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Meiji University Title ���-�- Author(s) �,Citation �, 37: 129-148 URL http://hdl.handle.net/10291/16525 Rights Issue Date 2013-02-28 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/
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朝鮮民主主義人民共和国の人権問題-その構造と国際 URL...

Feb 13, 2021

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  • Meiji University

     

    Title朝鮮民主主義人民共和国の人権問題-その構造と国際

    社会の動向を中心に-

    Author(s) 李,恩元

    Citation 政治学研究論集, 37: 129-148

    URL http://hdl.handle.net/10291/16525

    Rights

    Issue Date 2013-02-28

    Text version publisher

    Type Departmental Bulletin Paper

    DOI

                               https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

  • 政治学研究論集

    第37号 2013. 2

    朝鮮民主主義人民共和国の人権問題

    その構造と国際社会の動向を中心に

    Structures and International Movements on Human Rights

      Issues in the Democratic People’s Republic of Korea

    博士前期課程 政治学専攻 2011年度入学

        李     恩  元

                YI Eunwon

    【論文要旨】

     朝鮮民主主義人民共和国(以下,北朝鮮)の人権侵害の実態が憂慮され始めたのは,国際的に普

    遍的人権に対する認識が発展していく潮流のなかである。この憂慮は,諸国の安全保障上の問題と

    北朝鮮に対する人道的援助により,一層深まっていく。しかしながら,今日のように北朝鮮の人権

    状況が国際社会の問題として議論されるようになったのは,21世紀になってからであり,北朝鮮

    で暮らしている人びとの人権と基本的自由は,約半世紀もの間国際社会から放置され後回しされて

    きた。

     そこで本稿は,近年活発となりつつある北朝鮮人権研究に新たな土台を築くための試みとして,

    国際社会において争点になりつつある北朝鮮の「人権問題」が人権侵害の実態だけでなく,それを

    取り巻く諸状況を含めて構成されることに着目して,北朝鮮における人権侵害のメカニズムを分析

    し,「人権問題」の構造を明らかにする。このことにより,北朝鮮を理解するための新たな枠組み

    を,そして理論的かつ実際的側面における人権の諸論争及び東アジアの安定と平和に有効な解決策

    を示すことが可能になる。

    【キーワード】 北朝鮮,人権,普遍的人権,人権問題,人権研究

    朝鮮民主主義人民共和国(以下,北朝鮮と略す1)は,ソ連を中心とする社会主義陣営の人民民

    1但し,韓国語文献からの引用の場合は「北韓」と記す。

    論文受付日 2012年9月24日  大学院研究論集委員会承認日 2012年11月7日

                  一129一

  • 主主義国家の一っとして,1948年9月9日,朝鮮半島の北部に建国された。それは,日本の敗戦

    に伴い,朝鮮半島においてソ連とアメリカが分割統治したことによってもたらされた結果であっ

                                     ま    た。その後,北朝鮮はマルクス・レーニソ主義に基づく社会主義からチュチェ思想を確立してい

                  キム イルソソく。その過程における「領袖」金日成に対する崇拝及び神格化は,北朝鮮社会を全体主義化し,

    今日における3代世襲をも可能とした。それはまた,東西冷戦の本格化,スターリソ批判,中ソ

    対立,そして東欧における社会主義陣営の崩壊による国家的危機を乗り越える,体制安定の手段と

    しての役割をも果たした2。

     しかし,冷戦の終結及び普遍的人権に対する認識が発展していく潮流のなか,国際社会は北朝鮮

    の甚だしい人権侵害の実態を憂慮しはじめた。この憂慮は,諸国の安全保障上の問題と北朝鮮への

    人道的援助をめぐる問題によって一層深まっていく。だが,北朝鮮の人権侵害は,国家によって組

    織的に行なわれ,且つ広範囲に亘っている,北朝鮮の建国初期から続いてきている慢性的な問題で

    ある。それにもかかわらず,北朝鮮で暮らしている人びとの人権と基本的自由は,約半世紀の間,

    国際社会から放置され後回しされてきた。このことは,北朝鮮の「人権問題」の本質でもある。と

    いうのは,既に示唆したように,今日における北朝鮮の人権状況は,侵害の主体である北朝鮮のみ

    ならず,北朝鮮の現状に沈黙又は同調してきた諸国,そして人権の普遍性を訴えつつも北朝鮮の人

    権侵害をめぐる不条理に消極的な態度をとり,時には政治的な手段として人権を利用した諸国によ

    り現出したからである。それに加えて,北朝鮮の人権状況を評価するにあたって,その基準となる

    人権の適用範囲が,主に「市民的・政治的権利」に偏重する傾向にあることを指摘せざるを得ない。

    この点については後章で詳しく論じていくが,こうした傾向が北朝鮮側による人権に対する批判に

    都合のいい口実となっていることは否めない。

     しかし一方では,北朝鮮の人権状況に対する国際社会の関心が高まってきたことで,僅かながら

    北朝鮮の人権改善に一定の成果が得られた。例えば,1998年に改正された憲法において「居住,

    旅行の自由」(第75条)が挿入されたこと,申訴請願法3の採択,刑法及び刑事訴訟法の修正,そ

    して2003年に制定された障がい者保護法などがそうである4。このことは,北朝鮮における人権状

    況が実質的に改善されたとは言い難いものの,法制度の面では人権政策と人権概念が限定的ではあ

    るが緩められたことを示唆すると言える。

     そこで本稿は,国際社会において争点となりつつある北朝鮮の「人権問題」が,人権侵害の実

    2アンドレイ・ランコフ(下斗米伸夫,石井知章訳)『スターリソから金日成へ:北朝鮮国家の形成1945-1960』

    法政大学出版局,2011年,74-8頁。

    3申訴請願法とは,「自分の権利と利益に対する侵害を防ぐこと,または,侵害された権利と利益に対する回

    復を要求できる」(第2条)法律である。北韓資料センター「北韓法令」〈http:〃unibook.unikorea.go.kr

    /?sub-num=53&state=view&idx=114&sty=T&ste=%BD%C5%BC%D2>(2012年7月14日アクセス)

    4ホ・マンホ「北韓人権改善に向けた政府と民間団体の役割及び国際的協力の方策」(・国家人権委員会編『北

    韓人権改善に向けた中長期的政策ロードマップに関する公聴会』ソウル:国家人権委員会人権政策課,2011

    年所収),76頁。

    一130一

  • 態5だけでなく,それをめぐる諸状況を含めて構成されることに着目して,北朝鮮における人権侵

    害のメカニズムを分析し,北朝鮮の「人権問題」の構造を明らかにする。

     第1章では,北朝鮮の政治体制を人権に関連づけながら分析し,北朝鮮の主張する人権概念に

    ついて概略する。また,普遍的人権が国際社会において促進されてきた「人権の普遍化」が,北朝

    鮮にどのような影響を与えたかについての考察を行いたい。第2章では,「人権の普遍化」に対す

    る反動として,国内の人権侵害の実態が国際的な論争及び懸案となった「人権問題の国際化」にお

    ける北朝鮮及び関連諸国の動向について論じるとともに,北朝鮮人権研究の現状について検討す

    る。そして第3章では,本稿の結びとして,北朝鮮の人権状況をめぐる問題の構造を明らかに

    し,北朝鮮の「人権問題」を再定義する。

     このように本稿は,依然として未解決のままである北朝鮮をめぐる諸問題を人権の観点から分析

    することにより,問題の解決に向け,近年活発となりつつある北朝鮮人権研究に新たな土台を築く

    ための試みでもある。このことは,理論的かつ実際的側面における人権の諸論争について考察する

    とともに,北朝鮮を理解するための新たな枠組みを,そして東アジアの安定と平和に有効な解決策

    を示唆するであろう。

    第1章北朝鮮の政治体制と「人権の普遍化」

    第1節 北朝鮮の政治体制

     北朝鮮の崩壊論は,「社会主義」に対する「資本主義」の勝利と称された冷戦が終結されてから

    絶えず提起されている。しかし,こうした「期待」とは裏腹に,1990年代における「国際関係の

    構造的変化,社会主義的な対外経済関係の喪失,最高指導者である金日成主席の死去,二年連続の

    洪水に伴う食糧難の深刻化」6などの危機的状況においても,体制については安定的に維持されて

    きた7。この異様ともされる安定は,北朝鮮の半世紀以上に及ぶ全社会成員の「思想革命」8という

    名の統制の成果でもある。このような初期北朝鮮社会(金日成体制)における精神の改造と思想の

    教化,身体の拘束は,国家の政策として行なわれ,北朝鮮社会を全体主義化するに十分な条件を満

    たした。それに加えて,「敵」9を目立たせ,植民地時代または戦争の記憶を想起させるプロパガン

    ダは,北朝鮮の体制をより強固にしたと言える。

    5本稿では,紙数の制約により,北朝鮮の人権侵害の実態について詳細を述べることはできないが,簡単にま

     とめると,(D国家による,移動,宗教,表現,集会・結社の自由及び身体の安全に対する諸権利の剥奪,(2)

     強制収容所の運営,(3>脱北難民の人権侵害,(4)日本と韓国などにおける拉致と離散家族の問題と要約できよ

     う。

    6小此木政夫「危機の中の強靭な政治体制」(伊豆見元ほか編著『北朝鮮・その実像と軌跡』高文研,1998年

     所収),10頁。

    7小此木は,「率直にいって,北朝鮮国家が存続している最大の秘密は,最高指導者を頂点にする特異で強靭

     な政治体制にある」と述べている。同上,12頁。

    8「思想革命は,人々の思想・意識の領域からも資本主義を完全になくし,すべての勤労者を革命化,労働者

     階級化する最も深刻な革命である。」金漢吉『現代朝鮮史』外国文出版社,1979年,435頁。

    一131一

  •  但し,ここで注意しておかねばならないことは,国際社会において「悪の枢軸国」,「ならずもの

    国家」,「犯罪国家」などのレッテルを貼られた北朝鮮だが,北朝鮮体制の犠牲者の大多数が「国内

    の住人」である10ことを想起する必要があるということである。

     その背景としては,北朝鮮における個人としての人間を撲滅する恐怖政治が「民族主義」を中心

    に強化されてきたことにあると言っても過言ではない。それは,朝鮮半島の北部における新体制の

    誕生とともに,朝鮮王朝時代からの伝統的な儒教思想と共同体主義から派生した「有機体的共同体

                             N   N   へ   ’   N   )   )   }主義」11へ,また,植民地支配下及び朝鮮戦争における民族のための戦いを褒めたたえる「反帝国

    主義」へ移り変わり,北朝鮮社会において閉鎖性と排他性を根付かせた。さらに,初期北朝鮮の体

    制に対して,日本の統治下で抗日運動を続けてきた朝鮮の民族主義者,共産主義者,そして抑圧さ

    れていた大多数の民衆による抵抗が,南側の反共的な市場経済体制に対する抵抗よりも相対的に弱

    かった点12は,社会における全体主義化を加速させることにも寄与したと言える。

     それに加えて,上記のような北朝鮮社会の集団主義的,文化的,歴史的特性により,国家の「マ

    ルクス・レーニソ主義の革命的な社会主義原則」13までが「歴史的対立の『単位』として,プロレ

    タリア階級の代わりに民族を想定」14した「チュチェ思想」に組み込まれた15。それは,金日成を

    民族の父親(首領)とする,位階的で有機的な結びつきを強調する極めて「伝統的なコーポラティ

    ズム」16と不可分の関係にあると言えよう。

     上記のような特徴を持つ北朝鮮の政治体制については,これまで,(1)「国家的共産主義」(ヘン

    ダーソン,1973),(2)「首領制国家」(鐸木,1992),(3)「遊撃隊(正規軍)国家」(和田,1993;

    9三浦は,北朝鮮体制の「目指すもの」について次のような鋭い指摘をしている。「『帝国主義』という外部の

     敵と,内部に忍び寄る『ブルジョア思想』との永遠の闘争である。その闘争に備えるための,党と全国民の

     全体主義的な団結と『たえず新たな勝利を目指す』全体主義運動の展開である。」三浦小太郎『嘘の人権

     偽の平和』高木書房,2010年,96頁。

    10ガバン・マコーマック(吉永ふさ子訳)『北朝鮮をどう考えるのか 冷戦のトラウマを越えて』平凡社,

     2004年,26頁。

    11朝鮮王朝時代における儒教(とりわけ,礼学と譜学)の定着は,社会的には家族(親族)共同体,村落共同

     体(例えば,18世紀における農業共同体組織である「トゥレ」)の重視こそが美徳という社会規範を,政治

     的には「少数の貴族官僚」と「専制王権的な体制」を生み出した。李泰鎮(六反田豊訳)『朝鮮王朝社会と

     儒教』法政大学出版局,2000年,148頁。

    12さらにアソドレイ・ランコフは,「北朝鮮の体制の人気は,少なくともある程度までは本当であったのであ

     ろう」と記している。前掲『スターリンから金日成へ』29頁。

    13スコヅト・スナイダー(阪田恭代訳)「終わりなきジレソマ:主権,透明性,そして国際協力の展望」(小此

     木政夫,礒崎敦仁編『北朝鮮と人間の安全保障』慶鷹義塾大学出版会,2009年所収),51頁。

    14ブルース・カミソグス(横田安司,小林知子訳)『現代朝鮮の歴史:世界のなかの朝鮮』明石書店,2003年,

     690頁。

    15チュチェ思想の信奉者らは,チュチェ思想についてマルクスやレーニソが解答を与えなかった多くの問題に

     解明与えた」独創的哲学であり,「愛と統一の実践哲学」であると恐ろしいほど激賞している。T・B・ムケ

     ルジー『偉大な金日成主席の社会・経済・政治思想』外国文出版社,1983年,234頁;井上周八『チュチェ

     思想概説』雄山閣,1987年,10頁。

    16前掲『現代朝鮮の歴史』685頁。

    一132一

  • 1998),(4)「権威主義体制」(佐藤,1997),(5)「コーポラティズム」(カミングス,1997),(6)「独

    裁体制」(木村,1999),(7)「唯一体制」(イ・ジョンソク,2000),(8)「全体主義体制」17(小川,

    2004;マコーマック,2006;マッキーチャン,2010;三浦,2010),(9)「多層集権体制」(バク・

    ヒョンジュン,2008)など,さまざまな言葉で概念化されてきたが,本稿では,これらの9つの

    概念を比較することはしない。それは,第1に,(D「国家的共産主義」を除いた8つの概念が北

    朝鮮体制をチュチェ思想に基づいた体制としてその特殊性を強調していること,第2に,概念同

    士が相互を補完する関係にあること,第3に,9つの概念は人権と関連付けて論じられてはいない

    が,いずれも人権の普遍性を否定する体制として特徴付けられ,自由主義及び個人主義を否定して

    いる点で共通しているからである。

     したがって,以上のことを4つの人権批判論一①マルクス主義,②集団主義,③文化的特殊性,

    ④歴史的・地域的特殊性一を軸に再構成すると,以下の通りである。

    図1 北朝鮮の政治体制と人権批判の相関図(筆者作成)

             ①マルクス主“      (マスクス・レーニン主義.社会主義)

    {2)r箇家的共麗空義」

    ⑤「コー承ラテイズム1

    ③文{ヒ帥韓殊性

    (醗近代的政治文化〉

    麟嗜閂蟹麗猿犠鰹

    轍r

     傾「権威窪蟻繍」

    ⑥ジ独裁建鰯」

    ④ 歴史的’

     地域的特殊性 (反帝園主義)

    {3} r遊繋隊《ffSi軍)瞬家]

     ②集団主●(愛圏主義、国家主義)

    17小川と三浦は,ハンナ・アレントの定義した「全体主義」体制(一人支配・秘密警察・強制収容所)を用い

     て批判した一方,マコーマックはギデンズの「全体主義」モデル(監視・モラリティ・テロ・個人崇拝)を

     補完して北朝鮮を「新全体主義」であると論じた。マッキーチャンは,革命的で理念的な全体主義の衰弱に

     より,「既存の全体主義的体制の特性を保持しつづけながら徐々に出現」した体制として,金正日体制を

     「ポスト全体主義」であると述べている。その他,類似する概念としては,「ナショナル・スターリニズム」

     がある。C. Chen and J. Y. Lee,‘‘Making Sense of North Korea:“National Stalinism”in Comparative Histor-

     ical Perspective”(2007),in Communist and Post- Communist Studies, Vo1.40, No.4, pp.459-75.

    133

  •  図1に示すように,これまでの北朝鮮の体制に関する諸研究は,マルクス主義あるいはソ連,

    中国などに見られる集団主i義18的体制として説明し得るとの普遍的モデル(縦軸)と,北朝鮮特有

    の政治形態としてのモデル(横軸)を用いて,抑圧体制の根拠を論じている。今日,どの政治体制

    も多かれ少なかれ人権に反する側面を有するであろうが,体制の普遍的性格のみならず特殊性もが

    人権を批判する諸見解の範疇に入る北朝鮮の場合は尚更である。

     すなわち,①マルクス主義的特性は人権の「非現実性」,②集団主義的特性は人権の「反集団

    性」,そして③文化的,④歴史的・地域的特殊性は人権の「反秩序性」に対する批判とつながる19

    が,これらの論理は,現に北朝鮮における「人民大衆の自主性」20を最も強調するチュチェの指導

    理論に融合され,実践されている。この非人道的思想体系が北朝鮮が主張するように「人間中心の

    世界観」にあるにしては,あらゆる側面において人権のみならず人間そのものを否定せざるを得な

    いイデオロギーとして体制の柱を成していることは明らかであろう。

     とりわけ,キム・ヒョンジュンの述べる「孝を忠と同一視する伝統的家父長制と無条件的服従を

    美徳とする日帝の天皇制の経験が,プロレタリア独裁とチュチェ思想的人間改造教育に統合され,

    順応こそ美徳であるとの政治文化を定着させた」21との指摘は,ソ連のサハロフ,ビルマのアウン

    ・サン・スー・チー,中国の劉暁波のような反体制活動家が,北朝鮮からは現れない現状に対する

    一つの根拠を示すとも考えられる。

    第2節 北朝鮮の人権概念

     ソ連とアメリカが対峙していた頃,国際社会の関心は,冷戦体制によるブロック間の競争と安全

    保障の問題に集中していたし,両陣営の人権に対する解釈もかなり異なっていた。それゆえ,当初

    「ソ連の国家社会主義を忠実に採用した」22北朝鮮の人権観からは,マルクス・レーニソ主義(社会

    主義)的人権概念が見られる。それはすなわち,第1に,自然権としての人権とブルジョア的権

    利に対する批判,第2に,集団主義の強調である。

     先ず,マルクス・レーニン主義は基本的人権を,「社会において人間が人間として生活しうる社

    会関係のあり方,すなわち,人間の自由についての一定の主張を内容とする法イデオロギーの一形

    態」であると定義している23。したがって基本権は,「権利と革命の主体としての人民」が「歴史

    18集団主義は,共産主義や民族主義と共通する点もあるが,ここでは「個人主義や利己主義が国家や社会の利

     益より個人の利益を優先することに対して,集団主義は国家,社会の利益に個人の利益を服従させることを

     要求する」と述べるように,国家(党)の唱える社会的価値によって少数が抑圧される側面からの「集団主

     義」である。『大衆政治用語辞典』(平壌:朝鮮労働党出版社,1964年),373頁。

    19外池力「人権批判の構造」『政経論叢』明治大学政治経済研究所,第80巻,第5・6号,2012年3月,41-66

     頁。

    20ここで言う「人民大衆の自主性」とは,「歴史の主体」としての人民大衆が指導者の「唯一的指導」のもと,

     社会的,革命的役割を果たすことを意味する。前掲『偉大な金日成主席の社会・経済・政治思想』88-99頁。

    21キム・ヒョンジュソ『北韓の人権実態研究』(ソウル:民族統一研究院,1993年),139頁。

    22和田春樹r歴史としての社会主義』岩波書店,1992年,151頁。

    一134 一

  • の現実」のなかで現れ,「それぞれのもつ特殊な歴史的条件のもとで」定立していく概念であると

    述べる24。このような自然権としての人権に対する否定は,さらに,資本主義社会において「保障

    されるのは権利の保持の平等であって,行使または行使結果の平等ではない」25との批判に行き着

    く。以上のようなマルクス主義の言ういわゆる消極的自由及び個人的権利に対する批判は,マルク

    ス主義の理論からすれば,「必然的な結果」26であろう。なぜならば,マルクス主義における人権概

                                        }   あ念は,「個人の価値とは,彼一人の人生にかかわるものではなく,集団全体(the collective

    “whole”)を構成する一つの要素である」27と規定しているからである。

     しかしながら,北朝鮮における人権概念は,より複雑である。その理由は,既述したように,

    「社会主義」的集団主義及び階級的側面が民族主義や愛国主義(国家主義)に置き換えられたため,

    「人権」保障の意義が「内外の敵対分子」との闘争,「人民主権」の固守にあるとされるからである。

                な ltこのことを,北朝鮮では「ウリ式人権」と称し,次のように述べる。

     われわれは,人権において階級性を隠さない。社会主i義人権は,社会主義に反対する敵対分子

    らや人民の利益を侵害する不純分子らにまで自由と権利を与える超階級的な人権ではない。(中

    略)党と領導者に忠誠し且つ仕え,全てを捧げ闘争することに,最上の生きる権利と真の人権が

    ある。(中略)少数の階級的仇敵に制裁を加えることがウリ式人権である28。

     上記のような人権観は,マルクス・レーニン主義的集団主義の金日成主義(チュチェ思想)的集

    団主i義への移行とともにもたらされた。すなわち,唯一思想体系の確立した1960年代後半,「社会

    主義憲法」の採択された1972年,1974年に公表された「党の唯一思想体系確立の10大原則」を経

    て,マルクス・レーニン主義の削除された1992年の憲法改正29,そして金日成を国家の「創建者で

    あり,社会主義朝鮮の始祖」30と称した憲法改正に至り,人権観の転換を果たしたと言える。

     したがって,「ウリ式人権」の重視する集団主義は,プロレタリア独裁を意味する集団主義とい

    うよりも,むしろ,「永遠なる首領」に対する忠と孝の行動様式を共にする集団による専制主義と

    23岡崎次郎編『現代マルクス=レーニソ主義事典上』社会思想社,1980年,351頁。

    24古島和雄「旧中国の人権問題と基本権思想一人民民主独裁論との関連において 」(東京大学社会科学研究

     所編『基本的人権3歴史皿』東京大学出版会,1968年所収),381-407頁。

    25前掲『現代マルクス=レーニン主義事典』352頁。

    26Leszek Kolakowski,“Marxism and Human Rights”(1983)in Humαn Rights, Vol.112, No.4, p.89,〈http:〃

     www。jstor.org/stable/20024886>,

    271bid., P.92.

    28「真の人権を擁護して」『労働新聞』,1995年6月24日.

    29一方朝鮮労働党は,1980年に実施された第6次党大会において「マルクス・レーニンを完全に削除し,チュ

     チェ思想を唯一指導思想として規定した。」キム・ハヨソ「3代世襲の北韓,何処へ? 北韓の権力世襲の政

     治・経済的背景と展望」『マルクス21』(ソウル:Chaekgalpi,2010年)第8号,42頁。

    30金日成死後,改正された(1998年)北朝鮮の「社会主義憲法」の序文から引用。

    一135一

  • して捉えた方が適当であるかもしれない31。というのは,金日成体制における人権とは,国家が人

    民を動員して「全党的,全人民的政治闘争」を呼びかけ,多数から排除された少数の人びと,いわ

    ゆる「反革命分子」,「敵対階級」を無権利状態に追い込み,北朝鮮社会の内部に「革命的」制度と

    秩序を築き上げ,守護することにあるからである32。それにもかかわらず,北朝鮮は1974年に出版

            された『チョソン概観』において次のように記している。

     偉大な首領キム・イルソソ同志に導かれるチョソン民主主義人民共和国は,人民大衆にあらゆ ヤ   も   }   }   も   も   ぬ   }       り   N   N   }   }   N   へ   ら   )   1   も   }   ヤ   ヤ   ヤ   ’   へ   ぬ   }   )   }   }

    る政治的自由と権利,豊かな物質的文化的生活を最大限に保障しているもっとも先進的な社会主

    義国家である33。(強調引用者)

    また,2009年に行なわれた憲法改正では第8条に「人権」についての新たな文言が加えられた34。

     (前略)国家は,搾取と抑圧から解放されて国家と社会の主人となった労働者,農民,軍人,

                           も   ’   N   }   }   カ   }   ’   ’勤労インテリをはじめ勤労人民の利益を擁護し,人権を尊重し保護する。(強調引用者)

               ヨし  も  ) 全く理に適っていないような上記の主張が,実を言えば,今日,人権の普遍性に対する批判とし

    て定着している典型的な問題であるということは言うまでもない。

        キム ジ:ンイル 実際,金正日体制においてより目立つようになったのは,人権における自主性の強調である。

    マルクス・レーニン主義の階級的側面よりも,チュチェ思想の唱える自主的側面からの人権観を前

    面に出す一連の「変化」は,人権を「国家により認められ保障される普遍的権利であり(中略)4

    つの固有な特性一普遍性と平等性,個別性35,尊厳性,不可分性一に基づいている」と述べるに到

    っている36。北朝鮮の言う人権の自主性とは,「他国と他民族の政治・経済制度と発展段階,歴史

    的・文化的伝統の多様性」を考慮した人権であり,「国家主権」そのものであるとされている37。

    31「偉大なる金日成首領様は(中略)我々人民政権は,(中略)プロレタリア独裁である(中略)社会主義革命

     を反対し妨害するあらゆる反革命的要素や不健全な思想と一切妥協しない闘争を展開して(中略)強固な独

     裁を実施しなければならないと強調された。」社会科学院歴史研究所『朝鮮全史29現代編一社会主義建設史

     2』(平壌:科学・百科事典出版社,1981年),55頁。

    32同上,56-9頁。

    331982年と1987年に出版されたr朝鮮概観』においても同様に記されている。『チョソン概観』外国文出版社,

     1974年,59頁。

    342004年,憲法において「人権を守り,尊重する」と明記した中国の場合と類似している。

    35北朝鮮は,「個別性」にっいて「人権はそれぞれの個人に属している」が,人は「社会的存在」であり「集

     団構成員の一人」であるため,「自主的で繁栄する国家において人権を享有する人々は特定国家の個別的人

     民である」と述べており,依然として既存の社会主義的集団主義に立脚した主張をしている。Democratic

     People’s Republic of Korea, National Report,29 August 2009, A/HRC/WG.6/6/PRK/1, para.13.

    361b id., para,13.

    371bid., paras。14-15.

                        -136一

  • 金正日も「人権はすなわち国権である」38と述べるように,「人権=国権」という論理は「全ての人

    は,自国内において人権を享有し保護されるため,国家主権の侵害は例外なく人権躁躍となる」39

    という歴史的背景と地域的安全保障の問題を含意する。このことは,北朝鮮の人権侵害の実態が

    10年以上も国際社会の普遍的問題として扱われてきたにもかかわらず,改善できずにいる背景で

    ある。換言すれば,北朝鮮における普遍的人権の否定から「人権擁護」への強調は,北朝鮮の「人

    権」が国際社会において通用されている普遍的人権とは全く違う意味合いをもつ概念であることを

    差し引いても看過できない「変化」である。無論,この「変化」が,必ずしも好ましい結果をもた

    らしているとは言えないが,後述する国際社会における「人権の普遍化」及び「人権問題の国際化」

    がその原動力になったことは確かであろう。

    第3節 「人権の普遍化」と北朝鮮

     20世紀における悲惨な戦争の経験は,人類を平和と人権尊重の道に向かわせた。とりわけ,国

    際社会における人権尊重の潮流は,様々な問題を抱えながらも人間の普遍的権利としてその保障を

    促進させた。それは,国際連合(以下,国連と略す)を中心とした国際社会において世界人権宣言

    (Universal Declaration of Human Rights),国際人権規約(International Covenants on Human

    Rights)及び数多くの国際人権条約の採択を通じて人権に対する認識が漸進的に発展してきたこと

    にその背景がある。しかし一方では,人権の持つ普遍性に対して地域的・歴史的・社会的特殊性や

    文化相対主義,人権概念の「欧米性」40などの理由から人権が軽視または否定されている。とりわ

    け,国家による人権躁躍は,政策の一環として,かつ,社会の正義と主張されながら,国家主権及

    び内政不干渉の原則に基づき,公然と行われている。このように,人権の普遍性が国際的に合意さ

    れてきているにもかかわらず,人権をめぐる論争が耐えないのは,人権概念を政治的及び法的面に

    おいて普遍的に承認することが,必ずしも人権の普遍的な尊重を保証することを意味せず,多くの

    場合,単なるレトリックやみせかけとして受け入れられているからである41。

     こうした人権論争は,冷戦終結後,さらに拡大,具体化していく普遍的人権の保障と促進の結果

    として,著しく現れた。国連開発計画(UNDP)では,1994年にr人間開発報告書(Human・De-

    velopment Report)』において人間の生活を脅かすあらゆるものに対する「人間の安全保障(Hu-

    man Security)」という概念を初めて取り上げた42。この概念は,依然として継続的な脅威となっ

    38『金正日名言集』外国文出版社,2008年,52頁。

    39「《人権擁護》の名のもと敢行される犯罪行為」『労働新聞』2010年11月13日。

    40人権概念の「欧米性」とは,人権の持つ個人主義的特性が単なる利己主義であり,個々の社会集団の伝統と

     調和を重視するアジア的価値と相反するとの主張に加えて,人権がマグナ・カルタやフラソス人権宣言,ア

     メリカ独立宣言,ヨーロッパの啓蒙思想などの欧米の歴史に基づいている点に対する批判である。

    41Louis Henkin, t‘The Universality of the Concept of Human Rights”, in Anna ls of the Ameriαan Academy(of

     ,Political and Social Science, Vol.506, Human Rights around the World(Nov.,1989), p.13,〈http://

     www,jstor.org/stable/1046650>.

                        一 137一

  • ている人間の「恐怖からの自由」及び「欠乏からの自由」に対する保障が全人類に関わっている問

    題として取り上げられている。これは,アナン国連事務総長(当時)が2005年に提出した報告書

    「より大きな自由を求めて」43の中で「安全保障,開発,人権はいずれも不可欠なだけでなく,お互

    いを補強する存在でもある」と述べ,「人権の主流化(Human Rights Mainstreaming)」を提唱し

    たことの背景となる。さらに「より大きな自由を求めて」は,2005年9月に開かれた国連首脳会

    合の成果文書の採択に直接的なきっかけとなった。その成果文書は,国家主権は大量虐殺,戦争犯

    罪,民族浄化及び「人道に対する罪」からその国の人々を「保護する責任(Responsibility to Pro-

    tect)」があり,国家がその責任を果たせないときには,国際社会がその責任を果たさなければな

    らないと明記している44。

     以上の国連を中心として,国際社会が辿ってきた「普遍的人権の合意→制度化→適用→拡大→具

    体化」という経緯を本稿では「人権の普遍化」と呼ぶことにする。

     この「人権の普遍化」は,北朝鮮人権をめぐる理論と実際に少なからぬ影響を与えた。

     例えば,理論面においては,北朝鮮の状況を「保護する責任」(US Committee for HRNK,2006;

    Kjell Magne Bondevik and Kristen Abrams,2012),「人道に対する罪」(David Hawk,2007;Chris-

    tian Solidarity Worldwide,2007),そして「人間の安全保障」(『北朝鮮と人間の安全保障』,2009)

    の概念と関連付けた研究に寄与した。「保護する責任」や「人道に対する罪」に関する諸研究は,

    北朝鮮の人権侵害の実態が「ローマ規程」において定義されている「人道に対する罪」であること

    を論証し,北朝鮮が明らかに自国民を保護することに失敗しているため,国際社会の積極的介入が

    不可欠であると述べている。それに対して『北朝鮮と人間の安全保障』は,北朝鮮の諸問題を「恐

    怖」または「欠乏からの自由」に関わる諸側面から検討,分析しているが,「人間の安全保障」の

    概念が用いられているのは一部にすぎず,人権研究と言い難い面もある。

     実際面では,国連調査委員会(UN Commission of Inquiry)の設立や国際刑事裁判所(ICC)へ

    の提訴,特別手続き(Special Procedures)45による共同作業,国連安保理による介入,スペイン

    法院提訴などによる改善を要求する国際社会の動向に影響を与えた。これは,主に国際人権NGO

    を中心に展開されている活動で,北朝鮮当局に人権侵害に対するアカウンタビリティを求めること

    42国連開発計画(UNDP)「パンフレット『人間開発ってなに?」」〈http://www.undp.or.jp/publications/pdf/

     whats_hd200702.pdf>(2012年7月21日アクセス)

    43Report of the Secretary-Genera1, In Larger Freedom!TowartiS I)evelopment, Security and Human Rights for

     All,21 March 2005, A/59/2005.

    44Resolution adopted by the General Assembly,2005 World Summit Outcome,16 September 2005, A/RES/60/

     1,paras.138-140.

    45特別手続きとは,1967年,経済社会理事会の決議1235手続きに基づき,個人(Special Rapporteur, Special

     Representative of the Secretary-General, Representative of the Commission on Human Rights, Independent

     Expert)またはワーキンググループ(作業部会)が人権状況の調査,監視を行う人権理事会のメカニズムで

     ある。2012年8月現在,36のテーマ別特別手続き(thematic mandates)と12の国別特別手続き(country

     mandates)が設けられている。

    一138一

  • 一すなわち,法的責任の追及一に向けられている。しかし,こうした動向は,ともすれば武力の行

    使を伴う「人道的介入」の正当化につながる恐れがあるため,慎重を期す必要があると思われる。

     さて,北朝鮮の人権状況が初めて国際の場で問題とされたのは,国連人権委員会(Commission

    on Human Rights,現在の人権理事会)傘下の小委員会(The Sub-Commission on Prevention of

    Discrimination and Protection of Minorities)で北朝鮮の人権決議案46が採択された,1997年8月

    のことである。しかし,国際社会において本格的に議論されるようになったのは,再び国連人権委

    員会で人権決議が採択された2003年以降である。そして2005年からは,国連総会においても北朝

    鮮人権決議47が毎年採択されている。

     だが北朝鮮は,上記のような国連の対応に協力していない。例えば,1997年に採択された上記

    の人権決議に対する反発として,その6日後,自由権規約の脱退を通告してきた48し,1999年に

    は,宗教と信仰に関する特別報告者,2002年には思想と表現の自由権に関する特別報告老,2003

    年には食糧権に関する特別報告者,2004年からは北朝鮮の人権状況に関する特別報告者が調査の

    ための訪問を要請しているが,北朝鮮はいずれも拒否しつづけている49。加えて,国連で採択され

    ている人権決議に関しては,次のように述べている。

     人類の普遍的価値である人権を不純な政治的目的に悪用してわが国の自主権を侵害し,尊厳高

    い社会主義制度をどうにかしてみようとする試みは笑止千万な妄想である。こんにち,帝国主i義

    者が「人権擁i護」の美名のもとで世界の至る所でこととしている主権国家に対する侵略と内政干

    渉,自主権躁躍と民間人殺りく蛮行は,人類の糾弾と呪いをかき立てている50。

     そして印象的なのは,2009年に行なわれた普遍的・定期的レビュー(Universal Periodic Rev-

    iew,以下UPRと略す)51の審議にあたって提出された(北朝鮮の人権状況に関する)国家報告

    書において,北朝鮮が「人権の保護と促進における障害と難問」について記していることである。

    46UN Economic and Social Council, Situation of Humαn、Rights in the Democratic People ’s、Republic of Korea,15

     August 1997, E/CN.4/Sub.2/1997/L.13.

    47人権理事会の決議は,北朝鮮の人権侵害の実態に対して懸念し,人権理事会の特別手続き(special proce-

     dures)の一つである北朝鮮の人権状況に関する特別報告者(special rapporteur)の任命と任期延長に関す

     る内容となっており,総会決議は,北朝鮮における人権侵害状況,社会的弱者の権利保障,脱北難民の問

     題拉致問題,食糧危機などに対して北朝鮮の改善を促す内容である。

    48国連事務局はこれを認めなかったし,その後,北朝鮮も自由権規約の第2次移行報告書を提出した(1999年

     12月)。しかし北朝鮮は,報告書が1984年から1997年までのことであることを明記しており,その後の提出

     されたUPR(下記の注51を参照)の国家報告書において自由権規約の加入事実を記していない。

    49一方で,アムネスティ・イソターナショナルを始め,世界拷問反対協会(lnternational Association against

     Torture),子どもの権利委員会の国連代表,国連人権委員会の女性に対する暴力とその原因と結果に関する

     特別報告者の調査を一時的に受け入れたこともある。

    50「朝鮮外務省代弁人,反共和国人権謀略策動を糾弾」『朝鮮中央通信』2009年3月26日.

    一139一

  • 北朝鮮は同報告書で,第1に「朝鮮民主主義人民共和国に対するアメリカの敵対的な政策」,第

    2に「国連でのr人権決議』採択を含む反共和国(anti-DPRK)的活動」,第3に「社会主義市

    場の崩壊,連続した自然災害,そしてその影響」が,人権の保護と促進を妨げると論じた52。と

    りわけ,第2の「人権決議」に関しては,次のように述べている。

     朝鮮民主主義人民共和国は人権分野における国際的協力を重視する。しかし,共和国政府が

    何度も明らかにしてきたように,このような協力を実現することにおいて障害となっているの

    は,既に言及した,徹底的に政治化,選別化された「決議」である。選別された攻撃と協力は

    両立できない53。

     要するに,国際社会からの勧告に対して人権より主権を優先する「ウリ式社会主義的人権論」を

    堅持していくことを明確にしているのである54。しかし,国家は,如何なる状況下であれ,「全て

    の人権と基本的自由を促進し且つ保護する義務」55があり,国際社会は,普遍的な権利を侵害され

    ている人びとに対して,「保護する責任」がある。したがって,国際社会及び周辺国は「国際的協

    力を重視する」と言及した北朝鮮の見解を単なる嘘として扱わず,一つの手がかりにした改善策を

    模索する必要がある。すなわち,北朝鮮の人びとを助けることに焦点を当て,且つ飽くまでも平和

    的な方法で,積極的に向き合おうとする努力が普遍的人権の促進とその保障を可能とするであろう。

    第2章 人権問題の国際化

    第1節人権問題の国際化と北朝鮮

     人権問題の国際化とは,国内の人権状況が国際社会の問題として取り上げられていくことを指

    す。その始まりは,ソ連の人権抑圧が問題とされた1970年代からである。それは,1973年にパリ

    で公刊されたソルジェニーッイソの『収容所群島』や全欧安全保障協力会議(CSCE)で1975年に

    締結されたヘルシンキ宣言などを発端として,ソ連の反体制派で人権活動家であったサハロフの

    51UPR(Universal Periodic Review,普遍的・定期的レビュー)は,2006年3月に採択された総会決議(60/

     251)により創設された人権理事会の主管する,国家の人権状況に対する評価制度である。審査対象は,国

     連に加盟している全ての国(193ヶ国)であり,審査対象となる国以外の国連加盟国が当該国の人権状況を

     普遍的に審査する。〈http:〃www.ohchr.org/EN/HRBodies/UPRIPages/UPRMain.aspx>(2012年1月22

     日アクセス)

    52Democratic People’s Republic of Korea, IVational Repoγt, paras.79-91.

    531b id., para.86.

    54北朝鮮は,世界各国から提起された167項目の勧告事項のうち,117項目に対しては今後検討し,残りの50項

     目(特別報告者のアクセス,公開処刑の中断,収容所,脱北者に対する処罰など)は受け入れ難いと伝えた。

    55Resolution Adopted by the General Assembly, 60/251. Human、Rights Council,3April 2006, A/RES/60/251.

                        -140一

  • ノーベル平和賞受賞,カーター元米大統領の「人権外交」を機にさらに「国際化」56していく。し

    かし,米ソニ極構造の世界秩序の中で,ソ連と同じ社会主義国として人権状況の面で大差のない北

    朝鮮の実態が話題にされることはなかった。

     この傾向は2000年代初頭まで続くが,これまで長い間,北朝鮮の人権状況が国際社会において

    「問題」とされなかったのは,米ソ対立(冷戦)によって北朝鮮の存在が疎かにされていたことの

    他にもいくつかの理由がある。

     第1に,韓国における人権抑圧である。北朝鮮によって「{鬼偏政権」であるとされる韓国は,

    かつて北朝鮮と同じく非民主的な社会であった。それゆえ,分断による「反共」イデオロギーと権

    威主義的独裁体制による人権抑圧により,北朝鮮の人権侵害について言及できない状況であった。

    さらに言えば,北朝鮮の存在は韓国における軍事独裁を正当化することに寄与し,韓国の過剰な

    「反共」イデオロギーは北朝鮮体制の強化と維持に必要な「緊張と憎悪を与えた」57のである。今日

    韓国における「従北」58論争は,「反共」の延長線上にあると言えよう。同様のことは,韓国の軍事

    独裁については厳しく批判しつつも,北朝鮮の現状に対しては「社会主義幻想」に囚われ,沈黙し

    ていた日本の一部の知識人にも見られる。

     第2に,人権概念の拡大に伴うジレソマである。1993年にウィーソで開催された世界人権会議

    がその代表的な例である。この会議において,非欧米諸国は「欧米的人権」に対して「文化相対主

    義」及び「発展段階論」を主張し,第3世代人権とされる発展の権利を挙げ,その保障のために

    は経済的発展が不可欠であると述べた59。すなわち,人権の普遍性を批判すると同時に,自由権の

    留保60を訴えたのであるが,このことは「国家主権や内政不干渉の原則と一緒に主張されることが

    多い」61。前章で論じたような,「人権の普遍化」に対する北朝鮮の反発は,こうした国際社会にお

    ける人権批判論争に同調するスタソスとして理解してよい。

     以上のような人権軽視は,諸国の政治的,理念的,地域的,経済的,文化的打算の上に成り立っ

    56外池力「ソ連異論派研究序説」『明治大学大学院紀要』政治経済学篇,第22集,明治大学大学院,1985年,

     231頁。

    57北朝鮮人権活動家であるキム・サンホンは,「(北韓は)体制の存立のためにも,真実の捏造及び歪曲と,暴

     力を合理化できる緊張と憎悪が絶対的に必要な集団である。北韓の政治集団がここまで長く生き残れたの

     は,過去の盲目的な反共が結果的に北韓政権の生存に必要な緊張と憎悪を与えたからである」と述べてい

     る。キム・サンホソ,キム・ヒテ『助けて下さい一反人倫犯罪の現場北韓教化所の話チョソゴ里教化所編』

     (ソウル:北韓人権第3の道,2012年),5頁。

    58韓国では,チュチェ思想のような北朝鮮の思想や体制を欽慕し,追従することを「従北」または「従北主義」

     と言う。

    59稲正樹「国連世界人権会議における「西欧型」人権批判論一中国,ミャンマー,フィリピソ政府の場合一」

     『岩手大学教育学部附属教育実践研究指導セソター研究紀要』第6号,岩手大学教育学部,1996年,97-109

     頁。

    60とりわけ,発展途上諸国では,経済発展(生活水準の向上,貧困の廃絶)が優先的課題であり,そのために

     は政治的安定が必要であると主張されている。

    61深田三徳『現代人権論』弘文堂,1999年,143頁。

    一 141一

  • ているが,いずれにせよ,こうした論理がいかなる人権侵害をも正当化する根拠たり得ないことは

    明白である。

     ともあれ,人権問題の国際化の波が北朝鮮に押し寄せ,北朝鮮の人権状況に対する国際社会の懸

    念が本格化したのは,金正日が北朝鮮による日本人の拉致事実を認めた翌年の2003年であると考

    えられる。というのは,国連人権委員会が初めて拉致問題の解決と人権状況の改善を求める決議62

    を採択したからである。しかし,北朝鮮は,フランスによって起草されたこの決議にrEUが決議

    案を提出したことに深い遺憾の意を表明」し,2001年から行なってきたEUとの人権対話の中止

    を告げた63。北朝鮮は,これまで「人権に関してEUから提起された全ての質問に対し誠実に答

    え,広範に話し合い,協力した」にもかかわらず,「EUは,そのような共和国の協力と誠実な努

    力を徹底的に無視し,反共和国r決議案』を上程した」と非難した64。このような北朝鮮の行状は,

    既述した1997年に採択された小委員会の人権決議に対し,自由権規約の脱退を宣言したことを想

    起させる。

     以上のような北朝鮮の反発により,2004年にアメリカで制定された「北朝鮮人権法(North

    Korean Human Rights Act of 2004)」65並びに2006年に日本で制定された「北朝鮮人権法」66,そし

    」て韓国で論争になっている「北韓人権法」に対する反応からでも分かるように,既存の人権侵害の

    実態に加えて新たな問題が浮上した。それはすなわち,第1に,人権の普遍性と内政干渉の問題

    であり,第2に,人権に対する周辺国の偏向的な見解である。

     第1に,人権の普遍性と内政干渉の問題は,普遍的人権の保障(適用範囲)とそれに対する要

    求や制裁が,国家主権の侵害並びに内政に対する干渉であるとの主張からなる。北朝鮮は国際社会

    で唱える「人権擁護」が北朝鮮の内政に干渉し,体制を転覆することを意図する政治的手段である

    と反発している。現に,北朝鮮の人権状況をめぐる人権運動や人権研究の多く67は,北朝鮮におけ

    る人権改善は非民主的体制を刷新しない限り不可能であると論じている。

     第2の,人権に対する周辺国の偏向的な見解とは,周辺諸国の対北政策から起因する構造的問

    6228ヶ国が賛成し10ヶ国が反対したこの決議は,全ての人権と基本的自由の完全な享受を確保することを勧告

     し,組織的で,広範に亘る重大な人権侵害について深い懸念を表明した。UN Commission on Human Rights

     Res.2004/13, Situation(ofHuman Rights in the 1)emocratic People ’s Republic ofKorea,16 April 2003, E/CN.4/

     RES/2003/10.

    63グリソ・フォード,クォン・ソヨソ『北朝鮮:ゆるやかな変革』第一法規,2008年,189-90頁。

    64Democratic People’s Republic of Korea,1>dtional RePort, paras.77-8.

    65正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国における人権と自由の促進,その他の目的のための法令」である。次

     の5点をこの法律の目的としている。(1)北朝鮮における基本的人権の保護と尊重,(2)脱北者の苦況に対す

     る,より持続的で人道主義的な解決策の促進,(3)北朝鮮への人道主義的支援の透明性とアクセス,モニタリ

     ングの強化,(4)北朝鮮の内外に情報の自由化を促進,(5)民主的な政府体制の確立による朝鮮半島の平和統一

     を促進。

    66正式名称は「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」である。この法律は,

     拉致問題の解決に向け,日本政府が最大限に努力をすること及びその他北朝鮮当局による人権侵害問題の実

     態と改善に努めることなどを記している。

    一142一

  • 題であると換言できる。前述したように北朝鮮の人権問題は,長い間国際社会によって放置,ある

    いは維持されてきたと言っても過言ではない。ペク・チュソヒョンは,「最も緊密な関係にある韓

    国が,北韓の人権を傍観していたため,北韓も人権状況に関して問題を提起した国際社会から目を

    逸らすことができた」と指摘した68。1990年代後半からは,北朝鮮の人権状況に対する国際社会の

    関心が高まってはいたが,その裏面において周辺国は人権に対する偏向的な見解を露呈した。周辺

    国は,人権に対する認識及び北朝鮮との政治的関係などによって,その改善に向けての政策方向や

    意図がかなり異なっている。(表1参照)

    表1周辺国の北朝鮮人権状況に対する認識比較(筆者作成)

    韓 国 中 国  ロシア 日 本    アメリカ EU

    全般的状況 流動的 黙認・擁護 偏向的 包括的

    主な認識

    凱餓・離散

    @家族主に自由権

    脱北難民 拉致問題 自由権 人権状況の

    @改善脱北者・脱北難民

    六者会合 人権法改善手段 支援・妥協 制裁・圧迫 支援・投資・協力

    制裁・圧迫

    支援・対話・

    @ 制裁

    北との関係 休戦中 同盟関係 友好的 国交なし 国交あり

    その他人権ヨ連事項

    人権留保69 政治的闥i?70

    強制送還及び@難民認定

    帰国事業71及びン日朝鮮人

    政治的手段? 包括的対応

     既存の北朝鮮の人権実態に付随して生じたこれらの国際社会の見解の相違は,文化相対主義と人

    権の普遍性に関する論争,人間の安全保障に先行する諸国の安全保障の問題に直結している。この

    ことは,「人権の普遍化」に対する反動として,且つ人権問題の国際化によって惹起され,新たに

    浮上した問題であると言えよう。

    67キム・ビョンムク『北韓の人権:その実状と虚像』(ソウル:図書出版ダナ,1995年);グァク・デジュソ

     『韓国市民運動における北韓人権問題に対する考察』(ソウル:自由企業院,2004年);カソ・ミョソセ「な

     ぜ我々は北韓の人権を提起すべきか」(カン・ミョソセほか編著『北韓人権指標及び指数開発研究』(ソソナ

     ム:世宗研究所,2011年所収)),21-63頁など。

    68チェ・ソンチョル編著『北韓人権の理解』(ソウル:一北韓人権改善運動本部,1995年),452-3頁。

    69これまで金大中,盧武鉄政府は,「北朝鮮との友好関係を築くため(中略),北朝鮮に対する批判を避け,北

     朝鮮の人権状況に対する国連総会及び人権理事会の決議にも棄権」した。Donald Kirk,“North Korea”, in

     Encyclopedia(ゾ」Uuman Rights, ed. by David Forsythe(Oxford;Oxford University Press,2009),pp,333-5.

    70李明博政府は,北朝鮮人権問題に関して,「人権は人類普遍的な価値であるため,その他の事案と分離して,

     人権問題そのものとして扱わなければならない」という立場であると表明したが,これまで行なわれてき

     た,北朝鮮の人権状況を改善するための政策の展開方向については様々な異論がある。外交通商部,「人権

     外交/北韓人権問題」〈http://www.mofat.go.kr/〉(2012年4月2日アクセス)

    71「1959年から1984年まで在日朝鮮人に対する北朝鮮への帰国が奨励され,約93,340人の朝鮮人と日本人妻

     (夫)」が北朝鮮に渡った。Ian Neary,“Japan”, in En(ryclopedia of Humαn Rights, op. cit., p.262.

    一143 一

  • 第2節北朝鮮人権研究の始まりとその限界

     既に示唆したように,北朝鮮の人権状況に対する認識は,1990年代後半に生じた北朝鮮の人道

    的危機を機に高まった。1990年代の北朝鮮では,その前後におけるソ連からの援助の中断と,豪

    雨などの自然災害により,深刻な食糧不足が生じていた。その上,1994年の金日成の死は政治的

    混乱をも加速させた。今日まで解消されてないこの食糧不足72により,北朝鮮では100万におよぶ

    人びとが死亡し,数百万名が飢餓状態に陥ったとされている736

     キム・キョンムクは,北朝鮮の食糧危機が「災害の慢性化をはじめ脱北者などの人権・難民問題

    と関連し,地域の安全保障問題と切り離すことが難しい」ため,複合的人道危機(Complex Hu-

    manitarian Emergencies)74であると述べ,「決して人道主義的観点のみからでは対応しきれないジ

    レンマ構造におかれている」と論じている75。この指摘のとおり,こiで強調しておきたいのは,

    食糧危機は一見「人道的な問題」として扱われるようにみえるものの,人道的な側面のみならず人

    権の側面をも有していることである。

     現に,飢饅による栄養状態の悪化は,大量の餓死者及び病死者を生みだしただけでなく,脱北な

    どによる家庭の崩壊,人身売買,売春などの社会問題を惹き起こしていた76。それに加えて,その

    原因は既述した自然災害や経済的側面における社会主義諸国への過度な依存だけでなく,食糧配給

    制度(Public Distribution System)の非効率的で不公平な制度的欠陥にあったのである。それゆ

    え,北朝鮮における食糧危機は,国際社会からの援助77が続いていたにもかかわらず,国内におけ

    る食糧配給制度の崩壊,社会的弱者を中心とした栄養失調及び餓死を避けることができなかった。

     その食糧配給制度とは,1958年に行なわれた農地と農業生産手段を国有化とともに実施された

    72FAOは,2011年現在,人口の33%の人びとが食糧援助を必要としていると推定している。 Food and

     Agriculture Organization of the United Nations,‘‘FAO Country briefs:Korea, Dem People’s Rep”,6July

     2011,Accessed 21 February 2012〈http:〃www.fao.org/countries/55528/en/prk/〉.

    73飢謹による死亡者数などに関する正確な統計はない。但し,北朝鮮の公式声明では,1995年から1998年にか

     けて総人口の1%にあたる22万人であると発表した。一方,別の推計では,350万人以上(黄長樺の証言),

     あるいは約100万人とされている。Human Rights Watch, A Matter of Suwival:The North Korean Gover-

     nment’s Control ofFood and the Risfe ofHunger, May 4,2006;Amnesty International, IVorth Korea:The.Right

     to Food and Monitoring、Human、Rights, AI Index:ASA 24/001/2009,2August 2009;ファン・ジャンヨプ

     『北韓民主化と民主主義戦略』(ソウル:時代精神,2008年),28頁;ステファソ・ハガード,マーカス・ノー

     ランド(杉原ひろみ,丸本美加訳)『北朝鮮:飢餓の政治経済学』中央公論新社,2009年,113頁。

    74「複合的人道危機」は,次の5つの共通の特性によって定義される。(1)中央政府の権限の低下または完全な

     崩壊,(2)民族や宗教紛争や広範な人権侵害,(3)例外的な食糧不足と大量餓死への悪化,(4)ハイパーインフ

     レ,大規模な失業を含むマクロ経済の崩壊とその結果としてGNPの減少,(5)紛争や食糧危機による難民の

     大量発生。Andrew S. Natsios,“NGOs and the UN System in Complex Humanitarian Emergencies:Conflict

     or Cooperation?”, in Third World(?uarterly, VoL 16, No.3, Nongovernmental Organisations, the United Na-

     tions and Global Governance(Sep.,1995),p。405〈http://www.jstor.org/stable/3992884>.

    75金敬黙「北朝鮮食糧危機をめぐるNGOの活動とそのジレンマ:人道・人権分野のNGOネットワークを事

     例に」『国際政治』第135号,日本国際政治学会,2004年,116頁。

    76前掲『北朝鮮:飢餓の政治経済学』117頁。

    一 144一

  • 北朝鮮の配給制度である78。食糧配給基準は,体制への忠誠度79によって質も量も異なる80。すな

    わち,この配給制度を通じて北朝鮮は,直接的には人びとの命を管理し,間接的には人びとの生活

    をも統制してきたのである。

     他方,北朝鮮の食糧危機の余波は,対外的にも大量の難民を生みだしていた。その数に関して

    は,正確な統計データはない81が,韓国に定着している「北韓離脱住民」(以下,脱北者と記す)

    の場合は,1993年,わずか8名にすぎなかったのに対して,1999年には初めて100名を超え,

    2000年から急増し始め,2009年には2,926名に達している。(図2参照)

    図2 (在韓)脱北者数の推移(筆者作成)

    食糧不足量(万トン)

    3500

    Rρ00

    Q500

    Qρ00

    Pr5{〕0

    P3000

    T00

    @0脱北者(名)

    2000 2001 2002 2008 2004  2005 2006 12007 2008 2009

    一●b脱北者(名) 312 586 1,138 1281 1β94 1β83 頭酬 2β06 2,926圃篇食糧不足量(万トン) 96 165 141 129 123   114 106 1 95 1B9 1「ア

    180

    160

    140

    120

    100

    80

    fio

    40

    20

    0

    出典:統一部の「北韓離脱住民の入国人員現状」と農村振興庁の「北韓の食糧

       生産量及び需要量」をもとに作成(2012年11月12日アクセス)

     これらの脱北者の多くは,北朝鮮における人権状況が極めて劣悪であることを暴露し,北朝鮮に

    おける甚だしい人権侵害の実態に対する確証となった。これまで徹底的な秘密主義により,国際社

    会から隔離されてきた北朝鮮の実状が彼らの証言により明らかにされたことで,北朝鮮の人権状況

    77WFPは,1995年から2005年まで「650万人分にあたる,年間400万トソの食糧,17億ドル分相当を提供」し

     た。韓国政府は,1995年から1998年にかけて,「北朝鮮に対する支援全体の3分の1にあたる31,600万ドル

     を提供」した。日本も15万トソの食糧を無償提供,さらに15万トンを有償提供した。その他,EU,中国な

     どの各国政府とNGOによる援助が続いた。前掲『北朝鮮:ゆるやかな変革』156頁。

    78李喩燥,朴憲一『北朝鮮社会の実態分析』洋々社,1982年,111-2頁。

    79北朝鮮は,全人民を体制への忠誠度によって核心階層(core),動揺階層(wavering),敵対階層(hostile)

     の3つの階層と51の成分に分類し,社会的に差別している。この「成分制度」に関する記述は,学術研究者

     の論文や北朝鮮の元政府高官を含む脱北者の証言,韓国の研究機関又は人権団体による調査報告書に基づく。

    80前掲『北朝鮮:飢餓の政治経済学』83-4頁。

    81中国内の脱北難民の規模について,中国政府は約1万名未満,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は3

     万名,韓国の市民団体(グッド・フレソズ)は,10万名以上,アメリカの難民委員会は10万名,そして韓国

     の国家情報院では1万から3万名であると推算している。ク・ボソヨン『イソターネット世代の統一』(パ

     ジュ:ナナム出版社,2000年),50頁。

    一145 一

  • 図3 韓国における北朝鮮人権研究の現状(筆者作成)

    250

    200

    一 一 一 一一 一一

    150

    P00

    T0

    0 一一197 代 ・98代 1 1ggo年代 ・・。亜コ

    中脱北者の手記、証言に関する図書刊行数 1 10 82 げ耐 72   1噌一脱北者、脱北難民に関する図書刊行数 0 ユ i7 59

    癖北朝鮮人権に関する図書刊行数 z 2 23 56

    →臼脱北者、脱北難民に関する学位論文数 0 3  1 20 243吻北朝鮮人権に関する学位論文数 0 i     I     I 3 19

    出典:ユン・ヨサン『北韓人権文献分析』(ソウル;北韓人権情報セソター,

      2008年),pp.47-102.

    に関する調査報告書及びそれを分析した事例研究も活発となった。(図3参照)したがって本稿は,

    北朝鮮人権研究が本格的に軌道に乗った時期を,北朝鮮政府が国連に食糧危機を知らせ,人道的支

    援を要請した1995年以降であるとみる。とはいえ,その前の時期において北朝鮮の人権侵害の実

    態が全く無視されていたわけではない。例えば,アムネスティ・・インターナショナル(Amnesty

    International)は,1973-74年度の定期報告書から北朝鮮の人権i状況について記し,1979年にはベ

    ネズエラの詩人であるアリ・ラメダの手記を通じて,北朝鮮の強制収容所の存在を知らせた。

    1988年には,北朝鮮の人権実態を包括的にアプローチし,具体的に記述した最初の調査報告書が

    ミネソタ弁護士会(Minnesota Lawyers International Human Rights Committee)とアジアウォッ

    チ(Asia Watch)により発表された82。

     その反面,韓国における北朝鮮研究は,現状に対する客観的検証も欠如しており,北朝鮮の非人

    道性に対する単なる告発,韓国社会における反共・イデオロギーに立脚した北朝鮮体制の批判として

    の側面があったことは否めない。一方,韓国とは対照的ではあったが,日本における北朝鮮研究も

    いくつかの間題があった。このことについて藤井は,日本の北朝鮮研究の問題は「人民の悲惨な暮

    らし」などの「諸相についての客観的分析が不足して」おり,北朝鮮研究老が「そうした記録類を

    無視する傾向が強い」ことにあると批判している83。

     しかし,今日における北朝鮮の人権に関する既存の研究もまた,いくつかの側面において限界が

    あると言える。北朝鮮人権研究について,ソ・ボヒョクは「北韓人権に関する研究は国内外を問わ

    ず,「理論の貧困と政策の過剰」現象が見られる」と述べている84。この指摘通り,北朝鮮の人権

    82ミネソタ弁護士会国際人権委員会,アジアウォッチ編(小川晴久,川人博訳)「北朝鮮の人権:世界人権宣

     言に照らして』連合出版,2004年。

    83藤井一行「北朝鮮体制とスターリン体制」(中野徹三,藤井一行ほか編著r拉致・国家・人権一北朝鮮独裁

     体制を国際法廷の場へ』大村書店,2003年所収),158-65頁。

                         146一

  • 研究が未だに初歩的な段階にあることは異論がないようである85。というのは,それらの研究が自

    由権だけを問題視したり86,脱北難民,脱北者の証言に頼り過ぎている87からである。あるいは,

    思想的に偏っていたり,歴史的,文化的,政治的な背景が欠けている場合もある88。とりわけ,北

    朝鮮の人権状況に関する記述の殆どが脱北者や脱北難民の証言による点は,その客観性と信頼性に

    対する批判にもつながっている89。だが,それでもなお,一切の北朝鮮の実態から切り離されてい

    る今日において彼らの証言と記録ほど重要なものはない。

     今まで見てきたように,北朝鮮の人権状況に対する認識は,人権の普遍性に対する異論,人権軽

    視,北朝鮮社会の閉鎖性などの劣悪な条件の下ではあったが,普遍的人権の拡大及び具体化に伴

    い,確実に向上してきた。それにもかかわらず,今日のように北朝鮮人権研究が遅れ留まっている

    のは,北朝鮮に対する無関心や偏見,そして関連諸国の地政学的な利害関係が,結果として北朝鮮

    の人権状況に対しては言うまでもなく,人権研究にも悪影響を与えたからであろう。

    第3章結び一北朝鮮人権問題の構造一

     これまでの北朝鮮「人権問題」に関する先行研究は,北朝鮮の人権状況を明らかにし,分析する

    報告書形態の事例研究及びそれに対する国際社会と北朝鮮の対立に関する研究に集中している。そ

    れらの研究において,北朝鮮の「人権問題」とは人権侵害の実態のことで,その原因と現状,改善

    策を分析,提示するのが主たる研究のパターンであると言える。しかし,これまで記してきたよう

    に,北朝鮮の人権状況を論じるにあたって,問題とすべきことは北朝鮮による人権侵害の実態だけ

    ではない。

     そこで,ソは,よりユニークな視点で北朝鮮の人権問題を定義づけている。彼は,北朝鮮の人権

    問題とは,「北朝鮮の人権をめぐる全ての側面を含む用語」であると論じ,抽象的で難解な普遍性

    と特殊性の関係である点で「理論的側面」と,その他の「実践的側面」を持つと述べている。また,

    「実践的側面」には,北朝鮮の人権状況(客観的側面),北朝鮮の人権に対する改善方向(主観的側

    84ソ・ボヒョク『北韓人権:理論・実際・政策』(パジュ:ハソウルアカデミー,2007年),12-3頁。

    85キョソ・ギュサソ  「北韓人権問題:韓国と国際社会の役割」(ジョン・ヨンソンほか著『韓国政治特講』

     ソウル;崇實大學校出版部,2008年所収),555-93頁;前掲『北朝鮮:飢餓の政治経済学』;前掲「なぜ我

     々は北韓の人権を提起すべきか」;Jiyoung Song, Human Righ ts Discourse in North Korea: Post-Colonial,

     Marxist and Confucian Perspectives(New York:Routledge,2011).

    86フリーダム・ハウス(Freedom House), CISI(The Cingranelli-Richards Human Rights Data Project),ア

     メリカ国務省(US State Department)による人権評価,調査報告書など。

    87デビッド・ホーク,北朝鮮人権アメリカ委員会(小川晴久,依藤朝子訳)『北朝鮮隠された強制収容所:亡

     命者・脱北者24人の証言』草思社,2004年。

    88Jiyoung Song, Human」R. ights Discourse in North Koreα, pp.7-8.

    89このことは,北朝鮮によっても批判されている。北朝鮮の『朝鮮中央通信』は,「ヒューマソ・ライツ・ウ

     ォッチ」を次のように非難した。「しばしば事実が証明されなかった信頼性のない情報に基づいて報告書を

     作成する。よく匿名の「目撃者」の言葉を引用するから,検証が不可能である。」(平壌:2012年2月4日)

    一147一

  • 面),そして北朝鮮の人権をめぐる国際社会の動向(主客観的側面)が含まれるgo。このようなソ

    の定義は,包括的でわかりやすいが,時間の経過に伴う人権認識の相違については触れていないた

    め,具体性が欠けており,不明瞭な点があると考える。以上のソの定義に留意しながら,前章まで

    に述べてきた北朝鮮の人権状況をめぐる諸問題を再考し,その構造を表した図が以下である。

    ③混迷・停滞期

    2003

     ② 過 渡 期

    1995

    ① 初   期

    1948

    図4 北朝鮮「人権問題」の構造(筆者作成)

    「 問 題 」 の 拡 大

     北朝鮮の人権状況に関する議  論  本  格  化

    人権実態の可視化騨   P   H   w   簡   腎   簡  尉   ”   熟   鵬   脇  w

    人権状況の悪化

    「問題」となる人権実態の伏在

       人権に対する ダブルスタンダード

     普遍的人権の相対化

    呪   即  w   π  揃  胴  胃  M  魑  一  腎   簡   胴  鼎  ”  輪   騨   謄   鳳  験  騨  厚  M  魑  ”  閉   騨  謄  簡

     人 権 軽 視 ・無 視

    難簿畿難器麗

    具体化

    拡大

    北朝鮮の人権状況

    適用(人億剛野の鱗勉)

    制度化

    合意

    「人権の普遍化」

     図4にあるように,本稿では北朝鮮の「人権問題」を①初期,②過渡期,そして③混迷・停滞

    期に分け,既に慢性化した問題と比較的に新しい問題を「人権の普遍化」に関連付けて示した。す

    なわち,北朝鮮の「人権問題」とは,①政治,社会,文化,歴史における人権抑圧メカニズムによ

    り,人権侵害が行なわれていた実態に加えて,普遍的人権の保障が国際社会において制度化され,

    一面においてはその適用がなされていたにもかかわらず,依然として人権が軽視,無視されてさら

    に人権状況が悪化した初期段階における問題と,②北朝鮮における食糧危機を機に,漸くその実態

    が可視化されたが,人権の普遍性に対する諸批判に便乗する形で「人権」論争を展開し始めた過渡

    期における問題,③国際社会において北朝鮮の人権状況が本格的に議論されるようになった一方

    で,国際社会の政治的,国家的利害などにより,再び人権が侵された,混迷・停滞期における問題

    として捉えることができる。

     このように「人権問題」を如何に定義するかは,今後の戦略設定に与える影響も大きく,その改

    善及び解決を左右する問題でもある。換言すれば,本稿で試みた北朝鮮の「人権問題」の再定義は,

    普遍的人権に対する国際社会の協力と平和的な取組みこそが北朝鮮の人権状況の改善のみならず,

    人権認識の向上と地域的安定に向けた先決問題であることを示唆すると言えるであろう。

    go前掲『北韓人権』10頁。

    一 148一