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41 日本式村張り定置網の技術移転による漁村コミュニティ振興 有元貴文(東京海洋大学) 1.はじめに 水産分野の国際技術協力のなかで,日本の定置網を技術移転する試みが世界の各地で挑 戦されてきた。富山県氷見市が刊行した氷見定置網トレーニングプログラムの報告書(氷 見市,2003 年)のなかで,JICA 事業としてこれまでにチリ,トリニダード・トバゴ,パ ラオ,タンザニアでの技術移転のあったことが記されている。この他に地中海でクロマグ ロを対象にしたチュニジアでの大型定置網の移転事業もあった。しかし現状として,アジ ア地区では韓国,中国,台湾を除けばフィリピンが唯一の定置網を持つ国であり,タイ国 やインドネシアでは過去に何回かの移転の試みがあったものの,定着するには至っていな かった。 一方,責任ある漁業の枠組みが当然となりつつある現状では,新しい漁法を途上国に技 術移転しようと考えても,実際には非常に困難な状況を覚悟する必要がある。特に,これ までの漁業技術の移転がしばしば乱獲による資源の枯渇につながり,結果として資源管理 のための手法や種苗放流による資源添加を実施することが新たに要求され,このためにさ らに技術協力を続けるというサイクルに陥っているという事例が当然のように話題になる。 定置網が環境にやさしく,持続的な漁業を実現するための最適な漁法であるというお題目 だけでは決して許されない状況にあることは理解しなければならない。(有元,2007このような情勢のなかで,2003 年にタイ国で日本式の定置網が導入され,すでに 5 目が過ぎようとしている。当初は東南アジア漁業開発センターの事業(Munprasit 2004として実施され, 2005 年からは富山県氷見市が JICA の草の根技術協力事業(地域提案型) として,積極的に技術支援を行ってきた(有元,2006)。このなかで,定置網を通じて, 沿岸小規模漁業者がグループを結成して操業することの大切さが認識され,前浜漁場の資 源を管理しょうという意識を生みだし,またトロールや巻き網の沿岸域での操業に対して, グループとして立ち向かうだけの意識と立場の強さも育ってきている。( SEAFDEC 2005このタイでの定置網技術移転の成功を受けて, 2007 年からは JICA の草の根技術協力事 業(パートナー型)としてインドネシアの南スラヴェシに定置網を導入することとなり, その際に日本の村張り定置網の概念を前面に出して,地域振興のためのツールとしての有 効性を実証することとなった。2008 3 月には漁具の敷設が完了し,操業が開始となっ た。この準備段階からの経緯を報告する形で,日本の村張り定置網が途上国の漁村コミュ ニティ振興にどのように役立つかを整理してみたい。 2.インドネシアにおける定置網導入の経緯 インドネシアではセロと呼ばれる伝統的な簀立漁法があり,袋網の部分に櫓を組んで集 魚灯で集めるような工夫もあり,各地沿岸の小規模漁業として発達してきている。しかし, 日本式の定置網についてはまだ導入成功例がないままに現在に至っている。日本の大学に 留学し,あるいは JICA の研修を受けて帰国した研究者や行政官は多く,日本で学んだ定 日本水産学会 漁業懇話会報 No.54 (2008) アジア太平洋島嶼域の国際開発協力における 持続的な漁業への提言
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Aug 21, 2020

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日本式村張り定置網の技術移転による漁村コミュニティ振興

有元貴文(東京海洋大学)

1.はじめに 水産分野の国際技術協力のなかで,日本の定置網を技術移転する試みが世界の各地で挑

戦されてきた。富山県氷見市が刊行した氷見定置網トレーニングプログラムの報告書(氷

見市,2003 年)のなかで,JICA 事業としてこれまでにチリ,トリニダード・トバゴ,パラオ,タンザニアでの技術移転のあったことが記されている。この他に地中海でクロマグ

ロを対象にしたチュニジアでの大型定置網の移転事業もあった。しかし現状として,アジ

ア地区では韓国,中国,台湾を除けばフィリピンが唯一の定置網を持つ国であり,タイ国

やインドネシアでは過去に何回かの移転の試みがあったものの,定着するには至っていな

かった。 一方,責任ある漁業の枠組みが当然となりつつある現状では,新しい漁法を途上国に技

術移転しようと考えても,実際には非常に困難な状況を覚悟する必要がある。特に,これ

までの漁業技術の移転がしばしば乱獲による資源の枯渇につながり,結果として資源管理

のための手法や種苗放流による資源添加を実施することが新たに要求され,このためにさ

らに技術協力を続けるというサイクルに陥っているという事例が当然のように話題になる。

定置網が環境にやさしく,持続的な漁業を実現するための最適な漁法であるというお題目

だけでは決して許されない状況にあることは理解しなければならない。(有元,2007) このような情勢のなかで,2003 年にタイ国で日本式の定置網が導入され,すでに 5 年目が過ぎようとしている。当初は東南アジア漁業開発センターの事業(Munprasit,2004)として実施され,2005 年からは富山県氷見市が JICA の草の根技術協力事業(地域提案型)として,積極的に技術支援を行ってきた(有元,2006)。このなかで,定置網を通じて,沿岸小規模漁業者がグループを結成して操業することの大切さが認識され,前浜漁場の資

源を管理しょうという意識を生みだし,またトロールや巻き網の沿岸域での操業に対して,

グループとして立ち向かうだけの意識と立場の強さも育ってきている。(SEAFDEC,2005) このタイでの定置網技術移転の成功を受けて,2007 年からは JICA の草の根技術協力事業(パートナー型)としてインドネシアの南スラヴェシに定置網を導入することとなり,

その際に日本の村張り定置網の概念を前面に出して,地域振興のためのツールとしての有

効性を実証することとなった。2008 年 3 月には漁具の敷設が完了し,操業が開始となった。この準備段階からの経緯を報告する形で,日本の村張り定置網が途上国の漁村コミュ

ニティ振興にどのように役立つかを整理してみたい。 2.インドネシアにおける定置網導入の経緯 インドネシアではセロと呼ばれる伝統的な簀立漁法があり,袋網の部分に櫓を組んで集

魚灯で集めるような工夫もあり,各地沿岸の小規模漁業として発達してきている。しかし,

日本式の定置網についてはまだ導入成功例がないままに現在に至っている。日本の大学に

留学し,あるいは JICA の研修を受けて帰国した研究者や行政官は多く,日本で学んだ定

日本水産学会 漁業懇話会報 No.54 (2008) アジア太平洋島嶼域の国際開発協力における

持続的な漁業への提言

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置網の技術を導入したいとの希望は戦後すぐの段階から聞かれていた。特に,インドネシ

アの水産高等教育確立に尽力された故アイオディア先生の薫陶を受けた教え子達は,なん

とかして日本の定置網技術をインドネシアに導入しようと様々な努力を続けていた。 記録に残っている最初の技術導入は 1956 年にカリマンタン島であり,続けてスマトラ島リアウ州,ジャワ島のマドゥラ等での試みがあったが定着には至らなかった。この年代

はタイ国での導入の歴史と同じ時期であり,日本で学んだ留学生が帰国しての果敢な挑戦

であったろう。さらに,1980 年代,そして 90 年代にも散発的な挑戦が続けられた(Wudianto,2003)が,今に思えば日本からの技術支援も十分ではなかったはずで,失敗の歴史だけが積み重ねられていた。 2002 年に氷見市で開催された世界定置網サミット(江添,2002,2003),そして 2003年にタイ国での定置網技術導入が行われたことを契機として,日本での留学を終えて帰国

したばかりの若い研究者たちの新しい動きが始まった。2005 年 1 月に日本学術振興会拠点大学事業によるセミナーをスマトラ島リアウ大学で開催した折に,多分インドネシアで

初めての定置網漁業に関するセッションを開き,タイ国での技術導入の成果を紹介した。 この折に,スラヴェシ島北部のマナド近郊で外国資本による大型定置網の導入事例のあ

ったこと,沿岸漁業者がこれに反発して撤去のやむなきに至ったことが紹介され,驚いた

のを覚えている。同時に,2004 年 12 月にあったスマトラ島アチェでの津波災害が話題になり,この地域の復興に向けて定置網を導入して新しい沿岸漁業の仕組みを作りたいとの

提案がだされ,2005 年 4 月には実態視察のための国会議員の来日もあり,氷見市を訪問している。(有元,2006) この当時は燃油高騰の始まりかけた頃でも

あり,インドネシア海洋水産省としても沿岸

で安定した漁獲の上げられる定置網漁業に注

目し始め,いくつかの候補地をあげて導入の

可能性を探り始めていた。過去に行われてき

た導入の試みを考えると,ここでまた失敗し

てしまえば,インドネシアでの定置網導入の

可能性がなくなってしまうことが最も心配で

あり,慎重に進めるようにとの忠告を続けて

きたが,実際には候補地の一つであったイリ

アンジャヤに 2006 年に導入が実施され,操業が始まったとの報が入った。 3.候補地選定から始まった長い助走期間 タイ国での技術移転に際しては SEAFDEC 訓練部局が技術指導にあたっており,また漁業者を氷見市へ招聘しての短期の研修も行われていた。これに対して,インドネシアでは

現地側に技術指導を行えるだけの人材はいないことから,日本で定置網漁業研修を済ませ

て帰国している人材の利用を考えた。日本で外国人を受け入れての漁業研修制度はマグロ

延縄漁業とカツオ一本釣り漁業が主体であり,定置網漁業で研修生を受け入れているのは

宮崎県南郷町だけであった(竹内,2002)。インドネシアへの定置網技術移転を計画するにあたって,ここで 3 年間の研修を終えて帰国した人材の確保を目指すこととした。南郷

図 1 インドネシアでの定置網技術 移転候補地

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町に出かけて実態調査を行ったところ,第 1 期生が南スラヴェシのボネ水産高校の卒業生であり,彼が非常に優秀であったことから続けて同じ高校からの研修生受入を行っている

ことが分かり,導入候補地としてボネ県パレテ村が決定された。 ここでまったくの偶然であったが,海洋大の博士課程に在籍しているイブヌー氏がこの

高校の卒業生であり,里帰り帰国の折に現地を訪問しての実態調査を依頼した。スラヴェ

シ島はアルファベットの K の字をしており,南側にボネ湾という大きな湾がある。ボネ県はこの西側の半島のボネ湾に面したところに位置し,人口 69 万人,南スラヴェシ州の州都マカッサルから 200 キロ,車で山を越えて 5 時間の距離である。漁業としては集魚灯を利用した巻網と敷網が主体であり,沿岸では櫓を組んで操業する敷網,簀建,釣り,刺

網,籠といった小規模な漁法が行われている。また,キリンサイの海藻養殖が始まった段

階であり,この養殖面積の拡大が進みつつあった。 図 2 南スラヴェシ ボネの位置 図 3 ボネ県での漁業実態 候補地の選定が終わってからが長い助走期間の始まり

となる。予算の獲得先として,タイ国で氷見市が実施し

ていた JICA の草の根技術協力をお手本に,草の根パートナー型として新たな申請を目指すこととなった。海洋

大も水産分野での第 1 号として JICA にコンサルタント登録を済ませてはいたが,JICA への提案書を作り,予算案を作成するのは素人にはあまりにも困難であり,海

外コンサルタント会社との連携を取ることとした。実際

には,インドネシアでの技術協力に経験豊富なアイ・シ

ー・ネット(株)と新事業の立ち上げに向けて早い段階

から相談を開始しており,南郷町での定置網漁業研修制

度の調査も共同で行ってきた。 第 1 回目の現地視察は 2006 年 3 月であった。タイ国での定置網技術指導に実績のある氷見市から 1 名,アイ・シー・ネットから 2 名,そして海洋大から 2 名の合計 5 名での現地入りであった。ここで漁業者グループや県水産局,そしてボネ水産高校との初顔合わせがあり,

図 4 第 1 回現地調査

ボネ県 パレテ村

マカッサル

ボネ湾

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また南郷町で定置網研修を受けた 1 期生のザエナル氏を始めとして,草の根事業が始まれば技術者として手伝っていただく候補者との顔合わせもできた。魚探とハンドコンパスを

使って海底地形の簡単な調査から敷設位置の見当をつけ,また魚市場での水揚げの状況を

確認してきた。また,マカッサルにあるハサヌディン大学は海洋大と姉妹校の関係にあり,

定置網技術導入に向けての協力体制を確保し,リエゾンオフィスの設置まで提供を受けた。。 これを受けて,海洋大としての草の根技術協力事業の申請に向けた学内合意の取り付け

に入り,7 月の提案申請に向けての準備作業を開始した。大学で通常行っている研究費申請とは別次元の書類作成となり,アイ・シー・ネットのスタッフの強力な支援が続き,ま

た JICA の窓口となる担当者との打合せも続いた。草の根技術協力は 3 種類の枠組みが用意されており,いずれも 3 年以内の事業として地域提案型が 450 万円以内,協力支援型が1000万円以内,そしてパートナー型が 5000万円以内となる。定置網の漁具材料を購入し,漁具作成から敷設作業,操業指導,さらに操業結果のモニタリングまで考えると,パート

ナー型を目指すのが望ましいのは確かであり,平和構築や環境・人権・福祉といった分野

で実績のある大手国際 NGO との競争は大変であるとの忠告を受けつつ,関心表明から提案書申請まで進めてきた。

図 5 事業開始に向けて 上左 漁業者代表 上右 帰国研修生 下左 敷設候補地にて 下右 ロゴマーク

実際にはこの時点での採択はかなわず,当初から 2 年間は連続して挑戦する覚悟でいたこともあり,ボネ県への 2 回目の現地視察を続けて実施した。2006 年 8 月であった。このときは SEAFDEC で定置網技術移転を担当するアスニー氏との二人旅となり,始めにジャカルタ近郊のボゴール農科大学でのセミナーに参加して,インドネシアでの定置網導入

に向けた準備会合をもった。続けて,アチェ州での導入候補地の視察,そして本命となる

ボネ県での現地事前調査,最後にジャワ島に戻って,バンテン州での定置網導入に関する

準備会合と,忙しく動いている。ボネ県ではインドネシアの漁具会社であるインドネプチ

ューン社からも 2 名が参加し,今後の事業展開の中での漁具資材提供の可能性についても協議を開始した。また,電磁式流向流速計と水深水温形を漁場候補地に設置し,本格的な

漁場環境調査を開始した。このときの調査結果をもとに,11 月申請に向けた提案書の加筆修正が行われ,翌年の採択につながることとなる。

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4.JICA 草の根事業(パートナー型)の採択 2006 年 11 月の第 2 回申請で採択がかなった。JICA ホームページに掲載されている提案事業の概要(http://www.jica.go.jp/partner/kusanone/partner/detail/ind_04.html)を以下に示す。

1.対象国名 インドネシア

2.事業名 南スラウェシ州の持続的沿岸漁業のための村張り定置網による漁村コミュニティ振興

3.事業の背景と

必要性

インドネシアの沿岸域では漁業者の持続的水産資源利用への意識が低いまま、多様な沿岸

漁業が無秩序に行われている現状にある。そのために、漁獲量は減り続け、漁業者の所得

水準は低く、生活が困窮している。沿岸域の安定的な漁業生産と漁家経営を目指すには、

持続的な漁業技術の導入と漁業者の組織化が重要であり、水産資源と漁場の管理を維持す

る沿岸域の漁村振興を可能とするツールが必要となる。このためには、日本の漁村で長い

伝統を持ち、漁村経済の活性化と漁場保全に大きな役割を果たす「村張り定置網」の導入

が有効である。沿岸域住民の合意形成の上での漁場管理を前提とした、日本の定置網漁業

を紹介し、個々に操業する漁業者の協業化を促進させ、沿岸域の漁獲努力量を削減すると

ともに、地域コミュニティによって漁業経営体を組織することで、住民の収入が安定し、

沿岸漁村振興が実質的、効果的に促進されることが期待される。

4.事業の目的 漁場の利用管理と持続的沿岸漁業のツールとして「村張り定置網」が定着し、持続的な漁

業技術、水産物加工・流通、漁家経営の改善を図り、対象地域の沿岸漁業の持続的発展と

地域振興を図る。

5.対象地域 南スラウェシ州 ボネ県

6.受益者層 ボネ県 東タネテ・リアタン郡 パレテ村の住民 約 1,700 人

7.活動及び期待

される成果

1. 地域住民の合意形成をもとに漁業者グループを組織化し、村張り定置網を共同操業するための基盤を構築する(「村張り」制度の導入)。

2. 定置網の製作・敷設・管理を漁業者が共同で行い、漁業者組織が主体となって定置網を経営する(組合による定置網操業の実践)。

3. 定置網の経営を安定させるために、鮮魚・活魚の販売ルートの確保や水産加工品生産を行い、漁業経営の採算性を高める(付加価値をつけた流通・販売の確立)。

4. 利益配分システムが確立され、定置網の経営状態をモニタリングする(定置網の利益の適切な管理)。

8.実施期間 2007 年 8 月~2010 年 8 月(3 年)

9.事業費概算額 49,980 千円(予定)

10.事業の実施体

日本側:国立大学法人 東京海洋大学、アイ・シー・ネット(株)

インドネシア側:現地の漁業者組合(KMP)、ボネ県海洋水産局、ボネ水産高校

II.応募団体の概要

1-1.代表団体名 国立大学法人 東京海洋大学

1-2.活動内容 水産・海洋に関する教育と総合的研究(国際的な共同研究・技術協力)

2-1.団体名 アイ・シー・ネット株式会社

2-2.活動内容 漁業・増養殖、漁村振興、住民参加型開発を中心とした国際協力事業(開発調査、技術

協力プロジェクトなど)

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草の根事業はボランティア・ベースの事業であり,大学のスタッフが要請を受けて技術プ

ロジェクトに専門家として参加するのとはかなり異なった体制となる。大学として外部資

金の導入にはなるものの,予算のすべてが買い物と旅費で終わってしまい,それでは大学

のメリットは何か,そして大学の関与する事業としての意義はどこにあるのかを説明しな

ければならなかった。文部科学省も「我が国の大学における国際開発協力の促進について

(2002 年)」といった方針を打ち出してはいるが,実際には各大学の対応力や基本姿勢の違いは大きいはずであり,「実践的,かつグローバルな研究・教育機会の創出,人材育成の

促進に向けた研究の場の提供,これを通じた大学そのもの,そして教員・学生の国際化促

進と国際競争力の強化,さらに途上国ネットワーク構築による国際貢献」・・・といった内

容を改めて説明することが要求される。もちろん自分達にとっても大義名分は必要である

が,義務感からではなく,やりがいのある面白い事業でなければ担当者が息切れしてしま

うのも確かであろう。(有元,2006) JICA からの採択確定と前後して第 3 回目の現地事前調査を実施した。こちらは海洋大の大学院シーズ研究費として学内経費を獲得していたものであり,漁具漁法,漁船・漁場

環境,経営管理に,水産環境教育の分野を加えた 4 名で現地入りした。実はこの派遣の折に,4 名中 3 名までが水か食べ物かにあたってダウンしてしまい,帰国後に入院・通院という事態まで起こしてしまった。南方での技術協力をしていれば当然ではあろうが,身体

を壊してまでも実施する意義はあるのかと悩む時期があった。それでも草の根チームから

のメンバーの脱退はなく,事業開始に向かってさらに進んでいく。 5.事業開始から操業開始まで(http://www2.kaiyodai.ac.jp/~tarimoto/index-setnet.html) 2007 年度の開始とともに,草の根事業が本格的に動き始めた。必要な漁具資材の確定と発注,船外機等の資機材やインドネシアで建造する予定の網起し船の仕様確定,こういっ

た日本国内とインドネシアでの購入についての見積りを用意して,初年度の予算案を確定

していった。同時に,海洋大とアイ・シー・ネットの間で共同企業体を結成し,JICA との正式契約を進め,また,インドネシア政府に対して事業実施に向けた合意の取り付けとい

った作業も行われた。これらのなかで,事業実施のためのインドネシア側との覚書の書式

確定に手間取り,当初の 7 月の事業開始の希望がかなわず,8 月の第 1 回派遣予定は日程的に間に合わず,事業外としての準備訪問となってしまった。この遅れが,漁具資材の発

注の遅れ,納期の遅れとつながってしまったのは悔やまれる限りであった。 さて,10 月に初年度事業としての第 1 回目派遣で漁具仕立て作業の開始,1 月の第 2 回目で箱網,運動場,垣網に側張りの完成,そして 3 月の第3回派遣で漁具敷設作業,操業開始と進められてきた。それぞれ 2 週間の派遣期間で現地漁業者に技術を伝え,次の訪問までの課題を残して帰国することが繰り返された。この間,9月には現地雇用のスタッフ

がタイ国の定置網技術移転先で研修を行い,また 11 月にはボネ水産高校の校長と漁業者グループのリーダーを日本に招聘して,氷見市での定置網漁業視察,そして南郷町での定

置網漁業研修の視察を実施した。日本では秋から冬への時期であり,氷見では初ブリの水

揚げまで視察でき,日本の魚市場のあり方や,沿岸漁業のなかでの定置網の重要性を理解

して頂けたに違いない。

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図6 第 1 回派遣(2007年 10 月) 網仕立て作業の開始

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図 8 氷見市寄贈の小型 FRP 船と現地建造の網起こし船による側張り設置作業

図 9 インドネシア草の根定置網の初起こし 2008 年 3 月 3 日,初起こしであった。ボネ湾に浮かぶ側張りの黄色い浮子の列,氷見の網起し船をもとに現地で建造した木造船が垣網に沿って進み,網の中に入っていく風景,

長かった助走期間,そして網を作り始めてから半年間の苦労が報われる感動の景色であっ

た。初漁は 245 キロの漁獲,ヒイラギ等の小型魚主体なのは残念であるが,周年操業のなかで高級魚の漁獲増を期待し,また鮮度保持による販売努力と加工による付加価値向上に

向けて,草の根定置網は次の段階に入っていく。

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6.途上国漁村振興のための村張り定置網の意義 日本の定置網を途上国へ技術移転しようとするこれまでの試みは多いにもかかわらず,

実際に定置網が地域に定着し,他地域へ普及するという成功例はなぜみられないのだろう

か。今回の草の根事業を始めるにあたっての大きな疑問であり,この事業の成否にかかわ

る大事な視点であると感じていた。各国で技術移転に携わってきた方々の体験談からは,

材料のないところから始まる漁具の仕立ての苦労,海面を占有使用することへの行政や地

元漁業者の理解不足,そして漁具の維持管理を伝えることの難しさや,操業で大漁したと

きの漁獲物処理能力の問題まで,確かに難しさは山積みであることが実感できる。 これまでの技術移転の内容は大きく 2 つに分けられる。一つは定置網を入れることが大きな目標となるプロジェクトであり,漁具会社のスタッフが資機材を日本から持ち込んで

敷設から操業開始までを担当する。もう一つは,ある地域の漁業振興を目指したプロジェ

クトのなかで,定置網の建て込みや操業指導に実績のあるスタッフが事業の一環として独

自に実施する場合で,この場合は本当に何もないところからのスタートとなる。ODA によるプロジェクトの評価は妥当性,効率性,目標達成度,インパクト,そして自立発展性の

5つの項目について行われるが,残念ながら過去の事業のなかで定置網が定着しなかった

ことについての資料は入手できなかった。次の事業立ち上げに向けて,何を変えれば良い

のかの教訓が得られないことは,評価の仕組みそのものが十分に機能していないことであ

り,個人の経験にはなっても,組織的な経験として蓄積されていない悲しさがある。 タイからインドネシアへ続く定置網技術移転の試みには,越中大謀網発祥の地としての

富山県氷見市の大きな努力があり,個人的なつながりを大事に育てての連携体制があって

こその事業展開であった。その氷見市の漁業者から,村張り定置網についての教えを受け

る機会があった。江戸時代から続く定置網漁業が氷見の村にとってどのようなものだった

かの議論である。この教えを受けて,インドネシアでの技術移転プロジェクトでは「村の,

村による,村のための・・・定置網」という概念を前面に出しての立ち上げを行った。 「村張り定置網」という言葉は,定置網漁業を学ぶ上で必ず聞く機会のあるものだが,

実際にきちんと定義されたものではないようである。現状の会社経営や漁業協同組合自営

の定置網に対して,共同組合としての組織が村張り定置網の流れを受けたものと考えるが,

もちろん江戸時代からの組織体制のままであるはずもなく,今では概念としての立場にな

ってしまっている。 村張り定置網について私の考えは,定置網の存在によって一つの村の経済が成り立つも

のであり,他の産業を持たない村が共同体として生きるための手段となる。江戸時代に地

引網やカツオ一本釣りなどの組織的な漁業を行うにあたっては,漁具,漁船から労働力の

確保まで多額の資金が必要であり,村の有力者による網元経営による場合もあれば,複数

の有力者による資金供与や,あるいは村として資金を借り入れての経営が通常であった。

これらの形態が戦前まで続いていたわけであり,戦後の漁業制度改革を経て現在の経営体

が機能していることになる(山口,2007)。かつての大型定置網であれば,例えば 100 名の乗り子が必要であり,その水揚げに 100 家族が依存するわけであり,これに加えて,加工や流通からサービス業といった周辺産業が村のなかに育つことになる。氷見市で受けた

教えでは,飢饉や経済恐慌のあったときには乗り子を増やして 200 名を収容し,歩合を半分に抑えて 1 日おきに操業に参加するような対応がなされたという。村として生き残るための道具であり,これを活かすための知恵があったといえよう。もちろん村が都市化し,

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変化していく過程で,定置網への依存度が低下し,村張りとしての意義が失われ,特に資

本投下と回収努力という観点からは今の日本で経営的な効率性が追求されるのは当然であ

ろう。しかし,村張り定置網の基本的なあり方は,途上国の漁村コミュニティ振興に新し

い道具を提供することが期待される。 7.村張り定置網は途上国援助に本当に有効か インドネシアでの草の根技術協力としての定置網の技術移転は,操業開始までなんとか

漕ぎ付けて初年度が終了した。しかし技術移転は目的ではなく手段でしかない。この枠組

みを使って,どのように漁村コミュニティ振興を実現するかがプロジェクトの最終目標と

なることはいうまでもない。過去に行われた各地での定置網技術移転の経験が十分に活か

されてはいないのだが,少なくとも「援助の切れ目が成果の切れ目」にならないように 3年間事業を遂行することは最低条件である。そのための方法論として,現地で入手できる

漁具資材と漁業技術で定置網を始めることが必要であり,地産地消の魚価にみあった初期

投資を考えてきた。日本から漁具を持ち込んだ場合の設備投資は,現地での水揚げ金額に

到底対応せず,収支バランスがとれないことは目に見えている。また,日本へ輸出できる

ような高級魚を狙った定置網の操業は,フェアトレードの問題も含めて,現地の産業や経

済を底支えする仕組みとしては縁遠いことも確かである。 残念ながら現状の定置網資材に要した費用はまだまだ現地価格として普及可能なレベル

ではなく,設備投資としての経費削減も課題である。しかし,漁具仕立てから建て込み,

そして網起しや網替えの技術については地元漁業者にじっくりと時間をかけて移転する努

力が続いていく。そのなかで,この道具をつかいこなせるか,または操業経費と水揚げ金

額の収支決算のなかでこの道具を使い続けていこうという意識が育ってくれるかが重要な

評価基準になるだろう。さらに,定置網の漁獲物が高鮮度であり,活魚出荷まで対応でき

るという日本での優位性が,インドネシアで通用するかどうかはこれからの販売努力にか

かっている。また,大漁貧乏にならないための加工保存のあり方も大きな課題であり,日

本式の干物やすり身加工を通じて,新しい食文化を生み出す可能性もあり,一村一品とし

ての展開も夢がある。体験漁業や観光漁業としてのエコツーリズムへの展開や,現地の水

産高校がインドネシアの定置網技術移転のためのセンターとして機能してくれる可能性も

大きい。もちろん,定置網そのものや,漁業者がグループとして参加する組織について,

日本からの押し付けになってしまってはいけない。現地漁業者に妥当なレベルでのオーナ

ーシップが生まれてくれることを期待したい。 ボネ県での定置網導入に際して,漁場を占有するという定置網の特性を説明し,地元関

係者や行政の理解を得ての事業展開ではあるが,今後の普及に向けては定置網漁業権や規

制のあり方まで伝えていくことが要求されている。すでに南スラヴェシに限らず,インド

ネシア各地のからの問い合わせも多くなっており,草の根レベルでの技術協力がどのよう

に実を結ぶかの第 2 段階が始まる。インドネシアは日本と同じ島国であり,地方開発は建国以来の課題である(アジア経済研究所,1994)。特に東インドネシアの地域振興は今後の国際開発援助の大きな目標ともなっている。日本の定置網が沿岸域の資源管理に役立つ

かどうか,そして,途上国の漁村コミュニティ振興に本当に有効であるかを実証していく

過程で学ぶ経験は,日本の定置網漁業へフィードバックできるものに違いない。だからこ

そのやりがいであり,面白さであるという実感を大切にしていきたい。

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図 8 定置網技術移転の普及モデル 引用文献(年代順) アジア経済研究所:インドネシアにおける地方開発(ASEAN 等現地研究シリーズ No.27),pp.191,1994 森敬四郎・大沢要一・島 安萬:フィリピンの定置網,ていち,56 号,p.19-37,1979 江添良春:氷見から世界へ発信!!人と環境にやさしい定置網漁業-氷見定置網トレーニングプログラ

ム事業-,ていち,101 号,p.55-72,2002 竹内正一:外国人漁業研修・技能実習制度について,ていち,101 号,p.73-82,2002 江添良春:世界定置網サミット in 氷見を開催して(氷見定置網トレーニングプログラム),ていち,103号,p.31-37,2003 氷見市産業部水産漁港課:氷見定置網トレーニングプログラム報告書,氷見市,pp.313,2003 年 3 月 Wudianto: Set net sebagai alternatij alat tangkap ikan hemat energi, インドネシア海洋水産省,http://www.dkp.go.id/conetnt.php?c=3901 Munprasit A.: Preliminary study on the introduction of set-net fishery to develop the sustainable coastal fisheries management in Southeast Asia – Case study in Thailand, Proceedings of the 12th Conference of International Institute of Fisheries Economics and Trade (IIFET 2004 Japan CD-ROM, ISBN:0-9763432-0-7)), pp.11, 2004 Training Department, SEAFDEC : Final Report of Set-net Project / Japanese Trust Fund Ⅰ - Introduction of set-net fishing to develop the sustainable coastal fisheries management in Southeast Asia : Case study in Thailand 2003-2005, Southeast Asian Fisheries Development Center, TD/RP/74, pp.402, Sep.2005 有元貴文・武田誠一・佐藤 要・濱谷 忠・濱野 功・茶山秀雄・江添良春・A.Muranprasit・T.Amornpiyakrit・N.Manajit:日本の定置網漁業技術を世界へ-タイ国ラヨン県定置網導入プロジェクトの起承転結-,ていち,110 号,p.19-41,2006 有元貴文:大学における国際学術交流-過去・現在・未来-,日本水産学会漁業懇話会報,No.51「21世紀における国際学術交流」,P.1-14, 2006 有元貴文・崔 浙珍・安 永一・A.Munprasit・M.A.I.Hajar:定置網漁業における取り組み,日本水産学会漁業懇話会報,No.53「東アジアにおける持続的漁業への提言」,p.17-20,2007