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3 ここでは主に、欧州議会資料である Gide Loyrette Nouel A.A.R.P.I, “Stocktake of the WTO Agricultural Negotiations after the Failure of the 2008 Talk” European Parliament,June 2009.による。この資料は、欧州議会農業委員会の依頼により、ブリュッセル所在の法律コンサルタント企業(Gide Loyrette Nouel A.A.R.P.I)が作成したものである。
図1 CAP改革と財政支出構造
出所:European commission, EU Budget 2008-Financial Report
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輸出補助金 市場支持 生産リンク直接援助
デカップル直接援助 農村振興 GDPに対する比率
5
表1 2008年 12月 WTO農業モダリティ案から予想される EUの約束水準
国内支持 � 貿易歪曲的国内支持全体:80%削減(22.1)
� 黄の政策:70%削減(20.1)、その他に品目別上限あり。
� デミニミス:50%削減(11.1)
� 青の政策:生産額の 2.5%(5.6)、その他に品目別上限あり。
� 緑の政策:基準の改定
市場アクセス � 関税削減:最高階層 70%削減(平均削減率 54%)
� 重要品目:タリフラインの4%、関税割当の拡大
� 特別セーフガード:直ちに1%に削減、7年後に廃止
� 関税簡素化:85%以上を従価税に転換。
輸出補助金 � 2013年までに廃止
出所:Gide Loyrette Nouel A.A.R.P.L.“Stocktake of the WTO Agricultural Negotiations after the Failure of the 2008 Talk”(Study),European Parliament,2009. 備考:国内支持のカッコ内数値は約束水準の推定値(単位:10億ユーロ)
Scotland (2005), UK – Wales (2005), France (2006), Greece (2006), Netherlands
(2006), Spain (2006)、地域モデルの採用国はMalta (2007), Slovenia (2007)、静態的混合モデルの採用国はDenmark (2005), Luxemburg (2005), Sweden (2005), UK – Northern Ireland (2005)、動態的混合モデルの採用国は、Germany (2005), UK – England (2005), Finland (2006)である(カッコ内は採用年次)。 5 是永東彦「2008年 CAP改革―「ヘルスチェック」の成果と意義」農水省『主要国の農業情報調査分析報告書』(平成 20年度)農水省ホームページ
6
条)。こうして、加盟国が一度選択したモデルを変更する手続き規定を整備することによ
り、過去の補助金受給実績を反映する歴史モデルから、受給レベルの接近をもたらす地域
レベルへの移行を推進する仕組みを導入した。
他方、現行のWTO農業協定では、「生産に関連しない収入支持」について、「この支
払を受けるための適格性は、定められた一定の基準期間における収入、生産者又は土地所
有者であるという事実、要素の使用、生産水準その他の明確に定められた基準に照らして
決定される」と定められている。EUにおけるモデル変更を含む SPS制度は、現行のWTO
ルールに完全に適合するであろうか。
こうした問題を考慮して、EUは SPSのWTO適合性を確保するため、WTO農業協定
の関連規定の改定を要求した。こうして 2008 年 12 月のモダリティ案6には、次のような
改定が盛り込まれた。
� 「基準期間」の規定が「定められた一定の変更されることのない過去の基準期間」と
明確にされた。
� 「既存の・・・収入支持に対する資格を譲渡すること」および「(基準期間の)例外的
な更新」が排除されないことが明記された。
� 「例外的な更新」には細かな条件が付されており、とくに、「更新に関する決定は関係
加盟国の各領域について一回だけ行うことができる」とされている7。
ともあれ、EUの視点からすれば、このモダリティ案が最終的に合意されれば、SPSの
WTO ルールへの適合性が確保されることになるであろう。しかし、効果的な紛争処理機
構のもとで一種の「訴訟社会」と化した観のある今日のWTO体制下で、農業補助金の合
法性を確立しつつ、「納税者負担型」の農政を展開することは、主要なWTO加盟国にとっ
ても多大な努力を要することが分かる。
2)CAPの単一直接支払い制度(SPS)のゆくえ
ヘルスチェックを通じて、SPSの基本モデルはいまや「地域モデル」となったといって
よい。「歴史モデル」は、過去のある時期における個別的支払実績に依拠するので、時の経
過とともに合理的根拠を喪失することが広く認識されたことが大きな理由といえよう。し
かし、「地域モデル」は、経営間、地域・加盟国間、生産システム間の格差の存在により、
理想的な形を描くことは、容易なことではないようにみえる。
想起されるのは、ヘルスチェックについての最終合意がなされた 11 月段階の農相理事
会において、議長国フランスの提案した「2014年以降の CAPの将来」につての宣言案に
は、
6 WTO(Committee on Agriculture Special Session), REVISED DRAFT MODALITIES FOR AGRICULTURE(TN/AG/W/4/Rev.4),6 December 2008,pp.39-40. 7 この条件について、上記の法律コンサルタントの報告書は、EU規則では将来的に複数回にわたる変更を認めるような規定となっていることに抵触する可能性を指摘している(op.cit.,pp.52-53)。かなり複雑な問題であり、ここでは指摘するにとどめる。
7
次のような文言が盛り込まれていた。「EU理事会および欧州委員会は、開始された「2014
年以降の CAP の将来」に関する議論において、当該期間に関する新たな財政見通しを妨
げることなしに、共同体における直接支払制度の発展と加盟国間における直接支払の異な
る水準への対処についての可能性を十分に検討することを約束した」。
一体、加盟国間における直接支払の異なる水準について、どのような対処の方法がある
のであろうか。実は、この問題については、欧州委員会はヘルスチェックの準備作業とし
てかなりの検討を行っていたのである8。
加盟国の裁量にゆだねられた SPSのモデルの現状は、歴史モデルが南欧諸国、地域モデ
ルが北欧諸国の傾向を代表すると要約することができる。そして、今かりに、地域モデル
を EU 全域に導入すれば、地域内での ha あたり支払の平準化をもたらす一方、地域・国
別の大きな格差が残ることになる。図2は、現行予算の枠を前提に、面積あたりの直接支
払額および受益者あたりのそれについて、国別格差がいかに大きいかを示したものである。
EU加盟の時期や過去の CAP補助金の受益水準に大きな差異があることから、歴史モデ
ルを捨て去るとの選択をすでに行った以上、いま一歩進めて、国別の格差を完全になくし、
EU 全域に一律の支払いをすることも、合理的な選択であるかもしれない。こうしたシナ
リオにもとづく CAP財源の再配分の効果は、図3に示されるように極めて大きい。
8 CAP Health Check – Impact Assessment Note No.1,Subject :Single Payment Scheme, D(2008)AH/15325, 20 May 2008
出所:CAP Health Check-Impact Assessment Note No.1, Subject: Single Payment
Scheme, D(2008)AH/15325, 20 May 2008
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9
ヘルスチェック最終段階で議長国フランスが提起した加盟国間における直接支払いの異
なる水準への対処は、CAPに関する加盟国間交渉に、解決困難なゼロサム・ゲームを持ち
込む恐れがあろう。それは、かつては EU統合の求心力であった CAPをして、EU統合を
阻害する耐えがたいほどの遠心力に転化させるのではなかろうか。
こうした背景から注目されたのが、農業担当委員の 2009年 6月のチェコにおける演説9
および 11月のスウェーデンにおける演説10である。そこでは、EUレベルでの一律支払い
方式について、将来の選択肢の 1つとして言及しながらも、それを支持することはなかっ
たのである。
2.農政モデルをめぐる EU加盟国間の対立
1990年代初頭の冷戦構造の崩壊以来、いわゆるグローバリゼーションの流れにそって、
WTO 体制のもと多分に外圧を利用して農政改革を推進してきた EU においては、「2014
年以降の CAP」をどうするかをめぐって、深刻な内部対立を抱えている。
9 "CAP post 2013: What future for direct payments?" (Speech by Commissioner Mariann Fischer Boel at the Informal Meeting of Agriculture Ministers in Brno, Czech Republic, 02/06/2009) 10 "A strong CAP to face the challenges of the future" (Speech by Commissioner Mariann Fischer Boel at the Swedish Farmers' conference on CAP, Stockholm, 25/11/2009)
図3 EU全域に一律支払水準(面積あたり)を適用する前提
における加盟国間の再配分の影響度
出所:CAP Health Check-Impact Assessment Note No.1, Subject: Single Payment Scheme, D(2008)AH/15325, 20 May 2008
12 A Vision for the Common Agricultural Policy,DEFRA,HM Treasury,December 2005
12
表2 国別にみた EU財政収支(2008年)
加盟国への 加盟国からの 収支差額
支出(a) 収入(b) (a-b)
ベルギー 6,108 4,631 1,477
デンマーク 1,557 2,301 -744
ドイツ 11,194 22,215 -11,022
アイルランド 2,052 1,577 475
ギリシャ 8,514 2,328 6,186
スペイン 12,094 9,966 2,128
フランス 13,722 18,025 -4,303
イタリア 10,306 15,145 -4,838
ルクセンブルグ 1,410 259 1,150
オランダ 2,267 6,669 -4,402
オーストリア 1,777 2,194 -417
ポルトガル 4,117 1,466 2,651
フィンランド 1,321 1,710 -389
スウェーデン 1,464 3,223 -1,759
英国 7,310 10,114 -2,804
ブルガリア 972 364 608
チェコ 2,441 1,396 1,045
エストニア 368 161 207
キプロス 130 180 -50
ラトビア 610 216 395
リトアニア 1,135 329 805
ハンガリー 2,003 947 1,056
マルタ 87 60 27
ポーランド 7,640 3,473 4,167
ルーマニア 2,666 1,218 1,449
スロベニア 456 409 48
スロバキア 1,242 595 647
出所:European Commission, EU Budget 2008-Financial Report.
備考:英国からの収入は償還金 6,252百万ユーロを控除した後の数値。
単位は 100万ユーロ。
2)財政見直しに関する欧州委員会の取り組み
EU の財政見直しに関する取り組みは、EU 全体の民意を聞くためのコンサルテーショ
ン(協議)の形で始められた。それは 2007年 9月から 2008年 11月にかけて行われ、CAP
ヘルスチェックの時期とほぼ重なっていた。CAPの長期的なあり方というテーマをめぐっ
て、ヘルスチェックのゆくえに圧力を加える意味でも注目された。
2007-2008年は、WTOドーハ・ラウンドが大詰めを迎えて、先進国農業保護の協調的
削減の方式について大枠の合意が形成されてきた時期であり、また世界農業市場では「地
殻変動」とも呼ばれるほど需給基調の変化が予測され、EU 農業にとって対外保護政策の
必要性が消滅するであろうことが専門家たちによって提示された時期である。27ヵ国に拡
13
大した EUにおいて、CAP批判がかつてないほどの盛り上がりを見せたのである。
コンサルテーションは、欧州委員会の予算・財政計画担当委員の責任のもとに行われた
が、一切のタブーなしに、EU 財政の在り方についての意見を広く求めることとされた。
加盟国政府、地方政府などの公的部門、各レベルでの民間団体、各種職能団体、大学・研
究機関等々、EUの全域から広く意見が寄せられ、その件数は約 300に達した。その成果
を発表する会合が、2008年 11月 12日、ブリュッセルで開催された13。また、意見を集約
した事務局報告書が別途作成されている14。
CAP に関する意見は多様であったが、農業予算の削減を求める意見が支配的であった。
以下では、その急先鋒である英国の意見と予算担当・財政計画委員の報告のうち、CAPに
関する部分を紹介しよう。
英国は、「グローバル・ヨーロッパ:21 世紀予算に関するヴィジョン」のタイトルを付
した文書を提出したが、そこには、農業部門を含む EU予算の改革方針が次のように述べ
られていた15。
① EU予算は、21世紀における市民にとって重要な主要課題に取り組むために根本的
な改革を必要とする。財政資金は次の 3つの優先分野における EUの活動にむけて再
編されなければならない。農業支持のための支出は削減されなければならない。
� 力強い世界経済における繁栄する欧州の建設。
� 気候変動に関する挑戦に対処すること。
� 安全、安定および貧困軽減の確保。
② CAPの第1の柱における支出は、漸進的に廃止する。また、気候変動に対処すべく、
再編される CAP の第2の柱における支払が、市場によって保証されない社会に対す
る環境的便益の提供に、集中的に充当される。
③ 構造基金および格差是正基金は、繁栄水準の相対的に低い加盟諸国の利益のための
重要な財源再配分機構として維持される。したがって、相対的に豊かな加盟諸国にお
ける構造基金は、漸進的に廃止される。
④ 輸送、自然資源保護、公安および市民サービスの分野における EUの政策は、引き
続き EUの財政支援を受けるものとする。
⑤ 予算支出計画の企画および管理の改善により、効果的かつ効率的な政策目的の達成
が確保されなければならない。予算規律の一層の強化のもとで、最高レベルの財政管
理および独立した監査が必要である。
いま1つ注目すべきは、予算・財政計画担当委員ダリア・グリバウスカイテ(Dalia
Grybauskaite)女史が 11月 12日の会合で報告したスライド資料における農業関係の記述
13 その会合は“Reforming the Budget,Changing Europe”とよばれ、詳しい内容が EUホームページに掲載されている。 14 European Commission,Consultation Report.Reforming the Budget,Changing Europe:Short Summary of Contribution, SEC(2008)2739 15 “Global Europe: vision for a 21st century budget”,HM Treasury,June 2008,p.3.
14
であった。そこでは、農業はコンサルテーションの最もホットな話題の 1つであったとし
て、次のように要約された16。
① 農業への支出は改革を要する。
② 新たな共通目標に沿った政策として CAPを維持する。
③ CAP支出の削減:直接支払いを漸進的に消滅させる。
④ 第 2の柱の増強、第 1の柱の共同負担(EUと加盟国との間で)。
⑤ 農村開発から地域格差是正への振り替え。
驚くべきは、予算・財政計画担当委員の名において、第 1の柱の「直接支払の漸進的廃
止」がコンサルテーションの帰結として提示されていることである。英国の主張をそのま
まに取り上げたこの記述は必ずしも正確なものではないと思われる。事務局の整理し、バ
ローゾ委員長と予算・財政計画担当委員の連名の「前書き」が付された報告書が別途公表
されており、そこでは、農業について多様な相反する意見が提出されたことが細かく指摘
されている17。
それとともに、重要なことは、コンサルテーションの帰結が、直ちに欧州委員会の見解
となるのではないことである。上記報告書のバローゾ委員長と予算・財政計画担当委員の
連名の「前書き」には、「このコンサルテーションに対するわれわれの政治的回答は、2009
年に欧州委員会が提出する財政見直しに関する報告書によって提示される」と述べられて
いる。しかし、この予告された欧州委員会の報告書は 2009 年には発表されることはなか
った。それは 2010年に発足する新委員会により 2010年春に提出されるが、後述のように
極めて政治的な配慮を加えたものとなると予想される。
3)CAPヘルスチェックにおける「2014年以降の CAP」の検討
2007年後半期から 2008年を通じるヘルスチェックの作業において、欧州委員会が CAP
の短期的な適応にますます傾斜する中で、ヘルスチェック作業を完了させるべき 2008 年
後半の議長国として、フランスは「2014年以降のCAP」という長期的な課題に固執した18。
フランスは、2008年 9月 23日アネシーで開催された非公式農相会議で、長期的な視点
から、将来の CAPが応えなければならない基本目標として次の4点を提示して、拡大 EU
の農政理念とこれにもとづく CAPの方向を議論するように取り計らった。
� EUの食料安全保障(衛生面を含む)の確保。
� 世界の食料の需給均衡への寄与。
16 原文では次のとおり。①spending on agriculture needs reform; ②maintain CAP as policy aligning with new common goals;③less for CAP: gradually eliminating direct aid; ④reinforce pillar 2, co-financing pillar 1;⑤shift rural development to cohesion policy. 17 上記の注6の報告書。なお、予算担当委員ダリア・グリバウスカイテは、リトアニア出身、「リトアニアの鉄の女」の異称をもつ若手女性政治家であり、欧州委員会の予算担当委員に就任するとともに、CAPに対する激しい批判によって著名となった人物である。2009年の春には、母国の大統領選挙に立候補し、大差で当選を果たした。 18 是永東彦「2008 年 CAP 改革―「ヘルスチェック」の成果と意義」農水省『主要国の農業情報調査分析報告書』(平成 20年度)農水省ホームページ
小幅な改革にとどめる 2008-2013 年と、大幅改革を実現すべき 2014 年以降との、改革 20 上記の6月のチェコおよび 11月のスエーデンでの演説のほかに、次の2点が注目された。"The challenges ahead for the CAP" (Speech by Commissioner Mariann Fischer Boel at the Agriculture Committee of the European Parliament, Brussels, 01/09/2009);"The future of the CAP after 2013" (Speech by Commissioner Mariann Fischer Boel at the Workshop on "The Future of the Common Agriculture Policy after 2013" at the EP Committee on Agriculture and Rural Development, Brussels, 11/11/2009). 21 特に興味深いのは、11月 11日の欧州議会農業委員会ワークショップでのスピーチにおける次のような発言である。「私は、我々が将来にわたり強い CAPを必要としていると確信している。私の見解について
新聞紙上で色々書かれているのを読んでいるが、私自身がすべてのことを市場に委ねたいと欲しているウ
ルトラ自由主義者であると書かれているのを知っている。これは全くのナンセンスである」と。自由主義
的伝統の強いデンマークの女性農政家であるだけに、存在感に欠ける印象を与えていたのかもしれない。
17
のプロセスを 2つの段階に区別することを意味する。かかる考え方は EUの政治日程が関
係していた。欧州委員会の任期が 2009 年秋で終了し、同時に新委員会が発足する。上記
の2つのステップのうち、第 1のステップは現委員会のもとで進められるが、第 2のステ
ップは次期委員会が担当する。こうして現行委員会は、2014年以降の CAPヴィジョンに
ついて必ずしも十分に熱が入らなかった。
しかし、2008 年後半に議長国を務めたフランスは、2014 年以降に向けた CAP の長期
ヴィジョンの検討を重視した。さらに、2008-2009 年における農業不況の深刻化が、フ
ランスをはじめとする農業的性格の強い諸国において、CAP改革のゆくえについて危機感
を高めた。フランスでは、元来、農業インタレストと縁のなかったサルコジ大統領が、欧
州委員会の CAP 改革における過度の規制撤廃と WTO 農業交渉における外圧への過度の
譲歩を激しく攻撃し始めた。
こうした中で、2009年 6月 2日、チェコを訪問した農業担当委員は、「2014以後の CAP」
をテーマとしたスピーチで、直接支払いの 90%以上がデカップルされ、中東欧を含む EU
諸国全体に所得支持制度が普及するとの 2003年改革の成果を誇示しつつ、「経済危機が終
了して農産物価格への圧力が軽減することを希望する」22との楽観的な見方を提示してい
たのである。
ようやく 2009年 11月下旬になって、再任されたバローゾ欧州委員会委員長が、次期委
員会の構成と「2020 年 EU 戦略」の策定に向けた基本政策とを決定したあと、欧州委員
会は「2014年以後の CAP」に関する準備を始めたように見える。
2009年 12月には、欧州委員会ウエッブ・サイト“The common agricultural policy after
2013”が設置され、欧州委員会は「農業政策展望ブリーフ」(Agricultural Policy
Perspectives Briefs No 1)を発表した。そこには今後検討すべき論点が整理されている。
また、ほぼ同じ時期に、次期農業担当委員に指名されたダチアン・チオロシュに対する
欧州議会の承認手続きが開始され、CAPの長期的方向についての新委員の所信などが欧州
議会から開示されはじめた。2010 年半ばには、2014 年以後の CAP について、新委員会
による提案が予定されている。
2)「強力な」CAP理念を推進するフランスの動き
フランス農政の展開に強力な主導性を発揮するサルコジ大統領は、2009年 10月 27日、
フランス・ジュラ地方のポリニーで、「我が国農業にとっての新たな将来」と題する演説23
を行い、次のように述べた。「フランスは、EU議長国を務めた 2008年、農業市場の規制
の改善のため、2014年以後の CAPの基本原則に関する議論を開始した。拡大 EUにおい
て、かかるイニシャテイヴがとられたのは初めてであったが、フランスの考える諸目標を
22 "CAP post 2013: What future for direct payments?" (Speech by Commissioner Mariann Fischer Boel at the Informal Meeting of Agriculture Ministers in Brno, Czech Republic, 02/06/2009) 23 Discours du président de la République « Un nouvel avenir pour notre agriculture », Poligny (Jura) – mardi 27 octobre 2009
18
めぐって、27カ国中 24カ国の合意を得ることができた。」そこで提示されたフランスの農
政目標は、次のようなものであった。
� 新たに定義される共同体特恵の確認。
� 真に機能する市場の制御手段の確立。
� 脆弱な国土空間(草地地帯、山岳地帯)における生産活動の存続。
� 環境保全的な生産的農業の重視。
こうした経緯を踏まえて、2009 年 12 月 11 日、パリにおいて、フランス農業大臣ブル
ーノ・ル・メールのイニシャティヴにより、「CAP の将来に関するパリ会議」が開催され
た。農業市場の新たな規制を支持する 22の EU加盟国の代表が参集し24、2014年以降に
ついて「強い CAP」を支持する合意文書「共通農業・食料政策に関するパリからの訴え」
25が作成された。そこでは、22ヵ国が支持する政治的選択が次の 4点に整理されている。
� 欧州の多様性を反映する欧州型食料モデルの選択。
� 市場の変動により良く対処し、欧州の食料生産の全部門で勝者となることを可能にす
る経済戦略の策定について、農業者を支援する必要性。
� 「農業は持続的なものとならなければ存在しえない」のであるから、環境に関する挑
戦に対処する必要性。
� 価格と農業者所得の安定化を可能にする欧州レベルの規制を確保する必要性。
C APの将来について EU加盟国がこうして 22カ国と5ヵ国に分断したことは、いかな
る意味を持つのであろうか。会議終了後、フランスの農業大臣は「積極的で、開かれた、
そして建設的な政治的シグナル」と意義づけた。彼は 2010 年 1 月には英国を訪問し、英
国の農業担当大臣と話し合うこと、22ヵ国の代表も欠席した諸国との意見交換をし、今後
2013年にかけて CAPの近代化の方途をともに検討する旨を表明した。2つの農業モデル
の間の論争の行方は、未だ不透明であるといえよう。
4.新欧州委員会の選択
2010 年初頭の時点で、CAP の「理想像」をめぐる論争の行方を見定めることは容易で
はない。農業政策における自由主義と保護主義の対立は古くして常に新しい問題であり、
歴史的にみれば、経済理論としては前者が優勢、政策理念としては後者が優勢であったと
いえよう。しかし、多少大胆にいえば、EU における今回の論争でも、歴史は繰り返され
ようとしているように見える。その背景としては、まず次の 3点が重要である。
� 現下の世界経済危機の衝撃とそのもとでの世界農業市場の過度の不安定性。
� WTO交渉の混迷と世界的に農政改革を推進する米国の主導力の低下。
� リスボン条約(EUの新基本条約)の発効と CAP制定における欧州議会の権能の強化。
24 欠席した加盟国は、英国、デンマーク、オランダ、マルタ、スウェーデン。 25 « Appel de Paris pour une politique agricole et alimentaire commune »,11/12.2009. フランス農業省ホームページ掲載
26 「2020年の EUのためのストラテジー」は、バローゾ欧州委員会委員長が 2009年 9月、次期委員会の任期について委任を受けるために欧州議会議長に提出した政治方針(political guidelines)で述べた「2020年の EUのためのヴィジョン」の構想を引き継ぐものである。 27 Commission working document Consultation on the Future “EU 2020” Strategy, COM(2009)647 final, 24.11.2009. なお、コンサルテーションに対する回答期限は 2010年 15日である。 28 この点は、新欧州委員会の予算・財政計画担当委員に指名された Janusz Lewandowskiが欧州議会に提出した次の文書による。 ”Answer to European Parliament Questionnaire for Commissioner-Designate Janusz Lewandowski (Budget and Financial Programming)” (EUホームページ掲載)。
20
予想する人々が、まず注目するであろうことは、彼がフランスの農業大学で学位を取得し
た農業経済学者であり、母国語のルーマニア語の他は、「フランス語に堪能(fluent)、英
語は良好(good)」という語学力をもち、農業担当委員に指名された時は、フランスのサ
ルコジ大統領の祝福を受けたことが報道されたことであろう。
CAPの将来の「理想像」について、フランスの立場に近い政治家であろうことは、想像
に難くないであろう。むろん、欧州委員会委員としては義務遂行の責任と個人的独立性と
いった強い規律に従わなければならない。
新欧州委員会の欧州議会での承認手続きの一環として、欧州議会からの質問事項に従っ
てキオロスが作成した回答書29には、現下の CAPの懸案事項についての彼自身の考え方が
記載されている。
� 将来の CAP は、欧州と世界の市場に対して食料および非食料の 1 次産品の安定的供
給を確保するとともに、環境的公共財を供給し、活力ある農村部と国土の均衡ある発
展に寄与する必要がある。デカップルされた直接支払により、市場のシグナルに従っ
た持続的農業活動を維持するとともに、社会の必要とする基礎的水準の公共財を提供
すること、さらに、良好な市場機能を確保し、過度の価格変動の問題に対処するとと
もに、農業者の所得を安定化する必要がある。
� CAPに含まれる農村開発政策は、農業の近代化と農村地域の経済的・社会的活性化と
の関係を適正に確保するとともに、農業が環境および気候変動に関連する公共財の増
進を図ることを可能にする優れた政策手段である。この視点から、農村開発と地域開
発の整合性をもった推進について熟慮する必要がある。
� 我々は CAP について適正な予算を持っていると考えるが、その財源の再配分に関す
る議論は、CAPについて規定する政策目標との関連で行われなければならない。農業
政策の目標を考慮せずに農業財政比率の削減目標を議論することは、無内容な議論と
なるように私には思われる。農業担当委員としては、CAPの適正な実施のために、適
正な財政手段を確保する配慮を行うであろう。すなわち、条約に規定された連帯原則
が尊重され、EU の食料安全保障の確保、市場の期待に応じた供給、環境の保護と農
村部の維持、気候変動に関連する挑戦への取り組み、農業者に対する適切な所得水準
の確保が課題となる。
� 私は、CAPは今後も強い政策でなければならない、そして近代的で、共同体的なもの
でなければならないと信じる。私は、CAPに関する共同決定方式については熱心な支
持者である。
29 « Reponses au questionnaire du Parlement européen destiné au Commissaire-Désigné Dician CIOLOS(Agriculture et développement rural) » 、EUホームページ掲載。