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Colosoul Japan 0

Apr 08, 2016

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Colosoul Japan

日本語!The "Pilot Episode" of Colosoul Japan. Photography, Fashion, Art and more! Written entirely in Japanese.
Welcome message from author
This document is posted to help you gain knowledge. Please leave a comment to let me know what you think about it! Share it to your friends and learn new things together.
Transcript
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THE ART OF DESIGN - Shayli Harrison

PAINTING THE PHANTSMAGORICAL - Sara Winfield 

MAKING OR BREAKING IT IN NEW YORK - Cloe Hurst

TELL ME NO LIES - Mister Lies 

THE WALKING FLUME - Flume 

TAKE A BITE WITH PAPERFANGS - Paperfangs 

HOWLING IN TWILIGHT COUNTRY- Snowbeast 

[SOCIAL] HIDDEN ON A DUSTY SHELF 

[SOCIAL] UPSIDE NEPAL

[SOCIAL] LEGALLY ADDICTED

ALL DRESSED UP&NO WHERE TO GO

LADIE POISE INTERVIEW

LOUISA HAWTON INTERVIEW

ALL IN THE DETAILS

EVERYDAY LIFE, MUSIC&VIDEOS - Steph Sexton

KATIE CAMPBELL INTERVIEW

HIP HOP ONLINE LJ KROOKER AND OZHIPHOP.COM

DOGS

FUR

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Content

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Publisher - Colosoul Group Inc.

Tricia Ray - CEO

Claris Wong - Team Leader

Seitaro Shinagawa - Copy Editor/Translator/Proofreader

Takamichi Nakanishi - Graphic Designer

Risa Hirano - Graphic Designer

Other Translators : Ayaka Ozane, Ryo Sasaki, Takashi Kawashima, Yuzo hamada, Shota Takuma, KURARA

Contact : [Facebook] www.facebook.com/colosouljpmag [Twitter] @colosouljapan [Blog] http://ameblo.jp/colosouljapan [E-mail] [email protected] [Website] colosoulgroup.com.au

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皆さんこんにちは!私はColosoul Japanのチームリーダーです。まず今回の発行で一生懸命やってくれたすべてのメンバーに感謝を表したいと思います。素晴らしいメンバーと一緒に仕事ができてとても楽しく思います。これからのColosoul Japanについてよろしくお願いいたします。雑誌を楽しんでいただき、ぜひFacecbook、Twitter、ブログもチェックして感想を送ってくださいね!

こんにちは。今回、翻訳や校正など文章全般を主に担当させて戴きました。お話を聞いた時、軽い気持ちで引き受けたのですが、量に対して自分の時間がなさすぎることが分かり、パースや日本にいるたくさんの方に協力を求めました。お陰様でこうして無事に完成させることができました。この場を借りてお礼申し上げます。翻訳という作業自体は初めてのことで、英語と日本語の言い回しの違い、直訳では伝わらないニュアンスなど苦労する点が多くありました。また、同義表現や細かいルールの多い日本語の奥深さ、難しさも再認識させられました。うまく表現しきれていない箇所もあり今後の課題です。記事はオーストラリアの情報が中心ではありますが、社会問題については全世界共通のテーマでもあり大変興味深い内容です。文化についてもコアで幅広い内容をお楽しみ戴けると思います。Colosoul Japanは今後も継続的に発行していく予定です。ご期待ください!

こんにちは、今回グラフィックデザイナーとして, Colosoul Japan に参加させていただきました。パースの大学でデザインを専攻しながら、この雑誌を制作のお手伝いをしました。この雑誌が人生初めてのグラフィックデザイナーとしての仕事でした。Colosoul Japanに参加したことは本当に良い経験だったし、Colosoul Japanを通じてたくさんの人と出会いました。こうして、みんなでこの雑誌を作り上げることができて嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいです。

知りたかったクールなすべてを、オーストラリアからあなたのもとへ。Colosoul Japanが, ついに到着しました!私たちはアートの分野の若者をサポートしていて、あなたも参加することができます。ファッション、音楽、アートがすきですか?あるいは単純に好きな記事を自由に書くことに興味がありますか?もしそうであれば、すぐに[email protected]にメールを送って知らせてください。また、もっと興味深いトピックのために、ぜひTwitterやFacebookページをフォローしてご意見を聞かせてください。Colosoul Japanはあなたのマスト・マガジンです!MagCloudから実際の紙面でもご覧いただけます。Be cool and get yourselves a copy!Tricia Ray

実は、、、人生で初めて雑誌という物を作り、全く無知な状態からのスタートで、ここまで辿り着くまでに数えきれないくらいの困難がありました。しかし、自分を支えてくれた仲間や協力して頂いた皆様のお陰で無事に完成する事ができました。この場を借りて最大の感謝とお礼を申し上げます。そして、今後ともColosoul Japanを宜しくお願いします。

又、個人的にフリーランスでも活動しており、様々なデザインを作っております。Shinobi Productionも同時に宜しくお願いします。詳しくは、facebook.com/shinobi.productionにて。

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The Art of Design Transcending Fashion with Shayli Harrison

Shayli Harrisonは革新的なオーストラリアのファッション・ブランドSHAYLIのクリエーターだ。情熱的な色使いに大胆さ、優雅で前衛的なデザインは単なるファッション・トレンドを超越し、もはや芸術作品である。2012年、Shayliは初のプレタポルテ・コレクション“Vacant Space”を2012-13春夏用にリリースした。パース出身のShayliは現在拠点を置くメルボルンのWhitehouse Institute of Designで学び、2008年のデザイナー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。これまでパースのブランドであるEmpire Roses、シドニーのColour Kids、ファッション・プロジェクト700 Photos and Being Born Again Coutureに携わり、現在ではブラジルのシューズ・ブランドMelissaのクリエイティブ・コンサルタントを務めている。

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―どのようにしてファッションやデザインを志したのですか?

高校時代の早い時期から自分のやりたいことがわかってたので卒業の時に準備したの。1年目は学校以外でEmpire Rosesで働いたし、BentleyのTAFEでファッション製品のCertifi cate IIIを修了したわ。次の年にはシドニーに移動してWhitehouse Institute of De-signでファッションの学士号を取得したの。それで今はメルボルンを拠点にして、自身のブランドも立ち上げて2年になるわ。

―SHAYLIが他ブランドと違う部分はどこですか?

デザイナーはみんなそれぞれ自分の筆跡みたいなものがあるの。私の作品は私自身で私のハートなの。もしあなたが正直者ならいつだって他のブランドと区別が付くわ。

―プレタポルテ・コレクション(既製服展示会)についてもう少し詳しく教えていただけますか?

“Vacant Space”は宇宙旅行のVirgin Galactic社の発足にインスパイアされたの。もともと空想と現実のギャップに葛藤があって。でも実際に冒険が可能なはずなのよ。

―最初のコレクションを作り上げる上でのプロセスを教えて下さい。

以前の自分のコレクションと比べるとプロセスは全く違うものになってるわ。大衆への販売用ではなくて、普段は一点物の仕立てを作ってきた。商業的なデザインのアイディアをまとめあげるのにすごく時間が掛かるの。やっとペンを走らせてサンプルを作れたと思ったらコントラクターや卸屋、印刷屋と取引をしてストックを終わらせなきゃいけない。その間にブランドやビジネスを発展させてもきたのよ。自分のイベント、メルボルンのスプリング・ファッション・ウィークも運営しながらね。

―あなたはアバンギャルドなスタイリストでありファッション・デザイナーであるとご自身を表現していますね。あなたをインスパイアさせたり影響を与えたものは何ですか?

新しいものを創り出すチャレンジが好きなので自分自身をそう表現しているの。他人のデザインに感銘を受けたり鑑賞したりはするけど、そこにインスピレーションを求めたりはしない。主に科学技術や哲学をリサーチすることで自分自身のスタイルの開発をし続けているわ。

―今までで最大のチャレンジはどんなものでしたか?

この数年はすべてが最大のチャレンジだわ。ビジネスを始めることは今まで冒したことのない最大のリスクだったけど、それも時には必要なことなの。

―デザインではどのようなテーマやアイディアを追求していますか?

それぞれのコレクションで異なっていて、独自のコンセプトを表現しているわ。単にアーティストとして、見る人によって解釈してもらう作品を掲示しているの。仕事も同じ方法ね。残念なことにファッションで作品自体が持つ意味は、見る人や着る人にとって見た目ほど重要じゃない。でも私の作品は構造的て未来的でサイケデリックなのよ。

―アーティストやデザイナーとしてどのように発展し行きたいですか?

アバンギャルド派として自分自身をさらに高めて行きたいわ。まだまだ長い道のりですけどね。商業的な作品を制作するかは反響次第だけど、とりあえずクリエイティブにやる必要があるわ。

Shayliの作品や商品についてはウェブサイトをご覧ください。

www.shayli.com.au

https://www.facebook.com/shaylithelabel

文:Katie Moore

訳:Seitaro Shinagawa

写真:Shayli Harrison

デザイン:Risa HIrano

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Painting The Phantasmagorical

パースの新進気鋭のアーティストでイラストレーターSara Winfieldの作品は、大胆な色使い、力強いラインと活気あふれるエネルギーで実に興味深い。若い頃から常に色やイメージ、描線に魅了され、作品は魅力的で自由な自然に通じている。西オーストラリアの田舎で自然に囲まれて育ったWinfieldは、アウトドアの美しさときれいな空気をその肌で感じ、またそれが彼女の作品に影響し、インスピレーションを与えている。

若いうちから創作や作画はしていて、美術については学校の授業で学んだ。TAFE(オーストラリアの専門学校)でファッションデザインを切り詰めて学んだ後、Winfieldはデザインよりも単純に描くことが楽しいと気づいた。またそれは作画を追求する励みにもなった。

Winfieldは自身の作品を“phantasmagorical=夢を見ているような現実と想像の一続きのもの”と表現する。最近の作品の中で彼女は”心の中に間違いなく存在する願望や楽観論、無関心さといった曖昧なものの氾濫”を探求しているという。シュールで見た目も刺激的であるが、典型的な女性像である。「Egon Schile や Del Kathryn Bartonの作品を見て、私自身の作品で描きたい女の子と同じ未来像をとても力強く描いている、と思ったわ。」

彼女は作品の解釈についてはオープンにしたままにしており、神秘的な描写は飄々としていて、異質ともいえる。「見る人にとって、その人が好むものを作品から受け取れることが重要なんだと思うの。」 彼女は人々の一連のリアクションを見ることが興味深いということに気づいた。「前回の展示会で、私の作品をどう捉えたかという解釈たくさん聞いたわ。時々、私の意図を外していたけど、もし作品が感情的な反応を引き出せたなら、私は自分の仕事をしたと感じられるの。」

彼女は作品の解釈についてはオープンにしたままにしており、神秘的な描写は飄々としていて、異質ともいえる。「見る人にとって、その人が好むものを作品から受け取れることが重要なんだと思うの。」 彼女は人々の一連のリアクションを見ることが興味深いということに気づいた。「前回の展示会で、私の作品をどう捉えたかという解釈たくさん聞いたわ。時々、私の意図を外していたけど、もし作品が感情的な反応を引き出せたなら、私は自分の仕事をしたと感じられるの。」

これまでのアーティストとして最大の成功は何かと彼女に聞くと、「諦めがつかないわ!」と声を上げ、「毎日起きて、別の道に行くか”棘(いばら)の道”を進むかって自分を奮い立たせるのは本当に辛い仕事。経験としてはいいわね。最近アーティスト仲間のAnya Brockと行ったショーは素晴しい成功だったし、お互いの作品の類似点が調和して素晴しい展示になったわ。」と話す。

Winfieldは最近、パースの中心に位置するモールで展示スペースを設ける機会を得た。オンラインマガジン“IT’S NOW COOL”との連携で、建物の店舗スペースを共有し、人々が来て実際に作品を見ることができるようにするというものだ。この若く才能ある新生アーティストは、今後長きにわたり作品づくりをすることを望んでいる。彼女に5年後どこにいたいかと尋ねると、「私は、芸術家として他の創造的な表現の場の近くにいることが本当に重要だと感じるの。特にコラボレーションのようなものね。まだファッションの世界に対する熱意を完全に失ったわけではないし、私のイラストは水着にうまくハマるって信じているわ ―まぁでも、いずれそのうちね。」

文:Chloe Kyriakacis訳:Ayaka Ozane

写真提供:THE ARTIST

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MAKING OR BREAKING IT IN NEW YORK

“Start spreading the news:I am leaving today!

I want to be a part of it,New York, New York!”

フランクシナトラが歌い、幾多の物書きや映像屋や芸術家達が彼のアルバム“Ol’Blue Eyes to New York City”に酔いしれたものだ。もしも荷物を詰めて片道切符を手にビッグアップルへの道を夢見るアーティストならぜひこの続きを読んで欲しい。

パース生まれの女性Chloe HurstはLee Strasberg Theatre and Film Instituteで学ぶために2年前にニューヨークへの大きな一歩を踏み出した。それから彼女は“Threepenny Orchestra”、シンデレラ役で“Into The Woods”、さらに“Can-Can The Musical”に、またミュージックビデオでは“All Four Seasons”や、Jukebox The Ghostの“Don’t Let Me Fall Behind”に、そして今はWestchester Broadway Theatreの“Miracle on 34th Street”に出演している。

―荷造りしてニューヨークへの旅路を行く、これは多くの者にとって夢であるが、一体何が彼らを引きつけるのでしょうか?

私はいつかニューヨークへ来ることを夢見ていました。その理由は単純に、自分の身を知識的な冒険に置くことだったのかもしれません。

私はある時、メルボルンで素晴らしい仕事とオーディションを受けた後に、ロンドンとアメリカのGoogleのアクティングスクールに行きました。考えてみると長時間に渡る試みだったがとても価値のある挑戦でした。そして次に私が覚えているのは、インタビューとオーディションのオファーをくれた全ての学校へのオーディションツアーを決行するために母とアメリカへの飛行機に乗っていたことです。

そんなことするには未熟で経験もなかったことにも気づかず、パフォーマーとして成長するには良い経験になるだろうとだけ思っていました。合格と仕事のオファーを幾つかの学校からもらったのは本当の驚きでした。母とのオーディションツアーから帰って一ヶ月もしないうちにニューヨークへの片道切符を予約していました。

家族と友人の助けがなかったらそんなことできやしなかったでしょうけど、ニューヨークへ来る一番の理由は名高いLee Strasberg Theatre and Film Institutedで学ぶことでした。もし素晴らしい俳優に出会うことがあって彼らがその学校で学んでいたことを知れば、彼らと同じ道への機会を得ること拒みはしないでしょう。

家から遠く離れて人生を揺るがす事態の間、家族からも友人からも離れていたことは今までで一番の挑戦でした。ソーシャルメディアがその距離を縮めていてくれたのは間違いなく、愛し合う者同士の相互作用がどんなに大事かは言葉にもできません。飛行機に簡単に飛び乗って友人を祝ったり慰めに行けないと気づいた時はとても辛かったです。更に言うと、ニューヨークは世界で最も忙しい街であるとともに最も寂しい街です。

初めはこれが信じられませんでした。何故なら普段いつでも人に会えて、世界中に友達の輪を作れるからです。しかし人々はある種の自分勝手な勢いや目的なしにニューヨークへは来ないでしょう。自分勝手とは何も悪い意味で言っているんじゃなく、誰でも優先したいゴールがある。ニューヨークへ来る者の多くはキャリア形成だと思います。

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たいていの場合、これは社会的な友情の条件より優先されるもので、そういう理由で時に我々はどんなに素晴らしい友人達といても、どんな時よりも深く暗く寂しい瞬間が訪れることがあります。

―ニューヨークでのキャリアはどのようにスタートさせたのですか?

私はここで学ぶ良い機会を得ただけでなく、就業ビザを手に入れ、ここニューヨークでパフォーマーとしてのキャリアの成功のスタートを切ることができました。

私が主にしたいことは映画やテレビで演じることですが、ミュージカルで歌ったり踊ったりすることを拒否することはありません。単純に大好きだからです。こっちの学校の初日にCole PorterのKiss Me Kateのオーディションの応募用紙を見た瞬間に全ては始まりました。オーディションに参加しスカウトされ、今の所その素晴らしいエージェントが私のキャリアの出発点となりました。

同時に映画とテレビのキャリアでも良いスタートを切ることができました。Comedy Central Pilot の一員となり、アクアフレッシュやあのPsyとの競演を果たしたHiteビールなどたくさんのCMに出演し、自主映画に助演し最近はスウェーデンの素晴らしい監督の“Indigo”という短編映画に出演させてもらいました。またそれとは別にモデルもやっていて、ラッキーなことにバーニーズニューヨークのキャンペーンや最近はNARSの化粧品やユニクロのオンラインキャンペーンに参加させてもらいました。

最近一番ホットなニュースは来年のミュージカル“A Chorus Line”で、Judy Turnerを演じることが決まったことです。

―オーストラリアより明らかに圧倒的に大きいニューヨークのショービジネスの世界で、どうやってご自分の経験を表現しますか?

オーストラリア産業規模を3倍してみて下さい。そしたらさらに50倍してみて下さい。それでやっとここがどんなに狂った競争社会かわかるでしょう。

一員となり経験や能力を授けパフォーマンスする機会を与えてくれる団体が幾つもあります。基本的にオーディションの機会をすぐ与えてくれたり、もしくは全く与えないところもあります。オーディションに送り込んでくれるエージェントなりマネージャーなりステージを持つかどうかで有利不利が決まるんです。それかあるいは何か起こることを待ち続けるしかありません。

私は鍵は忍耐力だと思います。もし本当に好きなら、どれだけ失望し失敗するとしても、一日一日をあなたの性能が育つ様に取り組む道を見つけることです。もちろん、言うのは簡単ですし、自信がつくとは限りません。でも実際のところ同じ夢を見て戦っている人がたくさんいるし、才能と見た目の掛け合わせも大事です。純粋な運だけで仕事を手に入れることもあるんです。

―これから動こうとしている若い芽達に何かアドバイスはありますか?

恐れることは創造性や芸術家達のキャリアへの一番大きな障害となります。恐怖に耳を傾けたら今までで一番の失敗になるでしょう。自分自身と周りの人々を信じなさい。なぜならば私自身が何もしないで後悔するよりも挑戦してし失敗する方がよっぽどマシだと固く信じているからです。誰よりも...自分らしくあれ。

文:KATIE MOORE訳:RYO SASAKI

写真提供:SIMON VARGA ACOSTA AND JOCELIN LE

Tell Me No Lies – Nick Zanca jazzes things up

Mister Liesとはシカゴのミュージシャン、Nick Zancaのプロジェクト名で、深夜や早朝にピッタリの温かなエレクトロなアンビエント音楽を作り出す。Lefseレーベルから2月下旬に発売された彼のデビュー・アルバム”Mowgli”の作業で多忙だった彼とチャットするために、我々はSkypeに飛びついた。

―アルバムの最初のトラックは何ですか?“Hidden Neighbours”です。この曲は真冬の自分の部屋で寒くて気が滅入ってる時にできたんだ。(笑)

―大学では音楽を専攻してはいなかったのですか?音楽は自分の身体の一部みたいなものなんだ。最初は勉強を始めたんだけど脱落してしまった。いっぱいルールがありすぎて。自分が好きなものを作るのに、そんなルールとか制約とかがあるべきではないと思うんだ。アートはすべて実験的で、決して数学的に答えが出せるものじゃない。だから僕はそれに幻滅し、代わりに哲学を学んだんだ。

―最近はどういった音楽を聴いていますか?アンビエント音楽をいろいろ聴いてるね。Pitchfork Music Festivalではずっと横からステージを観てたんだけどOneohtrix Point Neverが僕の心を鷲づかみにした。彼らのサンプリングの手法は全くオーソドックスではなくて、The Avalanches(オーストラリアのエレクトロ・ミュージック・グループ)やDJ SHADOW(アメリカのミュージシャン、DJ)が用いる手法とは全く異なっていた。アルバム全体を通して、僕が今まで素晴らしいと思っていた商業的なサウンドは無視して作られてるんだ。レトロなシンセのサンプルを未来的な手法で取り入れたHype Williamsも聴いているよ。あと、Steve WrightやTerry Riley、Nina SimoneやChet Bakerのようなジャズは毎日のように聴いてるね。

―そういったジャズの要素がアルバムでは取り入れられているのですか?現時点でジャズがどのように影響しているかとは言いたくないんだけど、聴いてもらえれば大いに納得できると思うよ。実際に聴いてみて、自分で発見してもらいたいと思ってるんだ。当初はオーケストラも入れて盛大にしたいと思ってたんだ。でもそれをやめてスローダウンし、音楽自身が連れて行ってくれるところに身を任せるようにした。どうしても人々にウケようとするといつも結局は最悪の駄作を作っちゃうんだ(笑)。

―最初あなたはMister Liesのプロジェクト名だけで匿名でした。ライブでアーティストがマスクを被っているような状態についてどう考えますか?観衆に対して自分自身を隠すというアイディアはアーティストとして死に繋がると思う。みんな最近では音楽でもなんでも気に入らないと葬ろうとしてしまう。とはいえそれ自体は尊重できるし感謝さえできるんだけど、過剰だね。はじめ僕は年齢ではなく音楽にフォーカスしてほしかったんだと思う。この秋で20歳になるんだけど、最近はたくさんの若い音楽プロデューサーが活躍している。例えばXxyyxxのような。彼は素晴らしいプロデューサーだけど、時に人々は彼の16歳という年齢に注目するんだ。

―16歳!?全く知らなかった!クレージーだ!僕が言いたいのは、どんどん若くなっているということ!「19歳はプロデューサーにとって、ほかの人たちが社会に出る22歳という年齢みたいなものだ」って僕らは冗談で言っていたんだけど、今では彼みたいなヤツらがそれも壊し始めてる。16歳ってのが僕らの時の19歳なわけだ。それはたぶんインターネットのおかげだ。フェアと言えるし、世界レベルで注目を集めることがずっと簡単だからね。

―あなたはネット上でかなり早い段階で注目されましたね。インターネットがあなたのデビューを助けたと言えますか?間違いなくイエスだ。Mister Liesを始めたのが2012年1月でPitchfork(シカゴの音楽サイト)が見つけてくれたのが3月。僕は何人かのブロガーを知っていて、Pichforkのライターがそのブログを見ていたんだ。「何を知っているかでなく、誰を知っているかだ」なんて使い古された文句があるけど、そんな感じだね。(笑) すべてがものすごいスピードだったよ。怖いくらい!本当にありがたいことだよね。

―アルバムの制作は捗っていますか?グレートだよ!おそらくラッパーが熱唱するようなビートは少なくて、間違いなくメロディックな曲調だね。

Sigur Rosの“()”やRadioheadの“Kid A”のような僕を魅了し続けるアルバムのスタイルを研究しようとしているんだ。それらのアルバムでは、前半は空気みたいに軽くてフワフワした雰囲気なんだけど、後半は暗くてどんよりしている。決定的なサウンドの変化だよね。そんな非常に重要な違いがひとつあって、でも僕は発売まで秘密にしておきたいんだ。とてもワクワクしているよ!!

文:Nathanael Rice訳:Seitaro Shinagawa

写真提供:Lefse Recordsデザイン:Risa Hirano

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The Waking Flume - Harley Streten Hits the Big Time -

“Flume”という名前でパフォーマンスをする

Harley Stretenとチャットをしてもう数年が

経ったようにも思える。確かに、昨年10月

のチャット以来、この数ヶ月で彼には多くの

変化があった。デビュー・アルバムのサンプ

ル版を送ってもらっていたのだが、私は試

聴するや否やラップトップに向かいインタビ

ューの段取りを進めた。毎日のように耳に

するものとは違い、ジャンルを超え、他のど

のアーティストとも違う21歳のシドニーの若

者について、そのすべてを聞きたいという

衝動に駆られた。

私はそれ以前に、2012年1月のパースでのWonderland Festivalやラジオ局Triple Jのツアーでの彼の演奏を観たことがある。非常に感銘を受けたのだが、

その時点で聴けたのは“Sleepless”だけで、それは間違いなくキラー・チューンではあるのだが、私はこの曲と同じように強力なアルバムを彼が作る能力があるのかと半信半疑だった。

それでサンプル版が送られてきた時、注意深く再生ボタンを押した。―心配は無用だった。彼のデビューはファンタスティックなものだった。2012年のほかのオーストラリアのアーティストの中でも頂点に近いものだった。先行ファース

ト・シングル“Holding On”と数週間後にアルバムの発売を控えた彼とのインタビューにエキサイトしていたのは言うまでもない。

もちろん、私も彼もその時で、“Holding On”がその年の大ヒットになること、アルバムがHottest100の4位にランクインすること、ARIA(オーストラリア・レコーディング産業協会)のプラチナ・レコードに認定されること、その他にも3曲がHot-test100でフィーチャーされることなど知るはずがなかった。分かっていたことは、そのCDが受け取る価値があることと、Harley本人も期待と不安混じりながらも自信に満ちていたという印象のみだった。

子供の時にシリアルの箱から音楽ミキシングソフトを見つけたのが音楽に触れたきっかけだという話は有名だが、Stretenは常に音楽に関わりたいと思ってはいたものの実際に何かを計画したり時間を費やすということはなかった。「何か作らなきゃいけないってことが何度かあって、その度に時間と労力をかけてきたんだ。数年前からパソコンに向かってはいたけど、真剣に取り組み出したのはこの1年かな。」

名声が世間を席巻する前の2012年でもFlumeが躍動的だったのは議論の余地がなかった。本人も同調する。「Triple Jのツアーはみんな開放的で楽しい。それと最初に出演したフェスParklifeもクレイジーだったね。」 StretenはWhat So Notという別のプロジェクトにも携わっていて、「Flumeでの曲よりだいぶヘビーで、僕と Chris Emer-sonが毎週木曜日に曲を作ってるんだ。もう2年になるね。すごい楽しいし、その新作はすごく自慢できる。僕たちが今まで作ってきた中のどれよりも強力なものになってるよ。」

実はインタビューの翌週、CMJミュージック・マラソンのためにアメリカへ向かうことになっていた。「どういうものかというと、基本的にはニューヨークでやるコンサートなんだ。たくさんのライブをやって僕の曲を聴いてもらう。とてもエキサイティングだよ。」 Stretenはオーストラリアでのツアーの時間を確保してからのデビュー作の発売を待つ。そしてレーベルを見つけて初めて喜べるのだと。「僕らはただアメリカで発売できる適切なレーベルを探してるだけなんだ。イギリスやヨーロッパではすでに候補はあるけど、アメリカでもみんなに聴いてもらいたいと思ってる。だからいろんなレーベルを調べて、たくさんの人に会うためにあちこち行って…。いつもeメールばっかりじゃなくてフェイス・トゥ・フェイスで人に会う方がいいもんね。」

Flumeは、オーストラリアのインディーズ・レーベルFuture Classic と、そしてJohnny Flynn、Mystery Jets、Two Door Cinema Club といったアーティストを擁するイギリスのTransgressive Records と契約した。18ヶ月前はほぼ無名だった事を考えると好スタートと言える。また、このヒップホップ色の強いアルバムを以ってすれば、アメリカのレーベルを見つけることは高いハードルというわけではない。

ARIAチャート第1位も記録したアルバム、Triple JのHottest100にランクインした4曲、そしてキラー・セックス・アピール、インディーズでの評判を維持しながらメインストリームへのクロスオーバー…Stretenのこの12ヶ月は顕著な業績であり、その謙虚な姿勢が彼の成熟さの証明だ。Flumeはすでにヨーロッパやアメリカでの成功の準備ができている。2013年後半は是非彼の活躍に期待してほしい。

Harley Stretenに関する名声や評判について、私と彼の間で共通していることがある。「いい朝を迎えた。1時間ぐらい前

に起きて、朝食を食べた。“素晴らしい一日”が始まったんだ。」 そう、Flumeの活躍はまだ始まったばかりだ。

文:Nathanael Rice

訳:Seitaro Shinagawa

写真提供:Bossy Music

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Take a Bite With Paperfangs – Rediscovering the Mystery –

Paperfangsは2009年に活動を開始した、フィンランドのヘルシンキとタンペレ出身の3人組デイドリーマーだ。当初のアイディアは聴覚、視覚、視聴覚表現の面を結合しようとするものであった。結果的に、サウンドやスタイルはすぐさまユニークで魅力的な含みのあるものになった。以前、ノルウェーのレーベルEardrumsPopからAAVVAV(audial,audial,visual,visual,audiovisual)というタイトルのカセットEPとデジタルシングルを発表している。彼らのデビュー作”Past Perfect”発売の直前、本誌は新作についてJyriに話を聞いた。

-Paperfangsは何者ですか?

JyriにTarleenaにMikkoの3人。きょうだいと友人です。

-デビュー作のPast Perfectはどんなものになりそうですか?

全体的なサウンドはちょっと発展したものになってると思います。ニッチな世界から脱却して、単に自分たちが純粋なポップアルバムと思えるものを創り出そうとしています。サウンドは温かくてトラディショナル、私たちにとっては少し実験的なんです。

-Past Perfectはコンセプトアルバムだそうですね。全体にわたるテーマやストーリーはどんなものですか?

基本的に何層にも重なったストーリなんです。パラレルストーリーって言うのかな。故意にミステリアスにしようとしたわけじゃないんですが、何度か聴けば新しいドアを開けるような要素が詰まっていると思います。

-コンセプトアルバム全盛期の1960~70年代と比べると、その定義に変化はあると思いますか?

制作やレコーディングのプロセスは変わっただろうけど、コンセプトアルバムのアイディアはそれほど変わってはいないと思います。たぶん最近はテーマやストーリー自体により近づいていて、その感覚から言えば今もコンセプトアルバムの黄金期と言えるかもしれません。人々は物語文学を切望している。ストーリーテラーが読み進めるように、最近のポップミュージックは暖炉のそばやベッドタイムに親が子供に読み聞かせる物語のようになってきている。アルバムは全体がひとつの物語である一方、それぞれのトラックも個々にストーリーを持たせています。

-あなたたちは声と過去のメディアからのイメージに魅力があるように思います。ノスタルジア(郷愁感)からの音楽はどれくらいの割合ですか?

自分たちの子供時代と白黒映画でしか見たことのない場所への内なる憧れなんです。無邪気さ、寛大さ、そしてJames Stewartの独特のアクセントへの切望です。未だかつて存在したことのない時間と場所への憧れかも知れません。しかし、考え自体は存在します。ノスタルジアはとても素晴らしい薬なのです。

-もし、今でも昔でも、どこかのバンドやアーティストとツアーを周れるとしたら誰ですか?

そうですね、60年代の素晴らしいガールズグループとツアーを周る自分たちを観てみたいですね。The Shangri-Las(アメリカ)とか?80年代だとThe Pastels(スコットランド)、The Wake(アメリカ)、St. Chris-topher(イギリス)と…!それに、私たちのfangs(牙)は怖いものに対して良い防具になると思います。The Zombies(イングランド)とのツアーは間違いなくしたいです!

-よくある典型的な質問ですが、馬サイズのアヒル一羽と、アヒルサイズの馬の大群、戦うならどっちですか?

他者と戦うんですか?できれば平和的な道を選んで、馬サイズのアヒルに乗って夕日に向かって走りますね。

文:REBECCA MERY訳:SEITARO SHINAGAWA

写真提供:THE ARTIST

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HOWLING IN TWILIGHT COUNTRYMUSIC SNOWBEAST

最初にSnowbeastが私の注目を引きつけたのはNick Cave、Matt Berninger(The National)、Tom

Waitsを思わせる陰気なボーカルだった。カナダのブリティッシュコロンビア州出身のSnowbeastは

Riun Garner、Brayden Pichor、Jonathan Nickelの3人組で、2012年の11月には教会の野外集会場

で約3週間をかけて作曲・録音されたEP盤がリリースされた。その中の1曲、「オオカミのような喚

き」はBest Indies Rock Playlists(http://www.birp.fm/)によって2012年12月に取り上げられ、2012

年のベストプレイリストに選ばれている。

BeachHouse(アメリカ)、Fanfarlo(ロンドン)、Tame Impala(パース)といったバンドも名を連ねており

知る人ぞ知る音楽情報配信サイトである。そして今回、現在デビューアルバムの制作の真っ最中

であるSnowbeastのフロントマン、Riun Garnerへのインタビューの機会を得た。

―こんにちは、Riun。やあ。

―今どのような活動をしていますか?

ちょうど今2013年にリリースするアルバムを手がけてるとこなんだ。今僕たちがやってきたものがどんなものになるのか本当に楽しみなんだ。

―最近聴いている音楽はありますか?

僕はバンクーバーであるミュージカルでの仕事のために『春のめざめ』っていうサウンドトラックを聴いているよ。Braydenはカントリーミュージックをたくさん聴いてる。

―今の時期のブリティッシュコロンビア州はどうですか?

Twilightって映画を観たことある?例えるなら年中あんな感じだよ。

―Snowbeastの由来は??

シンガー・ソングライターのLuke Templeのアルバム“Snowbeast”が僕らを結びつけた。馬のひづめを固定する糊のようにくっつけて離さないんだ。

―バンドは何人ですか?そして皆さん年齢はおいくつですか?

まず断っておくけど、カナダでは年齢を聞くことは失礼に値するんだよ。けどどうしても知らなくちゃいけないって言うのなら、21歳から25歳の若者とだけ言っておくよ大変失礼な質問をごめんなさい。許してあげるよ。

―バンドの音楽はどういうものですか?

うーん、僕たちにとってジャンルに当てはめるのは難しいね。プロジェクトは音楽という手段での全く新しいはけ口だから。まるで一日中おとなしく授業を受けている子供が気持ちを抑えられなくなった状態だね。

―いつ音楽制作を始めましたか?

2010年に結成して、それからは僕の両親の家の地下室でセッションしてるんだ。

―あなたの声は低くかなり陰気ですが、Nick Cave、Tom Waits、The Nationalsといったアーティストはあなたのサウンドに影響しましたか?

彼らはアメリカのロックバンドThe Monkeysにいないよね?もしいたならイエス、いなければ違うね。

―オーストラリアについて何を思い浮かべますか?滞在したことありますか??

実はBraydenの家族はオーストラリア出身で、彼のおばあちゃんはToowoombaで生まれ育ったんだ。僕たちバンドメンバーは誰も行ったことがないけれど。

―将来的に来豪公演の予定はありますか?

いつも訪れたいと思っているよ。Braydensの源流だからね。

―音楽業界の現状についてはどう思いますか?また今後5年間でどこに進出すると思いますか??

今ちょっと型にはまっている状態かもしれない。僕らは少しでもその型から抜け出せればと、それが良いことではないけど、新しい音楽を探している人たちに見つけてもらって気に入ってもらえたらなと。

―ブリティッシュコロンビアの音楽シーンっはどんな様子ですか?

僕たちはちょっと今のシーンには飽き飽きしているんだ。ある一面では、フェアトレードカフェでバリスタのバイトしていて、ボロボロのカーディガンを着た菜食主義者で新しもの好きの奴らが家でショーを披露する。ギターを片手に、手足をよじらせながらおばあちゃんの家にありそうなランプのそばでね。一方で別の面では、気取ったポップバンドが教会で演奏しながらチケットを売っている。子供たちにあり得ない値段で。軽く膝を曲げたりしてこれは踊りなんだとか言って。そろそろ計画を練って、どうでもいいことを薙ぎ払って新しいことを始めないきゃね。革命さ。

―わかりました。一つこれだけは自分の人生でなくてはならないというアルバムを選んでください。

Riun: うーん、Chad Van GaalenのSoft Airplaneかな。Brayden: 僕はBright EyesのI’m Wide Awake And its Morningだね。

―もしあなたがどこかのバンドやアーティストのツアーに参加できるとしたら?現在活動中でなくても結構です。

Will SmithとDJ Jazzy Jeff、全盛期のSpice girls、そしてJustin Beiberは欠かせないなあ。

―目標などについてですが、最後に一つに絞るのといろんな方向を伸ばすのとではどちらがいいですか?

よく考えた末に僕たちは一つに絞ることに決めたんだ。一つに絞ることで集中することができるだろう。

文:Nathanael Rice

訳:Yuzo Hamada

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SOCIAL PROFILE

UPSIDE NEPAL - A LOT MORE THAN JUST THE HIMALAYAS -

ネパールは世界で最も冒険の眠る国だ。ヒマラヤ以外にも多くの見所がある。ネパールは歴史と文化が深くしみ込んだ国であり、つい最近激しい市民戦争から脱し、最貧国からも脱却するために風土的な貧しさと教育の悪さ、医療面と衛生面と田舎のインフラの水準の低さに向き合っている。

アップサイドネパールはネパールの幾つかの最貧地域で農業を営んでいるパース拠点の非営利のコミュニティだ。アップサイド活動について「ソーシャルビジネス」と称し、村々と環境的にそして財政的に持続可能な開発モデルの創作と、活動拠点の村に応酬するだけでなくコミュニティ自身がプロジェクト運営できる様にすることにも重点を置いている。

アップサイドの管理者であり創設者のCalum Foulnerは19歳の頃にネパールの孤児院で6週間働いた後に組織を作り上げた。ネパールの孤児院への補助が必要だと感じたFoulnerは、パースに戻り資金集めを開始したが、ただ資本を送ることは問題に絆創膏を貼るだけで問題の解決にはならないことを知った。

ネパールの貧困と教育問題に挑戦したくなったFoulnerは、僻地での社会問題を解決するために同じ意志を持つ者達と集結した。2009年にアップサイドの最初のプロジェクトは発足し、Mustang地域の辺境の村Ghillingの子供達に下宿を建てた。

それからアップサイドはGhilling村のコミュニティ主体のりんご園と用材林に投資し、現在はKaski地方のMakaikhola村のプロジェクトを見据えている。アップサイドはFoulnerと彼のチームが「アップサイド持続可能モデル」と呼ぶモデルに基づいている。これは寄付された全てのお金が、いなかのコミュニティにおける農業プロジェクトに投資されるシステムを意味する。

プロジェクトから得た利益はコミュニティの食料確保、雇用、給料、トレードや社会インフラにあてがわれている。持続可能性と開発のサイクルの継続により、利益の20%は別の村での新たなプロジェクトに使用される。2012年には、西オーストラリア州のAmusé、Nobu、Studio Bistro、Pata Negra、Rockpool Bar & Grill、Rochelle AdonisやGreenhouseを含むベストシェフとベストレストランの110のレシピをフィーチャーした料理本「Forage」の出版も果たした。

この料理本は全てボランティアにより作られ、利益は全てネパールのプロジェクトに使われることが保証されている。アップサイドの献身的なチームはパースとネパールにあり、ネパールの村民もプロジェクトに参加している。Foulnerは今のところ3つのグループ間の繋がりと協調が最大の成果だと言う。2012年に8ヶ月間ネパールで過ごし12月にパースに戻った時、メンバー達は我々全てよりももっと大きいものを生み出していたんだとFoulnerは気づいたという。

これからの5年でアップサイドは現行のプロジェクトを統合し、持続可能モデルを他の村にも適用していく。他の非営利団体やNGOが共同したくなる組織の組み立てや、アップサイドの開発モデルを他の国にも拡張することをFoulneは長期的な視野で考えている。

文:Katie Moore訳:Ryo Sasaki

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ALL DRESSED UP&NOWHERE TO GOPhotographer: Daniel Kwabena CraigFashion Editor & Stylist: Ysabel Tang

Models: Lydia Taylor and Lauren Bennett from New Age Modelling Hair & Make Up: Krystal Elise Okey from Krystal Cuts and Beautifie

Assistant Stylists: Holly Reedman, Isabella Depiazzi and Jos Bartlett

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(LADIE POISE)

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文:Ciaran Johns訳:Seitaro Shinagawa写真:Daniel Craigデザイン:Takamichi Nakanishi

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-簡単に自己紹介をお願いします。

現在27歳でマンジュラに住んでいます。スケボーは16歳の時に始めました。

-スケボーを始めるきっかけは何でしたか?そしてどれぐらいやっていますか?

もう10年以上ですね。学校で友人たちと滑り始めて、それが楽しくて今でも続けているんです。

-好きなスケートボーダーは誰ですか?

難しいですね。(笑) 友人たちと滑ることは間違いなく大好きですし、彼らがいちばん刺激を与えてくれます。地元マンジュラの…たぶんポール・ロドリゲスかしら。

-スケボーのワークショップを運営されていますが、どんなことを行なっているのですか?

子どもたちに滑り方を実際に教えています。ピール地域をはじめ都市部でも行なっています。子どもたちのレベルに合わせて、滑り方の基礎を教えて楽しむのが目的です。そして大きめの子どもたちのためにちょっとした大会をやる。さらに夢中になって、外に出てアクティブに滑る…とても素晴らしいですよ。

-今年のはじめにデンマークで行われたYMCA Drug Aware Skate Competitionの女性部門で優勝されてますが、そのことについてお話いただけますか?

ただそこに出向いて滑っただけだと思っています。女性はそんなに多くないし、そんなに偉業というわけではないですね。私の親友の息子がスケボーをやっているので連れて行きました。彼はまだ11歳なので、ただいろんな大会に連れて行っているだけなんです。他にマーガレットリバーの大会にも行きましたが、現場に参加して楽しめればと。もし大会で競うのであればトリックをしたりスタイルを意識したり速く滑ることなんかが必要ですけどね。

-スケートボードは他のスポーツに比べて男女とも楽しめるスポーツでしょうか?

ラグビーなんかに比べれば女性は多いでしょうけれど、ハマるのは一部のタイプだと思います。私のクリニックで女の子が興味を持って来てくれることはとても嬉しいですね。誰でも夢中になれるんですが、男の子たちの輪の中でも楽しめなければいけません。女の子は多くないですからね。私はスケボーをやってきて、女の子と一緒に滑ったことはほとんどないです。男の子とばっかりでした。

-スケボーをしていないときは何をしていますか?

ムエタイをしていて、それに大半の時間を費やします。それに子供が二人いるのでそれも時間を取られますね!

-その他にスケボーで達成したことは何かありますか?

スケボーをしてお金を得たことです。スケボーのおかげであちこち飛び回って、たくさんのクールな人たちにも会えました。以前はスポンサーがついていて、今はないんですが、無料でボードなどを提供してもらえたり、いろいろ助けてもらいました。それにワールドカップに行き、たくさんのプロと知り合えました。

-今後の夢は何ですか?

現在は若いスケーターたちのために自分のクリニックに集中しています。もちろん、以前のようなレベルではないにしても自分が滑ることは大好きですが、スケボーに携わり恩返しをしたいと思っているんです。

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HP http://www.matsunohitomi.com  MAIL [email protected]

メールの返信は2営業日頂く場合がございます。

イラスト ・ 漫画 ・ 似顔絵等、 様々なニーズにお応えするマツノヒトミと申します。

MATSUNOHITOMIILLUSTRATION

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Clothing: Yellow Striped Dress, McQueen Jacket, from Retro Safari

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答えは”30”です。―この答えに対する質問を聞けば顔をしかめることになるでしょう。「毛皮のジャケットを作るのに、何匹の猫が必要ですか?」 低俗でタチの悪い冗談じみた質問です。しかし残念ながら冗談でもイディオムでも格言でもありません。それは現実なのです。世間一般の人は、いつも膝を暖めてくれる愛おしい猫が、肩から背中にかけて息もなくうなだれているという事実を受け入れることに苦しむはずです。消費者は、犬や猫の毛皮の輸入が禁止されているEU諸国やアメリカのように、オーストラリアについては除外視するでしょう。しかしながら現実は、犬と猫の毛皮の輸入は連邦法で禁止されているものの使用自体は法律でも条例でも全く禁止されていません。また、アジア諸国(特に200万匹の犬と猫が毎年殺されている中国)から輸出された犬や猫の皮が、故意にキツネやウサギ、ミンクなどと表示、または無表示で売られているということが国際的な調査で明らかになったのです。 確かに、もしそれが犬の毛皮から作られたと知れば、普通のオーストラリア人消費者は、豪華な毛皮ベストがかなりグロテスクに見えるでしょう。 このことはまた別の疑問を引き起こします。なぜ犬や猫の毛皮の使用と、他の動物の毛皮の使用が道徳的に不均衡なのか? ある動物の毛皮のための屠殺に反対するのに、別のある動物は屠殺するのか?これに対しての反論は、家畜の保護から害獣の再利用、人間の必要性にまで及ぶものの包括的には説明できていません。牛も家畜ですが、その皮は革として使われます。特定の毛皮を認めることで害獣

を撲滅できるとしたら、なぜ毛皮業界によってその種が畜産されているのか。おそらく、毛皮使用についてのもっと強い討論が必要なのでしょう。

 毛皮の使用は人類の歴史において深く根付いていますが、もう関係ありません。記録上最古の時代から、人類は生き抜くためにやむを得ず使ってきました。初期の文明では、主に食肉として屠殺した動物の毛皮や皮革を副産品として、衣料品や装飾品の材料に。毛皮はなめされ、住宅や船舶の継ぎ目革、また液体の運搬のための容器としても使われました。中世期には、レザークラフトがターン式と靴の継ぎ目革の発明を導き、紙が一般的になる前は書き物の媒体としてパーチメント(羊皮紙)が使われていました。その後もイヌイットやサーミ人(スカンジナビア半島北部ラップランドおよびロシア北部コラ半島に居住する少数民族)のような多くの原住民族や土着の文化では、その有用性や耐久性、絶縁性のために毛皮を使い続けてきた一方、安価な材料や織物が発明され一般で使われることは少なくなりました。しかし時代の変わり目に、エキゾチックな、猫やキツネの毛皮の衣服が社会的地位や裕福さ、高潔さと同義の高級アイテムとなり、特権階級以外では特に寄生虫や害虫を防ぐといった場合に使われました。また、王族の衣服の裏地に使われるようになり、特別感と価値を増加させていきました。

 60年代に動物の権利運動が活発になった時に初めて毛皮は好ましくないものとなり需要が落ちました。この流れは、ナオミ・

キャンベルやシンディ・クロフォードなどの有名人やスーパーモデルが毛皮の使用を反対するPETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)に賛同して運動を行った90年代前半まで続きます。しかし90年代後半までに、特に中国とロシアでは、技術発展や可処分所得の増加によって毛皮に対する風潮が転換し始めました。1998年から2005年にかけて毛皮の国際的な売り上げは7年連続で上がりました。 国際毛皮連盟(IFTF)が出した数字によると、国際的な毛皮の売上げが2010/2011年の会計年度で7%伸び、150億USドルにまで達したことが明らかになりました。IFTFの最高責任者Mark Oatenは説明します。「現在の経済情勢では、この数字は驚愕的だ。これはデザイナーと消費者が、この美しくて長持ちする天然の製品との情事を続けている事を示している。最新のオークションにおける価格が最高値を打ち出しているので、間違いなく来年もさらに強い成長になる。消費者が長期的に贅沢品に投資するので、メーカーは品質を追求するため増資する用意ができている。」

 過去10年間、世界の毛皮の売上げはアジア市場での大幅な増加により70%増加しました。今日、中国は毛皮の世界最大の生産者です。中国では、毛皮工場で動物を虐待してもペナルティーが全くありません。 世の中の毛皮の85%は、檻の中で育てられた動物のものです。 PETAによると、他の徹底的な監禁型の牧場のように、毛皮工場の運営は、常に動物を犠牲にし利潤を極大化するように設計されているというのです。毛皮を傷つけないために、野生で捕まえたり毛皮工場で育てられた動物は、肛門や膣に電極を入れて感電させられたり、溺れさせられたり、毒を飲まされたり、ガス処理されたり、そして時には殴り殺されます。悲しいことにこの方法は100%いつも効果的ではなく、目覚めてしまい、生きたまま皮を剥がれる動物もいます。オー

ストラリアでは、ワニが純粋に食肉産業の副産物として革が生産される唯一の動物です。 残念ながら、これは世界で毛皮のために死ぬ5000万体の動物にはほとんど当てはまりません。

 世界の毛皮業界は、毛皮が環境的で生物分解可能、オーガニックで自然のものであるといいます。しかし実際のところ、毛皮生産は環境を破壊します。なぜならファーコートの生産には、フェイクファーコートの生産の20倍ものエネルギー量が必要なのです。その上、農場で育てられた動物から放出された排出物が、周囲の生態系へ影響を及ぼす有機リン化合物を大量に発生させます。仕上げで防腐のために使われる化学物質が水質汚染を引き起こす場合があるので、実際には生物分解可能でないことを意味します。環境的にも倫理的にも良い買い物をしていると消費者に信じさせる毛皮販売業者の誤った主張です。そういった現実にもかかわらず、世界の毛皮業界は人気上昇を楽しんでいるように見えます。我々ができることは、衣服の製作技術における進歩とフェイクファーなど持続可能な代替品の供給を望むだけです。

答えは "30" です。この答えに対する質問を聞けば顔をしかめることになるでしょう。 「毛皮のジャケット

を作るのに、何匹の猫が必要ですか?」 低俗でタチの悪い冗談じみた質問です。

しかし残念ながら冗談でもイディオムでも格言でもありません。 それは現実なので

す。 世間一般の人は、 いつも膝を暖めてくれる愛おしい猫が、 肩から背中にかけ

て息もなくうなだれているという事実を受け入れることに苦しむはずです。 消費者

は、 犬や猫の毛皮の輸入が禁止されている EU 諸国やアメリカのように、 オースト

ラリアについては除外視するでしょう。 しかしながら現実は、 犬と猫の毛皮の輸入

は連邦法で禁止されているものの使用自体は法律でも条例でも全く禁止されてい

ません。 また、 アジア諸国 ( 特に 200 万匹の犬と猫が毎年殺されている中国 ) か

ら輸出された犬や猫の皮が、 故意にキツネやウサギ、 ミンクなどと表示、 または無

表示で売られているということが国際的な調査で明らかになったのです。 確かに、

もしそれが犬の毛皮から作られたと知れば、 普通のオーストラリア人消費者は、 豪

華な毛皮ベストがかなりグロテスクに見えるでしょう。

 このことはまた別の疑問を引き起こします。 なぜ犬や猫の毛皮の使用と、 他の動

物の毛皮の使用が道徳的に不均衡なのか ? ある動物の毛皮のための屠殺に反対

するのに、 別のある動物は屠殺するのか?これに対しての反論は、 家畜の保護

から害獣の再利用、 人間の必要性にまで及ぶものの包括的には説明できていま

せん。 牛も家畜ですが、 その皮は革として使われます。 特定の毛皮を認めること

で害獣を撲滅できるとしたら、なぜ毛皮業界によってその種が畜産されているのか。

おそらく、 毛皮使用についてのもっと強い討論が必要なのでしょう。

 毛皮の使用は人類の歴史において深く根付いていますが、 もう関係ありません。

記録上最古の時代から、 人類は生き抜くためにやむを得ず使ってきました。 初期

の文明では、 主に食肉として屠殺した動物の毛皮や皮革を副産品として、 衣料品

や装飾品の材料に。 毛皮はなめされ、 住宅や船舶の継ぎ目革、 また液体の運搬

のための容器としても使われました。 中世期には、 レザークラフトがターン式と靴

の継ぎ目革の発明を導き、 紙が一般的になる前は書き物の媒体としてパーチメン

ト ( 羊皮紙 ) が使われていました。 その後もイヌイットやサーミ人 ( スカンジナビア

半島北部ラップランドおよびロシア北部コラ半島に居住する少数民族 ) のような多

くの原住民族や土着の文化では、 その有用性や耐久性、 絶縁性のために毛皮を

使い続けてきた一方、 安価な材料や織物が発明され一般で使われることは少なく

なりました。 しかし時代の変わり目に、 エキゾチックな、 猫やキツネの毛皮の衣服

が社会的地位や裕福さ、 高潔さと同義の高級アイテムとなり、 特権階級以外では

特に寄生虫や害虫を防ぐといった場合に使われました。 また、 王族の衣服の裏地

に使われるようになり、 特別感と価値を増加させていきました。

 60 年代に動物の権利運動が活発になった時に初めて毛皮は好ましくないものと

なり需要が落ちました。 この流れは、 ナオミ ・ キャンベルやシンディ ・ クロフォード

などの有名人やスーパーモデルが毛皮の使用を反対する PETA (動物の倫理的

扱いを求める人々の会) に賛同して運動を行った 90 年代前半まで続きます。 し

かし 90 年代後半までに、 特に中国とロシアでは、 技術発展や可処分所得の増加

によって毛皮に対する風潮が転換し始めました。 1998 年から 2005 年にかけて毛

皮の国際的な売り上げは 7 年連続で上がりました。 国際毛皮連盟 (IFTF) が出し

た数字によると、 国際的な毛皮の売上げが 2010/2011 年の会計年度で7%伸び、

150 億 US ドルにまで達したことが明らかになりました。 IFTF の最高責任者 Mark

Oaten は説明します。 「現在の経済情勢では、 この数字は驚愕的だ。 これはデザ

イナーと消費者が、 この美しくて長持ちする天然の製品との情事を続けている事

を示している。 最新のオークションにおける価格が最高値を打ち出しているので、

間違いなく来年もさらに強い成長になる。 消費者が長期的に贅沢品に投資するの

で、 メーカーは品質を追求するため増資する用意ができている。」

 過去 10 年間、 世界の毛皮の売上げはアジア市場での大幅な増加により 70%

増加しました。 今日、 中国は毛皮の世界最大の生産者です。 中国では、 毛皮工

場で動物を虐待してもペナルティーが全くありません。 世の中の毛皮の 85%は、

檻の中で育てられた動物のものです。 PETA によると、 他の徹底的な監禁型の

牧場のように、 毛皮工場の運営は、 常に動物を犠牲にし利潤を極大化するように

設計されているというのです。 毛皮を傷つけないために、 野生で捕まえたり毛皮

工場で育てられた動物は、 肛門や膣に電極を入れて感電させられたり、 溺れさせ

られたり、 毒を飲まされたり、 ガス処理されたり、 そして時には殴り殺されます。 悲

しいことにこの方法は 100%いつも効果的ではなく、 目覚めてしまい、 生きたまま

皮を剥がれる動物もいます。 オーストラリアでは、 ワニが純粋に食肉産業の副産

物として革が生産される唯一の動物です。 残念ながら、 これは世界で毛皮のた

めに死ぬ 5000 万体の動物にはほとんど当てはまりません。

 世界の毛皮業界は、 毛皮が環境的で生物分解可能、 オーガニックで自然のも

のであるといいます。 しかし実際のところ、 毛皮生産は環境を破壊します。 なぜな

らファーコートの生産には、 フェイクファーコートの生産の 20 倍ものエネルギー量

が必要なのです。 その上、 農場で育てられた動物から放出された排出物が、 周

囲の生態系へ影響を及ぼす有機リン化合物を大量に発生させます。 仕上げで防

腐のために使われる化学物質が水質汚染を引き起こす場合があるので、 実際

には生物分解可能でないことを意味します。 環境的にも倫理的にも良い買い

物をしていると消費者に信じさせる毛皮販売業者の誤った主張です。 そういっ

た現実にもかかわらず、 世界の毛皮業界は人気上昇を楽しんでいるように見

えます。 我々ができることは、 衣服の製作技術における進歩とフェイクファー

など持続可能な代替品の供給を望むだけです。

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FROM THE FINESTCORNERS OF THE

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