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史跡山形城跡( 2016) 本丸西堀西土塁跡・ 本丸御殿跡発掘調査現地説明会資料 平成28年11月12日( 土) 山形市教育委員会 社会教育青少年課 調査要項 国指定史跡 山形城跡 山形市霞城町( 霞城公園) 1 番( 山形県遺跡地図) 調 平成28年5月16日~12月27日( 予定) 調 本丸西堀西土塁跡 約1 , 3 00 ㎡ 本丸御殿跡 800㎡ 調 史跡山形城跡整備事業( 文化庁補助事業) 城郭( 近世城郭) 近世・ 近現代 堀跡・ 土橋跡・ 石積遺構( 西堀跡) など 石垣・ 堀跡・ 礎石建物跡( 御殿跡) など 陶磁器碗皿類・ 瓦類・ 建物壁・ 木製品など 調査事業の主体 山形市公園緑地課 調査実施の機関 山形市教育委員会 調 山形市教育委員会 社会教育青少年課 本丸西堀の埋門の概要 平成28年度は、 前年度に続き本丸西堀跡調査区にて 「 埋門」 地点の調査を行いました。 埋門は、 江戸時代 後半の山形城絵図に描かれることが多い門跡で、 「 本 丸一文字門・ 本丸北不明門」 に次ぐ本丸第3 の門跡で す。 絵図( 第2 図) には本丸西土塁の屈曲部に埋門平 場が描かれ、 堀を渡った二ノ 丸側には土橋にあたる突 端がう かがえます。 発掘調査では、 埋門跡は近代以後のかく 乱により 平 面遺構は失われており ましたが、 二ノ 丸対岸の通路は 「 土橋」 遺構が出現しました。 この土橋は元々の地盤 を掘り 残したもので、 堀が築かれる以前( 最上時代) の「 井戸跡」 が見つかり ました。 埋門とは「 土居や石垣の中の隧道に設けられた門、 また塀の下からでる門」 ( 日本城郭辞典) とあり 、 『 非常時の脱出口』 の性格と読み取れます。 山形城は御 殿の配置位置から二ノ 丸西門に近いこの位置に設けた ものと推定しています。 市営球場 児童文化 センター 県立博物館 県体育館 県武道館 市郷土館 ( 重要文化財 旧済生館本館) 北不明門 東大手門 南大手門 西不明門 桜の園 弓道場 本丸一文字門 本丸北不明門 第1 図 山形城跡調査区位置図 調査区 ( 西堀西土塁跡) 調査区 ( 本丸御殿跡) 西 ( ) ( ) 歴代藩主年表 第2 図 大給松平氏時代絵図( 愛知県西尾市蔵) 第3 図 秋元氏時代絵図( 山形市立第一小学校蔵) 本丸御殿跡出土遺物 このたび展示公開する遺物は、 本丸御殿跡の今年度調査区中央に位置する【 最上氏時代堀跡】 か ら集中的に出土した遺物群です。 これらの遺物は、 大別して上層の火災処理層中の遺物と、 下層の 堀底堆積土より 出土した遺物となり 、 両者には時間的な差があると捉えています。 【 上層出土遺物】 瓦類が圧倒的に多く 、 「 山文軒丸瓦」 が文様別に数種類、 「 宝珠文軒平瓦」 と共 に「 三葉文軒平瓦」 が出土しました。 これは、 瓦の年代観を捉える良好な資料となり そう です。 「 金箔瓦」 も軒瓦のみでなく 鬼瓦などにも押されていたことがわかり ました。 また、 漆喰のつく 土壁 破砕片も多量に出土しました。 内側には、 壁土の芯となる「 竹小舞」 の痕跡を良好に残します。 そのほか、 布繊維などが出土しています。 通常は残らない有機質の遺物が、 火災にあって炭化し たことと一括廃棄により 良好に保存されたためと考えられます。 【 下層出土遺物】 下層からは、 多様な有機質遺物が出土しました。 多く は薄板状の木片や木製部材 片等でしたが、 漆器椀・ 木箸・ 荷札状板材等特定の機能がわかる遺物も出土しました。 漆器椀には 朱漆で「 二ッ 輪文」 が描かれたものがあり ます。 木箸は長さ約30㎝で両端削り だしています。 荷札 状板材は幅約3~4㎝程で一端が三角形に削出されています。 文字などは書かれていないよう ですが 保存処理により 判明する可能性もあり ます。 これらの遺物は上層遺物群以前に堀内に埋没していた ので、 堀の構築時期あるいは持続期を示す遺物としてたいへん貴重です。 金箔押山文軒丸瓦 金箔押宝珠文軒平瓦 三葉文軒平瓦 菊丸瓦【 道具瓦】 鬼瓦【 足部分】 鬼瓦【 顔部分】 鬼瓦【 顔部分: 植物文】 【 側面: 取手】 【 背面】 鯱瓦ヒレ【 表面】 鯱瓦ヒレ【 背面】 金箔押鬼瓦【 顔部分: 紐状意匠】 輸入磁器染付皿【 中国産】 【 上層出土遺物群 写真 [縮尺不同] 編集後記 現地説明会開催に当たり 関係各位に多大なご理解・ ご協力を賜りましたこと誠に感謝申し上げます。 尚、 山形城跡の復原事 業にかかわり山形市では関連する資料を探しています。 お心当たり の方は下記までご連絡下さいますよう お願いします。 023( 641) 1212 【 お問い合わせ先】 〒990-8540 山形県山形市旅篭町二丁目3番25号 山形市まちづく り 推進部公園緑地課 【 編集・ 発行】 山形市教育委員会 社会教育青少年課 文化財保護係 平成28年11月12日 う ずみ もん う ずみ もん - - - -
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史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡 …...史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡発掘調査現地説明会資料...

Jun 22, 2020

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Page 1: 史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡 …...史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡発掘調査現地説明会資料 平成28年11月12日(土)

 史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・ 本丸御殿跡発掘調査現地説明会資料

                     平成28年11月12日( 土)  山形市教育委員会 社会教育青少年課調査要項

 遺  跡  名  国指定史跡 山形城跡 所  在  地  山形市霞城町( 霞城公園) 遺 跡 番 号  1番( 山形県遺跡地図) 調 査 期 間  平成28年5月16日~12月27日( 予定) 調 査 面 積  本丸西堀西土塁跡 約1, 300㎡          本丸御殿跡    約  800㎡ 調 査 原 因  史跡山形城跡整備事業( 文化庁補助事業) 遺 跡 種 別  城郭( 近世城郭) 時     代  近世・ 近現代 遺     構  堀跡・ 土橋跡・ 石積遺構( 西堀跡) など          石垣・ 堀跡・ 礎石建物跡( 御殿跡) など 遺     物  陶磁器碗皿類・ 瓦類・ 建物壁・ 木製品など 調査事業の主体  山形市公園緑地課 調査実施の機関  山形市教育委員会 調 査 担 当  山形市教育委員会 社会教育青少年課

1 本丸西堀の埋門の概要 平成28年度は、前年度に続き本丸西堀跡調査区にて「 埋門」 地点の調査を行いました。埋門は、江戸時代後半の山形城絵図に描かれることが多い門跡で、「 本丸一文字門・ 本丸北不明門」 に次ぐ本丸第3の門跡です。絵図( 第2図) には本丸西土塁の屈曲部に埋門平場が描かれ、堀を渡った二ノ丸側には土橋にあたる突端がうかがえます。 発掘調査では、埋門跡は近代以後のかく乱により平面遺構は失われておりましたが、二ノ丸対岸の通路は「 土橋」 遺構が出現しました。この土橋は元々 の地盤を掘り残したもので、堀が築かれる以前( 最上時代)の「 井戸跡」 が見つかりました。 埋門とは「 土居や石垣の中の隧道に設けられた門、また塀の下からでる門」 ( 日本城郭辞典) とあり、『非常時の脱出口』 の性格と読み取れます。山形城は御殿の配置位置から二ノ丸西門に近いこの位置に設けたものと推定しています。

ソフトボールコート

市営球場

児童文化センター

県立博物館

県体育館

県武道館

市郷土館

( 重要文化財 旧済生館本館)

北不明門

東大手門

南大手門

西不明門

桜の園

弓道場

本丸一文字門

本丸北不明門

第1図 山形城跡調査区位置図

調査区(西堀西土塁跡)

調査区(本丸御殿跡)

和暦

西暦

藩主

石高

斯波兼頼

最上義光

最上家親

最上家信(

義俊)

鳥居忠政

鳥居忠恒

(

大給)

松平乗佑

幕府領

秋元凉朝

秋元永朝

秋元久朝

秋元志朝

水野忠精

水野忠弘

かね

より

ぎゅう

だいら

りょう

あき

延文元年

慶長五年

元和八年

延享三年

明和元年

明和四年

弘化二年

明治二年

一三五六

一六〇〇

一六二二

一七四六

一七六四

一七六七

一八四五

一八六九

五十七万石

二十二万石

六万石

六万石

五万石

歴代藩主年表

第2図 大給松平氏時代絵図( 愛知県西尾市蔵)

第3図 秋元氏時代絵図( 山形市立第一小学校蔵)

6 本丸御殿跡出土遺物 このたび展示公開する遺物は、本丸御殿跡の今年度調査区中央に位置する【 最上氏時代堀跡】 から集中的に出土した遺物群です。これらの遺物は、大別して上層の火災処理層中の遺物と、下層の堀底堆積土より出土した遺物となり、両者には時間的な差があると捉えています。【 上層出土遺物】 瓦類が圧倒的に多く 、「 山文軒丸瓦」 が文様別に数種類、「 宝珠文軒平瓦」 と共に「 三葉文軒平瓦」 が出土しました。これは、瓦の年代観を捉える良好な資料となりそうです。「金箔瓦」 も軒瓦のみでなく鬼瓦などにも押されていたことがわかりました。また、漆喰のつく土壁破砕片も多量に出土しました。内側には、壁土の芯となる「 竹小舞」 の痕跡を良好に残します。 そのほか、布繊維などが出土しています。通常は残らない有機質の遺物が、火災にあって炭化したことと一括廃棄により良好に保存されたためと考えられます。

【 下層出土遺物】 下層からは、多様な有機質遺物が出土しました。多くは薄板状の木片や木製部材片等でしたが、漆器椀・ 木箸・ 荷札状板材等特定の機能がわかる遺物も出土しました。漆器椀には朱漆で「 二ッ輪文」 が描かれたものがあります。木箸は長さ約30㎝で両端削りだしています。荷札状板材は幅約3~4㎝程で一端が三角形に削出されています。文字などは書かれていないようですが保存処理により判明する可能性もあります。これらの遺物は上層遺物群以前に堀内に埋没していたので、堀の構築時期あるいは持続期を示す遺物としてたいへん貴重です。

金箔押山文軒丸瓦 金箔押宝珠文軒平瓦 三葉文軒平瓦 菊丸瓦【 道具瓦】

鬼瓦【 足部分】 鬼瓦【 顔部分】

鬼瓦【 顔部分:植物文】 【 側面:取手】 【 背面】

鯱瓦ヒレ【 表面】 鯱瓦ヒレ【 背面】

金箔押鬼瓦【 顔部分:紐状意匠】 輸入磁器染付皿【 中国産】

【 上層出土遺物群 写真[縮尺不同]】

編集後記現地説明会開催に当たり関係各位に多大なご理解・ ご協力を賜りましたこと誠に感謝申し上げます。尚、山形城跡の復原事業にかかわり山形市では関連する資料を探しています。お心当たりの方は下記までご連絡下さいますようお願いします。

℡ 023( 641 ) 1212【 お問い合わせ先】 〒990-8540 山形県山形市旅篭町二丁目3番25号 山形市まちづく り推進部公園緑地課 ㈹【 編集・ 発行】 山形市教育委員会 社会教育青少年課 文化財保護係 平成28年11月12日

うずみ もん

うずみ もん

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Page 2: 史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡 …...史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡発掘調査現地説明会資料 平成28年11月12日(土)

県 体 育 館 武道館

本丸一文字門

鳥居氏時代以降の井戸跡

ソフトボール場

二ノ丸西不明門跡

本丸南堀跡

本丸東堀跡

本丸御殿内遊歩道

本丸御殿内遊歩道

霞城公園内車道( 野球場南)

霞城公園内車道

県体育館

桜 の 園

本丸西堀跡

丸西堀

本丸御殿跡調査区

本丸西堀跡・西

土塁跡調査区

旧市営球場カクラン跡

( 推定)

近現代カクラン溝跡

歩道

園 路( 歩道)

園 路( 歩道)園 路( 歩道)

園 路( 歩道)

歩道

歩道

歩道

本丸西土塁復原推定範囲

第4図 史跡山形城跡 本丸御殿跡および

本丸西堀跡・ 西土塁跡調査区位置図

0 50m

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集合場所

Page 3: 史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡 …...史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡発掘調査現地説明会資料 平成28年11月12日(土)

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鳥居氏時代

拡張範囲

最上氏時代

土塁跡

堀底?

土塁中段石積遺構

土羽裾部護岸石垣

埋門土橋跡

最上氏時代の井戸跡

本丸西堀

第5図 本丸西堀跡・ 西土塁跡調査区

    遺構平面図( S=1/400)

史跡山形城跡( 2016) 本丸西堀西土塁跡・ 本丸御殿跡

発掘調査現地説明会資料 平成28年11月12日

2 本丸西堀跡の調査 平成28年度は、昨年度に続き埋門土橋跡・ 埋門( 本丸側) 土羽法面の確認調査を行いました。 埋門土橋の裾には石垣等の土留めはなく 、橋を架ける際の橋台石垣も検出されませんでした。法面の角度は約38°で二ノ丸側法面角度約35°よりやや急となるようです。また、埋門土羽出隅( 南西角) には、土留めを担う【 護岸石垣】 が見つかりました。河川玉石基調で残存高は低いのですが土羽裾の位置を示す貴重な遺構です。石質は安山岩で馬見ヶ崎川水系と考えられますが、地山にも多く含まれ、現地調達されたと推測されます。

3 本丸西土塁跡の調査 平成28年度は、昨年度のトレンチ調査区を北側に拡張し、埋門の門施設跡を確認する調査を行うとともに、最上氏時代の土塁跡の可能性があった黒褐色盛土をさらに確かめる目的で一部深掘り調査を行いました。結果として、埋門施設跡は見つからず、削平を受けている可能性が高いことがわかりました。 一方、深掘りした地点では、確認面より深さ約3m下で【 石積遺構】 を検出しました。河川玉石で長軸を横方向に積む技法で2~3段の石積みです。裏込めは幅約30㎝程と少なく 、昨年度確認した盛土遺構の法面下位にあるため、同時に築かれた【 土塁と石積み】 と考えられ、慶長~元和期(1600~1622) の最上氏時代山形城の堀跡の可能性も考えられます。

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Page 4: 史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡 …...史跡山形城跡(2016) 本丸西堀西土塁跡・本丸御殿跡発掘調査現地説明会資料 平成28年11月12日(土)

カクラン

カクラン

カクラン

井戸跡

瓦廃棄痕

焼土分布域

石 垣

石 垣盛土層及び上位の遺構構築面

( 最上氏時代の遺構面として2面

以上存在することを示す)

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礎石建物跡

( 根固め石分布域)

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4 本丸御殿跡の調査 平成28年度は、鳥居氏時代以後の本丸御殿建物に係る【 井戸跡】 の探索を主眼とした調査を行いましたが、確認できませんた。 しかし、旧市営球場カクラン直下面では、最上氏時代に相当する遺構面が検出され、両側に石垣( 高約1. 5m) を築く堀跡が発見されました。周辺には井戸跡や区画性をもつ石列及び礎石建物の根固め石配置跡が見つかり、旧地表面に近い状態の遺構残存状況であることがわかりました。最上義光時代の城主時代や、その直前期の様相を示す可能性が考えられます。

5 本丸御殿跡の堀跡に捨てられた大量  の遺物群【 火災の処理痕跡】

 本丸御殿跡の堀跡には、大量の瓦が捨てられていました。瓦は黒瓦で火災の被熱で橙~赤色に変色した瓦も多く見られます。瓦当は【 山文軒丸・ 宝珠文軒平】 が主体で、【 金箔瓦】 も伴います。その他、鬼瓦・ 鯱瓦ほか、多様な種類の瓦群があり最上氏時代の瓦葺建物の様相を知るうえで大変貴重な発見と言えます。また、漆喰壁の破砕材も多量に出土しました。これらは、火災にあった建物と、その後の再建に向けた処理痕跡と捉えます。

第6図 本丸御殿跡跡調査区

    遺構平面概要図( S=1/300)

史跡山形城跡( 2016) 本丸西堀西土塁跡・ 本丸御殿跡

発掘調査現地説明会資料 平成28年11月12日

写真1 本丸御殿跡出土石垣検出状況( 北西から)

写真2 堀跡に捨てられた大量の瓦( 南から)

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