Meiji University Title ������������������ Author(s) ��,� Citation ������, 47(4): 99-121 URL http://hdl.handle.net/10291/10582 Rights Issue Date 1964-05-08 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/
Meiji University
Title マーケティング管理論にかんする一試論
Author(s) 徳永,豊
Citation 明大商學論叢, 47(4): 99-121
URL http://hdl.handle.net/10291/10582
Rights
Issue Date 1964-05-08
Text version publisher
Type Departmental Bulletin Paper
DOI
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/
(437>
マーケティング管理論にかんする一試論
マーケティング管理論にかんする一試論99
一 ヤーケテイングとマーケティング管理
徳
x
水
豊旦
わが国の産業界に、アメリカ・マーケティングの理論や技術が本格的に導入され、それが脚光をあびるようになっ
たのは、たしか昭和三十年の秋であった。その直接のきっかけは、アメリカに派遣された日本生産性本部のトップ・
マネジメント視察団の人々によってもたらされたのである。
もっとも、学術用語としてのマーケティングは必ずしも新しいものではない。すでに、昭和初期より、 「配給」と
いう用語をもって「市場組織論」あるいは「配給論」として論じられているのである。しかるに、配給という用語で
呼ばれたマーケティングは、その分析視点を、社会経済的見地にこれを求め、それは、社会的に生産された商品が、
最初の生産者から、最後の消費者へ向かって流通していく社会経済的現象としてとらえようとするものである。この
ような社会経済的分析視点をもってとらえようとするマーケティング理論は、戦前のわが国のみならず、アメリカに
おいても支配的であった。このような社会経済的分析視点に立ったマーケティングをわれわれは否定しようとは思わ
100叢一…ム面冊学商
一(438)
ないし、またその必要性を十分に認めるところである。
ところが、戦後わが国に導入されたマーケティングは、必ずしも、戦前に支配的であった社会経済的分析視点をも
つマーケティングではなく、それはすぐれて経営の立場よりする市場調査、販売促進、販売経路、製品計画など、い
わゆる経営的分析視点に立ったマーケティング理論であり技術であるところに、マーケティングの新しさがあるわけ
である。
もっとも、アメリカにおいて、戦前より、経営的分析視点をもってとらえようとすゐマーケティング理論が全くな
かったわけではない。例えば、コープランド教授(ζ・り・o。bΦド巳)は、マーケティングを定義して、 「生産者より、
エ
消費者への商品流通の事業経営の政策を支配する原理の研究である」と述べ、その経営的分析視点を強調している代
表者の一人である。
また、販売活動の合理化に対する一つの接近方法として、主に生産過程の合理化に適用されていた科学的管理法
(ω9①三田。蜜き・σq①旨①暮)を、販売過程においてこれを適用しようとする努力がなされてきた。それはホイト(ρ毛・
国。旨)、 ウォーカー(〉° ぐく.⇔一犀O『)、ブラウン(甲芝゜ω3毛p)などの研究業績においてみることができる。もっとも、
これらの販売過程においての科学的管理法の適用の努力は、主として販売員に対する課業管理に重点が置かれ、いわ
ゆる販売管理(ω巴2ζ”欝σq①日①葺)としてその理論体系をととのえたのである。しかし、今日いわれている新しいマ
ーケティングが、時代の要請によって、製品計画、市場調査などの新しい領域をその理論体系の中に含めせしめるよ
うになり、販売管理はその一部分としてこれが問題とされるようになった。その限りておいては、企業の販売活動が
「販売からマーケティングへ」という概念上の変化においてこれを端的に見出だすことができる。
ところで、マーケティングにおける経営的分析視点は、特に戦後のアメリカの企業において再認識され、アメリカの
(439)マーケティング管理論にかんする一試論101
生産性向上運動の推進と相侯かて、賢極的に経営活動の中に導入され鳩それが戦後のアメリカ・マーケティング理論
や技術の中枢となっているのである。このことについて、ラゾおよびコービン両教授(=①6§ピ窩。碧ユ〉彗。匡o。.げε
は、 「新しいマーケティング概念は、アメリカにおいて起こったところの経済的な変化から生ずる自然の、そして必
(2)
然の発展であり、特に一九五〇年以降、そめ変化のテンポは急速に促進された」と指摘している。
このように、アメリカ・マーケティング理論の一つの転期は、第二次世界大戦を契機としてみられるのである。そ
れは従来の伝統的なマーケティングの研究方法、 つまり、機能的研究(酔①h§a自巴巷震。竃『)、商品的研究(島。
8目日巳ξ巷隅8島)、機関的研究(臣。冒゜。け謬¢ユ8巴巷隅。即島)につけ加えられるものとして、経営的分析視点を強く
打ち出した経営的研究(臣o日きお。日。葺巷質。毬げ)の展開であり、その代表的な論者としては、ハウワード教授Q。ぎ
〉・=。乏碧匹)、ハンセン教授(甲剛.い゜ 甲肖”昌1-O昌)、マッカーシー教授(閏・旨・ζ。O国二ぼ)、バスカーク教授(閃ざ冨a=・切器匹碑)、
マーサi教授(舅①「傷一旨Pβ畠 司゜ ζ9仁qゆ①同)などをあげることができる。
さて、今日まで、一般的にマーケティング(壽時9冒σq)といえば、一九四八年のアメリカ・マーケティング協会の
定義が用いられている。すなわち、 「マーケティングとは、商品もしくはサーヴィスを生産者から消費者または使用
(3)
者まで流通せしめることに関する企業の経営活動の遂行である」と定義されている。ところが、最近この定義に対し
て異論が少なくない。それというのも、この定義には、暗黙のうちに、商品が生産された後に、マーケティング活動
が始まるものと仮定しているからである。少なくとも、生産に先立って、消費者の需要を質的・量的な側面について
分析し、それに基づいて生産が行なわれねばならない。いいかえれば、マーケティングに携わっている人々は、時間
と空間を超越した需要の出現の予見という点において、重要な役割を演じているわけであつて、この仕事の多くは、
定義が暗黙のうちに仮定しているように、生産が行なわれた「後」でなく、 「以前」にも遂行されねばならない。
102
一叢諮百冊学商
一(440)
・それ故にアメリカ・マーケティング協会の定義は、それ自体の中に、すでに生産中心の考え方が支配しているもの
であって、今日のマーケティングにおける消費者中心の考え方はあまり認められていないといわざるをえない。この
ことについて、ラゾおよびコービン両教授は、 「A・MAの定義それ自体は同協会の相反した見解の妥協である。そ
して、一九四八年代の最善の考え方を示しているかも知れないが、今日のマーケティングの活動性や消費者志向の見解
(4)
を殆んど伝えていない」と述べ、また、・フェルプスおよびウェスティング両教授(∪・ζ麸コ”.匹凄.ぎ。,”巳卜=。壽己
名①ωユ轟)は、「この定義はもはや正しくない。なぜならマーケティングは、現在、マーケティング管理者の指揮の下
(5)
に遂行される多くの活動を包含していないからである」と述べているのである。
このような、A・M・Aのマーケティングの定義に対する批判は、一九五〇年代におけるアメリカ・マーケティン
グ理論の新しい展開として、われわれは注目しなければならないし、また、それは経営的分析視点をもったマーケテ
ィング理論の組織的体系化を目指すものとして、これをとらえるこどができるのである。最近における「マーケティ
ング・マネジメント論」あるいは「マネジリアル・マーケティング論」の急速な発展は、まさにこのような方向を示
すものである。
このような情勢の下に、A・M・Aは、一九六一年の定義において、新たに「マーケティング管理」という用語定
義を追加しているのである。すなわち、 「マーケティング管理とは、企業または企業の事業部がすべてのマーケティ
ング活動を計画し、管理し、統制することで、マーケティングの目標、政策、実施計画および戦略などの作成を含む。
そしてまた通常、製品開発を含み、諸計画を遂行するための組織編成と要員の配置、マーケティング活動の監督およ
(6)
びマーケティング活動の遂行を含む」と定義づけている。そこにおいては、なによりもまず経営者的観点が強調され、
そして、経営の立場がら販売とその他すべての閥連する諸活動を総合的に管理することが中心的な課題となる。その
(441)
一マーケティング管理論にかんする一試論103
理論的なあらわれとして、マーケティング戦略論やマーケティング・プログラム論が、マーケティング管理の中心的
課題となってきた。
このように見てくると、戦後わが国に導入されたアメリカ・マーケティングの理論や技術は、少なくともアメリカ
における新しいマーケティングとしてのマーケティング管理にかんする研究成果であったことは、何人も否定するこ
とはできないであろう。ところが、昭和三十年頃に導入されたマーケティング理論や技術を今日ふりかえってみるに、
それが市場調査論であり、製品計画論であり、また販売促進論などの技術論としての導入であった。もちろん、それ
らの部分的な理論や技術については、相当細部にわたってその理論的究明がなされたのであるが、残念なことに、そ
の理論を貫く経営理念、なかんずく、顧客志向に基づく経営指導理念としてのマーケティング理念の導入が十分でな
かったところに大きな聞題がひそんでいる。また一方、部分的な理論や技術にかんする総合体系化が今日の問題とし
て提起されていることも事実である。
かくして、われわれが、ここに取りあげようとするマーケティング管理論は、戦後における新しいマーケティング
理論にかんするものである。それとともに、従来、ややもすれば部分的・平面的にとらえられていたマーケティング
管理論を、総合的・立体的あるいは動態的にとらえようと試みるものである。
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
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104
一叢曹ム
尚冊学一一 、(442)
ニ マーケティング理念の展開
マーケティング理念は、新しい経営理念として、経営活動を方向づけるための道標となり、また企業運営上の考え
方であり、基本方針ともなるものである。このようなマーケティングに基礎を置く経営理念の重要性について、バス
カーク教授(因一〇ず鋤『α 甲園゜ 切口ω犀一『犀)は、 「基本的経営理念の一つとして顧客志向(ε・・δ日霞9①三巴8)がある。それ
は市場の命令(暮巳四↓①。・)でもって、経営の行為を方向づけるための経営組織の諸力としての理念である。経営がそ
(1)
のように行為することによって、社会から適正な報酬があるものと信ずる」と、今日における顧客志向に基づく経営
理念の重要性を指摘しているのである。
このような、経営における顧客の欲求を尊重した考え方は、決して新しいものではない。いわゆる消費者は王様で
ある(島。8器嘗日。=ω匹畠)といったような言葉の中にも、 すでに顧客の欲求を尊重した考え方があったのである。
ところが、従来からの顧客中心の考え方は、それ自身かならずしも経営を方向づけるところまで至らなかった。これ
が経営活動を方向づけ、経営全体を支配する経営理念として取りあげられるようになり、また、マーケティング理念
として明確に打ち出されたのは、第二次世界大戦以降である。なかんずく、ゼネラル・エレクトリック社(Ω・⇒2巴
些①葺一。O。二)が、一九四六年に、顧客志向の原則を採用し、それを数年間あらゆる角度から研究して、一九五〇年に
(2)
実行に移し、一九五〇年代のなかば過ぎにようやく、そのための多くの改革と調整を完了した。ことに、今日の問題
とするマーケティング理念の開花がある。
かくして、ゼネラル・エレクトリック社はマーケティング概念を経営理念にまで高揚し、新しい経営理念としてこ
れを採用したことは高く評価されるべぎである。このような新しい縄営理念を社内に滲透させるにあたって、ゼネラ
ル・エレクトリック社の副社長である、 閏゜旨しu負跨氏は、経営観に影響を与えた六つの最も重要な諸力を次のよう
の44
@に述べている。
( 一、 〃三つの競争” われわれの製品は競争する。すなわち、㈲製品対製品競争(官。含2。σq匿諺叶實。含。梓)働商品
種別間競争(。§ω、一一器只。93 ㈲技術問競争(臼。ω。・,一一器§ぎ。一。σq一。巴8日℃①辞三8)
一二・〃専門化”われわれは自分の分野についてはあらゆることを智・他の分野にかんしては少ししか知らない
論試 専門家を育てる。
一る 三、“多角化” われわれは新しい、そして多様化した製品系列にむかって進む。 、
す乳 四、“複雑性” 事業は益々複雑となり、その歩調は急速である。すなわち、職能の数が大きく増加した。
ω講、 五、〃オートメーション” 国はまさにオートメーション化した工場たらんとしている。
糎六、”効果的刺激〃多-の環境は響に最も報酬のある馨を案・ている。
ク
ン かくして、一九五〇年以降形成された企業の信条の多くは、 特に顧客志向の重要性をその中に強く盛り込んでい
勾 る。例えば、製薬業界でよく知られているジョンソン・アンド・ジ・ンソン社(ざげ88卿♂匿ω。口O。こ)の信条に
ケ㍗
ヘ、 「われらの第一責務は、顧客に対するものであると信ずる」と声明し、これと同じような態度をとっているもの
には、モンサント・ケミカル社(ζ8ωき80冨巳。巴09“) シルバニア・エレクトリック製品社(ω箆くきす匿①。↓膏
甲。臼。5一昌8)など、その他多くの企業がある。
いうまでもなく、企業の経営理念は、経営活動の全体を支配し導くものであり、多くの場合、経営理念というもの
鵬 は筆では書き表わせないが、しかし、それは企業の信条、運営原則という形で存在するものである。もちろん、この
106叢一
子ム員冊学商(444)
ような経営理念は企業の伝統、企業の性格、などによって異なるものであるが、しかし抱括的には、経営理念はその
組織体としての基本的目的として、その目的を達成するために提出された企業の倫理的概念といえるだろう。それは、
まさしく、経営者が経営決定を下す際の道しるべとなるものであり、それはまた企業の目標達成における経営者の責
任を示すものである。
エスプリ ドロコエル
アメリカの著名な経営学者の一人であるピータi・ドラッカー(勺。一.『男U鴇爵..)は、 「組織の精神」ということ
(3)
を重視して、つぎのようにいっている。少し長いがこれを引用しよう。
「目標がはっきり示されることによって、経営担当者は、自分が何を示すべきかを知り、仕事が適正に組織化されることによ
って、充分にそれをやりとげることができるようになる。しかし経営担当者が精魂を打ちこんで仕事をしようとするかどうかは、
〈組織の精神〉にかかっている。経営担当者が最善を尽して仕事をやりとげるかどうかを決定するのは、彼に刺戟を与、兄、彼の
奮発心と努力とを呼びおこす〈組織の精神〉である。……
良い精神が経営組織内に行き百三ている場合に、投入された労力の総和以上のエネルギーが産み出される。これはエネルギ…
の創造を意味する。それは機械的な手段では明らかに不可能である。機械的手段は、せいぜいエネルギーを損わずに保つことが
できるだけで、エネルギーの創造ではない。投入されたもの以上のものを産み出すことは、精神的な領域においてはじめて可能
となるのである。
従って経営層に良い精神を生ましめるために必要なものは、道徳性である。そして道徳性は、人々の長所を強調すること、高
潔を強調すること、正義を重んじ、高い行動の標準をつくることを意味する。
しかし、道徳性を強調することは、単に説教することではない。道徳性は、実践されるものであってはじめて意義のあるもの
である。つまり、単に言葉の上だけの問題とされず、必ず実行されるものでなければならない。真にすぐれた道徳性は、いかな
る能力や態度を持っている人も、その高い理想に向わせる力をもつものであり、また誰の目にも明らかな形をとって現われる具
体的な行動規範でなければならないのであるも」
このことは、まさしく経営活動における指導理念を高く評価しているものであり、形式化された社是は何の価値も
(445)マーケティング管理論にかんする一試論一
107
認められず、それが実践されてはじめて意義のあることをわれわれに教えてくれるものである。
さて、このような経営理念について、われわれにはなはだ興味のある見解を示してくれるものの一人として、マー
サー教授(閏Φa言碧伍閃’ζ窪゜・①「)の所説をあげることができる。すなわち、同教授は、 「高度の競争あるいは将来の
市場の変化に打勝つために、企業の経営において最近、 マーケティング概念(§蒔9ぎσq89①巳と呼ばれるものが
採用されるようになった。このマーケティング概念の合理性は、顧客に始まるマーケティング志向という言葉で表現
され、企業のあらゆる経営決定の基礎となるものである。この概念の認識は顧客が市場の成功不成功の命令者として、
企業の諸政策や諸活動の決定にかんする鍵をもっている。したがって、企業が市場においてあらゆる経営活動を、こ
(4)
の概念の下にもっともよく統合し、均衡のとれたものにしなければならない」と指摘しているのである。
ところで、ひるが、兄ってわが国の現状をみると、今日、重視されなければならない顧客志向に基づく経営の指導理
念としてのマーケティング理念が十分に経営活動に反映していない企業を少なからず見受けることができる。なるほ
ど、多くの企業において、それらは社是、信条という形式において表現され、その多くは、“われわれは社会に奉仕
する”“われわれは社会的責任をもつ”という表現をとり、いかにも顧客志向の理念で貫かれているように見えるが、
その実は、必ずしもこのような理念の下に経営決定がなされているかどうか疑問がないわけではない。したがって、
企業の個々の経営活動に現われた行動に一貫性がないということは、概して、経営決定に関してのバックボーンがな
く、瞬間瞬間における緊迫状態の下に、そめ場その場での決定がなされるため、経営全体としての活動にどうしても
統一性あるいはその統合性が欠除してしまうのである。
少なくとも、現代企業において要請される経営理念は、顧客志向によって貫かれたマーケティング理念でなければ
ならない。またそれが、経営指導理念として、経営のあらゆる決定において実践されることによって、経営活動全体
108’
叢一弥湘学一商(446)
の統合が可能となるものである。
現代企業においてややもすれば見失いがちである経営理念について強調したのであるが、もとより、企業は収益を
得ることによって生活し、再生産をいとなむものである。ところが多くの企業において見られることは、売上高の増
大のみに気をうばわれる経営態度である。
このことについて、ラゾおよびコービン両教授は、新しい市場に対する二つの経営態度として、
8 顧客志向
口 販売量よりも利潤に根ざした企業観
(5)
についての基本的な認識の必要性を認めている。
顧客志向については、すでにふれた通りである。ところで後者について、競争が激化している今日、企業が競争上
裡において生命を維持し、繁栄して行くためには、社内における各人の活動を利益のあるように行なう必要性を自覚
しなければならない。 “利益は財務部内の関係ごとである”という従前に態度を改め、利益はすべての従業員の関係
事であり、組織の中のあらゆる活動は、企業全体の福祉に寄与するという意味において、これが徹底化されなければ
ならない。それは一面において原価意識(OOω酔OO昌qo一〇口q陰)の問題である。
生産は市場の必要に応じて予定され、販売は販売量それ自体に対して計画されるのではなく、利益をもたらす量に
対して計画されるものである。これはマーケティング活動の効果的な達成を意味するものであって、新しいマーケテ
ィングの概念は、販売量よりもむしろ利益を、そして効果的な製造よりもむしろ販売の成功を強調するものである。
このような考え方は、必然的な方向として、マーケティング戦略の思考を暗示するものである。
(1> 蜜。冨a出゜しd器匹酔℃勺二昌。巨。°・。{ζ碧ぎ二旨σq讐℃°一b。°
(447)マーケティング管理論にかんする一試論109
(2)
(3)
(4)
(5)
国ooδ「いmNo9つ傷》30匡Ooま一P一げ乙こ㌘b。P
勺゜8『男U歪爵。『》日冨勺轟g一8。{ζ9冨σq①日窪計曲宍醸蘇覇凝恥毘M竈゜b。一一~b。置゜
男Φa言昏傷国ζきω05ζo臥oヨ]≦”時g言σqζpまσq①ヨ①茸℃ΨQ。°
出ooε鴇い震o餌5匹〉旨昌o匡Oo困げ一Pぴ乙こ唱゜一り゜
三 マーケティング管理の体系
今日、一般において問題とされているマーケティングが、従来からの社会経済的分析視点に立った配給とか、流通
とかという意味のものと大きく相違する点は、それが実は経営的ないしは経営者的分析視点に立ったマーケティング
管理であるという点にあるということについては、すでに述べた通りである。
しからば、このような意味でのマーケティング管理は、どのような内容をもち、どのように体系づけられるであろ
うか。すでに多くの論者によって、マーケティング管理にかんする内容および体系化が試みられているのであるが、
それらは必ずしも統一ある見解は認められないし、また必ずしも十分なものであるといえないようである。
試みに、マーケティング管理に関する二、三の代表的な論者の諸説を紹介しながら、私見を述べてみたい。
一 ハウワード教授のマーケティング管理論
く
マーケティング管理論にかんする代表的な論者の一人として、ハウワード教授(まず口〉’=o乏m冠)をあげることが
できる。同教授は、その著書ζ僧時。件ぎσqζき凶σq①目窪↓の冒頭において、マーケティング管理を次のごとく規定して
いる。すなわち、 「マーケティング管理は、広汎な販売問題を取り扱う経営管理の一分野である。マーケティング部
長は、通常、価格政策、広告その他の販売促進、販売営理、製品計画および販売経路などの五項目の決定についての
責任を負うものである」と述べ、しかも、これらの決定のためのマーケティング管理の本質を、経営をとりまくダイ
110
一商学論叢一(448)
ナミックな社会的.政治的・経済的諸環境に対する創造的な適応の過程に求め、経営がとるべぎ手段としてのマーケ
ティング管理と経営をとりまく環境との関連を明確に浮ぎ彫りしながら、その理論体系を展開しようとしているので
ある。
同教授の指摘する経営をとりまく諸環境には、次のごときものがある。
(五} 四 {三) (二) (一)
需 要
競 争
マーケティング関係法規
流通機構
非マーケティング・コスト
である。
これらの諸環境は経営にとって管理不可能要因(口】日OO昌一hO一一鋤ぴ一〇 hgO一〇円ロ励)であり、しかもこれらの諸環境は極めてダ
イナミックに変化を遂げているものである。
これに対して、マーケティング部長が管理しうる要因、つまり経営にとっての管理可能要因(8三巨ドげ冨州き8邑
には、
日 製 品
口 販売経路
日 売 価
画 広 告
(449)マーケティング管理論にかんする一試論111
国 人的販売
因 立地条件
の六項目がある。
そこで、マーケティング部長は、経営をとりまくダイナミックな環境に対して、自己の経営に最も有利な機会を導
くように創造的に適応し、そして経営の長期的期待利益を最大なものとしうるように、これらの管理可能要因、すな
わち、製品、販売経路、売価、広告、人的販売および立地の個々のマーケティング活動を意識的に、注意深く統合す
ることが要請されるのである。かくして、 マーケティング活動の統合をマーケティング戦略(日碧冨一ぎσqω↓聾Φσq団)と
呼び、マーケティングにおける管理可能要因の一つ一つは、マーケティング戦略の構成要素をなすものである。
このように、ハウワード教授は、マーケティング管理の問題を、その管理機能の直接の担当者であるマーケティン
グ部長の立場から、管理可能要因と管理不可能要因とに分け、さらにマーケティング戦略論へとマーケティング管理
論を展開していることは、われわれにとって非常に興味を覚えるものである。しかしながら、ハウワード教授のマー
ケティング管理に対する体系化において見られることは、経営のマーケティング部門における個有の管理問題として
これを体系づけしようとしていること、ならびに、ただ単に経営環境に対する創造的な適応過程としてマーケティン
グ管理をとりあげようとするところに、不明確なそしりをまぬかれないところがある。
すなわち、第一点は、新しいマーケティングにおいて思考しなければならないことは、経営のマーケティング活動
がただ単に一部門としてのマーケティング部門の活動だけではなく、全社的なものでなければならない。それが全社
的なマーケティング活動であるためには、経営の意思決定において、顧客志向ないしはマーケティング志向によって
貫かれた経営理念によってすべての経営活動が統合され導かれるものである。したがって、それは、マーケティング
112叢一弥百田学商
「(450)
部門を中心とした、部門と全体との関連である。
第二点は、外部環境に対する創造的な適応の過程としてマーケティング管理をとりあげているが、ただ単に外部環
境に対する創造的な適応だけでなく、経営のマーケティング活動が消費者との関連において問題とされなければなら
ないことを考えれば、この点において若干不明確な点がないでもない。もっとも外部環境の中に需要をとりあげて、
この関連において問題としようとする意図はみうけられるが、しかし、それを漠然としたものとしてとらえるのでは
なく、目標を設定し、その目標を遂行するためのマーケティング活動の統合としてとらえた方が、より明確なものと
なるであろう。
ニ マッカーシー教授のマーケティング管理論
く
このような、ハウワード教授のマーケティング管理論を、さらにより一層明確に展開している論者として、マッカ
ーシi教授(匂Φ『。目。ζ69諄ξ)をあげることができる。同教授は、その著書bご9°・8竃碧落江品の中において、消費
者志向(OO昌oo二目O「 O同一①⇒一陣二〇口)の理念を貫きながらマーケティング管理論を展開している。
同教授は、 マーケッター(目P僧『犀①叶①『)と消費者との問には如何なる関係があるか? 実際に消費者は誰か? 市場
において消費者は如何なる行動をするか? 一方、マーケッターの業務ー消費者との関連においてーは何か、マ
ーケティング過程の効果を高めるためにこの二つの相互作用を明らかにすることが必要であると述べ、マーケティン
グ管理を消費者との関連においてとらえようとしているのである。その場合、マーケティング業務は、商品もしくは
サービスを特定の消費者集団(9「膏巳舞。qδξ。h8昌霊暮『ω)に対して満足させるために行なわれるものであり、そ
の業務は、あらゆる時あらゆる人々を満足させることに関するものではないとして、消費者という一般的、抽象的概
念を明確に具体化し、これを特定の消費者集団に求めているのである。そして、マーケティング部長はそのような特
(451)マーケティング管理論にかんする一試論113
定の消費者集団に対して十分に適合しうるように、マーケティング戦略を展開し、計画しなければならない。実際上、
マーケティングは基本的には戦略の実施に関連するものであるが、戦略を計画することは、マーケティング管理の業
(2)
務であり、その出発点となるものであると指摘している。
このように、経営のマーケティング活動を誰に対して実施するかということから、これを消費者に求めることは当
然であるとしても、さらに消費者を具体的な特定集団としてとらえようとしているところに、マッカーシー教授の特
徴がある。これを市場標的(暴葺2§σq8と呼び、この市場標的に対してマーケティング戦略を展開することが、
マーケティング管理の重要な課題となるのである。
もっとも、このようなマーケティング戦略論は、すでにオクセンフェルト教授(〉一{円①傷 胃゜ ()潟O諮n①一餌叶)によって展
(3)
開されている。すなわち、
日 市場標的の明確化
ロ マーケティング・ミックスの構成
の二面をもっているとされている。したがって、オクセンフェルト教授によって展開されたマーケティング戦略論を
基礎として、マーケティング管理論を展開しているものとみるべきであろう。
このように、マッカーシi教授は、マーケティング標的に対するマーケティング・ミックスの組み合せをマーケテ
ィング戦略とし、その戦略の計画ならびに実施がマーケティング管理の主要な課題であるとしている。ところで、い
うところの、マーケティング・ミックスとは、いかなるものがあるのであろうか。同教授の説くところによれば、
日 製 品(只。費2)
口立地(箪98)
114叢一塾口冊学商(452)
日促進(℃δ貸oゴo昌)
四売価(”コoo)
の四つである。この四つがマーケティング・ミックスの構成要素であり、それを四PSと名付けている。
次に、同教授はマーケティング戦略を展開する場合、当然に考慮しなければならないものとして経営をとりまく環
境を次のごとく指摘している。
{五) (四) (三) (二} (一
その場合、
設備、
ところで、
マーケティング戦略を展開する場合にこれらの環境を考慮することによって、先に述べたマーケティング.ミックス
としての四PSのおのおのの相対的な重要性が位地づけられるのである。
かくして、マッカーシ!教授の指摘するマーケティング管理論を、市場標的、マーケティング・ミックス、経営を
とりまく諸環境との関連において図示すると、次の通りである。
このように、ハウワード教授ならびにマッカーシi教授のマーケティング管理に関する所論のアウトラインを紹介
文化的・社会的環境
政治的・法律的環境
経済的環境
現存の企業機構
企業の資源と物財
最後の要因については、マーケティング部長の統制外にあるものであって、それは企業の従業員、工場、
資本などであるとしている。
このような経営をとりまく諸環境は業種、経営規模などによって大きく異なるが、それはさておいても、
(453>一マーケティング管理論にかんする一試論一
第1図
115
統璽治律境
政法環
経滞♂ア
\ 環境
統制不可能要因
してぎたのであるが、両者はその論点において比較的に共通するものをもって
いるが、しかし、その大きな相違点としては、前者が、マーケティング理念を
明らかにせず、ただ単に、経営をとりまく環境との関係においてマーケティン
グ管理を問題としようとしているのに対して、後者、すなわちマッカーシi教
授のそれは、市場標的の明確化とマーケティング・ミックスとの関係を明らか
にするとともに、そのマーケティング・ミックスは、企業のすべての部門がマ
ーケティングと消費者を志向するというマーケティング理念を貫くことによっ
て、マーケティング管理論を展開しているところに、その相違を認めることが
できる。
以上、マーケティング管理について、若干の論者による所論を考察したが、もとより統一ある見解は見出だし難い。
それにもかかわらず、何かそこに一定の枠があり、問題のとりあげ方があり、そしてまた共通の考え方があるように
受け取られる。では、一体われわれはマーケティング管理をどのように体系づけたらよいであろうか。
三 マーケティング管理機能の分化
゜ (
経営の管理活動はもともと、経営規模の拡大化に伴い、また業務の複雑化につれて、二うの側面においてこれが分
化したものである。つまり、その一つの側面は経営機能の過程的分化であり、その一つの側面は経営機能の組織的分
化である。とするならば、マーケティング管理も決してその例外をなすものではなく、これを二つの側面においてと
らえなければならない。
㈲ マーケティング管理の過程的分化
116叢一管Afiua学一商(454)
まず、第一に、マーケティング管理における機能の基本的分類は、多くの諸学者によって論じられているところで
ある。すなわち、製品計画ないしは製品開発、市場調査、販売促進、販売経路、販売管理などである。もっとも、こ
れらの外に、価格、販売統制などを含める学者もいるが、一般的に認められているものとしては、上記の四ないし販
売管理をも含めたものである。
現代的な意味においては、これらはマーケティング部長の責任の領域と考えられているが、上記の内、販売管理は
いわゆる従来の販売部長としての伝統的な責任領域であったわけである。ところが、最近においては、マーケティン
グ部長は、製品計画、市場調査、販売促進、販売経路の面での多くの責任を与えられるようになった。製品計画はほ
とんど生産技術部門において担当されていた機能であり、また現代、製品計画の一部として考えられている価格決定
は普通、財務部門の機能として考えられていた。そして市場調査はほとんど無視され、実際上、ごく最近まで計画も
組織化もされていなかったのである。
しかし、企業のマーケティング活動が、生産した後において商品を消費者の手許にとどけるという諸活動だけに限
らず、生産に先立って、消費者の質的・量的な需要分析を通して、それに適合する商品を生産するための製品計画の
必要性が認識されるに及んで、マーケティング活動の分化が行なわれたのである。それは、マーケティング管理で遂
行される機能を業務の分量に応じて分割するという意味において、これをマーケティング管理の過程的分化と呼ぶこ
とがでぎる。
回 マーケティング管理の組織的分化
マーケティング管理機能の分化は、ひとり過程的分化を遂げるものではなく、むしろ伺時に組織的分化を遂げるも
のである。
(455)マーケティング管理論にかんする一試論117
第1表
響雷覆調覆露馨舞市場調査tlin. mPl
マーケティング・ミックスマーケティ・ング政策
販売員計 画
径画.
売計
販路
販売促進計画
品画
製計
市場調査計画マーケティング計画
ティング政策
広義のマーケ
統制統 制統 制統 制統 制マーケティング活動の統制
実実施実施実施実施マーケティング活動の実施
広義のマーケティング管理
論者によってはマーケディング管理をただ単に㌻製品計画、市場調査、販売
促進、販売経路、販売管理などを平面的にとらえるという、いわばマーケティ
ング管理機能の一側面である過程的分化のみをとらえて、マーケティング管理
論を体系づけようとしているが、これでは必ずしも十分なものとはいえない。
マーケティング管理はその組織的活動を通じて、計画(覧碧巳昌σq)と実施
(o冒①『讐δ昌)との機能に分化するのである。前者は完全な決定に到達するために
必要な仕事であり、マーケティング活動を方向づけるものである。後者はこれ
らの諸決定を実施するために必要な仕事である。その場合、計画機能の中に、
実施の結果を評価するという「統制」(。§蓉一一言σq)機能を含ませしめるのであ
る。
このように、マーケティング管理において遂行される機能を「計画」と「実
施」と「統制」とをもつものとして体系づけることは、基本的には科学的管理
の考え方によるものである。
以上、われわれは、マーケティング管理の機能を過程的分化として把握する
とともに、さらに、これを組織的分化として把握することを試みたのであるが、
このような姿においてマーケティング管理を体系づけると、第1表のごとくと
なるであろう。
この第1表によっても解るように、マーケティング管理の対象としては、こ
118叢一払巨冊学一商(456)
れを大ぎく、市場調査、製品計画、販売促進、販売経路、販売管理に分けることができるとともに、それぞれの管理
機能において、その組織的活動という観点から計画、統制、実施の諸活動に区分した組み合せが可能であり、またそ
うすることによって、マーケティング管理を立体的に体系づけることができるのである。
四 マーケティング戦略
く
このように、マーケティング管理機能を過程的分化と組織的分化との二つの側面より体系づけてぎたのであるが、
もとより・このような機能分化ということだけでは、現代の複雑なマーケティング管理を十分に説明しうるものでは
ない。なぜならば、マーケティング管理機能が、経営規模の拡大やマーケティング業務の複雑化に伴って分化すれば
するほど・一方において、それらの諸機能が全体としての統合(一コ梓Φσq巴O↓戸O旨)を必要とするのである。それらの諸…機能
の全体としての統合は、単なる機能間の調整(OOO匹一口⇔峠一〇旨)ではない。諸機能間における調整は、少なくとも実施機
能においてすでになされるものであると解するからである。
とするならば、マーケティング管理機能の全体としての統合はどのようになされるべぎであろうか。少なくとも、
管理機能の統合において貫かれねばならぬものは、マーケティング理念であり、顧客志向である。このような理念を
基盤として、マーケティング活動の具体的目標を設定し、その目標に到達するためのマーケティング管理機能の統合
がなされることが望ましい。そのためには、マーケティング戦略の思考の導入をはかることによって、現代の複雑な
マーケティング管理機能の統合が可能であろう。
マーケティング戦略(§腎①け冒σqω欝富σq団)は、第一に市場標的の明確化である。それは、ただ漠然とした消費者を
対象とするマーケティング活動ではなく、特定の消費者グループを対象とするマーケティング活動である。現代の企
業のマーケティング活動は、製品差別化の進んでいない産業は別としても、ただ漠然とした消費者を対象としている
(457)マーケティング管理論にかんする一試論119
ようでは、いくら多額の費用を投入してもその効果は期待できるものではない。そればかりか、他企業におくれをと
る危険さえあるものといわなければならない。市場標的を明確化するための手段として、マーケティング管理におけ
る市場調査の機能が浮かびあがってくるのである。このようにして明確化された市場標的に対してもっともよく適合
するとともに、一方企業をとりまく環境を十方に考慮して、製品、販売促進、販売経路、販売員などのマーケティン
グ゜ミツクスの諸要素を統合することが、マーケティング管理において主要な課題となるものである。
もっとも、市場標的自体が静的なものであるとするならば、その時、その場所において展開されるマーケティング.
ミックスの諸要素の統合も静的なものである。ところが、時間的要素を考慮するとき、市場標的それ自体すでに量的
にも質的にも動きつつあるものであり動的なものである。とするならば、マーケティング.ミックスとしての諸要素
の統合も、動的な市場標的に対して動的なマ!ケティング・ミックスが考えられなければならない。ここに動的な市
場標的との関連において動的なマーケティング・ミックス、つまりマーケティング・プログラム(日.同犀。↓一ロ嚥眉.。σq.餌目)
の側面を見出だすことができるのである。かくして、マーケティング・プログラムは、マーケティング.ミックスの
時間的要素においての計画化をその内容とするものであり、計画期間によって、これを短期プログラムと長期プログ
ラムに分けることができる。 .
ところで、マーケティング・ミックスを構成する諸要素をつぶさに観察するとき、われわれは、そこに企業のマー
ケティング活動に投入されるマーケティング・コスト(巳霞ざ↓冒σq8ωけ)を見いだすことがでぎる。マーケティング.
コストは、これを財務会計としてとらえる場合は、販売費となるが、もとより現代の企業のマーケティング活動は財
務会計でいうところの損益計算書上に計上されている販売費にとどまらず、製品開発研究費、販売店投資、支店.
営業所開設・運営の費用など貸借対照表に計上されているものも含めることになるのである。しかも、財務会計にお
120叢一論学商
一(458)
いては、これらの費用(財務会計では販売費)は収益が控除されるべきものとして計算されているが、企業のマーケテ
ィング活動においては、むしろこれらの費用庖投入(一ε巳ω)として把握することが適切である。 つまり、それはマ
ーケティング.コストがマーケティング・ミックスと表裏の関係にあることを思い致すならば了解しうるところであ
ろう。
さらに、先にも指摘したごとく、動的な市場標的との関係においてマーケティング・ミックスの計画化としてのマ
ーケティング・プログラムが考えられるとするならば、マーケティング・ミックスと表裏の関係にあるマーケティ.ン
@
@環境ヤ 論 む毅劫娩幾嫁陸灘黙
第2図
マーケテイン
コスト
マーケテイン
ツクス
第3図
456789101112123マーケティング・プログラム(短期・長期
マーケティング・ミ
。クスの規模 葬
を加味することによって、マータティング・プロ
グラムの側面を見いだすことができる。かくして、
マーケティング・プログラムは、その一面におい
てマーケティング・コストの時間的要素を加味し
計画化した場合、いわゆるマーケティング・コス
ト予算(日駕冨ぎσq8°。辞げ乱σq2)となり、また、長
期マーケティング、コスト計画となるのである。
以上、マーケティング管理の統合を動的な市場
標的との関連において述べたのであるが、この関
係を図示すると、第2図、第3図のごとくになる
(459)
}マーケティング管理論にかんする一試論
一であろうか
第2図において、市場標的とマーケティング・ミックスならびにマーケティング・コストの関連は、市場標的の規
模にマーケティング・ミックスが依存し、その関連においてマーケティング・コストが規定されなければならない。
ところが、こうしたことは必ずしも現実のマーケティング管理においては現われず、むしろマーケティング・コスト
の面から規制されることが多い。その場合には、少なくとも市場標的の規模を小さく評価しなおすとともに、それに
対するマーケティング・ミックスの統合も当然に異なってくるものである。
かくして、私論によればマーケティング管理論を、次のごとく体系づけることができる。
〔五) (四} {三} (二) (一
マーケティング標的
マーケティング組織
マーケティング・ミックス
マーケティング・プログラム
マーケティング・コスト
以上、マーケティング管理論の体系化にかんする一試論を述べたのであるが、最後に示した個々の問題については、
別の機会にゆずることとしたい。
(1)一。ゲコ〉=o≦鋤乙鴇ζ碧ぎニロσqζき9σq。日〇三矯噂゜一゜
(2) 臼①↓o日oζoO碧島ざ団器8ζ碧ざ峠一ロαq騒戸ωメ
(3)国薦窪。一・内①=2寒匹堵躍一冨日訂国。5ζp津σq①ユ巴ζ”降①↓ぎσq”署.b。2~卜。謡゜
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