1/45 なすそ一寒が明け、一が吹いた。住宅の窓にはッが全盛とな、室内かの様子はととかない。広のーには、まだながの枠の一間幅の窓があった。鍵もながの小さな廻し鍵であ。その側は、やは製の雨戸があ、細工物の二つの片左右や上下にずせて鍵としてい。いまや一人しとなった広は、目覚めと、厚手のーの向こうに雨戸の隙間か射す明か目や。のあ日には、雨戸や窓がと小さな音立てた。雨の日は、にその気配があった。の、そのひと広は愛でていた。寝具の掛け物も一週間ほど前か一枚取除けた。地球が実に回っていうに起床の室内の気も少しずつ上がってきていた。なーで元気良く乗出したいとこだが、そそ梅もいいこあいと思、その聞きに近くの梅園に出かけた。千坪もないだうと思庭園には、説明版にば十種近くの梅が植えてい。梅園に相応しく、老人や車椅子の訪問者もいが、若い性が独梅聞いていのも絵にな。年、近所に住でいたという俳人中汀の歌も建ってい。広にもかつて、仕事やそのの事会などでく午前様帰宅があった。高度経成長代支えた「企業戦士」そのものであった。そな頃でも、週には自分の子供ここへ連てきた、後輩たちと梅花の下で静かな酒宴催したこともあった。三十年近くも通いつづけた梅園だが、店や音撒き散すーーもなく、のままの静かさ保っていのが嬉しい。この近辺へ新で居構えた頃、広はにぞっこであった。広にとっては、雑誌の編集という仕事か、資系の広告代店での、PRというまのまったく新しいの仕事に切込でいくという、実に意欲的な頃でもあった。広告代店といえば広告のーーといって、費者の心にぐさと刺さうな美文創作す職種があって、装も誇張もない実的な雑誌記事いてきた広か見と、鳥肌が立つうな惹句のもとに、薄く白いーのひひが舞ううな華麗な広告文案作っていた。