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17 月刊「武道」 2015.12
武道の可能性を探る 粢笠尾楊柳
航が自由になり、若者たちに海外無銭旅
行が流行した。私も世界を広く見たいと
思い、稽古着を抱えて「地球一周旅行」
に挑戦した。
飛行運賃は高額だったので、船及び汽
車とバスだけで米・欧・アジアを周り、
一年後無事に帰国した。
私はこの旅でいかに空手が世界中に普
及しているかを実感した。
米国横断中、数カ所の道場で交歓稽古
をする機会があった。どの道場にも空手
を単なる格闘術ではなく優れた日本文化
として生涯にわたって修練しようとする
人々がいた。そのことに私はかえって新
鮮なカルチャー・ショックを感じた。
日本では学生空手が主流であり、柔道
などに較べれば、空手はまだまだ特異な
武技だった。マンガ・映画などで空手が
もてはやされ、空手人口が急増するのは
一九七〇年代以降のことである。
私は旅行中、アルバイトをしながら放
浪する一介の貧乏青年に過ぎなかった
●プロフィール
笠尾楊柳(かさお・ようりゅう)
1939年(昭和14)東京都生まれ(本名:恭二)。
1961年早稲田大学第一商学部卒業。在学中、空手
部に所属。卒業後、楊名時・王樹金両師について中国柔
派拳法(いわゆる「内家拳」)を学ぶ。その後、日本空
手道流水会・中国拳法太極会などを組織し、中国武術を
総合的に研究、『∧精説∨太極拳技法』『中国武術史大観』
にまとめた。ほかに『中国拳法伝』『きみはもう「拳意
述真」を読んだか』『太極拳に学ぶ身体操作の知恵』、小
説『月下の拳』(筆名:三井悠)などがある。
地元紙の取材で演武した筆者(米国フィラデルフィア)
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19 月刊「武道」 2015.12
育武道、枝葉とそこに咲く花が競技武道
である。
建物に例えれば、教育武道が土台、建
物が競技武道である。
根幹・土台に教育武道が存在しなけれ
ば、それは「悪しき競技武道」に陥る。
「悪しき競技武道」は、強さだけを求め
がちである。一位だけがダイヤモンドの
如く輝き、二位以下は石ころ同様の存在
となる。
教育武道は一人ひとりをダイヤモンド
の原石とみなす。それぞれが各自の個性
と能力に応じて十全に成長発達すること
を目指す。自分自身の一位となれるかど
うかが問題なのだ。こうした立場からは
クラス全員が一位となって輝くことが可
能となる。
早大空手部で私より七年先輩の原田満
典さんは現役時代から個性的な空手を追
求し、空手部の中ではやや孤立した存在
だった。
卒業後、船越先生に「海外で空手を指
導したい。松濤館を名乗っても宜しいで
しょうか」と相談した。
どんな門人とも平等に接する船越先生
は、
「きみのゆくところ、そこが松濤館だ。
自由に名乗りたまえ」
と言って励ました。
原田さんは競技空手の波には一切乗ら
なかったが、のちに英国における空手指
導の功績を認められ、バッキンガム宮殿
に於いてエリザベス女王から大英帝国
勲章「MBE」(M
ember of the B
ritish
Em
pire
)を授与された。
嘉納、船越両師範はともに時代を画す
る創造性豊かな教育活動を展開した。伝
統武術の世界ではとかく固定的な枠によ
って個性をおさえがちである。自由と創
造性を培う、これも今後の教育武道に欠
かせない大きな目標である。この二つが
加わることによって、日本武道は拡大再
生産型の文化として、いよいよそのちか
らを発揮することになるだろう。
船越義珍(1868―1957) 嘉納治五郎(1860―1938)(写真提供=公益財団法人講道館)