頭蓋底部と下顎骨に特異な成長パターンをみた重度下顎前突の 1 例 吉武 崇 § 大塚雄一郎 佐々木 会 成田亜希子 松井 成幸 須田 直人 明海大学歯学部形態機能成育学講座歯科矯正学分野 要旨:患者は,初診時年齢 8 歳 5 か月の男児,受け口を主訴に来院した.検査の結果,下顎骨過成長の骨格性Ⅲ級,前 歯部反対咬合症例と診断された.第 1 期の治療目標として,可及的に上下顎骨の前後的不調和を改善し,思春期性成長終 了まで経過観察後,再診断することにした.上顎前方牽引装置により前歯部反対咬合を改善後(15 か月),一年毎の経過 観察を行った.18 か月後,前歯部反対咬合が再発したが,骨格性の不調和が大きいことを踏まえ,思春期性成長終了ま で経過観察を続けた.成長終了後,骨格性下顎前突と顔貌の改善および緊密な咬合の確立のため,外科的矯正治療を計画 した.顎矯正手術は下顎枝矢状分割術のみでは移動量が大きいことから,上下顎移動術を施行した.術前矯正と術後矯正 は,各々 20 か月,15 か月を要した.保定開始 12 か月後の現在も機能的咬合が維持されている.本症例では,成長観察 期に頭蓋底部と下顎骨が特異な成長パターンをたどり,骨格性の下顎前突が増悪したと考えられる. 索引用語:長期成長観察,上下顎移動術,頭蓋底,下顎成長,下顎前突 A Case of Mandibular Excess Characterized by Abnormal Growth of Mandible and Cranial Base Takashi YOSHITAKE § , Yuichiro OTSUKA, Au SASAKI, Akiko NARITA, Shigeyuki MATSUI and Naoto SUDA Division of Orthodontics, Department of Human Development & Fostering, Meikai University School of Dentistry Abstract : The patient was a boy aged 8 years and 5 months at the first examination, with a main complaint of anterior cross- bite. He was diagnosed as mandibular excess with anterior crossbite. The aim of the phase I treatment was to improve skeletal dis- crepancy and to observe mandibular growth continuously till the end of adolescent growth when treatment plan can be revised. He was observed once a year after the anterior crossbite was improved by using maxillary protractive appliance (MPA)for 15 months. Around 18 months after using MPA, the anterior crossbite was relapsed. The long-term observation was continued till the end of the adolescent growth. After completion of skeletal growth, orthognathic treatment was planned to improve his skeletal mandibular protrusion and facial appearance, and to obtain stable occlusion. Since it was difficult to improve his intermaxillary discrepancy solely by mandibular sagittal split ramus osteotomy(SSRO) , two-jaw surgery including SSRO and Le Fort I osteot- omy was planned. Twenty and 15 months of presurgical and postsurgical orthodontics were carried out, respectively. After the treatment, his facial appearance and occlusion were greatly improved. The retention was continued for 12 months and his func- tional occlusion was maintained. In this case, the characteristic growth of cranial base is thought to be associated with the severe mandibular excess. Key words : long-term observation, two-jaw surgery, cranial base, mandibular growth, mandibular excess 明海歯学(J Meikai Dent Med )40 (2) , 199-211, 2011 199
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A Case of Mandibular Excess Characterized by …...of Mandible and Cranial Base Takashi YOSHITAKE , Yuichiro OTSUKA, Au SASAKI, Akiko NARITA, Shigeyuki MATSUI and Naoto SUDA Division
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成長期の骨格性下顎前突症患者では,思春期性成長により重篤な骨格性の不調和を示す症例もみられ,治療方針立案にあたり上下顎骨の成長量や方向の予測が重要となる.坂本ら1)は,思春期性成長期における男子骨格性下顎前突者の顎顔面頭蓋の成長変化量について,骨格性下顎前突症(Class III)群と良好な顎間関係を有する(Class I)群との比較検討を行った結果,両群間の上下顎骨の成長変化量は近似しており,Class III 群では下顎骨の過大な成長による顎間関係の増悪は示さないと報告している.さらに,顎間関係の不調和の原因の一つとして,Class III 群の後頭蓋底の成長量は Class I 群と比較して有意に小さいことを報告している.すなわち,顎間関係の不調和の増悪には,後頭蓋底の後方成長量が小さいため,下顎前方成長が増大する.このような頭蓋底と下顎の成長の関連性に関しては,他にも報告2−4)があるものの,その詳細は不明な点も多い.思春期性の成長によって顎間関係の不調和が生じ,第
2期治療に顎矯正手術を適応する症例5)が多い.術式の選択に際しては,骨格,歯の偏位量,顎骨の移動量,機能的な問題,顔貌のバランス,手術侵襲,患者の希望等により総合的に判断される.外科的矯正治療における下顎枝矢状分割術による下顎後方移動量は,15.0 mm 程度が限界であり,それを超えるものについては上下顎移動術の適応が検討される.黒田ら6)は,術後の安定性を上下顎移動術と下顎枝矢状分割術単独症例と比較し,前者の適用により,下顎移動量が減少し,術後の安定性が増すと報告している.今回著者らは,下顎骨過成長に起因した骨格性Ⅲ級,前歯部反対咬合の男児に対し,第 1期治療として上顎前方牽引による被蓋の改善を行った.本症例は,その後の長期経過観察において,後頭蓋底の後方への成長が乏しいことにより,下顎骨の著しい前方成長により顎間関係が増悪し,外科的矯正治療の適応となった.顎矯正手術の術式の選択では,下顎骨単独では移動量が大きいため,術後安定性を考慮し上下顎移動術を施行した.治療後,骨格的な不調和の改善が得られ良好な咬合が獲得された.
症 例
Ⅰ.第 1期治療(8歳 5か月~9歳 10か月)初診時年齢:8歳 5か月 男児主訴:受け口家族歴:父親が前歯部切端咬合の下顎前突であった.顔貌所見:正貌では,若干右方偏位を認め,口唇閉鎖時のオトガイ筋は緊張していた.側貌では中顔面の陥凹感と下顔面部の突出感を認め,concave type を示し,long
face を呈していた(Fig 1).口腔内所見:口腔清掃状況は良好で,上下顎第二乳臼歯に修復物が認められた.下顎左右乳犬歯を含む前歯部反対咬合を示し,overjet-2.5 mm, overbite+3.0 mm, midline
は顔面正中に対し上顎は一致し,下顎では右側に 1.5 mm
偏位していた.第一大臼歯咬合関係は両側 AngleⅢ級で,下顎歯列の第一乳臼歯早期脱落による歯列弓長が減少しており,予想される arch length discrepancy は上下顎で-3.0 mm であった.なお,構成咬合位は採得できなかった.パノラマ X 線写真所見:歯数の異常は認められず,上下左右第二大臼歯の歯冠形成が開始していた(Fig 2).側面頭部 X 線規格写真所見:SNA 80.0°,SNB 84.0°,ANB
21.0°,corpus length 69.0 mm より下顎過成長であった(Fig 2, Table 1).U1 to FH 121.0°,IMPA 81.0°,FMIA
68.0°,U1 to A-Pog 5.0 mm, L1 to A-Pog 8.0 mm と前歯歯軸は骨格の不調和を補正するように,上顎前歯は唇側傾斜,下顎前歯は舌側傾斜していた.頭蓋底は,cranial base angle(∠Ba-S-N)が 124.0°と
小さく,距離計測の結果は Ba-S 間 44.0 mm, S-N 間 68.5
mm, Ba-N 間 100.0 mm と計測された(Fig 3, Table 2).S-N 間の距離を 1とした時,Ba-S : S-N : Ba-N=0.64 : 1 :
1.46であった.Cranial base angle が小さいことから下顎の後方への成長は期待できず,顎間関係の不調和が年齢とともに増悪し,Ba-S の比率が大きいことより下顎骨は反時計回りに回転する可能性が示唆された.診断:上顎標準位,下顎の前方位と過成長,上顎前歯唇側傾斜と下顎前歯舌側傾斜を伴う骨格性下顎前突症.治療目標:手根骨 X 線写真より第三中節骨骨端核の幅は一致しておらず,思春期性成長はまだ開始前と考えられ,1期・2期に治療時期を分けて行なう必要がある.第 1期治療では,上顎の前方成長促進と中顔面の陥凹感の改善により調和のとれた側貌観を得ること,前歯部反
to FH 133.5°と上顎前歯唇側傾斜の程度が軽減されIMPA 73.0°,FMIA 76.0°,U1 to A-Pog 10.0 mm, L1 to
A-Pog 7.5 mm となった(Fig 13, Table 1).
考 察
1.第 1期治療について第 1期治療では,下顎骨過成長による骨格性反対咬合の診断のもと,上顎前方牽引による改善を行った.植木ら8)は,学童期からの上顎前方牽引装置の使用は前歯被蓋を早期に改善し,その後の上顎骨の正常な成長に有効なことを報告している.本症例においても,上顎前方牽引使用開始から 15か月後に前歯部被蓋が改善し,その後の長期観察に移行した.しかしながら,上顎骨前方牽引の主目的は上顎骨劣成長の改善であり,本症例のような下顎骨に起因した不正咬合症例では,骨格的な不調和の根本的な改善を図ることはできない.さらに,前歯部反対咬合の改善には,下顎の時計回りの回転を助長し,結果的に long face と上顎前歯の唇側傾斜を惹起した(Fig 6).上顎前方牽引は前歯部を起点とし,第一大臼歯を過度に挺出させないよう設計し,牽引期間についても長期化しないように配慮した.しかしながら,上顎の前方成長は,旺盛な下顎成長に比べ十分ではなかった.前方牽引終了後は,保定装置やチンキャップ等の装置は使用せず経過観察を行った.これは観察期間が長期化
Fig 14 Superimpositions of cephalometric tracings(before and after surgery and treatment)
gle Class II の咬合関係とする治療計画であった.この計画では,上顎前歯の舌側移動により下顎後方移動量は19.0 mm と予想され,現実的なプランとは考えられなかった.そこで次に,非抜歯のもと上顎大臼歯の遠心移動を行い,上顎前歯の upright を図ることとした.この計画のもとで治療を行ったが,術直前の評価では上顎歯列の遠心移動量は十分ではなかった(Fig 14).上顎大臼歯の遠心移動に際しては,上顎第三大臼歯の抜歯により上顎骨後方歯槽骨の厚みが減少し,大臼歯の遠心移動スペースが少なくなる懸念から,上顎第三大臼歯の抜歯は顎矯正手術中に計画した.本症例における上顎第一大臼歯の遠心移動量が不足した原因の一つは,上顎第三大臼歯の抜歯時期にあったと考えられる.第 2期治療開始時おける骨格系の評価は,上顎骨標準位,下顎骨過成長による重度骨格性下顎前突であった.加えて,下顔面高の過大による long face が認められた.このような症状の改善のためには上顎骨の上方移動を図る必要があるが,上顎骨の上方移動により前方移動量が増加する.術前の顔貌を踏まえ,上顎骨の前方移動量が必要以上に大きくならないように計画を立案した.本症例の治療結果として,A 点は前方へ 3.0 mm, PNS
は上方へ 2.0 mm, Pog は後方へ 13.0 mm 移動し,術前に計画した上下顎骨の移動と近似した結果を得た.上顎骨の上方移動量については,大臼歯部の上方移動によるlong face の改善と上顎前歯歯軸の可及的 upright を図る目的から,前歯部を回転中心に設定した.しかしながら,実際は回転中心が大臼歯部になっており,前歯部は前下方に挺出し,術後の咬合平面から Me までの距離は
下方へ 3.0 mm 長くなっていた.松岡ら9)は,術中の上顎骨の垂直的位置決定に際して,鼻根部に直径 1.0 mm
のキルシュナー鋼線を挿入し,この鋼線と上顎中切歯切端部との距離を計測して垂直的位置決定を行っている.今後,上下顎移動術における上方への移動に際しては,このような定量的な移動が可能な工夫が必要と考えられる.また,保定開始時には動的治療終了時と比較して咬合平面から Me までの垂直距離はさらに増加し,下顔面高が増悪した.浅井10)は晩期成長について,12歳から 20
面を構成する要素の大きさと配置の両方が重要であると述べている.頭蓋底が上下顎骨の成長に影響を及ぼすことはよく知られているが,いまだ一致した意見をみない.上顎骨と接する前頭蓋底の蝶篩骨軟骨結合は比較的早期に成長を終了する.一方,下顎骨は後頭蓋底に近接する側頭骨関節窩の位置に影響を受け,後頭蓋底の成長起点である蝶後頭軟骨結合の成長は成人まで続く.しかしながら,成長期の患者における,下顎骨の成長方向や成長量に大きな影響を及ぼす頭蓋底に対する評価法は確立されていない.そこで今回著者らは,側面頭部 X 線規格写真を用い
base compensation)と呼んでいる.平均的な成長パターンでは後頭蓋底の水平的な成長により,下顎骨の前方成長に緩衝作用が働くと考えられる.本症例の初診時側面頭部 X 線規格写真から,cranial base angle が小さく,頭蓋底の距離計測より,Ba-S : S-N : Ba-N=0.64 : 1 : 1.46
Ⅱ級ならびにⅢ級不正咬合の判別を行った黒川ら13)は,Class II 群は脳頭蓋底角が大きく,Class III 群は脳頭蓋底角が小さく,Ba や Ar の位置が下顎の前後的位置に影響を与える重要な要因であると述べている.また En-
low ら14)は,脳頭蓋底角の開大した特徴をもつ長頭型では,上顔面部の前突と下顔面部の後退の傾向が強く,脳頭蓋底角が小さく直立した特徴をもつ短頭型では,下顎骨全体が前上方に回転し下顎が前突すると述べている.本症例はこれら全ての Class III の特徴と合致し,後頭蓋底の水平方向の劣成長により,下顎骨が初診時の fa-
14)Enlow DH, Merow WW and Moyers RE : Normal Variationsin Facial Form and the Anatomic Basis for Malocclusions. In :Handbook of Facial Growth. W. B. Saunders, Philadelphia, pp186−225, 1975