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(1) 2008 年 3 月 15 日 丁 酉 会 新 聞 姿No.33 北海道自動車短期大学 丁 酉 会 発行責任者 九 谷 田   旭 編集責任者 永 倉 史 倫 TEL・FAX011 - 211 - 8844 E-mail: [email protected] 使退退西10 調稿調調
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就任後の二年間 - 北海道科学大学E-mail: [email protected] 北海道自動車短期大学丁酉会 会 長 九谷田 旭 北海道自動車短期大学 長 丸

Nov 22, 2020

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Page 1: 就任後の二年間 - 北海道科学大学E-mail: bz095964@bz03.plala.or.jp 北海道自動車短期大学丁酉会 会 長 九谷田 旭 北海道自動車短期大学 長 丸

その親を対象に「仕事観」

についてアンケートをとっ

た結果、高校生の五十六%

が「収入」第一位に上げて

おります。親がわが子に求

める仕事の目的の第一位

は「生きがい」(六十二%)

とありました。「何のため

に仕事をするか」は世代だ

けではなく、立場や年齢に

よって仕事に対する見方、

考え方は変わるかも知れま

せんが、しかし、その変化

は流動的で進化するものと

思われます。

 

最近では企業の理念とし

て「社員の満足のための経

営をすすめる」と掲げる会

社が増加傾向にあると言わ

れておりますが、企業が継

続的に利益を上げ繁栄し、

そこで働く社員が我が働き

 

平素は丁酉会に対して格

別なるご協力を頂き誠にあ

りがとうございます。

 

また、昨年九月の丁酉会

発足五十周年記念式典に於

いて、多大なご支援を賜り

ましたことに重ねてお礼申

し上げます。

 

お陰さまを持ちまして、

親睦と交流のための多目的

ホールの活用、さらに母校

(1) 2008 年 3 月 15 日丁 酉 会 新 聞

のPRを目的に実験機材を

乗せたリフト付マイクロバ

スは大変好評で各学校から

の引き合いも多く対応に苦

慮していると聞きおよび喜

んでおります。

 

さて、今春も本校を始め

として多くの卒業生の皆様

が社会人としてスタートを

いたしますが、ある生命保

険会社の研究所が高校生と

を実感出来る企業でなけれ

ばなりません。

 

本校に於いても生徒一人

ひとりが向学心をもって自

由な発想を持ち、それを膨

らませられる場であって欲

しいと願っております。

 

先生をはじめ職員の皆様

のご苦労は大変と思われま

すが、私ども丁酉会といた

しましても今後のあるべき

姿を考察しつつ、微力なが

ら本校のために運営が図ら

れるように努力する所存で

ございます。

 

引き続き皆様の御協力を

お願いいたしますとともに

会員皆様の限りない繁栄と

ご健勝をお祈りいたしまし

て、「ていゆう」第三十三

号の発刊にあたりご挨拶申

し上げます。

No.33北海道自動車短期大学

丁 酉 会発行責任者

九 谷 田   旭編集責任者

永 倉 史 倫

TEL・FAX011-211-8844 E-mail: [email protected]

北海道自動車短期大学丁酉会

会 

長 

九谷田  

北海道自動車短期大学

学 

長 

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『丁酉会発足五十周年を迎えて』

会員の皆様には、お元気

にご活躍のことと存じま

す。また、新しい卒業生と

修了生を送り出す時期にな

りました。

私事で恐縮ではござい

ますが、早いもので、平成

十八年四月三日に初出勤し

てから、間もなく二年の月

日が過ぎようとしています。

手稲区から豊平区へJRと

地下鉄南北線を使う通勤に

要する時間は約一時間です。

工大時代の約四倍の通勤時

間をかけて、皆様の母校へ

通っています。お蔭様で、

歩くことや札幌駅の喧騒に

もかなり慣れました。しか

し、悔しいかな、メタボリ

ック・シンドロームの「嫌

疑」が晴れたわけではあり

ません。

ご承知のとおり、本学は

今年で創立五十五周年の節

目を迎えます。そのうえ、

四十年以上にわたって本学

の発展のためにご努力を重

ねてこられた多くの先生方

がご勇退なさいます。平成

二十一年度から入学定員も

削減する予定のため、ご勇

退なさる先生の補充はいた

しません。そのような次第

で、平成二十年度は本学の

試練の年です。

丁酉会は、昨年、発足

五十周年を盛大にお祝いし

ました。本学へは、「出前

授業」などに供するための

小型バスのご寄贈、二号館

一階の学生ホールを多目的ホ

ールとして活用しやすい「メ

モリアル・ホール」に改装し

ていただくなど、応分のご

援助を賜りました。深く感

謝しております。どうぞ、

会員各位におかれまして

は、頻繁に母校をお尋ねく

ださって、この「メモリアル・

ホール」をご活用いただけ

れば真に幸いです。

いま本学では、私も責任

の一端を担いながら、めぼ

しい高等学校をくまなく訪

問し、学生確保に全力で取

り組んでいますが、高校生

の絶対数が減った上に専門

学校などとの競合があった

り、北海道の経済低迷が続

いていることなどが重なり、

非常に難儀しております。

会員の皆様にも、学生集め

についてのご協力をお願い

したいところですが、ご負

担が少ない形はどのようで

あるべきか、時機を見てご

相談したいと考えておりま

す。その節は、どうぞ、暖

かいご援助を期待しており

ます。

さて、この度ご卒業され

る本科の諸君は、二年間、

本学において自動車の整備

に関する勉強をしました。

そして、来る三月二十三日

(日)の登録試験に挑戦で

す。「自分は合格するため

に十分勉強した」という自

信をもって臨んでください。

また、学位「短期大学士(自

動車工学)」は、専門学校

では取得できない、世界に

通じる学位です。このこと

を誇りにしてください。

また、自動車の整備とい

う技術を基礎にして、どん

どんいろいろな仕事を覚え

ていって欲しいと思いま

す。新しいことに恐れずに

立ち向かい、自分を磨くこ

とを忘れてはいけません。

まさに「進取不屈」の精神

です!壁に当たったら、大

学に相談するなど、大学を

卒業した時点から、大学と

の本当の付き合いが始まる

のです。

専攻科を修了する諸君

は、本科に続いて一年また

は二年、専門的なことを勉

強しました。このことは、

これからの長い人生にとっ

てかけがえのないことにな

るでしょう。本学で学んだ

知識や経験を土台にして、

視野を世界に広げて、思う

存分ご活躍ください。

本学で自動車の整備に関

することをすべて学んだわ

けではありません。基礎を

固めたのです。技術には終

りはありませんが、人の一

生には限りがあります。自

分が成長するためには、い

ろいろなことに挑戦しな

がら、疑問を持ち、その疑

問を解決しながら成長する

のです。半世紀を越えた伝

統をもつわが自動車短大を

卒業したことが、どれほど

諸君の自信につながること

か、丁酉会会員である多く

の先輩の活躍ぶりを見て、

私は自信を持って諸君に伝

えることができます。大学

は諸君の大成を祈っていま

す。最

後になりますが、丁酉

会の益々のご発展と会員の

皆様のご健勝、ご家族のご

多幸を祈りながら、母校に

対する応援も忘れずに、と

お願いする次第です。

平成十九年十月二十六

日、自動車工業科の宮下義

孝教授が、長年にわたる自

動車整備技術者育成に尽力

された功績によって、国土

交通省において冬柴鐵三国

土交通大臣から「自動車整

備士養成功労者表彰」を受

賞されました。

宮下先生は昭和四十年四

月に北海道自動車学校整備

専攻科助教師として奉職

し、昭和四十五年四月に本

学の自動車工業科助手に

着任、以来三十七年

間の長きにわたり自

動車整備技術をはじ

め、主に自動車検査

を専門分野とした教

育・研究に専念し、

多くの優秀な卒業生

を送り出してきまし

た。また、士別市西

士別東の沢に設置さ

れた寒冷地技術研究

会のテストコースに

おいて、平成元年か

ら一貫して雪氷路に

おける自動車の運動

特性に関する研究を

続けています。学外

においては、昭和五十四年

八月から北海道運輸局自動

車整備士技能検定専門委員

の公職に就かれています。

先生の受賞を記念して、

平成十九年十二月八日にホ

テルニューオータニを会場

として、祝賀会を開催いた

しました。社団法人・札幌

地方整備振興会・専務理事

の山田國男様、北海道自動

車短期大学丁酉会

会長の

九谷田旭様をはじめ、先生

にゆかりのある六十名が集

まり、先生のこれまでのご

努力に対する慰労と、受賞

の祝福を致しました。

 

北海道自動車短期大学

    

教授

城戸 

章宏

り、祝電披露の後、初代会

長森茂樹様の祝杯の音頭に

より祝宴に入りました。

DVDによる思い出の画

像がスクーリンに写し出さ

れ、思い思いに昔話に花が咲

き、恩師小田切先生の(八十

歳昔と変わらず)なつかしの

話が終わるころ、校歌が生

演奏でバックステージから流

れ、大野隆様(四十三年自

工卒)結成のバンド六名(全

員OB)からなる、カーブラ

ザーズOB&ユカによるアメ

リカンホップスの演奏が始ま

り「朝日の当たる家」から「ア

イ、キヤン、ストップ、ラブ」

まで全10曲、ユカさんの素晴

らしい歌声と素人離れした

演奏に時の過ぎるのも忘れ

た一時でした。本当に式典

を盛り上げてくれました。

人材の幅の広さに改めて感

銘しました。

最後に前会長の鷲田久三

様から更なる発展、団結を

との言葉をいただきバンザイ

三唱で式典を終了しました。

その後二次会では札幌支

部高柳副支部長の幹事役で

ススキノに集合、飲み歌い、

更なる団結を誓いあってい

ました。

紙面の都合上個人個人の

功績を載せられませんが、

体調不良のところ一時期病

院から抜け出してまで準備

会議に出席いただいた今田

実行委員長、整備業界、全

道整備振興会をまとめてく

れました札幌整備振興会の

山田専務様、各地方整備振

興会幹部の方、ソーラカー

オーストラリヤにひき続き

多額の協賛金をいただきま

したJ社様、各支部長、本

部の先生方、札幌支部役員

の皆様、また、個人的に協

賛金寄附、記念誌寄稿等に

いろいろご苦労をかけた会

員皆様にこの紙面を借りて

厚くお礼申し上げます。実

行委員会として正直これほ

ど盛り上がるとは思ってい

ませんでしたし、いろいろ

な業種で幅広く活躍してい

る丁酉会会員を改めて認識

をした五十周年行事プロセ

スでもありました。

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国土交通大臣表彰受賞

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『就任後の二年間を振り返って』

宮下義孝教授

丁酉会五十周年事業をど

のような形で行うか、平成

十七年四月本部四役会を開

催し素案を作成、翌月五月

本部幹事会で札幌支部を中

心で運営してほしいとの会

長からの命により十一月本

部、札幌支部合同役員会に

て実行委員長に大学、会員、

自動車業界にも信頼の厚い

今田名誉教授を推薦し快諾

を得ました。

事業計画書、予算、組織

表等作成し平成十八年七月

に実行委員の委嘱も兼ねて

第一回実行委員会を母校二

号館視聴覚教室において各

支部長、歴代の幹部会員、

札幌支部役員、全道自動車

整備振興会幹部の皆様の出

席をいただき各業務分担、

傘下の会員に対する協賛金

等の依頼をしました。

本部、札幌支部役員によ

る式典ポスター、奉賀帳、振

込依頼書、記念誌の広告依

頼を持参によるディーラー、

整備専業、関係団体、他業種、

損保関係に対する訪問を実

施し、各支部の年次総会に

も本部より出席し協力を依

頼しました。

打ち合わせのその数は

約三十回に及んだと思いま

す。各地方支部の役員の方

も同様にご苦労し感謝申し

上げます。

式典当日は台風接近の予

報もあり、心配しましたが快

晴に恵まれ、丁酉会メモリア

ルホールとして改装になった

二号館一階ラウンジに大型液

晶テレビ、椅子、テーブル新

調、食堂調理室の改装、今

田実行委員長寄贈のミニカー

七十六台、ダットサン、記念

誌及び写真を展示。玄関口

にはT型フォード、五十六年

工経卒井坂好伸(井坂商会)

社長様寄贈によるオペル・オ

リンビヤを展示、メモリアル・

ホールに相応しい雰囲気を醸

し出しております。

屋外には今後の出前授

業、入試対策を積極的に行

うための教材など積載可能

なマイクロバスを展示しま

した。一号館のソーラーカー

研究会ではソーラーカーを

展示し研究の成果に多くの

OBが感動しておりました。

各々、周辺の散策に出かけ

母校、中の島の変わりよう

に感無量のようでした。

午後六時からホテルライ

フォート札幌にて記念式典、

祝賀会を開催、九谷田会長、

今田実行委員長の挨拶に始

まり、南は東海支部、北は

オホーツク支部、全国十七

支部全会員二万六千余名の

更なる団結で「会員の相互

親睦と母校の発展に寄与」

せよとの撤がありました。

来賓として、ご臨席いた

だいた丸山学長から寄贈の

お礼と大学の現状と今後の

展開について丁酉会に期待

するものが大であるとの祝

辞をいただきました。

業界を代表して札幌整備

振興会会長、高薄浩志様か

ら業界発展には多大な寄与

をいただいたこと、今後も人

材育成には努力をしてほしい

旨の祝辞をいただきました。

丁酉会からメモリアル・

ホール、マイクロバスの贈

呈、井坂商会からオペルオ

リンビヤ寄贈、に対して、

大学から感謝状と式は進行

して行きました。

次に、丁酉会の功労者

六十九名を代表して関東支

部会長栗原孝充様に感謝状

と記念品が渡されました。

入試部長の城戸教授から

マイクロバスをフル稼働す

るので学生の推薦、教材の

提供をよろしくとの話があ

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丁酉会五十周年記念事業

記念式典及び祝賀会のお礼

札幌支部長 

   

佐 

竹 

欣 

五十周年記念事業実行副委員長

Page 2: 就任後の二年間 - 北海道科学大学E-mail: bz095964@bz03.plala.or.jp 北海道自動車短期大学丁酉会 会 長 九谷田 旭 北海道自動車短期大学 長 丸

自短に入って早二年、振

り返ってみると短かった。

入学式の日、顔合わせで

「変なやつばっかりだ。ど

ないしよ。自分はここで

やっていけるのかな?」と

いう不安があった。が、持

ち前の空回りキャラでなん

とかなるさと勢いまかせで

いったらすぐに仲良くなれ

た。その後、学校にはとり

あえず毎日行ったが勉強は

全くせず、一年最初の試験

は最悪の結果。それでも「何

とかなるんじゃ」と楽観的

な考えのまま夏休み。その

うちバイトも部活も、さら

にOBの方の影響でレース

活動も始めた。車の楽しみ

方と怖さを同時に再認識

し、何よりレースの楽しさ

に引き込まれた。そうして 北

海道自動車短期大学

 

第五十五期学生自治会会長

   

二年 

原  

竜 

自動車工業科三十二期生

旭川支部

横 

山  

等 

ソーラーカー研究会顧問

 

授 

山 

崎 

信 

(2)2008 年 3 月 15 日

いるうちに、担任から自治

会の話が来て、目立ちたが

りの自分は、会長に立候補

し、見事に当選。たいした

ことは出来なかったが、学

祭はそこそこ楽しかった。

そして二年に入り、さす

がにやばいと思い、授業に

参加。そこそこ勉強し、学

生の間でなければ遊べない

と思い、時間の許す限り遊

んだ。最後の夏休みは毎

日のようにひたすら海通い。

でも整備士試験を控えた今

は地獄の講習の日々。楽し

みは昼飯くらいだが、試験

が終わった時、笑っていた

い。〝今を頑張る。これを

見る頃笑っているか、泣い

ているか。今、この瞬間に

かかってる。自短全員、受

かるようにガンバルべし!!〞

バブル社会の絶好期、私

は神奈川県、横浜市の某保

険会社が委託する技術ア

ジャスターの卵となり、社

会への第一歩を踏み出しま

した。

この仕事は、皆様ご存知

のとおり「車体整備」部門

で、「外板」「内板骨格」の

名称と、板金見積もりに関

する勉強で、連日先輩にた

たき込まれ、何とか見積書

が書けるようになりました。

また、幸いして実家が修

理工場でしたので、同僚よ

りも若干の知識があったこ

とで資格取得後、現場に出

る機会が早かったような気

がします。

横浜・横須賀・鎌倉・川

崎方面で約五年間、ディ

ラーさんやその他の修理工

場への見積もりの立会いに

足を運ぶ毎日でした。ある

工場では生意気だと殴られ

そうになり、高級車、スー

パーカーの立会いで高い修

理見積もりを見て、腰を抜

かすような記憶もありまし

た。そ

の後、帰旭して損害保

険代理店の資格を取得する

ため、研修委託社員となり

資格取得後、実家の修理工

場に勤務したのが、十六年

前で、やっと見積書作成の

コンピュター・ソフトが発

売された頃です。車検料金

または、整備料金も割安感

がなく、専業者は生き生き

していたように思います。

入社後、旭川の「整備青

年経営研修会」の一員とな

り、畑違いの私は、何だか

七月二十七日〜二十九日

まで三日間のソーラーカー

耐久レースである「全日本

学生ソーラーカー&FCカ

ーチャンピオンシップ」(J

ISFC)に今年も参加を

しました。我がチームの

「スリスⅥ」はフルサイズ

カテゴリー(大型サイズ)

のストッククラス(市販品

使用クラス)に毎年参加を

してきました。このクラス

は参加台数も最も多く激戦

クラスです。二〇〇五年は

東海大学と激しく競り合い

ましたが惜しくも準優勝、

二〇〇六年は念願の優勝を

飾ることができました。そ

して、二〇〇七年はデフェ

ンディングチャンピオンと

して二連覇をかけての挑戦

です。昨年優勝したためか、

レース後のソーラーカー研

究会の活動がほとんど行わ

れず、マシーンも昨年のレ

ース終了後の状態のままと

なりました。出発の直前に

モータが動かないことが判

明し、原因を調べましたが

分らずフェリーの時間もあ

り、そのままトラックに載

せて出発しました。秋田の

大会会場に到着後、モータ

ーセットを交換し、走行が

可能になり車検を無事通過

し、一安心しました。翌日

のタイムトライアルで再び

モータが動かなくなり、タ

イムトライアルをキャンセ

ルし、最後尾からのスター

トとなりました。さらに翌

日のレースに望みをかけて

モータ・メーカーの担当者

と電話連絡をしながら原因

を調査して、何とか動くよ

うになりました。いよいよ

レース初日のスタートとな

りましたがスリスⅥのモー

タは全く動かずピットへ押

して戻りました。その後二

度にわたり予備モータと予

備コントローラを交互に載

せ換えて再スタートするも

ののコース上で停止し、レ

ッカー車を二度も要請する

ハメになりました。最初か

ら二周ペナルティでしかも

四時間のロスタイムという

最悪の状態でレースが始ま

りました。疑心暗鬼になり

ながらはじめてチームが一

丸となってトラブルシュー

トをやっているところにモ

ータ・メーカーから代替コ

ントローラが届きマシーン

に載せ換えるとスリスⅥは

生き返りました。今までの

トラブルが嘘のように残り

快調に走りだし、残り三時

間で七周(一七五㎞)を走

行することができました。

しかし、二度にわたるレッ

カー出動のペナルティで二

周減算され記録は五周でク

ラス最下位と苦しい一日と

なりました。翌日は、天候

が悪化し、ソーラーでの発

電がほとんどできない状況

で他のチームが走行距離が

伸びない中、前日ほとんど

走行をしていないスリス

Ⅵはバッテリ残

量が充分あり九

周(二二五㎞)

を走行し、クラ

ス二位へと浮上

しました。最終

日である三日目

に逆転の望みを

かけスタートし

ました。この日

は晴天に恵まれ

十分なソーラー

発電量が得られ

巡航速度も六〇

㎞/hを越え順

調な走行ができ、

十三周(三二五

㎞)を走行し見

事クラス優勝を

モータースポーツ研究部

は様々なオフィシャル活

動や走行会などに参加し、

モータースポーツの楽しさ

を知るクラブです。この紙

面を借りて、秋の北海道ス

ピードパーク(HSP)走

行会についてご報告いたし

ます。

HSP走行会は私たち一

般の人間で自分の車を限界

速度で走らせられる、めっ

たにないイベントです。秋

の走行会は十月八・九日の

日程で行われ、一日目は北

海道工業大学同窓会所有

の芦原ニセコ山荘に宿泊

し、サーキット走行の勉強

会を実施、その後OBも参

加した懇親会を楽しみま

した。私は、普段は話すこ

とのない先輩やOBの方々

に色々な話を聞かせていた

だき、自分の将来を考える

上で大変参考になりました。

走行会当日は前日から続い

たあいにくの雨で気温も低

く、コンディションとして

は良くない状態で行われま

した。私の愛車(

ホンダ・

ドマーニ)

も上手くコント

ロールすることが出来ず、

何度もスピンをし、しかも

ノーマル車なのでタイムも

イマイチでした。参加者の

中でレーサーであるOBの

安宅さんのヴィッツに乗せ

てもらい、理想のコース取

丁 酉 会 新 聞

自動車工業科十一期生

 

関東支部副支部長

熊 

谷 

英 

雄 

私が自短を卒業した昭

和四十年、それはこの国が

成人を迎えた年でもあった。

この国が焼土と化した敗戦

から二十年、ようやく戦後

の貧困から脱却し、欧米先

進国とどうにか肩を並べは

じめた時代であった。

敗戦直後は『貧困からの

脱却』、つぎには『欧米先

進国に追いつけ』が、こ

の国のスローガンであった。

そして諸外国が目を見張る

中、あっという間に戦後復

興を成し遂げ、成長路線を

ひた走りに走り続けたので

ある。

どうにか欧米諸国に追い

ついてもこの国の指導者た

ちは一向に手綱を緩めよう

とはせず、つぎには『追い

越せ』をスローガンにした

のであったが、それももの

の見事に達成したのである。

欧米先進国が半世紀ある

いは一世紀もかけて歩んだ

道のりを、僅かに数十年で

走りきったのだ。

だが、そのような経済至

上主義の陰で、計り知れな

い負の遺産が蓄積されて

いった。光が強い分、陰も

また強いものになったので

ある。大気汚染、環境破壊

わからず在籍し副会長にま

でなりました。車検台数も

当初よりも倍以上に増え、

若干ながら販売なども延び

てきています。この「青研」

の影響もあると思います。

規制緩和より業界は日々

変革しております。当社も

社会動向に併走するため、

全国規模の組織団体に数年

前より加入させて頂き、そ

れが経営の基盤となりつつ

あります。また地域の自分

を守備するような業界独自

の集まりよりは、異業種の

方々と接したり、訪問して

いる時が一番気が休まるよ

うです。

結びとしまして、進化・

改革・成長と簡単な漢字

でありますが、会社組織の

運営が、いかに試されるか

の時期であります。代表に

なって三年目、ただ流され

る毎日であってはならない。

流れを蘇生される毎日であ

るよう心掛けております。

広いフェアウェイで冷静

に判断できることを胸に刻

み、明日への期待といたし

ます。

が猛スピードで進んでいっ

たのである。この国におけ

る大気汚染の歴史は、殖産

興業政策が推進された明治

の初期にまでさかのぼるの

だが、その時代『公害』と

いう言葉すらなかったのだ。

環境問題が表面化し社

会的なテーマとなったのは、

初めて光化学スモッグが発

生した昭和四十五年以降に

なってであった。

環境汚染は、地下水脈の

ように確実に列島全域に広

がりつつあったのだが、企

業は効果的な手を打たな

かったばかりか、その責任

を認めようとはしなかった

のである。また、国もそん

な企業の姿勢を擁護した。

だが、いつの世も企業や

国を動かす社会の潮流をつ

くるのは国民であり、当時

の国民の意識レベルもまた、

成長に軸足を置いていた

のである。識者からは企業

の責任を追及する声もあっ

たのだが、そんな世の中の

潮流の前に力にはならな

かったのである。だが、昭

和四十五年に光化学スモッ

グが頻発するに至って、政

府は重い腰をあげ翌四十六

年に環境問題を一手に司る

『環境庁』を発足させたの

である。この国の環境対策

が積極的に動き出したのは

この頃からである。

今、我が国は、省エネや

環境問題で世界をリード

している。今や省エネと

環境は同根のテーマであり、

かって環境汚染大国という

不名誉な冠を与えられた日

本としての当然の責務でも

あるだろう。

『同じ過ちを繰り返さな

い』。無論、この国がでは

なく、グローバルなテーマ

だ。中国やインドなどの新

興国に、かつてこの国が歩

んだ忌まわしい道を歩ませ

てはならない。

りを教えていただき、少し

ずつタイムが縮まった時は

自分でも驚き、感激してし

まいました。経験のない

私は、最初のうちはコース

をおびえながら走っていて、

タイムが増える一方でした。

そんな私に安宅さんが理想

のラインと「楽しんでやる

ことが大事だよ。」との言

葉を頂き、自分の限界を出

し切ることが出来ました。

コースはウエット状態の

ため、何台かはコースアウ

トするなど多少のトラブ

ルは有りましたが、全員無

事に笑って記念撮影をして

解散することが出来ました。

走行タイムよりも皆が楽し

く走れ、一人のけが人も出

なかった事が一番良い結果

だったと思います。ちなみ

にトップタイムはランサー

エヴォリューションⅦで参

加のOB猪川さんで、一度

助手席に乗せてもらったの

ですが、あまりの迫力に思

わず絶句してしまいました。

こんな凄い人たちと一緒

に走ったりすることが出来、

モータースポーツ研究部に

入部したことに幸せを感

じています。クラブ活動を

通して今後も多くのレース

活動に関わっていく経験が、

大学生活の一番の思い出と

なっていくだろうとワクワ

クしています。

モータースポーツ研究部

自動車工業科一部 

一年 

矢 

部 

敬 

之  

果たし、二連覇を達成する

ことができました。今回の

大会でソーラーカー研究会

始まって以来のトラブルに

見舞われ、参加メンバーは

事前準備と普段のメインテ

ナンス、そしてチームワー

クが最も大事であることを

経験できた有意義な遠征で

した。

後輩諸君は全日本チャン

ピオンとしての自覚をもっ

てマシーンを最良の状態に

維持し、全日本三連覇を目

指してください。

表彰式を終えて

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北海道スピードパーク走行会参戦

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『JISFC2007で

    

2連覇達成!』

『JISFC2007で

    

2連覇達成!』

陽にかざした掌

『今この瞬間をガンバル!』

『今この瞬間をガンバル!』

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『今

年』

『今

年』

北海道スピードパーク走行会参戦

Page 3: 就任後の二年間 - 北海道科学大学E-mail: bz095964@bz03.plala.or.jp 北海道自動車短期大学丁酉会 会 長 九谷田 旭 北海道自動車短期大学 長 丸

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(3) 2008 年 3 月 15 日丁 酉 会 新 聞

丁酉会五十周年記念事業実行委員長

  

名誉教授 

今 

田 

美 

 

昭和三十二年九月に五十

名弱の卒業生が大学に集ま

り二号館講堂で第一回同窓

会を開催したのが今から

五十年前の九月でありまし

た。

 

会の名称は当時の学長代

理でありました武田直秀

先生の発案で、昭和三十二

年の干支で「ひのと、と

り」の年に当たる事に因ん

で「丁酉会」と命名されま

した。初代会長には一期卒

業生の森先生、幹事長には

二期卒業の今田が就任し卒

業生会員の親睦と、母校発

展の為に寄与する事を目

的として以来今日に至って

 

本日は丁酉会五十周年記

念式典に御出席頂きまして

誠に有難う御座います。

 

昭和三十二年七月に在札

の卒業生が中心となり、大

学に集まる機会がありまし

て、先生を囲んで学生時代、

特に開学当時からの苦労話

が時を忘れて話され、その

話の中で、恩師から毎年卒

業生が社会に巣立って行く

ことを考えると同窓会を設

立したら良いのではないか

という案が出され出席者全

員が同意して、それでは次

回の集りまでに同窓会の名

称を考えようと話し合われ

たので御座います。

本日は、皆様には何かと

ご多忙の所、丁酉会発足

五十周年記念式典にご出席

をいただき誠にありがとう

ございます。

この度は、札幌地方自動車

整備振興会会長でございま

す、高薄様を始めとして多

くの来賓の方々、また、母

校からは丸山学長、村山前

学長、並びに教職員の皆様、

そして、台風が北上する中、

遠方よりお越し頂きました

大勢の会員の皆様のご出席

をいただいて、この様に盛

会に記念式典が開催出来ま

した事を高い所からですが

お礼を申し上げさせていた

だきます。

ご案内のとおり、本会は

今日九月八日をもって、発

足五十周年を迎える事がで

きました。母校の開校より

四年遅れの発足ではござい

ますが、母校も開校時には、

校舎は借り上げで実験室

や設備もままならずご苦労

をされたそうでございます

が、本会も同様でございま

して、初代会長でございま

す森様を始めとして歴代会

長は会の運営や資金調達に

ご苦労されたと伺っており

ます。そんな先輩の努力の

お陰で、現在では南は大阪

にございます関西支部から

北はオホーツク支部まで全

国に十七支部がございまし

て会員も二万六千名を超え

ております。

このあと、ご紹介させて

いただきます五十周年の記

念事業も多くの会員のご

支援をいただき立派に実施

することができました。協

賛していただきました企業、

そして会員の皆様にこの場

を借りて改めてお礼を述べ

させていただきます「誠に

ありがとうございました」。

(中途〜省略) 

その後のモータリゼー

ションの急速な発展と共に、

本校並びに業界が大きく発

展していったのは皆様ご承

知のとおりでございます。

私の様にこの業界で働

く者にとって、自短卒であ

本日は丁酉会発足五十周

年、誠におめでとう御座い

ます。

僭越では御座いますが自

動車整備業界を代表致しま

して一言お祝いのご挨拶を

申し上げたいと思います。

顧みますと昭和二十八年

全国で唯一の自動車を専門

学科とする北海道自動車短

期大学が開校し、そして昭

和三十二年九月に卒業生に

より同窓会である丁酉会を

発足させ、本年で五十周年

を迎えられましたことは誠

に造詣のいたりで御座います。

以来半世紀にわたり、こ

の輝かしい歴史と伝統を築

いてこられました、会員の

皆様の情熱と努力に対し心

より敬意を表するしだいで

御座います。

先刻ご承知のように今日

において、自動車の普及は

目覚しく現在では自家用車

丁酉会五十周年記念事業実行委員会   

長 

九谷田   

丁酉会発足五十周年、お

めでとうございます。心か

らお祝い申し上げます。

大学は創立五十四年目を

迎えております。丁酉会も、

この五十年の間に、会員数

が増え、支部ができ、支部

の活動が活発になり、支部

に支えられながら本部も成

長しました。五十年という

年月は、ごく当たり前なが

ら、発足当時二十歳だった

卒業生が今年七十歳になり

ます。つまり、古希を迎え

るわけです。

私事で恐縮ですが、私は、

昨年古希を迎えました。

私は、ご縁があって、昨

年四月、北海道工業大学か

ら本学に籍を置いておりま

す。(工大開学当時の経過〜

中略)

本学は、自動車工業科を

軸にして、工業経営科が併

設され、その後、電子機械

のコースと経営情報システ

ムのコースを設けて、その

コースが後にそれぞれ独立

した学科に進展し、一時は

三学科体制で、全国八自動

車短大の勇として君臨した

時代もありました。

ここ十五年ほどの間に、

理科離れと少子化が重な

り、さらに、四年制大学へ

の進学率が高まり、全国の

短期大学が四苦八苦する時

代へと移ってきました。そ

の中で、本学は、自動車整

備士の養成課程を持ってい

る強みで、一千人もの受験

生を集めていましたが、平

成十年頃から、志願者が少

しずつ減り始め、おまけに

二級自動車整備士の合格率

が本学を取り巻く専門学校

に追い越されたりして、か

つての勢いを失いつつあり

ました。しかし、先生方の

献身的な努力により、十七

年度と十八年度は百%とい

う驚異的な成績を上げるこ

とができました。しかし、

その指導体制や平素の教育

システムにはまだまだたく

さんの改善しなければなら

ない問題を抱えたままで

す。

先般、「新たな社会的ニー

ズに対応した学生支援プ

ログラム」という文部科学

省高等教育局学生支援課

の募集に応募しまして、総

計二百七十二件の応募のう

ち七十件が採用された中

に、本学も入ることがで

き、今年と来年の二年間で

約三千六百万円の助成を受

け、「基礎学力習熟のため

の支援システムの構築」と

いう大事業を完成させる予

定です。また、ジュニア・

サイエンス事業にも応募し

て、「親子でエンジンの分

解・組み立て・始動を体験」

を小学生とその親御さんに

体験していただこうという

プロジェクトにも助成が決

まりました。このように本

学も頑張っていることを丁

酉会の皆様にご理解いただ

きたいのです。

(中略〜国土交通省の指導

と対応)

さて、話題を転じますと、

平成十七年七月に、短期大

学の卒業生には「短期大学

士」という学位が授与され

ることになり、同年十月か

ら適用されています。それ

まで称号だった「准学士」

からの大発展です。これに

よって、わが国の高等教育

で手に入れることができる

学位は、博士、修士、学士、

るということは業界のパス

ポートでございまして、こ

れまでにいく度助けられそ

の恩恵を受けたか語り尽

くせないものがありますが、

改めて、母校が長年に渡っ

て業界に果たしてきた役割

の大きさ、そして同窓の絆

の深さに感謝をする次第で

ございます。

今日ご出席の多くの方が

暮らしてまいりました二十

世紀は、人は「豊かさ」「便

利さ」そして「時間の短縮」

を追求した世紀と言われて

いるようですが、その点で

は自動車は人の夢の実現に

大きく貢献したと思います。

しかし、二十一世紀は「ゆ

とり」「いこい」「やすらぎ」

という言葉に象徴されます

ように「自然との調和、協

調の時代」と言われており

まして、地球温暖化や石油

資源の枯渇問題、そして国

内で進む少子高齢化などを

考えますと母校そして業界

は大きな岐路に立たされて

いると思います。

そんな変化の時代に、発

足から五十年間変わってい

ないのは本会の目的でござ

いまして、それは、「母校の

発展と、会員の親睦」でご

ざいます。(一部〜省略)  

最後に成りましたが、この

大きな節目の時に会長とい

う大役をまかされ、恩師で

ございます今田先生、そし

て同窓の皆様と一緒に記念

事業をさせていただきまし

た事に感謝とお礼を申し上

げ、今日ご出席の皆様のご

健勝と母校の益々の発展を

ご祈念申し上げて、私の挨

拶とさせていただきます。

おります。現在の会員数は

二万六千名と大きな組織と

なりました。本部は学校内

に一室を設け、事務局とし

て活動をし、支部は本州に

九支部、道内に八支部と計

十七支部が支部長を中心と

して会員の情報交換を行い

同窓会の輪を広げ、親睦を

深めております。

 

この度五十周年の記念事

業の企画にあたり、運営は

丁酉会札幌支部が中心と

なり推進してゆく事となり、

佐竹支部長、茄子川副支部

長をはじめ、支部役員、本

部からは九谷田会長、他役

員、そして業界代表として

は、地方自動車整備振興会

に勤務している卒業生に

参加頂き、実行委員会組織

を編成し、平成十九年七月

二十九日、十五時より母校

に於いて、第一回実行委員

会を開催し活動して参りま

した。

 

事業の内容としましては

◎卒業生と在学生の交流の

場とする記念ホールの設置。

 

大学当局にお願いし、T

型フォードをはじめとす

るクラッシックカーの展示、

母校の歴史資料の展示、並

びに休憩懇談の場を配置し、

卒業生が母校に来られた時

に利用可能なホールの設置。

◎クラブ活動、大学のPR

に活用を目的とするマイク

ロバスの寄贈であります。

 

卒業生の皆様のご協力に

より完成することが出来ま

した事を厚くお礼申し上げ

るしだいで御座います。

 

尚、母校に来学される機

会が御座いました折りには

是非こちらの記念ホールの

方へもお立ち寄り下さいま

す事をお願い申し上げ、挨

拶とさせて頂きます。

専門職学位に短期大学士が

加わりました。それに伴っ

て、大学の教師は修士か博

士の学位を持っていること

が条件となりました。

このように、教育界にと

りましてもいろいろ難しい

時代であります。同窓の皆

様におかれましては、どう

ぞ、ご健勝で、ますますご

活躍くださいますよう。そ

して、折に触れての同窓の

先輩後輩の交流の中で、ぜ

ひ、母校のこともお忘れに

なることなく、心からのご

支援を期待するものであり

ます。

最後になりましたが、皆

様のご援助により、二号館

の喫茶ホールが見違えるよ

うなメモリアル・ホールに

変身しました。いろいろな

催しなどに積極的に活用し

ます。また、立派なバスの

ご寄贈により、遠くの高校

に出向いての『出前授業』

や学生集めの手段など、本

学の名前を売り込むため

に、全学で活用するつもり

でございます。心から感謝

いたします。

五十周年のお祝いにして

は愚痴のようなことも申し

ましたが、母校へのいっそ

うのご支援をお願いして、

祝辞に代えさせていただき

ます。

では一家に二台という日常

生活に不可欠な存在となり

ました

こうしたモータリゼー

ションの進展の中、自動車

短大の卒業生の多くが、全

国の自動車関係の企業・団

体・官公庁そして自ら自動

車整備会社の経営などで

健全な車社会の発展のため、

ご活躍されていますことは

誠に喜ばしい限りで御座い

ます。

私が会長を務めておりま

す「社団法人札幌地方自動

車整備振興会」が今日ある

も多くの丁酉会の皆様の

ボランティア精神で要職を

担って戴いているおかげで

あります。

また私個人の会社に致し

ましても、これまで自動車

短大の卒業生を多数迎えま

したが、現在もなお多くの

卒業生は日常業務で大変活

躍していただいております。

そんなわけで私は公私にわ

たり丁酉会さんとはきって

もきれないご縁にあると

思っております

このように多くの卒業生

が社会から高い評価を受け

社会のそれぞれの立場で大

活躍をされておりますのも、

これもひとえにしっかりし

た学校教育による人材育成

があったればこそと思うの

であります。

この機会をお借りして

短大御当局の日ごろの教育

に対するご努力に敬意を表

し、深く感謝を申し上げた

いと思います

時代の移り変わりと共に、

自動車あるいは整備に対す

る社会の価値観も変化して

きております。私共がこの

時代の要請に答えるよう一

層の精進が必要かと思いま

す。丁酉会の皆様におかれ

ましても

今後とも

自動車

業界の先導役としてご活躍

されますことを念願してや

みません。

最後になりますが、歴史

と伝統を誇る、丁酉会は次

なる半世紀に向かって益々

のご優勢と、そして会員の

皆様におかれましても、こ

の記念すべき五十周年を機

に、思いを新たにされ、一

層のご奮闘とご繁栄をお祈

りいたしまして、お祝いの

言葉に替えさせていただき

ます。

本日は誠におめでとう御

座いました。

北海道自動車短期大学       

  

長 

丸 

山 

晃 

社団法人札幌自動車整備振興会    

  

長 

高 

薄 

浩 

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『五十周年記念式典挨拶』

『五十周年記念式典挨拶』

『丁酉会発足と命名の由来』

『丁酉会発足と命名の由来』

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『五十周年記念のお祝いと

     

最近の学校運営』

『五十周年記念のお祝いと

     

最近の学校運営』

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『丁酉会発足五十周年記念祝辞』

『丁酉会発足五十周年記念祝辞』

Page 4: 就任後の二年間 - 北海道科学大学E-mail: bz095964@bz03.plala.or.jp 北海道自動車短期大学丁酉会 会 長 九谷田 旭 北海道自動車短期大学 長 丸

(4)2008 年 3 月 15 日

「ドドッ、ドドッ・・・・。」

私の所有するバイクの音で

ある。

以前SR四〇〇に乗り、

その後に大型免許を取得し、

KATANA一一〇〇に乗

り、現在はハーレー・ダビッ

トソン・ソフテイル・スプ

リンガー・クラシック(通

称、FLSTSC)に乗っ

ております。ハッキリ言っ

て思い切って買いました。

購入した後のことを考え

自動車は三ナンバーのRV

車からランニング・コストが

安い軽自動車に乗り換えて

から手に入れました。周り

からは「何で

?」という質

問をされますが、理屈じゃ

ありません。「フィーリング

です!、フィーリング!」

今までのバイクでは、ツー

リングに行っても、旅館や

ホテルに宿泊していました

が、現在は、キャンプ場

にてテントを張って自炊と

いったように変化していき

ました。不思議なものです。

絶対に前者の方が楽な

ハズですが、現在は後者

なのです。「フィーリング

です!、フィーリング!」。

走るときの楽しみ方も変

わってきました。

「景色」「音」「風」などなど、

楽しめるのです!。今までと

は、まったく違うフィーリン

グです!フィーリング!。

しかしながら両親には理

解されず「結婚もしないで、

何やってんだか!」や、暖

機運転をしていれば「ウル

セー!」などと言われる始

末。友人とツーリングに行

くときも、「アンタは家の手

伝いもしないでドコに行くん

だい?」とでも言いたそうな

冷ややかな眼差しで見送ら

れ。しまいには「バイクが邪

魔だ!」です。ツライ!

しかし良縁を得て、昨

年やっと結婚しました!。

「フィーリングです!、

フィーリング!」。最初は、

ハーレーってカッコいい

よね!くらいにしか思っ

ていなかったヨメも、今

では、ハーレーに「タンデ

丁酉会発足五十周年の記

念誌の中に、自動車研究部

の初代部長であった安川雄

司氏の「草創期の自動車

研究部」が掲載されており、

興味深く読ませて頂きまし

た。私

は昨年から自動車研

究部の顧問となりました

が、私も学生時代この自動

車研究部の部員でした。今

から四十年近い昔のことで

す。当時、大学祭は六月に

開催されていて、これに出

展するため解体屋から手頃

な自動車を購入し、分解整

備してオリジナルの車体を

載せた自動車を製作しまし

た。材料は近くのマネキン

人形を作っていた工場から

分けて貰い、デザインした

車体の木型にマネキン人形

の材料を被せて車体を作り

ました。作業は毎日夜遅く

まで行われ、時には徹夜に

なることもありました。

無事、大学祭へ出展し、

夏休みには恒例の研修旅

行がありました。私が二年

生のときは総勢二十数名で

知床、サロマ湖、層雲峡を

回る旅行でした。この研修

旅行が終わり、秋になると

これも恒例であった活動報

告書の作成が行われまし

た。まだパソコンもプリン

タもない時代ですので、原

稿はすべて手書きで、それ

をガリ版印刷して製本しま

した。巻頭には当時の顧問

であった今田先生の言葉が

あり、一年間の活動の報告

と、研修旅行については全

旅程の時間と走行距離、食

事のメニュー、燃料の給油

量など、詳細な記録が作ら

れました。更に、部員のプ

ロフィールや、車検の受け

方やオイル交換など、自動

車に関するアドバイスなど

も載せられました。

完成した報告書は研修旅

行でお世話になった方や先

輩たちに郵送し、それが終

わると一年間の活動は終了

します。報告書は部員にも

一部ずつ配られました。私

のはどこかに行ってしまい

ましたが、当時部長であっ

た細川氏(現宮城支部長)

は今も大切にしており、そ

れにはオリジナルの自動車

を製作している様子や研修

旅行の写真があり、若々し

いと言うよりは生意気そう

な私の姿もありました。

自動車研究部は安川氏

の紹介によると昭和三十四

年に創設され、以来今日

に至っています。この間

四十九年、来年は創部五十

周年になります。正に本学

と共にあった自動車研究部

です。残念ながらこの間の

先輩たちの名簿は残ってお

りませんが、多くの先輩た

ちの意思を引き継いで、こ

れからも本学の代名詞とな

るような自動車研究部であ

りたいと思っています。

自動車研究部顧問

    

准教授 

斉 

藤 

克 

新入会員の皆さま、卒業お

めでとうございます。

学生時代に別れを告げて、

新しい世界でのご活躍に胸を

膨らませていることと思います。

新しく社会人となられ各地

に就職される皆さまに、丁酉

会では全国に支部を設立して

新会員をお待ちしております。

新しい勤務地では、何かと

不安なこともあるかと思いま

す。丁酉会では皆さまを、バッ

クアップするとともに定期的

に親睦会などを開いておりま

すので、お気軽に近くの支部

へ連絡をしてください。

また、近くに支部がない場

合は、左記母校の丁酉会本部

にご一報をお願いいたします。

丁酉会はあなたを

バックアップします

◇宮城支部

支部長

細川

史朗 

 

平成十九年六月九日、仙

台市宮城野区の仙台サンプ

ラザにおいて第二十五回定

期総会が開催され、支部長

以下二十六名の会員が出席

しました。

 

総会には、来賓として大

学から丸山晃市学長が、丁

酉会本部から近藤幹郎前幹

事長がそれぞれ出席しまし

た。

 

また、関東支部からは小

松優介支部長が出席しまし

た。

◇青森支部

支部長

田中

正治 

 

平成十九年七月二十八日、

青森市浅虫温泉「椿館」に

おいて一泊二日の日程で第

三十六回定期総会が開催さ

れ、支部長以下十六名の会

員が出席しました。

 

総会には、来賓として大

学から吉川眞利教授が、丁

酉会本部からは茄子川捷久

札幌副支部長がそれぞれ出

席しました。

◇東海支部

支部長

細川

哲也 

 

平成十九年九月八日、北

海道自動車短期大学におい

て第十五回定期総会が開催

され、支部長以下十名の会

員が出席しました。

 

この総会は、丁酉会五十

周年記念行事に合わせて開

かれ、来賓として大学から

丸山晃市学長が、丁酉会本

部から九谷田旭会長が、関

東支部からは小松優介支部

長がそれぞれ出席しました。

◇十勝支部

支部長

白間

憲二 

 

平成十九年十月二十七日、

帯広市内の帯広ワシントン

ホテルにおいて第二十五回

定期総会が開催され、支部

長以下四十八名の会員が出

席しました。

 

総会には、来賓として大

学から丸山晃市学長が、丁

酉会本部から九谷田旭会長

が出席しました。また、大

学からは城戸章宏教授、高

橋節子講師の二名も出席し

ました。

◇関東支部

支部長

小松

優介 

 

平成十九年十一月十八日、東

京都台東区のグリーンパークに

おいて第二十四回定期総会が

開催され、支部長以下二十五

名の会員が出席しました。

 

総会には、来賓として大学

から畠山収司教授が、丁酉会

本部から九谷田旭会長がそれ

ぞれ出席しました。また、東

海支部からは細川哲也支部長

が出席しました。

◇丁酉会本部幹事会

 

平成十九年四月二十一日、

ホテルライフォート札幌に

おいて本部の幹事会が開催

され、本部役員、幹事が委

任状も含めて七十五名出席

しました。また、幹事会に

は道内外の支部長が八名出

席しました。

 

会議では、平成十八年度

の会務報告、会計中間報告、

平成十九年度の事業計画に

ついて審議されました。

 

また、平成十八年四月から

取組まれている丁酉会発足

五十周年記念事業の進行状

況についての経過報告が行わ

れ、今田美明実行委員長か

ら事業計画の一部内容変更に

ついての説明がありました。

◇支部長会議

 

平成十九年四月二十一日、

北海道自動車短期大学にお

いて、本部幹事会に先立っ

て支部長会議が開催され、

札幌をはじめ道内外の八つ

の支部長と本部役員の合計

三十名が出席しました。

 

会議では、平成十八年四

月から取組まれている丁酉

会発足五十周年記念事業の

進行状況について、支部の

近況報告や支部活動も含め

て意見交換が行われました。

丁 酉 会 新 聞

当クラブ・メンバーは現

在、二年生二人、一年生六

人という構成ですが一年生

は、ほぼバレーは、未経験

からというスタートでした

ので、内心今年は大会の参

加は無理だと考えていまし

た。ところが北海道

男・

女バレーボール・リーグ秋

季大会の開催が知らされる

と、部員一同「大会に出た

い!」という熱い思いがふ

くらみ、急遽参加すること

になりました。

大会前日の代表者会議も

私の仕事が終わってからぎ

りぎりでの会議参加となり

肝を冷やしました。

大会は二日間で三試合、

審判も二試合裁いてきまし

た。 初

戦は、初めての大学バ

レーということもあり、緊

張が見られ敗退。

二戦目、三戦目は緊張も

取れ始め、善戦しましたが

惜しくも敗れました。

そして初めての公式戦の

審判も経験しました。う

まく出来るか心配でしたが、

顧問の心配をよそにしっか

りと審判を務めていました。

一年生は初めての大会で

ルールやマナーの他に、他

の大学との交流もあり大変

貴重な経験をすることが出

来ました。

バレーボール部顧問

     

教 

坂 

田 

知 

ム」(二人乗り)しツーリ

ングに行くことをとっても

楽しみにしています。時間

があれば北海道にも行って

みたいとも思っているので

すが・・・・。

なお両親の小言は結婚と

ともに減少し「ホッ」とし

ております。ヨメは、ハー

レーに対しては、理解を示

してくれているので、非常

に感謝しております。

「フィーリングです!、

フィーリング!」。

ENJOY・HARLE

Y・LIFE!!

自動車工業科 

第三十九期生    

   

宮城支部 

菅 

原   

現在部員は約二十名ほど

在籍しており、各々が授業

の空き時間を利用して練習

をしています。活動の場と

してはそのほとんどが、学

校祭のライブということに

なりますが、〇七年は学校

祭の他、十二月にクリスマ

ス・ライブと銘打って、地

下の部室でミニコンサート

をすることができました。

顧問のわたしも借り出され

てのコンサートでした。ク

ラブ活動というのは顧問が

幾ら促しても難しいものが

あり、やる気のある学生が

一人いることによって、活

動が活発になってくると思

います。

当大学には昭和四十年代、

カー・ブラザーズというバ

ンドがあり、かなりの実力

と人気を博していたという

話を聞くことがあります。

時は折りしもベンチャー

ズが世界中を席捲していた

時代でした。昨年の九月八

日、北海道自動車短期大学

丁酉会発足五十周年記念式

典にて彼らの演奏を聴く機

会に恵まれました。色々な

賞賛の言葉はあると思いま

すが、ただただ感覚として

の感動を受けることができ

ました。短大という二年間

の短い期間、授業や資格取

得にと忙しい中にあっても

何十年にも相当する財産を

作ることが出来たことへの

感嘆でもありました。人に

とって、感動するというこ

とは何にもまして大切なこ

とだと思います。音楽の力

には感動することへの要素

がいっぱいあります。その

為に、未来への音楽の役割

として、一人でも多くの人

にたくさんの音楽を発信す

ることだと思います。軽音

楽部の彼らが何かの形で感

動を得たり、音楽を楽しむ

ことが出来ることを期待し、

そのお手伝いが出来たらと、

思っています。

軽音楽部顧問

    

准教授 

長 

谷   

個人情報の保護について

丁酉会では会員(卒業生)

に対し総会・懇親会の案内状

や会報「ていゆう」を送付し

ていますが、個人情報保護法

が施行され、右の目的で会員

の住所などの情報を使用する

場合は個人の了解を得なけれ

ばなりません。

今後、会からの通知、案内

状、会報送付が必要でない方

は丁酉会事務局へご連絡くだ

さい。連絡がない場合は、個

人情報の使用について了解を

頂いたものといたします。

『自動車研究部員のころ』

『自動車研究部員のころ』

『バレーボール・リーグに参加』

『部活動で感動を得よう』

現在、学生の理科離れが

深刻な問題となっています

が、本学では工学系科目の

楽しさを広めるべく、自

動車に関する各種の出前

授業・実習を行っていま

す。昨年は九月から十一月

にかけて、厚岸汐見、苫小

牧南、日高、中標津、槍山

北高校の五校に行って来ま

した。その折、同窓会の丁

酉会から寄贈していただい

た「トヨタ・コースターバ

ン」をサポートカーとして

フル活用いたしました。サ

ポートカーにレシプロエン

ジン、ロータリーエンジン、

トランスミッション、ハイ

ブリッドシステムのカット

モデルなどを満載し、出前

授業・実習はいずれも大好

評でした。

特に、エンジン始動実習

では排気音に初めは尻込み

していた生徒達もエンジン

のメカに見入っていました。

今後は出前授業・実習の

メニューを更に充実させて、

本学ホームページなどで公

開していく予定です。小中

高を問わず、多くの学校か

らの申し込みをお待ちして

います。

入試部長 

授 

城 

戸 

章 

「相

棒」

「マイクロバスで実習出前授業」

「マイクロバスで実習出前授業」