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61 ;懇本絵理+興本京子 j 経験から体得する実践と研究への構えについて ; -2014 年度ナルピ夏季平和実践トレーニング報告一 -E 議官 69 ;田辺寿ー郎 (エドワード・アザールの「長期化した社会紛争理論」と現代世界への示唆 .................. . 78 i 藤田明史 j 平和学から見た大江文学 -...r.r l u 語、 87 .J ohan Galtung i Uniting forPeace Building SustainablePeace throughUniversalValues ; at theCentenaryof WorldWar 1 ; Criminalizing War 90i .J ohan Galtung : ISIS: Negotiation NotBombing 93i .J ohan Galtung TheFutureofMediation トランセンド研究会
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トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

Mar 16, 2023

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Page 1: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

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61 ;懇本絵理+興本京子

j経験から体得する実践と研究への構えについて

; -2014年度ナルピ夏季平和実践トレーニング報告一

-E議官

69 ;田辺寿ー郎

(エドワード・アザールの「長期化した社会紛争理論」と現代世界への示唆

-~,可t若胡~~.................. .

78 i藤田明史

j平和学から見た大江文学

-...r.rl百u語 、

87 ~ .Johan Galtung

i Uniting for Peace, Building Sustainable Peace through Universal Values

; at the Centenary of World War 1 ; Criminalizing War

90 i .Johan Galtung

: ISIS: Negotiation, Not Bombing

93 i .Johan Galtung

~ The Future of Mediation

トランセンド研究会

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[活動報告]

経験から体得する実践と研究への構えについて

-2014年度ナルヒ。夏季平和実践トレーニング報告一

想本絵理 + 奥本京子

はじめに

平和創造・紛争解決の実践的なトレーニングを、年に一度2週間の合宿形式で提供して

いるナルピ (NortheastAsiaR昭 ionalPeacebuilding Institute, NARPI,東北アジア地域

平和構築インスティテュート)は、今年の夏も 8月に、念願の中国・南京にて、 4年目の

研修を無事終了した。 トランセンド研究会には、精神的・経済的・物理的に多岐にEり支

援してもらったことを心から感謝したい。ナルピのウェブサイト (http://www.n町 pi.net)

には、過去の、そして今年のトレーニング、の様子がアップデートされているので見ていた

だけたら幸いである。

なお、本報告は、ナルヒ。の企画・運営・ファシリテーションを担当したナルヒ。運営委員

会委員長の奥本と、ナルヒ。参加者としては 3年目の経験を持つ想本によって執筆された。

1.南京での2014年度ナルヒ。平和構築トレーニング

今年、 2014年度のトレーニングには52人の参加者を得ることができた。ローカル(南京)

のホストの大役を引き受けてくれた南京大学のLiuCheng教授と博士課程の学生Bella

Bai氏に加え、ファシリテータ一、事務局スタッフ、言語補佐、事務局補佐、買い物、写

真撮影、クラス内容記録などの仕事のためのボランティア(南京大学の学生も多数)、ゲ

ストスビーカー、オブザーバー、関係者家族等を合計すると86名の大所帯となった。

今年も、 8月8日'"'-'21日に、 5日間のトレーニングコースを 2回にわたって提供するこ

とができた。初日に参加者が一堂に集い、登録作業をすませ、宿舎にチェックインし、夜

には「平和構築のための英語」のセッションが行われた。ナルヒ。で、は(仕方なく)英語を

共通言語としているが、このセッションは、英語を母語や第一言語としない人たちにとっ

ての精神的な準備の機会ともなる。 2日目から 5日間(前半)は、「紛争と平和のフレーム

ワーク」・「平和教育の理論と実践J• i修復的正義アプローチによる歴史的コンフリクトJ

といった各コースが展開した。

5日間のトレーニングは、まず、オープニングから幕開ける。コリアのコピ (Korea

Peacebuilding Institute, KOPI)に拠点をおく事務局が準備し、 2014年度から運営委員

会委員長を担当している報告者(奥本)の司会により、約 1時間、南京にて開催されるこ

との意義を考える機会となった。特に、南京大学のLiuCheng歴史学教授によるウェルカ

ムスピーチは、中国本土においてナルヒ。を開催することが「如何に勇気が要ることである

か」を感じさせるもので、あった。また、南京において様々な支援をしてくれた、北京のシ

ンクタンクである官leCharhar InstituteのKeYinbin事務局長と、 JohnRabe Houseの

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Yang Shanyouディレクターによる挨拶は、私たちが、いかに現地の複数の個人・団体に

支えられているかを理解することになった。これらの人々をはじめとし、 トランセンド日

本(トランセンド研究会)やその他の数多くの財団を含む団体の支えがなければ、このト

レーニングが成り立たないこと、また、ナルヒ。は一つのファミリー(あるいはコミュニテ

ィー)であること、を確認することとなった。事務局長の LeeJ aeyoungも、ナルヒ。の持

つ重要性について強調していた。

前半と後半のトレーニングの聞には、フィールドトリップとして 3日間、南京の歴史、

過去の痛み、将来の平和的創造をテーマに、実際に学びの場に足を運ぶことで理解を深め

ていく。 1日目は、南京博物館、総統府を見学、午後には南京大虐殺を生き延びた幸存者、

夏淑琴氏の語りを聴くことができた。特に午後の、大きな暴力の被害者(犠牲者)の経験

を直接聴くということは、生々しい感覚を呼び起こし、特に日本からの参加者に大きな衝

撃を与えることになった。これを受け、夜の特別セッション(当初は翌日のための準備セ

ッションの予定であったもの)を、翌日に備えるだけではなく、急逮、痛みを分かち合う

ひと時に変更し、われわれの中に、どういった疑問・課題があるか、それらを翌日の見学

時に持参し知何にしっかりと多角的に思考するか、といったことがらを考えるときとした。

安全な時空間を確保するため、ファシリテーター全員が、小さなグループに一人ずつ付き、

対応した。

2日目には、実際に侵華日軍南京大屠殺遇難問胞紀念館(南京紀念館)と、ジョン・ラ

ーベの家博物館を訪れた。 8月 15日で、あったこの日は、ナルヒ。参加者とは別に、南京紀念

館では日本からの平和系団体を複数迎えての儀式が行われていた。Lee事務局長とLiu教

授がナルヒ。を代表して臨席し、このことは当日の夜の地域のニュースに取り上げられた。

この日も、夜の特別セッションにおいては、ファシリテーターに助けてもらいながら小さ

なグループでの各自の経験を共有することができた。ナルピでは、こういった細やかなデ、

ィブリーフイング(振り返りのセッション)を大切にしたいと願っている。

南京とし、う歴史の長く重い「場」においてフィールドトリップを行うとなると、 2日間

では到底、時間が足りない。 3日目には、現在・将来をどう創造していくかに取り組んで

いる愛徳基金(AmityFoundation)の老人のケアのための施設と、事務局を訪問した。こ

のNGOは、南京を拠点、に来年 30年目を迎える、中国では「老舗」のパイオニア NGOで

ある。中国各地(西や南の地方にまで)ネットワークをはりめぐらし、人々に寄り添った

救援・教育・医療活動などを行っている。この臼の午後は参加者たちの自由な時間とし、

ショッピングや観光、または休息を楽しんだようである。運営委員会は、このときを無駄

にせず長時間の会議を行った。運営委員会は、 1年を通して通常、スカイプで会議を行っ

ているが、実際に顔を合わせて議論する機会は貴重である。

フィールドトリップの問、参加者は、共に訪問先の報告や感情や意見の共有を通して、

友情を深め、相互の見解・認識を学ぶ。ナルピでは、具体的な「顔のある」仲間(敵では

なく)のことをよく知ることが平和構築の第一歩であると認識している。昨今の日本社会

においては、主流の言説によって、積極的な軍事主義・武装主義のことを一般に「平和」

と誤認させ、「積極的平和主義」などと呼称することが根付きつつある。しかし、本来の「積

極的平和Jの実現とは、対話に根差した「平和主義Jによる地道な非暴力手段でしか成し

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えないと考える。草の根レベルのトラック 111、そして国境をまたぐNGO・市民社会のレ

ベルのトラック 11において、平和ワーカー一人ひとりが主体的に活動を展開することで、

相互に積極的に、そして生産的にぶつかり合い、対話が実現するのであろう。

さて、後半のトレーニング、は、「平和構築のためのアートとストーリー:われわれの歴史

を正当に表現する」・「心理社会的トラウマ:アウェアネスとレスポンス」・「平和構築スキ

ル:トランスフォーマティプ・メディエーションjの3つであった。

ナルピは、暴力文化と構造を変革する平和の実践的なトレーニング、を通して、暴力や対

立・紛争を平和的に解決できるよう、共同体や個人がエンパワーすることを目標のーっと

している。事務局や運営委員会、そしてファシリテーターは、平和的転換や和解が可能な、

安心できる「場」を提供し、参加者が文化などの壁を乗り越え、平和的で協調的な関係を

丁寧に築いていくことを目指している。

今年は、各コース自体の運営を、中国・南京という場に立ち、過去の痛みや現在の政治

的コンフリクト、また将来の具体的なピジョン形成を、特に強く意識して準備し、ある一

定の成果を収めたように思う。東北アジアの平和の創造のための文化的・歴史的文脈を尊

重し、相互の協力・理解を培うことができた。参加者は、予想通り、 20代""50代以上の

老若男女、文化・言語・宗教などの背景も実にさまざまであった。

2.ナルヒ。における内側と外側をつなぐ

報告者(想本)にとっては、 3年目の参加者として、ナルピ・コミュニティと現実社会

の零離から見えたことがあった。ナルヒ。は平和構築のスキル学ぶ場であり、東北アジアに

住んでいる参加者同士の友情を築く場でもある。だが、「日本人」と分類される報告者は、

ナルヒ。でのある経験から、いまだに(執筆時点の 2014年 11月)、ある違和感を引きずっ

ている。その違和感は、ナノレピにおいて、(特に)中国・韓国出身の参加者が、日本人を「加

害者Jとして見ることをせず、寛容に受け入れていることに関連している。 15年戦争の加

害者の日本人に対して批判しようとする人に、ナルヒ。において出会うことはほとんどない。

それは、ある程度の平和に対する知見や能力があるからだと推測できる。しかし、ナルピ

の外の現実社会においてはそうではない。

フィールドトリップの自由時間を利用して、中国出身の友人たちと南京市内へ出かけた。

南京市の下町はとても古風で風情があった。そこでは、安全なナルピという場から離れて、

南京市民と触れ合う事が出来た。そして、ナルヒ。ではなかなか起こる事がない場面に出く

わしたのである。

代金を支払い、お庖を出ようとした矢先、お庖の庖員が中国出身の友人に話しかけた。

庖員:i彼女(想本)は何人?J

友人:i日本人J

庖員:i日本人? 私が日本人と最初から知っていたら、彼女(想本)に対して商品を売ら

なかった。j

庖員は、報告者が「日本人Jであると知った瞬間、すごい貧IJ幕で報告者を見つめ、声を

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荒げた。様々な要因が庖員のこの発言から想起できる。もちろん、これが中国全体の感情

を象徴するわけではないだろうが、この反応は、ある程度一般的なものかも知れない。ナ

ルヒ。というコミュニティにおいて、日本人が肯定的に受け入れられるのは、ナルピが平和

構築トレーニングの場で、あることを前提とし、ほとんどの参加者がすでに平和的な思考を

持ち合わせているからである。その為、一歩外に出るとナルピがどれだけ安心・安全な場

であるかを認識することになる。よって、そのナルピと現実の聞のギャップをどのように

埋めるのかが今後の課題となるであろう。

ナノレヒ。が本格的に活動を始めてから 4年が過ぎた。この 4年という時間は信頼構築やネ

ットワーク作りの時間でもあった。毎年、顔なじみの仲間に会い、また初めて参加する新

顔に会う。ゆっくりではあるが関係・信頼構築ができてきており、ナルピは次のステップ

に進むときに来ていると感じる。そのステップは2種類あるだろう。 1つ目は、ナノレヒ。内

部において、東北アジアについての対話をさらに深く・広く試みることである。 2つ目は、

ナルヒ。外部にある現実と「理想的な」ナルピ聞のギャップを埋めるための努力を積むこと

である。

東北アジアについての対話を行うという点で、ナルヒ。の役割は小規模ではあるが、ある

程度果たされつつある。しかし、参加者一人ひとりが、十分自発的に対話に取り組んで、い

るかといえばそうでもない。ナルピという場で2週間衣食住を共にするという条件を活か

し、もっと深化させた対話を試みることが不可欠であろう。そうでないと単に「楽しい仲

間づくりの時空間」というだけで、 2週間はあっという聞に終わってしまう。本来の東北

アジアにおける様々な暴力に対応するには、ナルヒ。において構築された関係性を、現実の

紛争の場にあって、如何に活用するのかにかかっていよう。参加者が自身の友人を大切に

思うように、隣国の、そのまた隣にいる友人をも大切にし、多角的な視点で東北アジアの

多くの課題を乗り越えていく必要がある。対話のない平和構築はあり得ない。ナルヒ。とい

う小さな草の根のコミュニティから始めて、それが徐々に各所・各レベルにおいて広がる

ように、われわれは意識するべきであろう。

加えて、現実の社会・世界は、ナルピのコミュニティとは違う。ナルヒ。における安心・

安全性に甘んじず、外側にも目を向け、このギャップを埋める活動が必要である。ナルピ

参加者こそが、獲得したスキル・態度を活用して、多様なアプローチを通し、自身の現場

(学校・大学・職場・社会運動等)において対話の作業を展開することが求められていよ

う。それは、ナルヒ。が、スキルを学ぶ場という自己充足的な意味から、外に向けての運動

としての社会的な意味への転換となるだろう。これらの両局面においてナルピは重要な役

害Ijを担.っている。

報告者(想本)は、今年のナルヒ。を南京で経験することによって、ナルヒ。が内向きの平

和の場であるだけでなく、外向きに飛躍する必要があると考えさせられた。その外側の市

民・民衆全体が少しずつ東北アジアの暴力の課題に関心を向ける必要性と、対話の重要性

を痛感した。草の根のコミュニティに成し得る事には限界があるかもしれない。しかし、

それをわれわれは越え、東北アジアの和解に向けて前進してし、かなければならない。

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3.ナルピでの「暴力」についての学びから

暴力はあらゆるところに潜んでいる。暴力とは、それ自体が客体として存在するわけで

はない。暴力を被る人と暴力を与える人が必ず存在し、行動により生まれるものである。

暴力についての知識がなければ、平和は創造できない。暴力について無知であるというこ

とは、その人自身が加担者となる可能性がある。平和を創造するためには、平和に焦点を

当てるだけでなく、暴力に焦点を当て働きかける必要がある。

報告者(想本)は、前半のトレーニング、で「紛争と平和のフレームワーク (Conflictand

Peace Framework) Jのコースを受講した。そこでは、暴力の種類についての理解を促す

アクティピティが行われる場面があった。ファシリテーターの指令を通して、参加者がど

のような反応を見せるかというもので、あった。そして、「上官・上司」の暴力的な命令に対

して「部下」がどのように抵抗できるのかとしづ議論にも繋がり、一個人の力がどれほど

脆弱であるかの理解に至ることになった。報告者は平和学を大学学部時代から 4年間学ん

できて、理性的には暴力の危険性を理解で、きていたつもりにも拘らず、「命令j されると、

途端に思考回路が停止し、その指令に従って、他の参加者がやっていることを真似ていた。

これは、無意識のうちに暴力的になってしまっていたということで、あった。こういった経

験を通じ、自身の潜在的な暴力性に気付かされたのである。

このアクティビティを通して、 3つのキーワード一一命令、個人の脆弱性、無意識一ー

が浮かび上がってきた。これらのキーワードを用いて、暴力が生まれるまでのプロセスを

理解したい。「命令Jとは、上位の者から下位の者に対して言い付けることである。これは、

物事を人に頼むということが、言語的な本質の意味合いであるという¥r頼む」というの

は、断る事も可能であるという事が前提であろう。人に「これを渡してくれますかj と頼

まれでも、断る理由があれば、その願いを拒む事は可能である。このように、「頼むJとい

うことは「断るj 可能性も含んでいる。しかし、関係者や文脈が違えば、例えば、上司や

上官に対しての命令は断る事は許されず、命令を遂行することしかできないとしづ状況に

陥る。その背景には、力の不均等があり、部下としては強迫観念を持つ場合もあるだろう。

命令における「力の不平等性」と「強迫観念」には、対等だ、った関係を不均衡に変化させ

る力、または、より人を容易に操作するだ、けの威力が備わっているのである。

次に、「個人の脆弱d性Jについて考えたい。団体としての力に比較して、一個人の力はと

ても脆い。抵抗するにしても確固たる自信を持つことがより難しく、確信性が弱まる。一

個人が、より強い者に対して抵抗することは難しいことである。個人が集結し、団体を形

成すると、話し合うことがより可能になるであろう。団体の中のメンバーの意見を聞きな

がら、個人の確信性を高めることが出来る。一致団結して不正義を拒むという場合には、

平和的な知見も機能することがあるだろう。個人は、自己判断しなくてはらない。しかし、

集団における個々人の関係性が豊かになれば、そこでは個人は他者の意見をも受け入れ吟

味することができる。平和的な感性や知識を持ち合わせていれば、暴力を排除することが

できるのである。

最後に、「無意識jについて考えたい。無意識は、自身の行動を自らが気付かずに行って

いることにつながる。なぜ、無意識という現象がおこるのだろうか。「刷り込みJとは、日

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常的な習慣や考えが自己の中で常識化し、それ自身が身体の隅々に染み渡り、意識をしな

くても態度や思考に現れることである。自身の一部となっているので長期間忘れることは

ないのである。無意識と刷り込みは深い関係があるだろう。現代社会においては、「勝ち・

負けj の二極化した考え方が主流である。また、子どもに対して叩く手法でのしつけが横

行したり、口喧嘩による罵り合いが蔓延したり、暴力が後を絶たない。それらの原因とし

て、幼少期から成人するまでの問、暴力的な環境に身を置いてきた、もしくは、置かざる

をえなかった場合、人は、意識がない状態で暴力的になりうるということがあろう。日常

生活の中で暴力性が勝手に刷り込まれているということである。

以上の 3つの概念一一命令、個人の脆弱性、無意識一ーから、暴力を体現するまでのプ

ロセスを支えるのは、「力の不平等J、「強迫観念j、「個人による確信性の乏しさJ、「刷り込

み」であることが分かった。暴力が現象として現れるまでの経路においては、力の不均等

や強迫的観念により命令に抵抗することが難しくなるが、集団であれば話し合いをもち個

人的な意見を集約することにより抵抗することができる可能性が高まる。さらに、平和的

思考があっても、日常の刷り込みにより無意識の内に暴力を行使していることもある。こ

ういった過程により暴力が発生する場合があるのである。暴力化の過程においては、様々

なアプローチが必要であるとの信念から、報告者は、「包括的平和教育Jが暴力化を予防す

ることが出来るのかを、さらに模索していきたいと考えているところである。

4.参加者としての役割を越えて

役割とは、割り当てられたことがらの中で動くことである。ときとして、人は、自身の

役割が決められ、それが与えられていれば、その役目を果たすだけで十分であると思いが

ちである。しかし、設定された自己の役目を果たすだけでいいのだろうか。ナルピでは、

報告者(想本)は「参加者」としづ役割を担っていた。参加者はナルヒ。のクラスに参加し、

主体的に学ぶことが求められている。しかし、それ以上に、今回のトレーニング、において、

参加者としづ役割を越えて多様な状況の中で足りないものを補うことが、平和構築者

(peacebuilder)を志すナルヒ。参加者として必要なことではなし、かと強く感じるに至った。

報告者(想本)は、 2012年広島で開催された NARPIの前半トレーニングで「トラウマ・

アウェアネスとヒーリング(TraumaAwareness and Healing) Jのクラスを受講した。

当時のクラスでは、ファシリテーターの 1人が心理学者であると同時にトラウマ・カウン

セリングの専門家で、あったので、各参加者の心の傷までをも丁寧にケアを行うことができ

た。そのため、クラスにおける報告者は、参加者として主体的に学ぶとしづ役割を果たす

だけで、十分であった。心的サポートと授業の進行を共に進めてくれるファシリテーターが

存在したので、気兼ねなく参加にだけ集中できたという利点があった。しかし、今回後半

のトレーニングにおいて、「心理社会的トラウマ:アウェアネスとレスポンス (Psychosocial

Trauma: Awareness and Response) Jでは、そういった参加者としての役割を越えなけれ

ばならない場面に遭遇した。

受講者は各自のトラウマを抱えていて、あるとき、ある中国出身の女性が涙を流してい

た。そのとき、彼女には何か感じるものがあったのだ、ろう。しかし、彼女に対して、彼女

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Page 8: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

の周りに居た他の参加者のうち誰も、何をすることもなかった(できなかった)。その場に

は言語補佐と呼ばれる、通訳を担当するボランティアもいたが、参加者のために授業を円

滑に進める手助けのみを行っていた。そして、他の参加者は学習者としての役割に沿って、

ファシリテーターの言うことを黙々と聞いていたのである。

涙した女性は、誰からもサポートや声掛けを受けないまま、ただ涙した。彼女の周りに

いた人たちは、自分の役割を果たしていたに過ぎない。しかし、この場面においては、そ

れぞれの役割を越えて彼女に寄り添う心のサポートを担う人が必要であったに違いない。

ここで問題視しているのは、彼女を気遣う人は、結局誰もいなかったことである。クラス

にいる人たちが、まるで、冷たい他人のように報告者の目には映った。気遣いとは、平和

構築者にとって重要な要素で、あると考える。それは、先述したように、参加者自身の友人

を大切に思うように、隣国、そのまた隣にいる友人をも大切にするということに直結する

からである。

彼女は、涙の訳をクラスの最後に打ち明けてくれた。クラスでの別れのセッションにて

報告者から語りかけた折に、実はそれは自身のトラウマの表出であったと伝えてくれ、共

有のひとときを持つことができた。彼女はその瞬間まで、孤独だ、ったのではないだろうか

と思う。人がトラウマのために涙を流すとき、他者はどのようなケアを提供できるのか。

涙は、何を意味しているのであろうか。それが想像できない場合は、参加者とし、う役割を

越えて一言声をかけるところから始める必要性があるだろう。ファシリテーターを含め、

トラウマのクラスには心のケアを担当できる人が存在しなかったように、報告者には思え

る。しかし、それは参加者が担うことができるであろう。参加者というクラス受講者の立

場だけに囚われず、他者への配慮の心を知何に持つことができるだろうか。

彼女は 10月下旬にメールで、報告者に対して、「あなた(想本)がトラウマをクラスで私

たちに共有してくれてから、私はあなたのことも毎日のように祈っています。あなたがト

ラウマを乗り越え、より強く、より勇敢になることを願っています。」と言ってくれた。彼

女が大きなトラウマを抱えているにも拘らず、報告者のことをも祈ってくれることは、大

変嬉しく思う。報告者は、彼女の涙によって、ナルヒ。に参加する際に自分の参加者として

の役割を越える必要性と隣人をケアする意味深さを学んだ。われわれはみな違う背景を持

つが、そのことを理解し乗り越え、近くの友人を愛し気遣うように、隣国の友人をも愛す

る必要性を感じる。以上のことから、平和構築者には、様々な課題を目の前にして、設定

された(と思い込んだ)自身の役割だけを担うのではなく、足りないことを補う行為も必

要であると確信するものである。

おわりに一一2015年度トレーニングに向けて

トランセンド日本(トランセンド研究会)には、毎年、ナルヒ。を支援してもらっている。

また、来年度はモンゴ、ル・ウランパートルとその近郊での、トレーニング開催を予定して

おり、研究会内においても、大いに参加を呼び掛けたいと願っている。モンゴルにおいて

は、東北アジア地域の核問題ーエネルギーと兵器の両問題ーを取り上げたい。また、貧困、

アルコール依存症、持続可能性と環境、ジェンダ一等の重要な課題を組み込んだ、コースを

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Page 9: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

提供したいと考えている。毎年、参加するリピーターのためにも、さらなるコースを新設

したいとも考え、検討しているところである。

平和構築の分野で活躍する人々の多くは、学生、 NGO職員、学校・宗教リーダーなど

で、十分な財政的資源が無いことが多い。そして、財政的支援なしに、平和実践トレーニ

ングを受けることができない。 トランセンド研究会の皆さんには、参加の検討に加えて、

ぜひともナルピへの財政的援助にも貢献していただきたい。皆さんから預かる資金は、参

加者のための奨学金となる(参加者が自身で負担する旅費を除いて、 1人が 2週間すべて

のプログラムに参加するためには、2014年度は約 1,100米ドルの費用がかかった)。また、

韓国に拠点を置く事務局の仕事に対する相応の報酬を、実は、ナルヒ。で、はまだ払いきれて

いない。これが続くようでは、ナノレヒ。の内部に経済的搾取を温存させることになり、これ

は深刻な持続可能性の課題である。

多様な人々・団体からの財政的支援によって、参加者の生き方が変わるだけではなく、

家族、共同体、町、園、そして東北アジア地域全体の平和的転換につながってし、く。当地

域の平和の実現に携わる者たちのエンパワーメントと成長、そして持続可能なあり方に賛

同くださる・ご関心をお寄せくださる方は、ぜひナルヒ。に連なることを検討いただけたら

幸甚である。

1. 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部 (2006) r日本国語大辞典

第二版第十二巻j小学館。

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Page 10: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

[論文]

エドワード・アザールの「長期化した社会紛争理論jと

現代世界への示唆

田辺寿一郎1

はじめに

本論文はエドワード・アザーノレ (EdwardAzar)の「長期化した社会紛争理論」

(Protracted Social Conf1ict官leory、以下PSC)とその現代への示唆について考察する。

アザールは 1970年代から 1980年代末にかけて紛争・平和研究に従事した学者である。

PSCは彼が 1991年に他界する前年の著書 (TheManagement of Protractθd Social

Conf1ict: Theory and Practice)の中で体系的に説明した理論である。

何故、今アザールを紹介し、彼の理論や考えを現代の文脈、特に紛争解決論の中で再考

すべきなのであろうか。その大きな動機は、彼の理論の重要性にも拘わらず、現代の平和

研究において彼がほとんど取り上げられていない現状にある。 1990年代から 2010年代ま

でをみてみると、アザールの理論に関して詳細な研究をしているのは、英国ブラッドフォ

ード大学のオリバー・ラムズボサム (OliverRamsbotham) くらし、であり 2、その他に目

立った研究はなされていない。そこで、本論文ではアザールの研究を振り返りながら、彼の

PSCからみえてくる現代紛争解決論の問題点を明らかにし、今後のあるべき姿を模索する。

本論分は 3部構成となっている。最初にアザールの簡単な人物紹介に続き、 PSC理論に

ついての説明、そして彼の考える紛争解決論について分析する。次に PSC理論から見た

現代紛争解決論への批判的考察を行う。ここでは特に 1990年代より紛争解決論において

主流となっている現代平和構築論についての批判的考察を行う。現代の平和構築論の中心

は自由主義的平和構築論であり、アザールの視点からその問題点を分析する。そして自由

主義的平和構築の批判的分析後、最後にこれからの平和構築のあるべき姿を模索してし、く。

1.エドワード・アザールの PSC理論について

エドワード・アザール

エドワード・アザールは 1938年にレバノンに生まれた。その後渡米し、大学院では国

際関係論を研究し、国家間紛争 (interstateconf1ict)の量的分析に従事した。彼は、アメ

リカのノース・カロライナ大学で「紛争と平和研究データバンクJ(Conf1ict and Peace

Research Data Bank)を構築したが、そのデータバンクでは当初、国家間紛争に関する

研究データが中心であった。だが、徐々にその対象は圏内紛争に関するものに変化してい

き、アザール自身の研究の焦点も国内紛争へとシフトしていった。母国レバノンで起きて

いた圏内紛争も影響し、彼の研究対象は圏内紛争のダイナミズムへと本格的に移っていっ

たのである。

1980年代になると、平和研究の発展に多大な貢献をしたジョン・パートン (John

Burton)と共同で、「国際開発・紛争マネジメント・センターJ(官leCenter for International

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Page 11: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

Development and Conflict Management)をアメリカのメリーランド大学に創設し、 1991

年にその生涯を終えるまで紛争研究に従事したのである 3。パートンは、人間の基本的欲

求理論 (BasicHuman Needs Theory、以下 BHN)を紛争解決論の分野に導入した先駆

者の一人だが、この点については後述する。

PSC理論の考察

彼の紛争研究の核となる理論がPSC理論である 4。アザールによると「長期化した社会

紛争j は以下のように定義される。

「宗教・人種・文化などの身近な社会的アイデンティティー・グループによる安全保障、

(存在の)社会的認知の達成、政治経済活動への平等参加による自己実現の達成などの基

本的欲求を巡って起こる長期間にわたる武力を伴った紛争J (Azar, 1991: 93)

PSC理論においてアザーノレは4つの着目すべき要素を挙げている。その4っとは、身近な

共同体、人間の基本的欲求、統治者としての国家の役割、そして国際政治経済構造である

(Azar, 1991)。

第1に、共同体のアイデンティティーである。 PSCを分析する上でまず重要なのは紛争

当事者を把握することである。アザールは、紛争の主アクターは、国民という単位ではな

く、宗教・人種・文化等のより身近なアイデンティティーを有するグループだと主張する。

アザールがPSCとして分析する紛争は、多民族社会における圏内紛争がメインであり、一

つの国民という意識よりもっと身近な共同体的意識の方が強く、紛争をより正確に理解す

るには、そのアイデンティティー集団がどのように紛争を起こし、長期化させているかと

いう前提から始めることが重要なのである。

次の要素は、人間の基本的欲求である。先に述べたように、アザールは平和研究、特に

紛争解決論にBHNを導入したパートンと共に研究しており、その過程で影響を受け基本的

欲求理論を自らの研究にも導入したと思われる。アザールは、 PSCが発生し長期化する根

本的な原因の一つは、紛争当事者の基本的欲求が満たされていない状態だと説明する。個

人の基本的欲求は集団単位で満たされると考え、共同体単位での安全保障・安心欲求、承

認欲求、政治・経済活動への平等参加による自己実現欲求を達成するために、紛争が発生

し長期化するとアザールは分析した。

更にアザールは、 PSC理論において国家の役割の重要性を主張している。国家は法的に

領土を統治し、非常時の武力行使を含めた権限を有することで国民の利益を保護する責任

を負っている。国民の基本的欲求がどの程度満たされているのかについては国家、あるい

は政府の役割が重要である。 r長期化した社会紛争Jのほぼ全てのケースで見られる傾向

は、中央政府が特定の一つもしくは少数の限定されたグループによって支配される結果、

自己のグループの欲求や利益達成のために政治が利用され他のグループの基本的欲求が無

視され冷遇されてしまう。被冷遇状態にあるグループρはデ、モなどを通じてそうした社会的

不正義に対して異議を唱えるが、中央政府はそのような動きに対して耳を傾けず、むしろ

力を用いて弾圧する。その結果、当初は非暴力的な形でのテ、モを行っていたグループも武

70

Page 12: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

器を持って反乱へと発展し、状況が悪化し政府も更なる力による弾圧で対抗してしまう。

結果として、武力紛争が長期化し泥沼化した状態が続くのである。

最後に、アザールは、PSC理論に不可欠な要素として、国際政治経済構造を挙げている。

当該国に共通してみられる現象は国際政治経済構造において中心的立場にある大国との繋

がりである。冷戦期に見られた現象は、米ソの対立構造において発展途上国がどちらかの

陣営につくことで庇護を受けるとし、う構図である。庇護下において自国民の基本的欲求達

成や安全の保障をせず大国の意思や利益を汲んだ政策を行い、結果として歪な社会構造が

生まれ紛争が発生した。政府が大国との繋がりを重視しその見返りとして兵器や資金提供

を受けた結果として、政策が自国民の希望や要求を反映したものではなく、国民の不満が

欝積し武力紛争が発生し長期化していくケースがあった。

アザールは上記の4つの中核要素に加え、紛争発生時にどのようなダイナミズム(特にグ

ノレープ聞のダイナミズム)が起こるかについても言及している(Azar,1990)。長期化した

社会紛争においては、個人の悲しみや惨劇がその個人が属するグ、ループ全体にとっての悲

しみや惨劇として捉えられる傾向にある。例えば、グループAに属している個人が他のグ

ノレープから襲われたり何らかの屈辱を受けた場合、それは単にその個人への攻撃や屈辱で

はなく、グ、/レープA全体に対する攻撃・屈辱であるとされ、それに対する反発として集団

的デモンストレーションや暴力行為が発生してしまう。個人のアイデンティティーがその

属する集団的アイデンティティーと同一化した結果、個人間の争いがグ〉レープ聞の争いと

しと捉えられ、最終的に大規模な武力紛争に発展しかねない状況が発生するのである。

また、長期化した社会紛争を経験する国々においては武力衝突を除いた交互交流・接触

はほぼ皆無で、あり、個人レベルの交流すらも許されないような雰囲気が生まれることが多

い。その結果、間接的なイメージ(メディアやネットや人の噂など)が相手の真の姿だと

いう錯覚に陥り、相互の怒りや敵慌心はますます悪化してしまい武力紛争が長期化する悪

循環に陥ってしまうのである。

アザールの紛争解決論

上記のPSC理論のダイナミズ、ムに基づきアザーノレは大きく分けて二つの紛争解決方法

を提示した。まず問題解決型ワークショップである。問題解決型ワークショップとは、紛

争当事者の中から数名の代表者を集め、第三者(主に中立な立場を保持する学者)を介し

て話し合いを促進し相互の否定的なイメージや偏った情報・知識に形成されている当事者

聞の溝を埋めることを目的とする。相手と直接交流することで相互の偏ったイメージを払

拭し、解決に向けての協力関係を構築するのである(Azar,1990)。しかしアザールの紛争

解決の最も重要な提案は、長期的な社会構造の変容である。基本的欲求が満たされずに武

力紛争が勃発し長期化する背景には不平等な社会構造と異なる集団間での不均衡な力関係

があると彼は分析した(Azar,1991)。そのため紛争当事者全ての基本的欲求を満たすため

に政治的・社会的・経済的改革と開発が不可欠だと論じたのである。

だがアザー/レの考える開発は従来的な市場主義経済を念頭に置いた開発ではなかった。

彼の考える政治・経済・社会開発は、全ての市民の基本的欲求、特にこれまでの社会構造

において周辺に追いやられてきたグループや個人の基本的欲求を満たすことの出来るシス

71

Page 13: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

テム作りを意味した(Azar,1991)。政治・経済・社会活動への平等な参加機会や教育・医

療サービスへの平等な機会を提供・保障できる社会構造の改革を長期的に実施し、全ての

市民が自己実現に向けて共に歩める社会を作ることがアザーノレの考える紛争解決だ、ったの

である。

簡単にではあるがアザールの考える紛争解決への二つのアプローチを述べたが、ここか

らは後者のアプローチに焦点を置き、現代紛争解決への示唆を考察してし、く。

2. PSCから見た現代紛争解決論への批判

自由主義的平和構築論への批判的考察

現代紛争解決の中心的考えの一つが平和構築論である。平和構築の基本的目標は、紛争

後の社会の政治・経済構造を改革することで紛争の原因である社会的不正義を克服するこ

とである (Richmond,2011)。その中でも中核的役割を担っているのが自由主義的平和構

築論(LiberalPeacebuilding)である (Newmanet.al, 2009)。自由主義的平和構築の基

本的なアプローチは、民主主義制度の導入、人権思想の促進、市場主義経済を基礎にした

資本主義的経済改革、近代国家システムに則った様々な制度・行政改革の実行である

(Newman et al, 2009)。民主主義と市場主義経済を導入することで政府の政策決定に対

する透明性や責任性が高まり、市民達は直面する問題を平和的に解決することが可能にな

るという考えがその前提にあった。

自由主義的平和構築推進の基礎となっているのは、その普遍的応用性への過信である。

紛争後社会再構築と長期的平和達成のための普遍的枠組みとしてあらゆる平和構築事業に

応用されてきた (Richmond,2009)。リッチモンドが「統治としての平和」

(Peace-as-governance)と呼ぶ、国連・大国・国際的NGOと紛争地域の有力な内部アク

ター主導の下、自由主義的平和構築として民主主義・市場主義的経済改革・近代国家制度

を中心とした様々な改革が断行されたのである (Richmond,2005)。

アザーノレからみた自由主義的平和構築への第一の批判は、近代国家制度への依拠であろ

う。 PSC理論で述べたように、異なるグループ間での歪な力関係の温床となっている中央

集権体制が紛争の原因の一つになっている場合、極度に中央集権化された国家制度が紛争

を解決し持続的平和をもたらすかどうかは不確定である。複数の文化・伝統・人種・宗教

グループが混在している状況においては、地域分散型政治制度の確立の方が重要だとアザ

ールは主張している(1991)。草の根レベルで、の一般民衆の参加型政治体制の確立が持続的

平和には不可欠であり、地方自治の構築と強化によって地方の問題はその地方に住む地元

民が中心となってミクロなレベルでの問題解決を支援するシステム作りが最重要課題なの

である(Azarand Moon, 1986)。個々の共同体グ、ループこそが長期的視野に立ち自己のグ

ノレープのみならず他のグループの基本的欲求を満たし、自己実現に向けて安定的に活動で

きる社会・経済・政治構造を作り上げる中心的存在であるとしづ意識を芽生えさせ実践さ

せるために、地方自治を促進し自らの問題を自らで解決可能にする制度作りが大切なので

ある(Azarand Nathan, 1981)。

地方自治や個々の共同体中心の政治制度の推進は中央政府の否定ではない。ただ、多様

72

Page 14: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

な共同体グループが相互信頼を醸成し調和的な関係を長期的に築くには、個々のグ、ノレーフ。

自らが直面している問題や課題に対して中心となって取り組む権限を委譲されることで実

際に解決する環境を生み出し、同じような地方自治権を他の共同体グループにも認め合う

ことが重要である。そして、そのような地方自治を支援する形で中央政府が存在しなけれ

ばならないのである。中央政府の改革を進めると同時に地方自治充実を促進することで、

それぞれの地方特有の政治・経済・社会問題に対処するシステムを構築し、開放的・参加

型政治構造を確立し、今後異なる共同体グループρ聞で、問題が生じても相互信頼に依拠した

対話やワークショップなどの非暴力的・建設的方法によって解決する制度を定着化させる

ことが重要である仏zar,1983)。

次に考察すべき批判は、国際政治経済構造と自由主義的平和構築の関係性であろう。ア

ザールは、大国が優位な立場にある国際政治経済構造に周辺国や地域が統合されることが

紛争の発生と長期化の原因の一つで、あると分析した(1983)。政治経済状況が不安定な周辺

国家が歪な力関係を基礎としている国際政治経済構造に組み込まれることで益々圏内の不

安定さが悪化し、紛争が発生し長期化するのである(Azar,1986)。

この批判的視点から自由主義的平和構築を見てみると、グローパリゼーションとその紛

争及び平和構築への影響という形で分析できる。

政治経済的側面としてのグローパリゼーションの批判論者の一人であるマーク・ダフィ

ールド (MarkDu血eld)は、グPローパリゼーションとしての世界の資本主義化によって

世界中が繋がり相互依存関係が構築されることで全体的に経済的豊かさを享受出来るよう

になるという一般的な考え方を批判し、西洋型自由主義的システムをあたかも普遍的な価

値観且つシステムで、あるかのようにみせかけて周辺国を強制的に統合し、歪な力関係、によ

る繋がりを強化させるだけのもので、結果として周辺国の貧困を含めた政治的・経済的・

社会的問題は悪化をしていると分析している (2001)。自由主義的平和構築は長期にわた

って安定的平和をもたらすというより、外部の大国(あるいは覇権国)の自由主義的価値

観とそれを基礎とした政治経済構造の紛争地域への押し付けであり、紛争当該国のニーズ

を反映したアプローチというよりは、現状の不均衡な政治経済的力関係の維持にすぎない

と考えられるのである (Richmond,2011)。

紛争後の平和構築は、平和構築事業に多大な資金援助をしている援助園、国際金融機関、

開発援助機関、そして国連などが主導的役割を担い実施されているが、それらも自由主義

的価値観によって形成されたものであり、その枠組みの中で構成される計画を当てはめら

れることで状況が好転するよりは悪化し、持続的な平和への道のりが益々困難になってし

まうのである (Duffield,2001)。自由主義的平和構築において、現状の国際政治経済構造

において優位な立場にある先進国が、「平和構築Jr紛争解決」あるいは「紛争後の社会再

構築」とし寸言葉を利用し、自分たちの描く枠組みを普遍的な紛争解決方法としてあらゆ

る紛争地域に応用することが常態化される仕組みを作り上げることで、自分たちにとって

優位な力関係を維持すると同時に、その仕組みによって紛争解決が達成できていない、も

しくは反発をする国や地域が問題であるという言説が客観的言説となり、平和構築事業自

体が現状の歪な政治経済構造を維持する道具になってしまうのである (Ramsbotham,

2005)。

73

Page 15: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

3.平和構築の見直しへの提案

アザールの PSC理論の視点から自由主義的平和構築を批判的に分析してきたが、その

批判を踏まえてどのように平和構築を見直していくべきなのであろうか。先ず、自由主義

的平和構築から個々の文化・伝統に根ざしたボトム・アップ型平和構築への移行が重要で

ある。人は文化によって価値観や世界観が形成され、紛争に対する考え方・平和の意味も

文化・伝統・宗教により異なる (Vayrynen,2001)。紛争後の社会において移行期から持

続的な平和な社会を構築するには、地元の組織・習慣・規範などの活用を通じて地元民の

イニシアチブを促進し、自分達の問題を時聞がかかったとしても自分達で解決する力を醸

成し、地方自治を中心に据えた政治システムを構築することが不可欠である (Newman,

2009)。地方自治・草の根アフ。ローチの促進とそれに依拠した個々の集団のエンパワーメ

ントと社会構造の改革を中心に据えるアザールの紛争解決は、自由主義的価値観を完全に

否定しているとは考えられない。例えば、現代紛争の大きな特徴の一つは大規模な人権侵

害の発生である。そのような状況において基本的人権思想を長期的に定着させ、市民一人

一人の人権が保障される制度の確立は西洋としづ枠組みを超えて重要な課題であろう。ま

た、地域に根差した形の民主主義制度の導入は、個々の集団のエンパワーメントと地方自

治活性化を促進するはずである。

ただ留意すべき重要な点は、自由主義的価値観は多様な価値観の一つに過ぎ、ないことを

認識することである。自由主義的価値観と紛争当該地域に存在する様々な宗教的・文化的

価値観が対話を重ねながら相Eに変容し、外部アクターと地元アクターが地元アクターを

中心に据えたアプローチの中で有機的に繋がることが持続的平和達成には不可欠であろう。

更に、ダフィールドが自らの著書の最終章で紛争の国際政治経済構造との複雑な関係性

をより批判的に研究することが最重要な課題の一つだと述べている。そして、紛争とその

グローパル政治・経済構造とのネガティブな関係性の克服のために最終的には自由主義的

価値観を基礎とした国連などの国際機関と先進国の変容が不可欠である (Du伍eld,2001)。

確かに国連や先進国の政治的・経済的価値観と実際に動いているシステムを改革すること

は容易ではない。しかしながらマイエルが議論しているように、どのように紛争が解決さ

れ、その後にどのような平和を構築されるかは、国際政治経済構造とその構造を支える価

値観によってその内容が決定される (1992)。それ故、自由主義的価値観を土台とした現

状の国際政治経済構造も紛争の発生あるいは長期化の原因のーっと考えるならば、その構

造を改革し、新しい考え方や価値観を受け入れた新しい形へと変容することが長期的な紛

争解決にとって不可欠な方法と考えられるのである。

おわりに

この論文ではエドワード・アザールの PSC理論とその現代紛争解決論、特に平和構築

論への示唆について考察してきた。残念ながら、アザール自身は冷戦終結直後の 1991年

にこの世を去った。その後、世界はソマリア、ルワンダ、ボスニア・へノレツェゴピナ、コ

ソボなど枚挙に暇がないほどの惨禍を目の当たりにしてきた。更に、 9.11後のアフガンへ

の侵攻、イラクへの介入、シリア情勢、イスラム国家問題、更に北東アジアに目を向けて

74

Page 16: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

みると、新彊ウイグ、ル地区のテロ問題など、不穏は続いている。

全ての紛争や暴力そしてそれらに対する解決法に PSC理論と彼の考える紛争解決が当

てはまるわけではない。しかしながら、上記の批判で述べたように、紛争や暴力が発生し

ている地域だけの現象ばかりを見るべきではない。より重要なことは、紛争地域に紛争解

決者・平和構築者として介入する大園、国連などの国際機関、更に国際的 NGOなども紛

争のダイナミズムや紛争終結後の紛争地域の社会の行方に多大な影響を及ぼすことを認識

することである。紛争地域の人聞は単なる紛争当事者或いは紛争被害者で、そこへ介入す

る大国や国際機関が平和構築の主体であり、前者や後者に従っていればよいという考え方

を改めることが急務である。むしろ、紛争のダイナミズムそのものが大国の思想や利益に

よってその形成に多大な影響を受けている国際政治経済構造の枠組みの中で悪化・長期化

するケースも多々あるのだという前提に立ち分析していかなければならない。それ故、今

後の研究としても実践としても対象とすべきは、国際政治経済構造の変容の模索と、その

ための日本を含めた先進国や大国の意識改革ではないだろうか。

アザールの PSC理論を拡大させて考えてみると、現状の国際政治経済構造で優位に立

っている先進国の国内の政治経済を改革することでそれが国際政治経済構造の変革に繋が

り、その変革の中でこれまでの平和構築からより地域に根ざしたアプローチが可能になる

と言えよう。共同体的アイデンティティーの分析、基本的欲求達成を中心にしたより社会

的正義に根ざした社会構造改革、単なる中央政府確立ではなく地方自治や文化・伝統を重

視した社会・政治作り、国連・国際機関・先進国内の政治・経済改革など、より包括的に

紛争を分析するアプローチを実践することがより人道的・持続的平和を達成しうる道であ

ろう。社会構造や政治的・経済的価値観を変容するのは容易ではない。しかしながら、そ

れらは客観的存在ではなくて、社会や文化が構築するものである (Gergen,1999)。換言

すれば、我々の政治・経済・社会構造を形成する価値観や世界観を、我々が対話や批判的

考察を実践して変容させることは可能であるし、責務である(Peterset a!, 2008)0平和研

究の根本思想の一つは、現実は常に変化するプロセスであるという考えである。だからこ

そ、現状の国際政治経済構造もそしてその構造の中で行われている平和構築も多様な在り

方の一つの可能性でしかない。それを認識しながら平和構築論を批判的・建設的に分析し

実践することが我々の課題であろう。

注:1.英国コベントリー大学信頼・平和と社会関係研究所(TheCentre for Trust, Peace and Social Relations)客員研究員。

2.例えば、閉じくブラッドフォード大学で長年教鞭をとってきたトム・ウッドハウス(Tom

w∞品ouse) と英国ケント大学のヒュー・マイエノレ (HughMiall)との共著で現代紛争

解決論の最も重要なテキストの 1っとして国際的に認知されている (Ramsbothamet.al., 2011)の中の紛争のダイナミズムに関する章においてアザ}ルの PSC理論を紹介してい

る。またラムズポサム自身は個人の研究論文としても発表している (Ramsbotham2005)。3.ジョン・パートンの理論については、田辺 (2014)の特に 17頁から 18頁を参照。

4.この理論は、 1970年代から 1980年代にかけてレバノン、スリランカ、フィリピン、

スーダン、キプロス、イラン、ナイジエリア、南アフリカ等で発生した紛争や動乱の分析

75

Page 17: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

から導いた理論である。 個々の分析の詳細については、Azar(1990)を参考にしていた

だきたい。

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77

Page 19: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

[研究ノート]

はじめに

平和学から見た大江文学

藤田明史

その著『日本文学史序説』の最後で加藤周ーは大江健三郎 (1935-)の文学を取り上げ

ている。主著である著作の樟尾を、大江文学を評価する美しい文章で、飾ったのである。そ

して、その評価はきわめて的確であると思える。すなわち、次のようである。「体制を支え

る価値の体系に、彼ははっきりした拒否の意思を示す。その拒否は、どうし、う積極的な価

値に由来するのか。それはおそらく平和であり、樹木であり、生命の優しさでもあるだろ

う。たしかにそれこそは、もし文学者が語らなければ、誰も語らないだろう壊れ易いもの

である。時代の条件は、一一あるいは一世代の現実は、その受容や描写よりも、それを批

判し、拒否し、乗り越えようとする表現の裡に、またその表現の裡にのみ、抜きさしなら

ぬ究極の性質を、あらわすのである。J

1950年代から現在までに書かれた膨大な文章の森において、確かに大江が一貫して追及

する価値の 1つは「平和」である。ゆえに、大江文学の方法の限界と可能性を見極めるこ

とは、平和学にとっても重要な課題となるはずであろう。

ここにその方法の限界と可能性と書いたのは、一種のアンピパレントな感情を私は大江

文学に抱いているからである。全著作のごく一部しか読んでいなし、から、私はその忠実な

読者とはとてもいえない。しかし、その限られた読書から、とりわけそのこんこんと紡ぎ

だされる言葉の力から、私は何か非常に豊かなものを与えられてきた。これは確かにそう

なのだ。と同時に、ある種の違和感をも常に持たされてきたのである。それはなぜなのか、

その根拠を突きとめてみたい。そうすることで、より深く大江文学を読み、その本質を把

握したいと考えるからである。

1. Wヒロシマ・ノート』について

まず、大江文学の 1つの核をなすと考えられる『ヒロシマ・ノート』から、私が違和感

を覚える箇所を端的に示すことから始めよう。少し長いが、次に引用する。

広島への原爆投下にあたって、その作戦を決定したアメリカの知識人たちのーグ、ル

ープの心に、次のような『人間的な力への信頼、あるいはヒューマニズ、ム』が、ひら

めいたのではないか、と僕は疑うのである。この絶対的な破滅の匂いのする爆弾を広

島に投下すれば、そこにはすでに科学的に予想できるひとつの地獄が現出する。しか

し、それは人間の文明の歴史のすべての価値を一挙に破滅させてしまうほどにも最悪

の地獄ではないであろう。その地獄のことを考えるだけで、すべての人類が、人間で

ありつづけることに嫌悪をもよおすほどの、まさに恢復不能の最悪の地獄ではないで

あろう。 トルーマン元大統領が終生それを思い出すたびに眠りをうばわれてしまうよ

78

Page 20: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

うな、救いようのない、出口なしの地獄ではないであろう。なぜなら、原爆を投下さ

れた地上、広島では、その地獄をもっと人間的な地獄にかえるべく働く人間たちがい

るであろうから。僕は、かれらがこのように考えて、すなわち、いま自分たちが地獄

におとそうとする、敵どもの人間的な力を信頼して、すなわちそのようなパラドキシ

カルなヒューマニズムの確信において、原爆を投下する最後の決断をしたのではない

かと疑うのである。

しかし、これは奇怪な想像ではないだろうか。時空が明示されない大江の小説世界の想

像とは異なって、これは広島への原爆投下とし、う歴史上の事実に関わるそれである。ゆえ

に、事実はどうであったかと問うことができょう九しかし、ここで問題にしたいのは、

こうした奇怪な想像をもたらす大江の方法または想像力の質がどのようであるかというこ

とである。これは大江文学の本質を問うことでもあろう。

まず、上の引用がどんな文脈に置かれているのかを見ょう。『ヒロシマ・ノート~ (岩波

新書、 1965)は、著者が 1963年夏に第9回原水爆世界大会のルポノレタージュを書くこと

を目的に広島を訪問し、それ以後もくりかえし広島に旅行し、 1963年 10月号の『世界』

から連載を開始したヒロシマに関するエッセイをまとめたものである。「プロローグ、広島へ

…・・・」において、著者は雑誌の読者から多くの手紙が寄せられたと言い、そのうちの 1つ

を典型的なものとしてかかげる。それは、著者を励ますと同時に、広島の外部の人間の文

章全体に「もっとも鋭いムチ」を加えるものでもあったからだ。「広島の人聞は、死に直面

するまで、沈黙したがるのです。自分の生と死とを自分のものにしたい。原水爆反対とか、

そういった政治闘争のための参考資料に、自分の悲惨をさらしたくない感情、被爆者であ

るために、すべてが物乞いをしているとはみられたくない感情があります。jさらに同じ筆

者の次の言葉が引用される。「原爆後遺症の最終まで生きてなすべきことをなしていること

が、被爆者の人聞を恢復する唯一の方法であるのか、原口氏(長崎の被爆者で詩人、骨髄

性白血病と診断され緯死した一一引用者)や原民喜のように、潔癖に自分の死をとげるこ

とが、そのひとたちの人聞を恢復するそれであるのか……JWヒロシマ・ノート』はこの間

いに対する 1つの弁明と読むこともできょう。

第 9回原水爆禁止世界大会の印象は次のようであった。「上部構造は政党や外国代表団

とのかねあいのうえで秘密会議をすすめ、下部構造はいかにエネルギーにみちているにし

ても、平和、平和! とシュプレヒコールするだけで、その両者を、安井理事長の抽象的

で感情に訴える雄弁がむすびつけているとしたら、日本の平和運動はいったいどこへ行く

のだろう?J (r広島への最初の旅J)この批評は的確である。ここから著者の関心はヒロシ

マの個々の人間に向う。

1964年のヒロシマ再訪でこの 1年間に原爆病院において 47人の患者が死亡した事実を

知る (r広島再訪J)。そのなかに、「おそらくもっとも痛ましい志をいだいて死んだ被爆者

のひとりであるはず」の宮本定男氏がふくまれていた。『ヒロシマ・ノート』に書かれてい

る被爆者のなかで、私にはこの宮本氏のイメージがもっとも鮮明である。彼は 1年前の真

昼、原爆病院の前庭で、平和行進をむかえるための入院患者の代表として積説した。「小柄

なかれは、緊張しきったかぼそい声で、しかもなんとなく軍人調で、『第九回世界大会の成

79

Page 21: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

功を信じます』と演説した。そして花束を受けとるとぐったりと肩をおとし、原爆病院の

内玄関にひきさがっていった……Jr僕が自分の眼で見たのはそこまでだ。しかしかれはあ

のまま、…まぎれもない満足感と威厳とともに、死にむかつてひきさがっていったのだ、っ

た。j冬の初めに彼は衰弱死したのだ。

著者は、宮本氏の遣した文章のうち、「悲惨な死え(ママ)の闘いをつづけている人々j

という 1行に注目する。そして次のように書く、「宮本定男氏は、悲惨な死にいたるほか

ない闘いをつづけながら、なお勇気をうしなわない、実存主義者の世界がはじめて解明し、

われわれのものとした、もっとも強靭なヒューマニズムのイメージをいだいてこの文章を

遣したのだと僕は理解する。宮本定男氏こそは代表的な広島のモラリストで、あったにちが

いないのであるJ(rモラリストの広島J) と。これは 1人の被曝者へのもっとも美しいオ

マージュで、あろう。

1964年 10月、中華人民共和国による核実験が行われる。これに対する著者の反応はユ

ニークである。広島のイメージを再確認することを願って、彼は「人間の威厳について」

という文章を書くのだ。戦争の終わりのころ、少年で、あった著者は村の映画館で 1つの映

画を見た。それは、敵軍の捕虜となった若い兵士が、拷聞によって自分の軍隊の機密をし

ゃべってしまうことを恐れ、直ちに自殺するという映画で、あった。「自分が屈服しないで死

ぬタイプか、屈服したあと殺されるタイプか」というジレンマは、戦後も彼の中に内攻す

る。彼は大学の文学部の学生となり、フランスの現代文学を読み始める。そして、フラン

ス語の「威厳J(デ、イニテ)とし、う言葉に出会う。ジレンマは次の間いに変わる。「屈辱、

恥をうけし、れたあとむなしく殺されるタイプの自分は、いつ、威厳とともに自殺するタイ

プにかわることができるだろうか?J 日本文学のシンタックスには受け容れられない、た

とえば「あの少年は威厳にみちているJとしづ翻訳調の文章が彼の文体になる。広島で彼

が出会ったのは、このような意味において「威厳ある人々」で、あったのだ。著者が提出す

る「ヒロシマの人間の悲惨→人間全体の恢復j とし、う公理の成立は、このような人々を前

提にはじめて可能となるのであろう。さらに著者は、宮本定男氏や峠三吉のような死者た

ちのことを、「聖者Jと呼ぶべきかもしれないとするのだ。

「屈服しない人々Jの官頭において、すでに滅びてしまった善悪二元論の世界が広島に

出現したかのようだと著者は述べる。すなわち、「被爆者の意識の宇宙には、突然に、ある

夏のこと顕現した、絶対的な悪があり、そしてそれ以後、忍耐づよくそれと措抗して、こ

の世界に人間的なバランスを恢復しようとする善があるはずで、あろうJと。なぜなら、「広

島の人々が、あの夏の朝からすぐさま開始した活動の価値は、人間の科学が、原爆の製造

にいたるまでにつみかさねた進歩の総量に対抗すべく志されたものであるはずである。も

しこの世界に、人間的な調和というものが、人間的な秩序というものがあると信じるなら、

やがて広島の医師たちの努力が原爆そのものの悪の重みに十分匹敵しなければならなしリ

からである。そしてこの後に本節の冒頭で引用した文章が続くのである。

この脈絡はわかりにくい。おそらく次のようであろう。もし善悪二元論がもはや成り立

たないとするなら、原爆を製造・投下した側にもいくばくかの善がなければならないこと

になる一一一。しかし、そうで、あっても、その善の性格・内容が問題となるのではないか。

ともあれ、引用した部分(およびそれに関連する叙述)と『ヒロシマ・ノート』のその他

80

Page 22: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

の部分との聞には、何か質的なギャップがあるように私には感じられる。そのギャップは

どういうものか。直ちに答えを出せないにしても、この間いは大江文学の本質を問うこと

につながるに相違ない。

2.大江文学の方法

大江文学を読んでいて感じられることは、それがかなり明瞭な方法意識のもとに書かれ

ていることである。しかし、ここではいくつかの特徴を指摘することしかできない。

( 1 )コンフリクトの発見と同型写像一一『奇妙な仕事~ (1957) と『死者の著り~ (1957)

『奇妙な仕事』は犬殺しのアルバイトをめぐる小説である。アルバイトに学生3人が応

募する。男子大学院生と女子学生と「僕」である。大学病院で予算がつかず、実験用の犬

の飼育が不要になったから、 3日間で 150匹の犬を殺さなければならない。「僕Jの仕事は

つながれた犬を杭から離し、運び紐で犬を犬殺しのところまで引いて行くことである。犬

殺しは専門家であり、能率よく、棒で犬を打ち、殺し、犬の血を抜き、皮を剥ぐ。大学院

生は犬の死体を運ぶ仕事、女学生は血の付いた毛皮を水洗いし、整理する仕事である。 1

日目は 50匹を処理した。しかし、ここで問題が起こる。予算がないため、その日の餌を

犬に与えることができない。犬殺しは犬を可愛がっている。彼は毒で犬を殺すことは汚い

やり方であり、犬にとって棒で殴り殺されることが犬の権利であると信じている。だから、

餌を与えないで、、犬を飢えさせておくとし、う残酷なことはできないと主張する。これに対

して大学院生が反発する。「明後日までには全部殺してしまうんだろう? それに餌をやっ

て手なずけるなんて卑劣で恥しらずだ」と。

ここでは犬殺しのアルバイトとし、う特殊なテーマが扱われているが、問題をより一般化

すれば次のようになろう。第 1に、日常の徒事も、これをとらわれない眼で見れば、きわ

めて奇妙な仕事であること。第2に、その中にはミクロ・メゾ・マクロ・メガにわたる多

くのコンフリクトが含まれていることである。たとえば、雇用という現象を考えてみれば

良いだろう。

『死者の者り』は、『奇妙な仕事』と「同工異曲J(数学的にいえば同型写像)の作品で

ある。犬の代わりとなるのがここでは病院での解剖実習用の人間の死体である。アルバイ

トの仕事は、 1日でかなりの数の死体を古い水槽から新しい水槽に移し:替えることである。

それ自体は日常の徒事で何の意味もない。しかし、仕事の対象が犬から人間の死体に変わ

ることによって、どんな新しいコンフリクトが生じるか。それはタイトルの「死者の著り j

という言葉によって示唆されている。死者は、かつて人間であったということだけから、

彼/彼女の生きた歴史を背負っている。ここから死者と「僕j との間で対話が始まる。ま

さに「死者が生者をとらえる!J [Le mort saisit le泊f!J (マルクス)。

(2) 超越一一『空の怪物アグイー~ (1964) と『個人的な体験~ (1964)

これらは、頭部に奇形を持って生まれ、「正常に育つ」ことがほとんど期待できない赤ん

81

Page 23: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

ぼうを、殺すのか、あるいは共に生きるのかの決意をめぐる小説である。

『空の怪物アグイー』では、赤んぼうをエゴイズムから死なせた音楽家が、自分も積極

的に生きることを拒否し、空想の中で「空の怪物アグイー」と対話をするものの、最後に

は自殺する。しかしここには不思議な美しさがある。音楽家が威厳ある人物として描かれ

ているからである。「浮瀞しているそれらの存在を見る眼、降りてくるかれらを感じとる耳J

と音楽家がいうとき、私には武満徹の「弦楽のためのレクイエム」が聞こえてくる。

『個人的な体験』は、これとは正反対に、障害を持つ赤んぼうとの共生を決意する物語

である。大学院を中退し、予備校の教師をしている「鳥(バード)Jは、結婚しているもの

の、アルコールにおぼれ、退廃的な生活を送っている。生まれた赤んぼうを、友だちの火

見子が紹介した堕胎医の病院に、「私たちの手で」殺すために車で運ぶ。彼がこの退廃を乗

り越えることができた契機はまったく偶然的なものであった。車の前方には死んだ雀が一

羽、雨に濡れてころがっていたのだ。彼は火見子にいう。「きみは今日、死んだ雀を牒くま

いとして穴ぼこへ車をおとしたことを覚えていなし、か? あれが現に自分の手を汚して殺

人をおこなおうとしている人間の態度か?J彼には、「赤んぼうJ= i死んだ雀J= i鳥(バ

ード)Jという等式が見えたに違いない。赤んぼうを殺すことは自分を殺すことであったの

だ。「ぼくは赤んぼうを大学病院につれ戻して手術をうけさせることにした。ぼくはもう逃

げまわるをことをやめた。J彼は酒場を出る。ひろったタクシーは雨に濡れた舗道を病院へ

すさまじい速度で走る。「もし、おれがいま赤んぼうを救いだすまえに事故死すれば、おれ

のこれまでの二十七年の生活はすべて無意味になってしまう、と鳥(バード)は考えた。

かつてあじわったことのない深甚な恐怖感が烏(バード)をとらえた。J

( 3) 転換一一『ピンチランナー調書~ (1976) と『新しい人よ眼ざめよ~ (1983)

『ピンチランナー調書』の主題は、「転換Jとそのための方法としての対話であろう。冒

頭の一節は対話の概念の見事な叙述である。「他人の言葉にちがいなく、それを他人が発し

た状況も覚えているのに、あれこそは自分の魂の深奥から出た言葉だと感じられる言葉。

もっとも言葉がふたりの人間の関係の場に成立する以上、自分の存在こそ、他人の言葉の

真の源泉たることを主張しえぬはずはない。J2人の男の聞でかわされる対話は次のようで

ある。ここで、 9回裏の 1塁走者としてのピンチランナーとは、平和学でいうコンフリク

ト・ワーカーと同義であろう。「り一、り-J とは「リードせよ、もっとリードせよ」と

の観客が発する歓声である。

一一ピンチランナーに選ばれるほど恐ろしく、また胸が野望に湧きたつことはなかった!

あれは草野球の受難だ。いまあの子供らは、ピンチランナーに呼びかけないが、たとえこ

のような場合にもおそらく…一

一一そうだ、リ一、リーという声でけしかけられない場合にも!

これは障害児施設で子供が出てくるのを待ち受けている 2人の父親の対話である。相互

に共感が生まれ、 2人は親密になる。森という名の子供の父親の森・父は、元原子力発電

82

Page 24: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

所の技師である。「僕Jは光という名の子供の父親で、小説家である。ここでの転換は父(森・

父)と子(森)との聞の転換である。転換方程式は次の通りである。 r38マイナス 20イク

オール 180 8プラス 20イクオール 280J rw転換』した人間こそが、それぞれ抵抗の基点

となる!Jのだ。ところで、コンフリクト・ワーカーはどうなったのか。「僕jが「幻の書

き手(ゴースト・ライター)Jになり、転換した森・父の物語を「ピンチランナー調書J(特

高調書ではなく)として書くのだ。森・父によって語られるのは、反原発運動の荒唐無稽

な物語である。しかし、仕掛けの複雑さに比して、発想が自由に飛朔しないのはやや残念

ではある。

『新しい人よ眼ざめよ』は、父子争闘から父と子がいかにして和解するかの物語である。

イーヨーと呼ばれる障害を持った長男が中学の特殊学級の行事として、 1週間の寄宿舎生

活をすることになった。土曜の午後遅く、最初の帰省で彼の成長はすでに明らかであった。

「門の扉をガタンと聞き靴をひきずる音のあと、また大きい音をたてて玄関に入る仕方と

はすっかりちがう帰り方をイーョーは示したj のだ。夕飯時、声をかけても彼は食堂に入

ってこない。父は、「端的な喪失感」におそわれる。「いったいどういうことが起こってし

まったのか? 現に起り、さらに起こりつづけてゆくものなのか?Jその時、弟が調停に

はいる。「今年の六月で二十歳になるから、もうイーヨーとは呼ばれたくないのじゃない

か? 自分の本当の名前で呼ばれたいのだと思うよ。寄宿舎では、みんなそうしているの

でしょう ?Jそして弟は兄に話しかける。「光さん、夕御飯を食べよう。いろいろママが作

ったからね。J新しい現実が創りだされた。この言葉によってこそ、父も子も「新しい人」

に転換でき、和解が可能となったのだ。

その本質において、この小説は志賀直哉の『和解』につながるものであろう。

(4) 事故一一『人生の親戚~ (1989) と『ヒロシマ・ノート~ (1965)

長男が知恵遅れの子供で次男は健常者だったものの、次男もトラックに撤ねられ、下半

身が麻嘩し生涯にわたって車椅子で生活しなければならない身となる。そして、決定的な

出来事は次のようにして起る。伊豆高原の別荘先で、海に面した崖の敷石道を、次男の乗

った車椅子を障害児の長男が押して進む。そして 2人とも、海の水が岩を噛む崖の根方へ

墜落するのだ。母であり、女子大で文学を研究する知的な女性が、このような悲劇の後、

どう生きるかが『人生の親戚』のテーマである。それは「事故Jであったとしか言いよう

がない。私はこの小説を出版された直後に読んだ。自分の身辺に 1つの出来事が起こって

いたこともあり、テーマに身につまされるものがあったと同時に、その内容にはかなり失

望したことをも思い出す。私には、 ドストエフスキーの『罪と罰』から引用された、カテ

リーナ・イワーノヴナが死の間際に発した言葉がすべてであるように思われた。「もうたく

さんだ!……死にどきだよ!……さようなら、可哀そうなソーニャ!……すっかり苦労を

かけたねえ。……わたしはもう疲れはてたよ!Jまた、この女性の言葉、「ひとりになって、

これまでの自分が決してしなかったようなことをしたい。その上で十年もすぎたならば、

なんとか自然な死にどきを迎えられるような気もするよjは、切実に胸に響いた。しかし、

彼女が生涯の最後の数年をメキシコの田舎で過ごし、インディオや混血の人々から「聖女J

83

Page 25: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

のように崇められるに至るという物語の展開には、リアリティが感じられなかった。今回

再読してみて、その印象は変わらない。そしてこの印象は、『ヒロシマ・ノート』に対する

私の違和感と、どこかで、繋がっているように感じられるのだ。

3.大江文学における平和的価値

大江文学が全体として平和的価値に貫かれていることは、『ヒロシマ・ノート』に峠三吉

の詩「序Jが引用されていることに端的に示されている。この詩が『ヒロシマ・ノート』

の中に置かれていることは、この書にとっての大きな光栄であろう。また、『ヒロシマ・ノ

ート』の中に置かれることによって、この詩の輝きはいっそう増しているであろう。

ちちをかえせははをかえせ

としよりをかえせ

こどもをかえせ

わたしをかえせわたしにつながる

にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬへいわを

へいわをかえせ

峠はこの詩が「序Jとして最初に置かれている『原爆詩集』の「あとがき」に次の言葉

を残している。「私はこの稿をまとめてみながら、この事に対する詩をつくる者としての六

年間の怠慢と、この詩集があまりに貧しく、この出来事の実感を伝えこの事実の実体をす

べての人の胸に打ちひろげて歴史の進展における各個人の、民族の、祖国の、人類の、過

去から未来への単なる記憶でない意味と重量をもたせることに役立つべくあまりに力よわ

いことを恥じた。然しこれは私の、いや広島の私たちから全世界の人々、人々の中にどん

な場合にで、もひそやかにまばたいている生得の瞳への、人間としてふとしたとき自他への

思いやりとしてさしのべられざるを得ぬ優しい手の中へのせいーぱいの贈り物であるJ(青

木文庫版『原爆詩集~ rあとがきJ、1952) 2。ここに表現されている精神こそがヒューマ

ニズムと呼べるものであろう。米国において原爆製造のマンハッタン計画に参加した科学

者たちの精神が表現しているのは、「パラドキシカルなヒューマニズ、ムJなどではなく、ま

さに「ヒューマニズムの不在Jではないだろうか。

マンハッタン計画の意味を十全に理解するためには、現代平和学における構造的暴力の

概念が必要であろう。この場合の構造的暴力とは、具体的には、科学・技術、営利企業、

国家、軍産複合体、戦争などを指す30

大江の方法論にはもちろん構造的暴力の概念はない。しかしなぜ、「パラドキシカルなヒ

ューマニズム」といった奇怪な発想が生まれたのだろうか。個人間の関係を、この場合に

84

Page 26: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

は不適当にも、国家間の関係にまで押し拡げたからであろう。

4.おわりに一一大江文学の限界と可能性

大江文学の限界というとき、私はやはり、原爆被害が日本のアジア侵略戦争に起因する

ことの明示的な言及が、『ヒロシマ・ノート』に見出されないことを指摘しておく必要を感

じる七なぜなら『ヒロシマ・ノート』は、彼の多くの作品の 1つの中核をなすと考えら

れるからだ。

もう 1つの中核は『沖縄ノート』である。そして、その周囲にはまた膨大な文章の森(小

説群)がある(代表的な作品の 1つは『同時代ゲーム』であろう)。

『ヒロシマ・ノート』を中核とする作品群を Aとし、『沖縄ノート』を中核とする作品

群を Bとすれば、 AとBとの関連はどのようであるか。しかし、それを読み取るのはわれ

われ読者に課せられた仕事であろう。大江文学の可能性はそのような形でわれわれに聞か

れているのである。

1.こうした批判として私の知る限り次の 2つがある。ただし両者とも、批判対象は本文

での引用部分ではなく、少し後の次の箇所である。「原爆をある人間たちの都市に投下する、

という決心を他の都市の人間たちがおこなうということは、まさに異常だ。科学者たちに

爆発後の地獄への想像力が欠けていたはずはあるまい。それでいて、かつ、その決定がな

しとげられてしまったのは、この絶望的に破壊的な爆弾が作裂しても、その巨大な悪の総

量にバランスをとるだけの人間的な善の努力が、地上でおこなわれ、この武器の威力のも

たらすものが、人間的なものを一切うけつけない悪魔的な限界の向こうから、人聞がなお

そこに希望を見出しうる限界のこちらがわへまで、緩和されるであろう、という予定調和信

仰風な打算が可能で、あったからで、あろう。J2つの批判は次のようである。

「文学が、人間を正確に捉えることをその意図のーっとして含むものならば、大江氏の

文章は美しくはあっても、正確で、はない。私は、アイヒマンについてハンナ・アレントが

説いた『悪の陳腐さ(パナリティ)~を、より正確なものとして受けとめる。ロスアラモス

の有刺鉄線の中でひたすらに働いた六000人の人間たちには原爆地獄への想像力が欠け

ていた。そして、それが人間というものである、と私は考える。人聞は想像力の欠如によ

って、容易にモンスターとなる。このことが他人事ではないという自覚から、私はオッベ

ンハイマーという“モンスター"について書きつづけているのであるJ(藤永茂『ロパート・

オッベンハイマ一一一愚者としての科学者』、朝日新聞社、 1996、p.160)。

rwヒロシマ・ノート』で、こうお書きになっています。『原爆をある人間たちの都市に

投下する、という決心を他の都市の人間たちがおこなう、ということは、まさに異常だ。』

異論を唱えてもよろしいでしょうか。そこには悪意があるのです。残念ながら、異常なの

ではなく!J (rスーザン・ソンタグとの往復書簡j木幡和枝訳、『大江健三郎往復書簡 暴

力に逆らって書く』所収、朝日新聞社、 2003、p.147)

私はこれらの批判に同意する。藤永氏の批判に私なりの補足をすれば、自然科学的な正

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Page 27: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

確さとは異なった、文学的な正確さというものがあると考える。本文およびここに引用し

た大江氏の文章に、文学的な正確さがあるのかと私は疑っているのである。さらに社会科

学的な正確さというものもあって、それを私は平和学に求めたいのである。

2.峠三吉『新編原爆詩集』青木書庖、 1995、p.143。

3. この方向での拙稿に次のものがある。藤田明史「ヴェブレンの資本主義分析とマンハ

ッタン計画」、『技術と人間~ 2000年4月号、 pp.12・22。

4. この点に関しては次の拙稿を参照された。藤田明史「ヒロシマ・ナガサキの経験をい

かに普遍化するカトー被爆作家大田洋子の文学から考える一一J、『トランセンド研究』第

11巻第2号所収、 2013、pp.87・96。

参考文献:

大江健三郎『沖縄ノート』、岩波書庖、 1970年。

大江健三郎『ヒロシマの光 大江健三郎同時代論集2~ 、岩波書底、 1980年。

大江健三郎『個人的な体験』、新潮社、 1981年。

大江健三郎『ピンチランナー調書』、新潮社、 1982年。

大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』、講談社、 1983年。

大江健三郎『同時代ゲーム』、新潮社、 1984年。

大江健三郎『人生の親戚』、新潮社、 1989年。

大江健三郎・すばる編集部『大江健三郎・再発見』、集英社、 2001年。

大江健三郎『大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く』、朝日新聞社、 2003年。

大江健三郎『大江健三郎自選短編』、岩波書居、 2014年。

加藤周一『加藤周一著作集5日本文学史序説下』、平凡社、 1980年。

峠三吉『新編原爆詩集』中野重治・鶴見俊輔解説、青木書底、 1995年。

藤永茂『ロパート・オッベンハイマ一一愚者としての科学者』、朝日新聞社、 1996年。

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Page 28: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

[Articlesl

Uniting for Peace, Building Sustainable Peace through Universal Values at the Centenary of

World War 1 ; Criminalizing War

Johan Galtung

Ke戸lOte,25th International Peace Research Association Conference

Istanbul, 11・14August 2014

Wehave ∞me of age, at 50; and 1 am the only surviving founder仕om1964 in London,

capital of a foggy island in the North 8ea. Now we meet in the sunny capital of another

empire; bridging three continents. One cloned itself all over; the other was more an

Islamic umma, a community of togetherness-and-sharing, with millet islands of

tolerance. And now: the superb IPRA program.

Uniting for peace. But we街宣er,disagree? In世 ediblehow far we can come正we

ident埼Tandおcuson the good and the positive in Kiev, Donetsk and Moscow, or

husband and wife in broken marriages rather than what is wrong, and b凶ldnew

relations on that. Peace is a relation, not attributes of the parties. 80 also for

conferences: focus on the best血paper,pr坦seit; not on the dubious and missing.

Building sustainable peace. My formula in A官leoryof Peace is:

Equity X Harmony

Peace=一一一一Trauma X Conf1ict

Four Roots of Peace:

for positive peace: 1) cooperation for mutual and equal benefit, and 2) empathy for the

harmony of so町 owat other's so町 owand joy at other's joy;

for negative peace: 1) reconciling trauma, and 2) resolving conf1icts-avoiding

violenω, through skills.

Expansion of interaction--through means of communication and transportation-with

rights and obligations has created vast zones with less direct violence. But without

equity: more inequality, more structural violence, killing even more. Ident均柏g

violence with bullets is as naive as identifying disease with microbes, overlooking

structural diseases like cancer, heart; and overlooking chronic violence, like the

security state and security world, by the U8 National 8ecurity Agency. Better: make

Ukraine a federation, relate West-North加 EUand South -East to Eurasia, with bo血

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Page 29: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

having access to the other! And clone Snowden.

Through universal values. 1 know only two for sure, basic to Buddhism: reduce dukkha,

suffering, and increase sukha, fulfillment (wellbeing). Emotions more than cognitive

values? Yes, hence more basic. Negative and positive peace. Be aware ofboth-and and

neither-nor, the ambiguous and the bland, more frequent than either-or.

Democracy? As rule by the consent of the ruled, maybe; but not as multiparty state

elections, too easily corrup加dinto bankocracy. As dialogue to consensus in smaller

units? But many rule themselves or go for those smaller units, unin旬restedin "states",

'regions".

Human rights? If enriched with collective, people's rights, yes; but be careful. Theyare

excellent goal-formulations for underdogs but very one-sided as conflict

discourse.Where are the goals of the topdogs? Only to remain on top? Only their

perennial"ifunderdogs come up they will treat us like we treated them?" Or also some

just泊edskepticism about an alternative order with former underdogs on top in a

majority democracy, given their numbers? We do not know in advance; give them a

hearing--not guaranteed by Human Rights. Solve problems.

To be ruled by somebody ofyour own kind? Universal. Even if one's own kind is unkind,

抗isbetter than the benevolence of somebody else. The First World War at 100. To see

the Sarajevo's shots on 28 June 1914 as the cause of the Hapsburg Empire attacking

Serbia on 28 July overlooks Austria-Hungary annexing Bosnia-Herzegovina in 1908.

百leSerbs wanted to be ruled by their own kind. Self-determination was key.Nor was

this a world war, all major battles were in Europe (17 of them in the French -Belgian

corner). The massive killing was so insane that Europeans pushed it on the world.官le

Second European war, rather, the First being the Napoleonic. The First World was, of

course, Western colonialism from 4 May 1493 (Pope Alexander VI)--another atrocity加

conceal.

IPRA at 50. What we wanted in 1964 was peace research recognized as a social science,

member of the UNESCO International Social Science Council, bypassing

turf-concerned Western universities. We got it. Elise Boulding--role of culture,

women--very active at the founding, saving IPRA several times afterward. Her

husband Kenneth--the Image, stable peace, economic evolution--was in the

background and Bert Roling--the youngest judge at the Tokyo Tribunal, disarmament,

law for peace--became the frrst IPRA Secretary General. And then Galtung--at the

time the health studies parallel and positive/negative peace.

We were from the world Northwest and IPRA has, like the world, moved East and

South, with a Turkish Delight and a Sierra Leone Diamond as secretaries. Prognosis

88

Page 30: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

wew出 moveon to Islam and China --India still needs time to grow with our Guiding

Spirit: Gandhi. Then back to a more modest Northwest, circling on, as we should.

Criminalizing War. Massive murder, dukkha, inequity, disharmony, trauma leading to

revenge, solving nothing in the longer run.τ'he 1648 Westphalia Peace stabilized two

Christianities at the price of a state system with the "right to war". That institutional

mandate has加 go.A centuries long process--jus ad bellum, jus in bello, human

rights--to outlaw war except for defense, peace-keeping and

"peace-enforcement"--recently as RP (Responsibility to Protect)一openscountless

loopholes, protected by anonymity and collecti司ty.Personalize by naming the massive

killers from top politicians to bottom soldiers--Nurnberg, Tokyo. Individualize by

making them responsible, maybe fol1owing the Trans-National Corporations with

amnesty in return for confession-contrition-compensation.

And remove that mandate from the abrahamic god's countless massacres via rex gratia

dei--the King by God's grace--transferred to the state--and via vox popoli vox dei-the

voice ofpeople being the voice of god--perverting democracies into killing machines.

Be careful: they may 凶 1even more in order not to be a町 ested.And we get further

with positive and negative peace, and by fighting war as a social evil. But the three

approaches add up. We have work to do.

(18Aug 2014・TRANSCENDMedia Service)

89

Page 31: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

ISIS: Negotiation, Not Bombing

Johan Galtung

More senseless bombing of Muslims, more defeats for USA-West, more ISIS-type

movements, more West-Islam polarization. Any way out?

"ISIS, Islamic State in Iraq-Syria, appeals to a Longing for the Caliphate" writes

Farhang Johanpour in an IPS column. For the Ottoman Caliphate with the Sultan as

Caliph--the Shadow of God on Earth--after the 1516・17victories all over t迎 the

collapse of both Empire and Caliphate in 1922, at the hands of the allies

England -France-Russia.

Imagine the collapse of the Vatican, not Catholic Christianity, at the hands of

somebody, Protestant or Orthodox Christians, meaning Anglo-Americans or Russians,

or Muslims. A center in this world for the transition to the next, headed by a Pope, the

apostolic successor to恒leHoly Spirit, an emanation of God in Heaven. Imagine it

gone.

And imagine that they who had brought about the collapse had a tendency to bomb,

invade, conquer, dominate Catholic countries, one after the other, like after 2 Bush

wars in Mghanistan-Iraq, 5 Obama wars in Pakistan-Yemen-Somalia-Libya-Syria,

and "special operations". Would we not predict [1] a longing for the Vatican, and [2] an

extreme hatred of the perpetrators? Fortunately, it did not happen.

But it happened in the Middle East: leaving a trauma fueled by killing hundreds of

thousands. The Sykes-Picot England-France agreement of 16 May 1916 led to the

collapse, with their four well-known colonies, the less known promise of Istanbul to

Russia(!), and the 1917 Balfour declaration offering parts of Arab lands as "national

home for the Jewish people". Johanpour quotes Churchill: "Selling one piece of real

estate, not theirs, to two peoples at the same time".

The Middle East colonies fought the West through military coups for independence;

Kemal Ataturk was a model. The second liberation is militant Islam-Muslim

Brotherhood, FIS-Federation Islamique de Salvation in Algeria, etc.-against

military-secular dictatorships.百leWest prefers the military; order against history.

The longing cannot be stopped. ISIS is only one expression, and exceedingly brutal.

But, a damage and destruction by Obama and allies will be followed by a dozen ISIS

from 1.6 billion Muslims in 57 countries. A little military politicking today, some

"training" here, fighting there, bombing all over, are only ripples on a groundswell.

90

v

Page 32: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

This will end with a Sunni caliphate sooner or later. And, the lost caliphate they are

longing for, had not Israel been awarded a "national home". This is behind some of the

US-West despair. Any solution?

The way out is cease-frre and negotiation. Under United Nations auspices, with full

UN Security Council backing. To gain time, switch加 adefensive military strategy,

defending Baghdad, the Kurds, the Shia and others in Syria and Iraq. Problematic for

the USA, so maybe some other members of the coalition can do better, leaving

Baghdad to the USA. A氏erall, the US embassy there must be very attractive as a

Caliphate See.

The historical-cultural-political position of ISIS and its successors is strong; the West

is weak, also economically. The West cannot offer withdrawal in return for anything as

it has already officially withdrawn. The West, however, can offer reconciliation, both in

the sense of clearing the past and opening the future. Known in USA as "apologism" a

difficult policy to pursue. But the onus of Sykes子'icotis for once not on the USA. but on

UK-France. Russia dropped out after the 1917 revolution, but revealed the plot.

Bombing, an atrocity, willlead to more ISIS atrocities. A conciliatory West might

change that. An international commission could work on Sykes-Picot and its aftermath,

and open the book with compensation on it. As a principle; the West cannot pay

anyhow.

Above all, future cooperation. The West, and here USA enters, could make Israel

return the West Bank, except for small cantons, the Golan Heights, and East

Jerusalem as Palestinian capital--or else!--sparing the Arabs and the Israelis horrible

long-lasting warfare.

This would be decency, sanity, rationality; the question is whether the West possesses

these qualities. The prognosis is dim.

τ'here is the Anglo-American self-image as infallible, a gift to humanity, a little rough

at times civilizing the diehards, but not weak. If not an apology, at least they could

wish their own policies in the region since, say, 1967, undone. No sign of that.

So much for the willingness. Does the West have the ability? Do they know how to

reconcile? Mter Portugal and England conquering the East China-East Mrica sea lane

around 1500, ultimately establishing themselves in Macao and Hong Kong, after the

First and Second Opium wars 1839・1860in China, ending with Anglo-French forces

burning the Imperial Palace in Beijing, did England use the "hand over" of Hong Kong

for reflections on the past? Not a word from Prince Charles.

China could have flattened those two colonies--but did not. As Islam has retaliation

91

Page 33: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

among its values, the West may be in for a lot.

Slavery, colonialism, imperialism. My country, Norway, accused by Caribbean

countries of complicity in slavery, is now joining; it is the fourth war since 2001. Yet

the tiny opposition has no alternative.

Le Nouvel Observateur lists "groupes terroristes islamistes" in the world: Iraq-Syria,

Lebanon, Palestine, Libya, Algeria, Mauritania, Niger, Nigeria, Somalia, Yemen,

Pakistan, Indonesia, Philippines, U zbekistan, and Chechnya. The groups, named,

grew out of similar local circumstances. Imagine they increasingly share that longing

for a caliphate; the Ottoman Empire covered much more than the Middle East, way

into Mrica and Asia. And more groups are coming. Invincible.

Imagine that Turkey itself shares that dream, maybe hoping to play a major role (the

Prime Minister, Davutoglu, was in his past a superb academic, specialist on the

Empire). Could that be the reason for Turkey not really joining, as it seems, this

anti-ISIS crusade?

The West should be realistic, not "realist". Switch to rationality.

(13 Oct 2014・τ'RANSCENDMedia Service)

92

Page 34: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

The Future of Mediation

Johan Galtung

Ludwigsburg, German Mediation Congress

Dear Colleagues; the future of mediation is to make ourselves redundant by spreading

a conflict solution culture at alllevels of social organization, enabling people to handle

conflicts themselves. There will be counter-forces仕omprofessional mediators to

monopolize the job and countercounter-forces from others to become ever better, to be

ahead. The latter will win.

Model: the health professions. 1ncredible gains were made in human health enabling

people to take better care of their bodies: protection against contagious diseases

through hygiene, washing hands, brushing teeth; keeping fit with adequate food, water,

moving-wa肱ing--but care with jogging, unnatural, in the direction of a hospital--

against the climate through adequate clothing and housing; against sepsis in wounds

adequa旬 cleaning:a minimum of health education. More than the complexities of

surge巧Tthis gave us 25 more years of life.

For children and adolescents: watch the pathogens bringing illness from the outside as

micro-organisms and violent encounters, shocks, excessive heat and cold, fire. After

that come structural diseases--malignant tumors, cardiovascular, mental

disorders--also rooted in the inside, with genetic predispositions. Too little adequate

food and exercise; too much smoking, alcohol and other drugs can be handled with

some will to get better. Equally important: an overload of stress and strain, problems

and conflicts not handled: our task. Physicians have shared with people washing hands

and brushing teeth as hygiene; it is our task to share conflict hygiene with everybody.

Nevertheless, what happens when one is 80 something with healthy body and mind?

Back to childhood: no shock with environment; above all, do not fall. That will put you

in a hospital: they handle broken bones well but may give you new diseases in return,

hospitalitis. Again, do not fall.

By and large a very positive story. Welcome to the 80s.

1n Norway TRANSCEND, our mediation NGO, is working on conflicts in daily life, the

family, at school (also kindergarten), at work. We call it SABONA; in Zulu language,‘I

take you in.

A 5-year叫dgirl is c巧岨gdesperately. Up comes another 5-year叫 dgirl, asking, "Why

are you cr討ng?""1 am missing mama, she is not here".恒1eother girl: "But think of

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Page 35: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

how nice it will be when she fetches you and you are加getheragain!" The crying stops.

What happened? Our advice to K: when there is crying, shouting, fighting, do not scold;

tell them加 stop,ask what the problem is, then indicate and practice solutions. One

solution: think positively. It had arrived at one little girl helping another. Children

learn quickly: we have had small SABONA children at night listening to parents

quarreling: "Papa, mama, 1 think 1 see a solution".

羽市atis wrong about adults in addition to Father banging and not only at the table,

Mother crying, Children thinking this is normal? Too many adults want to be right,

have Right, winning, not solving. Many live married lives focused on what is wrong

with their partners; no good lives. Focus on what is good, build projects on the positive

in both, when solid open for soft dialogues on what could be better.

For self-improvement compete with yourself, not with others, for a society of winners

and losers. If you learn the positive focus, self-improvement, good relations with equity

and harmony, capacity for trauma-conciliation and conflict-solution, you will be amply

rewarded with happiness and well-being. Seven Roads to Happiness is the title of my

book--in Norwegian. Problematic in Germany where "Das Gluck ist wo ich nicht bin";

happiness is where 1 am not. Challenge that lunacy.

When the end knocks on the door: focus on the good, the wonderful in your beloved who

has passed away. So also for yourself. focus on the joys life has offered-being alive is

one!--and tηto leave good memories, inspiration, behind. The focus is your choice.

We make a jump to IS, Islamic State, and IP, Israel-Palestine.

Opening question to conflict parties: What Middle East, Israel, Palestine, would you

like to live in? To get at the goals: follow-ups with mediators asking questions, l-on-l,

onepa此.yat a time.

Answers: undo the horrors Sykes-Picot did to the Arab world and Islam, undo their

colonies Syria and Iraq as states, create a Sunni caliphate modeled on the Ottoman,

without Istanbul, and retaliation for the US Coalition killing in Iraq and Syria; for

Israel secure and recognized borders; for Palestine the same as a sovereign state.

The method is dialogue, mutual search for acceptable and sustainable solutions. If the

parties manage themselves there is a sense of ownership. But very 0氏enthey do not

envisage a New Reality where legitimate goals, human rights compatible, are met, for

lack of knowledge and creativity. A mediator should have both; and propose, never

impose, softly, with ??, in the subjunctive mode, some visions.

For IS and IP from dialogues, based on positive = legitimate:

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Page 36: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

合 defensiveuse of military to protect victims of ISIS brutality; clearing the past with an

international commission on Sykes-Picot giving England-France a chance to explain

and distance themselves; clarifying what a future SIC, State of the Islamic

Caliphate,means. Bombing IS may destroy the present one but 10 new ones will come

up. The shadows of history, and their dreams, are ve巧Tstrong. Moreover, beheading 2,

3, 5 is not worse than bombing to death 2, 3, 500.000.

会 Israelwill not get peace through security by conquest, occupation, colonization, but

"security through peace" by the 1・2・6-20formula: 1 sovereign Palestine recognized

(Sweden, EU member, just did that); 2 states adding to the 4 June 1967 borders some

swaps, Israeli cantons in the West Bank and Palestinian in Israel northwest; 6 states,

Israel and neighbors, in a Middle East Community modeled on the EC of 1-1-1958; 20

(or so) in an Organization for Security and Cooperation in West Asia modeled on OSCE.

Successes built on legitimacy-creativity. Neither pathological anti-nor philo-semitism

about "Jews as such".

The method? Overcome Dualism-Manicheism-Armageddon with Holism, totalities in

space-time with history; Dialectics yin/yang positive and negative; Transcendence,

constructive, concrete, creative bridging a both -and giving legitimacy to all, like

Israel's right to exist.

One day this may work: US and Israeli killing close to genocide never.

(17 Nov 2014・TRANSCENDMedia Service)

95

Page 37: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

トランセンド研究

編集・技濡規定

-編集規定

1、 本誌は「トランセンド(平和的手段による紛争転換)研究会」の機関誌であり、 トランセンド

研究会会員の実践的・麗命的研究の発表と、 トランセンド法の一般への普及を目的として発行さ

れるものである。

2、 本誌の編集は、編集委員会の責任のもとに行われる。

3、 編集委員は役員会の議を経て会長が委嘱する。

4、 編集委員会には、委員長1名と編集幹事をおく。

5、 投稿論文は、編集委員会によって審査され、その掲載の可否が決定される。なお編集委員以外

の会員に審査協力を依頼することがある。

6、 投稿論文の原稿は、「投稿規定」に準拠したものに限る。

7、 原稿印刷に関し特に費用を要するものは、事嘩者の負担とする。

8、 本誌に掲載された論文の原稿は、原則として返却しない。

9、 本誌に掲載された論文を無断で複製およひ湾議tずることを禁ずる。

-開高規定

1、投稿は原則として本会会員に限る(著者複数の場合は、少なくとも範頁著者が会員であること)。

2、 授京高原稿は 1)原著、 2)展望、 3)実践、 4)事例、 5)例題、 6)書評、 7)翻訳、その他とする。

3、 1) -5)は和文または英文、その他は原則として和文のみとする。

4、 すべての投稿原稿は査読に付される。採否は編集委員にはかり編集長が決定する。

5、 掲載された原稿出亙却しない。

6、 専門分野の異なる読者にも瑚平できるように原稿は平易に書かれること。

7、 和文原稿はワープρロソフトを使用の上、一行の字数を40字、ー頁の行数を 39行とし、 B5用

紙に印刷のこと。欧文・欧語は半角で打つ。英文原稿はダブル・スペースでタイプのこと。

8、 1)】 5)には英文繍稿が英文の場合は和文)で著者名、所属、住所、表題、ならびに 300語以

内のABSτ'RACT(原稿が英文の場合は300語以内の和文要約)を付すことが望ましし、

9、 図表は本文とは別紙とし、挿入箇所を本文原稿の欄外に記入する。また、図の説明は別紙にま

とめて添付すること。

10、本文中の文献引用は著者姓(西暦年号)で示し、引用文献は著都生の ABCJI慣に下記の例示に

従って稿末に一括掲載する。

11、原稿(図表を含む)にはコピー2部を添えること。なお、掲載が決定した時、本文をま厳した

電子ファイル(テキストファイノレ)を提出する。

12、著者校正は初校のみとする。

Page 38: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

トランセンド研究:平和的手段による紛争の転換第四巻第2号

2014年 12月31日発行

編集 トランセンド研矧礁委員会

委員長藤田明史

干540・0004 大阪府大阪市中央区玉造 2司26-54

大阪女学説大学奥本研究室

E-m国l:okum.oto@w丑mina.ac.jp

発行 トランセンド研究会

会長いとうたけひこ(伊藤武彦)

干195・8585東京都町田市金畑T2160

和光大学現代人間学部,心理教育学科

E-m国l:shimoeh樋gm剖L∞m

トランセンド研究会事務局

(rトランセンド研究l購入申込・入会申込先)

干607・8143 京都市山科区東野南井上町2・20

中嶋大輔

E-mail: inf~加国盟国ndjapan.net

URL:www.佐国首偲ndjapan.net

印刷耕対土

干536・0016 大阪市城東区蒲生1す24

06-6933-5∞1

Page 39: トランセンド研究 第12巻 第2号 2014年12月

-・,..曹司H百叫可.:1司・z・'1._____________ _

61 i Eri Somoto + Kyoko Okumoto i Attitude for Action and Research Acquiring with Experiences目

i A Report of 2014 NARPI 8ummer Peacebuilding Training

-.:1ョョ'oF-TiIiIi冒::F-1可ヨー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・69 ! Juichiro Tanabe

i Analyzing Edward Azar's Protracted 80cial Conflict Theory and i Examining its Implications for Contemporary World

-.:1司司司司・E珂~~r.I~'''''''''''''''''''''''''''1II78 i Akifumi Fujita

: Kenzaburo Oe's Literature and Peace

-...,冨lriIl持品・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・87 i Johan Galtung

i Uniting for Peace, Building 8ustainable Peace through Universal Values i at the Centenary of World War 1 ; Criminalizing War

90 i Johan Galtung

i 1818: Negotiation, Not Bombing 93 i Johan Galtung

: The Future of Mediation

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