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自転車と同じスピードで走る光 –スローライト--
横浜国立大学 馬 場 俊 彦
1. スローライトがなぜ必要?
光は 3 × 108 m/s という速度(c と表される)をもち、
一秒間に地球を7.5 回も周回するほど速いというこ
とは一般によく知られている。ただしこれは真空中
の話であり、屈折率 n の媒質中では速度が c/n となる。
つまり n は光の減速度を表しているといってもよく、
c/n をスロー...
と呼べないこともない。しかし様々な媒
質の屈折率を調べると、例えば空気では約 1.0、窓ガ
ラスでは約1.5、比較的大きな値をもつ半導体でも2
~4である。たかだか数分の一の減速をあえてスロー...
と呼ぶのは大げさかもしれない。一方、ここで「ス
ローライト」と呼ぶのは、c より何桁も小さな速度を
もち、場合によっては図1のように止まってしまう光のことである。
原理など専門的な話に進む前に、スローライトがなぜ必要とされ、研究されるのか、その
魅力や重要性を 初に説明しておきたい。現在、考えられている応用を図 2 にまとめたので、
参考にしていただきたい。速度を自由に遅くすることができるスローライトが可能になると、
世の中の技術者がまず喜ぶ応用の筆頭は「光メモリー」である。つまり光を著しく遅くする
か、もしくは完全に停止させ、そのまま蓄積、保持する装置である。光の連続する明滅パタ
ーンを丸ごと保持する場合は、「光バッファー」とも呼ばれている。自然界の光メモリーで
思い出すのは夜空の星だ。私たちはあれが何万年、何億年も前の光だということを知ってい
る。これは見方を変えれば、巨大な宇宙空間が過去の時間を蓄積しているということになる。
スローライトには、このようなタイムカプセルをデスクトップで実現するかもしれないとい
う夢がある。ただし光のままで蓄積する必要があるのか、フォトダイオードなどで光を電気
に変換し、半導体の電子メモリーや磁気ハードディスクに貯めてしまってはどうか、あるい
は盤面にピットを刻む光ディスクではダメなのか、という疑問が出てくるだろう。ところが
実際、いくつかの応用では光のまま....
のメモリーが待望されている。例えば、インターネット
の基幹技術である光ファイバーネットワーク。ここでは通信される情報量が毎年指数関数的
に増え続けており、10 年後には現在の数 100 倍に達する見通しである。そのため、通信経路
を占有するこれまでの単純なポイント間通信から、情報が自らネットワーク網を選ぶ光パケ
ット通信への移行が必須とされている。前者は敷設線路を移動する列車、後者は渋滞を避け
て道路網を自走する車と考えればわかりやすい。ネットワークが混雑してきたとき、後者の
方が効率や自由度が高いことは明らかである。ところが、実は交差点に対応する機能(青信
図 1. 光が止まってしまう?スロー
ライトとは...
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号の車が進んでいる間、赤信号の車を停止させる機能)に見通しがないという大問題がある。
つまりネットワークの結び目で一方の光情報を待機させるメモリーが要るのだが、いちいち
電子に変換してメモリーするのでは既に速度が追いつけない、もしくは光電変換の効率が悪
くて消費電力が膨大になってしまうという問題があり、何とかして光メモリーを開発しなけ
ればならない。同様に、量子コンピュータでも光メモリーが必要になるかもしれない。因数
分解などある種の計算では現在のコンピュータよりも桁違いの高速性が期待され、様々な方
式が研究されているが、ネットワークとの親和性が高い光情報を用いた方式も有力である。
ここでは量子状態が失われないように、光子をそのままメモリーしなければならない。現在、
スローライトはその実現可能性をもつ唯一の候補である。
また、光メモリーほど画期的ではなくても、光の到達時刻をわずかでも調整できれば、嬉
しい応用はいろいろある。例えば時間間隔が乱れた光信号の同期、別々の光信号の多重化、
所望の時間だけずれた光信号どうしを干渉させるコヒーレント受信器やアレイ位相調整器、
ポンプ・プローブや光相関といった光計測法などである。これらのいくつかについては、反射
鏡を機械的に移動させて光の往復時間を調整するといった原始的な方法で実現されているが、
調整速度が遅いという問題がある。当然、高速な光信号の制御には対応できないため、スロ
ーライトは非常に期待されている。さらにスローライトには、光と媒質の相互作用を高める
効果もある。もともと光は数 100 THz(1014~1015 Hz)という高い周波数をもつ電磁波であり、
振動が速すぎて媒質との相互作用が一般に弱い。そのため、媒質を介して外部から光の状態
(強度、位相、周波数など)を制御しようとすると、cm 級
図 2. スローライトデバイス(SL)に期待される様々な応用。(a) 光の時刻を変える機能を利用した応
用。(b) 光と媒質の相互作用を増大させる機能を利用した応用。ここでt と はそれぞれスローライ
トによる時刻と位相の調整を表す。
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の長い相互作用距離が必要になる。このため光デバイスは電子デバイスよりはるかに大きく
なり、これが電子集積回路(LSI)に匹敵する「光 LSI 」を難しくしている。スローライトは
媒質の中に長く停滞して相互作用時間を稼ぐので、必要な距離を劇的に短くする。これによ
り、光変調器、光増幅器、非線形デバイスなどを大幅に高性能化・小型化できる可能性がある。
これにより、様々な機能を併せもつ光 LSI が実現されるかもしれない。
2. スローライトとは何?なぜ起こる?
さて、前置きが長くなったが、スローライトの原理を理解するには、まず光の群速度を知
らなければならない。 初に述べた c/n は正しくは位相速度と呼ばれ、数 100 THz の高周波
数で振動する光波の腹や節の位置が移動する速度を表している。しかし腹や節はどこも同じ
形をしているので、それらの進行が遅くなってもあまりスロー...
が実感されないかもしれない。
一方、多くの応用では、例えば数 10 GHz といった繰り返し周波数の光パルス列を使って、
情報の「1」と「0」を表現している。よって実際は光パルスの進行をスロー...
にすることが重
要で、またその方がはるかにスロー...
と実感されるはずである。このような光パルスの速度を
群速度と呼び、スローライトとは、まさに群速度が著しく小さくなった状態を指している。
フーリエ解析などの数学によれば、光
パルスは様々な波長の波が重なり合って
できている。図 3 に示すように、様々な
波長の波の位相が揃った位置では波が強
め合うが、その他の位置では波が打ち消
し合う。パルスとはこのような波の重ね
合わせで形成される。時間が経過して、
それぞれの波が全く同じ速度で進むと、
それと同じ速度でパルスも進む。しかし
図 3 のように、仮に波長によって徐々に
位相速度が異なると、波が強め合う位置
は 初の位相の位置からずれていき、こ
の場合、位相は進んでいるのにパルスは
あまり進まないことがわかるであろう。
これがいわゆるスローライトである。位
相速度が c/n と表わされるように、群速度
も c/ng という記号で表してみよう。この
場合、ng はパルスの減速度を表し、群屈
折率と呼ばれる。詳しくは省略するが、
図 3 からおよそ推察されるように、
図 3. 様々な波長の波と光パルス、および位相
速度と群速度の関係。
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/
/1g
ppnn
(1)
と表すことができる。ここで p は位相速度、p はわずかな波長変化 に対するp の変化
である。つまり波長の変化率に対して位相速度の変化率が大きいほど、群屈折率が大きくな
り、光パルスはスロー...
になる。この式に位相速度の定義を代入すると、多少の変形の後に次
式が導かれる。
n
nng (2)
右辺の第二項は「分散」の項と呼ばれ、波長に対する屈折率の依存性を表している。真空中
ではあらゆる波長に対して常に n = 1 なので、明らかに ng = n = 1 であり、位相速度も群速度
も等しく c となる。一方、何らかの媒質中では光と電子の振動が影響し合って多少の分散が
生じ、ng ≠ n となる。普通、分散の項は n 自体に比べて非常に小さいが、以下に述べる特別
な状況では非常に大きくなり、顕著なスローライトが発生する。
3. 自転車のスピードで進む光、ただし制限もあり
1999 年にハーバード大学のハウらは、光と電子の共鳴状態が作り出す電磁波誘起透過
(EIT)という現象を利用して、顕著なスローライトを初めて観測した [1]。この現象の原理
を図 4 にまとめる。この実験では、相互作用する二つの吸収スペクトルをもつ気体と、それ
らに吸収される別々の波長のレーザ光(励起光と信号光)を用意する。気体に励起光を照射
して吸収させると、高い準位に励起された
電子の波が励起光の波と相互作用して一種
のうなりを生じる。一般にうなりは、わず
かに波長が異なる二つの波の重ね合わせで
表現されるが、これは電子の準位が 初の
準位から上下にわずかに分裂することに相
当する。分裂した準位に挟まれた本来の準
位に対応する波長範囲では、「透過の窓」
と呼ぶべき吸収がない状態になる。吸収ス
ペクトルと屈折率スペクトルにはクラマー
ス・クローニヒの関係という数学関係があ
り、この透過の窓に対して巨大な分散が生
じることが導かれる。これにより、信号光
が超低群速度をもつスローライトとなるの
である。しかも励起光の強さを変えると分
裂幅が変化し、それに応じて分散が変化す
るので、群速度を調整可能になる。ここで
図 4. EIT における電子準位と光吸収の関係、お
よび光の吸収スペクトルと屈折率スペクトルの
概念。
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気体を 1 K 以下という極低温に冷却して気体原子の運動を抑え、吸収スペクトルを特に鋭
くする工夫が行われた結果、1800 万という巨大な群屈折率、17 m/s という超低群速度を実現
して研究者たちを驚かせ、「自転車なみのスピードで進む光」と形容された。また実験に用
いられたガスチューブの中で、 大 7 s というメモリー時間が測定されている。これは人間
にとってみれば瞬きもできない短い時間であるが、元来、超高速で飛び去ってしまうはずの
光がとどまる時間としては驚異的に長い。
ただし図 4 に見られるように、このようなスローライトは狭い吸収スペクトル近くでのみ
発生するので、扱いには注意が必要である。式 (2) において、屈折率変化 n を仮に固定値だ
とすると、それを与える波長変化幅が小さいほど分散が大きくなる。実際のところ、どのよ
うな媒質でも屈折率の変化量には限界があるので、このような仮定はおよそ正しい。言い換
えると、スローライトは原理的に狭い波長範囲でしか得られないことになる。一般に波長
と周波数 f には f = c というよく知られた関係があり、周波数範囲 f(以下、周波数帯域と
呼ぶ)と の間には f / f = / という関係もある。これらを使って EIT がスローライトを
示す波長範囲を周波数帯域に換算すると、たかだか数 MHz となる。光の周波数自体は数 100
THz と高いので、いかに帯域が狭いかがわかるであろう。一般に帯域とパルスの時間幅には
逆数の関係があるので、帯域が狭いと時間的に高速な応答ができなくなり、短い光パルスを
透過させられなくなる。数 MHz という狭帯域の場合、スローライトになり得る光パルスの
時間幅は s オーダーと長い。上で光パルスのメモリー時間が 7 s と書いたが、パルス幅が
ここまで長くなってしまうと、結局、蓄積されるパルスの数(情報ビットの数といってもよ
い)に換算すると数個分にしかならない。次世代の光ネットワークでは数 100 GHz 以上の帯
域や 1000 ビット以上の情報を含む光パケットのメモリーやバッファーが要求されているの
で、このままでは応用できないのである。
そこで 2001 年にハーバードスミソニアンセンターのフィリップスらは、動的 EIT と呼ばれ
る方法で帯域に制限されずに光を停止させることを試みた [2]。ここでは 初に EIT の帯域を
広げておき(この場合、群屈折率は小さめである)、広い帯域をもつ短い光パルスが透過で
きるようにしておく。そしてパルスが入った瞬間に励起光の強度を変化させ、分裂幅を変え
て帯域を狭めると、上で議論した関係によって群屈折率が一気に増大し、光が減速される。
このとき興味深いのは、EIT という現象自体の帯域だけでなく、その中に飛び込んだ光パル
ス自体の帯域も同時に狭くなるという点である。帯域を限りなく零に近づけると、光パルス
がほとんど停止状態に追い込まれる。この方法により、 新の研究では 1 s を超えるメモリ
ー時間が記録されている [3]。ただし残念なのは、 初の帯域を GHz オーダーまで広げるの
が原理的に難しいようで、上に書いたような光ネットワークの要求に応える短パルスは導入
できていない。ところで EIT の場合ほど極端に大きくはないが、光吸収や光増幅が起こる媒
質では多少の分散が起こる。これを利用して、より実験しやすく実用にも向いている常温環
境、所望の材料を作りやすい半導体、ネットワークに利用しやすい光ファイバーなどに対し
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て、スローライトを観測しようという試みも行われている [4]。ただしその場合の群屈折率は、
いずれも 10 以下である。
4. 微細構造デバイスにおけるオンチップスローライト
上に述べたガスを用いる方法などでは、帯域に限界があるほかに、装置が大がかりになる
ため、図 2 に示した様々な応用は難しい。そのため近年、光の波長と同程度のスケールをも
つ微細構造に見られる大きな分散が盛んに研究されている [5]。いま、光吸収がない二つの媒
質の組み合わせで作られた構造を光が通過する場合を考えよう。仮に屈折率が大きな媒質(ま
たは小さな媒質)に光が偏って分布しながら伝搬すると、光が感じる実効的な屈折率が大き
くなる(または小さくなる)。もしわずかな波長の変化でこの偏りが変われば大きな分散が
生じ、スローライトが発生することになる。媒質自体の分散を材料分散と呼ぶなら、この場
合は構造分散と呼ばれる。構造分散には三つのメリットがある。一つ目は自由度である。媒
質の分散は、新たな物質や物性を発見ないしは創製しない限り、大幅には変えられない。一
方、構造は設計でいくらでも変えられるので、所望の分散を人工的に作り出すことができる。
二つ目は、分散が生じるときの屈折率変化 n の大きさである。媒質自体の屈折率変化は大
きくても 0.01 程度なのに対して、構造では実効的な屈折率変化が 大で 1 程度まで大きくな
る。これにより、帯域が広い割には大きな群屈折率が得られる。三つ目は集積性である。
初に述べたように、スローライトの主な目標は光メモリーや光 LSI の実現である。そこで小
型はもちろんのこと、他のデバイスに使われるような半導体材料や半導体製造プロセスが転
用できると便利である。ガス容器や冷凍機が必要な EIT よりも、こういった方法で作られる
ミクロな構造の方が有利なのは明らかである。
具体的な構造としては、図 5 に示すよう
な光共振器や光導波路が利用される。一般
に光共振器は、透明材料のまわりを反射鏡
で覆うことにより形成され、特定の帯域の
光を選別したり、その帯域の光エネルギー
を内部に貯め込んだりするほか、大きな分
散とスローライトを示す。わざわざ金属の
ような高反射性の膜で覆わなくても、境界
面自体の屈折率差による全反射を利用する
場合もある。図 5 では光が球の周りを周回
する超高 Q 値共振器や、多数のリング型共
振器を連結させた結合共振器、バス光導波
路に多数のリングがそれぞれ個別に結合す
るオールパス共振器などが研究されている。
近年、半導体プロセスの進歩のおかげで、
図 5. 様々なスローライト構造。黒い線は光導波
路を表す。
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高品質の微小共振器が簡単に作れるようになってきている。一方、光導波路は、光の通り道
(コア)の側面を反射鏡(クラッド)により覆うことにより作られる。ここでも境界面の全
反射を利用したり、周期構造のブラッグ反射を利用したりする場合もある。光ファイバーも
その一種であるが、スローライトに用いられるのは半導体ウエハ上に形成された微細導波路
である。できるだけ屈折率差が大きなコアとクラッド(例えば半導体と空気)の組み合わせ
を用い、波長によってコアへの光閉じ込めを大きく変化させれば、スローライトが起こる。
5. フォトニック結晶導波路によるスローライトパルス生成
一例として、フォトニック結晶導波路を説明しよう。「フォトニック結晶」は、光の波長
と同程度の多次元的な周期をもったモザイク構造である [6]。原子の周期配列から構成される
固体の結晶を模倣した概念なので、このように呼ばれている。固体の結晶中では、電子の波
が原子の周期性を感じて回折、干渉し、バンドと呼ばれる特徴的な電気特性を示す。これを
詳しく調べることで様々な材料の電気的性質が明らかにされ、数多くの応用デバイスが生み
出されてきた。フォトニック結晶においても、
電子のバンド理論に対応するフォトニックバ
ンド理論が 1980 年代から研究され、1990 年
代には完成された。この理論は、いかなる複
雑な周期構造の中でも光の振る舞いを厳密に
解析できるパワフルなツールである。これを
用いた特に重要な発見として、フォトニック
バンドギャップと呼ばれる光の完全絶縁条件
がある。これを利用すると、多次元的に光を
強く閉じ込めることが可能になり、微小な導
波路や共振器、レーザ、負の屈折と呼ばれる
特異な光偏向部品などが得られる。近年はこ
れらに関連して通信用デバイス、光学部品、
ディスプレイや照明、バイオ・環境分析、太
陽光発電、量子情報、自然界の構造色といっ
た様々な応用や現象が話題になっており、ス
ローライトもそのうちの一つである。
フォトニック結晶デバイスでは、空気に挟
まれた高屈折率の薄板に円形の空孔を一面に
並べた構造(フォトニック結晶スラブ)がし
ばしば用いられる。その中に、図 6(a) のよう
に空孔がない直線的な列を設けるとフォトニ
ック結晶導波路が形成され、光はこの列に沿って伝搬する。光は空孔配列によって次々と回
(a)
(b)
図 6. フォトニック結晶導波路。(a) SOI 基板上
に製作されたデバイス。(b) 二つの方法で計測
された群屈折率スペクトル。
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折されるが、それらが干渉して前後方向に強め合うブラッグ波長付近では、特に大きな分散
が生じる。2001 年に NTT の納富らは、この導波路に対して群屈折率 90 のスローライトを報
告した [7]。EIT の「自転車のスピード」に比べると目覚ましく大きな値とはいえないが、そ
れでも真空中の光速に比べたら桁違いな値である。また、長さ 34 mの微細な構造でこのよ
うなスローライトが得られたことには意義がある。図 6(b) には、私たちが製作した導波路に
対して観測された群屈折率スペクトルを示す。波長がブラッグ条件に近づくと、群屈折率が
大きな値を取ることがわかる。ただしその波長範囲は狭く、また群屈折率自体が強い波長依
存性をもっている。このような依存性は高次の
分散と呼ばれる。(これと区別するため、これ
まで述べてきた分散は一次の分散と呼ばれるこ
ともある。また高次の分散の中でも二次の分散
のことを単に分散と呼ぶこともあるので注意し
ていただきたい。)一般に高次の分散は、パル
スの広がりや変形の原因となる。構造分散によ
るスローライトでは大きな一次分散と共にしば
しば大きな高次分散が起こるため、光パルスが
ゆっくりと進むうちに形が崩れてしまい、出て
きたときには原形をとどめない。これでは、短
い光パルスの状態で群速度の減少を確認するこ
とができない。
2004 年に私たちのグループは、フォトニック
結晶導波路の構造を微調整することで様々な高
次分散が現れることを発見し [8]、プラスの高次
分散をマイナスの高次分散で打ち消す構造や、
そもそも高次分散を生じない構造などを開発し
た。また、導波路に沿って構造パラメータを徐々
に変えて特性をシフトさせるチャープ構造を導
入し、所望の広帯域で平均化されたスローライ
ト効果を得る方法を考案した。図 7 では、チャ
ープが導入された分散を打ち消す構造(方向性
結合器型スローライトデバイス)に対して計算
機シミュレーションされた各時刻での光パルス
を表している。パルスが大きく変形することな
く、デバイスの中央で一時停止する様子が示さ
れている。また図 8 は、別のタイプの構造(チ
ャープ構造結合導波路型スローライトデバイ
図 7. フォトニック結晶導波路方向性結合
器型スローライトデバイス中の光伝搬シ
ミュレーション( FDTD 法)。
図8. フォトニック結晶結合導波路スロー
ライトデバイスに対して相関測定により観
測された光パルス波形 [9]。ng が大きい方が
遅延が大きい。
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ス)から出射された光パルスの波形である [9]。別途、用意した基準パルスに対する相互相関
測定を行っているので、パルスの波形と時刻を読み取ることができる。ここでは、1 THz と
いう超広帯域にも対応する時間幅 0.8 ps の極端パルスを入射させているが、ng が小さい条件
と大きい条件でいずれも出射パルスが明確に確認される。デバイスの特性上、ng が小さいと
きは分散の打ち消しが十分ではなく、ややパルスが広がっているが、ng が大きいときはほぼ
初のパルス幅が再現されている。またng が大きい条件では 72 ps の遅延が見られる。これ
も EIT のような極端な遅延ではないが、パルスの個数で光の蓄積量を評価すると 80 個分と
なり、EIT よりもむしろ非常に大きいことがわかる。これは上で述べたように、構造分散を
利用した方が実効的な屈折率変化が大きくなることに由来している。
図 9. 様々なスローライトの帯域に対する遅延帯域積の関係。ここで PCW はフォトニッ
ク結晶導波路、PCCW はフォトニック結晶結合導波路、CROW は結合共振器、APF はオ
ールパス共振器、SRS は誘導ラマン散乱、SBS は誘導ブリユアン散乱、SOA は半導体光
増幅器、Cavity は微小球などの高 Q 値共振器を表す。
群屈折率が大きいと遅延 t は長くなる。先に述べたように、群屈折率と周波数帯域 f に
は排他的な制約関係がある。そこで両者の積である遅延帯域積 tf がスローライトの性能指
数としてしばしば用いられる。実際、光信号がガウシアン関数のパルスであった場合、2.3tf
が情報蓄積ビット数に対応することが数学的にわかっているため、光メモリーや光バッファ
ーの指標としても役に立つ。様々な方法で生成されたスローライトの周波数帯域に対する遅
延帯域積を図 9 にまとめる。また斜めの線が遅延時間を表すので、同時に参考にしていただ
きたい。遅延が長く、帯域が狭い代表は、やはり EIT である。近年、しばしば超高 Q 値共振
器(Q というのは共振器の性能を表す指数)によるスローライトが報告されるが、その遅延
帯域積は実はかなり小さい。光ファイバーの非線形散乱や半導体光増幅器といった汎用デバ
イスを利用する方法も、せいぜい 1 前後の値である。一方、結合共振器やオールパス共振器
もかなり大きな遅延帯域積を示しており、さらに大きな値はフォトニック結晶導波路型デバ
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イスにおいて得られている。現在までに記録された 大値は 長さ 800 m の導波路に対する
110 であり、これは 250 ビット以上の情報蓄積に相当している。
6.チューナブルスローライトとその応用
このように構造分散の方法でも EIT とは別の評価基準で高性能なスローライトが得られる
ことを説明した。しかし実はここまで述べてきた構造分散スローライトの結果は、全て固定
値である。遅延が変えられない光の場合、遅延帯域積がもっと大きくなる環境はいろいろあ
る。そもそも真空の宇宙空間がその代表格で、無限ともいえる距離と無限の周波数帯域をも
つ。また私たちが扱うことができるデバイスに絞っても、光ファイバに敵うものはない。光
ファイバは 0.2 dB/km と驚くほど低損失で、光が 1 s の時間だけ進んでも 1 % も減らないと
いう素晴らしく高品質な信号伝送媒体である。光増幅器を併用すれば 100 s 程度の遅延を生
むことは簡単である。しかも低損失な帯域は 4 THz ほどあり、遅延帯域積は 4 億ほどになる。
つまり固定の情報蓄積であれば、光ファイバで十分である。むしろ図 2 より明らかなように、
多くの応用は可変遅延を生むチューナブルなスローライトを必要としているのであるが、先
に述べた動的 EIT 以外の方法は困難であった。
チューナブルスローライトを実現するために 2008 年に私たちが提案したのは、フォトニッ
ク結晶導波路デバイスに付与するチャープ構造を外部から制御する方法である [10]。先に述
べたように、チャープ構造を用いる、デバイス内で特性を徐々に変わるので、平均的なスロ
ーライトを広帯域で得ることができる。パラメータの変化量を大きくするとより広帯域に、
小さくすると狭帯域になる。繰り返し述べているように、遅延量は帯域と排他的な関係があ
るので、結局、パラメータの変化量を変えれば遅延が変えられるというわけである。図 10(a)
はこのような方法で実現したフォトニック結晶結合導波路の中のスローライトパルスの可変
遅延である [11]。高次分散が打ち消される効果で、透過するパルスの幅はおよそ 2 ps に保た
れている。その状態でデバイスの一部を局所加熱し、熱光学効果によってデバイスの屈折率
を傾斜的に変化させたところ、遅延が 72 ps の範囲で変化した。これはパルスの数に換算し
て 36 個となる。この遅延の範囲をさらに広げるためには導波路の長さを伸ばすのが有効であ
るが、そのとき高次分散の打ち消しが不十分だとパルスが徐々に広がってしまう。導波路を
より精密に製作し、コントロールする必要がある。またパルス幅をさらに狭くするのは帯域
の制約があるので、この導波路単体ではできない。しかし、パルスがいったん導波路の外に
出てしまえば、非線形光学効果を用いることでパルスのスペクトルや時間幅を変えることが
できる。図 10(b) はその例である。ここでは出射パルスを増幅して非線形光ファイバに入力
し、自己位相変調という非線形効果によってスペクトルを広げ、幅を 0.5 ps まで圧縮してい
る。これによりパルス 100 個分の時間シフト
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図 10. フォトニック結晶結合導波路におけるチューナブルスローライトによるパルスの可変遅延 [11]。
(a) 局所加熱(パワー P、相対中心位置 x)を行ったときのパルス遅延時間の変化。平均パルス幅は 2 ps。
(b) 光ファイバ中の非線形効果を利用して (a) の出射パルスを幅 0.5 ps まで圧縮したときの可変遅延。
が得られた。
このようなチューナブルスローライトが図 2 に示した応用にどの程度応えられるかを説明
しておこう。まず も重要な光メモリや光バッファは、要求する遅延が ns から s と長く、
現在のスローライトデバイスのレベルではまだ全てに応えるのは無理である。ただしファイ
バの固定された遅延ならば要求は十分に満たされる。長さが異なるファイバを何本も用意し、
どのファイバを光が通るかを光スイッチで切り替えれば、ディジタル的な可変遅延が得られ
る。これにスローライトデバイスの連続的な可変遅延を加えれば、広範囲の遅延が可能にな
るであろう。光パルスの同期や多重化については、パルスを多少ずらす程度の可変遅延で十
分なので、現在の通信の信号パルスを考えると可変範囲は 10 ps オーダーで十分と考えられ
る。ただし、パルス自体の時間よりもはるかに素早く遅延を変える必要がある。図 10 の実験
では局所加熱が用いられているが、加熱が追随できる時間は s オーダーなので、適用できな
い。そこでスローライト自体が生み出す非線形効果を利用する方法が考えられる。これにつ
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いては次節で詳しく述べる。コヒーレント受信器については既に利用可能であれ、詳しくは
後の節で示す。ポンプ・プローブや相関といった測定法も既に可能である。図 11 にその例
を示す [11]。相関計は被測定物を通過した試料パルスの形状や時刻を評価するもので、ps オ
ーダーより短い光パルスの観測に広く用いられている。ここでは別途用意する参照用のパル
スの遅延を走査して、試料パルスと参照パルスの重なりから得られる相関信号を計測する。
通常の相関計では機械式の遅延走査器が用いられており、走査周波数は一般に 10 Hz 以下で
ある。単にパルスの波形を見たいだけであれば、このような低周波数でも構わない。しかし
近年、体の断層像を測定する光コヒーレンストモグラフィー、不透明物の透視検査を行うテ
ラヘルツ時間領域分光などにおいて、多くの測定点で大量の相関データを取得したいという
要望が出てきており、より高速な走査周波数が必要になっている。図 11(a) では、機械式遅
延走査器を図 10(b) の可変スローライトに置き換えている。図 11(b) では走査周波数を変えた
ときの相関波形の変化を表しており、1 kHz までは被測定物を通過する狭いパルスが再現さ
れている。より高速になるとスローライトを制御する加熱が追随できなくなるため、波形が
広がってしまう。それでも機械式の100 倍も高速である。図 11(c) は試料パルスを広げたとき
の波形の変化を示しており、やや歪みは見られるものの、試料パルスを反映した波形が得ら
れていることがわかる。
図 11. 加熱制御されたフォトニック結晶結合導波路による高速な光相関計 [11]。(a) 相関計の構成。(b)
遅延の走査周波数を変えたとき、観測されるパルス波形の変化。(c) 被測定物を通過し、出射されたパ
ルスの幅に対する観測パルス波形の変化。
7.光と媒質の相互作用の増大
スローライトがもたらすこの効果については、線形領域と非線形領域がある。ここではま
ず線形領域について説明したい。スローライトの特長が も生かされるのは、光の位相変調
である。一般に媒質の屈折率が外部から変えられるとしたとき、その媒質中を通過する光の
位相はこれによって変化する。スローライトでは、同じ屈折率変化に対しても、群屈折率が
大きくなった分だけ位相変化が大きくなる。多くの位相変調では、位相を 0 と の間で変え
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たいという要求があるが、スローライトデバイスを利用すれば、それに必要となる媒質の長
さが短くなるか、あるいは屈折率変化に必要となる外部からの作用(電圧、電流、熱など)
を減らすことができる。図 12 はフォトニック結晶導波路を使った光変調器の例である [12]。
ここでは入射部で光導波路を使って光路を二つに分け、その後に位相変調器を配置している。
出射部では再び光路を合流させ、位相変調された光とされない光を干渉させる。位相変調で 0
と を切り替えると、干渉後の光出力をオン/オフする強度変調信号に変換される。このよ
うな変調器をマッハツェンダー干渉型と呼ぶ。この図の位相変調器ではシリコンに群屈折率
30 程度のフォトニック結晶導波路を製作し、さらに p/n 接合というダイオード構造を形成し
ている。これに電圧をかけると導波路の屈折率が変化し、変調が行われるのであるが、200 m
という小型な位相変調器でも 10 Gb/s という高速なデータ変調が行われている。同様のシリ
コンに作られた光変調器を電圧駆動する場合、位相変調器の長さは数 mm に及ぶのが普通で
あり、スローライトによって大幅に小型化されたことがわかるであろう。ところで図 2 には
高利得光変調器も候補として描いており、これも線形領域のスローライトの応用である。光
の停滞時間が長いため、仮に ng = 100 であれば、長さ 10 m 以下でも 20 dB 以上の利得が得
られることが理論的に予測されている。まだ実証例はないが、これも魅力的な応用である。
図 12. フォトニック結晶導波路のスローライト効果を利用した小型マッハツェンダー型光変調器と
その 10 Gb/s 変調動作 [12]。
次に非線形領域でのスローライトの効果を説明しよう。光非線形効果にはいろいろな種類
があり、様々な光制御を可能にするため盛んに研究されているが、通常の媒質やデバイスで
はいずれも 10 W ~ 1 kW の高い光パワーを必要とする。連続光の場合、このような高パワー
を発生させることも、それを使って実験を行うことも簡単ではない。ただし近年、短パルス
技術が発達してきて、平均的なパワーは低くても光パルスのピークパワーを容易に高くでき
るので、小型の機器で上のような高パワーに対応できるようになってきた。短パルスをスロ
ーライトデバイスに入射する場合、内部で高次分散があるとパルスが広がってしまい、ピー
クパワーがすぐに低下してしまうので、効果的ではない。また 5 節や 6 節ではデバイス内部
で高次分散が打ち消される構造による短パルス伝搬を示したが、ここではいったん高次分散
で広がったパルスを逆の高次分散で元に戻すので、高いピークパワーがずっと維持されてい
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たわけではなく、これも非線形効果には適さない。そこでここではもともと高次分散がなく、
一次の分散のみが大きなスローライト構造を利用する。ここでもフォトニック結晶導波路が
ベースとなるが、導波路近くの孔の大きさや位置をわずかに調整するだけでこのような特性
が表れることがわかり、その中でも製作が簡単な格子シフト型フォトニック結晶導波路では、
実際に ps クラスのパルスの伝搬と 100 以下の群屈折率が観測されている。このようなスロー
ライトパルスは、単純に群屈折率の分だけパルスが空間的に圧縮され、その分だけピークパ
ワーが高まる。しかも遅延によって媒質との相互作用時間が伸びる。これら二つの効果によ
り、非線形が ng2 倍に増強される。
図 12 はこのような非線形増大の例である。ここでは 幅2 ps 程度のパルスを多少増幅し、
シリコンやカルコゲナイドガラス(シリコンより 20 倍ほど三次非線形係数が大きい材料)に
製作された格子シフト型フォトニック結晶導波路に入射したときに観測されたものである。
(a) は波長 1.55 m 付近の本来は吸収されない波長のパルスを入射させたとき、二光子吸収と
いう非線形的な吸収によって入射パワーが0.2 W 以上では出射パワーが制限された例である
[13]。光のリミッタや波形整形などに用いることができる。(b) は自己位相変調現象でパルス
のスペクトルが広がった例である [14]。入射パワーを上げていくと、この現象特有の二つに
分離したスペクトルが観測される。これは図 10(b) のようなパルス圧縮に利用できる。(c) は
別々の波長をもつ二つのパルスを入射させたとき、その差周波数分だけずれた波長にも光が
発生する現象で、四光波混合と呼ばれ、波長変換にしばしば利用される [14]。いずれの非線
形も長さ 200 ~ 400 m という短い導波路、1 W 以下の低パワーで発生している。同様のオン
チップ非線形デバイスとしてはシリコン細線導波路が有名であるが、ここでのスローライト
が起こす非線形は 大でシリコン細線の 200 倍と大きいことが評価されている。これらの他、
シドニー大学のコルコランらは、二次、三次の高調波発生という非線形により、赤外光のス
ローライトパルスからそれぞれ赤色や緑色の光を取り出すことにも成功している [15]。
図 12. 格子シフト型フォトニック結晶導波路のスローライト効果を利用した非線形の発現。(a) 二光
子吸収 [13]、(b) 自己位相変調 [14]、(c) 四光波混合 [14]。
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図 13. 様々な光導波路の導波路長に対する非線形が起こる入射光パワー。ChGは
カルコゲナイドガラスを表す。
図 13 は様々な光導波路の長さに対して非線形が起こるパワーをまとめている。基本的に導波
路が長ければ非線形が小さいパワーでも発生するし、短ければ大きなパワーを必要とする。
フォトニック結晶スローライト導波路は短尺と低パワーを両立する高性能を示していること
がわかるであろう。
8.非線形を利用した超高速な可変遅延、動的制御ストップライトの可能性
6 節では加熱を利用したチューナブルスローライトによる可変遅延を示した。ここでは熱
応答の制限により、s 以下の短時間で遅延を切り替えることはできなかった。一方、7 節で
述べた非線形効果は一般に非常に高速である。そこで両者を融合すれば、高速な遅延切り替
えが実現できるかもしれない。実際、これは格子シフト型フォトニック結晶導波路のパラメ
ータをさらに微調整し、チャープ構造を加えることで可能になる。ここでは、高次分散を打
ち消すスローライトと高次分散が生じないスローライトが別々の波長で発生する。いま、前
者を信号光、後者を制御光と考えてみよう。後者は非線形効果を発生させ、導波路の屈折率
分布を変化させる。前者は導波路の屈折率分布が変わることで遅延を変化させるというわけ
である。実際にこのような動作を観測した例を図 14 に示す。ここでは別々の波長の同期した
パルスを発生させ、それらをほぼ同時にデバイスに入射させる。制御光がないときに比べて
制御光があると、遅延が 4.3 ps だけ減少している。また、制御光なしの状態からありの状態
へ変えたとき、遅延時間がどの程度の時間内に切り替わるかを別途評価したところ、少なく
とも 10 ps 以内であることがわかった。このような遅延の減少幅は加熱を使ったときに比べ
るとかなり小さいが、切り替え時間ははるかに高速なため、図 2 に示した光パルスの同期や
多重化では利用できる可能性がある。
また、このような高速な切り替えが可能になると、動的 EIT と同様に、光がデバイス内で
一時停止している間に屈折率を動的に変化させることで、光を完全停止、すなわちスト
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ップライト化させることが可能になるかもしれない。図 15 はこのようなパルスの振る舞いを
計算したものである [16]。ここではチャープ構造をもつデバイスにパルスを導入してスロー
ライトを発生させた後、制御光によってチャープを打ち消すような屈折率変化を与える。も
ともとチャープがないときにスローライトの帯域が零になるようにしておくと、打ち消しに
よって帯域が零になり、同時にスローライトのスペクトルが単一波長に収斂する。遅延と帯
域には排他的な関係があるため、帯域が零になると遅延は無限大になってパルスが止まり続
ける様子が観測される。途中で動的制御を止めると停止状態は解除され、パルスは再び動き
出す。こうして所望の時刻だけ光パルスを止める完全にオンデマンドな光メモリーが実現で
きるのである。
9.スローライトデバイスの高度な集積化
スローライトがあると光 LSI のようなチップができるかもしれない、と 初に述べた。ま
だそこまでの状況には至っていないが、近年、シリコンフォトニクスという光集積技術が急
速に発達してきており、従来は研究者の夢でしかなかった光 LSI も徐々に現実味を帯びてき
たので、 後にそれを紹介したい。既にこれまでの節で何度も登場してきている「シリコン」
であるが、シリコンと聞くと誰もが普通は膨大な数のトランジスタが集積された電子回路を
想像するであろう。実際、現代技術の粋を集めたシリコン CMOS プロセスにより、極めて高
度な電子回路がコンピュータをはじめ、様々な電子機器を可能にしている。ところでシリコ
ンという材料は見た目には灰色をしているが、波長 1.1 m より長い波長になると透明になり、
図 14. 二つのスローライトを利用した 超高
速遅延チューニングの観測。制御光パルスあ
り/なしでの信号光パルスの遅延の変化を
観測している。
図 15. 制御パルスの非線形により動的制御を
行ったときの、信号パルスの完全停止(スト
ップライト化)のシミュレーション [16]。
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これで作られた光導波路はよく光を通すようになる。また、光変調器の項で述べたように、
ダイオード構造を作り込んで電圧をかけたり電流を流したりすると、光の伝搬を制御できる
ようになる。さらに、もし電子回路のために極められたプロセスがそのまま光集積に転用で
きれば、極めて高品質なスローライトデバイスや光 LSI ができるのではないか、という期待
が膨らんでくるのである。
図 16 はそのような集積の例である [17]。図 10 や 11 の可変遅延の実験では、外部からレ
ーザ光をあてて加熱を行っていた。これは実験としては簡単であるが、コンパクトなデバイ
図 16. シリコン CMOS プロセスを用いて製作されたフォトニック結晶スローラ
イトデバイス。可変遅延用のヒータなどが集積されている。
図 17. シリコン CMOS プロセスを用いて製作された 1 mm × 2.5 mmという超小
型の DQPSK 方式コヒーレント受信器。可変遅延用のスローライトデバイスも
集積化され、様々な速度の変調信号が受信できるようになっている。
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スとして完結させるためには加熱用の部品も一体集積化できた方が好ましい。図 16 では、20
層のマスクパターンを試用したシリコンCMOS プロセスを用いて、フォトニック結晶導波路、
入出力導波路、加熱用ヒータ、電気配線が集積化されており、実際に電気制御によって光パ
ルスの遅延を 60 ps 程度の範囲で変えることができている。電子回路の集積レベルに比べた
らまだまだ規模は小さいが、これだけの多層マスクプロセスで複雑な光デバイスが実現され
た例は過去にもあまり例がないであろう。さらに図 17 は同様のプロセスを用いて製作された
コヒーレント光受信器である [18]。近年、通信ネットワークの情報伝送容量を増やすため、
異なる位相の光にそれぞれ情報をのせて多重化するコヒーレント通信が盛んに研究されてい
る。ここでは、その中でも主流の一つである DQPSK 方式の多重信号を分離して復調するた
めの様々な機能が盛り込まれている。受信器の要となるフォトダイオードには、光ファイバ
通信波長帯の光を吸収できるゲルマニウムが形成されている。様々な光回路はシリコン導波
路で構成されるが、DQPKS 方式で特に必要となるのが、信号を1 ビットずらす遅延線である。
通常、このような遅延線は固定された長さの導波路で作られるため、1 ビットの長さも固定
化されてしまう。つまり単一の信号伝送速度でしかこの受信器を使うことができない。図 17
のデバイスでは、チューナブルスローライトによって遅延線を可変にすることで、14 ~ 18
Gb/s の範囲で元の信号を復調することに成功している。
10.むすび
光のスピードを遅くできる、という単純な機能で研究者を惹き付けているスローライトは、
遅延帯域積によって原理的な制限を受けている。そのため、自転車のスピードの光という驚
くべき実証の後にも、光通信や光 LSI の応用に向けて、様々な 適化や研究が行われている
状況である。光メモリや光バッファは、成功すればノーベル賞級と言われるほど逆にハード
ルが高いが、当初、期待されてきたその他の応用は徐々に実現されつつある。しかも動的制
御による完全なストップライトやオンデマンドな光の遅延という興味深い物理現象、高度な
光回路の中に集積化されたスローライトデバイスを可能にするシリコンCMOS プロセス技術
など、新しい話題が続々と生まれている。今後、数年の展開にますます期待したいところで
ある。
なお、本稿に示した筆者が関わる研究成果については、科学技術振興機構戦略的創造研究
推進事業、ならびに内閣府 先端研究開発支援プログラムの援助を得たことを付記しておく。
文献
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