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森と村の二分性
森と村の二分性というものは、誰もが知る普遍性を有していますが、クメー
ル人の言語と思考の中では、この概念が特段に豊かな形で育まれてきたと言っ
ても過言ではないでしょう。
Prei - クメール語で「森」を意味しますが、「野性的な、危険な、敵意のあ
る、洗練されていない、非論理的な」といった広範な観念を包含するものとな
っています。
Srok - クメール語で「村」を意味しますが、「人間の、人間らしい、順応さ
れた、洗練された、社会的に認知された」といった意味を持ちます。
人間生活という小道は、常にこの二分性の極の間を行ったり来たりしている
のです。
蠢.「魂」を意味する Prolung
クメール語の prolung にはぴったり当てはまる訳語がなく、「魂」と訳されて
いますが、これはわれわれの生活が刻み込まれた二分性なる概念を反映し、こ
れに関連した用語となっています。個々人は19の prolung を持っているとされ
ています。健康な状態とは、身体の中に prolung がある状態を言います。問題
となるのは、予期せぬ事態──例えばある状況から他の状況への移行といった
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シンポジウム報告/第1セッション
《第1セッション》
カンボジアのアニミズム信仰と儀式に見られる人間性の関わり
ANG Choulean(アン・チュリアン)
カンボジア:APSARA(アンコール遺跡保護管理機構)文化研究部長
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社会的ステータスの変化(思春期、結婚、出産等)というちょっとした出来事に
伴う動揺──によりこの prolung の一部が抜け落ちまたは失われてしまうこと
です。その然るべき宿主から分離してしまった prolung は、森に封じ込まれて
しまうものと系統的に理解されています。そして往々にして森を跳梁する精霊
に捉えられてしまうのです。こうなると、宿主に prolung を呼び戻すためには、
「魂の呼び戻し」を意味する“Hau Prolung”という儀式を行うことが必要とな
ります。この儀式は様々な形態を取ります。
蠡. Prolung に関連する儀式
Prolung は様々な状況下で失われることから、これを呼び戻すための儀式も
様々です。まず最初に癒しのセレモニーについて取り上げたいと思います。こ
うしたセレモニーでは prolung を反映させた祭物が沢山用意されます。この祭
物は人間の身体の中にある全ての prolung を表わし、その集合的存在を再現し
ます。
盧 Bay Prolung(図漓)
この祭物は、人間に全ての prolung が十全に整っている状態を象徴したもの
となっています。人間の身体は自然──ただし、順応的で極めて人間的な自
然──の要素によって表現されています。Bay Prolung とは、炊いた米を盛った
器の上にバナナの葉で
できた円錐状のものを
乗せ、これをバナナと
サトウキビの薄片が取
り囲んだものとなって
います。ここでは、バ
ナナとサトウキビは順
応性と平穏性を表わし
ています。円錐の内部
ではバナナが米の中に
垂直に立てられていま
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カンボジアのアニミズム信仰と儀式に見られる人間性の関わり
図漓
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す。全体で男女の結合といった本質を想起させるものとなっています。図滷は、
病気の女性から失われた prolung を呼び戻している女性の写真です。柄杓を使
って器の中に prolung を集めようとしています。女性のすぐ後ろに立っている
女の子は、再結合した prolung を入れるための Bay Prolung を抱えています。こ
の呼び戻しの儀式が終わると再集合した prolung がその宿主、すなわち病気の
女性(図澆;頭髪は予め剃られている)のところに返されます。
盪 Baysei Doem
Bay prolung の次には、ある種の通過儀礼の中にも prolung を表わすものがあ
ることを見ていきたいと思います。Baysei Doem と呼ばれているものがそれで
す。ここでは男根に見たてたバナナの木に、甘い物その他の食物を張り付けた
物が祭物となっています(図潺の左側の写真)。この全体をさらにバナナの葉で
包み、その外層を布で覆います。図潺の右側の写真がそれで、この左右に並ん
だ祭物は prolung の存在を象徴したもので、仏門の得度式に用いられます。
蘯 Angkar Snang
図潸は老齢の女性の「延命」セレモニーの写真です。このセレモニーは老齢
者の寿命を延ばすことを目的としたもので、輪廻の成就を象徴したものとなっ
ています。儀式を施される人物の人格は、代用身体の中に移し替えられます。
そして象徴的意味合いによりこの代用身体は壊されることになります。この破
壊というプロセスにより再生が可能となるのです。代用身体は、皮を剥いた米、
そして頭部を表わすココナッツ、骨格を表わすサトウキビ、さらにあばら骨を
表すバナナからできています。すなわち、やはり順応化された自然ではありま
すが、自然的要素を用いて人間が作られているわけです。
蠱. 個々人の守護霊
理論上、全ての個人にはある種の守護霊がついているとされています。ただ
し実際には、農村地域に住む一定割合の女性だけが守護霊を体現できることに
なっています。こうした女性は Memot として知られ、憑依儀式において、あ
る種の霊が生者とコミュニケーションをとるために乗り移る霊媒としての役割
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シンポジウム報告/第1セッション
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を担っています。どの霊媒にも「出生の支配者」であるKru Kamnoet がいます。
霊媒自身、これを擬人化した形で把握しているわけではないようなので、「支
配者」という概念を明らかにするのは困難です。「支配者」は、Kachom と呼ば
れる祭物による具体的な、もしくは人的な方法で(少なくともアンコール地方に
おいては)具現化されない限りは、完全に抽象的な存在です。この Kachom と
は神像の形をしており、霊媒の家の神棚に置かれています。神棚からおろされ
るのは憑依儀式の時だけです。霊媒のトランス状態は、一般的儀式環境や然る
べき音楽や歌の存在、あるいはまた供物の種類といった様々な要素に左右され
ますが、Kachom は絶対不可欠となっています。霊媒は長い時間 Kachom を見
つめ続けます。そして音楽や環境の助けを借りながら、通常はやっとの思いで
トランス状態に入っていきます。霊媒は自分が握っている支配者(Kachom)
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カンボジアのアニミズム信仰と儀式に見られる人間性の関わり
図滷
図澆
図潺 図潸
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をもてなすため踊り始めます(図澁はトランス状態にある霊媒の写真)。
図澀では Kachom の写真3枚を掲げました。それぞれ、特定の霊媒の正式な
守護霊を実体化したものです。左側の写真の Kachom はココナッツに棕櫚の葉
を丸めたもの、ビンロウジュの実、装飾的な動植物のモチーフで飾った乾燥さ
せた椰子の葉を張り付けたものでできています(底の部分には蛇神の頭部を見て
取ることができます)。これに加えて、同じく椰子の葉でできた数多くの鳥が、
揺さぶれば動くように柔らかい茎に張り付けられています。
これら祭物の調査を基にして分かったことですが、Kachom は憑依された霊
媒の口を借りて人間の言葉を喋ってはいますが、根本的には動植物的要素から
構成されています。中央にある写真の Kachom も、ココナッツ部分が木製の棒
に変わっていますが、その本質は同様です。ただし、こちらの Kachom の細部
について特筆しておきたいこととして、これに被せられている円錐状の赤い帽
子があります。この部分を擬人化の第1歩と見ることができるのです。右側の
写真の Kachom は更に擬人化が進んでいます。帽子に加えて大きな赤いベルト
を身につけているからです。いずれの場合においても、理論上はあらゆる人間
にその出生時から付いている存在物なるものが、順応化された人間的な自然要
素からできているということを、興味深い点として指摘しておきたいと思いま
す。椰子の葉に刻まれた花のモチーフは高度に様式化されており、また蛇神は
純然たる神話的形態を保っています。言い換えると、自然をリアリスティック
に表現するのではなく、kbach ──人間の介入が色濃く刻まれた、自然を基盤
にしたモチーフの図式化──として知られるものを示しているのです。同時に
また「支配者」も完全に擬人化されているわけではありません。人間と自然を
結びつけるこれ以上縮減する余地の無い絆を想起させるかの如く、その「動植
物」としてのルーツは保ったままなのです。
蠶. 村のコミュニティとその土地
アンコール地域とタイの北東部にまたがる数多くの円形環濠集落の1つにロ
ヴェアという村があります(図潯)。その中央には「村の中心」(phcet phum)ま
たは単に「御村」(preah phum)と呼ばれる木製の支柱が立てられています。こ
の後者の呼び方は、支柱が村そのものになり代わっているかのようで興味深い
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ものがあります。そして実際、こうした円形環濠集落の村の儀式慣行を調査し
てみると、村に帰属する全てのエネルギーがこの中心点に収束しているという
ことが分かるのです。例えば干ばつ時に雨乞いのために行われる支柱の洗浄儀
式では、支柱を洗うことが村のコミュニティ空間全体に雨乞いの効果を及ぼす
のです。この支柱と村との関係は、小宇宙(ミクロコスモス)と大宇宙(マクロ
コスモス)の関係になぞらえることが可能です。つまり、支柱に対する象徴的
な雨が村全体に実際の雨をもたらすのです。
カンボジア全土では、自然のままの石やシロアリの蟻塚(図潛)が全体を表
わすものとして拝まれています。これは極めて古い信仰です。ヒンズー教中心
の時代(西暦で言うとおよそ6世紀から13世紀)には、男根(リンガ)崇拝がこの
古代信仰と渾然一体となります。男性器をかたどったシバ神の象徴的表出であ
るリンガは、有名なインドの偶像のように彫刻によってできたものばかりでは
なく、その形が男性器を想起させる天然の岩もまた崇拝の対象となってきまし
カンボジアのアニミズム信仰と儀式に見られる人間性の関わり
図澁
図澀
図潯
図潛
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た。図濳は洞窟内にある煉瓦で作られた聖域です。おそらく西暦6世紀頃のも
ので、そこでは男根(リンガ)に見たてられた石筍を守るために煉瓦が周りを
囲んでいます。
もう1つ興味深い点として、初期の男根崇拝の中にその擬人性が文字通り封
じ込められた偶像が存在することが挙げられます。図潭の左の写真がそれです。
この彫像の腕は、胴体部分と一体した形で図式的に描かれているだけです。ヒ
ンズー教における偶像崇拝の伝統的要素であるmukhalinga(図潭の右の写真参照)
との一致をここにも見ることができます。
こうしたリンガや男根の象徴が、単に男性の生殖器だけを意味しているもの
と考えるのは間違っています。村の中央部の支柱、巨石、シロアリの蟻塚、そ
してリンガといったものは、いずれも、それが生えている(または植え付けられ
ている)土地と密接に関連しているのです。土地の本質は女性です。土地は人
間を育んでくれる母親であるとして人類全体に認識されているのです。すなわ
ち、リンガや男根の象徴といったものは、男性-女性による二元的複合物なの
であり、かかる複合物としてのみ機能するものなのです。村の中央にある支柱
に収束する土地というものは、支柱が性的に統合されたものでコミュニティに
富をもたらす限りにおいて、その価値が維持されて行くのです。
蠹. 文化が作るミネラル・ウォーター
水は自然要素の1つではありますが、人的介入を行うことによりこの自然要
素が一定の価値を持つに至ります。その良い例を、シエムリアプの北部にある
クバル・スピアンの川に見ることができます。ここでは、川底に直接掘った彫
刻の上を川の水が流れているのです。ヒンズー教の神話の場面を彫ったもので、
中でも数多くの一対になったリンガ‐ヨニ(男性シンボルと女性シンボル)が目
立っています。下流にある稲田に流れ込む前に、この神聖な彫刻の上を流すこ
とにより水を浄化するという仕組みになっているのです(図澂)。同じような水
の浄化の仕組みは、アンコール時代に作られた最大の人口貯水池である西バラ
イにもあります。貯水池の中央にメボンという人工島があり、さらに人工島の
中央には、巨石に囲まれた井戸があり、この井戸が空洞のリンガと見なされて
います。この空洞リンガが貯水池の中に没する形になっていることから、
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田畑に流れ込む前に水を清めて豊饒なものにするという効果が生まれるのです
(図潼)。
以上カンボジアの事例について取り急ぎ概観してまいりましたが、こうした
事例は、個人であるか社会であるかを問わず、言葉の最も広い意味において、
人間というものは自然──ただし文化的痕跡を深く刻まれた自然──と緊密に
関わっていること、そして人間とは自然の子なのだということを理解する上で
その端緒となってくれるものと思われます。これを人間性(human nature)と呼
ぶことにより、人間性という使い古された言葉に新たな意味合いが付加される
ことになるでしょう。
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カンボジアのアニミズム信仰と儀式に見られる人間性の関わり
図潭図濳
図潼図澂