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1.はじめに アイルランドとイングランドの経済関係を特徴づ けるものは,イングランドのアイルランドに対する 嫉妬であると歴史家達が語っている。 それは国家 間の対立ではなく,取引に直接または間接に関わる 業者や統治者の利益の維持または拡大に対する執着 である。 国境を越えて利害関係の調整を試みたも のがイングランド議会によるアイルランド向けの政 策の実施であった。その政策の中で多少目立つこと は,アイルランドはイングランドの入植者達によっ て入植されたという事実があっても,アイルランド の厚生に有害な法を施法することが妨げられなかっ たことである。 アイルランドとイングランドの間の苦々しい論争 を開始させた3種類の財はアイルランド産家畜,ア イルランド産ウール,アイルランド産布であるが, 本稿では入手可能な文献に依存しアイルランド産家 畜に焦点を合わせて考察する。 2.アイルランドのイングランド政治・経済依存関 イングランド枢密院のアイルランドにおける役割 は大きかった。この枢密院によって意思決定された り規制されたアイルランドの経済生活の側面は,触 れられていない側面が殆どなかったからである。羊 毛,亜麻糸,木材,鉄,塩,牛肉,家畜,ワイン, 小麦,これらすべては枢密院の支配下にあった。支 配の一例を挙げると,英西戦争(Anglo-Spanish War,1626~30年)の間,スペインとのすべてのア イルランドの貿易は枢密院の命令によって禁止され た。 王政復古からの30年の間,多くの場合,議会が開 催されなかった。つまりアイルランドは極端にイン グランドに依存していたのである。王政復古の初期 において総督はイングランドの利益と矛盾しない限 りにおいてのみアイルランドの利益を促進するとい う明らかな命令を持っていた。アイルランド議会が 当時,あまり開催されなかったことゆえにイングラ ンドがアイルランドに対して政治経済政策を追求し やすかった。アイルランド議会が定期的に開催され ていれば,政治的緊張が生じていたはずである。そ してその上,イングランド議会がアイルランドの法 律制定をすることの憲法上の見せかけは不可避的に 批判されていただろう。イングランドがアイルラン ドを拘束した手段の多くは経済分野におけるもので, 最も有名なものの一つはアイルランドから外国に相 当するところに毛織物を輸出することを禁止した 1699年法であった。この法はイングランドに輸出す ることを妨げるものではなかったが,事実上イング ランドは禁止的関税を既に賦課していたので,アイ ルランドは海外に輸出できなかった。 17世紀におけるアイルランド産家畜貿易の一考察 蔵谷哲也 A Study on the Irish Cattle Trade in the 1600’s Tetsuya KURATANI ABSTRACT Using literature available the paper describes that Irish cattle trade with England in the 1600’s had been managed by England for the benefit of its interest group with greater political power. KEYWORDS : Cattle Acts, Irish cattle, Ireland, England 四国大学紀要,! A42:13-22,2014 Bull. Shikoku Univ. ! A42:13-22,2014 13
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Nov 16, 2018

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1.はじめに

アイルランドとイングランドの経済関係を特徴づ

けるものは,イングランドのアイルランドに対する

嫉妬であると歴史家達が語っている。1 それは国家

間の対立ではなく,取引に直接または間接に関わる

業者や統治者の利益の維持または拡大に対する執着

である。2 国境を越えて利害関係の調整を試みたも

のがイングランド議会によるアイルランド向けの政

策の実施であった。その政策の中で多少目立つこと

は,アイルランドはイングランドの入植者達によっ

て入植されたという事実があっても,アイルランド

の厚生に有害な法を施法することが妨げられなかっ

たことである。

アイルランドとイングランドの間の苦々しい論争

を開始させた3種類の財はアイルランド産家畜,ア

イルランド産ウール,アイルランド産布であるが,

本稿では入手可能な文献に依存しアイルランド産家

畜に焦点を合わせて考察する。

2.アイルランドのイングランド政治・経済依存関

イングランド枢密院のアイルランドにおける役割

は大きかった。この枢密院によって意思決定された

り規制されたアイルランドの経済生活の側面は,触

れられていない側面が殆どなかったからである。羊

毛,亜麻糸,木材,鉄,塩,牛肉,家畜,ワイン,

小麦,これらすべては枢密院の支配下にあった。支

配の一例を挙げると,英西戦争(Anglo-Spanish

War,1626~30年)の間,スペインとのすべてのア

イルランドの貿易は枢密院の命令によって禁止され

た。3

王政復古からの30年の間,多くの場合,議会が開

催されなかった。つまりアイルランドは極端にイン

グランドに依存していたのである。王政復古の初期

において総督はイングランドの利益と矛盾しない限

りにおいてのみアイルランドの利益を促進するとい

う明らかな命令を持っていた。アイルランド議会が

当時,あまり開催されなかったことゆえにイングラ

ンドがアイルランドに対して政治経済政策を追求し

やすかった。アイルランド議会が定期的に開催され

ていれば,政治的緊張が生じていたはずである。そ

してその上,イングランド議会がアイルランドの法

律制定をすることの憲法上の見せかけは不可避的に

批判されていただろう。イングランドがアイルラン

ドを拘束した手段の多くは経済分野におけるもので,

最も有名なものの一つはアイルランドから外国に相

当するところに毛織物を輸出することを禁止した

1699年法であった。この法はイングランドに輸出す

ることを妨げるものではなかったが,事実上イング

ランドは禁止的関税を既に賦課していたので,アイ

ルランドは海外に輸出できなかった。4

17世紀におけるアイルランド産家畜貿易の一考察

蔵 谷 哲 也

A Study on the Irish Cattle Trade in the 1600’s

Tetsuya KURATANI

ABSTRACT

Using literature available the paper describes that Irish cattle trade with England in the 1600’s had beenmanaged by England for the benefit of its interest group with greater political power.

KEYWORDS : Cattle Acts, Irish cattle, Ireland, England

四国大学紀要,�A42:13-22,2014Bull. Shikoku Univ. �A42:13-22,2014

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3.アイルランド産家畜について5

諸研究者の文献によると,アイルランドは家畜に

適した地域であることが以下のように指摘されてい

る。特に,牛は新石器時代以来飼育されてきた。

中世紀と近世初期に関しての発掘と花粉分析によ

ると,農業の様々な特徴が確認された。考古学者達

は骨の残骸を証拠として,牛のいくつかの異なった

種類に分類し,判明した。大型の牛はノルマン系英

国人や17世紀の定住者によってアイルランドに導入

されたかもしれないという。しかし,固定された特

徴を持つ品種を創る組織的な試みが一般的になった

のは18世紀後半になってからのことである。6 残骸

の中での様々な種(species)に属する動物の骨の

割合は様々な数値であったが。通常,牛が初期のア

イルランド農夫の家畜の中で最も重要な存在であっ

た。7

広範囲に及ぶ牧畜農業は16世紀におけるアイルラ

ンドの農業の特徴であった。そうであってもかなり

多くの穀物耕作地域や,食肉,乳,皮,血,獣脂の

ための家畜の飼育,そしてそれらは富と地位の象徴

として,多く存在していた。その後の世紀において

も,家畜飼育は重要なままであったが,オートムギ,

小麦,大麦,亜麻そして特にポテトの栽培が実際の

ところ,相対的重要性を増してきたように,牛肉の

ための肥育や,酪農業,マトンやウールのための羊

の飼育は相対的な重要性を増してきた。8

牧草地は大量にあるけれど,家畜の品質は低いと

言われている。9 フィネス・モリソン(Fynes

Moryson)によると,家畜はとてもではないが大き

くなることができないと考えている。というのは家

畜は昼間のみ餌を与えられ,夜は家畜の囲い

(Bawnes of Castles)の中に連れて行かれる。そ

してそこでは,家畜は汚れた飼育場で一晩中,立っ

ているか横になっている。ひと固まりの干し草さえ

与えられず,脱力感のために,そのような干し草が

ないことを気に留めようとはしない。そしてそのわ

ずかな干し草はすべて馬の為に取っておかれるとい

う。10 スペンサー(Edmund Spenser)によると,

国の全ての通り道は多くの木が茂り,山地であるが,

それらの間に多くの良い低地があり,住居に良好で

ある。こうした山地に隣接する低地は牧畜

(pastorage)を激増させるであろう。なぜなら,

その国は牧畜に適した土壌を持ち,繁殖にまさに向

いているからである。11

農業技術がほとんどなくしかも,土地の主要な部

分が外国の地主によって所有され,地元のアイルラ

ンド人を大量に,そうした土地で雇用することを恐

れていたので,家畜と羊の飼育は大いに適合してい

た。12

4.1600年代のアイルランド

イングランドから見ると,17世紀中頃以前は,ア

イルランドは実際のところあまりにも後進国だった

ので,嫉妬の感情を引き起こすものではなかった。

イングランドにはアイルランドに対する嫌悪感があ

り,実際のところ,多くのイングランドの人々がそ

の嫌悪感を持っていたという。ただし,それはアイ

ルランドに対する認識不足から来ていると言える。13

チャールズ1世の統治まで,アイルランドが何らか

の形でイングランドと競合することができるように

なるということは決して認識されなかった。14

ヘンリー・クロムウェルは賢明な統治を行い,

チャールズ2世の王政復古の時期には,繁栄回復の

兆しがすでにあらわれていた。家畜の大型輸出貿易

が確立していた。植民地化を通じての人口増大と合

わせて,自然資源の集中的開発がなされるにつれて,

外国貿易が劇的に増大した。この中での最大の革新

的要素は生きている家畜の輸出であった。1600年ま

では全く輸出されなかったが,1640年までに年間1

万5千頭の生きている家畜が輸出された。これは150

万から200万頭の羊の輸出と合わせると,アイルラ

ンド貿易の半分以上の額を占めた。15 アイルランド

にとっては,イギリス本土への肉牛年間輸出は1630

年代後半までに2万頭を超えていたと推定された。

これは17世紀初頭の取るに足らない数からの増加で

ある。16

中でも1620年において,1頭につき50シリングで

100,000頭の家畜がアイルランドからイングランド

蔵谷哲也

― 14 ―

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に輸出された。17 貿易はもちろん,クロムウエルの

戦争中は停止していたが,アイルランドに土地を与

えられたクロムウエルの兵士や冒険家の多くが,大

規模な羊や家畜の飼育家になったという事実に主に

拠って,今や貿易は大幅に増大していた。18

5.イングランドにおけるアイルランド産商品輸入

規制の動き

当時の有力重商主義支持者の見解を最初に紹介す

る。17世紀の実業界の著名人の一人であるチャイル

ド(Child)は,アイルランドの進展はイングラン

ドに不利に働くと考えていた。つまり,アイルラン

ドはアメリカ植民地のみならず,諸外国市場に,牛

肉,豚肉,皮,獣脂,パン,ビール,ウール,そし

て穀物を,イングランドよりもより安価な価格で提

供しており,イングランドを貿易全体から締め出す

ほどであろうと述べている。19 ダ ベナント

(D’avenant)も以下のように同様な見解を持って

いた。20 アイルランドが大量生産し,しかもイング

ランドよりも3分の1だけ安価な価格で生産できる

なら,その財の輸出の少なくとも半分は即座に消滅

するに違いない。この結果は,地代が至るところで

下がり,土地の購入は減り,貧しい人々に対する雇

用が欠乏し,イングランドの外国貿易の半分は消滅

すると予測した。21 アイルランドの労働賃金と生計

費がひどく低いので,アイルランドを危険な競争相

手としている。そして,それゆえ,イングランドの

製造業と競争しうるあらゆる形態の産業は阻止され

るか,抑圧されるべきである。イングランドの厚生

に恐らく一致できる全ての奨励は,アイルランドの

植民者に与えられるべきであると彼は言う。ただし,

アイルランド産家畜のイングランドへの輸入は概し

てイングランドにとって有利であることを示唆した

が,アイルランドのウール製品の完全輸入禁止を強

く支持し,リンネル製品の製造のすべての奨励に反

対した。22

1621年前後はイングランドの深刻な経済危機の時

期であった。景気後退の議論の主要公開討論会の場

はイングランド庶民院であった。枢密院はこの期間

を通じての危機を積極的に調査し,それを軽減する

方法を考察していたが,庶民院の議員はその原因を

自ら探求し,彼ら独自の議会による景気後退の改善

策を考察していた。この中で貿易における苦情に対

して並々ならぬ関心が寄せられた。23

そして,その中で不況から脱出する方策が主に取

り上げられた。1621年5月,エドワード・コーク(Sir

Edward Coke)は「自国の生産物を10に分割する

と,9つは羊の背中から生じているという常套句を

述べた。コークは貨幣損失の一つの原因として,ア

イルランド産家畜の輸入を引き合いに出した人の一

人であったが,後に,イングランドにアイルランド

産家畜を輸入することとアイルランドに貨幣を移送

することに反対する法案は輸出を根絶させると非難

した。24 そして,不況にあったのはほかならぬ毛織

物産業であった。毛織物産業が経済の主体であった。

エドゥイン・サンディズ(Sir Edwin Sandys)はい

ぶかしがった。「鋤が置かれたままで,家畜が売れ

ず,放牧が衰弱し,貿易が消滅するなら,その後は

混乱以外何が起こるであろうか」と。25 経済危機は

部分的には貨幣不足のせいとされた。そして,より

多くの貨幣を国内に引き付けるより有利な貿易収支

をいかにもたらすことができるかという方法に対し

て示唆がなされた。金塊が海外に輸出される結果を

もたらした交易路は特に非難された。そしてそのよ

うな国民的に望ましくない14の輸入財リストが作成

された。ポーランドの穀物,スペインのたばこ,東

インド会社の金糸や銀糸,金箔,香辛料。そして過

剰なワイン輸入,金塊輸出によってのみ継続しうる

全ての分野の貿易が含まれた。そして9番目の項目

はアイルランド家畜の輸入とされた。つまり,アイ

ルランドは家畜を輸出し,得た金でイングランドの

財を輸入しないということだ。10番目の理由も同様

であり,スコットランドも家畜をイングランドに輸

出するが,その代わりにイングランド財を輸入しな

いという。26 このようにしてアイルランド家畜法案

はアイルランドに対する経済的攻撃の単独的行為と

して初めて登場したのではなかった。しかし,それ

はイングランド経済にある程度の健全さを回復させ

ることを意図した数多くの防衛的是正的手段の中に

17世紀におけるアイルランド産家畜貿易の一考察

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含まれていた。ただし,問題の分析はもちろんのこ

と必ずしも正しいものではなかった。27

アイルランドのイングランドとの貿易は早くも

1621年において十分大きかったので,イングランド

とウェールズの利益団体はイングランド議会で,ア

イルランド産家畜からの保護関税の陳情活動を行っ

ていた。28 牛追い(Cattle droving)はウェールズ

経済の最重要部門であり,アイルランド家畜輸入へ

の反対は,アイルランド家畜飼育者は,本土の競争

者によって支払われる地代よりもより低い地代を牧

草地に支払うことによって,不公平な便益を得てい

るという信念に由来する。サマセットのフェリプス

(Sir Robert Phelips)はアイルランド産家畜輸入の

否定的影響に関する同様な憂慮を示した。29 特にア

イルランド産家畜輸入はサマセットの食料価格を引

き下げることができなかったことやアイルランド産

家畜はイングランド家畜の数量や生存能力を脅かす

と論じた。30

ウェールズの人々にとって穀物を育てることは容

易な作業ではなく,大部分の高原地方の農場は痩せ

た家畜の生育に主な精力を傾けていた。品質の高い

牧草地がほとんどなく,そして繁栄している低地農

場のみが家畜を肥育するための余剰穀物を持ってい

た。5月初旬に,移牧という古代の習慣に従って,

羊,牛,山羊は冬の棲みかから丘の上の夏の牧草地

に駆られていった。そしてそこで,動物たちは高原

地方の棲家(hafotai ; summer dwellings)に住むこ

うした動物の所有者達によって守られた。家畜は

ウェールズ経済の根幹であった。小さな地域社会群

の繁栄と厚生は家畜取引に重く依存していた。

ウェールズはイングランド諸地方の肥育業者のため

の主要繁殖地であった。31

庶民院議員であり,サマセットの土地所有者であ

るジョン・ピム(John Pym)はアイルランド産家

畜排除を支持する見解を以下のように要約している。

1)その結果の大きさは次のように考えられる。こ

の貿易は1年間に10万ポンドを超える額を奪い去っ

た。サマセットシャー州だけでも,少なくとも2万~

3万ポンドが取り去られた。2)その貿易はイング

ランドの家畜の飼育に損害を与える原因であり,ア

イルランドを耕作,建築や,その他のより利益のあ

る改善に向かわせることを妨げる原因であった。

3)この貿易以来,食糧価格の減少がなかったが,

それにもかかわらず,地価は大きく下がった。32

ピムはこの法案に対する反対する幾つかの議論も

報じている。1)我々は,我々が仕える都市部の人々

(The Townes)を無視しないように,郷紳を尊重

するべきであること。2)イングランドから持ち出

されたもの以外,アイルランドでは何一つ使われて

いないこと。3)アイルランドは家畜を吐き出す以

外に貨幣を国内に持ち込む他の手段がないこと。33

1621年の議会で,アイルランド産家畜の輸入を阻

止する可能性が論じられたのであるが,34 ジェーム

ズ1世の第3回目の議会で,船舶と家畜の没収の罰

を与えると脅して,アイルランドの家畜をイングラ

ンドに輸入することとイングランドの金塊をアイル

ランドに輸出することを禁止する法案が二度読まれ,

委員会に送られた。議会は法案が通過する前に,終

了してしまい,それ以上のことは何も聞かれなかっ

た。35 なぜ通過しなかったのかは,こうした輸入禁

止は生活費を高騰させ,イングランド製製造品に対

するアイルランドの需要を減退させるであろうとい

う経済理論の観点からはもっともらしい理由もあっ

た。36

1621年において,地価,地代,家畜,牛肉,等の

関係は曖昧であったはずだ。需要の増大,貿易,公

的な規制の影響,流通経費等の果たした役割を実証

経済学的に評価することができなかったからである。

社会科学では管理された実験室が実験の場ではなく,

諸条件を一定として,ある要因だけを変化させるこ

とができない社会全体の環境では,因果関係の立証

が当然困難であるからだ。

1650年代と1660年代のアイルランドの輸出貿易市

場はイングランド市場だった。そこに増大しつつ

あったロンドンの人口の需要を満たすために牛,羊,

羊毛,バター,牛肉が輸出されていた。1663年と1667

年の家畜法によって,イングランド議会がアイルラ

ンド産の牛,羊,牛肉輸入を禁止した後でさえ,こ

の市場はアイルランドの主要市場であった。37

1663年は1641年よりアイルランドからの雄牛,羊,

蔵谷哲也

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バター,牛肉の輸出が3分の1だけ増加した。そし

て,生きた家畜の輸出にアイルランドで賦課された

高関税に関わらずそうであった。羊と雄牛は1頭に

つき3シリング4ペンスの関税が貨物に課された。

一方,馬に対してはさらに重税が課せられた。38 こ

の時期,アイルランドの畜産農家は,家畜(live

stock)の飼育のみに専念していた。そして肥育を

試みることはほとんどなかった。アイルランドから

ある量の牛肉,マトン,豚肉とバターが輸出された

ことは事実であるが,アイルランド製バターはいい

かげんな作りで,詰め方が悪く,一方アイルランド

の肉は良くなかった。肥育の負担と費用を避けるた

めに,家畜はこどもの状態で屠殺されたからである。

家畜の輸出貿易はとても繁栄したので,海外販売の

ために,良い肉や酪農製品を生産するための肥育に

費用を費やすことはほとんど価値がないことのよう

だった。39

1663年までに,イングランドは農業不況に次第に

陥っていた。地代の下落に関する憂慮が大きくなる

につれて,イングランドの国会議員はイングランド

製品との外国の競合の除去に取り掛かっていた。そ

の一つがアイルランドからの家畜貿易である。40

1663年に王党派議会(Cavalier Parliament)は特定

の期間中,その貿易を制限する法律制定を行った。

1665年,庶民院は家畜貿易をほんのわずかにまで減

らすことを意図した法案を可決した。しかし,貴族

院はこの法案に反対であった。議会の閉会は議事を

一時的に中断された。大火災のロンドンの救済のた

めに3万頭のアイルランド産家畜が送り込まれたの

で,これによって,イングランド庶民院がアイルラ

ンドに対してより寛大になることが望まれた。この

希望は粉々に打ち砕かれた。1666年の王の演説の後

のある日,庶民院でその貿易を完全に禁止する法案

が提出された。すなわちかかる貿易はイングランド

の繁栄を破壊するものであるという理由で牛肉,豚

肉,ベーコンのみならず,全ての牛,羊,豚を実質

的に排除する法案であった。1667年1月,その法案

は貴族院での激しい論争の後で,国王の裁可を得

た。41この時期の統計によると,1665年には,57,545

頭の雄牛と99,564匹の羊がアイルランドから輸出さ

れたのだ,1669年では,雄牛は1,454頭,羊は1,120

頭にまで減少した。42 一方では,樽詰牛肉,バター,

皮,なかんずく毛織物は131,013から254,760ストー

ンまで顕著な増大を示した。43 アイルランド産家畜

に対してイングランド市場を閉鎖することによっ

て,1667年のこの法は実質的に主要アイルランド産

業を消滅させた。痩せた家畜の市場を見出すことが

できず,アイルランドの土地所有者達は,自分達の

土地を牧羊場に変えて,食糧貿易のために自分達の

家畜を肥育し始めた。アイルランドの羊毛は品質が

良かったが,イングランドを除いて,輸出が厳格に

禁じられていた。そしてその合法的な販売経路がな

かったので,アイルランドは自分達のウール製品産

業を確立させた。オルモンドの奨励策のおかげで,

この産業は繁栄し始めた。44

この状況下でアイルランドはしばらく繁栄したが,

この新しい繁栄は短命である運命だった。王政復古

の3年後,イングランドの飼育家たちはアイルラン

ド産家畜の輸入増大に対して激しい抗議を始めた。

この3年間に,年平均61,000頭の家畜が毎年輸入さ

れた。アイルランドの土地はたっぷりあり,とても

安価なので,家畜と羊は実際上ただで飼育できる。

そして,結果として,大きな費用をもってしか,飼

育できないイングランド産の家畜は安すぎる値段で

販売されていると,イングランドの飼育家たちは苦

情を述べた。45 アイルランドの競争はイングランド

の家畜の価格を引き下げており,この価格の下落が

地代の当時の低下の原因であったと彼らは論じた。

こうした議論の結果は,イングランド議会の英国法

によって違反すれば,重い罰金の没収を適用すると

いう条件で1年の中で7月1日から12月20日の間,

アイルランド産の家畜をイングランドに輸入するこ

とを禁止するどちらかというと試験的な試みがなさ

れた。46

6.イングランドの法的規制の後に

1663年に至るまで,アイルランド商人は様々な種

類の財を様々な外国,特に世界中の英領植民地に輸

出していた。そして,アイルランドはよい放牧国で

17世紀におけるアイルランド産家畜貿易の一考察

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あるので,アイルランド産家畜をイングランドに輸

出することによっても,貿易が繁栄していた。さて,

これらすべての終止符が打たれた。1663年から1680

年の間にイングランド議会でいくつかの法が可決さ

れた。これらはアイルランド商人の植民地間での財

の輸出入を禁止するものであった。そして,イング

ランドへの牛,羊,豚,牛肉,豚肉,羊の肉,バター,

チーズの輸出を完全に禁止させた。このようにして

アイルランドの主要産業は破壊された。そして人々

は農場の生産物市場を見出すことができなかったの

で,即座に貧困に陥った。そうであっても,アイル

ランド人はやけにならなかった。家畜飼育から駆り

出されて,他の産業,特に毛織物産業に専念した。

これはアイルランドに十分適合するものだった。当

時,アイルランド産の羊毛は欧州では最良と考えら

れ,この貿易を不能なものとするウエントワース

(Wentworth)の諸手段にも関わらず,再び繁栄

しはじめ,急速に国民的産業になりつつあった。た

だし,これはプロテスタント入植者達によってほぼ

排他的に継続された。47 ウエントワースは,アイル

ランド羊毛貿易がイングランドの羊毛貿易に干渉す

ることがないようにそのような諸策を採択した。一

方では,亜麻布貿易を創造する手段を採択した。こ

の貿易はイングランドに害を与えないであろうと考

えたからである。彼はアルスター(Ulster)におけ

る繁栄大産業となるものの基盤を据えたのである。48

しかし,イングランドの布販売業者は危険を感じ

て,1698年,それを抑圧するように嘆願した。ウイ

リアム王はアイルランド羊毛貿易を抑制し,アイル

ランドの亜麻布貿易を奨励し,イングランドの貿易

を促進することを約束した。49

1660年代,家畜と家畜製品はアイルランド輸出額

の3分の2を占めた。羊,ウール,ウール製品が約

25%であり,麻,亜麻,リンネルが5%未満,そし

て穀物と穀物製品がその残りを占めた。1770年代ま

でに,家畜と家畜製品の割合は総額の3分の1に減

少した。そして穀物と穀物製品の割合は3倍に増え

た。同時期,羊,ウール製品,羊毛は著しく減少し

たが,大麻,亜麻,リンネルは輸出額の半分以上を

占めるほど増大した。50 輸出増額は10倍以上増加し

た。1770年代から起こった最も顕著な変化の一つは

アイルランドが穀物類の大型純輸出国になったこと

で,アイルランド大飢饉までその状態が保たれた。

もう一つの顕著な変化は,動物や動物製品の輸出が

高水準のままであったことである。

そして,ロンドンやイングランドの他の主要都市

の人口の増大は,アイルランドからの家畜輸入を禁

止する1666年のアイルランド産家畜法と合わせ,

ウェールズ産の肉に対するとどまることのない需要

を創造した。51

アイルランドから生きた動物をイングランドに輸

出することを禁じた家畜法のアイルランドにおける

影響は,資源を食肉(dead meat)の生産に転用す

ることであった。食肉の多くは塩漬けにされ,樽詰

めにされアメリカ植民地や西インド諸島に,コーク

やウォーターフォードのような南東の港から輸出さ

れた。しかし安価な屑肉や臓物は地元の市場に残っ

たままであり,場合によっては貧しい人々に手が届

くものであった。ある農民たちはマトンや羊毛のた

めの羊の飼育に力を入れた。52

家畜法のアイルランドにおける影響は地域によっ

て異なった。17世紀におけるアイルランドの港は小

規模であった。1664年において,ダブリンでは32,000

ポンドの関税と輸入物品税が徴収され,1668年には

33,137ポンドが徴収された。その他の港では12,000

ポンド以上の税が払われることがなかった。ダブリ

ン,コーク,ウォーターフォード,ガルウェイとラ

イムリックの5つの著名な港以外,すなわち16の港

は1664年においては23,661ポンド,1668年において

は23,943ポンドしか歳入に貢献しなかった。こうし

た数値から,ダブリンが外国貿易において支配的で

あったことが示唆される。東部と南東部の小規模な

港はイングランドとの家畜貿易を終了させた家畜法

によって打撃を受けた。しかし多くのアイルランド

の港は大陸や植民地との増大しつつある食糧貿易に

ある程度従事していた。53

1666年に包括的にされた1663年からのイングラン

ドへのアイルランド産家畜輸入の部分的禁止は,欧

州最大都市としてのロンドンの著しい成長と塩漬牛

肉に対する継続的な需要と結合して,スコットラン

蔵谷哲也

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ドの牛追い作業を急増させた。54

それから1750年代末における家畜法施法の緩和は

単独の譲歩であり,イングランドの経済環境によっ

て正当化されたのである。55

結局,アイルランド産家畜法はイングランドの長

期的目標を達成できなかったと考えられる。という

のは,英国経済を顕著に改善しなかったが,アイル

ランドの貿易を強制的に多様化させただけであった

からである。

7.結びにかえて

デッカー(Decker)は『外国貿易減退の諸原因

に関して;An Essay on the Causes of the Decline

of Foreign Trade』で立法機関を一つにして,イン

グランドとアイルランド間の貿易制限を完全撤廃す

ることを提唱した。そして,オランダは労働者が最

安の市場において食料を得させることを可能にする

ことによって,イングランドが競争することが不可

能な価格で財を生産することができたのに,一方で

は価格が法外な時を除いて,アイルランドからの家

畜と外国からの穀物の輸入禁止によって,イングラ

ンドがいかに自己の製造業を疎外したかを指摘し

た。56 アダム・スミスはイングランドの農夫を保護

するために,アイルランド産家畜をイングランド

(England)に輸入することを禁止する不法行為を

特に言及した。57 つまり貿易障壁を除去することに

よって,貿易が拡大すれば,貿易障壁ゆえに生じる

密輸を減少させることができる。自由貿易によって

利益が減退した生産者が他の新興産業に移転できる

ように,政府が誘導することができれば理想的であ

るが,市場の変化速度と行政の対応速度には違いが

あり,また,何が将来有望な新興産業であるかを的

確に見出すことは困難であり,政府がかかる措置を

取ることは現実的にはできないであろう。

1 Lipson, p.197;Edie, p.7;Kearney, p.222. もちろん,政治・宗教上の理由が二カ国間関係を特

徴付けるという見解もある。2 Joyce, p.394.3 Kearney, p.212.4 Cullen, pp1‐2.5 17世紀に於いて cattleは場合によっては四つ足の家畜を意味すると理解され,ウシ亜科の動物に加えて,羊と馬がその中に含まれることがあった。Edie, p.7.6 Connolly, p.78.7 Connolly, p.6.8 Clarkson, p.120.9 Edie, p.5.10 Moryson, p.193.11 Spenser, p.202;Murray, p.23. スペンサーは1570年代にアイルランドに赴任した。スペンサーがアイルランドの土壌が牧畜や牛の飼育に適していることに気がつく前に,アイルランドでは大量の家畜が飼われていた。

12 Murray, p.23.13 Blauvelt, p.195.14 Murray, p.8.15 Connolly, p.422.16 Nicholls, pp.161‐2.17 Edieによると,1621年までにアイルランド産家畜はイングランドに年間,約10万頭が輸入され,その価値は20シリングから3ポンドの間にあったという。Edie, p.6.

18 Murray, p.23‐4.19 Child, pp.48‐9. Childはイングランドの商人,政治家,重商主義を擁護する経済学者であり,東インド会社の総裁であった。

20 Charles D’avenant(1656~1714年)はイングランドの重商主義経済学者,政治家,パンフレット作成者であった。

21 D'avenant, p.253.22 Lecky, p.220.23 White, p.87.24 White, p.96.25 Kearney, p.214.26 Kearney, p.214.27 Kearney, p.214.28 Nicholls, p.162.29 Russell, p.294.30 Nicholls, p.162.31 Jenkins, p.112.32 Edie, p.7.33 Edie, p.8.34 Edie, p.6.35 Kearney, p.213.

17世紀におけるアイルランド産家畜貿易の一考察

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36 Lipson, p.198.37 Greene, p.117.38 Murray, p.24.39 Murray, p.24.40 Ward, p.303.41 英国では議会を通過した法案は国王が裁可を下し,法が発効する。

42 Ward, p.303.43 1ストーンは14ポンドに相当する。44 Ward p.304.45 Murray, p.24.46 Murray, p.25.47 Joyce, p.395.48 Joyce, p.286.49 Joyce, p.395.50 Clarkson, p.120.51 Jenkins, pp.122‐123.52 Clarkson, p.250.53 Cullen, p.11.54 Macinnes, p.184.55 Cullen, p.4.56 Lecky, p.444;Decker, p.27.57 Haney, p.221.

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抄 録

本稿では17世紀におけるアイルランドとイングランド間の貿易は主にイングランドのより大きな政治力を持つ利益団体のために管理されてきたことを入手可能な文献に基づき叙述している。

キーワード:家畜法,アイルランド産家畜,アイルランド,イングランド

蔵谷哲也

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