Top Banner
地質調査所月報,第34巻第5号,p.217-239,1983 551.462(26) 瀬戸内海東部海域の地形発達史 小野寺公児* 大嶋和雄* ONoDERA,Kqli and OHsHIMA,Kazuo(1983) Geomorphological dev Seto Inland Sea・B鉱Jl。060乙3z67∂.」ψαη,voL34(5),P.217-239. Albs窃臨c重:The geomorphological development翫nd history of Lat changes in the eastem Seto Inl乱nd Sea were established through an re且ection records,bottom core samples,radiocarbon dates,and surf During the Late-Qμatemary marine transgression fbur terrac terraceislessthan-10mindepth,thesecond-15to-25m,th fburth-60to-70m.The丘rstterracehasbeenbuiltbytheabra tion along the coast under the present se翫leve1,The third is made o sediments.The fburth is composed of Late-Pleistocene marsh sedi levels are recognized fγom the bathymetry of the Inland se&namely,(1 (presentto5,000y.:B.P.),(2)一45土5m(10,000to12,000y,B.P.)and(3)一6 l6,000y。B.P。), Bathymetric charts shρw that wherever sizeable bays are sepa narrow straitsラdeep holes exist either within the narrow or adjacent t the OsakaBay(Tomogashima Channel),the deep holes have a depth o rounding submarine terrace IV(一60to-70m)which may renect the -60m&tthetimeofTomogashimaChannelfbrmation(13,000y.B. southementrancetoHarimaNada,thedeepholeattainade levelwithasinat-50mdepthimmediatelya両acenttoit。Ther tom which is-55m below sea leveL In Akashi Strait between Honsh deepholeattainsadepthof-150mbelowthesurroundingt these case,the depths of the sills and terraces may reHect the se批1ev ofthe Naruto and Akashi Straits fbrmation(8,000to11,000y』B.P.). 1.はじめに 瀬戸内海沿岸域の工場用地化は,昭和40年代に入って 急速に進み,瀬戸内海の自然海浜環境は,コンクリート 護岸壁に次々と変えられていった.この環境変化の影響 を把握し,環境保全の指針を策定するためには,自然海 浜環境を育んできた,瀬戸内海の地形発達史を解明する ことが先決課題の一つである. 筆者らは,r汚染底質調査技術の研究(産業公害特別研 究・昭和49年度一51年度)」において,瀬戸内海東部海域 をモデル海域として取り上げ,その海底地形と表層堆積 物の層厚分布調査を行った.そして,海底地形及び原地 形図1)を作成するとともに,各地形の形成史を第四紀後 期の海水準変動論の立場から検討した.その結果,本海 域の地形発達史は,友ケ島水道,鳴門海峡及び明石海峡 *海洋地質部 1)原地形とは・本海域に海水が侵入する直前の地形をいう.すなわ ち,堆積域では,b層の基底深度を結んだ地形であり,浸食域では 現海底地形が相当する.完新統基底地形図にほぼ同じ. の形成順序に支配され,海峡形成時の海水準は,海峡部 に発達する海釜の地形的特徴から読みとれることが判明 した.本論文では,原地形面と,それを浸食する海釜地 形の形成順序から,瀬戸内海東部海域の地形発達史につ いて述べる. 瀬戸内海に分布する海釜の成因については,2っの対 立する見解がある.その1つは,矢部・田山(1934),桑 代(1959),茂木(1963)及び大嶋(1980)が主張する潮流浸 食説である.他の1つは,星野・岩淵(1963)が主張する 旧河床の残存地形とするものである.その形成時期につ いては,縄文早期以後現在まで引続いているとする説 (茂木,1963),または,大阪湾の一70m以深に達する海 釜(友ケ島水道)は,完新統下部の堆積中もしくは,それ 以後の低位海水準時とする考えがある(藤田・前田, 1969).星野・岩淵(1963)は,海釜地形をウルム氷期最 低位海水準時の河床底の埋積残りであると考えている. 筆者らは,本海域に発達する海釜は,最低位海水準時以 降の海水準上昇過程で,形成されたものと考える. 一217一
23

瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄)...

Jul 10, 2020

Download

Documents

dariahiddleston
Welcome message from author
This document is posted to help you gain knowledge. Please leave a comment to let me know what you think about it! Share it to your friends and learn new things together.
Transcript
Page 1: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報,第34巻第5号,p.217-239,1983 551.462(26)

瀬戸内海東部海域の地形発達史

小野寺公児* 大嶋和雄*

ONoDERA,Kqli and OHsHIMA,Kazuo(1983) Geomorphological development in the eastem

   Seto Inland Sea・B鉱Jl。060乙3z67∂.」ψαη,voL34(5),P.217-239.

Albs窃臨c重:The geomorphological development翫nd history of Late-Q罫atemary sea level

changes in the eastem Seto Inl乱nd Sea were established through analyses ofcontinuous seismic

re且ection records,bottom core samples,radiocarbon dates,and surface topography.

   During the Late-Qμatemary marine transgression fbur terraces were fbrmedl the癒st

terraceislessthan-10mindepth,thesecond-15to-25m,thethird-40to-50m,andthe

fburth-60to-70m.The丘rstterracehasbeenbuiltbytheabrasionandthesecondbydeposi-tion along the coast under the present se翫leve1,The third is made of early Holocene marine

sediments.The fburth is composed of Late-Pleistocene marsh sediments.Three standing sea

levels are recognized fγom the bathymetry of the Inland se&namely,(1)the present sea leve1

(presentto5,000y.:B.P.),(2)一45土5m(10,000to12,000y,B.P.)and(3)一60±5m(14,000to

l6,000y。B.P。),

   Bathymetric charts shρw that wherever sizeable bays are separated fをom the se&by

narrow straitsラdeep holes exist either within the narrow or adjacent to them。In the entrance of

the OsakaBay(Tomogashima Channel),the deep holes have a depth of-120m below the sur.

rounding submarine terrace IV(一60to-70m)which may renect the past sea level ofabout

-60m&tthetimeofTomogashimaChannelfbrmation(13,000y.B.P.)。lnNarutoStraiちthe

southementrancetoHarimaNada,thedeepholeattainadepthof-210mbelowpresentsealevelwithasinat-50mdepthimmediatelya両acenttoit。Thereisalsoarocksillatthebot-tom which is-55m below sea leveL In Akashi Strait between Honshu and Aw句i Island,the

deepholeattainsadepthof-150mbelowthesurroundingterraceIII(一40to-50m).lnthese case,the depths of the sills and terraces may reHect the se批1eve1(ca、一45m)at the time

ofthe Naruto and Akashi Straits fbrmation(8,000to11,000y』B.P.).

1.はじめに

 瀬戸内海沿岸域の工場用地化は,昭和40年代に入って

急速に進み,瀬戸内海の自然海浜環境は,コンクリート

護岸壁に次々と変えられていった.この環境変化の影響

を把握し,環境保全の指針を策定するためには,自然海

浜環境を育んできた,瀬戸内海の地形発達史を解明する

ことが先決課題の一つである.

 筆者らは,r汚染底質調査技術の研究(産業公害特別研

究・昭和49年度一51年度)」において,瀬戸内海東部海域

をモデル海域として取り上げ,その海底地形と表層堆積

物の層厚分布調査を行った.そして,海底地形及び原地

形図1)を作成するとともに,各地形の形成史を第四紀後

期の海水準変動論の立場から検討した.その結果,本海

域の地形発達史は,友ケ島水道,鳴門海峡及び明石海峡

*海洋地質部1)原地形とは・本海域に海水が侵入する直前の地形をいう.すなわ

 ち,堆積域では,b層の基底深度を結んだ地形であり,浸食域では 現海底地形が相当する.完新統基底地形図にほぼ同じ.

の形成順序に支配され,海峡形成時の海水準は,海峡部

に発達する海釜の地形的特徴から読みとれることが判明

した.本論文では,原地形面と,それを浸食する海釜地

形の形成順序から,瀬戸内海東部海域の地形発達史につ

いて述べる.

 瀬戸内海に分布する海釜の成因については,2っの対

立する見解がある.その1つは,矢部・田山(1934),桑

代(1959),茂木(1963)及び大嶋(1980)が主張する潮流浸

食説である.他の1つは,星野・岩淵(1963)が主張する

旧河床の残存地形とするものである.その形成時期につ

いては,縄文早期以後現在まで引続いているとする説

(茂木,1963),または,大阪湾の一70m以深に達する海

釜(友ケ島水道)は,完新統下部の堆積中もしくは,それ

以後の低位海水準時とする考えがある(藤田・前田,

1969).星野・岩淵(1963)は,海釜地形をウルム氷期最

低位海水準時の河床底の埋積残りであると考えている.

筆者らは,本海域に発達する海釜は,最低位海水準時以

降の海水準上昇過程で,形成されたものと考える.

一217一

Page 2: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

 小論を発表するにあたり,調査研究に御協力いただい

た汚染底質研究グループの青木市太郎,横田節哉,有田

正史,松本英二,木下泰正,井内美郎の各技官に対し,

深甚なる感謝の意を表する.また,調査研究に御援助い

ただいた調査船「わかしお」(375トン)の高木光夫元船

長ならびに,乗組員諸氏に衷心から感謝の意を表する次

第である.

は,海岸の屈曲が激しく,沿岸部には岩礁や瀬が点在す

る.流入河川としては,紀ノ川,有田川などがある.四

国側には吉野川が流入しており,河口前面には,沈水三

角州の張出しがみられる.この海域の最大水深は一80m

で,海底面の傾斜は,四国側に緩く,紀伊半島側に急に

なっている.

3.調査方法2.調査海域の概要

本調査海域は,瀬戸内海東部に位置する大阪湾・播磨

灘及び紀伊水道北部海域である(第1図).

 大阪湾は,北東一南西に長軸を有する楕円形の内湾で

あって,面積は約1,500km2,湾内の最大水深は一65m

である.湾の西部は,明石海峡で播磨灘に通じ,南部

は,友ケ島水道(紀淡海峡)によって紀伊水道に連らな

る.湾内に流入する主な河川としては,淀川,武庫川,

大和川などがあって,現世堆積物を供給している(第2図)。

 播磨灘の面積は,約3,400km2で,瀬戸内海では伊予

灘に次いで第2位の大きな灘である.その最深部は,灘

中央より西寄りにあって一45mである.灘の南東端に

は,うず潮で有名な鳴門海峡があって,紀伊水道に連ら

なる.流入河川としては,加古川,市川,揖保川及び千

種川などがある.

 紀伊水道北部の範囲は,和歌山県の湯浅湾と四国の小

松島とを結ぶ北緯34。線以北の海域である.紀伊半島側

海底地形の調査には,29kHz精密音響測深機(沖電気

製)を用い,海底表層堆積物層厚分布調査には,3・5kHz

地層探査機(RAYTHEON社製)を用いた.

調査は,第3図に示すように,格子状の測線を設定し

て行った.実施した観測線総延長距離は,1,564マイル

(2,897km)に達した.測線間隔は,大阪湾では約2マイ

ル(約3,700m),他の2海域では約4マイル(約7,400m)

である.しかし,播磨灘東部及び南部の海域では2マイ

ル間隔での補備調査を実施した.

 船位決定は,レーダーによって行い,10分間隔で位置

を求めた.また,測線の交点では,スミスマッキンタイ

ア式グラブ採泥器による表層試料の採泥,及び20数地点

において重力式柱状採泥器による柱状採泥を行った.

 海底地形図(第2図)は,海図No。106(大阪湾及び播

磨灘,1:125,000)上に観測資料を展開し,精密音響測

深記録から得た測深資料及び海図の水深値から作成した

ものである.原地形図(第16・17図)は,3。5kHz地層探

査記録から,表層堆積物基底の深さを求めて,描いたも

37Ni

35●

131。

133。

本鞠o

ρ

1350

播磨灘

137。

本盈州

139。E

大阪湾

拠 九州傷

伊予

ン 四 国

0

 34。N紀伊水道

耶 洋

500km

第1図調査海域位置図

一218一

Page 3: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

1逗

o

             揖保川       詑。

   /          σ      ヲ  る      建  .ρ露・豆島鯵

    欄    る

     壷一

0 10 20

Q

     72

  30km

小松島

              神戸㌦ 蔓轟候明石

            ゆ  梅

              や∠

β

淡 蓼  ./鷺一,雛鍵

   墨

  ~

      和      川

    4

第2図 瀬戸内海東部海域海底地形図

慧コ1

冴謡糾妻藁嬉

e溶課凝臨海

↑フ期蕪》濁

亜墨

Page 4: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

覆  =  工  叔  叔  一  〇

H4=ωco

ρ

小豆島

工ωひ

6

   エHlo   思

oo

=ω ω ω℃ co N H1

工ω

u H1

H1工ωH15 し」

=  =  コ=

H5

H6

H7

H8

H9

H10

Hll

工ωP

工ω

工ω

o工

Pつ工

Pco

H4

工掃\

工博ひ

P駆工

MQ

エSWl霧 工

M

工ω叔

=ゆo

 エユ= ’u  (P、0

    z 鵡      云

      ε  診縛 o。,淡     O/0路     ○〃

      S     O1島    Oz3     θワ

Kl

oら、

 04   7!! 25一一・

9   06  4δ Q  蛇

○♪Q

o8

2  0、ム

K2

lo5

    大

04

05  起

 Q雌O

0 10 20

瀕鮎・

ω

δK3

  六一     〇

K4

K5

P6

湯浅湾♪r 《ン

⑧コア採取地点O大阪湾

K紀伊水道H播磨灘SWサンドウェーフ“

  第3図 瀬戸内海東部海域測線図(SW1,SW2は第15図,St・74-5の地層分布図は第4図参照)

40km 30 20 10 0

71馴O    57111

c b

α

   α4925   b

    需

国貝國

魂レrレ

且紘

個m

m

-c

m m

泥炭質シルト國泥炭□粘土・シルト團砂囲襟

0

20

第4図 大阪湾海底の地層分布

(大嶋ほか,1975)

40

60

80m

のである.また,3。5kHz地層探査記録から得られた反

射層の同定・対比は,重力式柱状採泥器によって得た柱

状試料のデータに依った(大嶋・小野寺ほか,1975)・

4.海底地形

瀬戸内海には,瀬戸と灘とが規則的に配置されてい

る 瀬戸には,海釜という特徴的な潮流浸食地形(矢部

一220一

Page 5: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄)

・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

の平坦面が発達している.

 4。1灘の海底地形,とくに海底平坦面について

 灘の海底地形については,それぞれの海域ごとの,東一

西・南一北測線地形断面に,3・5kHz地層探査記録によ

る表層堆積物の反射層を記入した断面図(第5-10図)と,

海底地形総括図(第11-13図)によって海底平坦面を検討

した.

 その結果,海底平坦面については,浅い方から1(0~

一10m),∬(一15~一25m),皿(一40~一50m),IV(一

60《・一70m)の4面を,3。5kHz地層探査記録からは,a,

b,c,dの4層の反射層が区別できた.

 上記4層の反射層を構成する堆積物及び14C年代測定

値については,大嶋・小野寺ほか(1975)2)が記載してい

る(第4図).それによると,a層は,最大層厚35mに達

する貝殻混りの泥層で,完新統上部に対比される.b層

は,a層と連続的平行な反射ざターンを示し,最大層厚

30m前後で弱い反射層を挟在している.この弱い反射層

は,薄い砂層がそれに相当している.b層は,完新統下

部にあたる.以上,a層及びb層は海成層であり,b

層からは,マガキ(st。14,10ン820士190y。B,P。GaK一

N-K8K7調1

一一一S

、   b”1

K9

0

60

K10

 川      br、『  _  壱 IV

IV、  _ 一   _

一一K11

\、一、lV

、、一 一  『  一

K12”i

b 、ン哩K13

唖 7《.

”1

一C源ノー一

Kl4 lI

一    ↑”    一

_      一

1一

0

0

40

第6図

80

40

80

0

60

0

60

0

60

0

               60m   Oし__L」Okm

紀伊水道北部海域南一北地形断面及び地層

反射面図2)本論文では,大嶋・小野寺ほか(1975)の地層及び地形面の命名を変

 更し,地層名には小文字のアルファベット・平坦面名にはローマ数

 字を用いた.

W一一一K1

一一一一ゆE

K2

b・埋没谷

0

40

80

逗。”1

K3

0

40

80ll

K4

、”1

1” b

 brIV 号

0

0

40

80

lI

¥卜一_   b  C罫

K5

”1

clV

K6

乳b  IV

c一

40

80

0

40

                0-    Il          III~

_ζ豊 ξ、_6。m   ・一土_」・km

  吉野川沖SW-NE断面

     第5図 紀伊水道北部海域東一西地形断面及び地層反射面図

80

一221一

Page 6: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

5703)が報告されている.この両層は,完新世海成堆積

物として本調査海域全体に分布する.c層は,泥炭

(13,950土280y.B。P・GaK-5706)を挟在する陸成粘土

で,層厚は10m前後である.瀬戸内海形成以前の沼沢

地,または潟湖に堆積したもので,大阪湾の柱状試料

(st・49)では,ヌマコダキガイを採取している.c層は,

海底の浸食地形域に露出している.d層は,海釜または

沿岸部の浸食面に地層の上面のみが強い反射層として記

録されるもので,散乱反射パターンの強い記録から礫質

堆積物または,基盤岩類などが相当するものと推定され

る.

 4.1。1海底地形断面

 紀伊水道北部海域:第5・6図において,測線no・3,

14には一20m以浅の平坦な地形が発達する.この面は∬

面に相当し,吉野川河口沖に広がる沈水三角州の頂置層

にあたる。鳴門海峡寄りの翌面には,サンドウェーブが

04

W- 01 一一ElI

o膚

Q2一、一が一一~一一一}

04

ll

.、(、塾P03 ” 0 60

4

q-5イ

40

三三

” o

〇  一  一

      一甲 60

05

o

60

0

0

60

40

06 〈

,o

b 60

ll

  lV  dO7

q

0

60

lI

lV

α

08 a C

09

II

        III         bIV d     ~環__二rヨ製_とζ二‘ク

0

ノ7/

0

60

             ll       ”1     一

鼻τ._一一(

0

40

0

40

010

011

b   」」   ん 40

IV40

80

80

012

013

5W

0

80

40

5W0

80

80

O 5 10km

120m

第7図 大阪湾東一西地形断面及び地層反射面図

一222一

Page 7: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄)

発達している(測線no。14).測線no・2,9の一45~一50

mにわたってみられる凹凸の地形面は,皿面に相当する

もので,起伏に富む堆積地形面を形成する・測線no.3,

4及びno。9-11では,一60~一70mのW面に相当する地

形面がみられる.IV面は,この海域の最深部に広く発達

し,その形状は起伏が激しく,潮流浸食地形面的特徴を

示す.なお,1面に相当する0~一10m面は,この断面

図上には現われていないが,海底地形図(第2図)から

は,大部分の沿岸部に波食面として分布するのが確認で

きる.以上,本海域には4面(1一 V)の海底平坦面が識

別される.

 3・5kHz地層探査記録からは,測線no・3,6(第5図)

に層厚約10mのa層が吉野川河口沖の沈水三角州の頂置

層を形成し,その基底深度は,現海水準下約30mにあ

る.平坦面1及び豆面は,a層から形成されている.b

層は,測線no・4,6,12,13に示されるように,吉野川

河口沖の沈水三角州の底置層を形成し,層厚は約20mに

達する.また,紀ノ川河口沖(測線no・3,9)でも層厚10

m前後に達し,共に皿面を形成している.この層の基底

深度は一40~一55mを示している.c層はW面を形成

し・,沈水三角州の基底(測線no・4)部分では層厚約10m

に達するが,海底面に露出している海域では,5m以下

の薄層をなしている.d層は,3・5kHz地層探査記録で

の最下部の強い反射層であって,この海域の音響的基盤

をなす.

 大阪湾;第7・8図に示すように,本海域では,一15

~一25m(皿面)の平坦な堆積地形の発達がみとめられる

(測線no.1-9,14-20).測線no.6-10,no。17-19では,

一40~一50mの面(皿面)が発達し,堆積地形面を形成す

る.測線no.6-8,11,12,20-22には,一60~一65mの

地形面(W面)がみられ,その地形面はいずれも凹凸の激

しい浸食面の様相を呈す.IV面は,湾の最深部を占め

る.また,この面は,紀伊水道に分布するW面(一60~

一70m)に比較して,少し浅い位置にある.サンドウェー

ブは,明石海峡東部の一20m(測線no・20)と,友ケ島水

道近くの一40m付近の海底に発達している(測線no・

20).

 3。5kHz地層探査記録では,a層の最大層厚は35mに

達し(測線no。3),その基底深度は一35~一45m付近に

ある.a層は,湾奥部に広く分布し,平坦面1及び豆面

を形成している.b層は,最大層厚約30mで(測線no・

8,9,22),その基底深度は,最大一60mに達する(測

線no。9).このb層は,湾の南部に分布し,平坦面皿面

を形成する.c層は,層厚10-20m(測線no・20)で,基

N 一一014 一一一一一伽S

0Il

0

015li 0

0

60

遇訟_ q    『

01640

\o

Il

017

0

60lI

α”1

5W

018 0

0

019

60

一G』一

『『一一『一り    _一7

~Ill

60”

α ”1

020

C

0

40

80

ll   sW

021

          llily                 c  d一~、一一一一・一p-9 0

0

60

   02210km

IV

d

III

    レー一   c

40

80

0 5

d

      1”      b、一ノート_一一一一一一~一

0

40

80m

第8図 大阪湾南一北地形断面及び地層反射面図

一223一

Page 8: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

W  一_

 H3 9H4

H2

HII

一q

lI

lI

一_q

一1。

1。

一一_一噛  E

b

”0

H540

lIl

br    II sWと  q

5W0

H6

、、一IlI

I I

H7b

0 コ  0  40

  801”

b一 40

H8br

lIl o

O

o

40

H9br

Ill

一一一二_=二b 一一一二』H l O

       IIIH11

b

0

60 O

60

H12

m b

Il q llI060

bH13

    1” bH14 C 0

0 60

60

↓ 一『

一 1一_一___H15「再

『 b   一一 』 一

一『、一

                0                40

                  

60

0 10 20km

第9図 播磨灘東一西地形断面及び地層反射面図

底深度は一60~一65mを示し,平坦面W面とほぼ同深度

となる(測線no.20-22)。この地形面は,凹凸が激しく,

浸食地形面を形成する.d層は,湾の最深部に分布し,

この上面は強い反射面を記録するが,その内部構造は不

明であって本海域の音響的基盤となっている.

 播磨灘:測線no。1-4(第9図)には0~一10mの平滑

な面がみられる.また,海底地形図(第2図)からは,明

石沖にも一5~一10mの平坦な地形面が分布している.

前者は,家島諸島の西北部に分布するもので,堆積地形

面とみられる.後者は,測線no.3の東部地形断面の様

相からみて,露岩(波食)面であろう.これらの面は,1

面に相当する.測線no.14-16の西端にみられる一L15~

一25mの平坦面は,堆積地形面として豆面を形成する.

本海域に広く発達する平坦面としては,第9・10図で明

らかなように,一40~一45mの面(皿面)である.地形面

の特徴としては,測線no.4-7でみられるように,凹凸

が激しく,浸食面の様相を呈している.しかし,測線

no.8-16では,平滑な面となり,堆積地形面を形成する.

この様相は,測線no・28-36のN-S地形断面図でも明

らかである.サンドウェーブは,明石海峡に近い一10~

一25mの海底に発達している(測線no。5,7,8,22,24).

 3・5kHz地層探査記録から,a,b,cの3層の発達が

確認される.a層は,灘の北部に広範囲に分布するが,

さらに,小豆島東岸,四国側沿岸及び淡路島西岸部にも

みられる.・a層の基底深度は約一30mで,平均層厚は

10-20mである(第9・10図)・a層上には平坦面1及び豆

面が形成されている.b層の分布は,灘の面積のほぼ70

%を占め,層厚は20-30mである.b層は,明石・鳴門両

海峡の縁辺に発達する(第9・10図,測線no・6-9,28-

33).その基底深度は一50~一55mを示し,地形面皿面を

形成している.c層は,灘の南部に分布し,層厚は5m

前後,基底深度は約一60mで,南部から北部に向かって

やや浅くなっている.この海域のc層は,ほとんどb層

に埋積され,一50m付近の最下層の反射面で消失してい

一224一

Page 9: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄)

NH22

5W SW O

40

一一一一→p S

H23く「先H24

H25

5W

一0

40

lI

”1

0

H26   11 一/40

oIl

b

H27111

0

H28

o

b 6IlI

o

0

60

0

H29

0

60

H30 一Ill 1”

b⊂ 一

lIl

0

40

H31c

葺軌

参 H32

lII

c

0

60

b

H33 ~  _

0

60

b

H34 移Cン炉’

客”1

b

一一~二====___ブ

     0

060

O

H35

60

H36o___. llI

III

H37 c

H38q

q

q 田

ll

一一2レH39

C   Il

再一〇一一

0 60

40

O

40

0

H40

一    島  埴H41玉ヨ撮        司           0                     0     5           40

   第10図 播磨灘南一北地形断面及び地層反射面図

0

60m

10km

40

0

40

る(測線no・29-36)・                 ので,現海水準下で形成されている.最も広く発達して

 4。1・2海底地形平坦面                いる海域は,播磨灘北部海岸沿いに分布するもので(第

 以上の資料から,海底地形平坦面の分布を,第11-14  14図),明石沖では,露岩の波食及び潮流浸食面として,

図にまとめた.                  また,家島諸島北部の島陰では,堆積面として形成され

 1面(0~一10m):本調査海域の沿岸部に分布するも  ている.

                       一225一

Page 10: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

罰234567891011で2で3難4一10

一20

一30

I w唖断面皿

一冨}一  §

雨 ヨコ

一8創

N鴫断面

醤      囎ざ

二覗Σ

第11図

到堆積面騨食面…iサンドウ・一曝土里没面

紀伊水道北部海底地形総括図 1-14;測線番号, 亙一IV3地形面区分

1 2  3  4  5  6  7  8 9 書0 11 12 13 14 15 16 17 18 で9 20 21 22

一⑬ w運断面 1 N蝿断面

鱒8窪

第12図

翻堆櫛面匡浸食面ilサン1

大阪湾海底地形総括図

    ミゥェープ蕪埋没面

1-221測線番号, 1-IVl地形面区分

 11面(一15’》一25m):大阪湾で最も広範囲に分布する

もので,湾の面積の約50%を占めており(第14図),1面

と共にa層から形成される堆積地形面である.明石海峡

付近の水深20-25mの海底にはサンドウェーブが発達し

ている(第12図).紀伊水道北部では,沈水三角州地形

(第M図)が11面に相当し,鳴門海峡側にサンドウェーブ

が形成されている.播磨灘では,灘の北部から東部にか

けて分布する面と,四国沿岸沿いに分布するものとがあ

る(第14図).

 皿面(一40《’一50m):3海域のなかでは,播磨灘に分

布しているものが,最も広範囲を占める(第14図).家島

諸島南部の皿面には,基盤が露出し,凹凸の激しい浸食

地形を形成している.一方,四国側に向かっては,堆積

物の厚さが増し,層厚20mを越える堆積平坦面となる.

大阪湾では,湾中央から南部に広がっている.友ケ島水

道付近の水深40-45mの海底にはサンドウェーブが発達

する.紀伊水道北部では,紀ノ川沖に分布しているが,

地形面はゆるやかな起伏をもつ波状堆積地形面となって

いる.以上,述べてきた皿面(一40~一50m)は,いずれ

もb層から形成されている.

 本調査海域において,サンドウェーブの発達が数カ所

に認められるが,第15図に示すような2つの型のものが

記録されている.これらを比較してみると,水深25m付

近(第15図上図及び第3図)に発達するものは,非常に鋭

い波頭を示すが,一方,水深45m付近(第15図下図及び

第3図)のものの波頭は,丸味を帯びている.また,波長

は両者とも180m前後であるが,波高は,前者が2.0-2。5

mであるのに対して,後者は0・5mほどで,非常に低くな

っている.このような波形の違いにっいては,単に水深

差に起因するものか,または,過去に形成されたサンド

ウェーブの残存地形であるのか否かについては,今後検

討を要する問題である(茂木,1963).

一226一

Page 11: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

       瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄)

1 2  3 4  5  6 7 8  9 璽0 11 12 13 14 15 16 170

一10 W唖断面 1

一70

m

O-10

-20

翻巨ii藤

堆漫サ埋

一30

-40

-50

-60

-70

-80

18 19 20 21 22 23 24 2526 27 2829 30 31 32 33 34 35 36 3738 3940 41 42

亘         N画s断面      ・コ聾

m第13図 播磨灘海底地形総括図 1421測線番号, 1一皿1地形面区分

姫路

第14図 瀬戸内海東部海域の海底平坦面分布図

   一227一

Page 12: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

20

25

30m一

鯛 『. 愈1

0・

『,1

7-!

5!

ザヤ     ロ  や

Qi晒い

!螂1㎞.融    套

SW1

ビh一τ..    一 価

総蝿u.一 一

髪1 睾

35 ξr

← ← 声  .  }

40 \ ム

冨”ドー:こ一一

轟年.,二_ -

ロr ム鴨

≡45’’あ  …曹一』 曽門一

’農一1÷』=一ヨ≠γ

≦い  r一

.50m 呂 一 亀km…一一・一一一一一・一〇

   紛 鍔一一一一

炉 ζ鳴

第15図

    SW2音響測深機によるサンドウェーブの記録

  (記録位置は第3図参照)

 IV面(一60~一70m):この面は,大阪湾と紀伊水道北

部の最深部に分布するもので,d層の露出する凹凸の激

しい浸食面となっている.

 4。L3原地形面

 3・5kHz地層探査記録からb層基底の深度を基にして

描いたのが・本調査海域の原地形面図である(第16・17

図).

 紀伊水道北部:現海水準下一70mを境にして,友ケ島

水道から真南に向かって谷状地形が発達している.また,

四国側では,吉野川の旧河道跡(須鎗・阿子島,1972)

が,鳴門海峡の方向からの旧河道跡と一60m付近で合流

して,一70m等深線で開いている.紀伊半島側からも,

紀ノ川の旧河道と見られる地形があり,b層堆積以前に

は,この海域はこれら周辺河川が流れ込んでいた低地で

あったと考えられる.

海峡部における原地形面については,友ケ島水道で一

70m等深線が,鳴門海峡では,一50m等深線がそれぞれ

の海峡を横切っている.したがって,各海峡形成時の海

水準は,これら等深線よりも海水準が,上昇していたと

考えられる.

 大阪湾=ここでは,湾の西部に一60m等深線で囲まれ

た凹地がみられ,一60m海水準時には,水深10m余りの

浅い湖沼が存在していたことが,泥炭層の分布(st.49,

74)から推定される.また,湾の東北部からは,旧淀川の

河道跡と考えられる地形が認められ,この湖沼に流入し

ていた.南部の一60m等深線が切れる箇所は,友ケ島水

道への水路と考えられる.

 播磨灘:この海域は,全体として,淡路島寄りに深度

を増大する非常にゆるやかな盆状地形をなしている(第

17図).最深部は,鳴門海峡の北部にあり,一60m等深線

で囲まれている.一50m等深線は,明石海峡側から最深

部に向かって谷状地形を示しており,また,灘の北部か

らは,旧加古川河道と考えられる地形が,一40m付近の

等深線で開いている.そのほか,灘の北西部からも河川

流路ボ推定され,この最深部は,かっての沼沢地であっ

たことが,家島諸島南側に分布する泥炭層(st・36)から

推定される.海峡部では,明石海峡で一30m等深線が,鳴

門海峡では,一50m等深線がそれぞれに発達する海釜に

よって切られている.

 4.L4地形面の形成順序

 紀伊水道北部及び大阪湾に分布するIV面(一60~一70

m)は,それぞれ原地形面を海底に露出している.これ

は,海水浸入以前に,すでに存在していたc層からなる

平坦面である.皿:面(一40~一50m)は,b層によって形

成されているが,播磨灘(家島諸島南部)では,皿面と同

深度で原地形面が露出している.皿面は,一40~一50m

の海水準停滞期に形成されたものと考えられる.豆面

(一15~一25m)及び1面(0~一10m)は,その後の海水

準の上昇する過程,及び現海水準下において形成されつ

つある.1面は沿岸部に沿う波食面,豆面は堆積面に相

当する.以上のように,本海域へ海水が侵入する以前に

W面は形成されており,海水準上昇に伴って,皿:面,豆

面及び1面の順に形成されたと考えられる.

 4ユ 瀬戸の海釜地形

 海峡部の地形的特徴として,海釜が存在することはよ

く知られている.以下,各瀬戸の海釜の地形的特徴を述

べる(第1表).

 友ケ島水道:この海峡部の海釜は,単成型(矢部・田

山,1934)に属するものである.その形状は,南北に長い

一228一

Page 13: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄ゲ

     す。        大

        島

   8  、      、                       0     10     20km

\7「¥(1..第16図 大阪湾及び紀伊水道北部海域の原地形図

 第1表各海釜の地形的特徴

友ケ島水道 明石海峡 鳴門海峡海 釜 型 単 成 型 単 成 型 双  子  型

最 深 部 _197m 一148m  南一150m

 北一215m

最狭部からの距離 N1.3km W5km 3.4km 1.2km

海釜壁の傾斜W4.7。 E5。0。NO.9。  SO.8。

W1.4。

N11.30  S5.4。W5。1。,E6。3。WlO。7。,E9.6。NL7。,S3。4。 N3。70,S9.1。

海 峡 最 狭 幅 4km 4km 1.2km

海釜地形域の長さ・方向 12kmN-S 44kmW-E 15km N-S

海峡最狭部断面積 0.3km2 0.2km2 0.02km2

海釜の始まる水深 S-70m  N-60m E-55mW-35m 一45m

原地形面下刻水深大阪湾   紀伊水道   播磨灘  大阪湾

一67m  -70m   -40m  -60m 一50m

一40m

-50m

一229一

Page 14: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

   _脳   ひ℃ 9  凶

窃   、    \     \      、      、        \ ワ        \

σ4

小豆島

//

” 旧河川星亦/

σ

姫路

 20

.9鋒舞歯‘/

奢   島諸島     Y        40

   ,鳥F『参0

 /、     明石/  \

  \   ¥  _  t  /  \し//   )’ン  、・N/ /

/第  /

10 20

km

第17図 播磨灘海域の原地形図

楕円形であって,最深部は,海峡最狭部より北に片寄る

位置(内海側)にあり,水深は197mに達している.また,

その北部にも,水深約130mと110mの2つの海釜地形が

みられる(第18図).海釜斜面地形の特徴は,最深部の海

釜底から東側は,一気に沖ノ島まで上っているのに対し

て・西側は,一75m付近に傾斜変換点が認められる(C-

D断面図).また,A-B断面では,東斜面の一70m付近

に段丘状の地形がみられ,西斜面には一75mから海釜底

にかけて階段状の地形が形成されている.さらに,E-F

断面(北一南縦断面図)からは,北部で一75m,南部では一

65m付近に傾斜の急変部が認められる.このように,友

ケ島水道では,一70m付近での地形変化が特徴的であ

る.

 各海峡部に発達する海釜地形の形成は,各低海水準位

における潮流浸食作用によるものであることはさきに述

べた。その浸食作用の始まった低海水準位を求めるため

に,各海峡部を中心とする,起伏量図及び各切峰面(深

度別)における起伏量の割合を計測した(第19-28図).す

なわち,切峰面は,潮流浸食作用を受ける前の原地形を

示し,各切峰面における起伏量の変化は,構造運動が無

視できる場合,浸食作用の大きさを示すと考えられるか

らである.

 切峰面の作成には,友ケ島及び明石海峡では,900×

800m方眼,鳴門海峡では,350×350m方眼を用いた.ま

た,起伏量は,上記方眼内の切峰深度と最大深度との差

から求めた.そして,各海峡域の起伏量頻度を,10mご

との等接峰面深度に対して求め,以下の地形解析の基礎

資料とした.

 友ケ島水道の起伏量図(第19図)3)を見ると,起伏量の

比較的大きな海域(20-90m)は,水深一50m以浅の比較

的平坦な海域(起伏量10m以下)によって囲まれている.

すなわち,起伏量の大きな海域は,海釜地形発達域に対

応する.切峰面頻度分布図(第20図左)からは,一70m以

深の海域が,一70m以浅に比較して極端に少なく,地形

面発達の変化が見られる.一方,各切峰面における起伏

量分布図(第20図右)では,頻度分布のピーク位置の変化

が,一70mと一80皿との問に見られる.この事実は,一

70m切峰面以浅では,面全体において平坦面の占める割

合が多いのに対して,一70m以深では,斜面の卓越する

ことを示している.

 以上のように,起伏量の頻度分布変化が,ある水深以

下(海釜域)に限定され,その分布に一定の方向性が認め

3)海図No・6383(1978)の基盤地形図から作成

一230一

Page 15: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄)

懸、

~や

              叢

5km

WF

0

臼】o

A

B

NOρ

0

S

_50  -50

   -100一囎   一1聖

c

5㎞

D0 0 5km

f50

一100

一囎

F

第18図 友ケ島水道海底地形図

られないことは,海釜地形が構造運動によって形成され

たと考えるよりも,海峡域に特徴的な浸食地形であると

考えられる.このような考えは,矢部・田山(1934)が提

唱する海釜地形の潮流浸食説を支持するものである.以

上の立場から,友ケ島水道の海釜は,潮流浸食地形であ

り,海釜形成当初の海水準は,一70m以浅に上昇してい

たと推定される.

 明石海峡:この海峡には,数箇の単成型海釜が連な

り,最も深い海釜は,海峡最狭部から西約5kmの位置

にあり,水深は148mに達する(第21図).海釜が存在す

る海域は,東西に15km以上におよび,東に向かうほど

海釜の水深は浅くなる.海峡横断面図(第21図)からは,

最深部の海釜地域(測線D-C,E-F)の北側斜面は,沿

岸部から海釜底まで直接下る地形を示しているが,南側

斜面には,水深50m付近に平坦面が発達する。伊崎・金子

(1960)による明石海峡東部の地形横断面図(測線A-B)

でも,一50m付近で傾斜の変化が認められる.

 水路部発行の基盤地形図(海図No。63833-s,1977)を

基にして得た,明石海峡付近の切峰面の分布(第22図)を

みると,一40~一60mの面が全体の50%以上を占める.

その中で一30~一40mの大部分が播磨灘側に,一50~一

60m面は大阪湾側に分布している.これは,両海域の原

地形図(第16・17図)をみても明らかなように,海峡両端

の地形面は,大阪湾側に比べて播磨灘の方が,一段高く

なっていることが分かる.同じ方眼から作成した起伏量

図(第23図)からは,浸食域を示す起伏量20m以上の水深

は,大阪湾では水深50m,播磨灘側では一30m前後で始

まっている.この起伏量を各切峰面との関係からみると

(第24図),ヒストグラムのピーク部の顕著な変化が,一

30~一40m面に見られる.これらの地形的特徴から,海

水準が一35m付近まで上昇した時に明石海峡が形成さ

れ,潮汐流による洗掘作用の始まったことが推定され

一231一

Page 16: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

十十十

淡路島

0       4km

十十 ・

廿’十十

十十十十

十十・十十’

、  ■

   ’  ト十十   十

十十十十

十十十十

十十十十

十十

十十

十十十十

T T十十十十

・.■

十十十十

L十十十十

十十

十十

十十十十十十

十十

十十:o

十十十十

十十 十十十十

十十十十

十十十十十十

十十十十

十十

十十→一十

十十

十十十十十十

十十

十十十十

十十十十

十十十十

十十十十

十十十十

十十

十十十十」_4り

■十十十

十 十十十 十十

●:

9

。●→一十

 十十十十十十十4。

十十十

十十

        加太

.・

十十 十十十十 十十十十

十十十

十十十十

十十.o

十十。。

十十十十十十

十十十十十

十 十+十 十

十十十十十十

十十十十

十十 十十

十十十

十十十十十十

十十十十

十十

十十十十十十

十十十

十十十十十十

十十十十十

十十十十→一十

十十.++:・

十十.’

十十

十→一

十十十十十十

十十十十

:.

十十十 .’

十十十十

++・:

十十㌦

圃<10m圃く20m目<30m㎜く40m畷<50m騒<60m懸<70m刎く80m羅<90m霞……>90m

第19図 友ケ島水道起伏量図

40

30

20

10

0

80

70

60

50

40

30

20

10

      m

50

40

30

20

10

0

一80m

20 40 m

一90m

一60m

20  40  60    20  40  m          m

一100m

60

/00%

一70m一切峰面

304050 60708090100100く        m

     切峰面

20 40 60m 8・起伏量

20 40 m

100mく一切峰面

20  40   60  80

    m20  40  60  80

    m40 60 m

起伏量

第20図 友ケ島水道切峰面頻度図及び各切峰面における起伏量分布図              (計測数379個)

一232一

Page 17: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄〉

蒲鐸

誹つ

明石

E    Lメ  瞥…          神戸           ヨび4姻・黍囎璽誌め

           0           5km

N S

A

山k騙

0一50

r喜00m

C D0

一50

一100

一150m

E F0

一50

一100

第21図 明石海峡海底地形図 0 5km

一150 m

20

15

10

20 30  40  50  60  70 80 90  90m<

    切峰面第22図 明石海峡付近切峰面頻度図

    (計測数343個)

る.

 鳴門海峡:この海峡に発達する海釜は,双子型(矢部

・田山,1934)で,海峡鞍部を境にして北部(播磨灘)と

南部(紀伊水道)に対になって分布する.海峡の幅は,L2

kmで狭く,両岬の突端部には波食面が発達しており,

一10m等深線で切られる海峡幅は,わずか600mほどで

ある(第25図).海峡鞍部の水深は,最も深いところで約

一55mである.播磨灘側に発達する海釜は3つあり,そ

の中で最も深いのは一215mで,鞍部からL2kmの位置

にある(第25図).その東部には約一140m,北部には一

80mのものが形成されている.紀伊水道側の海釜の水深

は約一150mで,鞍部から約3・4kmの位置にあり,播磨

灘のものに比べて水深は浅く,鞍部からの距離は,3倍

弱の位置にある.海釜地形の特徴は,両者とも南北の長

楕円形をなし,海釜斜面は,海釜底の南側斜面では急に

なっている(第25図,C-D断面図)。

一233一

Page 18: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

                   明石

0      5km圃<10m匡団く20m匡≡ヨ<30m[皿く40m

旺璽く50m騨<60m圃く70m囮く80m 神戸

皿くgom議灘>gom

    聯

‡ ‡‡

‡‡

十十  十十十 十十

十十十十

十 ・

十 。

‡‡ ‡‡‡‡ ‡‡ ‡‡‡ ‡ ‡‡ ‡:i

’ト+ :

十十 、‡‡ ‡

†十十十十

‡→

十十 十十

 十十‡+

十十十

‡‡ ‡‡iii

‡‡ ‡ ‡‡ ‡ ‡‡ ‡ ‡‡i:il:

’十十’十十

‡+ ‡‡

 十十  十十 十十 十

‡淡 路

‡‡ 十 ・十  ・

‡‡‡ ‡ 十十 ‡ ‡‡ ‡

i:一i

+‡ 十十十十

十十

十十

il‡‡‡ ‡‡

i:1:i ‡‡ i:i

‡‡ ‡十十十

l ii ‡‡ 』卜 .。

十 。

::i ‡‡ ‡‡ ‡+i:: .←l i: 十  ’

十 :・響・‘

十+i:i ‡‡ ‡‡,:

:十  ・

+ : ‡十++ :十  

+ :

‡ ‡‡ ‡ ‡‡十十’

++iiiii ‡‡ + :

十  .

十十十十

                 ・卜十++i:i

十  ・

十  ・

十 。

十 ひ

十 ・

第23図明石海峡起伏量図

50

40

30

20

10

0

一20m

50

一30m

40

30

20

10

0

20  40  60  80  90      20  40  60  80

   m                    m

一60m 一70m

一40m

20  40  60  80  90

   m

甲50m・←切峰面

20  40  60  80       20  40  60

  m                m

一80m

20 40諄O

90m

2・4・6・8・起伏量  m   l80

   鰍

90m<←切峰面

80    20 40

    m2・4・6・ 起伏量  m

第24図 明石海峡各切峰面の起伏量分布図

切峰面と起伏量との関係については,海図No。112

(1957)の水深資料を基に,作成した地形図によって検討

した.その結果,切峰面の分布(第26図)は,一30m以浅

の面が大半を占めるが,一30~一40m面を境にして急激

に減少する傾向を示している.また,起伏量図(第27図)

でも起伏量20mを越す水深は,一30~一40m付近より始

まっている.さらに,各切峰面に対する起伏量の関係を

みると(第28図),一40~一50m面からヒストグラムのピ

ーク位置の変化が始まっている.この水深は,前述した

鳴門海峡の海釜で切られている,原地形面の水深とほぼ

一致していることから,鳴門海峡の成立は,海水準が一

40~一50m付近に上昇した時期と推定される.

 以上のように,切峰面と起伏量との関係から,3海峡

ともいずれも,起伏量が20m付近でのピーク部1におい

て,顕著な変化を示している.この変化するところの各

水深が,各海峡成立時の海水準を反映するものと考えら

れる.したがって,友ケ島水道では一70~一80m,鳴門

海峡では一40~一50m,明石海峡では一30~一40mの各

切峰面が,それぞれ浸食され始めた時に,海峡が成立し

たものと推定される.また,原地形図(第16・17図)から

は,それぞれの海峡部において,ヒストグラムのピーク

部の変化するところの水深と,同深度の地形面が海釜に

よって切られていることから,海峡成立と同時に,この

面から潮汐流による海底浸食が始まり,海水準上昇の過

一234一

Page 19: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄)

        C A

大毛島購

診へ__へ・

蟹・.

ズ轡      『

B \

      健

D 4km

ON S

一50

一100

一150

一200 m

AA

、l

k I

B

播磨灘←十一〉紀伊水道

     0      5km

      一

 o

-5◎

一100

-150

-200

-250

c 511

0 3km

一一一

D

m第25図 鳴門海峡海底地形図

一235_

Page 20: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

50

40

30

20

10

030 40 50 60 70 80 90 100看00<

      m    切峰面第26図 鳴門海峡切峰面頻度図

    (計測数450個)

程で,これら海峡部に海釜地形渉形成されたものと推定

される.したがって,前述した地形的諸特徴から,海峡

の成立は友ヶ島水道が最初で,次いで鳴門海峡が,最後

に明石海峡の順に形成され,現在の環境に至ったものと

考えられる.

5・ 瀬戸内海東部海域の地形発達史

 瀬戸内海東部海域における原地形面(第16・17図)を埋

積する直前の時代は,大阪湾のst・74(第10図)から採取

された泥炭の年代(13,950士280y.B。P.GaK-5706),及

び泥炭層を不整合に覆う地層(st・M)から採取されたマ

ガキの年代(10,820±190y.B。P.GaK-5703)からみて,

約13,000年前と考えられる.

 友ケ島水道付近の原地形図において,一70m面が海釜

で切られているが,このことは,一60土5mに海水準が

達した頃に海峡が成立したことになる.また,日本列島

周辺における第四紀後期以降の海水準変動の資料(第29

図,大嶋,1980)によると,海水準一60土5mの年代は,

約13,000年頃とよみとれる(第2表).したがって,W面

に残された,紀伊水道から大阪湾に連絡する河川跡は,

この時期の海水侵入路となったであろう.

 海浸が進み,st.14のマガキが生息していた時代(約

11,000年前)の海水準は,現海水準下約一50mにあった

と推定される.したがって,原地形図(第16図)において

一50mより深い部分は,当時の海水面下にあったことに

なる.大阪湾の場合,淀川・武庫川などの旧河川地形

が,原地形の一50m等深線を切り,一60m等深線で示さ

れる潟湖に注いでいたことが原地形図からよみとれる.

このことは,海水準が現海水準下一60m付近に停滞して

いたことを示している.当時の大阪潟湖は,狭い友ケ島

水道を経て,紀伊水道に連なる汽水湖のような環境にあ

った.友ヶ島水道の海釜地形は,現海水準下一65m付近

に達した頃から,紀伊水道と大阪潟湖との問の潮流浸食

によって形成されたものと推定される.潮汐流の大きさ

は,水道部の幅と,潟湖の面積及び潮汐差によって決ま

るので,海水準が現海水準下一50m位になってから一段

と,その浸食作用が大きくなったものと推定される.

 大阪潟湖には,b層の堆積が始まり,沿岸部はマガキ

の生息地帯となる.一方,鳴門海峡は,この時期から少

し遅れて,海水は海峡中央鞍部(一55m)を越え,播磨灘

に流入するようになる.その直前の播磨灘の一50m以深

は,鳴門海峡の鞍部に堰止められた淡水湖であって,播

磨灘低湿地帯を流れる河川が流入していた.

 播磨灘からの延長谷地形は吉野川の沈水扇状地を解析

して,紀伊水道の一50m等深線に開いている.このこと

は,海水準が一50m以下では,播磨灘からの河川水が,

紀伊水道に注いでいたことを示すものである.一方,播

磨灘の採泥点st・36(一44m)(第2図)の柱状試料に観察

される洪積統泥炭(21,860土710y・B。P・GaK-5701)の浸

食状態から,現海水準下一40mの時期には,海水が侵入

し,播磨潟湖が形成され,b層の堆積をみる.明石海峡

はまだ,播磨潟湖と大阪湾との問の鞍部水深一35m前後

を越えることができなかったため,淡路島と本州とは陸

続きであった.したがって,現播磨灘の60%強を占める

一40m等深線で囲まれた,播磨潟湖の潮汐差による海水

交換は,現在より狭い鳴門海峡によってまかなわれてい

た.当時の鳴門海峡の潮流速は,現在よりかなり大きか

ったことが,海釜深度(最大一215m),岩盤の浸食地形,

巨礫の分布などから推定できる.

 明石海峡の形成は,海水準が一35m位に到達してから

である.この明石海峡形成の際の海水は,播磨灘から大

阪湾に向かって,旧河川沿いに落ち込むように流入した

であろう。各海峡部での海水の流出入量は,灘の面積が

最大になった縄文海侵の最盛期(5,000-6,000年前)に最

も大きかったと考えられる.

 b層から産する火山灰を,須鎗・阿子島(1972)は,オ

 ンジ火山灰(下位の腐植層,7,680士140y・B・P・GaK-

1643)(松井・西嶋,1969)に対比している.また,小豆島

の西に位置する豊島,井島の縄文早期(7,000-8,000年前)

 (江坂,1954)の貝塚構成貝が,ヤマトシジミやハイガイ

 (8,400士350y.M-237,芹沢,1982)からなり,また,st.

 119(第3図,水深40-45m)から採取されたシジミ貝から

 も,播磨灘は,その当時は汽水環境にあったと考えられ

 る。したがって,明石海峡の形成は上記の資料から,約

一236一

Page 21: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄)

賊無:i‡‡:i‡‡‡

‡‡

÷

十十十十

十十十十

‡‡‡::二

十十÷十÷十

ナ トナ

‡‡‡

十十十十十十†土+.

÷十十÷十十十十十

‡‡

iil葺

裂 +

十十十

十十一ト

÷

i三‡‡

‡‡+‡‡‡

.1十÷ 十十十

:辱‡‡

十十十十÷十十十十

淡路島睡翠<1・m懸く6・m

圃く20猛く70匡ヨ<30羅<80皿皿く40匡…>80

麗く50ナナ‡‡‡:i::※ll::::::::::=::ii・

ナナモナ トキ  

‡‡‡一‡‡#iiii::

  ‡‡#蓑.

+芸

十十十十十十十十十

聾轍………!……ii

1彗輩≡滋彗ii

葺運一lii

‡‡‡∈…

i、‡‡‡岸‡‡‡‡+

・‡‡‡

:iii讐…妻

ナ チ ナヰ‡‡一‡‡

ii藝毒iiii

iiii陸‡‡仁=1‡‡‡

iiil織 + 

十十÷1十十÷

十十十十十

蟹,iiii

l‡‡‡旺嚢i

  ユ:・

・十十十

門 ラ

桑十

牽十十1÷十一ト

iii諜墨÷十十

無i…’齢i. 。i.+++

1・;・‡‡‡

十十÷十十十十十十  ・

十÷÷十十千

十苧十 →一÷

年++ ++十十十 十十

王鋤.◆..

‡‡

些‡ii‡‡‡

‡‡‡、::::ll¶+++

+++1:・::・:1+++

十÷十 ÷十亜:・:・,■■

十十十 十十十二※

ll‡‡‡‡‡iliii

   ÷榊÷÷+::1   ++++++’。.

_   .‡≠声.キ≒‡i.⊆=⇒:’:’

ii:‡‡‡i

l噴共壽。

 ・鑓

‡‡‡…十十

十十十十十十

十十 ’

十十 ,

十十

十÷覗十十

,・:1‡‡‡鷺‡‡

臆士煕1÷+

‡‡‡

十十十

十十→・.

十十略’.’

++琳:・:

+++1∵・’一 ◆畦.+++,’.’.。.

漁葦薫穿  .1.◎,

←・     .雫十÷←・      む十十

十十÷十十十

十÷ 十十十■■++ +++・:

::lli: 一→

盤叢彗………::f‡‡

 十十

0

+÷刷

1

+++:・

2 3km

第27図鳴門海峡起伏量図

50

40

30%

20

 10

 0

ぐ30m 一40m 一50m 一60m  切峰面

20  40  60  80  90   ・20  40  60

  m                 m80  90     20  40  60  80  つO

      m2・4・6・8・9・起伏量

m

50

40

30%

20

10

 0

一70m 一80m 一90m

20  40  60  80  90    20

  m40 60 80 m

第28図

一100m >一100m中切峰面

 90    20  40  60  80  90    20  40  60

      m               m

鳴門海峡各切峰面における起伏量分布図

     一237一

2・4・6・8・9・起伏量m

Page 22: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

地質調査所月報(第34巻第5号)

2雷

0

一50

お葡一100蓬

よ董①一1500

5 10 15 20 25 30x騒03》㌦鰹.駐

○△ O O ○ ○

6766 6767

86 o ○ O674

△ 7804 △奄α 躍4 △

  △

△78 6796760△△

△△ △

△ △ △ △

Opoα曾

△5he”

第29図 第四紀後期以降の海水準変動,数字はGaKの分析番号(大嶋,1980)

2。。。。3洪

第2表

瀬戸内海東部海域の地形発達史

世1。。。。写沖7。。。y積 世

璽堅壁型翌成駒喫編鞘                  (カキ石焦形、成)一

古明石川

昌V面形成 1鱒面形成 1・ll面形成ユ

  明石海峡(大阪湾へ通ずる)

一35mt下刻一148m

播磨低湿地 播磨潟湖(豊島井島貝塚形、成)

鳴門息谷 鳴門海峡780QO-75QQ宮

一5・m下 刻」 一215m

紀伊水道河川侵食 紀伊水道湾

吉野川海底扇状地形成

一50m 一20m

8,000年前頃と推定される.また,大阪湾,播磨灘に広く

分布する平坦地形面皿面(一40~一50m)は,一40m前後

の海水準停滞期に相当するもので,8,000年前には,ほぼ

形成されていたものと推定される.この明石海峡が形成

されてからは,播磨灘北部の海水は,明石海峡を経て大

阪湾に至り,淡路島東岸沿いの外洋水と交換するように

なる.

6. ま と め

 1)瀬戸内海東部海域の灘には,海底平坦面が発達

し,1面(0~一10m),豆面(一15~一25m),皿面(一40

パー50m)及びW面(一60~一70m)が認められる.但し,

播磨灘にはIV面はみられない.

 2)3.5kHz地層探査記録から4つの反射層が識別さ

一238一

Page 23: 瀬戸内海東部海域の地形発達史 - Geological Survey …瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄) ・田山,1934)が発達する.それに対して,灘には数段

瀬戸内海東部海域の地形発達史(小野寺公児・大嶋和雄)

れ,上からa層(完新統上部),b層(完新統下部),c層

(更新統上部)及びd層(音響的基盤岩類)に対比される.

これらの地層と海底平坦面との関係は,1・豆面はa層

上に,皿面はb層上に,IV面はc層またはd層上に形成

され,IV面は,大阪湾・紀伊水道北部海域の原地形面と

なっている.

 3)海底平坦面の形成には海水準との関係があり,1

面は現海水準位の波食面,翌面は現海水準の堆積面,皿

面は現海水準下一45士5m,IV面は,現海水準下一60±

5mにそれぞれ形成された.

 4)灘間を連絡する海峡部には,潮流浸食地形である

海釜地形が発達している.友ケ島水道の単成型海釜は,

一70mの原地形面を下刻し,その最深部は現海水準より

一197mに達する.鳴門海峡の双子型海釜は,海峡鞍部

(一55m)を境にして,内海側(播磨灘)が水深215m,外海

側(紀伊水道)が一150mほどであり,内海側ボ深くなっ

ている.明石海峡の単成型海釜は,播磨灘の一30m原地

形面を下刻して,その最深部は一M8mに達している.

 海峡形成順序は,友ケ島水道(約13,000年前)→鳴門海

峡(約11,000年前)→明石海峡(約8,000年前)の順になる・

 5)海釜地形の形成については,3・5kHzの地層探査

記録から作成した原地形図(第16・17図)からも明らかな

ように,海釜底深度に達するような旧河道跡は存在しな

い.しかし,これら海峡部にも先行河川が存在し,海水

は,その河道に沿って侵入してきたことは推定できる。

したがって,海釜は,海潮流の浸食作用によって形成さ

れたものであって,旧河床面の埋積残りとは考えられな

い。

文  献

江坂輝弥(1954〉海岸線の進退からみた日本の新石

    器時代.科学朝目,voL14,no・3,p。75-

    76.

星野通平・岩淵義郎(1963)瀬戸内海の生いたちに

    関する2・3の問題一鍋島水道を例にして.

    地質学雑誌,voL69,p・147-156・

藤田和夫・前田保夫(1969)大阪湾の“沖積層”と

    その基底(大阪湾の“沖積層”その亟).第

    四紀研究,voL8,P・89-97.

伊崎 晃・金子徹一(1960) 明石瀬戸東部の音波探

    査とその解析.物理探鉱,voL13,p.36-

    45.

海上保安庁水路部(1957) 鳴門海峡,海図No.112.

(1970)

(1977〉

(1978)

桑代 勲(1959)

    voL 32,P.

前田保夫(1980)

    75.

松井 健・西嶋輝之(1969)久万盆地の音地火山灰

    層の噴出年代.地球科学,voL23,p.263.

茂木昭夫(1963)備讃瀬戸東部の海底地形発達史.

    地質学雑誌,voL69,p・521-535.

大嶋和雄・小野寺公児・有田正史(1975)流出重油

    の漂跡と海底堆積物地質ニュース,no・

    254, p。32-41.

    ・松本英二・有田正史・横田節哉・井内美

    郎・木下泰正・小野寺公児・青木市太郎

    (1975)汚染底質の調査技術に関する研究.

    環境保全研究成果集,no.48,p.1-14.

    (1980)海峡地形に記された海水準変動の

    記録.第四紀研究,voL19,p.23-37.

芹沢長介(1982) 目本石器時代.岩波新書,232p.

須鎗和巳・阿子島 功(1972) 四国東部および淡路

    島の海岸平野の原形.地質学論集,no・7,

    p。161-170.

矢部長克・田山利三郎(1934) 日本近海海底地形概

    観.地震研彙報,voL12,p・539-565.

大阪湾及び播磨灘,海図No。106.

明石海峡,海図No・63833-s.

友ケ島水道,海図No。63834-s.

瀬戸内海の海底地形.地理学評論,

 24-35.

縄文の海と森.蒼樹書房,p・7一

(受付:1982年7月6目1受理:1982年12月8日)

一239一