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吾輩はギターである、名前はまだ無い、あるわけな い。 どういう発想なのか理解にくるしむが、このコラム の筆者は、こんな書き出しで、吾輩の主人である和泉 康夫(50)の半生を描きはじめた。 京大工学部を卒業し、総合電機メーカーに就職、生産 技術研究所に配属され、難解なる機械の設計に、いそ しむ毎日。ではあったが、父上が過労でたおれ、28歳 で家業へ。その家業は、大阪市にある「新日本テック 」という町工場だった。 家業に入ってまもなく、留守中の工場に何者かが侵入 し、その不届き者のたばこの不始末であろう、火事が おきる。さいわい、倉庫を全焼するだけですんだ。 主人は、月夜を見上げて誓った。〈このピンチにも ついてきてくれる社員を、ぼくは守ってみせる〉 では、後編のはじまりである。 有能なる技術者、設計者である主人の思いは、空回 りした。 設計部門にきた新卒社員の横につきっきりになっ た。主人は、その社員を育てたい、しあわせになって もらいたい、と思っていた。丁寧に、真剣に教えたつ もりだった。 だが、その社員は、会社をやめていった。なぜなん だと、いぶかしむ主人。設計部門は、主人ひとりに なった。やむをえず、もくもくとパソコン画面に設計 図をかいた。 吾輩の主人の会社は、毎月、 社内の新聞をだしている このギターが吾輩である 吾輩の主人、和泉康夫は、凝り性なので、何本もギター をもっている。いまも、しっかり教室に通う。 助手席のギターは、吾輩ではない 主人が手書きでかいた「経営 理念」が、会社の壁に
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の筆者は、こんな書き出しで、吾輩の主人である和 …吾輩はギターである、名前はまだ無い、あるわけな い。...

Aug 08, 2020

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Page 1: の筆者は、こんな書き出しで、吾輩の主人である和 …吾輩はギターである、名前はまだ無い、あるわけな い。 どういう発想なのか理解にくるしむが、このコラム

吾輩はギターである、名前はまだ無い、あるわけな

い。

どういう発想なのか理解にくるしむが、このコラム

の筆者は、こんな書き出しで、吾輩の主人である和泉

康夫(50)の半生を描きはじめた。

 

京大工学部を卒業し、総合電機メーカーに就職、生産

技術研究所に配属され、難解なる機械の設計に、いそ

しむ毎日。ではあったが、父上が過労でたおれ、28歳

で家業へ。その家業は、大阪市にある「新日本テック

」という町工場だった。

家業に入ってまもなく、留守中の工場に何者かが侵入

し、その不届き者のたばこの不始末であろう、火事が

おきる。さいわい、倉庫を全焼するだけですんだ。

主人は、月夜を見上げて誓った。〈このピンチにも

ついてきてくれる社員を、ぼくは守ってみせる〉

では、後編のはじまりである。

有能なる技術者、設計者である主人の思いは、空回

りした。

設計部門にきた新卒社員の横につきっきりになっ

た。主人は、その社員を育てたい、しあわせになって

もらいたい、と思っていた。丁寧に、真剣に教えたつ

もりだった。

だが、その社員は、会社をやめていった。なぜなん

だと、いぶかしむ主人。設計部門は、主人ひとりに

なった。やむをえず、もくもくとパソコン画面に設計

図をかいた。

吾輩の主人の会社は、毎月、

社内の新聞をだしている

このギターが吾輩である

吾輩の主人、和泉康夫は、凝り性なので、何本もギター

をもっている。いまも、しっかり教室に通う。

助手席のギターは、吾輩ではない

主人が手書きでかいた「経営

理念」が、会社の壁に

Page 2: の筆者は、こんな書き出しで、吾輩の主人である和 …吾輩はギターである、名前はまだ無い、あるわけな い。 どういう発想なのか理解にくるしむが、このコラム

 夕方、ほかの社員たちが家路につく。「おつかれさまー」と、主人は声をかけるも、ほどな

く会社に、ひとりぼっち。

 遠方より、つくってもらった金型に不具合、との知らせ。主人は車を運転して先方に出向

く。何日もかけて不具合を解消し、夜中、主人は会社にもどる。ひとりぼっちである。

 孤独な主人の目から、涙がこぼれる。そんな日々をすごすうち、不整脈も出るように。精神

的にまいってしまった主人。だが、いずれは会社の3代目を継がねばならぬ。

 ここで、主人は負けなかった。町工場の経営者という種族は、心は繊細、でも、負けないの

である。

 社員をどう教育すればいいのか。主人は、考えに考えた。

 〈ぼくが知らない世界に飛びこみ、先生に教えてもらう。そして、指導方法を学ぼう〉

 そして選んだ世界が、吾輩たちギターの世界であった。よわい36のときである。

     ◇

 主人は、凝り性である。どうせ習うなら、と高名なる大先生に師事することに。主人はギタ

ーを買った。それは吾輩ではない。こわれてしまって、そのギターは現存せぬ。

 2週間に一度、主人は大先生に教えてもらった。その大先生は、偉大であった。へたくそな

主人を、決して怒ることはなかったのである。「和泉さん、節回しがよくなってきました」

「指もかなり強くなってきました。まるでギタリストの指みたいです」

 仕事が忙しくて練習せぬままレッスンにのぞんでも、大先生は、にっこり。

 大先生は、主人に課題曲をあたえた。西欧にあるスペインという国の作曲家がつくった「ア

ルハンブラの思い出」という曲であった。高度な演奏技術がいる曲として名高い。

 先に述べたが、主人は凝り性である。ここで主人は、尋常ならぬ行動をとる。

 車を運転して出先に向かう主人。その助手席には、むきだしのギター。確認しておくが、そ

れは吾輩ではない。

 赤信号でとまる。すると、主人はギターをかかえ、アルハンブラの練習をはじめる。信号が

青にかわる。気がつかない主人は、練習をつづける。プップー。うしろの車にクラクションを

ならされる。主人は、あわててギターを助手席におき、運転をはじめる。

 懲りぬ主人は、赤信号で練習、渋滞で練習。よくみると、オートマなるもののレバーを握る

左の指々に、尋常ならぬ力をいれている。ギターの弦をおさえる左指の鍛錬なのだ。

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 夜。部屋の電気を消し、窓からこぼれる月の光のなか、主人は練習する。弦を見ないで弾け

るようでなければダメ、という思いからだ。

 そんな練習をはじめて1年半、ギター教室の発表会にでることに。東大阪市のホール。主人

の出番がまわってきた。

 舞台のまん中には、イスがひとつあるだけ。客席からみて左側から主人がでてくる。お辞儀

をして、イスにすわる。客席が、パチッ、パチッと光る。カメラのフラッシュというそうだ。

そして、主人に照明があたる。

 演奏がはじまる。一番を2回ひいて、二番をすっとばし、三番へ。まちがえて、つっかえ

て。しかも、曲の終わり方を忘れている。終わることができない。だれか、主人をとめてあげ

てぇ。ふうっ、どうにか終わることができた。主人の頭の中は、真っ白である。

     ◇

 大先生がいた。何をいわれるだろう、と不安でいっぱいの主人。だが、主人には予想外の言

葉が、大先生からでた。

 「和泉さん、よく弾けました。たいしたものです。これからあなたは、どんどん弾けるよう

になりますよ」

 「先生、ありがとうございます。でも、それはどうしてですか?」

 「最初の舞台に立つまでが、たいへんなのです。ほとんどの方が、初舞台に立つまえに辞め

てしまうんです。でも、初舞台をしっかり踏んだ人は、どんどんうまくなるんです」

 主人は、大先生の言葉に、はっとした。

 〈ぼくは、社員に丁寧に、真剣に教えたつもりやった。でも、受け取り手が、『自分はだめ

だから叱られている』と受け止めてしまったら最後、むしろ教えることが逆効果になってしま

うんや〉

 主人の「気づき」がつづく。

 〈ぼくは当時、新人に『なんでこんなことが分からへんねん』と思った。それは、先生が、

へたくそなぼくの演奏をみて、『なんでこんな簡単な節回しが弾けないの?』と驚き、悩んだ

ことといっしょや〉

 〈でも、先生は、その思いを表情に出さず、じょうずに教えはった。教えることは、忍耐が

必要な難しいことなんや。教えるという行為から、自然と、『あなたを育ててあげるよ』とい

う気持ちが相手につたわらなければ、あかんのや〉

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 さらに、主人の頭をかけめぐった自省がつづく。

 〈初舞台を踏ませてあげる、練習から本番まで一連の流れを踏ませることが大切なんや。ぼ

くは、はじめから社員に100点を求めていた。あかん、あかん〉

 主人は心を入れかえた。主人からみれば60点のできばえでも、さいごまで、社員に設計図

をえがかせ、つくらせた。それを見て、主人は、少しアドバイス。手直しして、社員が取引先

にもっていく。取引先から、ここを変えよう、と指摘されることもある。だが、しまいには、

取引先から「あんじょういったで、おおきに。あんちゃん、頼りにしてまっせ」との声。それ

を聞いた社員は、もっと頼りにしてもらおうと頑張る。社員たちは、ぐーーんと成長していっ

た。

 そして、主人は30代後半で、リサイクルショップに飾ってあった吾輩を買った。工場のロ

ッカーにしまい、昼食をすませると、やおら吾輩を取りだして奏でる。そして、ギターを抱え

たまま、うとうと昼寝。このことは、前編で述べたとおりである。

     ◇

 ものづくりの世界は、きびしい。いままで誤差は0・1ミリまで、との姿勢だった取引先

が、とつぜん、「これからは0・01ミリまで、よろしく」などといってくる。コストダウン

の要求もはげしい。しかも、きびしさは突き進んで、突き進んで、終わらない。リクエストに

は際限がないのだ。町工場の経営が苦しくなるのは、このためである。

 だが、ものづくりの世界には、あまたの、お困りごとがある。そのお困りごとを解決する技

術をもち、製品をつくることができれば、町工場にとって、これほどおいしいことはない。な

ぜなら、お困りごとは、ものづくりニッポンに集まってくるし、頼りにされるのだから。そこ

には、きびしい要求はない。

 主人は、ここで考えた。

 〈リクエストに応えるだけではだめや。技術や製品で、お困りごとの解決をしていこう。旬

の困りごとを解決するネタを、明るく元気に提供しよう、すし屋みたいに〉

 人間は、すし屋にいくと、板前さんに、「旬のネタは何?」と聞き、それを注文することが

あると聞く。その客にとって、旬のネタは、英語でいえば「ニーズ」である。

 いま、まさに、ものづくりで困っている会社があるとしよう。その会社は、お困りごとを解

決してくれる技術や製品が、ほしい。その技術や製品は、旬の技術、製品である。すし屋でい

えば、旬のネタである。そして、「ニーズ」である。

 相談にきた会社に、「へい、いらっしゃい」とは言わないが、明るく元気に対応しよう。そ

う考えた主人は、会社の行動指針に「すし屋型ものづくり」の一文を入れた。

Page 5: の筆者は、こんな書き出しで、吾輩の主人である和 …吾輩はギターである、名前はまだ無い、あるわけな い。 どういう発想なのか理解にくるしむが、このコラム

 たとえば、こんな具合のことをした。

 金型で金属を切ったり、曲げたりしつづけると、金型がすり切れてしまう。そんな悩みがも

ちこまれ、主人の工場は、ダイヤモンドという地球でいちばん硬い物質で、金型をつくった。

もちろん、天然ものではなく人工ダイヤ、天然ものは、女性の指にあればよい。硬くて粘りの

ある「超硬合金」に、人工ダイヤの粒を焼き固めたものを接合したのである。すると、長持

ち、するわ、するわ。

 2006年、主人は父上を継ぎ、社長になった。よわい42歳。産学連携をすすめていく。

さすが京大卒である。

 そして、会社は成長しましたとさ、めでたし、めでたし……、では、おもしろくない。あと

すこし、みなさんには、吾輩とおつきあい願おう。

     ◇

 アメリカという国には、壁の通り、というところがあるらしい。英語ではウォール・ストリ

ートと呼ぶと聞く。ここには「金融マン」という種族があつまる。この種族がやっかいなの

は、世のため人のためを貫く者もいるけれど、カネの亡者もいる、ということだ。

 そやつらは、巨万の富をきずいたくせに、まだまだ、まだまだ、と果つることなき人間の欲

望のまま、はしる。しかも、マネーゲームなるものをするから始末におえない。為替、スワッ

プ、デリバティブ……。木でできた吾輩には、とんちんかんである。

 その街で2008年秋、リーマン・ブラザーズなる証券会社が経営はたんし、その衝撃は、

またたくまに世界を恐怖でおおいつくした。いわゆるリーマン・ショックである。

 主人の工場にも、黒い影、いや大嵐が吹いた。仕事激減、なんと、瞬間風速8割ダウン。ど

んなに営業しても、ダメ。技術革新、つまりイノベーションをすれば何とかなるかも、と思っ

たが、主人の頭は不安だらけ。イノベーションにお金をかけたところで、その先に、本当に仕

事はあるのだろうか。保証はどこにもない。

 ただ、転んでもただではおきぬ。そして、あきらめぬ。さらに、自分だけがよければいい、

という考えをもたぬ。それが、町工場のおやじ、という種族である。

 主人は、大阪の町工場なかまたちを口説き、2010年11月、およそ20社参加のもと、

「大阪ケイオス」という会社を起こした。ケイオスは、英語でかけば「CHAOS」。混沌、

無秩序の意である。日本では、カオスといった方が通じるであろう。

 秩序ある集まりからは、斬新なる発想は生まれぬ。秩序なき集まりは、自由な発想、ひらめ

きを生む。社名には、そんな思いがこめられている。

Page 6: の筆者は、こんな書き出しで、吾輩の主人である和 …吾輩はギターである、名前はまだ無い、あるわけな い。 どういう発想なのか理解にくるしむが、このコラム

 ものづくりの現場をドラマチックに映像化して動画として配信する。一般の人に、大阪の工

場を見てもらったり、ものづくりを体験してもらったりする「工場萌(も)えツアー」を企画

する。そして、ケイオスに参加する企業で連携し、オリジナル商品をつくる。

 ケイオスに参加している1社、1社の力は、ちいさい。だが、すべてをあわせれば、社員6

70人、年商121億円と、はんぱな大企業には負けない規模になる。力をあわせれば、きっ

と何かができる。

     ◇

 大阪ケイオスの発足から4カ月後、東日本大震災が発生する。主人は、すぐに被災地をめぐ

った。大津波ですべてを流された広大な地に、主人は立つ。潮風に吹かれ、誓う。

 〈必死にがんばらんと、亡くなった方、被災された方に申し訳ない〉

 主人は、ビクトール・フランクルという心理学者にも影響されていた。

 人間という生き物は、ときに狂気にはしってしまうから、木をつけて、もとい、気をつけな

ければならない。ナチスは、ユダヤの人たちを強制収容所に放りこみ、平然と虐殺していっ

た。フランクルは、収容所から生き残った人物。その体験をもとに著した「夜と霧」は、世界

中で、いまも読まれている。

 フランクルは、「わたしが人生の意味を問う」のではなく「私自身が人生から何を問われて

いるのか」を考える。そんな「生き方のコペルニクス的転換」を語った人物である。

 木でできた吾輩に、哲学はわからぬ。だが、そんなフランクルの影響、そして、リーマン・

ショック、大震災などの経験から、主人はこんな決意をした。

 〈自分を中心とする人生ではなく、生きる意味と使命を考えて送る人生を歩む〉

 新日本テックという町工場の社長として、大阪ケイオスの社長として、突きつめれば、人間

として。自分ではなく、社員のため、仲間のため、人のために、できることは何だ。自問自答

しつつ、主人は生きていく。主人は、考えて考えぬく人なのである。

     ◇

 そして、きょうもまた昼休み、がめぐってきた。主人は、ロッカーから吾輩を取りだし、い

つものように奏でる。きょうは、吾輩で何を奏でるのだろう。

 静かな曲だ。年を重ねた日本人なら、みんな好きな分野、演歌というらしい。

 吾輩は、主人のギターを伴奏で歌う。もとい、歌ったつもりになる。

Page 7: の筆者は、こんな書き出しで、吾輩の主人である和 …吾輩はギターである、名前はまだ無い、あるわけな い。 どういう発想なのか理解にくるしむが、このコラム

 ♪あなたと越えたい、天城越え

 吾輩と主人とのつきあいは、長くなりそうだ。主人、お酒はほどほどに。

 最後に、筆者が、ひとこと言いたいそうだ。吾輩が、代弁してしんぜよう。

 親愛なる夏目漱石さま……、ごめんなさい。(敬称略)

     ◇

 中島隆(なかじま・たかし) 朝日新聞編集委員。福岡県生まれ。鹿児島支局をふりだし

に、経済部記者、名古屋報道センター次長、東京生活部次長、「ニッポン人脈記」チームなど

をへて、2012年4月から現職。著書に「魂の中小企業」(朝日新聞出版)、近著に「女性

社員にまかせたら、ヒット商品できちゃった」(あさ出版)。就活生向けの朝日学情ナビでコ

ラム「輝く中小企業を探して」を連載中。

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