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使26 調稿我在昆明 Vol.25 (2012 年 1 月 14日 星期六(土曜日)) 文・写真・編集 平田栄一/ Copyright@2011 by Eiichi HIRATA 12 40 12 23 30 12 31 12 31 31 10 使12 30 30 使クリスマス・イヴの南屏街は去年同様に、勝手ご免の「スプレー雪吹きかけ合戦」で大 騒ぎだった。タイ国出身のクラスメイトは準備万端整えて戦場に突入するも、あっけな く返り討ちに合い雪だるま状態に。今年はビニール製の「ハンマー」が登場した。
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消えた簡体字 「愛」から「心」が - JIITP「口语课」の試験は筆記試験と口頭試験の2本...

Jan 23, 2020

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Page 1: 消えた簡体字 「愛」から「心」が - JIITP「口语课」の試験は筆記試験と口頭試験の2本 ものの優劣も試される。た。中国語の発音・文法の正確さと発表内容そのは、

を開ける前に箱を壊してしまうのではないかと心

配してしまう。「タクシーを止める」のも「打ダ・チャ车」

という。渋滞の激しい昆明とは言え、車を叩かれ

たらタクシーの運転手でなくとも怒るに違いな

い。はなはだ乱暴な車の止め方をするものだ。

 

忘年会の席で高ガオ・ミン明先生にこの「打……」表現の

疑問を話したところ、高先生は「そんなこと考え

もしなかった。でも、とても面白い疑問ですね」

と笑っていた。中国語を日常使っている中国人が

私のような疑問を抱くことはないのだろう。数日

後、高明先生からメールが届いた。中国語の辞書

には、「打」には26の意味や用法が記載されてい

ると教えてくれた。手元の電子辞書で日本語の

「打」を調べてみたところ、最大で5つの意味し

か記載されていなかった。「中国語は複雑かつ奥

が深い」と感心しつつ、ふと気がついた。日本語

にも「打開」があった。「行き詰まった状況」は「開

く」よりは、「打開」の方がぴったりくる。

 

意外なことも知った。ある中国人学生によると、

「打电话」はもともと中国語にはなかった表現だ

そうで、日本侵略時代の日本語が中国語化したも

のだという。真偽は確認していない。

 

そんなこともあって、中国語の「打」の意味の

多様性と日本語の「打」の違いをスピーチのテー

マにしようと原稿作りにとりかかった。が、数時

間も経ずして、その内容を表現できるだけの中国

語能力がないことを痛感。2度目の挫折。「打」

を諦めた。

 

その後数日迷っていたところ、阅读课の教科書

の中に「麻マアポウドーフ

婆豆腐」の由来を記した文章を見つけ

た。これを「天の助け」と言わずしてなんと言お

うか。テーマを「麻婆豆腐」に変えた。日本では

四川省出身の陳建民さんがテレビで紹介したこと

によって日本中に広まり、いまでは中華料理の代

名詞とも言えるほど人気のある料理となったこと

をつけ加えて、スピーチをまとめ上げた。中国人

が知らない日本と中国のつながり。これが効を奏

したのか、スピーチ終了後、担当の杨ヤン・ダン丹

老师から

「很有意思(興味深い)」の講評を得た。

1月7日

 

日本へ一時帰国。留学生の多くが帰り支度を始

めていた。タイ国出身の美メイリ丽と青チンチン青は同郷の学生

とともに船でメコン河を下って帰国すると言う。

ロシア出身のデニスは女朋友のルーシーと二人で

新学期が始まる3月までタイ、ミャンマー、カン

ボジア、ベトナム、ラオス、マレーシアを放浪す

ると言って、6日に昆明を旅立った。スウェーデ

ン出身のオリビアも、オーストリア出身のエリサ

もインドシナ半島の国々を放浪した後にそれぞれ

の母国へ帰ると言っていた。雲南省はASEAN

諸国の多くと隣接し、しかも1本の大河でつな

がっている。雲南から見る日本は遥かに遠い。

我在昆明 Vol.25 (2012 年 1 月 14 日 星期六(土曜日))

文・写真・編集 平田栄一/ Copyright@2011 by Eiichi HIRATA

「愛」から「心」が

消えた簡体字

12月中旬の某日曜日

 

2年目の前期が終盤を迎え、大学とアパートを

往復するだけの平穏無事な生活の中で、時として、

ドキッとする出来事に出くわすことがある。

 

午後4時過ぎ。クラスメイトの美メイリ丽から携帯

メールを受信。「いま、学生寮の6階の窓から男

子学生が飛び降りようとしている。女朋友(恋人)

の名前を叫んでいるらしい。寮の周辺は大騒ぎ」

とのことだった。

 

翌日、教室はこの話で賑わった。老师の話では、

学生の男女関係のトラブルやケンカ、寮内の窃盗

事件が後を絶たないそうだ。数年前、校舎の屋上

から女子学生が投身自殺を遂げる事件があったそ

うで、女子学生は妊娠していたそうだ。別の老师

の話では、雲南大学で男子学生が寮の同室の男子

学生3名を殺害する事件があった。原因は「悪口

を言われた」ことだったそうだ。いずれも公には

ならなかった。老师は「現代の中国人学生は「一

人っ子」で育っているので、精神面の成長が未熟

だ」とも言っていた。

 

改革開放から40年、純情無垢な時代は過ぎ、い

まや「恋愛」の二文字に頬を染める学生はほとん

どいない。それどころか白昼公然と抱き合ってい

るのも珍しくない。老师の悩みは増えるばかりだ

そうだが、日曜午後のこの事件、幸いなことに女

朋友が駆けつけ、人騒がせな珍事に終わった。

 12月23日

 

雲南大学滇池学院日本語学科の高ガオ・ミン明先生のお誘

いを受けて忘年会。中国語浸けの中で日本語の「忘

年会」の言葉がえらく懐かしかった。

 

高明先生とは、この春、昆明にある藤沢会館(昆

明市と神奈川県藤沢市との友好都市提携を記念し

て建設された建物)で行われている日本語交流会

でお目にかかったの最初だった。その折、日本人

の早口かつ抽象的な日本語を中国人学生に通訳さ

れる巧みさと流暢な日本語に感服して、名刺交換

をさせていただいたのが始まりだった。

 

高明先生は30代の半ばくらいだろうか、身長

180センチ超の長身ながら、気遣いの細やかな

イケメン先生で生徒の信望が厚い。高明先生と面

識を得たことで滇池学院の学生諸君にも日本雲南

聯誼協会の活動を支援してもらっている。

12月31日〜1月6日

 

12月31日。「大晦日」だというのに期末試験の

初日。中国でももちろん「除夕(チュウシィ/大

晦日)」だが、中国の人々にとっては農暦の「春

节(チュンジエ)」の方が重要で、明日からの「正

月」は3日間休日になるものの、「年末年始」の

格別さはない。生活のリズムはまったく普段と変

わらない。したがって、期末試験が行われてもな

んの違和感もないのである。

 

私の所属する初級C班の期末試験は、31日の「综

合课」から始まって、正・・・・

月明けの1月4日に「口

语课」、5日に「阅读课」、6日に「听力课」が行

われ、試験終了とともに前期の課程が終了した。

 「综合课」の試験は筆記試験のみだったが、最

後の問題が「『我的朋友(私の友だち)』のテーマ

に基づき、10以上のセンテンスを用いて500字

以内で作文せよ」というものだった。文法・語法

の正確さと内容の有無、そして「简体字(中国で

使っている略字)」の正確さが採点対象になって

いた。

 

作文問題のテーマと条件は12月初旬に示されて

いたので、対策には十分な時間があった。3日程

で素案を書き上げた。それを学生老师の王东玲さ

んに添削してもらった。王さんは30分程の時間を

かけて私の作文に目を通し、「ここはなにを言い

たいのか」「ここはこういう意味か」と私が書き

表したい文の内容を確認し、その意を表す文にな

るように赤字を入れてくれた。

 

最後の授業の日、清書した回答案を担当の尹老

师に見せた。老师曰く「中国人学生に見てもらっ

たのか」と。多分、出来過ぎていたのだろう。尹

老师は誤字を1カ所指摘しただけで、「没有问题

(問題なし)」と返してくれた。書き上げた回答案

は1200字ほどになっていた。お蔭で試験当日、

回答案を解答用紙に筆記するのに30分もかかって

しまい、ほかの問題をじっくり考える余裕がなく

なってしまった。

 「口语课」の試験は筆記試験と口頭試験の2本

立てだった。形式は前期の期末試験と同じだが、

口頭試験の内容は高度になった。HSK(中国語

検定)4級を意識した試験で、「3つある課題の

中から1つを選択し、8つ以上のセンテンスを用

いて、3分以上4分以内でスピーチすること。書

いたものを見ることは禁止」というもので、課題

は、「漢字」「中国の名所旧跡」「中華料理」であっ

た。中国語の発音・文法の正確さと発表内容その

ものの優劣も試される。

 

当初、簡体字の「爱アイ

」の字を取り上げようと考

えた。「愛」に「心」がないのである。「愛」は身

体のどこで感じるのだろうか。唯物論では「大脳」

ということになるのだろうか。簡体字をどのよう

な考えで考案したのか好奇心が沸いて来た。これ

はなかなか面白い発表になると思った。ところが、

授業中に老师に「中国の「爱」には「心」がない」

ことを言われてしまい、あえなく撤回。

 

そこで、私が感じた漢語の表現の不思議さを取

り上げることにした。その切っ掛けは、中国語の

日常表現の中に「打ダ

……」という表現が実に多く

使われていることに気づいたからだ。「打ダ・デェンホア

电话(電

話をする・かける)」「打ダ・カイ开(開ける)」「打ダ・ツオ错(間

違える)」「打ダ・ドゥ赌(賭けをする)」「打ダ・スアン算(…するつ

もり・計画である)」「打ダ・ゴン工(アルバイトする)」

などなど多種多様の「打……」がある。

 「打赌」は日本

語でも「バクチを

打・・つ」というから、

多分、ここからきて

いるのだろう。だが、

「打算」には驚いた。

日本語では「損得を

計算する」という意

味合いがあるが、中

国語にはない。教室

で「……するつも

りだ」を「我打算

……」と発話すると

き、どうしても日本

語の「打算」の語感

が頭を横切り、後ろ

めたさを感じてしま

う。「打开」に至っ

ては、「箱を開ける」

のに「打」では、箱

クリスマス・イヴの南屏街は去年同様に、勝手ご免の「スプレー雪吹きかけ合戦」で大騒ぎだった。タイ国出身のクラスメイトは準備万端整えて戦場に突入するも、あっけなく返り討ちに合い雪だるま状態に。今年はビニール製の「ハンマー」が登場した。