数カ月前まで、「この方がわかりやすい」、「明治、大正、昭和、平成の頭文字と重ならない元号」と全国民を巻き込んで一大予測合戦が続いた新元号は、「国民の理想としてふさわしい意味を持つ」「漢字2 文字」「書きやすい」「読みやすい」「今までの元号、または『おくりな』として用いられていない」「俗用されていない」という6 つのルールに基づき決定され、4 月1 日に発表、5 月1 日、「令和」という新しい時代が幕を開けた。皇室と酒皇太子殿下が天皇に即位し、令和時代が幕を開けた5 月1 日。毎年この日は「コンタツだより」が皆様のお手元に届く時期でもある。そこで、今回は、皇室と酒について調べてみることにした。まずは、皇室行事で振る舞われる酒をリサーチしてみよう。来日した国賓を招く宮中晩餐会ではフランス料理が出されることが多く、ワインが振る舞われることが多いという。しかし、宮中の他の行事や首脳外交など世界のVIPに出される代表的な日本酒といえば、「皇室御用酒」でも知られる純米吟醸酒「惣そう花はな」だろう。ちなみに法律上では宮内庁御用達制度は昭和29 年に廃止されているが、皇族が使う食品や日用品は、皇族の品位を保つためにもその後も続けて使われているものが多いという。〈天下の宴に供されて百年〉というキャッチが目を引く惣花を醸す日本盛の公式サイトでは、このような説明がなされている。〈「惣花」の歴史は古く、江戸時代末期に丹波杜氏流の酒造法を考え出した銘醸家岸田忠左衛門が極意の酒として完成させた銘酒です。また「惣花」が愛酒家垂涎の的と言われるようになったきっかけの一つに、大変なお酒好きで知られる幕末の土佐藩主山内容堂公や明治天皇に格別のご愛顧を賜ったという話があります。昔も今も変わらず銘酒の伝統を大切に守り続けています。惣花のためだけに使用する特別な酵母、55 %まで磨き上げた酒米(山田錦)、丹波杜氏の伝承技術により「甘・酸・辛・苦・渋」の五味が見事に調和した「味吟醸」といわれる芳醇な香りを生む旨口の逸品を造り出しています。〉「惣花」は明治時代、皇室行事で提供を始め、大正天皇や昭和天皇の即位式はもちろん、天皇、皇后両陛下のご成婚、皇太子殿下のご成婚にも納入されたという。結納の起源でもある、当時の皇太子殿下の「納采の儀」でも「惣花」が使われている。1993(平成5 )年6 月9 日の結婚の儀の2 カ月前の4 月12 日に行われた納采の儀は朝9 時から始まった。皇太子殿下の使いの東宮大夫がモーニング姿で目黒の小和田家を訪れる。儀式の場となる小和田家1 階のリビングには金屏風が立てられ、納采品を置く白木の棚が設置される。当時一般人である雅子さんと両親を前にして、「両陛下のおぼしめしを受けて、皇太子殿下には本日、小和田雅子嬢に対し、結婚の約をなすために納采を行われます」と口上を告げた。これを受けて雅子さんが「謹んでお受けします」と答え、納采品が渡された。納采の儀はおよそ10 分程度で終了するが、その後、皇室では先祖の神々や天皇陛下に報告を行う「宮中三殿に成約奉告の儀」や赤坂御所で両陛下が主催する夕食会が開催される。その納采の儀で用意された「納采品」は、絹織物5 巻、清酒6 本、雌雄の鯛2 尾。この時に使われた清酒が「惣花」である。ちなみに、絹織物は皇居内の紅葉山御養蚕所と京都御所御養蚕所で採れた絹糸を使って織られたもので、皇后陛下自らが給桑した蚕から採れた糸も使用されたという。絹巻は幅1 ・2 ㍍、長さ11 ㍍のもので5 巻用意された。1 巻ごとに皇室ゆかりの命名がなされ、白地に金箔を織り込んだ「明暉瑞鳥錦」は皇后陛下が天皇陛下から贈られたものと同じ柄で、その後、雅子さんのローブデコルテに仕立てられた。鯛は築地の業者が九州の漁港から調達したもので、長さ80 ㌢、重量7 ㌔という大物だった。鯛は直ちに小和田家の依頼により、目黒の鮮魚店で捌かれお祝い客に振る舞われた。当時、捌いた鮮魚店の店長は「こんな大きくて鮮度のいい鯛は、商売始めて40 年以上経つけど、見たことがない。カマだけで2 ・1 ㌔もあ