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Journal of Asian and African Studies, No., 論 文 プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について 荒 川 慎太郎 アジア・アフリカ言語文化研究所On the Tangut Buddhist Fragments in the “Peald” Princeton University Collection Arakawa, Shintaro Research Institute for Languages and Culture of Asia and Africa e Princeton East Asian Library Collection (New Jersey, USA) holds 83 man- uscripts from Dunhuang including the Tangut Buddhist documents. 1) Fragments of Tangut Buddhist texts; Peald (=Princeton East Asian Library, Dunhuang) Peald 6c, 6d, 6e, 6f, 6h, 6i: Apidamodapiposhalun: Abhidharma (阿毘達磨大毘婆 沙論) Peald 6g: Vajracchedikā Prajñāpāramitā (金剛般若波羅蜜多経) Peald 6q: Buddhāvatasaka-nāma-mahāvaipulya (大方広仏華厳経): Avatasaka Peald 6c-i have a strong relationship with two Tangut fragments from Dunhuang Mogaoku Beiqu shiku (敦煌莫高窟北区石窟) and two Tangut frag- ments kept in the Tenri Central Library, Nara, Japan. 2) Volume 4 of the Tangut version Saddharmapuṇḍarīka ( 妙法蓮華経 ). 3) Volume 77 of the Tangut version ‘Avatasaka’ (the ‘other’ volume of 77 of Avatasaka’, woodblock printed). In section 1, Peald and related materials are briefly introduced. Section 2 explains the present form in which the materials are preserved and in section 3, the history of the fragmentation of Apidamodapiposhalun (阿毘達磨大毘婆沙 ) is arranged. In the last section, I present the text, phonetic reconstruction, and Japanese translation with annotations. Keywords: Tangut, Tangut Buddhist document, Dunhuang document, Abhidharma キーワード : 西夏語,西夏語仏教文献,敦煌文書,阿毘達磨大毘婆沙論 0. はじめに 1. Peald 断片と他の機関が所蔵する断片類と の関係 2. 断片類の現在の姿 3. 『大毘婆沙論』の断片化 4. テキスト及び訳注 付録 図版
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On the Tangut Buddhist Fragments in the “Peald” Princeton ...repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/69335/1/jaas083001...Abhidharma キーワード:...

Jan 26, 2021

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  • Journal of Asian and African Studies, No., 論 文

    プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    荒 川 慎太郎(アジア・アフリカ言語文化研究所)

    On the Tangut Buddhist Fragments in the “Peald” Princeton University Collection

    Arakawa, ShintaroResearch Institute for Languages and Culture of Asia and Africa

    � e Princeton East Asian Library Collection (New Jersey, USA) holds 83 man-uscripts from Dunhuang including the Tangut Buddhist documents.1) Fragments of Tangut Buddhist texts; Peald (=Princeton East Asian Library, Dunhuang)Peald 6c, 6d, 6e, 6f, 6h, 6i: Apidamodapiposhalun: Abhidharma (阿毘達磨大毘婆沙論)Peald 6g: Vajracchedikā Prajñ āpāramitā (金剛般若波羅蜜多経)Peald 6q: Buddhāvataṃsaka-nāma-mahāvaipulya (大方広仏華厳経): Avataṃsaka

    Peald 6c-i have a strong relationship with two Tangut fragments from Dunhuang Mogaoku Beiqu shiku (敦煌莫高窟北区石窟) and two Tangut frag-ments kept in the Tenri Central Library, Nara, Japan.2) Volume 4 of the Tangut version Saddharmapuṇḍarīka (妙法蓮華経 ).3) Volume 77 of the Tangut version ‘Avataṃsaka’ (the ‘other’ volume of 77 of ‘Avataṃsaka’, woodblock printed).

    In section 1, Peald and related materials are briefl y introduced. Section 2 explains the present form in which the materials are preserved and in section 3, the history of the fragmentation of Apidamodapiposhalun (阿毘達磨大毘婆沙論) is arranged. In the last section, I present the text, phonetic reconstruction, and Japanese translation with annotations.

    Keywords: Tangut, Tangut Buddhist document, Dunhuang document, Abhidharma

    キーワード : 西夏語,西夏語仏教文献,敦煌文書,阿毘達磨大毘婆沙論

    0. はじめに1. Peald断片と他の機関が所蔵する断片類との関係

    2. 断片類の現在の姿

    3. 『大毘婆沙論』の断片化4. テキスト及び訳注付録 図版

  • 6 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    0. はじめに

    米国プリンストン大学(Princeton East Asian Library, New Jersey, USA)は西夏語文献各種を所蔵する1)。所蔵文献は大きく三種,すなわち 1)Peald(=Princeton East Asian Library, Dunhuang)の番号を持つ諸断片,2)刊本西夏文『妙法蓮華経』(以下『法華経』)巻四,3)刊本西夏文『大方広仏華厳経』(以下『華厳経』)巻七十七からなる2)。筆者はかつて資料 3)の詳細を論じその訳注を発表した(荒川 2011)。本稿では資料 1)と,1)に関係する別の断片類の紹介に続き,全文の西夏文テキスト,推定音,訳注,一部は対応漢文を提示する3)。稿末に,各種断片が漢文『阿毘達磨大毘婆沙論』のどの部分に相当するかを大正大蔵経で示した資料,筆者の整理した図版資料を付す。

    1. Peald断片と他の機関が所蔵する断片類との関係

    プリンストン大学は 83点の敦煌文書を所蔵するという。その中の西夏語文献は量的に決して多くはないが,保存状況も良好で,他の機関に所蔵されない貴重な資料も含まれている。

    Peald西夏文断片は,内容から三種類に分類できる。近年公開4)が開始された番号でいえば,Peald 6c, 6d, 6e, 6f, 6h, 6i:『阿毘達磨大毘婆沙論』(以下『大毘婆沙論』)Peald 6g:『金剛般若波羅蜜多経』(以下『金剛経』)Peald 6q:『華厳経』

    それぞれの刊本断片である。Peald 6cから 6iの『大毘婆沙論』はおそらく漢文からの訳出である。もっとも内容が近い漢訳は,大正大蔵経1545阿毘達磨大毘婆沙論(唐・玄奘訳)といえる。現存する断片は全て,「雑蘊第一」中の「愛敬納息」(大正 27, pp. 150-178)の各所であり,一部は接合する。なお,それらの一部(No. 6c-6i)には,紙背を利用したウイグル文字の写本文献が残る。断片は 1紙片のものと,2,3紙片が西夏文の内容に関係なく再接合されているものからなる。6cから 6iの,漢文の対応箇所は次のようになる(A,Bなど断片の分割については 2.1.1で述べる)。

    6c:大正 1545 大正 27,p. 151a, ll. 1-206dA:大正 1545 大正 27,p. 151b, ll. 1-46dB:大正 1545 大正 27,p. 151b, ll. 6-116eA:大正 1545 大正 27,p. 167a, ll. 1-66eB:大正 1545 大正 27,p. 164c, ll. 25-29

    1) 収蔵の経緯と所蔵品の概観については Bullitt 1989参照。2) このほか,各種言語資料の断片集成(Peald5fなど)の中に,西夏文字の崩し字と思しき断片が数

    点認められる(Chen 2010: 図版G. 073-G. 102参照)。ただし断片化が激しく,1断片中多くても数字しか確認できないため,本稿では考察対象としなかった。

    3) 本稿は平成 19~21年度日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(C)「西夏時代の河西地域における歴史・言語・文化の諸相に関する研究」(代表:荒川慎太郎)及び平成 22~25年度日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(A)「シルクロード東部の文字資料と遺跡の調査―新たな歴史像と出土史科学の構築に向けて―」(代表:荒川正晴)の成果の一部である。なお現地で各種の便宜を図ってくださったMartin Heijdra博士,Princeton East Asian Libraryの皆さまにこの場を借りてお礼申し上げる。

    4) � e International Dunhuang Project (IDP): � e Silk Road Online(http://idp.bl.uk/)より。

  • 7荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    6eC:大正 1545 大正 27,p. 150c, l. 24 or l. 26?6f:大正 1545 大正 27,p. 150c, ll. 12-206hA:大正 1545 大正 27,p. 166c, l. 24-p. 167a, l. 16hB:大正 1545 大正 27,p. 151a, ll. 2-66iA:大正 1545 大正 27,p. 151b, ll. 1-66iB:大正 1545 大正 27,p. 152c, ll. 7-9?ちなみに筆者の比定では,敦煌莫高窟北区石窟出土資料の少なくとも 2断片 (彭他 2004: 図版 12(XII)4. 回鶻文残片 54-1, 2(背),及び図版 13(XIII)6. 西夏文残片 54-1, 2(正))が同じ『大毘婆沙論』「愛敬納息」に含まれる部分の断片である。西夏文残片 54-1は 6eAと接合すると思われる5)。2断片の西夏文と漢文の対応箇所を示せば次のようになる。

    54-1:大正 1545 大正 27,p. 167a, l. 2?54-2:大正 1545 大正 27,p. 165a, ll. 8-10

    さらに,天理大学附属天理図書館所蔵「西夏文經断簡」「敦煌遺片」収録の断片群にも『大毘婆沙論』が含まれている6)。松澤・荒川・武(2011: 9, 15)の整理番号と比定では,「西夏文経断簡」39-08b:大正 1545 大正 27,p. 151a, ll. 1-3「敦煌遺片」03-01b7):大正 1545 大正 27,p. 152c, ll. 3-8

    となる。すると,プリンストン所蔵品の一部(Peald 6c-i),敦煌莫高窟北区石窟出土資料の一部(以下,2点をまとめて「北区断片」と呼ぶ),天理大学附属天理図書館所蔵品の一部(以下,2点をまとめて「天理断片」と呼ぶ),は,同じ資料が断片化した可能性が高いことになる。『大毘婆沙論』はこれまで西夏語訳が確認されていなかった8)ため,断片とはいえこれらの価値は低いものではない。そのため,可能な限り内容の接合を試み,テキストとして第 4節に示す。

    Peald 6gは刊本断片 2つの画像が公開されている。実見すると,これは 1点の断片の表裏であった。表裏ともに西夏文『金剛経』の一部である。漢文の対応箇所は,『金剛般若波羅蜜経』(大正 236),vol. 8, p. 752b, ll. 8-11; p. 752a, l. 28-b, l. 2である。

    Peald 6qはかつて Bullit 1989: 24(illustration 13),近年は Chen 2010: illustration G. 155に図版が掲載された。西夏刊本『華厳経』巻七十七の末尾である。漢文『大方広仏華厳経』(大正 0279),vol. 10, p. 428a, ll. 12-18に相当する。

    2. 断片類の現在の姿

    2.1『大毘婆沙論』,2.2『金剛経』,2.3『華厳経』の順で,各種断片の現在の情報を述べる。2.1.0 『大毘婆沙論』各種断片に共通する情報天地双線までの 1行が完全に残る断片は無いが,本来 6行 17文字詰(根拠は 3節で後述)

    と推定できる木版刊本,折本であった。文字はやや縦長で縦 1.4 cm×横 1.2 cm程度。文字間隔は狭く,行間は 1.0 cm程度である。やや黄ばんだ薄茶色の紙で,漉き縞は確認できなかった。

    5) 詳細は松井 2011,Matsui(forthcoming)参照。松井太氏によれば,ウイグル文字面からも,Peald6eと敦煌莫高窟北区石窟出土資料 54-1が接合することがわかるという(松井 2011: 32)。

    6) 図版は武・荒川主編 2011: 262, 383参照。7) 本件の内容比定は段 2006: 103の研究が先行する。筆者と細部の見解が異なるが,西夏文も訳出さ

    れる。8) Кычанов 1999: 448の Tang. 305『阿毘達磨正理与随本母』が題名としては近いが,これは大正

    1562の重訳と見なされている。

  • 8 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    2.1.1 Peald『大毘婆沙論』断片類Pealdとして整理される『大毘婆沙論』断片類の現在の状況は以下の通りである。「Peald」は適宜省略する。

    Peald 6cは上下左右を切断された,縦 15.8 cm×横 15.9 cmという,ほぼ正方形の断片である。6~ 7行目の行間が上から 8 cmほど裂けている。もともと接合した紙に印字したものらしく,ちょうど接合部分である 5行目が,縦方向の接合線に沿って,下側の紙の印面がかすれる。この断片は,右 6行(横 11.9 cm)+左 2行(横 4.0 cm)の接合のように見えるが,他の再接合断片のように,内容的に無関係なものではなく,第 4節のテキストで示すように内容は連続する。おそらく 6行目左が折本の頁端であり,摩滅して裂けたものをつないだのであろう。本稿では他の断片のように,右断片を A,左断片を Bとしたりせず,連続する 8行の断片として扱う。なお,右側の切断線は本来の折本の頁端と思われるので,この刊本が本来は 6行 1折であったことを推測させる。6f,後述の天理断片 Txd39-08bと同様,下から 11文字が残り,下から 12文字目下部が数ミリの高さで切断されている。これらの断片は同時期に同じ用途のため,同一の箇所で切断されたものとみられる。なお 6cは裏面に暦占に関するウイグル文が8行筆写されている(=松井 2011, TextD)。

    Peald 6dは,右下を裂断によって欠く長方形の断片(縦 10.0 cm×横 12.1 cm)を右,それより一回り小さな正方形状の断片(縦 7.2 cm×横 7.2 cm)を左に接合させた,全体で縦 10 cm×横 19 cmほどの断片である。右断片は 6行(各行 7,8字),左断片は 4行(各行 5,6字)が残る。内容的には隔たった箇所が,断片化後再接合されたものであるため,本稿では前者を 6dA,後者を 6dBと呼び,別の断片として扱う。6dAは上下左右を切断され,また右下が斜めに裂断することにより失われる。左下に頁端の折目が残っており,この断片からも,本来折本が 6行 1折であったことが推定できる。6dBの直下に,後述する 6iAが連接する。6dA,6dBともに,行間に墨が滲んでいる。これは裏面のウイグル文によるものである。表面でいえば西夏文行間にあたる部分のちょうど裏に,9行ほどのウイグル文筆写が確認できる。

    Peald 6eは計 3点の断片が再接合され,全体で縦 14.5 cm×横 18.7 cmほどの長方形状になった断片である。右下を切断によって欠く正方形に近い断片(縦 13.4 cm×横 12.0 cm)を右,縦長長方形の断片(縦 14.5 cm×横 7.4 cm)を左に接合しており,天双線が揃うように接合されるものの,左右の内容は全く連続しない。本稿では前者を 6eA,後者を 6eBと呼び,別の断片として扱う。6eAは右下約 3文字分(縦 3.7 cm×横 2.4 cm)が切り取られ,同サイズの紙が継ぎ足されている。一見 1行目と連続するようだが,これも実際には別の部分の断片で,内容がつながらない。この小断片を 6eCと呼ぶ。全ての断片が,上下左右を切断されている。6eAは上から 10文字分,6行が残存する。後述する北区断片 54-1はごく小さな断片であるが,6eAの欠損部と接合する(Ab62参照)。6eBは上から 11文字分,4行が残存する。6eA,6eB裏面に,円状の図をともなうウイグル文暦占文献 8行以上が筆写される(=松井 2011, TextB)。

    Peald 6fは上下左右を切断された,縦 15.6 cm×横 18.5 cmという,長方形の断片である。1行分空白がありそこにウイグル文字が記されているのが目を引く。後述の理由で 2行目は最低 2文字存在したと筆者は推測するため,テキスト編では 9行の断片として扱う。接合した紙に印字したため,ちょうど接合部分である 8行目の部分の糊がはがれたことで,下の方の文字の旁が,一部分割されているように見える。この断片は,おそらく 3行目左が折本の頁端である。そこから左 6行が 1折分であろう。下から 11文字が残り,3,4行目は下から 12文字目下部が数ミリの高さで切断されている。地線(双線)は明瞭に残る。1行目の西夏文字「一」の左

  • 9荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    横に,やや拙劣な筆写でこの文字が習字された跡がある。表 2行目の空白部に記されるウイグル文字は,西夏文を一部訳したようにも読めるという9)。だとすれば,章題の西夏文字の一部を判読した人物10)によってウイグル語訳され,記されたか。なお裏面にもウイグル文が 11行筆写されている。

    Peald 6hは,正方形状の断片(縦 13.4 cm×横 12.0 cm)を右,右下約 4文字分と左上約 5文字分を裂断によって欠く長方形の断片(縦 15.6 cm×横 7.4 cm)を左に接合させた,全体で縦 15.6 cm×横 19.0 cmほどの断片である。右断片は 6行(各行 10字),左断片は 4行(各行11字ほど)が残る。内容的には遠く隔たった箇所が,断片化後再接合されたものであるため,本稿では前者を 6hA,後者を 6hBと呼び,別の断片として扱う。6hAは天線の 1線が残る程度に上端が切断される。左右端の裂断はおそらく本来の折本の頁端であろう。下端は鋭利に切断される。6hBは右下,左上を斜めに裂断する形で欠損する。上部と,地線が双行,下部が明瞭に残る状態で切断される。1,2行目の間に山折で,本来の折本の痕跡が残る。2.1.3で述べる天理断片 Txd39-08b左上の欠損部は 6hBの右上と重なり,2つの断片は連続する(テキスト Ab15参照)。なお裏面に暦占に関するウイグル文が 16行ほど筆写されている(=松井 2011, TextC)。

    Peald 6iは大小の横長の断片が接合されたものである。右に大きな断片(縦 8.0 cm×横12.1 cm),左に小さな断片(縦 4.2 cm×横 7.7 cm)を接合させた,全体で縦 8.0 cm×横 19.4 cmほどの断片である。右断片は 6行(各行 6字),左断片は 4行(各行 2字ほど)が残る。内容的には連続しない部分が,断片化後再接合されたものであるため,本稿では前者を 6iA,後者を 6iBと呼び,別の断片として扱う。6iAは地線の 1線がかろうじて残る程度に下端が切断される。上,左端は切断,右端の裂断はおそらく本来の折本の頁端であろう。右端中央部は約 2文字分が裂断により欠損する。前述のように,6dBが 6iA上に連接する。6iBは上,左端は裂断,下,右端は切断により欠損する。地線が双行,明瞭に残存する。3,4行目の間に山折で,本来の折本の痕跡が残る。なお裏面にウイグル文が 9行ほど筆写されている。2.1.2 敦煌莫高窟出土『大毘婆沙論』断片敦煌莫高窟北窟出土西夏語仏典断片に,プリンストン所蔵品と関連する部分が存在する。彭他 2004,『敦煌莫高窟北区石窟』第三巻図版でいえば,B157窟,資料番号 54-1, 2である。小断片 2つだが状態が近似する。すなわち表は西夏文刊本,裏はウイグル文写本である。断片の内容が「雑蘊第一」中の「愛敬納息」(大正 27,p. 167a, l. 2?,p. 165a, ll. 8-10)に対応箇所がある。北区断片は実見できなかったものの,図版からは上下左右が裂断するものと考えられる。彭他 2004: 25の記述では「麻紙,滲んだ黄色,紙繊維の交ぜ織りは比較的均一,紙は比較的厚手,紙質は比較的硬い。残片 2片,活字印刷に似,同じ文献であるが接合はできない」となっているが,図版を見る限り活字とはみなせないと筆者は判断する。

    9) 松井太氏のご教示による。この箇所に関して,松井氏の論考に負うところ大である。深く感謝の意を表したい。松井 2012によれば,上側の 2行は左行から読めば birdä tört「1の 4」,その下方の 2行は右行から読むものとみて čodaki tö(r)t čo[daki?] birdä「問 4の問 (?)1に」と解釈することができ,西夏文の章題「雑薀第一の間の『愛・敬(を)納息する』第四の一」に対応する可能性があるという。

    10) 筆者は,この書き手が西夏文字の習字を行った人物と同一人物であるとすると,西夏人とはみなしがたい。西夏文字の字体が拙劣である上,最も基礎的な数字「一」のみを習字するのも不自然に考えられるためである。なお,松井氏によれば,ウイグル文も拙劣な字体であり誤記もあるものの,その書き手はウイグル人と推測してもよいという(松井 2012参照)。

  • 10 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    B157. 54-1は,彭他 2004: 25によると縦 6.9 cm×横 4.8 cm の断片である。1行と 2行目の文字のわずかな旁しか残らないが,内容から漢文の対応箇所がわかる。そして左端の裂断面とPeald6eA右下の欠損箇所とが接合することがわかる(Ab62参照)。

    B157. 54-2は,彭他 2004: 25によると縦 4.1 cm×横 2.7 cm の小断片である。残存するのが 2行と,3行目の文字の旁がわずかにであるが,特徴的な内容(Ab10参照)から漢文の対応箇所もわかりやすい。2.1.3 天理図書館所蔵『大毘婆沙論』断片天理大学附属天理図書館もまた,少なくない分量の西夏文を所蔵する機関である。西夏文の断片類は大きく三つの資料として整理されている。「西夏文經断簡」,「西夏回鶻文書断簡」,「敦煌遺片」である。西夏文仏典,世俗文献の,刊本及び写本断片が整理されている11)。「西夏文經断簡」と「敦煌遺片」中の断片に「雑蘊第一」中の「愛敬納息」の断片が存在する。以降の略称は,「西夏文經断簡」断片を Txd39-08b,「敦煌遺片」中の断片を Tdy03-01bとする。それぞれ各行 12字程度が残るのは Peald断片と状況が似る。どちらも Peald断片より若干黄ばんだ茶色である。「西夏文經断簡」として整理される断片類の中で,計 39枚12)の和紙に西夏文断片が貼付,整理されている。ただし全く無関係な仏典同士が接合されている場合も少なくない。8枚目13)

    の残片 2点もそうであるため,右が 39-08a,左が 39-08bと呼ばれる。本稿で扱う,略称Txd39-08bが『大毘婆沙論』であり,全く異なる仏典(『瑜伽集要焔口施食儀(擬)』)が右側39-08aに接合されている。松澤・荒川・武 2011: 22の採寸では縦 15.3 cm×横 9.8 cmである。上下は切断,左右は裂断14)という状況である。5行(各行 11字前後)が残る。右下,左上を裂断のため欠くものの,左上の欠損部が Peald6hBの右上と重なり,2つの断片が接合することがわかった(テキスト Ab15参照)。貼付された和紙を透かして,4行のウイグル文が確認できるが,6hBと連続する内容であるかは確認できない。「敦煌遺片」は,やや厚い白紙の台紙15)に西夏文断片が各種貼付される。1枚目に「西夏残経癸未歳?於燉煌石窟」と題書され,西夏文断片 2点が台紙中央左右に貼付される(これらは連接されない)。右 03-01aは『現在賢劫千仏名経』,左 03-01b16)は『大毘婆沙論』の,それぞれ刊本断片である。本稿で扱う後者,略称 Tdy03-01bは松澤・荒川・武 2011: 29の採寸では縦 18.6 cm17)×横 12.1 cmである。上部は切断,左右は裂断という状況であるが,下部に余白(高さ 2.1 cm)が残る点が他の断片と異なる。余白部分に漢文印が残っていたため,その後の切断を免れたものか。地線双線は明瞭に残存する。西夏文は 6行(各行 11字前後)が残り,1折 6行であったことがうかがえる。なお『大毘婆沙論』の「頌」部分の様態がわかる断片(4,5行目)18)でもある。3行目の空白部分に 2行(1行 14字)漢文印「僧録廣大師管主八施大藏

    11) 西田 1957,1958,及び 1962は同図書館の西夏語文献に関する初期の先行研究として知られる。なお近年の研究は松澤 1990,1994,2004 及び 2008参照。

    12) 総数は 45紙。他に漢文,ウイグル文断片が貼付される。13) 他の断片も含め,全体を通じては 14紙目。14) 右上 5 cmほどは切断のようにも見える。15) 台紙はそれぞれ独立しており,計 8紙。計 3紙に西夏文断片が貼付される。残りはウイグル文断片

    が整理される。16) 西田 1964: 図版 PLATE5右下,「管主八の願文」として掲載される図版が,この断片である。ただ

    し図版の上下左右は実際の断片よりトリミングされている。17) 2011年 7月,荒川の再採寸によれば 17.7 cmであった。18) 空格は高さ 1.4 cm,つまり他の西夏文字 1文字分である。

  • 11荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    經於沙州文殊舎利塔寺永遠流通供養」19)を持つ。裏面の状態は全く分からないが,西夏文 1行目の右横余白に,裏面に書かれたウイグル文の墨が滲んでいるのがはっきり分かるため,少なくとも 1行は,裏面にウイグル文が書かれたものであろう。

    2.2 Peald 6g『金剛経』刊本断片 2が公開されている。表裏ともに西夏文『金剛経』の一部である。Peald 6gRはい

    わゆる「金剛経三十二分」でいう「第二十八分末から第二十九分題」,Peald 6gVは「第三十分」の一部である20)。現存するのは縦 9.5 cm×横 6.7 cmであるが,本来は縦 11 cm×横 7.5 cmという寸法と体裁の,ロシアに所蔵される『金剛経』刊本の一つと同じ版21)と推定できる。現存するのは 4行 9~ 10文字であるが,本来は 7行 17字詰と推定できる木版刊本,折本であろう。上下左右が激しく裂断するものの,天線 1線が残る。文字印面の擦れも激しい。文字はやや縦長で,縦 1.0 cm×横 0.9 cm程度。文字間隔は狭く,行間は 0.6 cm程度である。やや黄ばんだ薄茶色の紙で,漉き縞は確認できない。筆者は荒川 2002: テキスト編 56-57から,本テキストの本来の表裏の姿を下のように推測する。□内の文字は別の『金剛経』テキストから予測できる文字である。図版右が Peald 6gR,左が Peald 6gVである。

    2.3 Peald 6q『華厳経』プリンストンには西夏刊本『華厳経』2点が残る。a)首尾完結した巻七十七(以下「77A」)22)

    と,b)先述した,同じく巻七十七(以下「77B」)の,末尾に近い部分の断片 1折のみの二つである。それぞれ整理番号は 8-94-801.2,Peald 6qである。以下,荒川 2011と一部内容が重

    19) 漢文印の文字は 1.0 cm四方のサイズ。上下に詰まった文字間隔である。漢文印,その他の漢文印を持つ西夏文文献については段 2006も参照。

    20) 荒川 2002: テキスト編 56-57参照。21) 筆者の分類では VPC1あるいは VPC2タイプの小型折本と推定される。荒川 2002: 17, 23-24参照。22) 初めにHeijdra and Cao 1992が紹介し,所蔵の経緯,概観,活字本としての価値を論じた。

  • 12 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    複するが,77Bについて,一部 77Aと対照させる形で概要を示す。77Bは縦 28.3 cm×横 11.4 cm(天地双線:天 3.8 cm,地 2.2 cm),西夏文字 1字は 1.2 cm四方である。77Bの方が一回り小さい版である。左下に 1.1 cm四方の所蔵印が押される。77Bは 1折分のみの断片である。体裁は 1折 6行,1行 17字詰であったと考えられる。全体が 77Aよりくすんだ色に変色し,上下の摩滅,左右の断裂・摩滅が激しい。77Bは木刻版本らしく,印面に濃淡が無く,文字も整然と並ぶため,77Aと印象を大きく異にする。77Bは,77Aより茶色がかった厚い紙であり,漉き縞は確認できなかった。

    77Bは計 6行(ただし 6行目は左半分が断裂)が残り,その漢文相当箇所は『大方広仏華厳経』巻七十七(大正 0279,いわゆる「八十華厳」)の一部,大正 10(p. 428a, ll. 12-18)である。

    77Bは最終行の西夏文字が半分断裂しており,おそらく断裂後,当該文字の右側に手書きで正字(計 14字)が補われている。なお,77Bは,左下に漢文「宣授松江府僧録管主八謹施」の印23)を持つ。

    3. 『大毘婆沙論』の断片化

    筆者は,『大毘婆沙論』刊本が現在の姿となるまで,以下のような過程があったと推測する。1. 大型の木版刊本,西夏文『大毘婆沙論』が印刷され,いったん折本の状態(6行 17字詰。根拠は本節で後述)になる。

    2. 西夏語章題中の「(第)四の一」がウイグル語訳される。また西夏文字「一」が習字される。3. 裏面を,ウイグル文の筆写用とするため,刊本が大きく上下に切られる。表面では西夏文の行間にあたる裏面にウイグル文が記される。ウイグル文は異なる内容が,おそらく異なる書き手によって書かれた。

    4. 各種の用途のため,切断される。プリンストン断片 Peald6c-iは全て裏面が「糊付け」されており,一度何かを補修などしたかと思われる。天理・北区断片は裏面に「糊付け」があるかは確認できない。また,現存する断片は同形,同サイズがあまりないため,少なくともこれらが重ねて切られたり,貼られたりしたことはないようである。

    5. 今度は裂断により,さらに断片化が進む。北区断片は確認できるもののうち,最も小さい断片となったものである。

    6. 北区断片,天理断片は別の断片類と一まとまりになる。7. 西夏文面を表面として,売買されることに。この時点で天地双線を残すように切断される

    (天地双線どちらかが残存するものは例外なく,意図的に線が残るように切断されている。また西夏文字を残し,余白を残さないように切断されている)。

    8. 小型・中型サイズの断片は,見栄えを良くするためか,再接合される。接合しやすいためか,美観のためか,小さい方の断片は大きい方の横中央に接合される。時に全く文脈を為さなくても,西夏文が整然としているように,余白などを調節される(あるいはそのために多少切断される)。

    9. 6e 右下の欠けた部分(縦 3.7 cm×横 2.4 cm)を適当な小サイズ断片(同寸法)で補う。またはこのサイズにするために切ったか。

    23) 管主八の事跡と西夏大蔵経との関連は常盤 1939,小川 1942,西田 1975: 解題 22,段 2006など参照。本稿では絶対年代的な成立時期について議論しないが,この印が確かなら,77Bはいわゆる杭州彫版(大徳六年(1302年)完成)の一つということになる。

  • 13荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    これまで Bullit 1989: 23(illustrations 12a, b)の図版が,Peald 6e表裏の西夏文とウイグル文の一部を示した以外,鮮明な画像が不足していたが,近年Web上24)でも電子データで公開されつつある。

    6cから 6iは天地双線のいずれかが残るものもあるが,1行何字詰であったか,残存する断片では直接知ることができない。ただし,断片 6fの内容から推測することができる。残存するテキストから,6fは章題と冒頭部分であることは明らかである。冒頭部分本文は「(敬)とは何であるのか」という内容の,5文字の西夏文字から 12字分残る。対応する漢文と比較すると,この上に「愛とは何であるのか」という内容の西夏文があったと推定できる。それはやはり西夏文 5文字であろうから(実際テキスト Ab17に当該の文が現れる),本文第 1行目(右から 3行目)は 12+5=17文字詰であったことが推定できることになる。一方,章題は『大毘婆沙論』という題部分の西夏語訳が欠損し,11文字が残る。西夏語テキスト中では漢語「論」を「本母」という 2語で訳する(テキスト Ab04を参照)から,『大・毘・婆・沙・本・母』のように西夏文字 6文字で訳されたと考えられる。すると 6fの 1行目はやはり 11+6=計 17文字詰となり,先の推定を裏付ける。

    4. テキスト及び訳注

    Pealdの番号,現在の整理状況に関わらず,内容順にテキスト化したものを,『大毘婆沙論』,『金剛経』,『華厳経』の順に挙げる(1行ごとに通し番号を付ける。それぞれ文献名略称は Ab, Va, Avとする)。『大毘婆沙論』は筆者の推定する接合を行った状態で示す。どの断片であるかも行頭西夏文字の上に略称25)で示す。『大毘婆沙論』は「雑蘊第一」中「愛敬納息」「第四の一」と「第四の四」の断片化したものである。前者は 7部分,後者は 3部分に分けられる箇所のテキストが残る。この内容的な分割も〈愛敬 4-1-1〉(「愛敬納息第四の一」の最初の部分の断片群)のように示す。

    凡例・原文 1行ごとに,西夏文字,荒川による推定音表記,和訳を挙げる。『華厳経』断片に関しては,大正 10により,対応する漢文も併記する。・推定音は荒川 2002などによる。ただし声調表記を上付き文字に改める。・和訳は現代仮名遣いとし,平易な日本語となるよう心がけた。複合語などが改行で分かれる際,-(ハイフン)で表わした。西夏語訳が必ずしも漢訳と対応しない箇所も少なくないが,西夏語としての訳を記した。人称代名詞の訳出の際は,「私は,お前は」を動詞の直前に置いた。・「無我」のような仏教語で,本来の西夏語語順に関わらない訳が適当な場合は「 」に示した。また,原文にない表現であるが,理解しやすくするため( )内に適宜語句を補った。直訳ではわかりにくい部分は(= )で言い換えを行った。・注は,音形については推定音,語義などについては和訳部分に,それぞれ注番号を振った。

    24) http://eastasianlib.princeton.edu/diglib.php.などで順次公開されるという。25) 例えば「P6hB2」であれば「Peald6h右から二つ目の断片 2行目」を指す。「Txd39-08b」は「天

    理図書館所蔵西夏文経断片 39-08b」,「Tdy03-01b」は「天理図書館所蔵敦煌遺片 03-01b」,「B157」は「敦煌莫高窟北区石窟 B157」を示す。

  • 14 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    なお,西夏文字には適宜,西夏研究者に広く利用される『夏漢字典』26)コード番号を与えた。「李 0001」であれば「『夏漢字典』コード番号 1」を指す。・『大毘婆沙論』注で示す漢文と読み下し文は大正 27,国訳毘 8による。ただし新字体に統一し,適宜下線を加えた。・本稿では文字鏡研究会の許可を得て,西夏文字に今昔文字鏡外字フォントを使用している。

    ┃:天または地線 ┋:断裂・接合箇所 [ ]:欠損するが明らかに補える文字□:1文字あるのは明らかだが不明字 ■:1文字分推定される文字□内の文字:一部を欠き,筆者が補った文字 ■内の文字:全てを欠き,筆者が推定した文字

    4.1 『大毘婆沙論』〈愛敬 4-1-1〉Ab01 P6f1■■■■■■┋偸 糂 岐 壮 計 側 敲 轢 穗 忙 壮 ┃ 1dza 1ngur 1leu 2tseu 1kha 2dzu 1dzi:q' 2da' 1si: 1ldyIr 2tseu 雑薀第一の間の「愛・敬(を)納息27)する」第四-Ab02 P6f2杉 岐1'e: 1leu[-の一]28)

    Ab03 P6f3■■■■■┋敲 棘 紂 遭 攻 郁 偶 子 尹 畑 尹 怐 ┃ 1dzi:q' 1ta: 1ldi:q' 1kI: 2ngwu 2thI: 2syu 1nI: 1jya: 1no'' 1jya: ?wo? (敬)とは何であるのか29)。これの如き等(の)章。また,章義(を)Ab04 P6f4■■■■■┋□ 吋 戮 碓 赫 復 譲 汗 亳 郁 授 伎 ┃ 1cyI' 2waq 2phi 1tshe:' 1'I:r 2naq 2wa 1no'' 2thI: 2mIr 1ma: 次に広く釈し説く。問いて言う。何故この本母(=論)30)

    26) 李編著 2008は李編著 1997の増補修正本である。旧版の字数は6000,新版では6074と増加する。コード番号は 5995以降変更されているが,本稿で言及する文字には関係しない。

    27) 「納息」を表す西夏文字は轢 2da'(李 5250)と穗 1si:(李 4293)である。それぞれ本義は「遊行する」,「西」であるから,この 2語は漢語「納息」を音写したものであろう。泥母を声母とする「納」が,前鼻音化有声歯茎破裂音(d-で表記)を声母とする西夏語音節で音写されていることに留意。なお,西夏文字 2文字の左横に漢字「夫」のような文字が手書きで記される。松井氏の教示によればこれはウイグル文字としては解釈できないという。西夏文字にも,西夏文字の部首にも同様なものはない。周囲に漢語「夫」と意味,または音の近い西夏文字も無く,意図する所は不明である。

    28) 完全に欠損するが,この 2字の存在は明らかであろう。29) 西田 1989: 413rに述べられるように,事物を対象とする西夏語の疑問代名詞「何」は主として 汗

    2waと 紂 1ldi:q’である。後者は特に 遭 1kI: と連続し,紂遭 の形式で「何」を表す(李 4435の例も参照)。遭 1kI:(李 1326)は一般に動詞接頭辞として動作の完了などを表すが,ここではそのような機能はない。テキストでは「Aとは何であるのか」という疑問文が頻出し,例外なく紂遭 の形式で表される。一方前者は「何故」「何を以て」のような表現の前部要素として Ab04,Ab29に現れる。

    30) 西夏語では「本・母」という表現で漢語仏典名の「論」を表わす。李 0856の③参照。

  • 15荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    Ab05 P6f5■■■■■■┋怐 杉 戮 聳 緡 亳 攻 郁 棘 戸 筍 ┃ ?wo? 1'e: 2waq 2pho: 2Kar 1no'' 2ngwu 2thI: 1ta: 2ldwIr 2ryeq2 義を広く分別する故である。これとは31)経典Ab06 P6f6■■■■■■┋推 辷 跫 超 側 敲 求 辷 跫 弟 組┃ 2dzI: 1'onq 1sI 1ku 2dzu 1dzi:q' 1tsI: 1'onq 1sI 1ri:r 2'I: 修め,円満ならば則ち,愛・敬もまた円満する(こと)を得るという。Ab07 P6f7■■■■■■┋紂 遭 攻 敲 棘 紂 遭 攻 椛 楕 聳 ┃ 1ldi:q' 1kI: 2ngwu 1dzi:q' 1ta: 1ldi:q' 1kI: 2ngwu 1mI: 1chI: 2pho: 何であるのか,敬とは何であるのか,を(それを)32)分[-別]できないAb08 P6f8■■■■■■┋伎 杉 孤 鞄 授 獪 攻 表 閥 聳 緡 ┃ 1ma: 1'e: 1byu 2ti:q 2mIr 2chi: 2ngwu 1tha: 1mi: 2pho: 2Kar [本]母(=論)に依る所(の)根本である。それを分別しない33)

    Ab09 P6f9■■■■■┋□ 畑 吋 剪 假 範 碁 杉 抑 嚢 獲 泡 ┃ 1no'' 1cyI' 2neu' 2dzwo: 2tya 1tsyer 1'e: 1po: 1zyir 1phI: 1jyIr また次に善人ではない(の)法 34)を打ち毀し,棄捨する〈愛敬 4-1-2〉Ab10 P6eC┋掴 誡 伎 演 ┋ 2gi: 1wa: 1ma: 2do 子,父母の所に〈愛敬 4-1-3〉Ab11 Txd39-08b, 1■■■■■┋弗 郁 子 杉 敲 亳 側 俟 組 郁 偶 ┋■┃ 2ldeu 2thI: 1nI: 1'e: 1dzi:q' 1no'' 2dzu 2qyiq 2'I: 2thI: 2syu すべき。これらを敬ゆえに愛を阻むという35)。この如き

    31) 本テキストでは,漢文「謂契経説(謂く契経に説く)」の下線部を組織的に,西夏語「近称指示代名詞 郁 2thI: +主題標識 棘 1ta:」によって訳している。

    32) 本テキストでは「否定接頭辞 椛 1mI: ―代名詞的接辞 楕 1chI:―動詞」という構造が 2例見られる(Ab23も参照)。しかしすぐ次の文(Ab08)中には「指示代名詞 表 1tha:―否定接頭辞 閥 1mi: ―動詞」という文も現れる。これらの表現の違い,動詞句構造の違いは今後も検討したい。

    33) Ab06, 07は「分別する」の否定形が登場するが,否定を示す接頭辞が異なることに留意する必要がある。前者 閥 1mi: は一般的な否定,後者 椛 1mI: は「可能性」の否定といわれる接頭辞である。

    34) 対応する漢文では「非善士法」。35) 漢文「此等名為…(此れ等を名けて…と為す)」の下線部を 組 2'I:「~という」のみで表している。

  • 16 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    Ab12 Txd39-08b, 2■■■■■┋剪 假 碁 棘 裴 桂 尢 假 側 亳 敲 額 ┃ 2neu' 2dzwo: 1tsyer 1ta: 1te: 1'a? 1denq 2dzwo: 2dzu 1no'' 1dzi:q' 1lu: 善人(の)法とは,或いは一類(あり),人は36)愛ゆえに敬を増しAb13 Txd39-08b, 3■■■■■┋求 峠 溪 超 剪 假 碁 組 裴 郁 碁 侠 ┃ 1tsI: 1ka 1jenq 1ku 2neu' 2dzwo: 1tsyer 2'I: 1te: 2thI: 1tsyer 2bu' また均しく行じる37)のを即ち善人(の)法という。若しくはこの法の勝38)

    Ab14 Txd39-08b, 4■■■■■┋絛 昴 巡 攻 組 郁 偶 昴 巡 払 計 弟 ┃ 2tha39) 2se: 1dyu 2ngwu 2'I: 2thI: 2syu 2se: 1dyu 2zi: 1kha 1ri:r [広]大の,識の有るもの(=有情)であるという。この如き有情(の)最たるの間に得るAb15 P6hB1 Txd39-08b, 5■■■■■┋裴 郁 尢 衫 賜 鞭40) 裴┋蘓 巡 求 絛 衿 ┃ 1te: 2thI: 1denq 2ri:r 2jyu 1ngyi 1te: 2de: 1dyu 1tsI: 2tha 2jyan 若しくはこの類と遇い難い41)。若しくは┋有ったら42),また,大菩-[薩]Ab16 P6hB2■■■■■┋梵 側 敲 慟 藩 郁 税 捕 亳 紵 畑 粉 ┃ 2tse: 2dzu 1dzi:q' 2dzyu 1me:' 2thI: 2naq 1jyu 1no'' 1li:q' 1no'' 1shi: [菩]薩(には)愛・敬を倶え集める。この事を顕すゆえ,そしてまた前(の)Ab17 P6hB3■■■■■┋亳 孤 郁 授 伎 嫉 豕 側 棘 紂 遭 攻 ┃ 1no'' 1byu 2thI: 2mIr 1ma: 2rI:r 1wi: 2dzu 1ta: 1ldi:q' 1kI: 2ngwu [因]縁に依りこの本母(=論)を為した。愛とは何であるか。Ab18 P6hB4■■■■■■■■■┋□ 峠 孫 杉 側 組 棘 郁 ┃ 1ka 1ngir 1'e: 2dzu 2'I: 1ta: 2thI: 等しくする(もの)を愛という43),とはこれ

    36) 漢文では「人は」に対応する表現はない。37) 漢文は「倶行(倶に行ずる)」。38) 漢文では西夏語の 侠 2bu'「勝れた」に直接対応する表現はない。39) この文字は 2つの発音を持つため,韻書,辞典類では別の文字として扱われる。絛 2tha(李

    4456),絛 2lenq(李 4457)である。前者は明らかに漢語「大」の音写であろう。本テキスト中では漢語「大」を要素とする語彙の西夏語訳であるから,前者の推定音をあてた。

    40) 6hBでは左下の「はね」が欠けるが,Txd39-08bの残存部から補うことができる。41) 漢文は「世若無仏。此類難遇。設令有者…(世に若し仏無くんば,此の類に遇い難し。設

    も し

    令有りとせば…)」であるから,西夏語はやや対応しない文となる。

    42) 動詞接頭辞 蘓 2de: は西田(1989: 419r)などで「願望・希求」を表す「接頭辞 2」とされるが,ここではその解釈は不自然である。「完了態」を表す「接頭辞 1」の形式と混同されたものとして,ここでは動作の完了のように訳した。

    43) 「Aを Bという」の下線部の対格に格標識 杉 1'e: が使用される。

  • 17荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    〈愛敬 4-1-4〉Ab19 P6iB1■■■■■■■■■■■■■■┋□ 郁 側 ┃ 2thI: 2dzu この愛Ab20 P6iB2■■■■■■■■■■■■■■■┋孱 譲 ┃ 2kuq 2naq 答えて言うAb21 P6iB3■■■■■■■■■■■■■■■┋郁 棘 ┃ 2thI: 1ta: これとは44)

    Ab22 P6iB4■■■■■■■■■■■■■■┋□ 豕 弗 ┃ 1wi: 2ldeu 作るべき〈愛敬 4-1-5〉Ab23 P6c1■■■■■┋毳 椛 楕 机 杉 組 褄 側 攻 毳 範 郁 ┃ 2jye 1mI: 1chI: 1kyuq 1'e: 2'I: 1cho'' 2dzu 2ngwu 2jye 2tya 2thI: 信,それを求めないのをいう。或いは愛であるが,信ではない,これAb24 P6c2■■■■■┋側 毳 攻 側 求 攻 郁 棘 毳 求 毳 机 ┃ 2dzu 2jye 2ngwu 2dzu 1tsI: 2ngwu 2thI: 1ta: 2jye 1tsI: 2jye 1kyuq 愛,信であり,また愛である。これとは信じ,また信じ求めるAb25 P6c3■■■■■┋毳 範 側 求 範 郁 棘 粉 仮 閥 侯 敲 ┃ 2jye 2tya 2dzu 1tsI: 2tya 2thI: 1ta: 1shi: 1'e: 1mi: 1we: 1dzi:q' 信ではなく,また愛ではない。これとは先の相をなくする45)。敬Ab26 P6c4■■■■■┋譲 宵 敲 巡 敲 厰 巡 詮 慟 巡 詮 慟 ┃ 2naq 1ryur 1dzi:q' 1dyu 1dzi:q' 2tsyer2 1dyu 1'e: 2dzyu 1dyu 1'e: 2dzyu 言う。諸の敬が有り,敬性が有り,自主46)が有り,自主

    44) Ab05同様,漢文「謂」の部分の訳出かと思われる。45) 漢文「除前相(前相を除く)」を,西夏語では「先の・相」―否定辞 閥 1mi: ―「有る」のように

    表現する。46) 漢語「自在」を西夏語では詮慟「自主」と訳す。

  • 18 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    Ab27 P6c5■■■■■┋淙 演 倆 攜 巡 超 敲 組 組 棘 郁 授 ┃ 2myeq'2 2do 1kyaq 2li 1dyu 1ku 1dzi:q' 2'I: 2'I: 1ta: 2thI: 2mIr 者の所に,畏怖が有れば則ち,敬を言う,(それを)言うとは47)この本-[母]Ab28 P6c6■■■■■┋計 剪 謚 弟 超 遇 遇 蔡 仰 郁 敲 杉 ┃ 1kha 2neu' 1'I:r 1ri:r 1ku 2mI 2mI 2'wI:r 2ngu 2thI: 1dzi:q' 1'e: (の)間に善巧を得れば則ち,種種の文を以てこの敬をAb29 P6c7■■■■■┋復 譲 敲 汗 仰 詮 厰 撲 孱 譲 敲 棘 ┃ 1'I:r 2naq 1dzi:q' 2wa 2ngu 1'e: 2tsyer2 2wi 2kuq 2naq 1dzi:q' 1ta: 問い言う。敬とは何を以て自性と為すか。答え言う。敬とはAb30 P6c8■■■■■┋側 敲 棘 紂 遭 攻 嫉 區 戮 赫 復 譲 ┃ 2dzu 1dzi:q' 1ta: 1ldi:q' 1kI: 2ngwu 2rI:r 2nI: 2waq 1tshe:' 1'I:r 2naq 愛・敬とは何であるか。乃至48),広く説く。問い言う。〈愛敬 4-1-6〉Ab31 P6dB1 P6iA1■■■■■┋□ 噴 子 終 宵 栞 ┋縒 扞 泡 珎 紳 遇 ┃ 2nga 1nI: ??? 1ryur 2ny'yon 1tsheu 1'eu: 1jyIr 1nyI' 2'aq 2mI 我等は永く諸悪 ┋趣(の)因を捨て,二十種(の)Ab32 P6dB2 P6iA2■■■■■┋哘 遭 圀 弟 忙 偐 ┋伐 款 識 竕 飽 畢 ┃ 2cha: 1kI: 2dyen 1ri:r 1ldyIr 2syen 2ji:q 2le: 2byu 2lo:n 1me: 2lhi: 「正決定」を得て,四聖 ┋諦を見て,「無辺際49)」(の)死50)

    Ab33 P6dB3 P6iA3■■■■■┋税 計 壮 壇 豕 関 ┋蜉 組 畑 吋 表 珎 ┃ 2naq 1kha 2tseu 2du: 1wi: 1jwa: 2ni: 2'I: 1no'' 1cyI' 1tha: 1nyI' 事の間に「分限51)」を(我等は52))為し終える┋という。また次に,彼の二Ab34 P6dB4 P6iA4■■■■■┋□ 俘 腮 擲 敲 幃 ┋膏 棘 釜 郁 偶 頒 ┃ 1ne:' 2di 1bu:' 1dzi:q' 1ny'e:' 1she: 1ta: 2zi: 2thI: 2syu ?li? 心悦び,恭敬して住する ┋順うとは皆,この如く念(を)

    47) 動詞「言う」の連続と主題標識の後続は不自然であるが,訳出の誤りではなく,迂言的な説明のように解釈した。

    48) 完了態を表す接頭辞 嫉 2rI:r+區 2nI:「到る」で,一般に「乃至」(西田 1989: 419l)。49) 識竕 の二語で「辺際」(李 0785参照)。50) 対応する漢文では「生死」の語順であるが,西夏語の語順では 畢榎「死・生」となる。西田 1977:

    119,045-093など参照。51) 壮壇 の二語で「限量」(李 1290)。ここでは「分限」として解釈した。52) 蜉 2ni: は研究者によって解釈が異なる要素である。ここでは動詞「終える」に後続する,「複数を

    表す人称接辞」(Кепинг 1985: 228などの解釈)と認めた。Ab31の「我等」が主語であり,この複数性と呼応する接辞と判断したためである。

  • 19荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    Ab35 P6iA5■■■■■■■■■■■┋徂 奎 賑 厰 紵 畑 ┃ ?lhe? 1phi: 1tsyuq 2tsyer2 1li:q' 1no'' 受け,苾芻53)(の)性,及びまたAb36 P6iA6■■■■■■■■■■■┋畑 納 棘 永 僖 醇 ┃ 1no'' 1pyuq 1ta: 2'wI 1thon 1'i: また尊とは54)鄔陀夷55)

    Ab37 P6dA1┋絛 冬 哘 巡 郁 □┋ 2tha 2li:q 2cha: 1dyu 2thI: 大恩徳が有る。このAb38 P6dA2┋□ 椛 孛 栞 設 椛 孛 ┋ 1mI: 1pyuq 2ny'yon 2dza:r 1mI: 1pyuq 量り知れない悪を滅し,量り知れないAb39 P6dA3┋□ 假 坩 杉 釜 郁 偶 □┋ 2dzwo: 1tha 1'e: 2zi: 2thI: 2syu 人,仏(の)悉く,この如くAb40 P6dA4┋求 弗 組 納 棘 嘉 誑 掴 ┋ 1tsI: 2ldeu 2'I: 1pyuq 1ta: 1sha: 2ri:r 2gi: また56)すべきという。尊とは57)舎利子58)

    Ab41 P6dA5┋超 噴 子 艚 釜 椴 榎 椴 ┋ 1ku 2nga 1nI: 2to 2zi: 1mI' 1wi' 1mI' 即ち我等は皆悉く盲(にして)生じ,盲(にして)Ab42 P6dA6┋坩 杉 釜 郁 偶 頒 坩 棘┋ 1tha 1'e: 2zi: 2thI: 2syu ?li? 1tha 1ta: 仏(の)悉く,この如く念じる。仏とは

    53) 奎賑 1phi: 1tsyuqの二語で漢語「苾びっしゅ

    芻」の音写。54) 漢文「尊者鄔陀夷…」は「尊者(である)鄔

    陀だ

    夷い

    …」と読むのが適当であろうが,西夏語ではここでも「者」を主題標識として訳している。

    55) 永僖醇 2'wI 1thon 1'i: の三語で「鄔陀夷」の音写。56) 文字下端の残存部から求「また」を推定したが,(動詞+)「また」+助動詞+動詞「言う」の構造

    はやや不自然にも思える。57) 漢文「尊者舎利子…」は「尊者(である)舎利子…」と読むのが適当であろうが,西夏語では「者」

    を主題標識として訳している。58) 嘉誑 1sha: 2ri:rの二語で「舎利」を音写する。掴 2gi: は「子」の意であるから,西夏語では「舎利子」

    の訳に音訳と意訳を組み合わせていることになる。

  • 20 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    〈愛敬 4-1-7〉Ab43 Tdy03-01b, 1■■■■■┋扎 茖 孚 巡 扎 飽 茖 範 菱 縒 計 釜 ┃ 1tsiq' 2kyeq 2'u 1dyu 1tsiq' 1me: 2kyeq 2tya 1ngwI 1tsheu 1kha 2zi: 色界の中に有って「無色」界ではない。五趣の間には,皆Ab44 Tdy03-01b, 2■■■■■┋棘 遅 迅 掴 市 汀 孚 冂 榎 絏 楝 攻 ┃ 1ta: 2ne: 1kho:n 2gi: 1di:q 2'yen 2'u 2wI: 1wi' 1dzeu: 2kyIr 2ngwu とは,「慈授子59)」が地獄の中に生じて,浴室60)である(と)Ab45 Tdy03-01b, 3■■■■■┋俚 弱 譲 赫 1ha: 2do 2naq 1tshe:' 忽ち頌を言い説く。Ab46 Tdy03-01b, 4■■■■┋□ 徂 棘 噴 範 動 格 豕 求 範 ┃ ?lhe? 1ta: 2nga 2tya 1tse: ?ji? 1wi: 1tsI: 2tya 受けるとは, 私ではなく他(人)の所作61)でもまたないAb47 Tdy03-01b, 5■■■■┋□62) 亳 攻 頂 設 閥 徂 觴 坑 噴 ┃ 1no'' 2ngwu 2lyuq 2dza:r 1mi: ?lhe? 1mi: 2di: 2nga 故である。 身は滅し,(私は)63)受け聞かなかった64)。Ab48 Tdy03-01b, 6■■■■■┋椛 孛 衿 呟 郁 弱 觴 畑 市 汀 海 渟 ┃ 1mI: 1pyuq 2jyan 2tse: 2thI: 2do 1mi: 1no'' 1di:q 2'yen 1ci:q 2lheu 量りしれない衆生はこの頌を聞き,また地獄(の)苦を脱し〈愛敬 4-4-1〉Ab49 P6eB1┃計 閥 歉 設 超 捩 弟 閥 捩 碁 計 ┋■■■■■■ 1kha 1mi: 1geng 2dza:r 1ku 2gu 1ri:r 1mi: 2gu 1tsyer 1kha (の)間で「択滅」しなければ65)則ち,「共得」(であり),「不共」(の)法の間で

    59) 漢文「慈授子」を西夏語では 遅迅掴「慈・与える・男子」のように意訳する。60) 絏 1dzeu: は「洗う」(李 4453),楝 2kyIrは「室,屋」(李 3622)。61) 格豕 ?ji? 1wi: 「~によって」は他動詞文に現れ,行為者を表す(荒川 2010: 157)。この文は「Aで

    はなく Bによってでもまたない」という,状態否定 範 2tyaと共起する,興味深い例文といえる。62) 内容的に 頂 2lyuq「身」であり,その下部が若干確認できるか。63) 文末の 1人称代名詞 噴 2ngaは動詞に後続する 1人称接尾辞と解釈する。64) 漢文は「身若滅無誰復受(身,若し滅して無くんば,誰か復,受けんや)」であるから,西夏文は

    直訳ではない。また,助動詞 坑 2di: は「かつて~した」という経験を表す(李 0489)。「過去の経験の否定」は西田(1989: 416r)で示されるように,否定辞 信 2me: -動詞-助動詞 面 2de: で表される場合が多い。「否定辞 信 2me: -動詞-助動詞 坑 2di:」の例は『金剛経』などにもみられる(荒川 2002: テキスト編 31参照)。この動詞句構造では否定辞に 閥 1mi:(動作一般の否定を表す)が使われている点にも留意が必要である。

    65) 漢文は「非択滅(非択滅なれば)」であるが,範 2tya「~に非ず」で表現するのではなく,否定辞 閥 1mi: を動詞 歉設 1geng 2dza:r「択滅」に前接させている。

  • 21荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    Ab50 P6eB2┃弟 宵 瑛 榎 尢 裴 岐 縒 計 幃 乳 ┋■■■■■■ 1ri:r 1ryur 2do 1wi' 1denq 1te: 1leu 1tsheu 1kha 1ny'e:' 2dze: 得(である)。諸の異生類(の)若し「一趣」の間に住する(ものは)「余(趣」)Ab51 P6eB3┃夬 閥 歉 設 弟 表 扎 子 逆 頒 頒 ┋■■■■■■ 1no 1mi: 1geng 2dza:r 1ri:r 1tha: 1tsiq' 1nI: 2myI' ?li? ?li? (刹)那(に)択滅せざるを得る。その66)色等(の)境が念念(に)Ab52 P6eB4┃子 嶝 関 閥 蒲 哀 岐 縒 幃 紵 □┋■■■■■■ 1nI: 1si: 1jwa: 1mi: 1sho 1lI: 1leu 1tsheu 1ny'e:' 1li:q' 等(は)畢竟67),「不生」である。「一趣」(に)住する(こと),そして〈愛敬 4-4-2〉Ab53 B157.54-2, 1┋幾 毓 篇 凾 孤 ┋ 2gI: 1kyi 1'e:' 2ni: 1byu[昼]夜,戒を持つことができる68)故にAb54 B157.54-2, 2┋嫉 赫 觴 蛻 扞 組┋ 2rI:r 1tshe:' 1mi: ?zi? 1'eu: 2'I: 説いた,「聞慧」の故であるというAb55 B157.54-2, 3┋計 閥 歉 ┋■■ 1kha 1mi: 1geng (の)間で択[滅]しない69)

    〈愛敬 4-4-3〉Ab56 P6hA1┃畑 珎 壮 教 壮 魚 俸 孤 蒲 凉 ┋■■■■■■■ 1no'' 1nyI' 2tseu 1soq 2tseu 1me:' 1swyI' 1byu 1sho 2phyu また,第二,第三「静慮70)」に依りて起こす「上[下地]」Ab57 P6hA2┃設 弟 裴 教 壮 魚 俸 拗 忙 壮 ┋■■■■■■■ 2dza:r 1ri:r 1te: 1soq 2tseu 1me:' 1swyI' 1bu 1ldyIr 2tseu 滅を得る。若し第三「静慮」(から)没して,第四

    66) 漢文では対応する指示代名詞はない。67) 漢語「畢竟」を西夏語では 嶝 1si:「尽きる,窮まる」(李 3075)+1jwa: 関「終わる」(李 5712)で表す。68) 対応する漢文は「雖能持一昼夜戒(能く一昼夜戒を持すと雖も)」。69) 3文字の旁がわずかに残る。特徴のある文字であるため,当該の 3文字を推定した。70) 「禅,禅定」を示す漢語「静

    じょうりょ

    慮」は,西夏語で 魚 1me:'「静寂」+俸 1swyI'「思慮」と,直訳的に表現される。

  • 22 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    Ab58 P6hA3┃俸 忙 壮 魚 俸 孤 蒲 忙 壮 魚 ┋■■■■■■■ 1swyI' 1ldyIr 2tseu 1me:' 1swyI' 1byu 1sho 1ldyIr 2tseu 1me:' [静]慮」,第四「静慮」に依りて起こす第四「静[慮]」Ab59 P6hA4┃蒲 弗 碁 短 畑 乳 教 壮 魚 俸 ┋■■■■■■■ 1sho 2ldeu 1tsyer 2rI:r 1no'' 2dze: 1soq 2tseu 1me:' 1swyI' 起こすべき法を除く71)。また余りの第三「静慮」Ab60 P6hA5┃蒲 凉 洒 刮 碁 計 釜 閥 歉 設 ┋■■■■■■■ 1sho 2phyu 2bi: 2ldwi:q' 1tsyer 1kha 2zi: 1mi: 1geng 2dza:r 起こす「上下地」(の)法の間で皆,択滅せざる(を)Ab61 P6hA6┃茖 榎 賛 表 搜 扎 扎 飽 茖 計 ┋■■■■■■■ 2kyeq 1wi' 1zenq 1tha: 2kyeq 1tsiq' 1tsiq' 1me: 2kyeq 1kha 界(に)生じる時,その72)欲,色,「無色」界の間(で)Ab62 P6eA B157.54-1, 1┃弟 哀 孱 譲 裴 搜 茖 ┋拗 太 識 ┋■■■■■■■ 1ri:r 1lI: 2kuq 2naq 1te: 2kyeq 2kyeq 1bu 1nga 2byu 得るや73)。答えて言う。若し欲界 ┋(より)没し,空辺[なき(=「無辺」)]Ab63 P6eA2┃碁 紵 畑 搜 扎 茖 孤 蒲 扎 飽 ┋■■■■■■■ 1tsyer 1li:q' 1no'' 2kyeq 1tsiq' 2kyeq 1byu 1sho 1tsiq' 1me: 法と,また欲色界に依りて起こす「無色」[界]Ab64 P6eA3┃弟 裴 奮 魚 俸 拗 太 識 飽 演 ┋■■■■■■■ 1ri:r 1te: 1'u: 1me:' 1swyI' 1bu 1nga 2byu 1me: 2do 得る。若し初「静慮」(から)没して,空「無辺」処Ab65 P6eA4┃畑 忙 魚 俸 孤 蒲 凉 洒 茖 碁 ┋■■■■■■■ 1no'' 1ldyIr 1me:' 1swyI' 1byu 1sho 2phyu 2bi: 2kyeq 1tsyer また,四「静慮」に依りて起こす「上下界」(の)法Ab66 P6eA5┃珎 壮 魚 俸 拗 太 識 飽 演 榎 ┋■■■■■■■ 1nyI' 2tseu 1me:' 1swyI' 1bu 1nga 2byu 1me: 2do 1wi' 第二「静慮」(から)没して,空「無辺」処に生じる

    71) 短 2rI:rは「方向,除」を意味する。ここでは後者で解した。72) 漢文では対応する指示代名詞はない。73) 哀 1lI:は「一」の他に,文末の断定を表わす(李 5285など)が,ここでは「~や」という文末助

    詞として解釈する。

  • 23荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    Ab67 P6eA6┃畑 凉 教 魚 俸 孤 蒲 凉 洒 刮 ┋■■■■■■■ 1no'' 2phyu 1soq 1me:' 1swyI' 1byu 1sho 2phyu 2bi: 2ldwi:q' また,上三「静慮」に依りて起こす「上下地」

    4.2 『金剛経』a)Va01 P6gR1┃衿 梵 棘 [紋 哘 閥 徂 亳 哀 墾 棺 闇 坩 杉 譲 組 茆] 2jyan 2tse: 1ta: [1lo: 2cha: 1mi: ?lhe? 1no'' 1lI: 2syu 1po 1tyen 1tha 1'e: 2naq 2'I: 1ryur] 菩薩とは[福徳を受けないゆえである」須菩提は仏に申して言う。「世-]Va02 P6gR2┃納 頃 悃 衿 梵 紋 哘 閥 徂 [墾 棺 闇 衿 梵 豕 豕 紋] 1pyuq 2the: 2so: 2jyan 2tse: 1lo: 2cha: 1mi: ?lhe? [2syu 1po 1tyen 2jyan 2tse: 1wi: 1wi: 1lo:] -尊よ。どうすれば菩薩は福徳を受けないのですか」[「須菩提よ。菩薩がなす福-]Va03 P6gR3┃哘 妁 姨 弗 範 郁 亳 紋 哘 [閥 徂 組] 2cha: 2lyeq 1zenq 2ldeu 2tya: 2thI: 1no'' 1lo: 2cha: [1mi: ?lhe? 2'I:] -徳を貪り,執着するべきではない。この故に福徳を[受けない,という」]Va04 P6gR4┃   冓 筈 魚 菽 猝 珎 紳 [庠 壮] 1pyuq 1wir 1me:' 1se 2phwya' 1nyI' 2'aq [1gwyI' 2tseu] 威儀,静寂である(という)分 [第]二十[九]b)Va05 P6gV1┃哀 茆 納 頃 悃 哀 裴 郁 慥 兩 [巷 夙 巡 超 坩 表 慥] 1lI: 1ryur 1pyuq 2the: 2so: 1lI: 1te: 2thI: 2lhI: 2mwi [2ngwer 1zI:r 1dyu 1ku 1tha 1tha: 2lhI:] です。世尊よ。何故ならば,もしこの微塵[数が実(際)にあるならば即ち,仏はそれを微-]Va06 P6gV2┃兩 巷 閥 赫 郁 棘 頃 悃 坩 [慥 兩 巷 杉 慥 兩 巷 範] 2mwi 2ngwer 1mi: 1tshe:' 2thI: 1ta: 2the: 2so: 1tha [2lhI: 2mwi 2ngwer 1'e: 2lhI: 2mwi 2ngwer 2tya:] -塵数とは説きません。これは何故かというと,仏は[微塵数を微塵数ではないので]Va07 P6gV3┃超 慥 兩 巷 剳 撲 組 茆 納 [跳 友 嫉 赫 教 芸 綏 芸] 1ku 2lhI: 2mwi 2ngwer 2me:' 2wi 2'I: 1ryur 1pyuq [1myor 1ldenq 2rI:r 1tshe:' 1soq 1tuq 2lenq 1tuq] 即ち,微塵数と名をなす,というのです。世尊よ。[如来が説いた三千大千-]Va08 6gV4┃茆 茖 [棘 茆 茖 範 超 茆 茖 剳 撲 郁 棘 頃 悃 裴 茆] 1ryur 2kyeq [1ta: 1ryur 2kyeq 2tya: 1ku 1ryur 2kyeq 2me:' 2wi 2thI: 1ta: 2tse: 2so: 1te: 1ryur] -世界[とは,世界ではないから即ち,世界と名をなすのです。これは何故かというと,もし世-]

  • 24 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    4.3 『華厳経』77B (Peald 6q)Av01 P6q1搨 冗 伍 郭 亭 辛 冂 汽 引 戦 敲 変 擲 棆 椛 孛 巷2ngwu 1kwar 1ta:q 1lwuq 2qyiq 1nwe: 2wI: 1'a:r 1pa:q 2phyo' 1dzi:q' 2ryeq2 1bu:' 1'u:' 1mI: 1pyuq 2ngwer悲泣し哽噎する。立って掌を合わせ,恭敬し畏まって見る。量り知れなく数えられ-悲泣哽噎。起立合掌恭敬瞻仰。遶無量-Av02 P6q2飽 抹 哢 魂 吃 午 曙 杉 俘 紵74) 捐 亳 超 廖 丼 根 鉄1me: 1jo:n 2ror 1man 1su:' 1shI: 1li: 1'e: 1ne:' 1li:q' 1'yi 1no'' 1ku 1'i: 1fa:q 2'I:r 2rirない遍巡る。文殊師利の心,そして力の故に即ち,衆華(の)瓔珞,-匝。以文殊師利心念力故。衆華瓔珞-Av03 P6q3遇 遇 悵 茅 表 膏 暎 孚 炭 莢 剪 捷 俘75) 卓 蛇 泳 郁2mI 2mI 1thyo' 2li:q' 1tha: 1she: 1ldaq 2'u 1na: 2swu 2neu' 2war 1ne:' 2lyenq 2chI: 2ra:r 2thI:種種(の)妙宝(であり),それに随い,手の中に満たして,善財は歓喜し,即,これを-種種妙寶。不覺忽然自盈其手。善財歡喜。即Av04 P6q4仰 觴 池 棺 珸 莎 捌 珸 顔 冂 支 棔 觴 池 衿 梵 剪2ngu 1mi: 2li 1po 1tsa 2ma 2ngaq 1tsa 1chya: 2wI: 2lyu 1dzyen 1mi: 2li 2jyan 2tse: 2neu'以て弥勒菩薩摩訶薩の上に散らした。時に弥勒菩薩は善-以奉散彌勒菩薩摩訶薩上。時彌勒菩薩。摩善-Av05 P6q5捷 杉 看 叛 弱 譲 嫉 赫2war 1'e: 2ceu: 1lyer2 2do 2naq 2rI:r 1tshe:'-財の頭を撫でて,頌を語り説いた。-財頂。爲説頌言Av06 P6q6孃 樮 孃 樮 坩 掴 諂 宵 獪 擦 蒲 肇 秩76) 飽2lde:' 2ryeq'2 2lde:' 2ryeq'2 1tha 2gi: 1gye 1ryur 2chi: 1gu 1sho 2lon 1lenq 1me:よきかなよきかな,真の仏子よ 諸根を出生し,懈倦することなし善哉善哉眞佛子 普策諸根無懈倦

    5. おわりに

    プリンストン所蔵断片 Pealdのうち,『金剛経』断片はそれほど貴重なものではないが,『華厳経』,『大毘婆沙論』の断片は有意義な資料といえる。後者は中国,日本の所蔵品とも関連し,いくつかは直接接合する。繋ぎ合わせれば 66行ほどのテキストになり,言語的に興味深い例文も得ることができた。『大毘婆沙論』はこれまで西夏語訳が確認されていなかったが,少な

    74) 別の断片 77Aではこの字が頒 ?li?「念」となっている。漢文とは 77Aの方が適切に対応する。75) 77Aではこの字が腮 2di「喜」となっている。76) 「懈倦」の二文字目は としているが,偏が足りず,秩 が正しい。

  • 25荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    くとも「雑蘊第一」「愛敬納息」は全訳されていた可能性が高い。また,既存の西夏語仏典目録にも存在しない経典が敦煌出土文献に存在することをうかがわせる。引き続き仏典断片の精査が求められよう。

    参 考 文 献

    荒川慎太郎 2002 「西夏文『金剛経』の研究―言語学的研究・校訂テキスト・訳注」博士論文,京都大学.― 2010 「西夏語の格標識について」『チベット=ビルマ系言語の文法現象 1:格とその周辺』(澤田英夫編),東京:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所:153-174.― 2011 「プリンストン大学所蔵西夏文華厳経巻七十七訳注」『アジア・アフリカ言語文化研究』

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    本蔵西夏文文献』下冊(武 宇林・荒川慎太郎主編),北京:中華書局:1-32(下冊 539-570).西田龍雄 1957 「天理図書館所蔵西夏語文書について(Ⅰ)」『ビブリア』9: 11-17.― 1958 「天理図書館所蔵西夏語文書について(Ⅱ)」『ビブリア』11: 13-20.― 1962 「天理図書館所蔵西夏語文『無量寿宗要経』について」『ビブリア』23号:357-356.― 1964 『西夏語の研究―西夏語の再構成と西夏文字の解読』Ⅰ,東京:座右宝刊行会.― 1975 『西夏文華厳経』Ⅰ,京都:京都大学文学部.― 1977 『西夏文華厳経』Ⅲ,京都:京都大学文学部.― 1989 「西夏語」『言語学大辞典 第 2巻 世界言語編(中)』(亀井孝他編),東京:三省堂:

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    ◉漢文仏典略号◉大正 10:『大正新脩大藏經』(華厳部 第 10巻)東京:大正一切經刊行會,1925.

  • 26 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    大正 27:『大正新脩大藏經』(毘曇部 第 27巻)東京:大正一切經刊行會,1925.国訳毘 8:『国訳一切経』(改訂版)(印度撰述部 毘曇部八「阿毘達磨大毘婆沙論」部分(pp. 131-191))東京:大東出版社,1975.

    原稿受理日―2011年 6月 30日

  • 27荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    図版 大正蔵対応部分

    p. 150c, 6f, ? 6eC, Txd39-08b

    p. 151ab, Txd39-08b, 6hB, 6iB, 6c, 6dB, 6iA, 6dA

  • 28 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    p. 152c, Tdy03-01b

    p. 164c, 6eB

    p. 165a, B157, 54-2

  • 29荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    p. 166c, 6hA

    p. 167a, 6hA, 6eA, B157, 54-1

  • 30 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    P6f

    P6eC

  • 31荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    P6iB

    Txd39-08b+P6hB

    (P6hB) (Txd39-08b)

  • 32 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    P6c

  • 33荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    P6dB+P6iA+P6dA (P6dB)

    (P6iA)

    Tdy03-01b

    (P6dA)

  • 34 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    P6eB

    B157.54-2

  • 35荒川慎太郎:プリンストン大学所蔵西夏文仏典断片(Peald)について

    P6hA+P6eA+ B157.54-1

    (P6eA) (B157.54-1)

    (P6hA)

  • 36 アジア・アフリカ言語文化研究 83

    6gV 6gR

    6q