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ブロードウェイミュージカル『ライオンキング』に見る伝統芸能 ―仮面と人形の演劇性、そして可能性― 文学部文学科演劇学専攻 4 5 14 番 木村祥子
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Mar 19, 2020

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ブロードウェイミュージカル『ライオンキング』に見る伝統芸能

―仮面と人形の演劇性、そして可能性―

文学部文学科演劇学専攻

4 年 5 組 14 番 木村祥子

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目次

はじめに

1 章 ディズニーとジュリー・テイモアの道

1.1.ブロードウェイ―ディズニーの舞台ビジネス参入―

1.2.ジュリー・テイモア―演劇観と仮面・人形との出会い―

2 章 ブロードウェイミュージカル『ライオンキング』―作品とその手法―

2.1. ブロードウェイミュージカル『ライオンキング』

2.2. ブロードウェイミュージカル『美女と野獣』

3 章 仮面と人形―演劇性とダブルイベントのオリジナリティ―

3.1.文楽

3.2.能・狂言

3.3.ワヤン・クリ

3.4.仮面と人形の演劇性

おわりに

はじめに

『ライオンキング』はディズニーのアニメーション映画として世界的に有名な、そして人

気のある作品である。

この映画を舞台化したブロードウェイミュージカルは日本に輸入され、1998 年から劇団

四季によって上演されており、今年 2014 年で日本上演 15 年目を迎え無期限ロングラン中

である。そのため、今や映画、舞台ともに知らない人はいない作品だろう。

私が『ライオンキング』に使われる仮面や人形を研究のテーマに選んだのは、劇団四季の

『美女と野獣』を鑑賞し、感動した経験があったからである。

『美女と野獣』では俳優が衣裳や被り物を身に着けることで、キャラクターを表現してい

た。たとえば魔法で燭台に姿を変えられてしまったルミエールは手の部分が蝋燭になって

いるが、着ぐるみとは違い俳優の顔が見えるようになっている。

ストーリーも全編を通してアニメ映画を再現したつくりになっており、クライマックス

で野獣が人間の姿に戻る演出の忠実さには息を呑んだ。

それとは対照的に『ライオンキング』では衣裳のデザインにはアフリカンテイストな模様

が取り入れられ、仮面や人形を用いるなどアニメ映画との違いがあった。

そのため、ディズニー映画を舞台化したという点では同じはずなのになぜこのように手

法を変える必要があったのだろうと疑問を抱いた。

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そして、調べていくとさらに興味深いことが分かってきた。

アニメーション会社であるウォルト・ディズニー社が舞台業界に進出したのは今から 20

年前の 1994 年。その記念すべき第一作に選ばれたのは『美女と野獣』だった。

この『美女と野獣』はアニメ映画としては初めてアカデミー賞作品賞にノミネートされ、

実際に作曲賞、歌曲賞を受賞するという快挙を成し遂げた作品である。それまでステージエ

ンターテインメントには慎重だったディズニーも、この反響の大きさに満を持して舞台化、

それもミュージカル化に挑戦する気になったのだろう。

しかし、アカデミー賞作品賞の候補となるほどの人気を誇るにも関わらずディズニーは

『美女と野獣』でトニー賞の最優秀ミュージカル賞受賞を逃しているのである。

一方、舞台化第二弾として 1997 年に初演されたミュージカル『ライオンキング』ではト

ニー賞最優秀ミュージカル賞を含む 6 部門を受賞するという華々しい成績を収めている。

これらから分かることはミュージカル『ライオンキング』の人気の理由はディズニー作品

であるというブランド力や大人から子どもまで楽しめるストーリー性だけではないという

ことである。では、『美女と野獣』と『ライオンキング』の評価を分けたその理由とは一体

何なのだろうか。

その理由を考察していくにあたって私が注目したいのは、この『ライオンキング』で女性

として史上初となるトニー賞演出家賞に輝いた演出家ジュリー・テイモアとその演出であ

る。

彼女は『ライオンキング』を映画(それもアニメーション映画)から舞台へと再構成する

というミッションを与えられ、仮面やパペット、影絵など日本やアジアなど東洋の伝統芸能

をふんだんに盛り込んだ手法でこれに応えている。

これからブロードウェイミュージカル『ライオンキング』の魅力に迫る上で、私は仮面や

人形劇の要素を多分に取り入れたことで生まれた効果という視点に基づいて見ていきたい。

さらには仮面や人形の持つ演劇性について追究していければと考えている。

1 章 ディズニーとジュリー・テイモアの道

1.1.ブロードウェイ―ディズニーの舞台ビジネス参入―

ブロードウェイミュージカル『ライオンキング』について考えていくにあたって、まずは

『美女と野獣』、『ライオンキング』が上演されたブロードウェイという上演空間にはどのよ

うな特徴があるのか、当時のブロードウェイはどのような様子だったのか知るところから

始めたい。

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ブロードウェイは地理的にはアメリカのニューヨーク州を南北に走る目抜き通りを意味

するわけだが、一般にはタイムズスクエア周辺の劇場街のことを指す。世界の演劇文化の中

心地で、およそ 100 もの劇場がひしめき合っている。現代劇やダンスなどの演劇も上演さ

れるが、その中でもミュージカルの上演で有名で、ブロードウェイでミュージカルを観るた

めに世界中から観光客が訪れるほどである。

ブロードウェイミュージカルの歴史は 19 世紀後半から始まった。

移民の流入とともに世界各国の文化がアメリカという一つの国家になだれこんだ結果、

白人が黒人に扮して寸劇を披露するミンストレルショー、踊りや歌、曲芸を組み合わせたヴ

ォードビル、風刺的な寸劇とコーラスガールの歌と踊りで魅せるバーレスクといった様々

な演劇形態とアメリカ音楽との融合から形成されたのがミュージカルだったのである。

1910 年から 40 年にかけてミュージカルの黄金時代が築かれた。『ショーボード』や『オ

クラホマ!』などの名作が生まれ、その多くはハリウッド映画になった。

1960 年代後半、『コーラスライン』のヒットはあったもののロンドンのウエストエンドか

らやってきたイギリス産ミュージカル『CATS』や『オペラ座の怪人』、『レ・ミゼラブル』、

『ミス・サイゴン』に人気を奪われ、アメリカンミュージカルは下火になった。

1970 年代から 80 年代にかけてはポルノ産業が進出し、ブロードウェイ周辺の治安が悪

化していた。舞台演劇も真新しさが薄れたことや演出がワンパターンであることからマン

ネリ化を迎えたこともあり、観客数が低下してくる。

そのような時期に『美女と野獣』、『ライオンキング』はブロードウェイミュージカルとし

て上演されたのである。

ブロードウェイはニューヨーク市の文化政策とともに発展してきた地域だということも

忘れてはならない一側面である。

ニューヨーク市は 1970 年代半ばに深刻な財政危機に見舞われ、公共部門の縮小、大規模

なリストラなどの対策がとられた。その結果、貧富の差が拡大し、都市の荒廃が進んだ。

1980 年代には当時のニューヨーク市長であったエドワード・コッチのもと、都心部の再

開発が企画されたものの 80年代後半にミッドタウンのオフィス街の不動産市場が暴落した

こともあり、猛反対を受けて頓挫してしまう。

このときの計画が 1990 年に The New 42nd Street Project という開発計画となり、ニュ

ーヨーク市と州当局の共同で実行されることとなる。

この再開発計画の一部としてそれまで廃屋となっていたヴィクトリー、タイムズスクウ

ェア、セルウィン、リリック、リバティ、エンパイア、アポロという7つの劇場を改修し、

企業に貸し付ける運びとなった。

その結果、リリックとアポロはフォード舞台芸術センターというブロードウェイ劇場に

改修され、リバティとエンパイアは25のスクリーンを持つ映画館とマダム・タッソー蝋人

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形館を併せ持つ複合娯楽施設に生まれ変わった。

後にディズニー社にリースされるニューアムステルダム劇場のほぼ向かい側に位置する

ヴィクトリー劇場には約 140 万ドルもの資金が投じられ、ニューヨークで初めての子ども

のための劇場へと改修された。これは1995年にニューヴィクトリー劇場としてオープンし、

絵本作家のモーリス・センダックがデザインを手がけるオペラや前衛アーティストをパフ

ォーマー、演出家として起用した子ども向けの公演の発信地となっている。

劇場が娯楽施設に改修されたり、子ども専用の劇場として新しくオープンしたりと娯楽

性を高め、家族連れをターゲットにした戦略であること、たくさんの人々が足を運ぶような

地区としてプロデュースされていることが分かるだろう。

さらに 1992 年にタイムズスクウェア地域で Business Improvement District という非営

利組織が事業を開始する。BIDとは各州法によって特別地区として定められた商業地や

ビジネス街を活性化させるためにその地区の不動産所有者や商工会議所、小売業者を中心

に組織された団体である。

このとき、環境美化や観光案内、イベントの企画、公共空間の規制、駐車場および公共交

通の管理、都市デザイン、消費者マーケティングなどの外部から人々を招き入れるような取

り組みがなされた。

1994 年にルドルフ・ジュリアーニが市長に就任すると、市内各地区の再開発計画がより

積極的に推進され、都市空間の変化はもちろんのこと、警備の面でも安心や秩序をキーワー

ドにホームレス対策の強化やゾーニングといった政策がなされた。

こうして見てみると 90 年代という時代はニューヨーク市、そしてタイムズスクウェア周

辺地域が再開発され、観光客や家族連れが安心してエンターテインメントを楽しめる空間

に変貌を遂げた時代ということができるだろう。

1980 年代にはホームレスや麻薬の売人がたむろし、ポルノショップやストリップ劇場が

押し込められた不潔な地域という印象のタイムズスクウェアだったが、1990 年代には打っ

て変わって観光客や家族連れが安心して出かけられるテーマパークのようなブロックとな

ったのである。ディズニーストアやサンリオショップといったキャラクターショップ、その

他レストランやホテルなども新しく立ち並んだ。

こうした地域の変化をきっかけに大資本が続々とブロードウェイでビジネスを展開して

いくこととなる。エンターテイメントの業界ではMTV、ヴァージン・レコード、ソニー・

シネマックス、ワーナーブラザーズ。ホテル業界からもヒルトン、マリオットが参入してい

る。

そのような動きの中でウォルト・ディズニー社も先陣を切って参入を決断した。

まず 1994 年にディズニー初の舞台となるミュージカル『美女と野獣』の初演の幕が上が

った。この舞台で興行的な成功を収めたウォルト・ディズニー社は同年にニューヨーク市当

局が廃屋となっていた 7 つの劇場のうちの一つであるニューアムステルダム劇場をローン

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すると 800 万ドルを投資し、これを改装することを条件に 49 年間のリース契約を結んだ。

『美女と野獣』は観客動員数などの興行的な成功は収めたもののトニー賞作品賞は受賞

できなかった。トニー賞 9 部門にノミネートしたものの結果的にはアン・ホールド・ワード

による衣装でトニー賞最優秀衣裳賞を受賞しただけに終わった。

1997 年にニューアムステルダム劇場の改修が終了すると杮落とし公演としてミュージカ

ル『ライオンキング』が上演され、トニー賞 6 部門を受賞する高評価を受けた。

この2作品における評価の違いにはブロードウェイの価値観、舞台づくりが大きく関わ

ってくる。

従来ブロードウェイは観客に想像力を十分に働かせるために時間や手間暇をかけ、工夫

を凝らすという手作業を重視した舞台づくりに努めてきた。

それに対して『美女と野獣』ではキャラクターやストーリー展開に至るまですべてがアニ

メ映画版を踏襲した作りになっており、映画製作のノウハウを持ち込んだだけのものだっ

たため、演劇関係者の投票によって決まるトニー賞ではよい成績を残せなかったのである。

またブロードウェイでは娯楽性だけでなく、芸術性を併せ持つことが重要であり、アイデ

ンティティとされる。

これも 2 作品間で大きく異なっている。『美女と野獣』ではキャラクターがアニメのデザ

インを忠実に再現したものだが、『ライオンキング』の場合はアニメ版とは違い、民族的な

模様や黄色やピンクなどのカラフルな色使いが取り入れられ、仮面も芸術品のような仕上

がりだ。

さらに 1990 年代、そしてブロードウェイというキーワードについて見ていくと面白いこ

とが見えてくる。

伝統的にブロードウェイは非常に保守的で男性優位な世界だったため、女性が活躍でき

たカテゴリーというのは美や繊細さが要求される衣装デザインくらいであった。

しかし、1980 年代に入ると演出に真新しさがなくなったことやイギリス産ミュージカル

の人気、タイムズスクウェアの治安悪化などが要因で観客数が減少していく。こういった状

況を打破すべく演出や振り付けにおいても女性をはじめとして性別や国籍に関係なく実力

で評価されるようになっていったのが 90 年代という時代である。

たとえば日本人である宮本亜門がブロードウェイデビューを果たすことができたことか

ら考えてもこういった流れがあったことは疑いようがないだろう。

『ライオンキング』が高い評価を受けた背景には、ブロードウェイの閉塞感やニューヨー

ク市の再開発による開かれた環境づくりの成功があった。

その上で演劇的体験に重きを置くジュリー・テイモアの存在はディズニーに「芸術」とい

う新たな付加価値を与え、娯楽性と芸術性を志向するブロードウェイにおける道を示した

のである。

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1.2.ジュリー・テイモア―演劇観と仮面・人形との出会い―

図 1 ジュリー・テイモア

次にブロードウェイミュージカル『ライ

オンキング』の演出家ジュリー・テイモア

の来歴とそれらの経験から彼女がどういっ

た演劇観や演出観、手法を形成していった

のか考察していく。

アメリカのボストンに生まれたテイモア

は子どもの頃から児童劇団に所属し、役者

として活動していた。

16 歳のときパリに留学し、マイムの殿堂

と名高いルコック・スクールで学んだ。

インドネシアと日本のフェローシップを受け、実験的な人形劇場、人形劇ビジュアルシア

ターを勉強してきた。

インドネシアを訪れた際には現地の芸能に惹きつけられ、当初の予定を変更してジャワ

やバリに 4 年もの間滞在した。

当時のインドネシアにはまだテレビがなかったため、伝統芸能が純粋なままの形で残っ

ていた。それらの芸能に触れた彼女は衣裳に本物の素材を用いたり、影絵に装飾や着色を施

したりといった伝統芸能に携わる人々のこだわりに感銘を受けたという。

そのため、『ライオンキング』でも観客の目には見えない細かなビーズも本物を使うなど

の徹底ぶりを見せている。

また仮面や人形といった手法に出会ったのもこの頃だった。

インドネシアではアーティストと呼ばれる存在はおらず、誰もが芸術に携われる環境だ

った。さらに 60 年代後半から 70 年代初めは実験演劇が盛んだったこともあり、テイモア

はこの地でさまざまな実験的な演劇を生み出していくこととなる。

大学卒業後は文楽、歌舞伎、能について学ぶため来日しており、アジアの芸能に造詣が深

い。

その当時の演劇人を見渡してみるとピーター・ブルック、アリアーヌ・ムヌーシュキン、

ロバート・ウィルソン、メレディス・モンクなど多くのアーティストがアジア、そしてアフ

リカを訪れており、この地域の伝統、そして、現代劇からインスピレーションをもらうとい

う動きがあったようだ。

このような経歴からも分かるようにジュリー・テイモアは『ライオンキング』の演出家と

して知られることが多いが、実際には『ライオンキング』での成功以前から高い評価を受け

ており、「ビジュアル・シアター・アーティスト」として演劇だけでなく、オペラ、映画の

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分野でも活躍している。また、天才に与えられるといわれるマッカーサーグラントの受賞者

でもある。

それまで純粋芸術、実験的な舞台に長く携わってきた彼女にとって、『ライオンキング』

が初めての商業主義との邂逅だったのである。

『ライオンキング』以前の彼女の演劇活動はどのようなものだったのだろうか。

実は西洋では長い間、戯曲つまり書かれたドラマを優位とする時代が続いていた。

そのような風潮の中で仮面の使用をはじめとするいわゆるパフォーマンス的なもの、ス

ペクタクルなものは否定的に捉えられていたが、リアリズム演劇の表現方法に欠けている

ものを仮面に見出したテイモアはむしろ非言語の表現やスペクタクルを肯定した演劇に挑

戦していくのである。

言語では表現しきれない人間の精神の深部を仮面によって視覚化しようと試みたのだ。

テイモアは「演劇は普通のものを普通でなくみせるマジックである」(真正節子、「ユージ

ーン・オニールとジュリー・テイモア―「魂のドラマ」と「魔法の舞台」のための仮面―」、

『共同研究 東西の仮面劇』、理想社、2002 年、p140)と話している。

彼女の芸術の中核となるのは「見えないものを見えるようにする」、「動かないものを動か

す」というコンセプトである。

1974 年から 75 年にかけて『Way of Snow』という彼女が脚本・デザイン・演出まですべ

て手がけた最初の作品が上演される。

色つきプレキシガラスで影絵人形、モーターサイクル、車、飛行機を映し出し、サイレン

ト映画の手法を用いるなど初期から言語に頼らないヴィジュアル化されたイメージと音楽

による仮面舞踊劇を創造していたのである。

その中には大きな仮面の下から俳優の顔が見えるようにするという後の『ライオンキン

グ』にもつながるような演出もある。

1986 年にニューヨークで初演、その後 1987 年にコネティカットでも上演された『テン

ペスト』では反対にイメージの宝庫であるシェイクスピアの言語をヴィジュアル化する挑

戦もなされている。

空気の精霊であるエアリアルの純粋な精神を表現するためには役者やパペットでは限界

があると判断し、仮面と手だけで表現した。これは仮面を手に持って舞うバリの舞踊から発

想を得たものである。俳優は文楽の黒子のように身体を黒衣ですっぽりと覆い、左手には白

い手袋をはめ、右手で仮面を操る。

微妙な手の動きで無生物であるはずの仮面に生命を与え、エアリアルの妖精のようなイ

メージを表現した。

最後には仮面を取られ、素顔になることでエアリアルが人間としての自由を得るという

ストーリーを強調する効果も果たしている。

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このようにいくつかの作品を取り上げただけでも彼女が日本やインドネシアの伝統芸能

に触発されながらも、ただそれらを模倣するわけではなく、作品の主題や登場人物をより生

かすために応用、発展させてきたことが分かる。

ここでジュリー・テイモアが演劇の特性に触れている言葉を紹介したい。

「演劇には力があるからです。テレビや映画が持っていない演劇の力があります。これ

については、後でもう少しお話ししたいと思っておりますが、特にアジアを訪れて学んだ

ことがあります。それは、詩、ポエトリーです。

これは、いわゆるリテラルなメディアではない。例えば『ライオンキング』にしても、

サバンナが出てきます。もちろん、我々が舞台で演じております。ですから、サバンナだ

と信じてくれるわけですね。一緒にサバンナに行ってくれる。そういう様式化をするとい

うことです。詩的な形でそういう地平線を描くことができるわけです、カメラが例えばサ

バンナの朝日を撮らなくても。それは非常に写実的なメディアでありますが、そういうこ

とをやらなくていいわけです。」(asahi.com、ジャパン・ソサエティー創立 100 周年シンポ

ジウム「創造の作り手・創造の届け手」)

ジュリー・テイモアは「象徴的な一部分さえあれば、観客は想像力を働かせてくれる」と

語っている。演劇だけでなく映画の分野でも活躍しているからこそ、映画はリアルさを追求

するもの、演劇は観客の想像力に頼るべきものという表現の特徴を理解しているのだろう。

そういった演劇観を持った上で仮面と人形を積極的に用いていることから、彼女が使用

する仮面や人形には演劇性につながる要素があると考えられるのではないだろうか。

2 章 ブロードウェイミュージカル『ライオンキング』―作品とその手法―

2.1.ブロードウェイミュージカル『ライオンキング』

『ライオンキング』という作品はアニメ映画、舞台でそれぞれどのような評価を受けてき

たのだろうか。

アニメーション映画としての『ライオンキング』は 1994 年に公開され、その年のアカデ

ミー賞作曲賞、主題歌賞やゴールデングローブ賞作品賞(ミュージカル・コメディ部門)、

音楽賞、歌曲賞を受賞している。

興行収入はアニメ映画史上第 2 位の 9 億 6000 ドルで、セルビデオの売り上げは 2003 年

夏の時点で世界一の 5500 万本、さらにはサウンドトラックの売り上げも 1500 万枚で世界

一という大記録を打ち立てている。

そして、この論文のテーマであるブロードウェイミュージカル『ライオンキング』は 1997

年ニューアムステルダム劇場の杮落とし公演として初演を迎えた。現在では日本をはじめ

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世界 11 か国で上演される作品となっている。

『美女と野獣』では興行的な成功を収めた一方でトニー賞作品賞受賞を逃したディズニ

ーは演劇のみならずオペラや映画の分野でも「シアター・ヴィジュアル・アーティスト」と

して活躍していたジュリー・テイモアに演出、衣装デザインを任せることを決めた。音楽は

映画版の楽曲を担当したエルトン・ジョンが引き続き監修した。

1998 年にトニー賞 11 部門にノミネートされ、作品賞、最優秀演出賞、振付賞、装置デザ

イン賞、照明デザイン賞など 6 部門を受賞した。その他、グラミー賞最優秀キャストアルバ

ム賞、最優秀ミュージカル賞にも輝いている。

その中でも特筆しなければならないのはトニー賞ミュージカル演出部門で大賞を受賞し

たということである。これは女性としては史上初という快挙であった。

また、パペットや衣裳も監修したテイモアは衣裳デザイン部門でも大賞を受賞している。

このようにトニー賞で評価されたということは、作品に演劇としての価値があると認め

られたということだ。

ここからはミュージカル『ライオンキング』が舞台としてのアイデンティティを持ちえた

理由を舞台化までの道のりを追うことで考察してみたい。

『ライオンキング』の舞台化を任されたテイモアがディズニーから受けた注文は「ストー

リーを変えない」ということであった。裏を返せば、この条件さえ守れば後は彼女の自由に

してよかったのである。

しかし、そうはいっても舞台化に際しては『ライオンキング』という作品ならではの課題

が大きく3つあった。

まずオリジナルの作品をつくるのとは違い、アニメ映画のイメージが一般に定着した状

態からのスタートだということである。

映画をそのまま舞台化してしまえば二番煎じにもなりかねない上に、映画のシーンのほ

とんどは舞台化不可能だった。観客がイメージをリアリティとして受け止めるような機能

を果たす映画やテレビでは決して味わえない演劇ならではの「何か」で勝負することを迫ら

れたのだ。

第二の課題はキャラクターがすべて動物だということである。しかも、アニメ映画版では

動物は動物そのものとしてというより人間のような強い個性を持った存在として描かれて

いるのだ。

この「人間のような個性を発揮する動物たち」こそ『ライオンキング』という作品の要で

あると考えたテイモアは自身の得意とする仮面、そして人形を用いることを決めた。

まず仮面だが、これはムファサやスカー、シンバなどライオンにのみ使われている。

しかも、テイモアは子どものときは素顔にペイントを施すだけにし、成長すると半マスク、

大人のライオンであるムファサやスカーになると完全なマスクになるという変化をつけた。

仮面一つでキャラクターの年齢や地位をも表すことに成功したのである。

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また、テイモアは動物の性格描写を舞台用に修正したという。登場する動物たちは動物で

あり、人間でもあるという二面性をもっているとし、その象徴性と面白みを活かすために人

形や仮面を使いながらも、俳優の顔を隠すことはしなかった。(図 2,3)

図 2 ムファサのマスク 図 3 スカーのマスク

図 2:ムファサのたてがみは輪のように配置され、宇宙・太陽系の中心である太陽神を表現。ま

た、これにより作品のテーマである“サークル・オブ・ライフ(生命の連環)”をも象徴してい

る。

図 3:スカーはムファサとは対照的に“月”をイメージしてデザインされた。

顔は左右非対称であり、これは歪んだ心の持ち主であることを示している。

テイモアは仮面によってアニメで描かれたキャラクターの外見を表現するだけでなく、

それぞれの性格、つまり内面という重層的な意味を付加することに成功していることが見

て取れる。

また、他にも動物を表現するのにパペットを導入している。それがミーアキャットのティ

モンとイボイノシシのプンバァである。

それぞれ小さくて細長い、大きくて丸みを帯びているといった身体的な特徴を持つキャ

ラクターなだけに仮面ではなくパペットが作成された。(図 4,5)

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図 4 ティモンのパペット 図 5 プンヴァのパペット

図 4:ミーアキャットであるティモンの身体の小ささを表現するために、テイモアは試行錯誤の

末、日本の伝統芸能である文楽の手法を取り入れた。パペットは、俳優の身体の前に取り付けら

れている。

図 5:ティモンとは対照的に大きな身体を持つイボイノシシのプンバァ。大きな頭部と、今にも

地面にくっついてしまいそうなお腹を作り出すために俳優の身体の前と後ろにパペットをくく

りつけるという手法をとっている。

俳優は両腕でプンバァの巨大な口を動かす。また、頭部から突き出た俳優の頭は、プンバァの髪

の毛を表現している。

これらのパペットと俳優の関係には日本の伝統芸能である文楽の手法が見てとれる。

文楽では人形のかしらと右手を動かす人形遣いを「主遣い」と呼ぶ。普通 3 人の人形遣い

は全員が黒衣姿で登場するものだが、主遣いは顔を出して人形を遣うこともあり、これを

「出遣い」という。

ティモンとプンバァについてもパペットを操る俳優の姿、表情が見えるようになってい

るのだ。

ただし、テイモアと人形デザイナーのマイケル・カリーは文楽の操法の通りに 3 人で操

るのではなくティモン役の俳優 1 人で動かせるように試行錯誤を重ね、右手は太ももの動

きと連動させることで動かすつくりにするなど「アメリカン文楽」というスタイルを確立す

ることに成功した。

違いは操作の方法だけではなく、人形の顔にもある。文楽のかしらは基本的に無表情なも

のだが、ティモンやプンバァのパペットは表情豊かでユーモラスですらあるからだ。特にテ

ィモンの顔は特殊メイクにも使用されるラテックスフォームという素材で作られており、

伸縮性に富んでいるためさまざまな表情を見せることができる。

これは父を死なせてしまったという罪悪感から王国を飛び出し、放浪する主人公のシン

バに「ハクナ・マタタ」(スワヒリ語で「どうにかなるさ」の意味)の精神を教える陽気な

2人組というキャラクターを表現するためだと思われる。

このティモンとプンバァのパペットに象徴されるように、厳しい制約がつきものの伝統

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芸能をそのまま導入するのではなく、インスピレーションを受けて作品に応じて変化させ

る力こそテイモアのオリジナリティといえる。

仮面や人形にはキャラクターの性格を託し、俳優の表情により喜怒哀楽といった感情を

表現するこの手法をテイモアは「ダブルイベント」と呼んでいる。

仮面と人形、そしてそれらを操る俳優の存在を見せることで生き生きとしたスペクタク

ルの魅力を生み出し、新たな感動と驚きを与えることに成功した。

これこそがキャラクターの魅力を引き出す手法であったとともに、映画やテレビにはで

きない演劇ならではの「何か」、テイモアの答えだったのである。

「スカーという人物が出てきます。ライオンだというふうに見てとることができるわけ

です。人間とライオンが同時に出てきているのに。この手法、これはダブルイベントと言っ

ています。『ライオンキング』ではこれを多用していまして、人間は立っているんですが、

マスクがこのように水平になりますと動物になります。このアイデア、つまりマスクと人間

の合体、これはインスピレーションとしては日本と、それから、インドネシアで得たもので

あります。」(asahi.com、ジャパン・ソサエティー創立 100 周年シンポジウム「創造の作り

手・創造の届け手」)

テイモアが『ライオンキング』をアニメーション映画からミュージカルに再構築する上で

直面したもう一つの課題はサバンナという広大な空間や「サークル・オブ・ライフ」つまり

「生命の連環」という壮大なテーマを舞台という限られた空間でいかにして表現するかと

いうことだった。

この問題についてもテイモアは「見せるコンセプト」をフル活用している。

物語の冒頭、舞台の幕が上がるとすぐに平面の布によって表現された巨大な太陽が目に

飛び込んでくる。布が揺れるさまはさながら陽炎のように見える。

また、『ライオンキング』では植物すらも人間が表現している。頭に芝生のようなものを

乗せ、腰にはハワイのフラダンスのように葦を巻きつけた人間が複数おり、彼らが舞台上を

移動することで観客の目の前に草原を現出させる。テイモアによると人間が大地の上にも

下にも存在するこの演出にこそ「サークル・オブ・ライフ(生命の連環)」というテーマが

集約されているのだという。

他にも仮面から布を垂らすことで涙を表現するなど日本特有の「見立て」が応用されてい

ることが見てとれる。

「見立て」については落語家の芸を考えると分かりやすいだろう。

落語家が高座で使用できる道具は手ぬぐいと扇子に限られており、手ぬぐいを財布や手

紙といった幅のあるもの、扇子を箸や刀、煙管など棒状の道具として用いている。

落語では手ぬぐいと扇子に抽象性が与えられ、観客もそれをルールとして理解している

ためこのような表現が可能なのである。

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「竹と、それから、絹を置いて、そして、ワイヤが上がると、これはシルク、そして、竹

だと観客は見てとるわけですが、それを太陽として解釈することができるわけです。それ

が、舞台の持つ力です。想像力を使うことができる。すべて描いてもらわなくても、自分

で補うことができるということです。」(asahi.com、ジャパン・ソサエティー創立 100 周年

シンポジウム「創造の作り手・創造の届け手」)

この言葉から分かることがある。彼女は空間や表現が制限されているがゆえに鑑賞者の

想像力を喚起することができるという演劇の持つ力に多大な期待を寄せているということ

である。

さまざまな仕掛けを隠さず、あえて見せる。それこそが観客に想像力を働かせる仕掛け、

舞台『ライオンキング』を演劇的でスペクタクルな作品にしたテイモアの「魔法」だったの

だ。

3.2.ブロードウェイミュージカル『美女と野獣』

『ライオンキング』を考察するにあたり、比較対象として扱いたいのが『美女と野獣』と

いう作品である。同じディズニー作品であり、アニメ映画としても人気を持つ 2 つの作品

がブロードウェイで好対照な評価を受けたのはなぜだろうか。

アニメーション映画『美女と野獣』はアニメ映画としては史上初となるアカデミー賞ノミ

ネート作品ということもあり、ディズニーの舞台ビジネス参入の第一歩に選ばれた。

1991 年に公開され、アカデミー賞作曲賞、歌曲賞(「美女と野獣」)を受賞した。

ミュージカルとしてはディズニーのブランド力で興行的な成功は収めたものの、演劇性

で判断されるトニー賞作品賞を受賞することはなかった。

初演で演出を務めたのはロバート・ジェス・ロスである。彼は後にディズニーが初めてア

ニメ映画以外の題材を扱いオリジナル・ミュージカルとして発表した舞台『アイーダ』の演

出も行っている。

当時の新聞各紙の批評を見てみると否定的なものが多く、映画製作で培ったマニュアル

をそのまま持ち込んだだけという痛烈な意見もあった。

「The result is a sightseer ’s delight, which isn’t the same thing as a theatergoer’s dream.」

(The New York Times、April 19、1994、荒井健二郎、『90 年代のブロードウェイミュー

ジカルの特色』)

この「芝居好きを満足させるには程遠く、観光客の楽しみにすぎない」という批評が『美

女と野獣』のブロードウェイでの評価を的確に言い表している。

戦略としてはアニメ映画のミュージカル版としての「かわいさ」で勝負したのが『美女と

野獣』だったのである。

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しかし、ここで考えてみたいことがある。それは『美女と野獣』の舞台化に際して、後の

『ライオンキング』の手法を使ったとしても効果が得られたかどうかということである。

下は2作品の特徴についてまとめた表である。(表 1)

表 1 ブロードウェイミュージカル『美女と野獣』と『ライオンキング』の比較

作品 『美女と野獣』 『ライオンキング』

アニメ

映画の

評価

・アニメ映画史上初となるアカデ

ミー賞作品賞ノミネート。

・アカデミー賞作曲賞、歌曲賞受

賞。

・アカデミー賞作曲賞、主題歌賞受賞。

ゴールデングローブ賞作品賞(ミュー

ジカル・コメディ部門)、音楽賞、歌曲

賞受賞。

舞台の

評価

・トニー賞 9 部門にノミネート。

・トニー賞最優秀衣裳賞受賞。作

品賞は受賞ならず。

・トニー賞 11 部門にノミネート。

・トニー賞作品賞、最優秀演出賞、振付

賞、装置デザイン賞、照明デザイン

賞、衣裳デザイン賞の 6 部門を受賞。

グラミー賞最優秀キャストアルバム

賞、最優秀ミュージカル賞受賞。

主題 ・ベルと野獣の恋愛 ・親子愛、生命の連環

特徴 ・人間(ベル、ガストン)と野

獣、家具(時計や燭台、タン

ス)が混在している。

・舞台はフランスの片田舎だが、

場面は野獣の城の中がほとん

ど。

・登場するキャラクターは動物のみ。

・舞台はアフリカのサバンナ。

手法 ・俳優はキャラクターの衣裳を着

ることで役になりきる。コスチ

ュームプレイ。

・現実をよりきらびやかにしたス

ペクタクルな舞台美術。

・俳優は人形や仮面を操ると同時に演技

する。

・布を太陽、頭に草をつけた複数の俳優

を草原に見立てる。

・俳優の体や衣裳、舞台美術に模様を施

す、カラフルな色使いなどアフリカン

テイスト満載。

『美女と野獣』に登場するのは人間、そして魔法で野獣や家具の姿に変えられてしまった

家臣たちである。その家具に変えられた家臣も野獣に変身した王子も物語のラストで魔法

が解け、人間の姿に戻る。

動物しか登場しなかった『ライオンキング』とは対照的に人間と非人間が混在しているこ

とは忘れてはならない相違点である。実際の上演でも役者がコスプレするような形で燭台

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やポット、時計に扮装して演じている。

「人間が魔法で物に変えられてしまった」という設定、そして最後には「人間に戻る」と

いうストーリーを強調するためには人間が物に扮するというこの手法が適していることが

理解できる。

また、舞台となるのは野獣の城とアフリカのサバンナという好対照な空間であることに

も注目しなければならない。室内と屋外ではその舞台装置もリアリティを追求するかどう

かが変わってくるのは当然だからだ。

さらにお城という場所の特徴を表現するとなると、どうしても豪華さ、華やかさが必要に

なる。『ライオンキング』とは違い、現実をより飾り立てたデザインが採用されたのは作品

のこのような特色があったためである。

『美女と野獣』も『ライオンキング』もそれぞれの作品の特徴を考えると、それに見合っ

た手法がとられていること、ジュリー・テイモアによる仮面や人形を用いた舞台が『ライオ

ンキング』という作品に優雅さや芸術性といった新たな魅力を付加したことが演劇として

の評価につながり、トニー賞を受賞したことは分かった。

しかし、ここで新たな疑問が浮かんでくる。なぜ仮面や人形が演劇性に貢献することにな

るのだろうか。

この問いについて考察するために、次の章ではジュリー・テイモアが『ライオンキング』

に導入した「文楽」、「能」・「狂言」、「ワヤン・クリ」という芸能について詳しく見ていきた

いと思う。

3章 仮面と人形―演劇性とダブルイベントのオリジナリティ―

3.1.文楽

「文楽」とは人形浄瑠璃の中でも特に大阪で発展したものを指し、太夫、三味線、人形に

よって構成される世界にも例のない日本の伝統芸能の一つである。

一つの人形につき人形の頭であるかしらと右手を操る「主遣い」、左手を操る「左遣い」、

両足を動かす「足遣い」という3人の遣い手がいる。メインの遣い手である主遣いは顔を見

せ衣装もつけることがあるが、あとの2人は頭巾に黒い衣装をつけている。

このように顔を見せて演じる操法を「出遣い」といい、頭巾をかぶらず、人形と人間の頭

がつかず離れずの位置にあることで場面をより効果的に表すことができるといわれる。

人形は手足が動くだけでなく、頭の部分も眉が動く、目が回転する、口が開くなどの技巧

が仕込まれている。つくりは男女で異なり、女の人形のかしらはこうした可動部分が少なく、

まぶたが開閉する程度である。

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人形や人間型のキャラクターで表現することが生身の「身体」が演じるのとは異なる効果

を生むだろうということは何となく想像できる。しかし、それは一体何だろうか。

ここで人形や人間型のキャラクターを「人間型」と呼ぶことにすると、人間型はいってみ

れば人間の身体の似姿である。

現実の身体とは違い、適度な具象性と曖昧さを兼ね備えている、つまりはリアルと作り物

の中間にあることで鑑賞者が投影や同一化(同一視)するのを手助けする媒体となりうるの

である。

また、生身の人間が演じると刺激が強すぎるような場面-たとえば、戦いやエロティック

な場―の生々しさを減らし、観客がゆとりをもって鑑賞できるようにするのも効果の一つ

に挙げられるだろう。

心中や自害といった流血の場面も、人形が演じることで悲惨な場面というばかりでなく、

むしろ「美しい」場面として感じられるからくりがここにある。

特に人形浄瑠璃は薄暗い舞台に部分的に色温度の低い蝋燭系の照明というより陰影を活

かす陰影空間で繰り広げられる。

このとき人形が明瞭に映し出されてしまうと、鑑賞者の知覚は客観的になり、主体的投影

を担う幅は狭くなるので、表情の曖昧さを陰影によって演出することでより強く生き生き

とした投影が可能となるのである。

人形遣いや黒子によって主人公の人形が操られている光景は神々や運命、無意識に翻弄

される弱い人間存在との符号も見受けられる。

当時流行した「心中物」の真似をして心中する男女も多発したことからみるに投影の強さ

は計り知れない。

3.2.能・狂言

能や狂言は室町時代に演劇的な基礎を固めた日本の伝統芸能である。

能、狂言の特徴といえば能面、狂言面と呼ばれる仮面をかぶって演じられることである。

中には「直面ひためん

」といって素顔で演じられる役もあるが、これは現実に生きる生身の人間の中

でも演じ手と同じく壮年の男を演じる場合である。

仮面は霊的な力が宿るものとされ、演じ手はその力を借りて超人間的役柄を演じる。仮面

を用いる役柄には神仏や仙人、鬼神、亡霊、動植物の霊がある。

このような明確な使い分けがあることからも分かるように、「仮面」の役割として第一に

挙げられるのはやはり変身の道具であるということだろう。

壮年の男性である演者が女面をつけることで若い女から老女まで演じ分けることが可能

になるなど身体的限界を乗り越えて老若男女、さらには霊的な存在になることさえできる

のだ。

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素顔はその人を個人と特定するための重要な要素であるが、仮面はこれを隠す役割を持

つ。そうすることで何が起こるだろうか。

演者のアイデンティティは消え、代わりに面という別の顔、別の個性を獲得する。

そういう意味では舞台メイクも仮面と似ているかもしれない。特に歌舞伎や宝塚の濃い

メイク。しかし、決定的に仮面とメイクで異なるのは表情の有無である。

表情を隠すことで心理を浮かび上がらせる。リアルではないという一線を引いているか

らこそ、仮面の劇は様式的であり、それが主題を明確に示すことが可能になるのだ。

3.3.ワヤン・クリ

「ワヤン・クリ」とはインドネシアのジャワ島やバリ島で受け継がれる伝統的な影絵劇で

ある。「ワヤン」は「影」、「クリ」は「皮」を意味しており、水牛の皮に透し彫りの細工を

施して作られた人形を白い幕に投影することで舞台が展開される。

その物語の多くがヒンドゥー教の聖典、古代叙事詩ラーマーヤナとマハーバーラタが元

になっていることからも分かるように非常に宗教的な芸能である。

14 世紀にジャワ島にイスラム教が流入した際、9 人の布教者ワリ・ソゴがヒンドゥー教

の物語の中にイスラム教の理念を組み込んで上演することを思いついた。そこで紙の絵巻

による芝居「ワヤン・ベベル」の登場人物を人形に仕立てることで開発されたのが、ワヤン・

クリだといわれている。

ワヤン・クリに欠かせないのが人形の操り手であると同時に物語の語り手も務める「ダラ

ン」の存在である。

先に紹介した文楽では人形は 3 人で操り、語りも操作とは別に太夫という人物が担当す

るのに対して、ワヤン・クリでは一人のダランが一夜に 70 体前後登場する人形を操り、7

から 8 時間にも渡って物語を進行する点が大きく異なる。

さらには背後に控える 20 人ものガムラン奏者に指示を出し、音曲を奏でる指揮者もこの

ダランである。

このワヤン・クリの技法は『ライオンキング』の中では、プライドランドの王子シンバが

叔父であるスカーの後をついていく場面で使われている。

ワヤン・クリの人形には能や狂言の面と同じように非常に多くの種類があり、動物や乗り

物、武器も含めると総数は 500 以上にもなるという。そして、その人形には性格や人物の

属する地位を表す特徴がいくつかある。

まず性格を表す要素としては眼と色がある。

眼には切れ長な細い眼や大豆形の眼、三日月型、丸い眼などがあり、大きく 7 つほどに分

けられる。

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切れ長な細い眼は高貴さや意志の固い資質を示す。また、この眼を持つ人物は美男子が多

いとされる。

大豆形の眼は一般に果敢だが、一方で思慮の足りない男性の眼である。彼らは物語の中で

その善良さと勇敢さを発揮し出来事に身を挺して立ち向かうが、考えが足りずにかえって

身の破滅を招くことが多い。三日月型の眼をしている人物は信頼のおけない性格である。

丸い眼は2つのパターンに分かれており、黒い顔で黒くて丸い眼であれば、人物の頑固さ

や落ち着き、誠実さを示すが、黒い顔でも黒い眼でもないときは粗暴で礼儀知らずという対

照的な性格を表す。

この黒という色は人生経験を積み、世の酸いも甘いも受け止めたあとの識見をもとに自

らの欲望を規制し、行動できる人物。反対に白は若者や短気な性格を表す。

赤は粗暴で精力的なさまを示す。黄色が一般的で人形の顔に使われる色はこれが圧倒的

に多い。

大豆形の眼が黒で彩色される場合とそうでないときで異なる性格を象徴することからも

わかるように眼の形、色の組み合わせによっても変化するものである。

次に地位を表す要素として被り物と着衣の2つがある。

王冠は当たり前だが王族のしるしである。グルンという髪型は国王に属する武将など身

分が高い者を示す。

ポコンガンと呼ばれる衣装をつけている人物は地位が高く、国王や王子、それに順ずる武

将、神などである。肩掛けをつけた男性の人形があるが、国王や武将でこれをつけていると

苦行に励んだしるしとなる。

靴を履くのは天界にある神か苦行者の中でも徳をきわめた者であり、他は国王であって

も素足というような区分がなされている。

影絵劇であるはずのワヤン人形にこうした装飾や彩色がなされているのはなぜかと思わ

れるかもしれない。

観客は影の投影される側だけでなく、ダランやガムラン奏者の側からも鑑賞できるため、

人形の両面がきれいに彩色されているのだ。

この両面から鑑賞できる上演空間こそワヤン・クリの大きな特徴へとつながっていく。

観客の側から語り手の側へ、色のない世界から極彩色の世界へ移動することで生と死の

世界を行き来するような感覚にとらわれる。

人形の影は先祖の霊だともこの世に生きる人間の心の喜びや悲しみの影だともいわれて

いる。

ワヤン・クリもまた「生と死」、そして霊や心の影という「目に見えないものを見えるよ

うにする」芸能なのである。

3.4.仮面と人形の演劇性

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仮面や人形を用いることが、舞台に高い演劇性や芸術性をもたらすのはなぜだろうか。

それは演劇という表現の特質に大きく関わっていると私は考える。そもそも演劇は宗教

的な起源を持ち、神や精霊に変身するために仮面を用いていた。テイモアが語るように「見

えないものを見えるようにする」、「動かないはずのものを動かす」という力が演劇には備わ

っている。

ここで引用したいのが、ニューヨーク・タイムズ紙のディヴィッド・リチャーズ David

Richards の批評である。

「The astonishments rarely cease. Yet strange as it may sound, that’s the very drawback

of “Beauty and the Beast.”

Nothing has been left to the imagination. Everything has been painstakingly and

copiously illustrated.

There is no room for dreaming, no quiet tucked-away moment that might encourage a

poetic thought.」

(The New York Times、April 19、1994、荒井健二郎、同論文)

視覚的に説明が丁寧すぎる、つまり舞台美術が具体的だと私たち観客は目にしたものそ

のものを特に疑問を感じることなく受け取ってしまう。

『美女と野獣』は俳優がキャラクターの衣裳を身につけることでその役になりきるコスプ

レのような手法や現実をよりきらびやかにしたような豪華絢爛な舞台装置を用いたと前述

した。そのことからも分かるようにミュージカル『美女と野獣』はいわば現実に沿った、現

実の輪郭を強調した舞台だった。

その背景には舞台化のノウハウがなかったディズニーが映画製作のスタイルで上演した

作品であり、2D を 3D にそのままに置き換えるに留まってしまったことがあるだろう。

また、野獣の城の中という限られた空間で繰り広げられるため、具体的な舞台装置や舞台

美術で十分に描き切れたということもある。

しかし、それこそがミュージカル『美女と野獣』の弱点と見抜かれる結果となってしまっ

たのである。

以前から演劇界で高い評価を受けてきたジュリー・テイモアが監修した『ライオンキング』

では人間と仮面が合わさってライオンを表現する、布で太陽を表現するというように本物

でないものを本物と捉えるように仕向ける演出が多用されている。

『美女と野獣』が具体的で現実的だとしたら、『ライオンキング』は抽象的で詩的である。

そのように観客に違和感を抱かせることはそこに隠された意図、些細な変化を読み取ろ

うと想像力を働かせる効果がある。

観客に想像する余地を与えることこそ優れた舞台作品の条件といっても過言ではない。

映画界でも活動し、ジャンルと表現について模索してきたテイモアだからこそ、アニメ映

画からの舞台化という高い壁を乗り越え、演劇のアイデンティティを持った舞台を作り上

げることができたのだろう。

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道具に抽象性を持たせることが演劇という芸術ならではの特徴につながるものだと理解

してもらうために、仮面の使用について映画に置き換えて考えてみると分かりやすい。

映画の中で仮面が登場したとしてもそれは観客の目には顔を隠す道具としてしか映らな

い。映画はリアリティの世界であり、動かないものは動かないものとしてしか描けないから

だ。仮面に人格が宿ったように演出される場合もあるが、その場合は仮面が浮遊したり、表

情が変わったりという動きをつけて人格や生きていることを示しているのを思い返してみ

てほしい。

また、無表情であることを「能面のような顔」と表現するように、生身の人間とは違い仮

面や人形の場合は表情がない、表情が動かないという特徴がある。

しかし、能や狂言、そして文楽を鑑賞するとき、私たちは面や人形に表情を読み取ること

ができる。それはなぜだろうか。

「人間の役者と違って、人形それ自身には表情がない。とくに、目や口、眉を動かすこと

ができる男の人形と違って、女の人形はせいぜい目を閉じる程度。それでも彼女が恋にとき

めくとき、悲しみにくれるとき、表情の変化を感じることができるのは、観る人の心が人形

に投影されるからだ。」(中本千晶、『熱烈文楽』、p32、10 行目)と筆者が述べているように、

無表情だからこそ自分が感じた気持ちが面、そして人形に投影される経験は少なからずあ

ると思う。

さらにいってしまえば、私たちが観客として目にしている表情は仮面や人形の角度の変

化、そして演じ手の身体の微妙な変化によるところだけでなく、自分が感じている感情から

生まれるのだと考えられはしないだろうか。

怒りを感じれば怒った表情に、喜びならにっこり微笑んでいるようにと同じ場面を観て

いても観客それぞれに違った表情を見ているのかもしれない。

これを裏付けるように『「顔」研究の最前線』の中では無表情についての興味深い研究が

なされている。

無表情をどのような感情の表現として理解するか統計をとったところ、文脈によってそ

の判断が変わることが分かった。

たとえばうれしい顔の後に無表情のイラストを見せると、うれしい感情として判断され

る。反対に悲しい顔を見た後なら悲しい気持ちなのだと答える人が多かったという。

つまり、無表情とは見る側の判断に委ねられた表情といっても過言ではないのだ。これは

観客が無表情の仮面や人形の顔に自身が抱いている感情を投影する作用を強めると考えら

れる。

観客が役に深く感情移入すればするほど、仮面は観客の感情のままにその表情を変化さ

せる鏡のような役割を果たすのである。

観客の想像力をはばたかせること、そのサポートをする抽象的な道具としての仮面や人

形の存在はどちらも演劇特有のものなのだ。

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おわりに

これまで上演空間、演出家、伝統芸能という面から『ライオンキング』という作品を見て

きた。

『ライオンキング』が成功した背景には、その手法以前にニューヨーク市の再開発やそれ

までの演劇が通用しなくなり、閉塞感を打破しようとするブロードウェイの風潮があった

ことも大きかったといえる。

実験演劇の実践者であったジュリー・テイモアはエンターテインメントのディズニーと

出会い、そのアーティストリによって多大な功績をもたらした。

子どもだましのエンターテイメントと評されることも少なくなかったディズニー作品は

「娯楽性」だけでなく、「芸術性」という新たな価値を獲得することで観光客やファミリー

層に加えて文化人をも引き込むこととなった。

この「娯楽性」と「芸術性」がブロードウェイの志向するアイデンティティとの一致を見

せたこともトニー賞作品賞受賞に至った要因となった。

『美女と野獣』と比べることで分かることも数多くあった。

人間であるベルと野獣や物へと変えられてしまった人々の混在、魔法が解けた瞬間のカ

タルシスを演出するためには俳優そのものが物に、そして野獣になりきる手法がマッチし

ていた。

豪華絢爛で現実をより強調したような舞台美術も場面がフランスの城だったからである。

広大なサバンナと動物の世界である『ライオンキング』という作品だったからこそ、テイ

モアは演劇の想像力と仮面や人形劇の手法で勝負することができた。

その抽象的なものに生命を吹き込んだポエティックな舞台が演劇らしい演劇として認め

られたのだ。

仮面や人形の芸能にはテイモアの演劇観と符合するキーワード、「見えないものを見える

ようにする」という共通の効果があった。

なぜならば、仮面とは演劇が宗教的な目的で生まれた当初から世界各地で用いられてき

た道具であり、神や幽霊を可視化し、現実と非現実をつないできたからである。

未だに仮面や人形という装置を伝承している伝統芸能には幻想的で神秘的な世界観とそ

れを現出させる力が色濃く残っている。

おとぎばなしや絵本を題材にした子ども向けの番組が人形劇仕立てになっているのも、

ありえないこと(非現実)をありえる(現実)として描き出すことに特化しているからこそ

である。

また、仮面や人形というものはそれ自体では表情を持たなかったり、表情が固定されてい

たりする。

そのような特徴は観客が舞台を鑑賞しながら感じた思いを強く投影することを可能にす

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る。だからこそ、そこに生まれる表情やその変化に私たちは心を惹かれ、深く没入させられ

るのだ。

ジュリー・テイモアの新しさとは奇をてらったものでも、突然降って湧いたものでもない。

伝統芸能やその他自分が学んだ芸術のエッセンスを作品のテーマや登場人物が背負うスト

ーリーに合わせて変容させた結果、伝統が画期的な手法として息を吹き返したものである。

「この仮面は紙で作られた〈物〉です。これに意味を与えるのは俳優の力です。」(真正節

子、同書、p152)とあるようにテイモアは俳優がいてこその仮面、俳優が被って演じるから

こそ重層的な意味が生まれると考えていることがわかる。

「ダブルイベント」という手法は周囲の演劇人や観客にとっては画期的なものでも、テイ

モアにとっては動物であり人間であるという二重性やドラマに深みを持たせるためにそれ

までも用いてきた当たり前のことだったのかもしれない。

『ライオンキング』という作品にも象徴されるように表面的な驚きや感動だけでなく、登

場人物の持つ性格や人間の激情や狂気、暴力性をも視覚化しうる仮面と人形の劇はいまや

子どもだけではなく、大人のドラマとしての可能性を垣間見せている。

参考文献

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(4)映像

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(5)インターネット

ジャパン・ソサエティー創立 100 周年シンポジウム「創造の作り手・創造の届け手」

http://www.asahi.com/sympo/080308/