Top Banner
1998年にアジア経済危機がインドネシアに波及、スハルト政権が倒れるとともに、スハルト体制の 下で中央集権的に進められてきた国家開発のあり方、並びに有名な5ヵ年国家開発計画(REPELITA) を30年にわたって策定・実施し、それを支えた国家開発企画庁(BAPPENAS)の役割が問われること となった。 1999年秋に就任したアブドルラフマン・ワヒド大統領はインドネシアの民主化、地方分権化の流れ を定着させるとともに、大統領令によって制定されたそれまでの5ヵ年計画に代わり、国会審議を経 て法律によって制定された新5ヵ年計画(PROPENAS:2000~2004年度)を策定し、後任のメガワ ティ大統領に引継いだが、2003年にメガワティ政権の下で導入された財政法は、財務省の権限を大き く広げ、国家開発計画とBAPPENASの役割に関しても根本的な見直しを迫るものとなった。 これに対し、BAPPENASは、インドネシア国会との調整を通じて長期計画から中期・短期計画にい たるまで国家開発計画全体をカバーする「国家開発計画システム法」を2004年に制定することに成功 し、BAPPENASの役割についても法的な保証が得られた。 この「国家開発計画システム法」はこれに留まらず、インドネシアにおける民主化、ガバナンス、 地方分権化強化の新しい動きを、開発計画作りによりシステマティックに取込んでいく契機にもなる ものと考えられる。インドネシアは1998年以来の経済停滞期を漸く脱し、再び持続的な経済発展と貧 困削減の達成に向けて、新たなコンテクストでの「開発」に取組む時期が到来している。 この意味でも、国家開発計画システム法の有効な運用と、それを支える実施体制の基盤強化がいっ そう進展していくことを期待したい。 はじめに …………………………………………167 第1章 国家開発計画システム法制定の 経緯 ……………………………………169 第2章 国家開発システム法の内容 …………171 第3章 国家開発計画システム法制定 (2004年10月)以降の動向 …………175 第4章 国家開発計画システム法のもたらす 意義 ……………………………………176 167 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の制定と その意義について インドネシアは、第2次大戦が終了して独立を 達成した当初より国家開発計画を策定してきたが (図表1参照)、初代大統領であったスカルノ時代 はまだ国家開発計画をどのように作っていくか明 確に定まっておらず、模索と試行錯誤の時代で あったと言える。 この時代は国家開発計画を作っても、インドネ シアの経済開発をリードする力は持っておらず、 計画倒れに終わった面が強かった。 こうした状況が一変するのは第2代大統領となっ たスハルトの時代であり、5年ごとの国家開発 5ヵ年計画(REPELITA : Rencana Pembangunan Lima Tahun)と25年毎の長期開発計画が継続的 に作られるようになり、それらの計画を策定し、 JICAインドネシア国家開発企画庁派遣専門家 飯島 2005年7月 第25号 はじめに
31

〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。...

Aug 03, 2020

Download

Documents

dariahiddleston
Welcome message from author
This document is posted to help you gain knowledge. Please leave a comment to let me know what you think about it! Share it to your friends and learn new things together.
Transcript
Page 1: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

 要 旨

 

 1998年にアジア経済危機がインドネシアに波及、スハルト政権が倒れるとともに、スハルト体制の

下で中央集権的に進められてきた国家開発のあり方、並びに有名な5ヵ年国家開発計画(REPELITA)

を30年にわたって策定・実施し、それを支えた国家開発企画庁(BAPPENAS)の役割が問われること

となった。

 1999年秋に就任したアブドルラフマン・ワヒド大統領はインドネシアの民主化、地方分権化の流れ

を定着させるとともに、大統領令によって制定されたそれまでの5ヵ年計画に代わり、国会審議を経

て法律によって制定された新5ヵ年計画(PROPENAS:2000~2004年度)を策定し、後任のメガワ

ティ大統領に引継いだが、2003年にメガワティ政権の下で導入された財政法は、財務省の権限を大き

く広げ、国家開発計画とBAPPENASの役割に関しても根本的な見直しを迫るものとなった。

 これに対し、BAPPENASは、インドネシア国会との調整を通じて長期計画から中期・短期計画にい

たるまで国家開発計画全体をカバーする「国家開発計画システム法」を2004年に制定することに成功

し、BAPPENASの役割についても法的な保証が得られた。

 この「国家開発計画システム法」はこれに留まらず、インドネシアにおける民主化、ガバナンス、

地方分権化強化の新しい動きを、開発計画作りによりシステマティックに取込んでいく契機にもなる

ものと考えられる。インドネシアは1998年以来の経済停滞期を漸く脱し、再び持続的な経済発展と貧

困削減の達成に向けて、新たなコンテクストでの「開発」に取組む時期が到来している。

 この意味でも、国家開発計画システム法の有効な運用と、それを支える実施体制の基盤強化がいっ

そう進展していくことを期待したい。

 目 次

 

はじめに…………………………………………167

第1章 国家開発計画システム法制定の

    経緯……………………………………169

第2章 国家開発システム法の内容…………171

第3章 国家開発計画システム法制定

    (2004年10月)以降の動向…………175

第4章 国家開発計画システム法のもたらす

    意義……………………………………176

 

167

〈特集:インドネシア〉

インドネシア国家開発計画システム法の制定と

その意義について

 インドネシアは、第2次大戦が終了して独立を

達成した当初より国家開発計画を策定してきたが

(図表1参照)、初代大統領であったスカルノ時代

はまだ国家開発計画をどのように作っていくか明

確に定まっておらず、模索と試行錯誤の時代で

あったと言える。

 この時代は国家開発計画を作っても、インドネ

シアの経済開発をリードする力は持っておらず、

計画倒れに終わった面が強かった。

こうした状況が一変するのは第2代大統領となっ

たスハルトの時代であり、5年ごとの国家開発

5ヵ年計画(REPELITA : Rencana Pembangunan

Lima Tahun)と25年毎の長期開発計画が継続的

に作られるようになり、それらの計画を策定し、

JICAインドネシア国家開発企画庁派遣専門家 飯島 聰

2005年7月 第25号

はじめに

Page 2: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

168

実施する体制も整備された。

 具体的には国家開発計画の策定は国家開発企画

庁(BAPPENAS : Badan Perencanaan Pembang-

unan Nasional)が担い*1、同計画の実施段階でも

BAPPENASは開発予算作りにイニシアティブを

発揮し、また外国援助の導入にあたって調整と実

施のモニタリングでも中心的役割を担うことと

なった。

 このための権限が大統領よりBAPPENASに付

与され、BAPPENASはインドネシアの開発と経

済発展において大きな力を振るうこととなった。

また開発計画を実施するにあたって主要な資金源

となる外国援助を円滑に導入する仕組みとして、

インド ネシア援助国グループ(IGGI : Inter‐

Gorvernmental Group on Indonesia)が1966年よ

り発足し、以後毎年、年次会合が開かれることと

なった(1992年以降はCGI(Consultative Group

on Indonesia)と改称)。

こうした開発計画の体制は、1998年に東アジアの

経済危機がインドネシアに波及し、スハルト政権

が倒れるとともに大きな変革を求められることと

なった。

 まず大統領の強大な権限により中央集権的に開

発を進めるやり方は、スハルト一族を巡る汚職問

題やファミリー・ビジネスへの国民の批判と相

俟って、より民主的で透明なプロセスを経た開発

に改めることを必要とするようになった。

 またこの一環として中央主導の開発から地方分

権を重視した開発のあり方も求められることと

なった。

 スハルト政権が倒れた後、この7年の間にハビ

ビ、アブドルラフマン・ワヒド、メガワティ、そ

して現職のユドヨノまで4人の大統領が政権に就

いてきているが、スハルト政権における副大統領

から大統領となったハビビは別として、ワヒド以

降は真の意味でポスト・スハルト政権として新た

な改革と開発のあり方を模索することとなった。

 国家開発計画の策定システムについては、これ

までそれを具体的にガイドする法律が存在せず、

個別の開発計画毎に大統領令によって決定されて

いた*2。

 しかしながらメガワティ政権下で財政法(2003

年法第17号)が制定されると、同法がこれまで

BAPPENASが所管していた開発予算も含めて、

財務省が一元的に管轄することを定め、一方で中

期支出フレームワーク(MTEF : Mid‐Term Ex-

penditure Framework)を新たに財務省が作成す

ることとなり、これがBAPPENASが策定してき

た国家開発計画との間で、整合性の上で問題を引

き起こす可能性があることが指摘されるところと

なった。

 折からワヒド政権以降、BAPPENAS不要論

や、同庁の権限大幅縮小論が政権中枢部でも議論

さ れ て い た こ と も あ り、こ と は 財 務 省 と

BAPPENASの関係やBAPPENAS自体の存在を

どう位置づけるのかという問題にまで大きくク

ローズアップされることとなった。

 結局、2003年から2004年にかけて、BAPPENAS

側で国家開発計画策定のスキーム全体に対して法

的基盤を与える国家開発計画システム法案を作り

上げ、国家審議を経て2004年10月に同法は制定さ

れることとなった。

 これにより国家開発計画制度そのものが、法的

により明確に、且つ安定したものとなり、BAPPE-

NASの立場もその時々の政治情勢によって揺れ

動くリスクが小さくなると言う意味で、ここ数年

に比べ開発計画を専門的な立場でより落着いて作

れる環境が整ったと言える。

 時あたかもメガワティ政権からユドヨノ政権に

移行し(ユドヨノ氏は2004年10月20日に大統領に

就任)、新政権は国家開発計画システムに係る新法

の下で新5ヵ年開発計画(2005年~2009年度)、新

長期(20ヵ年)開発計画、各年度の年次開発計画

が順次作られていくこととなっている。

*1  国家開発計画作りを担当する官庁としては、既に1958年に国家計画庁(DEPERNAS : Dewan Perancanaan Nasional)が設けら

れ、これが1963年にBAPPENASに改組され、今日に至っている。

*2  スハルトからハビビ政権までは、長期計画、中期計画(REPELITA)ともに大統領令によって定められていたが、ワヒドからメ

ガワティ政権にかけて実施された前回の5ヵ年開発計画であるPROPENAS(Program Pembangunan Nasional)は、初めて法

律によって定められることとなった。PROPENASが法によって定められたのは、これまで開発計画が大統領と政府によって作

られたのに対して、今後は大統領・政府側と議会側で協調して作ることを意図したものであった。

開発金融研究所報

Page 3: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

 前述のようにインドネシアは、民主化、地方分

権化、グローバリゼーション化の中で、経済開発

と貧困削減の実現等を巡って多くの課題を抱えて

いる。また開発計画と国家予算の策定等を巡って

BAPPENASと財務省の関係のあり方も未調整の

部分をいくつも残している。

 本稿では、こうした状況の下で成立した国家開

発計画システム法の導入経緯、その内容と意義に

ついて概観することとしたい。

尚、本稿の筆者は、国際協力銀行からの出向によ

り、2004年9月からBAPPENASにJICA専門家と

して勤務している(担当は援助調整・管理)。

 昨年、赴任直後の9月20日に大統領選決選投票

が行われ、翌10月20日にユドヨノ新大統領が就

任。その最中である10月5日に、メガワティ前大

統領が国家開発計画システム法に署名するなど、

赴任後次々にインドネシアで新たな展開が起きる

のを現場で見ることとなった。

 また昨年12月26日に発生した北スマトラの大

地震、大津波の災害により、特にアチェ州では甚

大な被害が生じ、2005年から開始された新5ヵ年

国家開発計画も、同地域の復興計画を織込む形で

手直しを余儀なくされている。

 インドネシアの経済開発状況と国家開発計画の

双方が現在進行形の形で変化しつつあるため、本

稿の内容そのものも、その途中における情報をと

りまとめたものに過ぎないことを予めおことわり

したい。今後の動向については次の機会をとらえ

て改めてご紹介することとしたい。

 

1.1967年から1998年までの長期にわたって、イ

ンドネシアに君臨したスハルト政権において、

BAPPENASは開発計画、開発予算と外国から

の援助を一手に仕切ってきた。

  スハルト大統領はインドネシア経済の長期的

な安定と発展を図り、第1次から第6次までの

国家開発5カ年計画(REPELITA)及び25ヵ年

の長期開発計画を通して大きな成果をあげた

が、BAPPENASはその推進において車のエン

ジンと言うべき役割を果たしてきた。

2.ところが1998年5月に東アジア経済危機のイ

ンドネシアへの波及による経済混乱の中、スハ

ルトが退陣し、依然スハルト色の強かった後任

のハビビ大統領を経て、1999年にはワヒド

(Abdurrahman Wahid)大統領が就任した。ワ

ヒド政権は、スハルト後初の総選挙の結果誕生

した政権であり、スハルト時代との決別をその

政策において色濃く打ち出した。

  スハルト時代に大きな力を振ったBAPPENAS

についても、ワヒド大統領はその廃止可能性を

検討し、その後2000年に成立したメガワティ政

権においては、BAPPENASの権限を大幅に縮

小する「国家財政法」が2003年に成立した。

 これらの一連の動きがBAPPENAS側の危機感

を大きく煽り、そのことがこの開発計画システ

ム法制定への動きにつながったと考えられる。

3.具体的には国家財政法(「国家財政」に関する

2003年法第17号(UU No.17; UU No.17/2003

tentang Keuangan Negara))は以下の諸点にお

いてBAPPENASの権限を大きく制限した。

 (1)従来BAPPENASは財務省とともに、国家

予算編成の基本となる「財政政策の基本とマ

クロ経済綱領(Pokok Kebijakan Fiskal dan

Kerangka Ekonomi Makro)を作成してきた

が、国家財政法第8条、第14条は、この綱領

の作成は財務省のみの権限となる旨規定し

た。

 (2) また国家予算の歳出は経常支出と開発支

出の2つから成り立っていたが、従来は

BAPPENASが後者の編成を担当してきた。

   国家財政法は11条の説明文において「人件

費、物品支出、資本支出、金利、補助金、無

償供与、社会援助及びその他支出から予算が

成り立つ」ことを規定し、ここにおいてBAP-

PENASが主管してきた「開発予算」という分

類は消滅することとなった。

 (3)また同法によりPROPENAS(ワヒド政権

下BAPPENASが策定した5カ年計画(対象

期間:2000~2004年度))に盛り込まれた財

政計画が同法と整合的でないとされ、今後は

新たな財政計画システムとして「中期支出フ

レームワーク(MTEF: Mid‐Term Expendi-

ture Framework)」を策定していくことと

1692005年7月 第25号

第1章 国家開発計画システム法制定の経緯

Page 4: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

なった。

   このMTEFを誰が策定するかは国家財政

法の中に明確な規定が盛り込まれているわけ

ではないが、基本的に財務省の権限と見なさ

れた。

4. 上記財政法を策定するにあたってBAPPENAS

の立場や役割についてメガワティ政権内で十分

議論調整が行われ、閣内の意志統一が行われた

とは言い難いことがすぐに明らかになった。

  すなわちメガワティ政権下においてBAPPENAS

の長官であったクイック・ヤンギー(Kwick

Kian Gie)氏は、BAPPENASの立場を代表する

形で、財政法成立に見られるBAPPENASの権

限縮小に対する動きに強く反発し*3、同法制定

後2003年5月28日のインドネシア国会第9委

員会(財政・開発計画)において「国家財政法

が成立したことによりBAPPENASの権限が著

しく縮小させられた」と述べ、国会が財政法を

改正することを提案した。

  クイック長官が国会で国家財政法の改正を求

めたのに対し、国会側は「財政法の改正という

よりも、国家開発計画に係る別個の法律制定の

方が望ましい」と反応し、クイック長官側も最

終的にはこれに同意した。

5.これによりBAPPENAS側はただちに国家開

発計画に係る新法のドラフティングを行い、こ

れに基づき2003年9月11日、国家第9委員会で

クイック長官との協議が再び行われた。

  同長官は、第9委員会が国家開発計画法案を

国会本会議に上程することを提案し、全会一致

で合意がなされた。

  これはこの開発計画法が政府による法案では

なく、議員立法による制定を目指すことを意味

したが、このことはこの件でメガワティ大統

領、ブディオノ財務大臣と、クイック長官のそ

りが合わず、閣内でこの法案をまとめるのは困

難と同長官が判断した事情があったと言われ

る。

  翌2004年2月16日、国家開発計画法案は議員

立法法案として国会本会議に上程され、国会の

全会派が同法案を審議することで合意、議会側

はメガワティ大統領に同法案審議のため政府代

表を任命するよう求めた。

  取り敢えず同年3月19日にBAPPENAS長官

が同法案審議のための調整役となることが決

まったが、政府代表はすぐには決まらなかった。

  クイック長官は関係省庁と協議の上、6月末

までには政府側の同法案に対する返答案を用意

したが、メガワティ大統領はなかなかこれに対

する決裁をせず国会審議が出来ない状況が続い

た。

  この時期の国会会期は同年7月16日迄であ

り、次の会期は9月20日の大統領選挙決戦投票*4

をはさんだ8月16日から9月30日迄であった

が、この頃同法案は審議が開始出来ないまま廃

案になるのではないかとの見方も国会内外でか

なり取り沙汰されることとなった。

6.以上のようにメガワティ大統領が開発計画法

制定に向けてなかなか腰を上げなかったことも

あり、同法の審議は新大統領選出後、新政権の

もとで改めて行わざるを得ないのではないかと

の見方が強まったが、結局8月後半からの国会

会期において、同大統領は任期最後の追込みの

ような形で多数の法案に署名し、この計画法も

ぎりぎりのタイミングにて国会審議を経て10

月5日に大統領署名を得ることとなった。

  この計画法はインドネシア共和国法2004年

第25号として制定され、正式名称は「国家開発

計画システム法」(Undang‐undang Republik

Indonesia Nomor 25 Tahun 2004 tentang

Sistem Perencanaan Pembangunan Nasional)

である。

*3  2003年3月24日付のインドネシア現地紙コンタン紙によれば、クイック長官は「BAPPENASの役割をなくすため世銀と財務省

の「企み」が行われ国家財政法が成立した」と述べ、同法制定が財務省サイドの働きかけによるものであるとコメントしたと言

われる。これに対し財務大臣であったブディオノ氏は「BAPPENASの存続に係る判断はあくまでも大統領の権限であり、特に

国家財政法との関係で問題視されるべきものではない」との見解を表明した。

*4  インドネシア史上初の直接選挙による大統領選であった。第1次選挙は2004年7月5日に行われたが、大統領を決めるに至ら

ず、メガワティ大統領とユドヨノ氏(メガワティ政権内で国防治安担当調整大臣を務めた)の間で決戦投票をすることとなっ

た。

170 開発金融研究所報

Page 5: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

  9月20日の大統領選決戦投票の結果、メガワ

ティ氏に代わりユドヨノ氏が新大統領になった

こともあり(ユドヨノ氏の大統領就任は2004年

10月20日)、この法律はユドヨノ政権の下で初め

て本格適用されることとなった。

7.国家開発計画システム法の意義については後

述するが、2003年制定の財政法において、

BAPPENASの権限、役割を制限する内容が盛

り込まれた理由としてはいくつかの要因が推測

される。その主要点を列挙すれば以下の通りで

ある。

 (1)前述のように当時多くのインドネシア国民

が、BAPPENASはスハルト政権時代の負の

遺産であるという受けとめ方をしており、ワ

ヒド、メガワティ政権がこれに乗りBAPPENAS

の抜本的改革(BAPPENAS廃止のオプショ

ンを含む)を政策の目玉の1つにしようとし

たこと。

 (2) ブディオノ財務大臣の下で財務省側の権

限 拡 大 の 動 き が 強 ま っ た こ と(従 来

BAPPENASが主管していた開発予算権限を

財務省が取り込み、同省が政府予算全体を統

轄することを目指したこと)。当時ブディオノ

氏とクイック氏の閣内における関係が必ずし

もスムーズに行かなかったこともこの点を助

長したとも思われる。

(3) 1998年以降のインドネシアの経済危機下に

おいて世銀、IMFの支援に基づきマクロ経済

安定がインドネシア政府にとって当面の政策

トッププライオリティーとなり(いわゆる「開

発プロジェクト」推進は深刻な経済危機によ

り停滞した)、マクロ経済管理に直接携わった

財務省が影響力を高めたこと。

 

  実際には以上のような要因が相互に関連し

て、BAPPENASの権限縮小に向けた動きが生

じたと考えられるが、メガワティ大統領が

BAPPENAS改革の旗手としてクイック氏を

BAPPENAS長官に任命し*5、これが結果として

BAPPENASと財務省上層部の間の緊張関係を

高め、かたや財政法が生まれ、かたや国家開発

計画システム法が生まれたというのは興味深い

ことである。

 

 

1.システム法の構成 

 ここで、2004年10月に制定された国家開発計画

システム法の内容について見ていくこととした

い。

 同法は本文とそれに添付される説明書からなっ

ているがここでは本文の規定振りについて述べる

こととする。

 本法の本文は前文の後、第10章まであり、全部

で37条がある。この章立てと各章のポイントは図

表2を参照いただきたい。

 章立ての構成としては、前文に引続き第1章が

一般規定、第2章が原則と目的、第3章が国家開

発計画のスコープ、ならびに第4章は国家開発計

画のフェーズとなっている。

 特に第4章では国家開発計画が長期・中期・短

期(年次ベース)の3段階に分けられることを規

定している(図表3参照)。

 続いて第5章は計画の策定と決定、第6章が計

画の実施コントロールと評価、第7章がデータと

情報、第8章が(開発計画実施の)体制、及び第

9章が暫定規程となっている。

 第5章では長期・中期・短期計画各々の策定と

決定のプロセスを示すとともに、第8章では国家

開発計画が大統領により進められるが、大統領の

下で直接指揮するのがBAPPENASの大臣(長

官)であることを定めている。

 第9章では新大統領選出後、長期計画決定まで

は中期計画が「上位計画」としての役割も代行す

ることが述べられている。これはユドヨノ大統領

が昨年10月に就任後、まず中期計画が本年1月に

*5  クイック氏はメガワティ氏が党首を務める闘争民主党のメンバーであり、党内でラジカルな改革を提唱するとともに、歯に衣き

せぬ発言で有名であった(同氏はオランダ・ロッテルダムのオランダ経済大学(現エラスムス大学)を卒業した華僑出身の政治

家で、民間ビジネスも経験している)。

1712005年7月 第25号

第2章 国家開発システム法の内容

Page 6: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

制定され、その後長期計画策定作業を開始したと

いう現実を踏まえたものである。

最後の結びの規程は長期・中期計画が本システム

法制定後6ヶ月以内に決定すべきことを定めてい

る。

 

2.原則と目的 

 まず本システム法前文のところで、同法がイン

ドネシアの1945年憲法(現行憲法)及び2003年の

財政法(法律第17号)に基づくことに言及してい

る。

 憲法に基づくことは当然として、財政法を踏ま

えていることを明記していることに注意がひかれ

る。これは本稿第1章及び後で述べるように、本

法と財政法の整合性確保が大きな課題となってい

るため、わざわざ規定されたものであろう。

 次にシステム法第2章(原則と目的)では、国

家開発が相互主義、公正、継続性を伴う民主的プ

ロセスであるべきことが述べられ、その際進歩と

国家統合のバランスを維持する形で、且つ環境の

保全と自治の原則によって行われることが表明さ

れている*6。

 この原則は、1998年以降のインドネシアにおけ

る民主化、地方分権化の流れや、東チモールの独

立とそれに引続くアチェ州、パプア州の独立運

動・内戦等による国家統合に係るインドネシア政

府の危機意識を反映していると言えよう。

 国家開発計画は以上の原則に基づき、システマ

ティックに、また効果的、統合的、包括的に、且

つ変化によく反応する形で作られること、国家開

発計画システムは国家統合の共通原則により実施

されることが明らかにされている。

 その上で、国家開発計画システムは;

  ①開発各当事者(ステークホールダー)間の

調整

  ②地域間、異なる時間の間、政府のさまざま

な機能間、そして中央政府と地方政府の間

の調整において、統合、同時性(シンクロ

ナイゼーション)、シナジーの創出を保証す

ること

  ③計画、予算、実施、監理の間のリンケージ

と整合性の保証をすること

  ④国民の参加の最大化

  ⑤効率的、効果的、公正さ及び資源の持続的

活用

を目的とする旨規定している。

 以上に対して、システム法が必要となる理由に

ついて、前文dでは開発の活動が効果的、効率的、

客観的に行われていくためのプロセスを保証する

こと、前文eでは計画がインドネシア共和国の目

的を達成するよう保証することを挙げている。

 

3.開発計画のタイプと階層分け 

 本システム法では前述のように、計画対象期間

による分類として長期・中期・短期の3つの開発

計画を作っていくことを定めている。

 これはスハルト時代以降の計画分類と比べて基

本的な変化はなく、システム法が法的にその仕組

みを明確に示し、よりシステマティックな形で計

画作りに対応していく体制を整えたという点に、

新法導入のポイントがあると考えられる。

このうち長期計画は20年、中期計画は5年、短期

計画は1年を対象期間としている。

 尚、スハルト時代においては、長期計画は25年

を対象期間としており(5ヵ年計画が対象期間中

5個入る長さ)、今回のシステム法により5年分短

くなったが、これは25年は長期計画としてもかな

り長い期間であり、またASEANの国々の多くは

長期計画を20年としているため、それに合わせた

ということも原因としてあった模様である。

 尚、長期計画は国会を通じて法律によって定め

ることとし、中期・短期計画は大統領令に基づい

て定めることとなった。

 例えばスハルト時代も中期計画は大統領令に

よって決定されていたが、前述のようにワヒド、

メガワティ時代に実施した5ヵ年計画(PROPENAS)

*6  本システム法、前文bでは、インドネシア政府がインドネシア人とその土地全体を保護し、公共の福祉を改善すること、国家と

して知的生活を発展させ、世界秩序の実現に向けて参加すること、また前文cでは今後の国家としての責務として、自由を安全

に維持し、国家開発を公正で民主的な方法、並びに段階的、継続的な形で行うことを述べている。

172 開発金融研究所報

Page 7: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

は法律に基づいて制定された。

 これは '99年10月の国民協議会(MPR)臨時総会

で、今まで大統領と政府が策定した5ヵ年開発計

画に対し、今後は大統領、政府と議会が協力して

策定する体制に移行することをワヒド大統領が宣

言し、従来の5ヵ年開発計画に取って代わる開発

計画を策定するための「国策大綱(GBHN : Garis

‐garis Besar Haluan Negara)に関する1999年国

民協議会決議第4号」が定められたことに伴って

とられた措置であり、開発計画策定のプロセスを

民主化し、且つ意思決定の透明性確保を目的とし

ていた。

 今回のシステム法が制定されたことにより、長

期計画以外は中期計画を含め各計画毎に法律に基

づいて制定されなくても、法的担保はとられてい

るという考えから、大統領令による制定のみでよ

いと判断されることになった。

 一方長期計画は国会により法律として制定され

るが、これは長期計画自体が国家開発の基本的な

原則・方向性を示すものであり、大統領令ではな

く法律として定めることが適当であるとの判断に

よるものであり、この結果国策大綱(GBHN)は内

容的に本システム法及び、長期計画とオーバー

ラップしている点も多いことから、不要と見做さ

れ廃止されることになった。

 国策大綱は既にスハルト時代には導入されてお

り、各5ヵ年計画毎に新たな大綱が国会により採

択されていた。同大綱は1945年憲法の下で、国家

の開発哲学、方向性、開発目的等を定めるもので、

システム法のように開発計画策定手続き全般を規

定するものではなかったが、開発計画を作成、実

施する法的基盤となっていた。

 今回国策大綱が廃止されたことは、システム法

導入に伴う大きな変化の1つである。

 

4.開発計画作りの主体 

 今次システム法で1つの重要なポイントとなっ

たのは、この法律が計画作りの主体が誰かを明記

したことである。

 すなわち中央政府の開発計画としては、BAPPENAS

の長官が長期・中期・短期の計画を作成し、他

方、地方政府の開発計画は州別に設置されている

地方開発企画庁(BAPPEDA : Badan Perencana-

an Pembangunan Daerah)が作成することが示さ

れた。

 中央政府の開発計画で見ると、システム法32条

2項では「大臣」すなわちBAPPENASの長官*7

が、大統領の国家開発計画策定をサポートするこ

とが規定されるとともに、同法第5章第1部(長

期計画)第10,11 ,12条、第2部(中期計画)第

14,15,16,18条、第3部(年次計画)第20,21,22,24

条において、すべてBAPPENASの長官がとりま

とめることを示している。

 このことは、BAPPENASの将来がワヒド政権

以降、不透明となっていたのに対し、システム法

が今後ともBAPPENASが開発計画作りを推進し

ていくことを明確に示したという点で、この法律

は単にインドネシアの開発計画を制度として法的

に裏づけを持たせたというに留まらず、同時に

BAPPENASの地位を保証する意味をもたらした

ことになる。

 他方、地方については州毎に設置されている

BAPPENASの地方版とも言うべきBAPPEDAが

地方毎にBAPPENASと同様の役割を果たしてい

くことが規定され、中央政府のBAPPENASと地

方のBAPPEDAが開発計画を策定・実施してい

く上で、よく連携していくことを求める内容と

なっている。

 尚、BAPPENAS、BAPPEDAラインで計画作り

を取り仕切るにしてもスハルト時代のように中央

から国民の各ステークホールダー、地方に対して

「押しつけ」をするのではなく、地方を含めた国民

各層、各地域の声をいかにボトムアップで吸い上

げ、中央の計画に反映させていくかが重要となっ

ている。

 システム法ではこの計画作りの民主化プロセス

の一環として、開発計画会議(Musrembang:

Musyawarah Perencanaan Pembangunan)を重

視している。

*7  システム法では「大臣(Minister)」が中央政府の開発計画を準備し、とりまとめることを規定しているが、同法の最初の方にあ

る第1章第1条22項では、この大臣はBAPPENASの長官を意味することを明記している。

1732005年7月 第25号

Page 8: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

 すなわち中央政府レベルで、各々開発計画作り

の過程で国民の各層代表が参加する開発計画会議

を開き、地方の声を直接聞き取り、調整する場を

設けることとなっている。

 当然これに要する調整のための労力と時間は大

きなものとなっているが、インドネシア政府は、

これは民主化、政府の説明責任のための必要コス

トと理解して対応している。

 

5.財政法との関係 

 前述のように2003年財政法の後に、この国家開

発計画システム法が制定されたこともあり、この

両者の関係と整合性の確保が課題となっている。

 同システム法上では、最初に前文の中で財政法

の内容を踏まえると述べているが、開発計画を

BAPPENAS中心に作り上げる体制が維持される

中、特に短期(年次)開発計画(Government

Work Plan)は政府の年度予算との関係で財務省

との調整が、年度毎のスケジュール上も、予算内

容との整合性も大切となってくる*8。

 また財政法で中期支出フレームワーク(MTEF :

Mid‐Term Expenditure Framework)が策定さ

れることとなったが、このMTEFとシステム法の

求める中期開発計画、年次計画等の関係もよく考

えられなければならない。

 すなわちMTEFは財務省が作ることとされて

いるが、対象期間は3年であり、対象期間5年の

中期開発計画とは対象期間の足並みが揃っておら

ず、MTEFが中期計画、年次計画をどのように反

映して作られるのか、そのプロセスも明確にして

いく必要がある。

 尚MTEFは2003年財政法が制定されてから2

年が経つが未だ開始されていない。これは財務省

側でMTEFを作る実施体制がすぐに出来なかっ

たこと、又システム法との関係等調整を要する課

題が多く出てしまったことに起因していると考え

られるが、財務省としては2006年度には第1次

MTEFを開始すべく、これからMTEF作りを本格

化させていくとのことである。

 

6.計画の実施コントロールと評価 

 本システム法第6章(28条から30条)は、「計画

の実施コントロール(モニタリング)と評価」の

説明にさかれている。

 実はBAPPENASが1963年に発足した当初か

ら、開発計画の策定とともにその実施コントロー

ルと評価がBAPPENASの役割と定められていた

が、実際には十分その役割が果たされてきたとは

言えない面もあった(特に評価について)。

 本システム法では、改めて計画の策定のみでは

なく、実施のコントロール・評価を計画実施機関

である中央政府各省庁・機関、地方機関が経常的

に行い、BAPPENAS/BAPPEDAがその情報を

踏まえて全体的モニタリングを行うこと、また対

象期間終了後の評価もBAPPENAS(BAPPEDA)

長官がシステマティックに行っていく旨規定して

いる。

 今後この計画、実施モニタリング評価の体制を

しっかり形作っていくこともインドネシア政府に

とり大きな課題となる。

 

7.地方開発計画 

 既に述べているように、本システム法では中央

政府の開発計画に対応して、地方政府も長期・中

期・短期(年次)の開発計画をシステマティック

に作っていくべきことを定めている。

 これは地方分権化を進展させていく上で、地方

の開発計画の体制を整備していくことが不可欠で

あるとインドネシア政府が認識していることを示

唆している。

 システム法第1章第1条23項では、州毎に設置

している地方開発企画庁(BAPPEDA)が地方計

画作りを行う機能を有している旨規定している。

 一方その実施については、地方の実施機関

(Work Unit of the Regional Government)が担う

*8  財政法では「財政政策の基本とマクロ経済綱領」の作成は財務省の専管事項としているが、システム法では年次開発計画におい

てマクロ経済プランのドラフト作成(資金計画を含む)を含めて行うことが規定されている。

   またシステム法第25条において「年次開発計画は国家予算編成のガイダンスを与える」旨規定している。

174 開発金融研究所報

Page 9: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

ことになっている。

 この場合地方政府とは、州政府、県(Regency

= Kabupaten)、都市(Kota)を意味する旨システ

ム法上で述べている。

 地方開発計画の策定はまずBAPPEDA長官が

長・中・短期の各計画ドラフトを作成、続いて各

地方実施機関毎の戦略・計画を踏まえ、内容を具

体的にした上で地方開発計画会合を開催。その結

果を踏まえてやはりBAPPEDAが計画最終版作

成を行うこととなる。

 この際、中央政府の策定する国家開発計画と十

分整合性がとれるように留意していく必要があ

る。

 計画の決定プロセスに関しては、まず長期計画

は地方議会を通して定められた地方規則として決

定される。

 一方中期計画は州・県・都市の各地方自治体の

長による規則に基づいて決定されることとなる。

 これに対して地方各実施機関の中期計画(戦

略)は各機関の長によって定められた規則によっ

て決定される。この策定プロセスにおいて、地方

政府の中期計画と内容的に調整し、整合性をもた

せることが必要である。

 また年次(短期)計画はやはり各地方自治体の

長による規則によって定められた規則に基づいて

決定される。

 中央政府の開発計画と同様に、地方の開発計画

の場合も実施中のモニタリングと、完了後の評価

作業を行う必要がある。

 各実施機関がモニタリング・評価を行うととも

に、BAPPEDAが全体のモニタリングと評価を行

うこととなる。

 地方における開発計画のタイプと策定の基本の

プロセスは、システム法上で明確に示されている

が、問題は地方が中央政府と比べて開発計画策

定・実施にあたって十分な能力、経験を有してい

ないことである。

 その問題の打開には、中央政府、特にBAPPENAS

の地方政府に対する支援が不可欠であろう。

 また民主化、分権化の結果、中央政府と地方政

府、地方政府間の調整を開発計画策定プロセスに

あたって行うことには多大な労力と時間がかかる

が、今後調整メカニズムの効率化も不可欠である。

 昨年10月に本システム法が制定されてから、具

体的な開発計画作りはどう動いてきているのかこ

こで述べることとしたい(長期、中期、短期の各

開発計画スケジュールは図表4~6を参照)。

 システム法が制定された昨年10月は、ユドヨノ

新政権発足とタイミングが重なり、且つ丁度新中

期開発計画が2005年1月から開始されるため、そ

の最終準備をすべきタイミングでもあった。

 他方新政権は100日間行動計画(昨年10月下旬

から本年1月下旬までが対象期間)の策定と終了

後の政策評価作業でも全面的に関与した。

 丁度、その最中の昨年12月末、北スマトラ(ア

チェ州・及び北スマトラ州ニアス島)の大地震・

大津波が起き、インドネシア政府はその緊急支援

対策に本年1月以降注力せざるを得なくなった

が、BAPPENASは今後5年間を対象とする復興

計画(マスタープラン)を、作業グループを設け

て策定することとなった(同マスタープランは本

年3月下旬に大統領に提出)。

 これら一連の計画策定・実施の活動は、新政権

の下でBAPPENAS長官となったスリ・ムルヤニ

氏のリーダーシップにより進められた。いずれに

せよ、長官以下BAPPENASのスタッフは昨年10

月以降極めて多忙な時を送ってきたことになる。

 中期開発計画に関しては、BAPPENASが2004

年12月末から計画案を作成開始し、その後3ヶ月

の速いスピードで作業が進み、本年1月第2週に

は同計画が大統領令により決定された。

 このようなスピードで計画策定作業が完了した

のは、既にメガワティ政権時代にBAPPENASが

新5ヵ年計画の素案を用意していたことにもよっ

ている。

 この中期計画作りのプロセス中、昨年12月には

BAPPENAS長官や担当次官がジャカルタ及び地

方(スラバヤ、マカッサル、バタム島等)におい

て地域毎の開発計画会議を実施し、中央政府とし

ての方針をステークホールダーに説明するととも

に、参加者との協議・調整を行った。

 引続き中期計画の完成を待って、本年1月の第

3週には2006年度の年次計画作りが始まった

1752005年7月 第25号

第3章 国家開発計画システム法制定(2004年10月)以降の動向

Page 10: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

(BAPPENASによる1次ドラフト作成から始ま

る)。

 これに基づき3月30日にはジャカルタのBAP‐

PENAS本庁で開発計画中央会議(Musrembang

Pusat)が開かれた。

 また開発計画全国会議(Musrembang Nasio‐

nal)は、地方における開発計画会議を経て、本年

4月27日~29日にジャカルタのBAPPENAS本庁

で開催された。

 結果として5月18日にユドヨノ大統領が2006

年度年次計画に署名(2006年度政府年次作業計画

に係る政府規則2005年第39号)、同計画策定作業

は5月中旬には予定通り完了した。

 この後息をつくまもなく、引続き2006年度政府

予算案編成作業が財務省側中心に、5月後半より

本格化している。同予算案策定作業は本年12月迄

に完成する予定である。(インドネシアの年度は暦

年ベース)。

 一方長期開発計画に関しては、システム法制定

後6ヶ月以内に制定することになっており、それ

からすれば2005年3月に計画が確定するはずで

あったが、現実には2005年6月始めの段階でまだ

同計画は制定されていない。

 現状は既にBAPPENASの準備した計画案をも

とに、全国・地方会議も開かれ、閣議を経て国会

に上程されたが、未だ国会の審議は始まっていな

いというのが実情(2005年6月始め時点)。

 長期計画は大統領令により決定される中期・年

次計画と異なり、法律として制定される必要があ

り、その分国会の動向によって制定のタイミング

は大きく左右されることにならざるを得ない。

 ただ本質的な問題が現在の長期計画策定プロセ

スに生じているわけではなく、同計画制定は時間

の問題と言えよう。

 

1.本システム法が成立するまでは、大統領令に

基づいて国家開発計画の策定作業が行われてき

ていたため、計画策定にあたるBAPPENASの

地位は必ずしも保証されたものではなかった。

  スハルト政権において、BAPPENASが大き

な権限を有して開発計画を推進していくことが

出来たのは、大統領が自ら開発計画に基づいた

政策遂行にプライオリティーを置き、BAP‐

PENASを全面的にバックアップしていたため

であった。

2. しかしながら、後任のハビビ大統領を経てワ

ヒド大統領の時代になると、大統領のBAP‐

PENASに対する庇護がなくなり、BAPPENAS

の力は急速に弱まることとなった。

  ワヒド政権、及びそれに続くメガワティ政権

下ではむしろ財務省に予算権限を集中させ、そ

の力を強化する方向性が取られた。

  これは(1)財務省とBAPPENASに予算権限

が二分されてきたことに対して(経常予算は財

務省、開発予算はBAPPENASが所管)、財務省

に予算権限を集約し、財務省が全体を管理でき

るようにしたこと、及び(2)1998年の経済危

機以降、マクロ経済管理が開発予算の遂行より

も重要な政策課題であったことにも起因してい

よう。

  また地方分権の大きな流れは、BAPPENAS

中心で中央が地方の開発を取り仕切っていくこ

とが困難となったことを意味した。

  云わばスハルト政権下に比べBAPPENASの

力が二重三重の形で殺がれることになり、

BAPPENAS内部にいる人間にとっては、自分

達の所属する組織の存在意義が問われる「組織

の危機」ともとらえられるようになった。

3. 一方、中央政府の中でBAPPENASのステー

タスが低下する中、インドネシアの開発計画を

進めるシステムが弱化することにもつながった。

  当然のことながら、中央政府の各省にはそれ

ぞれの担当分野における開発計画を作る機能が

あるが、国家の開発計画に係るグランド・デザ

インを行い、その実施モニタリングのセンター

機能を果たすことが可能な省庁はBAPPENAS

以外になく、BAPPENASの力の低下は、インド

ネシア全体としての開発計画能力低下をもたら

しかねないことになった。

  他方地方分権化が進む中、地方各州はこれま

で中央政府中心に行ってきた地方開発計画策

定・実施を自ら行わざるを得なくなった。

  しかし中央政府まかせが長く続いた地方に

176 開発金融研究所報

第4章 開発計画システム法のもたらす意義

Page 11: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

は、開発計画を進めるだけの十分な人材とシス

テムがなく、地方の開発現場にはワヒド政権以

降大きな混乱が見られるようになった。

4.既にワヒド政権下において、同政権内部では

「BAPPENASの開発計画遂行における役割を

再認識し、その建て直しに努力すべき」との意

見も出ていた*9。

  メガワティ政権下になると、さすがにBAP‐

PENAS廃止論は影をひそめたが、これまでのよ

うに援助を含め開発予算を仕切る、従来のBA‐

PPENAS型役割には疑問が呈され、BAPPE‐

NASを政府内の政策作りをサポートするシン

クタンクのような存在に変えるべきだという考

え方も根強かった。

  同政権においては、クイック・ヤンギーBA‐

PPENAS長官とメガワティ大統領、ブディオノ

財務大臣のそりがよく合わず、これがBAPPE‐

NASの将来の方向性を不透明にすることにつ

ながったとも言われる。

  以上の問題は前述のように2003年財政法が

成立した時点において頂点に達した。

5.現BAPPENAS顧問(元BAPPENAS長官)の

ジュナイディ氏は「このような大統領やBAPP‐

ENAS長官らの性格や閣内の人的関係によっ

て、その都度BAPPENASの役割や開発計画の

体制が大きく変動することは好ましいことでは

なく、今回の開発計画システム法は、インドネ

シアの開発計画システムの安定性をもたらす上

で意義は大きい」と語っている。

  要するに、今回の法律の中身自体は概ね近年

の開発計画を取り巻く体制と環境を踏襲したも

のであるが、法律化することによって、開発計

画 の 安 定 的 な 策 定 と 実 施、そ の 上 で の

BAPPENASの役割が明文化され、その円滑な

推進が可能となる道が開けてきたことに大きな

メリットがあると言えよう。

6.最後に以上に加えて今回のシステム法の意義

及び留意点として考えられるところを列挙する

と以下の通り。

 (1) 本システム法を通じて、開発計画を巡る

様々な関係機関・関係者の間でコーディネー

ションを各レベルで行うことが制度的に定め

られることにより、インドネシア国民の声が

より、計画に反映されやすい形となった。

 (2) 地方開発計画の体制はこれまで未整備の

ところが多かったが、中央政府レベルと同様

な方法で開発計画を実施していくことがシス

テム法で決められたことから、今後の地方開

発計画システムの強化に向けてよい契機につ

ながると考えられる。

 (3) 他方、中央・地方とともに多くの計画を

作っていく必要があり、そのプロセス中の調

整も含めて大きなコストがかかる。その意味

で今後手続きの効率化を考えていく必要があ

る。

 (4) 中央と地方の計画策定・実施担当機関に

おいて人材の質をさらに高めていくことが不

可欠であること。

 (5) 計画のモニタリング、及び評価を制度とし

て強化すべきこと。

 (6) システム法上の年度計画と予算の関係、財

務 省 の 作 る 中 期 支 出 フレ ー ム ワ ー ク

(MTEF)とBAPPENASの作る中期開発計画

との関係などBAPPENASと財務省の連携強

化の必要性

7.いずれにしても本システム法は2004年10月に

導入されたばかりであり、その運用面の技術的

課題と効果の把握については、今後よくフォ

ローをしていく必要がある。

  日本は援助や投資を通してインドネシアの開

発に深く関わってきており、同国の開発計画シ

ステムが円滑に動いていくことは日本自身に

とっても大きな意義があると考えられる。

  今後同国の開発の質がさらに高まるよう、開

発計画システムの実施体制に対して、日本とし

ての支援を引続き行っていくことが望まれる。

*9  ワヒド政権においてBAPPENAS長官を務めたジュナイディ氏(現BAPPENAS顧問)は、「ワヒド氏は、スハルト時代の

BAPPENASが“Super Ministry”として権力を振い、国民の間に悪いイメージが定着しているとしてBAPPENASの廃止も検討

事項として挙げていたが、閣内大臣であったブディオノ氏及び私(ジュナイディ氏)はBAPPENASの役割が引続きインドネシ

アの発展のため大きい意味を有する旨大統領を説得した」と筆者に述べている。

1772005年7月 第25号

Page 12: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

ワヒド(~2001)

図表1 インドネシアの国家開発計画

出所)BAPPENAS資料等

政権名対象期間(年度)*10

国家開発計画名(中期計画) 長期計画

1948   ~1950

3ヵ年生産計画(Kasimo Plan)

1950   ~1951

特別福祉計画

1951   ~1952

緊急工業・中小産業開発計画(Sumitro Plan)

1956   ~1960

5ヵ年開発計画

1961   ~1969

国家総合開発8ヵ年計画

1969   ~1973

第1次5ヵ年開発計画(REPELITA Ⅰ)

第1次25ヵ年 

開発計画   

(1969~1993)

1974   ~1978

第2次5ヵ年開発計画(REPELITA Ⅱ)

1979   ~1983

第3次5ヵ年開発計画(REPELITA Ⅲ)

1984   ~1988

第4次5ヵ年開発計画(REPELITA Ⅳ)

1989   ~1993

第5次5ヵ年開発計画(REPELITA Ⅴ)

1994   ~1998

第6次5ヵ年開発計画(REPELlTA Ⅵ)

第2次25ヵ年 

開発計画   

(1994~2018)  

(中止)2000   ~2004

国家開発計画(PROPENAS)

2005   ~2009

中期国家開発計画(RPJM) 長期国家*11

開発計画 (2005~2025)

 (策定中)

*10 インドネシアの年度は従来4月~3月であったが、2001年度より暦年(1月~12月)ベースに変更された。

*11 国家開発計画システム法上は、長期国家開発計画は対象期間を20年としているが、現在策定中の長期計画は2005~2025年を対象

としている。

ハビビ(~1999)

メガワティ(~2004)

ユ ド ヨ ノ (2004~)

ス ハ ル ト 

(~1998)

ス カ ル ノ 

(~1966)

178 開発金融研究所報

Page 13: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

図表2 国家開発計画システム法本文の内容(概要)

前文 第1章 一般規程(第1条) ・中央政府及び地方政府は各々長期開発計画、中期開発計画、短期開発計画を策定する。対象期

間は長期が20年、中期が5年、短期が1年とする。 ・中央政府はBAPPENAS長官、地方政府はBAPPEDA(地方開発計画庁:州毎に置かれる)長官

がそれぞれ開発計画をとりまとめることとする。 第2章 原則と目的(第2条) ・国家開発は共同、公共、継続性を伴う民主的プロセスであり、環境配慮、自治の原則をもとに

行う(進歩と国家統合のバランス)。 ・国家計画はシステマティックさ、目標設定、統合性、包括性、変化への認識を踏まえて策定す

る。 ・国家開発計画システムは国家内調整に係る共通原則に基づき設けられる。 ・同システムは、開発関与者間の調整/地域間、異なる期間の間、中央及び地方の政府間等にお

ける統合、シンクロナイゼーション、シナジーの保証/計画、予算、実施、監理の間の関係及び整合性の保証/社会参加の最適化/効率性、効果、公正、継続性によるリソース創造の保証を目的とする。

 第3章 国家開発計画のスコープ(第3~7条) ・国家開発計画は、インドネシア領土内に存在する国民生活上の全分野に係る、すべての政府機

能を実施していくためのマクロ計画を、統合的な形でカバーする。 ・国家開発計画は長期、中期、年次の各計画から構成される。このうち長期は1945年憲法に基づ

き、ビジョン、使命、国家開発目標を示す。 ・中期計画は長期計画の内容を踏まえる。同様に年次計画は中期計画の内容を踏まえる。 ・地方長期計画は国家長期計画の内容を踏まえる。また地方中期計画は地方長期計画、地方年次

計画は地方中期計画及び中央政府年次計画に基づく。 ・中央政府各省庁・機関の中期戦略計画は、国家中期計画を踏まえる。各省庁・機関の年次作業

計画は同戦略計画と国家開発プライオリティーに基づく。(地方政府機関も同様)。 第4章 国家開発計画のフェーズ(第8~9条) ・計画のフェージングは、計画策定、実施コントロール、評価の各段階からなる。 ・長期・中期計画は、ドラフト準備→開発計画会議→開発計画最終ドラフトとりまとめの流れに

より策定。 ・年次計画はドラフト準備→作業計画(Work Plan)ドラフト策定→開発計画会議→開発計画ド

ラフトファイナルの流れによる。 第5章 計画のアレンジ・決定

 ・BAPPENAS長官は長期国家開発計画のドラフトを準備、これに基づき国家開発計画会議(Musrenbang)を開く。同様にBAPPEDA長官は地方計画のドラフトを準備、これに基づき地方開発計画会議を行う。

 ・開発計画会議は政府、社会代表の双方が出席(国家計画においてはBAPPENAS長官が、地方計画においてはBAPPEDA長官が同協議の際に司会を行う)。

 ・上記開発計画会議を踏まえ、BAPPENAS、BAPPEDA長官は長期計画の最終ドラフトをまとめる。

 ・国家長期計画は法律に基づいて決定される。地方長期計画は地方規則に基づいて決定される。

第1部 長期開発計画(第10~13条)

1792005年7月 第25号

Page 14: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

 ・BAPPENAS長官は国家中期計画ドラフトを準備する。各省庁・機関各々の戦略計画を同中期計画ドラフトに基づいて作る。地方の場合も地方各関係機関とBAPPEDA長官との間で同様のプロセスを踏む。

 ・中期計画ドラフトは、中期開発計画会議で活用される。同会議にも政府と社会代表が参加する。同会議は国家計画についてはBAPPENAS長官が、地方計画についてはBAPPEDA長官が開催する。

 ・国家中期計画会議は、大統領就任後遅くとも2ヶ月内に実施する。地方中期計画は、地方の長の就任後遅くとも2ヶ月内に実施する。

 ・BAPPENAS長官は国家中期計画の最終ドラフトを上記(国家)会議に基づきまとめる。BAPPEDA長官は地方中期計画の最終ドラフトを上記(地方)会議に基づきまとめる。

 ・国家中期開発計画は大統領就任後3ヶ月内に大統領令で定める。各省・機関の戦略計画は省・機関の規則により、中期開発計画の内容を踏まえて調整の上決定する。

 ・地方中期計画は地方の長が就任後3ヶ月内に決定する。 ・地方各機関の戦略計画は、地方の規則により、地方の中期計画の内容を踏まえて調整の上決定

する。

 ・中央政府年次計画のための国家開発計画会議は4月に行う。地方政府の開発計画会議は3月に行う。

 ・BAPPENAS長官は年次開発計画ドラフトを上記(国家)会議の結果まとめる。BAPPEDA長官も地方開発計画を上記(地方)会合の結果まとめる。

 ・政府年次計画は大統領規則にて、また地方年次計画は地方の長の規則により定める。 ・長中短期各開発計画の策定方法、実施細則は政府令、地方令で定める。 第6章 計画の実施コントロールと評価(第28~30条) ・開発計画の実施コントロールは、BAPPENAS、BAPPEDA、各省・機関及び地方の実施機関

(Work Unit of the Regional Government)によって行われる。 ・開発計画モニタリング結果は各省庁・機関及び地方実施機関からBAPPENAS、BAPPEDAに

提出され、まとめられ分析される。 ・各省・機関の長が当該機関の開発計画実施評価を行う。 ・BAPPENAS/BAPPEDA長官は各省・機関の評価結果に基づいて開発計画全体の評価を行

う。 第7章 データと情報(第31条) ・開発計画は正確なデータと情報に基づくこと。 第8章 体制(Institution)(第32~33条) ・大統領は国家開発計画を組織し、且つ責任を有す。 ・BAPPENAS長官は大統領を補佐する。 第9章 暫定規程(第34条) ・長期計画決定までは中期計画の規程によること(国家・地方も) 第10章 結びの規程(第35~37条) ・長中期計画は本法制定後6ヶ月内に決定。

第2部 中期開発計画(第14~19条)

第3部 年次開発計画(第20~27条)

出所)国家開発計画システム法(2004年)

180 開発金融研究所報

Page 15: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

図表3 国家開発計画の種類

出所)インドネシア国家開発計画システム法(2004年)及びBAPPENAS作成資料

国 地  方 期 間

国家長期開発計画(RPJP)

国家中期開発計画(RPJM)

省・機関戦略計画(Renstra‐KL)

政府作業計画(ワークプラン)(RKP)

省庁・機関作業計画(Renja‐KL)

地方長期開発計画

地方中期開発計画

地方実施機関戦略計画(Renstra‐SKPD)

地方政府作業計画(RKPD)

地方実施機関作業計画(Renja‐SKPD)

20年

5年

5年

1年

1年

RPJP   RPJM   Renstra‐KLRKP   RKPD   Renja‐KL Renja‐SKPD

: Rencana Pembangunan Jangka Panjang: Rencana Pembangunan Jangka Menengah: Rencana Strategis Kementrian/Lembaga: Rencana Kerja Pemerintah: Rencana Kerja Pemereintah Daerah: Rencana Kerja Kementrian/Lembaga: Renja Satuan Kerja Perangkat Daerah(Work Unit of the Regional Government)

図表4 長期開発計画策定スケジュール

出所)インドネシア国家開発計画システム法(2004年)及びBAPPENAS作成資料

タイミング 活  動 開発計画システム法

システム法制定後

6ヶ月以内

 

 

 

 

2005年3月

・BAPPENASが長期計画第1次ドラフト作成

・閣議

・開発計画会議(Musrembang)

・BAPPENASが最終ドラフトとりまとめ

・閣議

・国会上程・法律審議

 国家長期開発計画確定

10条(1)

11条(1)(2)

12条(1)

13条(1)

 

 

図表5 中期開発計画策定スケジュール

出所)インドネシア国家開発計画システム法(2004年)及びBAPPENAS作成資料

タイミング 活  動 開発計画システム法

2004年10月第4週~

同 年11月第1週

2004年12月第4~

2005年1月第1週

・BAPPENASが中期計画第1次ドラフト作成

・閣議

・Musrembangの結果に基づきBAPPENASが中期開

発計画とりまとめ

14条(1)

 

18条(1)

 

2004年11月第2週

 

2004年11月第3~4週

 

2004年12月第1週

 

2004年12月第2~3週

 

・中央政府省庁・機関及び地方政府に提出

 

・中央政府省庁・機関及び地方政府中期戦略計画作

・BAPPENASが中央政府省庁・機関及び地方政府作

成の計画をもとに最終ドラフト作成

・国家中期開発計画会議(Musrembang)を招集

 

15条(1)

 

16条(1)(2)(3)

 

2005年1月第2週

 

・中期開発計画最終ドラフト閣議

・大統領令により確定

19条(1)

 

2005年1月第2~3週~

 

・中期開発計画をもとに年次開発計画(RKP)ドラフ

ト作成開始

20条(1)

 

注)

1812005年7月 第25号

Page 16: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

図表6 政府年次(開発計画)作業計画(2006年度分) (Government Work Plan(RKP))

出所)インドネシア国家開発計画システム法(2004年)及びBAPPENAS作成資料。

タイミング 活  動 法律(開発計画システム法他)

2005年1月

第2~3週

・BAPPENASがRKP第1次ドラフト作成

 中央政府・地方政府に資金計画指示20条(1)

2005年2月

第1週

2005年2月

第2週

・RKPドラフト閣議

 

・国家開発プライオリティー策定

 

PP21/2004*12

及びRKP‐KL9条(1)

2005年2月

第3~4週

・省庁側作成の年次計画をBAPPENASに提出

 

・BAPPEDA(地方開発庁)RKPD作成

・分権化活動及び州知事による調整

・PP21/2004

 及びRKP‐KL9条(2)

・開発計画システム法

 20条(2)及び32条(4)

2005年3月

第1週

 

 

・各省庁・機関年次計画(Renja‐KL)とりまとめ

 

・RKPドラフトの整合性確保

・分権化の支援活動

・PP21/2004

 及びRKP‐KL9条(3)

 

 

2005年3月

第2週

・BAPPENASがRKP第2次ドラフト作成

 

2005年3月

第3週

・国家開発計画中央会議

 (Musrembang‐Pus)

・PP20/2004

 RKP6条(1)(2)

2005年3月第4週~

 同年4月第2週

2005年4月

第3週

・国家開発計画地方(州)会議

 

・RKP第3次ドラフト

 

同上

 

同上

 

2005年4月

第4週

・国家開発計画全国会議

 (Musrembang‐Nas)

同上

 

2005年5月

第1週

・RKP最終版作成

 

開発計画システム法24条(1)

 

2005年5月

第2週

 

 

 

 

・RKP閣議、財政政策・マクロ経済フレームワークと

の調整

2005年17号法(8)

 

*12 PP21/2004: Peraturan Pemerintah(PP:政府令)2004年第21号

 RKP最終ドラフト作成、大統領に提出

 

 共通政策、国家予算プライオリティーに係る協議

 

開発計画システム法24条(1)

 

・PP20/2004

・RKP7条(2)

182 開発金融研究所報

Page 17: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

1832005年7月 第25号

(参考)インドネシア開発計画システム法(英語訳版)

Page 18: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

開発金融研究所報184

Page 19: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

1852005年7月 第25号

Page 20: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

開発金融研究所報186

Page 21: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

1872005年7月 第25号

Page 22: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

開発金融研究所報188

Page 23: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

1892005年7月 第25号

Page 24: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

開発金融研究所報190

Page 25: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

1912005年7月 第25号

Page 26: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

開発金融研究所報192

Page 27: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

1932005年7月 第25号

Page 28: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

開発金融研究所報194

Page 29: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

1952005年7月 第25号

Page 30: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

開発金融研究所報196

注)本英語訳はBARPENASが行った。

Page 31: 〈特集:インドネシア〉 インドネシア国家開発計画システム法の … · な改革と開発のあり方を模索することとなった。 国家開発計画の策定システムについては、これ

<参考文献>

[和文文献]

JICA(2000)第4次インドネシア国別援助研究会

報告書(2000年11月)

JICA(2001)国家開発計画(PROPENAS)2000

~2004年(邦訳版)(2001年8月)

JICA(2004)Tokyo Seminar on Indonesia 2004

報告書(2004年6月)(Prastetijono Widjojo

MJ BAPPENAS次官プレゼンテーション

資料‘National Development Policy and

the Role of CGI’)

JBICジャカルタ駐在員事務所(2004)議会での審

議が始まらない国家開発計画法案(2004年

7月)

JBIC開発金融研究所(2003)インドネシア中央政府

財政と政府債務の持続可能性(2003年12月)

 

[英文文献]

BAPPENAS(2004)Law of the Republic of In-

donesia Number 25 of 2004 on the Nation-

al Development Planning System

BAPPENAS(2004)Undang‐undang Sistem

Perencanaan Pembangunan National(BA‐

PPENASにおける国家開発計画システム法

説明会パワーポイント資料)(2004年10月)

BAPPENAS(2005)Rencana Pembangunan Ja‐

ngka Menengah Nasional(2005年1月制定

の中期国家開発計画書(2005~2009))

インドネシア政府(1991)Pembangunan Pemerintah

Orde Baru 25 Tahun(新秩序政府開発25年)

BAPPENAS(2002)National Development Plan‐

ning Board(BAPPENAS)(BAPPENAS紹

介パンフレット)

インドネシア政府(2005)Peraturan Presiden

Republik Indonesia Nomor 39 Tahun 2005

tentang Rencana Kerja Pemerintah Tahun

2006(「2006年度政府作業計画」大統領令

2005年39号)

BAPPENAS(2003, 2004)Kabar BAPPENAS

‘Flashback of BAPPENAS'(BAPPENAS

ニュース2003年12月号、及び2004年3月号

記事)

1972005年7月 第25号