モトクロスのルーツがここにある◎A DAY IN THE DIRT/最新250ccモタードモデル試乗インプレッション フリーライド・マガジン ライディング・ライフスタイル・マガジン 走り続けることが、人生だ。 特集 バハカリフォルニア BAJA CALIFORNIA Vol.2
モトクロスのルーツがここにある◎A DAY IN THE DIRT/最新250ccモタードモデル試乗インプレッション フリーライド・マガジン ライディング・ライフスタイル・マガジン
走り続けることが、人生だ。
特集 バハカリフォルニアBAJA CALIFORNIA
Vol.2
IT'SBAJA,BAJACALIFORNIAグリーンのフラッグが振られたら1000マイルの真剣勝負の始まりだ。考えることはただ1つ。もっと速く。もっともっと速く。同時に脳裏に恐怖がよぎる。いきなり跳ね上げられて、地面に叩きつけられた体験がよみがえる。飛んでいく風景。迫る地平線。地平線まで続くサンドフープスを走りきって、再び地平線まで続くサンドフープスを見たときの絶望感。だけど、だけど、だからこそ面白い。あの地平線の向こうまで走れば仲間が待っている。この苦行も終わる。だけど僕は知っている。終わりが近づけば近づくほど、まだまだ走り続けたくなることを。だから、魅入られたように毎年訪れ続けるのだ。バハカリフォルニアに。
走り続けることが人生だ。人生を破滅させるかもしれない、ライダーにとっての究極の麻薬。それが、バハカリフォルニア。
photo and text by Katsuhisa Mikami
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特集◎バハカリフォルニア
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モーターサイクルのオーバーオールでも4位に入るムチャクチャな速さを見せた、103xのティム・モートン組の CRF250X。1000kmに及ぶレースでこの走りである。これこそが、BAJA1000だ。ティム・モートンは1995 年にもClass21(250cc 以下クラス)でも優勝するなど多数の実績をもつライダー。BAJABOUND(http://www.bajaboundmoto.com/)というBAJA のライディングツアーのホストを務めていることでも知られる
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モーターサイクルのオーバーオールでも4位に入るムチャクチャな速さを見せた、103xのティム・モートン組の CRF250X。1000kmに及ぶレースでこの走りである。これこそが、BAJA1000だ。ティム・モートンは1995 年にもClass21(250cc 以下クラス)でも優勝するなど多数の実績をもつライダー。BAJABOUND(http://www.bajaboundmoto.com/)というBAJA のライディングツアーのホストを務めていることでも知られる
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2005 年11月18日朝 9 時。BAJA1000 のレースマイル75マイル地点にトップでやってきたのはホンダ Bチームのロビー・ベル/クイン・コディ/ケンドール・ノーマン組のベルだった。ただ前を見つめ、固い土のフープスに沿うように飛びながら去っていく。そしてその直後、9 連勝をねらうホンダAチームのスティーブ・ヘンジベルドが同じ目をして砂塵の中をすっ飛んでいった
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2004 年 BAJA500。レースのちょうど中間地点となるクロスポイントのチェックポイント通過し、全開で駆け抜けていくクラス40(40 歳以上クラス)のライダー。BAJA1000よりもさらにスプリントな BAJA500 に、パーシャルスロットルの区間はない。アクセルを開けられる場所は迷わず全開だ。全開につぐ全開、そしてまた全開。それが BAJA だ
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2003 BAJA500。誰もが認めるバハ・キング、ジョニー・キャンベル。ストレートでのスピードは200km/h近辺に至る。アベレージ100km/hで走る彼の目に、風景はどのように映っているのだろう
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昨年の BAJA1000、Class30(30 歳以上クラス)を XR650R で制したセルジオ・ベガが今年選んだマシンは」BMW HP2。過去にピーター・ゴダードがスーパーテネレで、ラリー・ローズラーが KTM950Adventureで挑戦したが上位入賞は果たせず「ビッグマシンは BAJA には通用しない」というのが定説になっていた BAJA1000。セルジオ・ベガはクラス 30 で3 位に入り、BMW ファクトリーチームのジミー・ルイスは最速クラスであるクラス 22 でホンダA、B チームに次ぐ 3 位に入ったのである。BMW HP2 は定説を覆しつつある
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いいときもあればうまくいかないときもある。だけど、いつかはきっとうまく行く。佐藤信、佐藤ヨシオリ、ウイリー松浦チームの2005 BAJA1000。
Everything willturn outfor the best.
photo and text by Katsuhisa Mikami
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レーススタートして3 時間後。短いインターバルでウイリー松浦から佐藤信へ、そして佐藤ヨシオリへとライダー交代を済ませた 277X。しかし、それから24 時間たっても 277Xは次の交代ポイントには現れない。メキシコ人が伝えてきた「277Xのライダーがクラッシュして肩の骨を折ったらしい」というのが唯一の情報だった。しかしレーススタートから33 時間がたった翌日の夜、ヨシオリはホテルに1人、「ただいま」と戻ってきた。朝イチでコースに捜索に出ていた佐藤信、そして松浦の顔がほころぶ。彼らの 2005 BAJA1000 がようやく終わった瞬間だった
Everything willturn outfor the best.
車検の列にずらりと並ぶ車検待ちのバギーの列。もちろん、ここも公道である
レースマイル75 地点、インデペンデンシア近くのコースを快調に飛ばしていくヨシオリ。クラッシュはこの直後だった
アメリカ国内でのクワッドブームのあおりを受けてか、クワッドでの参加者は年々増えている。このバンシーはママさんライダーがソロで参加した車両
BAJAならではの名物とも言える存在がバハバグ。フォルクスワーゲン・タイプ 1(ビートル)を改造した車両。ノーマルクラスもある
昨年見事クラス優勝を果たした次田クンたちのチーム。昨年に引き続きCRF250Xで参戦
マコト、ヨシオリ、そして松浦
佐藤信(以下マコト)は、2001年から BAJA1000 を含むアメリカのデザートレースシリーズである SCOREシリーズに参戦しているデザート・ライダーである。とあるホームページで見た BAJA2000 の体験記を読んで「これなら自分も出たい」と思ってBAJA1000 に出るようになったのがハマったきっかけだ。とは言っても、アメリカに住んでいるわけではない。仕事はフリーランスのハウスクリーニング業で、きっちり働いてお金を貯めてレースに出に行く。 そのマコトとチームを組んだのが佐藤ヨシオリとウイリー松浦だ。佐藤ヨシオリは、アメリカに住むバイクショップのメカニックである。しかし、
メカニックとして働くかたわら、アメリカの OHVパーク(オープンエリア)や BAJA を走りたいライダーのためにバイクをレンタルしたり、ガイドしたりする DIRT THERAPY のホストでもある。以前から BAJA1000 のサポートスタッフとして勤めてきたことから、BAJA に関する知識と経験も豊富なライダーである。 そしてウイリー松浦。日本のオフロードライダーなら知らぬ者のいない、モトクロスライダー & エンデューロライダーである。1980 〜 90 年代には数回にわたって BAJA1000 に参戦しており、BAJA の酸いも甘いも知っているベテラン中のベテランだ。 以前から一緒に BAJA を走っていた 2 人の佐藤と松浦を彼ら共通の友人が結びつけ、今年の BAJA1000 を
3 人で走ることになった。サポートは日本からやってきたヤギさんとヒロミさん、アメリカに住む落合さんと佐原さんの 4 名だ。 いずれも BAJA をよく知るライダーたちばかりだから、不安や緊張はまったくなかった。レース前にはコースの半分ほどをしっかりとプレランし、3人がそれぞれどのパートを走るかを決めた。バイクは新車のホンダXR650R。準備はばっちり。あとは楽しむだけである。 今 年 の BAJA1000 は バ ハ カリフォルニア半島北部だけを走る、約1100km の通称「ループ」コースである。佐藤チームのほかに参加している日本人ライダーは、今年11 回目のBAJA1000 参戦であり、昨年に続きソロで走る九州の林(CRF450X)、昨年スポーツマンアンダー 250 クラスで優勝している次田・平井・漆原組
(CRF250X)、 そ れ に BAJA1000 に何度も参戦しているファットタイガーの高本(XR600R)の 4 組。4 輪では、BAJA1000 の最速クラスであるトロフィートラックに毎年参戦している
新車を購入。プレランもばっちり。あとは本番だけだ。
塙郁夫選手がいる。
サミットへ
昨年まで 3 回連続で BAJA1000 に参戦してきた僕と渡辺も、今回はレースには参戦しないがバハカリフォルニアにやってきた。僕はこの記事の取材のため、渡辺はバハ中毒なので中毒症状を鎮めるのと、僕のサポート役としてである。 レ ース 当日 朝 5 時。 僕 ら 2 人は佐藤チームの 2 台のプレラン用XR650R を借りて、半島を横断する国道 3 号線を東に向かって走り始めた。コースに途中から入り、ガレ場をやってくるトップライダーの写真を
レーススタートの前日は、お祭り騒ぎのエンセナダで車検が行われる。この日のために新車の XR650Rを購入したマコト(右)は「いやー、やっぱり新車はいいですよ。走りが全然違う。写真左は佐藤ヨシオリ
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フェリッペとマイクがご馳走してくれたメキシコ料理の「セビーチェ」。シーフードを混ぜたスパイシーなサルサをハードトルティアに乗せて食べる。美味しかった
コース脇ではキャンプをしながらレーサーたちを待つメキシコ人・アメリカン人たちが多くいる。多くは家族連れや友達同士で、
前日から泊まり込み、ビールを飲みながらやってくるライダーやドライバーたちに声援を飛ばして日がな1日楽しむ。これももう1つの BAJAの楽しみ方だ
レースコースだからと言ってクローズされているわけではないのが BAJA1000だ。地元のメキシカンたち、自分のレーサーたちのサポートを行うアメリカ人のトラックなどがコースを逆走、あるいはオンコースで走っている姿は当たりまえ。誰もレーサーを守ってはくれない、そんな心構えがレーサーには求められる
自分たちのチームライダーを待つスポーツマンチームのスタッフたち。バイクの音が聞こえるたびにコースの遠くを見つめ、素早く選手交代するためにスタンバイする。ボレゴにて
撮る予定だ。秋の BAJA1000 の朝は寒い。しかし、真っ青な空と澄み切った空気は素晴らしい。 朝 6 時。僕らの100km ほど後方にあるエンセナダで、予定通り2005 BAJA1000 がスタートした。 僕らはインデペンデンシアという村の近くからコースに入り、コースサイドでトップを待ちかまえる体制を整えた。コース脇には多数のメキシコ人やアメリカ人が陣取って、やはりライダー・ドライバーたちがやってくるのを待っている。コース脇にバイクを止めた僕らに話しかけてきたフェリッペとマイクという2 人のメキシカンに朝飯をごちそうしてもらう。砂漠のなかでは、誰もが優しい。 7 時 00 分 25 秒。エンセナダをスタートした松浦は、スピードに勝るク
ワッドがたてる土埃と逆光に苦労しながらも最初のセクションであるオホスネグロスまでの 50km ほどの山岳路を無事に走りマコトに交代した。マコトはここから国道 3 号線の南側のサンドウオッシュをやはり50km 弱程度走る。 普通 BAJA1000 では、あまりこういった短いインターバルでの交代はしない。が、今回はループコースのため交代地点が多く設定できること、全員が早めにカラダを慣らすためにと小刻みな交代スケジュールをとったのである。 順位をさほどねらっているわけではないが、それでもやはり上を目指すのが BAJA1000 だし、BAJA ライダーである。マコトから交代したヨシオリは、今回最もハードなセクションと言われたガレ場が続く「サミット」に向かって走り始めた。 硬い土の路面がフープスのようになっている。まだ朝だというのに強い日差しは路面を白く輝かせ、ギャップはときどきまるで見えなくなる。しかし、プレランをしていることもあり快調に飛ばしていく。 写真を撮っている僕の横を通り過ぎていったヨシオリはしかし、そのしばらく先でバイザーが割れるほどの大クラッシュをしてしまったのだ。僕も、渡辺も、そしてもちろんマコトも松浦もそのことは知らなかった。
国道 3 号線をレースコースがクロスする地点であるボレゴ。ふだんはひとっこひとりいない、広漠たる眺めの砂漠がこの日は盛大なお祭り騒ぎになる
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陽の落ちかけたサンフェリーペ。先行する2 輪を1台、また1台と恐怖に陥れながら4 輪勢のトップがレースマイル 244マイル地点を駆け抜けていく。ライダーは抜かれまいと逃げるが、ほとんどはいずれ捕まり、100km/hほどにも迫る速度差でブチ抜かれていく。幻想と恐怖の夜の始まり
背後から迫る恐怖。
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風とともに走る。バハカリフォルニアの旅ride with wind
text by Katsuhisa Mikamiphot by Katsuhisa Mikami,Yuji Miyazaki,Tatsuya Sumimoto,Yuki Mikami
じつはBAJA1000以外でバハカリフォルニアを走るのにはちょっと躊躇があった。道に迷って死ぬかもしれない。危険な目に遭うかもしれない。しかしバハを初めて訪れてから14年目の2004年、ついにバハでのツーリングを実現した。それは甘美な……人生でこれ以上いいことないんじゃないかってくらい素晴らしい体験だった。
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天使の湾、という名をもつ街。バヒア・デ・ロサンヘレス。波の静かなコルテス湾から伸びる道は、やがてサボテンの海へと至っていく。人生で最上の時間を過ごせる、数少ない場所のひとつである
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砂丘もあるサン・クインティンの海では、地元の漁師が太平洋で漁を行っていた。自分の求めている豊かさとはなんだろう? そんなことを考えさせられる時間と情景がバハカリフォルニアには多く存在する
バハカリフォルニアという日常から切り離された空間で過ごす、仲間との素晴らしい時間が旅をより豊かなものにしていく。僕が本当に好きなのは大きなロブスターではなくて(笑)こうして過ごす時間だ。1995年にこの場所で偶然初めて出会った仲間と、10年後に一緒に時間を過ごしているのも不思議な感覚。バヒア・デ・ロサンヘレスにて
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風がゆくんだよ。ridewithwind
バハカリフォルニア。
気がついたら、全然平気になっていた。なにがって、バハカリフォルニアの道を走ることが、だ。今はもう夜の8時である。まわりは真っ暗だ。だけど、異常なまでにクリアで明るい月が砂の道を白く浮かび上がらせている。ヘッドライトを消したほうが道がよく見えるほどだ。 ラプリシマという街の乾物屋(こういう言い方がぴったり来る店だった)のオヤジによると、ラプリシマからサンイシドロを抜けて国道1号線に至る道は「いい道」だったはずだ。ビエン、ビエン(スペイン語でGoodの意)と言っていたのだから間違いない。 しかし、30分もいかないうちに、そのビエンな道は崖崩れだらけのビエーンって泣きたくなるような路面に変わっていった。全然ビエンじゃないぞこりゃあ。探検だよこれは。 数日前だったら、引き返していたかもしれない。だけど、僕と、僕と一緒に走っている渡辺には心強い武器があった。それはハンディGPSだ。ガーミンのLEGENDというモデルで、ロサンゼルスのREIというアウトドアショップで買ったものだ。4万円近くしたが、このGPSのおかげで僕たちが今どこへ、少なくともどの方角へ向かっているのかがわかる。 だけど、知らぬ異国の土地の山の中で、しかも夜という不安にならざるを得ない状況で僕らが全然不安にならなかったのはGPSだけのせいではない。それは、ここに至るまでの数日間で、バハカリフォルニアの道は……少なくとも地図に出ているような道は……生活道だということをカラダで理解していたからだ。 舗装率が異様に高い日本に住む、しかも都会ッ子である俺らにとってはとても生活道には見えない道だ。日本なら、おそらく四駆マニアじゃないと入り込んでこないような道である。だから、最初はレースでもないのにそんなところへ入り込むのはかなり躊躇した。僕も渡辺も慎重なほうなのだ。もし、そこで動けなくなったら。ガス欠したら。蠍にかまれたら。 だけど、僕らが地図を見て辿る道はおおよそすべて生活道だった。道ばたにバイクを止めて休憩していると、向こうからメキシカンのクルマ(四駆じゃなくて普通のセダンだ)がやってくるようなシーンが多くあったのであ
る。そして、彼らの多くは道ばたに止まっている僕らに笑顔で声をかけてくる。大丈夫か? 水はあるか? 厳しい土地に住む者ならではの優しさがその言葉の端々からにじんでいた。都会の路地で人が倒れていても、誰もが横目で見ながら通り過ぎていくような街に住む僕たちにとって、そんな優しさは新鮮なものだった。
フェリッペ、語る。 今年のBAJA1000の取材中に出会ったメキシコ人のフェリッペは、たどたどしい英語でこんなことを言った。「メキシコにはいろんな人がいる。いろんな人種がいる国だから、みんな仲がいいんだ」 いいこと言うなあコイツ、と思った。最初はのべつまくなしに喋っているので多少鬱陶しかったのだが、そう感じていた自分を思わず恥じてしまうほどいい言葉に感じた。 バハを走っていると、そんな心の琴線に触れるような言葉や情景に多く出会う。もちろんなかには悪人もいるんだろうが、人っ子ひとりいない荒野で出会う人たちは、まず間違いなく優しい。そんな人たちと出会いながら荒野を走ってきた僕と渡辺は、バハとバハの道に対する不安や恐怖をどこかに落としてきてしまったようだ。ほんの数日間で、バハという環境は僕らにとって、まるで安心して寝られる寝床のような存在へと変化していったのである。
ドライレイクで。 ドライレイクに出た。見渡す限り、地平線までなにもない世界だ。あまりの風景の雄大さにバイクのスピードを緩めてしまう。そして止まってみた。エンジンを止めた瞬間、なんとも言えない静寂がやってきた。スタンドを出す。スタンドのバネが伸びる音が聞こえる。自分が動くたびにジャケットの袖が擦れる音が聞こえてくる。 バイクから離れて少し歩くと、ブーツが地面を噛む音が聞こえてきた。ジャリ。サリ。 立ち止まって空を仰ぐ。ヒュウウウン。ゆったりと風がわたっていく。風の音が聞こえる。地面と空の間で、空気が地球の上で滑っていく音が聞こえてくる。ああ。こんなに素晴らしい瞬間があるなんて、これまで知らなかった。風が、ゆく。風が、わたってゆくんだよ。
バヒア・デ・ロサンヘレスから南へと向かう国道5号線はまさにダート・パラダイスだ。そう思うヤツらは僕たちだけじゃないようで、その道の入り口にはアメリカの5番フリーウエイの標識が移設されていた
アメリカ人ツアラーにも多く出会う。多くは陽気で親切。バイクはいわゆるオフロードバイクとは限らない。彼らは大排気のツアラーでダートもガンガン走る
出会うメキシカンたちはみんな気さくで不思議なくらい仲良くなれる
満月おの夜は、ライトを消しても風景が見られるほどの明るさがある。静かさを楽しむ時間
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