ୈछ༣ศՄ ൛ ʢฏʣ ɹɹՐ ே ৽ ฉ 韓国 韓国 韓国 中国 台湾 フィリピン オランダ オランダ 在日 韓国人 インド ネシア 樺太10 樺太10 樺太10 樺太10 華南 (南支) 40 東南アジア (南方) 100 太平洋南部 (南海) 10 華中 (中支) 140 中国華北 (北支) 100 1人 61人 12人 24人 13人 9人 46人 1人 個人向け事業を実施せず 211人 79人 日本軍の最大進攻線慰安所と慰安婦 慰安所と慰安婦 アジア女性基金の「償い事業」を受けた 元慰安婦の人数と実施国・地域 日本国内の裁判所で提訴した元慰安婦の人数と 国・地域(いずれも最高裁で請求棄却が確定) 1942年に陸軍省で報告された 慰安所が作られた地域の数 アジア女性基金の「償い事業」を受けた 元慰安婦の人数と実施国・地域 日本国内の裁判所で提訴した元慰安婦の人数と 国・地域(いずれも最高裁で請求棄却が確定) 1942年に陸軍省で報告された 慰安所が作られた地域の数 1942年、「詳説日本史研究」から慰安婦問題を考える 慰安婦問題に注目が集まった1991〜年、朝日新聞は朝鮮人慰安婦について、「強制連行された」と報じた。吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言(次項で説明)を強制連行の事例として紹介したほか、宮沢喜一首相の訪韓直前の年1月日の社説「歴史から目をそむけまい」で「(慰安婦は)『挺てい身しん隊』の名で勧誘または強制連行され」たと表現した。当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。秦郁彦氏も年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した=注①。もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた=注②。年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び=注③=、メディアにも広がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。こうした中、慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解=注④=と、「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方=注⑤=が研究者の間で今も対立する状況が続いている。朝鮮半島でどのように慰安婦が集められたかという過程は、元慰安婦が名乗り出た年以降、その証言を通して次第に明らかになっていく。年2月、「韓国挺身隊問題対策協議会」は、元慰安婦約人のうち「信しん憑ぴょう性せいに自信が持てる」(鄭チョン鎮ジン星ソン・挺身隊研究会会長)人の聞き取りを編んだ証言集を刊行。「軍人や軍属らによる暴力」があったと語ったのは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐との内容だった。慰安婦たちは、徴集の形にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた。年8月に発表された宮沢政権の河野洋平官房長官談話(河野談話)は、「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものだった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めた。関係省庁や米国立公文書館などで日本政府が行った調査では、朝鮮半島では軍の意思で組織的に有形力の行使が行われるといった「狭い意味の強制連行」は確認されなかったといい、談話は「強制連行」ではなく、戦場の慰安所で自由意思を奪われた「強制」性を問題とした。談話発表に先立つ7月には、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会事務所で、日本政府が元慰安婦たちに聞き取りをした。今年6月に発表された河野談話作成過程の検証チーム報告は、聞き取りの目的について「元慰安婦に寄り添い、気持ちを深く理解する」とし、裏付け調査などを行わなかったことを指摘した。河野談話の発表を受け、朝日新聞は翌日の朝刊1面で「慰安婦『強制』認め謝罪『総じて意に反した』」の見出しで記事を報じた。読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は「強制連行」を使わなかった。官房長官への取材を担当していた政治部記者()は、専門家の間でも解釈が分かれていることなどから「強制連行」とせず単に「強制」という言葉を使ったのだと思う、と振り返る。「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたということだった。しかし、強制連行という語を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた。年春に中学教科書に慰安婦の記述が登場するのを機に、朝日新聞は同年3月日朝刊でこの問題を特集した。日本の植民地下で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない。貧困や家父長制を背景に売春業者が横行し、軍が直接介入しなくても、就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたという。一方、インドネシアや中国など日本軍の占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に記されている。インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた。年の特集では「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったといえる」と結論づけた。河野談話が発表されて以降、現在の安倍内閣も含めて歴代の政権は談話を引き継いでいる。一方、日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してきた。朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。朝日新聞は吉田氏について確認できただけで回、記事にした。初掲載は年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者()は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。年4月日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。東京社会部の記者()は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。年3月日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者()との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。今年4〜5月、済州島内で代後半〜代の計約人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜カン貞ジョン淑スクさんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。吉田氏は著書で、年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男()に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は年7月に死去したという。吉田氏は年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注①。戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。吉田氏はまた、強制連行したとする年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。注①吉見義明・川田文子編「『従軍慰安婦』をめぐるのウソと真実」(大月書店、1997年)裏付け得られず虚偽と判断読者の疑問に答えます Q慰安婦とは何か。A戦時中、日本軍の関与の下で作られた慰安所で、将兵の性の相手を強いられた女性。政府は1993年8月に河野洋平官房長官が発表した談話(河野談話)で「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と指摘した。Qどんな人々が慰安婦にされたのか。A日本本土(内地)の日本人のほか、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾出身者も慰安婦にされた。日本軍の侵攻に伴い中国、フィリピン、ビルマ(現ミャンマー)、マレーシアなど各地で慰安所が作られ、現地女性も送り込まれた。オランダの植民地だったインドネシアでは現地女性のほか、現地在住のオランダ人も慰安婦とされた。政府は年、日本女性が慰安婦として中国へ渡る場合は「売春婦である歳以上の者」を対象とするよう通達した。歳未満の女性や児童の人身売買や売春を禁じた「婦人及び児童の売買禁止条約」のためとみられる。ただ政府は年に条約を批准した際、植民地を適用除外とした。このため植民地や占領地では売春婦でない未成年女子も対象となった。朝鮮からは歳、台湾からは歳の少女が慰安婦とされたとの記録がある。Q何人くらいいたのか。A総数を示す公式記録はなく、研究者の推計しかない。現代史家の秦郁彦氏は年に6万〜9万人と推計し、年に2万人前後と修正。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は年に5万〜万人と推計し、最近は5万人以上と改めた。韓国や中国ではさらに多い数字をあげる人もいる。Q慰安所はいつ、どんな経緯で作られたのか。A満州事変の翌年、年の上海事変で日本兵が中国人女性を強ごう姦かんする事件が起きたため、反日感情の高まりを防ぐためとして九州から軍人・軍属専用の慰安婦団を招いたとの記録がある。その後、性病蔓まん延えんによる戦力低下や機密漏ろう洩えいの防止、軍人の慰安のためなどの理由が加わった。Qどのようにして集められたのか。A多くの場合、軍の意向を受けた業者がまず日本国内で、さらに植民地の朝鮮や台湾で集めた。「仕事がある」とだまされたり、親に身売りされたりした場合も多いことがわかっている。一方、フィリピンやインドネシアなど占領地では、日本軍が直接暴力的に連行したとの記録もある。フィリピン政府の2002年の報告書によると、同国で日本軍は、現地の女性を暴力的に拉致・連行して日本軍の兵営とされた教会や病院に監禁し、集団で強姦を続けた事例もあったという。Q慰安婦の暮らしは?Aアジア女性基金のサイトでは「(慰安所で)兵士は代金を直接間接に払っていたのはたしかですが、慰安婦にされた人々にどのように渡されていたかははっきりしません」と記す。戦況や場所により処遇にばらつきもあったことが推定される。政府は年、河野談話とあわせて調査結果を発表し「戦地では常時軍の管理下で軍とともに行動させられ、自由もない生活を強いられた」と説明している。Q慰安婦問題が国内で知られるようになった経緯は。A戦後まもない時期から兵士の体験談や手記で触れられていた。年6月、作家の故千田夏光氏が週刊新潮で「慰安婦にさせられた」という女性や旧軍関係者の聞き取りを紹介。年にルポ「従軍慰安婦」を刊行した。当時はまだ戦時下の秘史という扱いだった。Q日韓間の問題として認識されたいきさつは。A年1月、尹ユン貞ジョン玉オク・梨花女子大教授が韓国ハンギョレ新聞に「挺てい身しん隊『怨念の足跡』取材記」の題で慰安婦問題の記事を連載。5月の盧ノ泰テ愚ウ大統領訪日をきっかけに、植民地時代の朝鮮半島で日本の軍人・軍属とされた韓国人らから日本に謝罪と補償を求める声が高まった。慰安婦問題とは■慰安婦問題の主な経緯 (肩書は当時) 1991 年8月 韓国で元慰安婦が初めて名乗り出る 12 月 元慰安婦が日本政府を提訴。政府が調査開始 92 年1月 宮沢喜一首相が日韓首脳会談で謝罪 7月 政府が調査結果発表。政府の関与を認める 93 年8月 河野洋平官房長官が談話で慰安婦の募集、移送、管理に強制性 を認め「お詫(わ)びと反省」を表明(河野談話) 94 年8月 村山富市首相が談話で慰安婦問題の解決策について「幅広い国 民参加の道を探求したい」と表明 95 年7月 政府主導で民間のアジア女性基金が発足。国民の寄付をもとに 「償い金」を元慰安婦に支給するなどの「償い事業」を実施 2007 年3月 基金が解散 7月 米下院、慰安婦問題で対日謝罪要求決議を採択 14 年6月 政府が河野談話作成過程の検証結果を公表 自由を奪われた強制性あった注①「従軍慰安婦(正続)」陸軍史研究会編「日本陸軍の本総解説」(自由国民社、1985年)注②外村大「朝鮮人強制連行」(岩波新書、2012年)注③朴慶植「朝鮮人強制連行の記録」(未来社、1965年)注④秦郁彦「『慰安婦狩り』証言検証・第三弾ドイツの従軍慰安婦問題」「諸君!」1992年9月号注⑤吉見義明「『河野談話』をどう考えるかその意義と問題点」「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター編「『慰安婦』バッシングを越えて」(大月書店、2013年)政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。強制連行疑問日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す資料が確認されています。共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。読者のみなさまへ朝日新聞の慰安婦報道に寄せられた様々な疑問の声に答 えるために、私たちはこれまでの報道を点検しました。そ の結果を読者の皆様に報告します。(慰安婦問題取材班) =文中の肩書は当時、記者の年齢は現在。記事は断りのないものは東京本社版 日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は年代から年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。「済州島で連行」証言疑問吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。読者のみなさまへ