1969 1976 JAF Grand Prix JAF GPの黎明期 日本グランプリと双璧をなす 国内最高峰のレース、JAF GP誕生 1975 JAFグランプリ(11月2日) 鈴鹿サーキット/6.0km×25周=150.1km 総合順位 ドライバー 車名 1 星野一義 ブラウンシンクロンマーチ 2 桑島正美 マーチ742 3 高原敬武 スタンレーマーチ 4 V.シュパン RALT・RT-1 5 長谷見昌弘 KEルノー 6 津々見友彦 コモドールマーチ732 PP:星野一義(マーチ・BMW)/1'57"8 1969 JAFグランプリ(5月3日) 富士スピードウェイ/6.0km×40周=240.0km 総合順位 ドライバー 車名 1 L.ゲオゲーガン Lotus 39Repco V8 2 R.レヴィス Brabham・Repco BT23C 3 加藤爽平 COLT F2C 4 G.スコット BOWIN P3 5 益子治 COLT F2C 6 矢吹圭造 ブラバムホンダ PP:生沢徹(コルトF2C)/1'53"81 1976 JAFグランプリ(5月3日) 富士スピードウェイ/4.3km×35周=150.5km 総合順位 ドライバー 車名 1 高原敬武 スタンレーノバ 2 A.リベイロ Gottiマーチ 3 長坂尚樹 ユニペックスマーチ 4 永松邦臣 マーチアストロン 5 長谷見昌弘 ダルメックスKEマーチ 6 高橋健二 ダルメックスマーチ PP:星野一義(マーチ・BMW)/1'17"19 1970 JAFグランプリ(5月3日) 富士スピードウェイ/6.0km×50周=300.0km 総合順位 ドライバー 車名 1 J.スチュワート BRABHAM BT30 2 M.スチュワート MILDREN WAGGOT 3 永松邦臣 COLT F2-D 4 G.ローレンス FERRARI DINO-V6 5 A.ウォーカー BRABHAM BT23C 6 L.ゲオゲーガン LOTUS 59 PP:J.スチュアート(ブラバムBT30・フォード)/1'49"00 1974 JAF鈴鹿グランプリ(11月3日) 鈴鹿サーキット/6.0km×25周=150.1km 総合順位 ドライバー 車名 1 高原敬武 マーチ742 2 桑島正美 マーチ742 3 星野一義 サーティーズTS15 4 高武冨久美 ユニペックスPA 5 津々見友彦 シックスーパーⅡブラバム 6 鮒子田寛 ブラバムBT40 PP:長谷見昌弘(マーチ・BMW)/1'58"6 1969 スタート風景 1970 J.スチュワート 1974 高原敬武 1975 星野一義 1976 スタンレー・ノバ(高原敬武) 1963年に始まった日本グランプリは、日本最高峰 のレースとしてモータースポーツの発展に大きな役 割を果たしてきました。その牽引役となったのは、 自動車メーカーの積極的な参画によって開発された プロトタイプカー(グループ6、グループ7)や、 市販車を改造したツーリングカーや GT カーなどの “ハコ物”でしたが、専門のコンストラクターが製 作した車体にエンジンを組み合わせるフォーミュラ カーは、まだ参加台数が少ないこともあって、いま ひとつ馴染みの薄い存在でした。 しかし、三菱ワークスによる継続的な参戦やコス ワース製エンジンの普及などが内容の充実と参加者 の増加を促し、1969年5月、日本グランプリと並ぶ 国際格式の本格的フォーミュラカーレースとして、 JAFグランプリが誕生しました。複数のカテゴリー の混走で行われた翌1970年大会で一旦休止しました が、1974年から、F2規定に準じた日本独自のF2000 シリーズの頂点イベントとして復活しました。