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【10】ペルシア戦争と民主政ペルシア戦争について、やや詳しく学びましょう。
【1: 】に勝利したアテ
ネでは民主政が完成した。
ペルシア戦争
きっかけはBC500年にイオニアで起こった大規模な反乱でした。
アケメネス朝ペルシアの支配下
始期はBC500年!
ペルシア戦争をヘロドトス(BC485?-BC420?)は物語的に叙述・・・・ 『歴史』
BC500年、イオニアで反乱が起きた
ペルシア帝国
だいたいこのあたりで、大規模な反乱が起きた
アテネ
スパルタ
エフェソス公会議(431):ネスト
リウス派を異端とする。
マケドニア
トラキア
ミレトス
何のために?
ギリシアは、
そんなアテネに対し、アケメネス朝ペルシアはなぜ遠征軍を送ったか?
①耕地に乏しく、 ②資源もなく、
③軍事的脅威でもない。
「アテネはイオニアの反乱に荷担したから。」
「アケメネス朝に従わない勢力は、ギリシア諸都市のみだったから。」
遠征の本当の目的は?
ギリシア諸都市は東地中海(+黒海)の商業覇権を持っていた。
というより、その保護下の
【2: 】がこれを
奪取しようとした戦争だった。
アケメネス朝ペルシアは、これを奪取しようとした。
フェニキア諸都市
Ⅰ:BC492年、Ⅱ:BC490年、Ⅲ:BC480-BC479年
BC5世紀初め、アケメネス朝ペルシアがギリシアに侵攻した。これがペルシア戦争。
Ⅰ、Ⅱは最盛期のダレイオス1世(位BC522-BC486)
Ⅰは海難でギリシア本土に到達しなかったが、陸軍はトラキア(現ブルガリア)を制圧し、前進基地を確保した。
Ⅲはクセルクセス1世(位BC485-BC465)
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ギリシア世界は一致結束して戦ったのではなかった
アケメネス朝ペルシア
アケメネス朝と戦う決意を固めた勢力
中立またはアケメネス朝の味方をする勢力
アテネ
スパルタ
マラトンの戦いBC490 Ⅱ
テルモピレーの戦いBC480 Ⅲ
サラミスの海戦BC480 Ⅲ
プラタイアの戦いBC479 Ⅲ
古戦場を覚えよう
【A】【B】
【C】
【D】
【3: 】の戦い
「アテネ重装歩兵、単独で数倍のペルシア軍を撃退」と言ったら、それは
マラトンの戦い
アテネ前線は36.75kmのかなた!
【A】BC490
Ⅱ回
マラトン
「わが軍勝てり!」
伝令フェイディピデスはエウアンゲリオンを伝えるため、重武装で36.75km
を走破、「わが軍勝てり!」と叫んで絶命した。(伝説)
エウアンゲリオン=ギリシャ語で「良い(エウ)知らせ(アンゲリオン)」
マラトンの戦いに関連して
42.195kmになったのはいつ?
1908年、第4回ロンドンオリンピックの際、
王妃様が、「スタート地点は宮殿の庭で、ゴール地点は競技場のボックス席の前に」と注文されたため、予定より385ヤード延長され、42.195kmとなり、1924年以降、これが踏襲され今日に至る。
もともとは、約40kmで大会ごとに異なった。
伝説のコースで優勝
アテネオリンピック(2004年)の女子マラソ
ンでゴールテープを切る野口みずき選手。
マラトンよりアテネの競技場までの伝説のコースが復活。(但し距離は42.195kmに延長してある)
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Ⅲ回はこうおさえよう
BC480年 テルモピレーの戦い
スパルタ軍全滅
ペルシア軍、アテネを占領、破壊。
サラミス湾の海戦
ペルシア艦隊を撃破
BC479年 プラタイヤの戦い
ギリシア連合軍がペルシア陸軍を撃破
敗
敗
勝
勝
「スパルタ軍、獅子奮迅するも、ついに玉砕」と言えば・・
BC480【4: 】の戦いテルモピレー
スパルタ王【5: 】配下の軍、
獅子奮迅するも玉砕(全滅)。
レオニダス
このような険しい地形の中で決戦は行われた。
Ⅲ
テルモピレーの戦いBC480 Ⅲ
サラミスの海戦BC480 Ⅲ
プラタイアの戦いBC479 Ⅲ
古戦場を覚えよう
【B】テルモピレーの墓碑銘
「旅人よ、行きてラケダイモンの人に伝えよ。汝が命を守りて、我らここに死せんと」(碑文の記事)
ラケダイモン=スパルタのこと
BC480 ペルシア軍はアッティカ地方を侵略、
アテネに迫った。
デルフォイの神託は
「木の壁に依れ」
同年、アケメネス朝ペルシア軍はアテネを占領、破壊したが、アテネ市民は屈しなかった。
【6: 】の海戦
【C】
テミストクレス率いるギリシア連合艦隊は、ペルシア艦隊を狭いサラミス水道に誘い込んで撃破と言えば・・
テミストクレスは戦後オストラシズムによって追放された。
BC480
サラミス
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決戦海域はサラミス水道
ギリシア連合艦隊の出撃
三段櫂船はどっちが船首
船首
前進方向衝角
喫水線
帆走もできるが、戦闘時は無産市民が漕ぎ、時速20km以上で突入した。
漕ぎ手が3段に着座するので三段櫂船
エンジンは【7: 】無産市民 サラミスの海戦に敗れたペルシア軍は撤退、アテネは再建された。BC450年「長城」が完成。
約8km
長城で輸送確保
アテネ
ピレウス港
「長城」はBC404年、スパルタに破壊された。
【8: 】の戦い
【D】
アテネ・スパルタ連合軍の勝利で実質最終戦となったのは?指揮はスパルタの将軍パウサニアス
BC479プラタイア
BC449、カリアスの和約でペルシア戦争終結
イオニアではミカレ岬の戦いに勝利
アケメネス朝ペルシアはエーゲ海から駆逐された。
ペルシア戦争の意義
オリエントの専制国家の大規模な侵略軍を
軍船のこぎ手として活躍した
【9: 】の発言力が強まり、ア
テネでは【10: 】が完成。
自由な市民の軍団が撃退した。
民主政完成期の指導者は( )。
無産市民
民主政
ペリクレス
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ペルシアの再来襲に備えて
BC478年、アテネを盟主に150のポリスにより
【11: 】が結成された。
同盟はカリアスの和約(BC449)以降も存続。
アテネ
ペルシア戦争終結
本部は当初はデロス島にあった
デロス同盟
事実上、「アテネ帝国」だった。
正面攻撃をあきらめたアケメネス朝ペルシアは、亡命者を受け入れ、黄金を提供して世論を攪乱するなどの手段でギリシア世界を脅かした。
BC454年以降、本部はアテネに移され、軍船、資金の管理はすべてアテネが。
アテネは公金を流用。
【12: 】の建設費はデロス同盟の基金から支出。
パルテノン神殿
ペロポネソス同盟とは
BC6世紀末には結成されていた。
スパルタを盟主に、ペロポネソス半島のポリスの大半が加盟する軍事同盟。
ペルシア戦争以前
ペルシア戦争では、ギリシア連合軍を構成してアテネとともに戦った。ハズ
スパルタ王クレオメネス1世
ペロポネソス戦争 BC431~BC404
ペルシア戦争後にアテネが覇権を確立すると、両陣営の間で、ついにBC431年、
【13: 】が起きた。
デロス同盟 プラタイアの戦い以降のBC478ごろ結成。アテネを盟主とする。
ペロポネソス同盟 BC6世紀末結成。スパルタを盟主とする。
ペロポネソス戦争
アテネは、BC480年にアケメネス朝に破壊された後再建された。そのとき(BC450年)、外港ピレウスとアテネを結ぶ「長城」が完成した。
ペロポネソス戦争以前に完成
アテネは籠城作戦!海軍が優勢なので、食糧供給が確保できれば長期間戦える。
アテネの防御は鉄壁だったが・・
ペスト菌が城内に侵入、ペストの大流行で死者多数を出し、BC429年、ペリクレスもペストで死亡。
アテネは【14: 】(煽動
政治家)が現れ、見識を欠く言動で民主政
は【15: 】に陥った。
雄弁により民会を操った。
衆愚政治
デマゴーゴス
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これが衆愚政治だ
BC422年、将軍として遠征し、戦死。
好戦的なデマゴーゴス、クレオン(?-BC422)。
民会を煽動して、こんなことを決定させた。
デロス同盟から離脱しようとしたミティレネに対し、「ミティレネの市民(男子)は全員死刑、婦女子は奴隷として売る。」(変更された)
スパルタ側からの和議申入れ(BC425年)を拒絶。
デロス同盟への貢租額の引上げにも関与。
覚えなくて良い
アテネの敗北
BC404年、アテネはペルシアの支援を受けたスパルタに「長城」を破壊され、敗北した。
BC405年、アイゴスポタモイの海戦でアテネ
艦隊は壊滅、アテネは食糧搬入路を絶たれ包囲された。
占領によって、民主政の維持は困難となった。
勝ったスパルタも
勝利したスパルタも、金・銀が流入して土地の売買が始まり、貧富の差が生まれ軍国主義・鎖国体制が崩壊した。
背後にはアケメネス朝
BC4世紀のギリシア諸ポリスは、ペルシアの渡す黄金に操られて対立・抗争を繰り返した。
例えば、【16: 】
アケメネス朝ペルシア
アテネ
テーベ
コリント
経済援助 スパルタ
コリント戦争 BC395~BC386
BC387年大王の和約で終結
スパルタも敗れる
ペルシアに支援され名将エパミノンダスに率
いられた【17: 】は、BC371年、
レウクトラの戦いでスパルタを破った。しかし、テーベの覇権は長続きしなかった。
テーベの名将エパミノンダスは、斜線陣戦法で有名である。
テーベ
ペロポネソス戦争は何をもたらしたか
長期にわたる戦争農地の荒廃
市民の死傷者多数
市民の重装歩兵がポリスを自衛するという
【18: 】の原則は失われた。
【19: 】が導入された。傭兵制
市民皆兵
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ポリス社会の崩壊
ポリス社会の崩壊
土地を失った市民は生活のために傭兵になった。
ポリスへの帰属意識も連帯感も消失。
隣国【20: 】が強大化!マケドニア
画像の出典
• 『グローバルワイド』最新世界史図表 第一学習社
• 『タペストリー』 最新世界史図説 帝国書院
• 『世界史のミュージアム』 歴史風景館 とうほう
• 『アカデミア世界史』 浜島書店
• 『ニューステージ』 世界史詳覧 浜島書店
• 『ニュービジュアル』 新詳世界史図説 浜島書店
• 『プロムナード世界史』浜島書店
• 『世界史のパサージュ』新世紀図説 とうほう
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