スティーブ・ジョブズを悼む MCC研修資料 2012年1月20日
スティーブ・ジョブズを悼む
MCC研修資料
2012年1月20日
爾来彼は文字通りシリコンバレーで一生を過ごしたのだ
1971年、ヒューレット・パッカードの夏季インターンシップで働いていたときに、スティーブ・ジョブズと知り合いすぐに意気投合した。
ある日、ウォズの母親がくれた『エスクァイア』という雑誌の1971年10月号に、ブルー・ボックスというフリーキング(不正に無料で長距離電話をかける行為)装置が掲載されていた。ウォズとジョブズは二人でスタンフォード大学の図書館に潜り込み、AT&Tの技術資料を見つけ出して、自分たちオリジナルのブルー・ボックスを作り上げた。ウォズはこの装置をバークレー・ブルーと名前を付けた。二人は、長距離電話をかけまくり、ウォズはヘンリー・キッシンジャーを名乗って、バチカンに電話をかけて教皇を呼び出したら、就寝中で今から起こすと言われて慌てて切ったともいう。
スティーブ・ウォズニアック
当時は個人がコンピューターを持つなどという発想はどこにも無かった
1977年発売のApple-2はHome Computorという新ジャンルを生み出した
フロッピーディスク
キラーアプリケーション表計算 VisiCalc
1979年 ディスク
確定申告
1980年
1993年までに総計500万台が生産された
1980年 1984年
IPO
GUIとマウスの商品化
1985年5月ジョブズ解任!
アップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させたこと
何と遂にエクソンを抜いて世界一に!
さて次は?・・・・という所だったが
Unfortunately, that day
has come.
どれもがジョブズにピッタリ当て嵌まるではないか!?