代表的論 者 に , Gay
Wilentzが い る。 彼は , 西洋中心主 義的な言説を転倒 さ せ る ア フ リカ の 伝
統を重視す る。こ の テ ク ス トの 結 末に , 西 ア フ リカ の 語 りの 伝統が 反映 し
て い る と断定す る Wilentzは ,ア フ リカ の 伝統や習俗を テ ク ス トに重ね る
ア フ リ カ中心 的読 み を 展 開 す る。 だ が 彼の 分析 は , 人種主 義の ヒ エ ラ ル
キー構造 を脱構築する意味で は意義深 い もの で あ るが , ア メ リカ の 黒人 と
ア フ リカの 黒人 との 差異に は無頓着 に な らざ るを え な い。
しか し Wilentzと同様 に ,ア フ リカ の 伝統を 『ソ ロ モ ン の 歌」に読 み込 む
Cartwrightは , 少々 趣が異な る 。 彼 は , 「ソ ロ モ ン の 歌』が 『ル ーッ 』の 為
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した ア フ リカの 記憶の 再構築に 携わ っ て い る , とまずは論 じる。 だが Cart−
wright は , 「ソ ロ モ ン の 歌』 に お ける ア フ リカ が , もはや“
a [_ ]distant
homeland ”
に 過 ぎず , 最 終 的 な 目的地 に は な りえ な い と断 ず る (86)。
「ル ーツ 」 の 捏造 され た ア フ リカ が 本物 を装 っ た歴史 や ア カ デ ミ ッ ク な権
威に訴え るの に 対 して , 「ソ ロ モ ン の 歌」の ア フ リカ は , 対話の 中で おぼろ
げに現 れ る残像で しか な い (Cartwright 82)。 Cartwrightの 議論 は , 『ソ ロ
モ ン の 歌」 の ア フ リカ性を重視 しなが ら も,ア フ リカ は , もはや ア メ リカ
黒人 の現実 的 トポ ス で は ない とい う認識 を潜 ませ て い る 。
実際 「ソ ロ モ ン の 歌」の 現実の 場 は, あ くまで ア メ リカで あ る。 主 人公
Milkman の 友 人 Guitarの 属 す る 殺人 集 団 Tbe Seven Days の 異 常 性 は,
1955年の Emmett Till事件 (テ ク ス トで は 1953年),1963年の ア ラバ マ 黒
人教会爆 破事 件 とい うア メ リカ の 人種暴力を鮮明 に反映す る 。 ま た ,ミル
ク マ ン の 姉 Corinthiansが高 い 知性 ・ 教養 を持 ち な が らも, 白人詩人の メ
イ ドに 成 り果て る の は , 高等教育が 黒人達 に必 ず し も経済的地位 の 上 昇 を
もた ら さな い ア メ リカ 社会 の 欺瞞の 表れで あ ろ う。 床屋 を経営す る Rail−
road Tommy は , 黒人が 手 に入 れ る こ とが で き る“broken heart” につ い て
講義す る (61)。ミル クマ ン の 旅 は ,
こ れ らの 責務か らの 逃亡 を起点 と しな
が ら も, 最終的 に 全 て の 理 解 に至 る。 こ う して み る と , ミル クマ ン の 旅は
無垢の ア フ リカ を再現 し, Bakerの い う“homesickness” に 陥る類の もの で
は な い (“ Critical Memory ” 7)。 「ソ ロ モ ン の 歌』 は , 『ル ー
ツ 」の よ うに ヒ
ロ イ ッ ク に 起源 へ と回帰す る物語で はな く,ア メ リカ に 留ま る ア メ リカ 黒
人 の 物語 で あ り, 黒 人 と ア メ リカ 国家の 熾烈 な弁証 法が 戦わ され る テ ク ス
トな の で あ る。
で は , 現実の ア メ リカ 黒人を直視す る ミル ク マ ン の 旅 は ,い か な る ア メ
リカ を見出すの か 。 多 くの 批評 は, 白対黒 とい う対 立 の 図式 を用 い , 国家
の 内部 に お け る黒人の 対抗的ア イデ ン テ ィ テ ィ を問 う。
4しか し Wes Berry
は , 転 じて ネイ チ ャー
ラ イ テ ィ ン グの“
excursion”
の 準拠 枠を用 い , 「ソ ロ
モ ン の 歌』 が 白人 に よ る無垢 の 自然 へ の 回帰 , 黒人 に よ る文化 ・歴 史の 混
在す る現実的自然表象 と い う双方の 手法 を混合 させ た“ ‘hybrid’ art
”
(163)
で あ る と論 じた 。Berry の 論 は , 白と黒 とを互 い に 分か っ 人種 の 障壁の 超
克す ら射程 に収め た画期的論考で あろ う 。 しか しそ れ で もな お , Berryの
慧 眼 は ミル ク マ ン の 自然 体験 の み に 限定 され て お り, テ ク ス トを広 く見渡
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起源 と経路の 弁証法 41
す な ら , 白人 は黒人 に対 して 極め て 排他的に 機能 して い る とい わ ざ る をえ
な い。 黒人は常 に 白人の ニ ュ
ー ス に 消され捻 じ曲げ られ (80), 公式の 名前
を押 し付 け られ (2), 帰還兵 の パ レー ドで は暴力 的に排 され る (233)。
こ
の よ うに 黒人 と白人の 間に は カ ラー
ラ イ ン が厳然 と敷か れ て お り, 黒人 は
白人 と 国家 の 執拗 な 粘着関係 の 中 に 踏 み 入 る こ と を 許 さ れ て い な い。
「ル ー ッ 」 の ア フ リカ が 国家間に 働 くネ オ コ ロ ニ ア リズ ム と手 を組 む とす
れ ば , 「ソ ロ モ ン の 歌」の ア メ リカ は , 黒人 の“ the ‘internal colonial
’ status
”
を顕 在化 させ るの で ある (Rigby 62)。
しか し, ‘‘Iwanted the opening [of Song]to be red
, white
, and blue”
(Schappell 258)とい うモ リス ン が ,こ の 作品で は黒を欠 い た星条旗 を絶望
的に 傍観 して い るだ け と は思え な い。 白人対黒人 とい う議論 だ けで は , 国
家 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 問題 は俎上 に 上 らない よ うに 思 え るが , しか し従来
批評 家達 に よ っ て 無視 に等 しい 扱い を蒙 っ て きた黒 人 とネ イ テ ィ ヴア メ リ
カ ン の 混血 と い う も う 1 っ の 「ハ イ ブ リ ッ ド」 は , 黒人 の 国家 ア イ デ ン
テ ィ テ ィ の 可能性を語 りは しな い だ ろ うか 。
5
例え ば ,ミル クマ ン の 友人ギ ター は ,
“The earth is soggy with black
people’
s blood”
と血 の 隠喩 で ア メ リカ の 黒人が 蒙 る人種暴力を語 っ た 後,
続けざ まに“And before us lndian blood”
と い い 放っ (158)。ギ タ
ーの 意識
の 中で は , 黒人 の 血 と 「イ ン デ ィ ア ン 」の 血 は ,ア メ リカ合衆国 の 大地に
お い て 等価の 関係に あ る。こ れ は , 「イ ン デ ィ ア ン 」とア フ リカ人 とい う相
似関係が , そ れ ぞ れ ア メ リ カ大陸 と ア フ リカ 大陸 へ 分節化 され る rル ーッ 」
の 語 りと は明確 な対象を為す 。
6ア フ リカ を黒人 の 特別 な 場所 と して 保持
して お きた い 「ル ーッ」 と は異 な り, 「ソ ロ モ ン の 歌」は ネ イ テ ィ ヴ ア メ リ
カ ン を介 して ア メ リカ合衆国 との 連結を試 み るの で あ る。
「ソ ロ モ ン の 歌』 の ネ イ テ ィ ヴ ア メ リカ ン が 黒 人 の 国家 ア イ デ ン テ ィ
テ ィ 形成 に 際 して 重要 な 役割 を 演ず る の は, ミル ク マ ン の 祖父 Jake の 不
運 な改名 に まつ わ る エ ピ ソー ドに お い て で あ る。
ジ ェ イ ク は奴隷解放後の
1869年 , 泥酔 した 白人事務官 に よ っ て 不意 に“ Macon Dead ”
と い う呪 わ れ
た ア メ リカ 市 民 の 名 を頂 戴 す る (53)。 Jakeの 生 ま れ た ジ ョー ジ ア 州
“Macon ”
, そ して Jake の 父 Solomon の 死 を意味す る“ Dead ”
とを組み 合わ
せ た黒 人の 記憶 を抹 殺す る こ の 改 名 は , ソ ロ モ ン の 記憶 と一族の 歴 史の 霧
散を跡付 ける 。 しか し, 黒人 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 死 を意味す る“ Dead ”
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42 金丸 敏志
とい う空 白は ,
“ An Indian woman”(321),
Singに よ っ て 埋 め られ る 。 彼女
は そ の 名が 新 し く, 過去 を, 全 て を拭 い 去 る と ジ ェ イ クを励 ま した の だ
(54)。
一度 も奴隷に な っ た こ とが な い こ とを 自慢 して い た ジ ェ イ ク の 妻 シ
ン グ は (243), 白人 に よ る黒人 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ 消去の 瞬間 を , ア メ リ
カ 人 と して の 新生 の 啓示 へ と変え , そ れ は黒 人に“
[...]We live here. On
this planet, in this nation
, in this country right here” とい う土地 の 叫 びを聞か
せ る の で あ る (235)。
ジ ェ イ クに ア メ リカ 人 と して の 基 盤 を与え る シ ン グの み な らず , 「ソ ロ
モ ン の 歌」の ネイ テ ィ ヴア メ リカ ン は 容易に カ ラ ー ラ イ ン を侵犯 し, 白人
国 家 ア メ リカ の 絶対 性 を 覆 す存在 と して 描 か れ る 。 そ の 代 表例 が“
pass−
ing” で ある。 ネイ テ ィ ヴア メ リカ ン Grace Long は , 身を乗 り出して , ネイ
テ ィ ヴア メ リカ ンが 白人 に 紛れ込 め る こ とを 自慢 す る (290)。 そ の一
方で
ミル ク マ ン の 血縁ス ー ザ ン は , 黒人 の 色 が 白人 に 紛れ込む に は“
too dark”
(290) で あ る とい う。 こ こ に は , 黒人 と ネ イ テ ィ ヴ ア メ リカ ン との 間の 色
の ヒ エ ラ ル キ ーが 明確に 現れて い る。 しか し翻れ ば , それ は黒人が 獲得 し
え な い ネ イ テ ィ ヴア メ リカ ン の 能力 の 顕示 で もあ る 。 っ ま りネ イ テ ィ ヴア
メ リカ ン は , 白人 と国家の 分か ちがた い 結婚 に割 り入 る力を持 っ て い るの
だ 。
ジ ェ イ ク と結婚す る シ ン グ は , 彼を ア メ リカ の 大地 に結び っ け る 。 事実 ,
改名後 の ジ ェ イ ク は ,
“the American Adam ”
(Hirsch 76)と して 描か れ て い
る。 決 して 大 き くはな い が , 理想 に 満 ち た ペ ン シ ル ヴ ァニ ァ 州 ダ ン ヴ ィ ル
近郊 モ ン ト ゥ ア 郡 に位置 す る 「リ ン カ ー ン の 天国」 は , 農耕馬 「リ ン カ ー
ン 大 統領」 を 筆頭 に 「メ ア リ ・ ト ッ ド」, 「ユ リ シ ー ズ ・S ・グ ラ ン ト」,
「リー将軍」 な ど と名づ け られ た動物達が 暮す ア メ リカ の 箱庭だ と い え よ
う。
7そ こ で ジ ェ イ ク の 息子 Macon は , ア メ リカの 歴史を学ん だ (52)。
シ
ン グと ジ ェ イ ク の 結婚 が もた らす黒人 と ネ イ テ ィ ヴア メ リカ ン の 異人種混
交 は, 黒人 を ア メ リカ人 に 変え て い く契機 を提供 した の で あ る 。
3. 国家の 中間者
ジ ェ イ ク に 付 され た記憶の 死刑宣告“ Dead ”
を 新た な ア メ リカ 国民誕生
の 記号 へ と書 き換 え る シ ン グで あ る が , 時代 は 下 っ て 1943年 , 彼等の 息子
メ イ コ ン 並 び に娘 Pilateの ど ち らと もが 彼女 を忘却 して い る。ミル ク マ ン
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起源 と経路の 弁証法 43
の 父メ イ コ ン は“ldon ’
t remember my mother [Sing]too wel1”
, そ して そ の
彼女の 白い 肌に 言及 し“ Me and Pilate don’
t take nothing after her”
と断言
す る (54)。
一 族の 祖 ソ ロ モ ン の 名前 , そ して そ の 英雄的飛翔 もこ こ で は忘
れ られ て い るが, ネ イ テ ィ ヴ ア メ リカ ン の シ ン グ は , 名前 の み な らずそ の
血の 伝承す らこ こ で は否定 され て い る。
こ う したパ イ ラ ッ トとメ イ コ ン に よ る シ ン グの 忘却 の 問題 は ,パ イ ラ ッ
トの 出生 の エ ピ ソー ドに 凝縮 されて い る 。 母親 シ ン グの 死後, 自力で 生 ま
れ たパ イ ラ ッ トは , 母親 との 絆を失 う。 しか し,
“ the cord stump [...]left
no trace of having ever existed”
(28)と い う記 述 は , 親子間 の 断絶 と と もに ,
パ イ ラ ッ トの 国家ア イ デ ン テ ィ テ ィ 喪失 を も含意 して い る と思 われ る。シ
ン グの 死後 , ア メ リカの 夢を体現 した農場が 白人 に奪わ れ ,ジ ェ イ ク も殺
され て しま うの は,
そ の 象徴的な事例で あ ろ う。そ して パ イ ラ ッ トの 生涯
は , 国家 ア イ デ ン テ ィ テ ィ を失 っ た 黒人 の デ ィ ア ス ポ ラ を体現す る もの と
な る 。
へ そ を失 っ た ま ま生 きて い くパ イ ラ ッ トを規定 して い る の は ア メ リカ 国
家で は な く, 父 ジ ェ イ クの 亡霊 との 霊的交通 で あ る。 彼女は
, 財産 を所有
しなが らも“ landless wanderer
”
(27) と して 生 きる兄 メ イ コ ン や そ の 他多
くの 黒 人の 苦悩を代弁す るか の 如 く, ア メ リカ 国家の 表層で 浮遊 しっ づ け
る。
しか し,ア メ リカ 国家に 決 して 根付か な い パ イ ラ ッ トが , 唯
一根付 こ う
とす る場所が あ る 。
“ No place was like the island ever again”
(148) と彼女
に 記憶 されて い る ヴ ァー ジ ニ ア 州 の 沖あい に浮 か ぶ 黒人だ けが住み , 外界
か ら遮 断され た島。 そ こ は , 国家ア イ デ ン テ ィ テ ィ を失い なが らも生 きて
い く黒人 の 象徴的な場所の よ うに 思 わ れ る。
荒 こ の み は , サ ウ ス ・カ ロ ラ イ ナ 州 と ジ ョー ジア 州 , およ び フ ロ リダ州
の 北部の 海岸沿い に点在す る 「シー
ア イ ラ ン ド」(the Sea lslands)と呼ばれ
る島々 が,
ア フ リカ 人が奴隷へ と変容 させ られ , 大陸の 周縁 とい う地理 的
条件と同 じくア メ リカ 社会の 周縁 で 生 きる黒 人の 立 場を代表 した 場所で あ
る,と論 じた (ll6
−47)。 「入 り組ん だ水路が 島々 とア メ リカ 大陸を分離す
る」 ア メ リカ の 周縁 シー
ア イ ラ ン ドは , 黒 人の 国家ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 曖
昧 さ を表現 す る場で あ っ た の だ (117)。
シ ーア イ ラ ン ド と同 じよ うに
,ア メ リカ の
一部で あ りな が ら大陸か ら隔
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44 金丸 敏志
絶 した パ イ ラ ッ トの 理想 の 島は , 黒人性 と強 く結 びっ く一方で
,ア メ リカ
国家か ら微妙に 乖離す る。 聖書を持た な い 島の 住民 は , 外界 との 交渉を断
ち, 族内結婚を繰 り返 して い く (146−47)。
パ イ ラ ッ トもまた , こ の 島で 娘
Reba を産 む。 魔力 を持 っ こ の 2 人 の 原点 た る こ の 島 は , 黒人性 を純粋培養
し , 脱国家性 を再生産 す る場所で あ る とい え よ う。
8へ そ の 不在 に 起因す
る パ イ ラ ッ トの 希薄な国家帰属意識は ,こ の ア メ リカ 国家に 完全に は組み
込 みえな い こ の 孤 島に お い て , そ の 意味を倍化 させ るの で あ る 。
で は , ネ イ テ ィ ヴ ア メ リカ ン との 繋が りを失 っ た パ イ ラ ッ トの 脱国家的
傾向を確認 した とこ ろで , 最後に パ イ ラ ッ トの 作 っ た道 を辿 る ミル クマ ン
の 旅に つ い て 論 じて み た い (258)。 ミル ク マ ン の 旅 の 始 ま りは, パ イ ラ ッ
トの へ そ の 不在の よ うに, 海 との 断絶が 1 っ の 契機 とな る
。
[T]he people living in the Great Lakes region are confused by their place
on the country’
s edge − an edge that is border but not coast . They seem to
be able to live a long time believing, as coastal people do,
that they are at
the frontier where 行nal exit and total escape are the only journeys left. But
those 且ve Great Lakes which the St. Lawrence feeds with memories of the
sea are themselves landlocked, in spite of the wandering river that
connects them to the Atlantic. Once the people of the lake region discover
this, the longing to leave becomes acute , and a break from the area,
therefbre, is necessarily dream−bitten
, but necessary nonetheless . (162)
こ の 引用 は , 五 大湖近辺 の 地域 に 住 む人 々 が , 海 に 憧れ る と と もに , 旅 を
希求 して い る こ とを示 して い る 。 実 際 に ミル ク マ ン を土地 の 繋縛 か ら解放
す るの も海 へ の 憧れで ある (162− 63)。 自分の 祖先 が歌 われ た歌を解読 した
ミル ク マ ン は ,
“
[...] the whole entire complete deep blue sea1 ”
(327)を欲
す る 。
“
[...]1・need ・the・sea !The whole goddam sea !”
(326) と訴 え る彼の
旅 は , 海を見 る まで 終わ らな い 。 国家 との 繋縛 を断 た れ , 放浪 を重 ね たパ
イ ラ ッ トと同 じく,ミル ク マ ン もまた ア メ リカ の 外部た る海を 目指 して 飛
ぶ の で あ ろ うか 。
しか し ミル ク マ ン は ,ア メ リカ の 外部へ は 向か わ な い 。 Marianne Hirsch
が ,
“ Milkman ’
s final leap is not a fiight away from home”
(88) と論 じる よ
うに , ミル ク マ ン は 国家 の 外部 に 向か うこ と な く,
“
the killing arms of
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起源 と経路の 弁証法 45
[Guitar]”
を め が けて 飛ん で い く (337)。 ミル ク マ ン の 飛行が祖先 た ち の 外
部 へ の 旅路を 正確に 辿 らず ,ソ ロ モ ン が帰還 す る ア フ リ カ に も,
パ イ ラ ッ
トが 回顧す るあ の 島に も向か わ な い の は , 黒人 をア メ リカ の 大地 に繋ぎと
め るネイ テ ィ ヴ ア メ リカ ン の 血脈の 力が 大きい。
一 族 の ル ーツ , ヴ ァ
ー ジ ニ ア 州 シ ャ リマ ー に 辿 り着 く ミル ク マ ン は ,
ヴ ァー ジ ニ ア の 沖 に 浮 かぶ 島の 黒人 が そ うで あ っ た よ うに ,
“There must
be a lot of intermarriage”
と黒人 同士の 人種内結婚が 多数 と り行わ れて い る
と直感 し,
“
new blood that settled here [must be] nonexistent”
と断 じる
(263)。 だ が こ こ で 見逃 せ な い の は ,
“ intermarriage”
が も う 1 っ の 意味 , す
な わ ち 異 人 種間結婚の 意味を も帯 び て い る こ と で あ る 。 ミ ル ク マ ン は
“
some light−skinned red −headed men”
の 存在 を も無意識的 に知覚 す る (263)。
そ れ は , ネ イ テ ィ ヴ ア メ リカ ン の 親戚 ,ス
ー ザ ン の“ You know colored
people and lndians mixed a lot” (322)と い う台詞 と も連動 して ,ミル クマ
ン を 認識の 死角か ら揺 さぶ る 。 族内結婚 と族外結婚を撞着語法的に 胚胎 さ
せ る“ intermarriage” は , 黒人の ア イ デ ン テ ィ テ ィ と , ネ イ テ ィ ヴ ア メ リカ
ン が 保証す る国家ア イ デ ン テ ィ テ ィ とが ぶ つ か り合 う ア イ デ ン テ ィ テ ィ の
政治学を ミル クマ ン に もた らすの だ 。
結果 , ミ ル ク マ ン は もはや 純粋な始原た る ア ブ 1丿力 へ も, ア メ リカ の 大
地 へ も回帰で きない 。 スーザ ン の 家を
“
seedy”
(320) と感 じる と同時に ,
“ the Indian warriors ”
(329)が 着飾 っ て い るよ うに 見え るア メ リカ 大 陸の
姿 に 感嘆 も覚え る。ソ ロ モ ン の 英雄的飛翔に 興奮を 隠 しえ ず , か っ 彼が 後
ろ に 残 して い っ た 21 人の 痛み を思 う。こ う した ア ン ビ ヴ ァ レ ン ス
9が ,
ミ
ル ク マ ン の 飛翔を絡め取 る 。 ギ タ ー の 誤射を受け , そ の 場 に 倒れ 込む パ イ
ラ ッ トが 小鳥の 力 を借 りて 最 後に果 す“Without leaving the ground,
she
could fly” とい う飛翔 (336)。 ミル ク マ ン が そ れ を なぞ る の で あ れ ば , 彼の
飛 翔 もまた , 過去の 祖型 を 反復 し黒人の ア イ デ ン テ ィ テ ィ 形成に 奉仕す る
もの で あ る と同時に , ネ イ テ ィ ヴア メ リカ ン の 歴史的引力 に よ り土地 に縛
り付 け られ る もの で あ ろ う。 こ う して ミル ク マ ン は , ア フ リカ へ も, 他 の
ど こ か へ も向か う こ とな く, ア メ リカ の 大地で の 飛翔の 可能性を探求 す る
の で あ る 。
『風 と と もに 去 りぬ 』(Goηθ w 肋 ∫hθ 所 ηdl936 )以来の 大 ヒ ッ トと呼ば れ
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46 金 丸 敏志
た 「ル ーッ 」は , 当時の 黒 人 とア メ 1丿力国家の ア ブ 1丿力 に対す る政治的思
惑 を補完す る非政治的テ ク ス トで あ っ た 。 『ソ ロ モ ン の 歌』は ,ル
ーッ 探 し
の 大衆小説が頻出す る中 ,ア フ リカ を失 っ た現代の ア メ リカ黒人の 姿を追
求 した 。 こ の 黒人史を黒 く彩 る 2 つ の 著作は , 黒人 と国家 の 関係 を 複雑に
絡み 合わせ る 。 「ル ーッ 』 が黒 人の 起 源を ア フ リカ に 夢 見た後 , 「ソ ロ モ ン
の 歌」 は , ネ イ テ ィ ヴア メ リカ ン と黒人 の 混血 とい う史実 に即 した重大 な
問題を 扱い, 黒人で あ りなが ら ア メ リカ人で あ る こ と , とい う現実的な問
い を 見出 した。 ア フ リカ とい う起源 を 出て , ア メ リカ へ 至 る経路を求め て 。
−
ら
乙
り
」
Notes
例えば Cartwright, Wilentz
, Krumholz を参照 。
Payne 588−93 を参照 。
キ ッ シ ン ジ ャー国務長官は 当時 ,
ア ン ゴ ラ を第 2 の キ ュー バ に して は な
らない と説 い て 廻 っ た 。 病人の ア フ リカ人を診察す る“ Dr . K ”
が 戯画化 され ,
“ Mighty Man ”
とい う漫画が,ア メ リカ の 正義をア フ リカ に 輸出す る様を描い た
の もこ の 頃で ある 。 例え ば Willensonを参照。
4 例え ば Evelyn Jaffe Schreiberは , こ の テ ク ス トの 主題 を“ the issue of how
blacks can recovcr or build an identity separate from the one damaged by white
American culture”
(95) で あ ると前提 し, 議論 を展 開す る。
5 僅 か に Gurleen Grewal は ,
“ In recovering his genealogy, [Milkman ]also
discovers his Native American heritage”
(73)と ミル ク マ ン の 旅が,ネイ テ ィ ヴァ
メ リカ ン と黒人の 混 血 の 問題 を も抱え 込む もの で あ る とい う示唆 に富む指摘 を
して い るが , そ の 分析に は至 っ て い ない。
6 『ル ーツ 』で は , あ る ヴ ァ イ オ リ ン弾 きが, ク ン タ ・キ ン テ に向か っ て,
ア ブ1J カを追わ れ た ア フ リカ 人 とア メ リカ の 土地 を奪わ れた ネ イ テ ィ ヴア メ リ
カ ン は , 共に 白人 に対 して 実質的な抵抗が で きなか っ た , と語 る。 Ha 亘ey 291 を
参照 。
7 モ リス ン の 語 る と こ ろ に拠れ ば , 「リ ン カ ー ン の 天国」の 着想は , 自身の
曾祖母 の ネ イ テ ィ ヴ ア メ リカ ン 女性 が 再建期 に 政府か ら譲 り受 け た 88 エ ー
カーの 土地か ら得た と い う。 Dowling 54 を参照。
8 パ イ ラ ッ トや こ の 島で 生 ま れ た リー バ とは異 な り , リー バ の “R Hager
は,“
a life yery different from what [Pilate]and Reba could offer”
(151)を必要
とす る。ヘ イ ガ ーと 2 人の 女性 との 違 い は ,
こ の 島 との 結 びっ きの 程度 に よ っ
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ecithLKvaa)STialVl 47
( 6gemaEiEv(i: ge 6 v(i:
fo 6 5.
9 Robert Butler ea, l 5 Lk OV 9 -?
7 CD ffva pt ltll fL 67 Y lf' [7 7 tr Y Ji
JEI, zarJ[i CD #iilf{] a 7},l, ee a) asfiScJlettl ,! L i -> i#tiiill?-*i -(iE
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ncthLiglvacDfi:killZh 49
SYNOPSIS
KANEMARU Satoshi
The Dialectics betweenRoots and Routes:
From Africa in Roots
to the U.S. in Song of Solomon
Toni Morrison's Song of Solomon (1977) has often been discussed from a
diasporic point of view, which highlights the African origin of the black
American people. This view, however, attaches so much importance to the
similarity between black people in Africa and the U.S. that it overloeks their
national diffbrence. Therefore, in this thesis, I consider the roots-seeking trayel
in Song qf' Sblomon in terms rather of national than of racial identity. I first
discuss the contemporary acceptance of Alex Haley's Roots: 7-7ie Saga qf an
American Ilamily (1976) in order to show how their perspectives on Africa
distinguish this story and Sbng of Sblomon. Roots, published a year before Song ofSolomon in the U.S., is a chronology
of a black family in which "lost
Africa" is restored. The publication ofRoots
was epoch-making in the sense that it stimulated "the
re-evaluation of black-
white interaction." Yet some critics criticized Roots because it encouraged a
nostalgic approach to black history and flattered white paternalism, leaving the
spoiled status of the contemporary black people out of consideration. More-
over, the apolitically regained Africa in Roots was partially used by contempo-
rary American politics, for at that time the African continent was a reflexive
sphere where the political interests that American and African American
people had in international and intra-national relations were projected. When
the problems of Haley's plagiarism were raised, it became clearer that the
representation of Africa in Roots had been complicit with neecolonialism.
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50 SA tw]iSi,
While Roots and Song ofSblomon have African characteristics in common,each representation of Africa is quite different: the African landscape is not
described in SOng qf' Solomon. The work actually foregrounds a realistic
struggle of the U.S. among its various racial and national identities. The
hybridity of African Americans and Native Americans in the text particularlyindicates how the struggle develops. First and fbremost, in the light of
nationality, a Native American, Sing, the protagonist Milkman's grandmother,is the most important character. When her husband Jake is misnamed
"Macon
Dead" by a drunken oMcer, she renews a fading black memory of his
genealogy by evaluating the name positively, so that Jake re-appears as the
American Adam. Native Americans subserve the construction of national
identity.
Although Sing contributes to the Deads through construction of their
national identity, her son and daughter, Macon Dead ll and Pilate, cannot
even remember her name. Their oblivion of her is represented in the absence of
Pilate's navel that shows the disappearance of the inter-racial and national
bond. As a result, detached from the nationalistic consciousness and drawing
on a posthumous relationship with her dead father, Pilate can stay within
society. An isolated isiand, which is memorized by Pilate as the ideal place,endorses her detachment from nationality. Then Milkman
"fo11ow[s]
in
[Pilate's] tracks." Milkman also wants to go outside the U.S. Yet, he cannot
be free from the national territory, because he finds Native American lineageentangled with his flying ancestry in the rural South. Prevented by NativeAmerican heritage as the embodiment of American nationality, Milkman's
final leap is suspended high above the earth. In contrast with Roots, SOng ofSolomon seeks in relation to the Native American legacy simultaneously to
realize the contradictory identity of African Americans as both black andAmerican.