Page 1
1.兵法に学ぶ戦略と戦術
15
1.兵法に学ぶ戦略と戦術
これから IT プロジェクトマネジメントを考えていく上での基礎としたい兵法につ
いて、概要をご紹介したいと思います。
『 五輪書』
かの剣豪、宮本武蔵が自らの生涯を通じて得た兵法の奥義について記したもので、
次の 5 巻から成っています。
・地之巻 兵法のあらまし、理論的根拠
・水之巻 水を手本にした心の持ち方など兵法の概論
・火之巻 戦闘、勝負における実践技法
・風之巻 …世の中の諸流派を比較し、特徴を明らかにする…
今で言うところのベンチマーキングですね
・空之巻 兵法の究極、空の道について
『 孫子の兵法』
2500 年ほど前の世界最古の中国の兵法書。戦いの原理・原則、戦略や戦術につい
て説いた本です。古くから多くの将が読んできたのは当然ですが、現代でも経営戦略
や人生訓として読まれています。戦わずに勝つには、戦うにしても最小の損害で勝つ
にはどうすればよいか、そのための駆け引きをどうするか。「 彼を知りて己を知れば、
百戦して殆うからず」という有名な言葉にあるように、情報を活用して「 戦わずし
て勝つ」方法を説いています。宮本武蔵が、戦って勝つことを直線的に追求したのに
対してこちらは、変化球といったところです。
『 兵法三十六計』
こちらも、中国の古い兵法書ですが、いつの時代に、誰が書いたのかははっきりし
ていません。基本的な考え方は、孫子の兵法と同じく「 戦わずして勝つ」ことです。
Page 2
16
1.兵法に学ぶ戦略と戦術
そのための策略が 36 計( 策)としてまとめてあります。中国では、戦わずして勝つ
のが最良の策であるとされています。日本人の正面突破、愚直というのとは若干、趣
を異にしています。要するに武力( 腕力)ではなく、策略( 頭)で勝つということです。
武力ではなく、頭で勝つというのが、現代での実践に応用しやすいところです。
大砲で相手の船を沈めるのも、新製品で相手のシェアを奪うのも、入力−処理−
出力というシステムにおいて、いかに自軍の損失を最小にして、最大の効果( 戦果)
を挙げるかという点で共通点があります。
Page 3
17
1.1 戦いの原理・原則
1.1 戦いの原理・原則
さて、戦いにも原理・原則というのがあります。何だと思いますか?
それは、ただひとつ「 優勝劣敗」です。
“ 優れたものが勝ち、劣るものが負ける”
どうです? カンタンでしょう! というのは冗談です。
なぜなら、戦いの組み合わせが無限に近くあるため、常に、「 優勝劣敗」の状況を
100%確実に作り出せる普遍的法則がないからです。単純に相手と自分だけでも、双
方の持てる戦力・戦略・戦術・士気と、様々な要素があり、かつ、戦況は時々刻々と
変化します。これに、戦場( 市場ドメイン)や第三者( 特定、不特定の顧客)が絡
んできて、混沌とした状態の中で、常に「 優勝劣敗」の状況を作り出すことが、い
かに難しいか。それで、古今東西、この「 優勝劣敗」の確率を高めるために、いろ
いろな法則が考え出されてきました。それが、兵法や兵書なのです。
これらは、囲碁や将棋の定石・定跡にあたります。古くから、囲碁や将棋が軍師に
よってたしなまれてきたのは、両者にアナロジ( 類似性)があるからにほかなりま
せん。ご承知のように、定石・定跡を全て知っていても、必ず勝てるとは限りません
ね。戦いの法則も同じです。自然法則と違いますから、必然性や普遍性はありません。
ありませんが、定石・定跡や法則を無視すれば勝てる確率は極めて低く、たとえ勝っ
ても、まぐれ勝ちです。
…さて、「 優勝劣敗」を企業システムとして考えてみると、“ 優れた( 強い)企業
システム”とは、大きくは2つです。
一、…状況変化に合わせて、常に、最小の入力を最大の出力に変換できる…
無駄( 損失)のない高効率、かつ、進化する( 不安定な)システム
一、…外乱( ノイズ)の影響を受けにくく、常に所定の出力を得られる…
損失の少ない、安定的( 安全)なシステム
Page 4
18
1.兵法に学ぶ戦略と戦術
図1. 1. 1システム
システムは、この 2 つ( 不安定と安定)が繰り返されて進化します。システムは、
安定的な状態になろうとする傾向がありますから、環境や状況の変化をフィードバッ
クすることで、不安定な状態になり、そして、安定した状態になろうとして進化しま
す。「 見える化」というのは、好ましくない状況をフィードバックして、意図的にシ
ステムを不安定な状態にすることで、安定させようとする働きを引き出すというシス
テム進化の仕組みであるとも言えます。
トヨタでは、在庫等を見える化して、改善を引き出していますよね。これを何十年
と繰り返して、進化してきたのです。逆に、真っ赤に錆びた山のような在庫が「見えて」
いても、一向に不安にならない心臓に毛が生えた組織には「 見える化」は効きません。
むしろ、見えないほうが、幸せかも。あるいは、最新の IT を駆使した美しいグラフ
( データはウソ)で、会社が見えた気になって、一喜一憂するのは、悲喜劇かも。こ
の“ 優れた( 強い)システム”を作り出すための原則として、兵法や兵書、品質工
学などが役立つわけです。なぜなら、戦闘システムと企業システムには、いろいろな
点でアナロジ( 類似性)があるからです。例えば、五輪書で宮本武蔵は「 今日は昨
日の我に勝ち」と書いていますが、人もシステムも安定に向かうもの。これを、常に
不安定な状態を意図的に作り出して進化し続けるというのは、並大抵のことではあり
ませんね。
入力 システム 出力
外乱
Page 5
19
1.2 孫子の兵法に見る「戦いの原則」
1.2 孫子の兵法に見る「戦いの原則」
…では、戦いの原理である「優勝劣敗」の状況を作り出すための孫子の兵法に見る「戦
いの原則」について、考えてみましょう。
まず、孫子の兵法には、次の大原則( 前提)があります。
一、戦わずして勝つ
一、勝算なきは戦わず。最悪、戦うなら最小の損害で勝つ
いかがですか。つまり「 優勢なときだけ戦う、そうすれば負けることはない!」
という考え方です。そのための原則が、次の 13 篇にまとめられています。「 始計、
作戦、謀攻、軍形、兵勢、虚実、軍争、九変、行軍、地形、九地、火攻、用間」各篇
の詳細は、これから 1 つずつ見ていくこととして、共通して言えるのは、情報活用を
重要視しているところです。
「 彼を知りて己を知れば、百戦殆うからず」という言葉に代表されます。
優勢なときだけ戦って勝ちを収めるには、予め優勢であるかどうかを知ることが重
要であり、情報収集・分析力が物を言うわけです。自社の企業システムが優勢である
かどうか判断することも同じです。
企業システムの優劣を判断する要因には、2つあります。一つは内的要因、一つは
外的要因です。ここで、「 よいシステム」の定義を思い起こしてみると、
一、入出力の変換効率を最大化する
一、外乱に強く、安定して出力する
前者は、内的要因に対する優劣で、後者は、外的要因に対する優劣です。「 己を知
る」というのは、自社システムの実力を知るということで、入出力の変換効率や、変
換の因果関係を知るということです。そのためには、内部情報の収集・分析が必要に
なります。「 彼を知る」というのは、競合他社や市場などの外部環境を知ることで出
力をばらつかせる外乱について知るということになります。そのためにベンチマーク
Page 6
20
1.兵法に学ぶ戦略と戦術
やマーケティングなどによる情報収集・分析が必要になります。自社の人・物・金や
プロセスが、どのように相互作用して、入力を出力に変換しているのか、その因果関
係が明らかで、現在の変換効率が明らかになっており、そして、出力をばらつかせる
外乱が、予め分かっているなら、優勢かどうかを正確に判断することは難しくないは
ずです。入力が出力に変換される因果関係が明らかになっているということは、出力
を 10%増やすには、入力をどうすればよいか、変換過程をいかに調整すればよいか
が分かるので、優劣を正確に判定できます。
ところが、実際は、いかがでしょうか。これらの内外要因( 彼我)を正確に把握
できているでしょうか。入力→処理→出力→入力→処理→出力と因果関係が明確に、
無駄なくつながっているでしょうか。にもかかわらず、情報収集・分析を怠り、情
勢判断もそこそこに、特攻隊精神で、戦いに臨むのは、孫子に言わせれば「 愚か者」
ということになりましょう。
“ 情報なくして、戦略なし”です。
「IT…Doesn't…Matter(IT は経営にとってもはや重要ではない)」とか、IT は単なる
道具だとかいう認識では、勝ちを制することはできません。企業システムにとって
IT( 情報技術)は、コンピュータやインターネットなどの狭い意味ではなく、2500
年前から始まっているのです。“ 情報を制する者は、世界を制する”のですから。