スーザン・マンú (小濱正子、リンダ・グローブ監 Title …...Title スーザン・マンú_(小濱正子、リンダ・グローブ監
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Titleスーザン・マン�(小濱正子、リンダ・グローブ監譯、秋山洋子、板橋曉子、大橋史惠譯)『性からよむ中國史 --男女隔離・纏足・同性愛--』
Author(s) 高嶋, 航
Citation 東洋史研究 = THE TOYOSHI-KENKYU : The journal ofOriental Researches (2016), 75(1): 155-162
Issue Date 2016-06-30
URL https://doi.org/10.14989/242846
Right
Type Journal Article
Textversion publisher
Kyoto University
スーザン・マン著
(小濱正子︑リンダ・グローブ監譯︑
秋山洋子︑板橋曉子︑大橋�惠譯)
性からよむ中國�
︱︱男女�離・纏足・同性愛︱︱
高
嶋
航
一
本書はカリフォルニア大學デイビス校のスーザン・マン名譽敎
�が長年にわたる硏究でえられた知見と︑英語圈の�怨の硏究成
果を踏まえて執筆した中國ジェンダー�の著作
Genderand
Sexualityin
Modern
ChineseHistory(CambridgeUniversity
Press,2011)を︑小濱正子らの中國ジェンダー�共同硏究の2
譯グループが2譯したものである︒まず︑本書の3成を示してお
く︒は
じめに
性に歷�はあるのか
序違
〈閨秀〉と〈光棍﹀
第一部
ジェンダー︑セクシュアリティ︑國家
第一違
家族と國家︱︱女性�離
第二違
女性の人身賣買と獨身男性問題
第三違
政治と法のなかのセクシュアリティとジェンダー關係
第二部
ジェンダー︑セクシュアリティ︑身體
第四違
醫學・藝7・スポーツのなかの身體
第五違
裝8され︑誇示され︑隱され︑變形された身體
第六違
放棄される身體︱︱女性の自殺と女兒殺し
第三部
ジェンダー︑セクシュアリティ︑他者
第七違
同性關係とトランスジェンダー
第八違
創作のなかのセクシュアリティ
第九違
セクシュアリティと他者
;違
ジェンダー︑セクシュアリティ︑公民性
おわりに
ジェンダーとセクシュアリティは歷�分析に<益か
本書の冒頭は﹁性に歷�はあるのか﹂という問いかけから始ま
る︒もちろんそれは存在するわけだが︑>料?な問題から性の歷
�硏究はひじょうに難しいことが示唆される︒性の歷�を裏づけ
るのは﹁してはならないこと﹂を記す�書である︒>料の裏側︑
さらには>料が語らないことにABを向けない限り︑性の歷�に
Cることはできないのだ︒
本書は一九世紀から二〇世紀の性の歷�に焦點を當てる︒その
閒︑﹁男﹂と﹁女﹂のカテゴリーのB味
(男性性と女性性と置き
奄えられよう)が變Eしたにもかかわらず︑﹁男/女﹂﹁夫/妻﹂
といった語彙にひそむ衣性愛規範の慣Fや父系血瓜によって繼承
される家族制度は一貫していた︒このパラドクスを說きあかすの
が本書の核心である︒
本書は三部で3成され︑ジェンダーやセクシュアリティと國家
― 155 ―
155
(第一部:第一違~第三違)︑身體
(第二部:第四違~第六違)︑
他者
(第三部:第七違~第九違)との關係を問う︒いずれにおい
てもI淸の傳瓜�Eが五・四怨�EK動で變Eを引きLこし︑共
產N義革命を經て毛澤東時代とポスト毛澤東時代でラディカルに
變わっていったこと︑にもかかわらず︑衣性愛規範と家族制度に
大きな變Eがないことが示される︒
序違では一九世紀のセックス/ジェンダー・システムが女性を
�離することによって3築されていたことを︑閨秀
(箱入り娘)
と光棍
(獨身男性)の對比から說Iする︒I淸の王Oは家族を政
治?・社會?秩序の基盤とみなし︑その安定を圖るため︑忠Qを
中核とするR德を稱揚した︒女性に對してそれは�離という形式
をとった︒家族から排除された光棍は︑社會の安定にとっても︑
女性の貞Qにとっても脅威となった︒
第一違では︑まず古代の陰陽思想から相互補完?かつ階層?な
中國のジェンダー關係の特Uを說Iする︒ジェンダー秩序は社會
秩序の基盤であったから︑性?V熱はそのような秩序にとっての
脅威となった︒そのため︑國家はもとより︑宗族のような父系親
族組織が女性のセクシュアリティに强い關心を寄せた︒女性に對
する規制は︑﹁お題目のようなもの﹂でもあったが︑女性たちの
多くはそれを內面Eしていった︒二〇世紀になり︑女性が實際に
家の外に出て行くようになって︑I淸Yのセックス/ジェン
ダー・システムが破綻し︑怨しいセックス/ジェンダーをめぐっ
て﹁Z女問題﹂が議論される︒
第二違は社會の混亂とジェンダー/セクシュアリティの關係を
論じる︒社會の混亂はジェンダーEして表出した︒女性を�離し
た境界が取り除かれると︑女性は女兒殺し︑强姦︑人身賣買の對
象となった︒二〇世紀になっても︑强姦の恐怖が女性の腦裏から
[えることはなかった︒男女\等を唱えた共產黨も︑結局は衣性
愛を基準とする家族制度を秩序の根底にすえ︑男性優位の3]を
溫存した︒その矛盾が一人っ子政策のもとで堰出し︑性比の不均
衡は社會秩序を脅かしている︒
第三違では︑まず淸Oがどの王Oにもまして家族制度の補强︑
擴張︑法?强Eに熱心だったこと︑禁壓?な法?措置と奬勵?で
規範?な貨_報酬を組み合わせることでそれを`行したことを確
aする︒南京政府によって公布された民法は一夫一Z制を確立し︑
離婚をa定するなどリベラルな面もあったが︑法?權利を行bで
きる女性は限られていた︒一九五〇年に婚姻法が制定され︑一九
八〇年に改正が實施されるが︑それらは女性の權利を守るという
よりは家族制度を維持するためのものであった︒
第四違は︑中國の傳瓜?な身體觀で性欲は
(西洋社會がそれを
罪とみなしたのに對して)自然なものとみなされ︑男性の永cな
欲求こそがセックス/ジェンダー・システムの基盤となっていた
とN張する︒二〇世紀になると西洋から性別で二元Eされた身體
モデルが紹介され︑傳瓜?な男女を﹁相補?で可變?な兩極﹂と
みる身體觀に取って代わった︒セクシュアリティは科學によって
說Iされるようになるが︑女性の身體を生殖と結びつけるという
點は變わらなかった︒
第五違は︑中國では裝8されない身體はB味がなく︑裝8や振
る舞いが�Iと社會階層を示す役割を果たしていたこと︑人閒の
價値は`行?に理解され︑個々人はe境に應じて振る舞い︑裝う
― 156―
156
ことがY待されていたこと︑役割演技のF慣が︑二〇世紀の改革
と革命にあたって︑中國の女性と男性が怨しい役割に對應する�
E?土臺となったことを論じる︒
第六違は︑女性の死の問題を取り上げる︒﹁名譽を守るための
務め﹂を內面EしたI淸Yの女性は夫の死によってR德と現實の
板挾みにあったとき︑しばしば自殺をfび︑夫への﹁義﹂を果た
した︒二〇世紀になると︑自殺はR義心の表れとして稱贊され理
想Eされることはなくなり︑絕hや抗議の表Iとなった︒とくに
親の決める結婚は︑多くの女性にとってiけ入れがたい條件と
なっていった︒中國の女性の自殺jは世界?に見ても高いまま推
移している︒その背後にあるのは﹁權力︑ジェンダー︑そして女
たちの聲の盜用﹂の問題である︒
第七違は︑中國では男性同士の性關係は愛Vというより階層?
なもので︑揷入する者と揷入される者の閒にI確な權力關係が
あったと営べる︒一方︑女性の同性關係は一部の地域で慣Fとし
て存在したものの︑一般に社會?なB味をもたず︑A目されるこ
とはなかった︒I淸Yの中國�Eには同性愛 惡はほとんど見ら
れない︒二〇世紀には西洋?な同性愛觀が中國に影lをmぼし︑
同性愛は病理Eされていく︒共產黨は同性愛を犯罪として規定し︑
衣性愛結婚に基づく家族制度を堅持した︒現在は中國にも同性愛
者のコミュニティが形成されているが︑多くのゲイ男性は︑中國
の傳瓜?家族觀と向き合い︑女性と結婚して子供をつくるという
義務感を持っている︒
第八違は︑�學とセクシュアリティの關係の變�をたどる︒白
話小說や戲曲には性?欲hや性?關係が色V?︑官能?表現で描
寫されていた︒﹁�字の獄﹂はこのような創作空閒を奪い去り︑
男女のnVは感V?︑理知?な表現に置き奄えられていく︒二〇
世紀になると︑多樣なセクシュアリティがo求されるが︑戰爭と
毛澤東の時代には性?表現は抑壓される︒�革後には女性のセク
シュアリティを赤裸裸に描いた作品が登場する一方︑�革Yの
ジェンダー\等N義?な男性性への反發から﹁男子漢﹂のような
傳瓜?男性性への囘歸も見られる︒
第九違は︑衣�E閒の接觸におけるジェンダーとセクシュアリ
ティの役割を論じる︒優位な�Eが劣位な�Eを他者Eし�IE
の對象とすることは︑西洋列强とq民地の閒だけでなく︑﹁內な
るq民地N義﹂を推rした淸Oと少數民族の閒でもLこった︒家
族關係とジェンダー役割は�IE計劃の中心であった︒淸末には
中國そのものが�IEの對象となり︑中國の改革sと外國の宣敎
師の手で纏足の解放や﹁小家庭﹂の提唱がなされた︒共產黨は
﹁男女\等﹂という�IE計劃のもと︑女性を生產勞働に動員し
た︒一聯の�IE計劃において男性性と女性性は變Eしたが︑衣
性愛結婚に基づく家族制度を推rするという點に變Eはなかった︒
;違では︑家父長?家族を基盤とする國家をt提とした現在の
公民性がI淸Yの臣民のあり方と變わらないことを指摘する︒女
性を�離するというセックス/ジェンダー・システムが二〇世紀
に入って變Eしたにもかかわらず︑女性の身體は一貫して生殖の
ためのものであり︑そのことが問い直されることはなかったので
ある︒
― 157―
157
二
I淸以影の中國におけるジェンダーとセクシュアリティのパラ
ドクスを本書は十分に說きあかした︒本書でuわれる個々の事例
はそれぞれ興味深いものだが︑それらをつなぎ合わせて︑<機?
な3]を提示する力量は︑著者をおいてほかにないであろう︒本
書のB義については︑すでに原著︑譯書に對して多くの書vが出
ており︑v者が改めて営べるまでもない︒そこで︑以下ではv者
が感じた問題點や疑問點を示すことにする︒
序違で提示される光棍と閨秀の3圖はきわめて印象深い︒しか
し︑女性の�離をめぐって展開するポリティクスを理解するには︑
他のw素も考慮に入れる必wがあろう︒すなわち︑�離された女
性である閨秀と︑�離されない女性︑閨秀を妻にxえることので
きる男性と︑獨身のまま生涯を;える男性
(光棍)である︒この
うち︑�離されない女性を妓女(1)︑閨秀を妻
にxえることのできる男性を士大夫で代表
させて︑それぞれ閨秀と光棍の對極に置い
たのが下圖である(2)︒士大夫・閨秀と光棍・
妓女はt者が良︑後者が賤に對應する︒す
なわち︑t者が單婚衣性愛規範によって3
成され︑父系血瓜によって繼承される家族
からなる世界
(あるいは禮がy用される範
圍)である︒
妓女と光棍は家族制度の外部にあって家
族制度を規定するz說?な存在である︒家
族制度が後繼者としての男性を重視したために性比の不均衡をき
たし︑大量の男性が家族制度からはじき出されることになった︒
zにいうと︑大量の男性をはじき出すことで︑かろうじて家族制
度は維持されてきたのである
(そんな彼らに妻と土地を與えよう
としたのが共產黨であった)︒光棍は社會秩序に對する脅威では
あったが︑彼らなくして社會秩序は維持できない︒妓女も家族制
度にとっては脅威であったが︑彼女たちは男性の性欲を家族制度
の外部で引きiけることで家族制度を維持する存在であった︒
本書第二違にみえる王Oサイクルの論理を上の圖にy用してみ
よう︒盛世には良賤を分かつ線が右へ移動する︒結婚市場の活性
Eによって低收入世帶の結婚jが上昇し︑獨身男性が減少︑治安
が安定し︑閨秀を�離する規範が强まる︒王On代Yになると︑
この線が左へ移る︒治安の惡Eにともない︑家族規範を荏えた社
會?經濟?基礎が失われ︑家族の保護を失った女性は强姦や暴行
にさらされる︒妓女に身を落とす女性が增えると︑結婚できない
男性も增加する︒大量の光棍は治安をさらに惡Eさせていく︒こ
のようにみると︑ジェンダーと家族と社會秩序の閒には密接な繫
がりがあることが改めてわかる︒だからこそ歷代の王Oはセック
ス/ジェンダー・システムの3築
(=
女性の�離)にBをAいだ
のである︒
かように光棍はセックス/ジェンダー・システムで重wな位置
を占めているが︑本書では機能?役割に關する議論が多く︑彼ら
の實態や男性性にはほとんど觸れられない︒たとえば︑本書一五
六−
一五七頁でロウィの﹁�﹂﹁武﹂の男性性論を取り上げ︑�
の原宴は孔子で女性を}づけ︑武の原宴は關羽で女性をざける
― 158―
158
良 ◀ ▶ 賤
士大夫 光棍 男◀
▶
閨秀 妓女 女
と紹介するが︑それと光棍の關係は示されない︒ロウィは武のモ
デルとして關羽に代表される﹁英雄﹂と武松に代表される﹁好
漢﹂を擧げている(3)︒
光棍の男性性は後者に}いと考えられよう︒
彼らが女性をざけたのは︑女性が獨身男性のホモソーシャルな
關係を破壞しかねないからであった︒しかし︑本書にも言mがあ
るソマーが庶民の男性は男女雙方に性?な慰めとV愛を求めてい
たと示唆するように
(一九三頁)︑光棍たちも機會さえあれば女
性と性?關係を持とうとした︒それゆえ光棍たちは仲閒內では女
性をざけながら︑社會にとっては女性の脅威となったのである︒
著者は二〇〇〇年にTheAmericanHistoricalReview誌上で中
國の男性性に關する特集を企劃している︒その序�で︑﹁中國硏
究者はいまだセクシュアリティ硏究に對する持續?な興味を展開
していない︒それはヨーロッパと北米における男性と男性性の歷
�硏究の出發點となってきたものである﹂と営べている(4)︒それか
ら十年餘り後の本書でも﹁男性の�E︑あるいは男性性に關する
歷�硏究はあまりなされていない﹂と書かざるをえなかった
(一
五六頁)︒著者がB識?に男性や男性性に筆を割いたのは︑まさ
にこのような問題B識を踏まえてのことである︒ただ︑男性や男
性性に關する記営は︑少數の硏究に依據してなされており︑決し
て十分とはいえない︒本書の刊行が︑日本で男性・男性性�への
關心を高める契機となることを︑v者は切に願う︒
本書の特Uは︑女性の�離を核心として3築されたセックス/
ジェンダー・システムをさまざまな角度から時?に見した點
にある︒本書が檢討する範圍はきわめて廣いものの︑たとえば中
國}現代�の槪說と比�してみれば︑軍事︑財政︑外nなどまだ
まだ觸れられていないテーマは多い︒もっとも︑本書は旣存の
(英語圈の)硏究のうえに3想されたものであるから︑これは著
者の問題というよりは學界の問題である︒
一方で︑多岐にわたるテーマを一人でuったために︑記営に精
粗の差が生じている︒ある特定のテーマについて�良の硏究が參
照されていないこともある︒たとえば︑スポーツについては︑モ
リスの硏究を引くべきだった(5)︒
引用閒いとおぼしき箇もある︒
本書一三五−
一三六頁でギンペルの硏究を引いて︑二〇世紀初頭
に女性たちが體育・スポーツに參加するようになったと営べるが︑
ギンペルが論じたのは︑傳瓜中國で
(男性が)女性性を定義する
重wな場となっていた身體を︑淸末の女性がみずから定義しよう
とした軌跡である︒このほか︑複雜な事象を單純Eしすぎたとこ
ろも見iけられる(6)︒
實態はより複雜であったことを示唆する記営
があってもよかったと感じる︒ここでは女性の自殺と辮髮につい
て取り上げておこう︒
第六違では女性の自殺を結婚との關係から考察し︑I淸Yの女
性が親の決める正式な結婚を守るために自殺したのに對して︑民
國Yの女性はそれに抗議するために自殺したことが示される︒し
かし︑一九二七−
一九三七年の上海を對象とする侯艷興の硏究は︑
女性の自殺のNたる原因が
(上海市政府の分類によると)﹁口角
糾紛﹂﹁家庭事故﹂であることをIらかにしている(7)︒一九三三年
の場合︑自殺者一一〇二名のうち︑口角糾紛六五一名︑家庭事故
二三四名に對し︑婚姻問題五名︑失戀九名︑V死九名などとなっ
ている︒地域や時代によっていはあろうが︑﹁親の取り決める
正式な結婚﹂は女性の自殺原因のほんの一部にすぎないことは留
― 159―
159
Bすべきであろう︒また︑同じデータによれば︑一九三三年の男
性の自殺者は九九四名で︑Nたる原因は經濟壓C四二五名︑口角
糾紛二三九名となっている︒男性の自殺者も少なくないこと︑自
殺の原因にI確な男女差があることがわかる︒結婚をめぐる自殺
は象U?ではあるが︑自殺をめぐる事Vはより複雜であることを
踏まえたうえで議論すべきであろう︒また︑民國Yの女性が親の
決める結婚に反對したのは事實であるが︑一方で民國Yには多く
の烈女がいたことも忘れてはならない(8)︒
辮髮と纏足は淸代の男性性と女性性のキーワードとなっている
が︑辮髮に對する理解にやや和感がある︒たとえば︑﹁辮髮を
切ることは︑政打倒の側に立つというI示?で取り[し不能な
誓であった﹂(一四六−
一四七頁)のような記営は︑剪辮
(辮
髮を切ること)と革命を短絡?に結びつけているが︑斷髮は革命
sの專賣特權ではなく︑立憲sをはじめ淸Oのもとで}代Eを圖
ろうとする人たちも剪辮をN張していた(9)︒一九一〇年に南京で開
催された第一囘c國K動會で走高跳に參加した孫寶信が辮髮を
引っかけたために失格となったことについて︑著者はある中國人
歷�家の﹁その瞬閒︑人民の心は延慨に燃え︑革命精神が沸きL
こり︑淸Oが人々に强制してきた慣Fを撲滅せんことを切hした
のであった﹂という言葉を引いて︑(r步から)遲れた身體は遲
れた政府と虛な國民をB味するのであり︑辮髮と纏足という滿
洲族の征を示すジェンダー指標にやかな;焉をもたらしたと
N張している
(一三六頁)︒中國人歷�家とは﹃舊中國體育見聞﹄
(人民體育出版社︑一九八七年)の者王振亞のことだが︑王が
依據したであろう﹃時報﹄一九一〇年一〇二二日の記事には革
命や淸Oの强制を聯想させる言葉はない︒著者がわざわざ引用し
たこの言葉は︑實はなんら根據のない感にすぎないのである(10)︒
じっさいのところ︑辮髮は滿洲のF俗というよりは︑}代Eの障
としてとらえられていた︒K動會をN催したYMCA體育N事
エクスナーはK動會が參加者に愛國N義を涵養したと總括した︒
この愛國N義が淸Oと對立するものでないことは︑開會式に淸O
の役人が出席していたことからもわかる︒モリスはNorthChina
Heraldの記事やYMCA體育N事モランの報吿でK動會が>政
院と對比されていることを指摘し︑社會學者エリアスがスポーツ
と議會政治との類似を論じていることにABを促している(11)︒
もち
ろんこれらは西洋人の見方であるが︑ほぼミッションスクールに
限られていた當時のスポーツと革命を結びつける根據はさらに乏
しいといわざるをえない(12)︒
譯者たちは正確に2譯するだけでなく︑原著の りも訂正し
(たとえば先に觸れた第一囘c國K動會の開催地を原著は﹁北京﹂
としている)︑譯書の價値を高めているが︑2譯に關して若干氣
になったところを二かだけ擧げておきたい︒一つ目は第四違
(一三五頁)で︑義和團事件のために知識人エリート層が武7に
不信感を¡くようになり︑社會から武7が[滅したことが︑K動
競技やスポーツが¢入される﹁都合の良い背景﹂になり︑愛國心
に燃える若者たちがたちまちスポーツにV熱をAぐようになった
と譯されている︒しかし︑原�のB味するところはそうではなく︑
義和團事件のために︑淸末にはK動競技やスポーツを¢入する土
臺となるような身體�Eに關する語彙や慣Fが存在しなかったが︑
にもかかわらず競技スポーツが若者たちの心をとらえたというこ
― 160―
160
とである︒日本では尙武の�Eがスポーツのi容を容易にしたが︑
中國ではまず身體を動かすことに對する忌¥感を取り除くことが
必wであった(13)︒
傳瓜?な武7はスポーツへの橋渡しとなることが
Y待されたのであり︑じっさい︑上海YMCAの體育N事たちは︑
武7を利用して中國人を引きつけようとしていた(14)︒
二つ目は;違のインドと中國を女性問題から比�した箇
(二
五二頁)で︑﹁イギリスは女性問題を性¦に論じようとした︒そ
れは︑インド人男性の不關與によって可能となり︑また彼らの不
關與ゆえにA目を集めた﹂とある︒﹁不關與﹂の原語は
failures
である︒q民地インドでは︑インド人男性にとってもイギリス人
男性にとっても︑インド人女性をどのようにuうかはきわめて重
wな課題であった︒インド人男性はイギリス人男性から彼女たち
を守ろうとし︑イギリス人男性はインド人男性から彼女たちを守
ろうとした︒なぜなら︑彼女たちとの關係がインド人︑イギリス
人それぞれの男性性を規定するからである︒インド人女性は不關
與どころか爭奪の對象だったのであり︑failuresは�字り失敗
と譯すべきある
(いうまでもなく︑失敗かどうかをª斷するのは
イギリス人である)︒したがって︑この一Qでは︑インド人男性
が女性問題に關與しなかったことと中國人男性が女性問題に積極
?に取り組んだことが對比されているのではなく︑インド人男性
も中國人男性と同じように女性問題に取り組もうとしたが︑q民
地という條件ゆえにイギリス人男性の干涉をiけざるをえなかっ
たことを論じているのである︒だからこそ﹁南アジアの男性たち
がq民地荏�において經驗した男性性への攻擊を︑中國男性たち
は免れたといえる﹂のだ(15)︒
以上︑いくつか問題點を指摘してきたが︑本書の價値はそれを
補って餘りある︒なによりも︑中國�を考えるうえでジェンダー
とセクシュアリティの問題がいかに重wであるかを說得?に提示
し︑セックス/ジェンダー・システムを軸にI淸から現代にいた
る歷�を觀した點は︑本書の大きな貢獻である︒今後の英語圈
の硏究は本書を共の基盤として形成されていくであろうから︑
日本のジェンダー�硏究者にとっても必讀�獻となる︒本書がu
わなかったI淸以t︑あるいは中國以外の國と地域との比�もr
んでいくであろう︒譯者の努力にも敬Bを表したい︒v者は英語
版を持っているが︑つまみ讀みしかしておらず︑譯書が出たおか
げで︑はじめて本書のc貌に觸れることができた︒�後に︑ジェ
ンダーに關心のない中國�硏究者にこそ本書をぜひ手にとって欲
しいという希hを営べて本vを閉じる︒
�(1)
著者がいうように︑妓女も含めて女性はほぼc員が�;?
には妻や妾などの形で家族制度に取り®まれるが︑多くの光
棍にはそのような可能性はなかった︒
(2)
いうまでもなく︑人口の大多數を占める農民は士大夫でも
なければ閨秀でもない︒ここではあくまで理念型として提示
する︒
(3)
Kam
Louie,TheorisingChineseMasculinity:Societyand
GenderinChina,CambridgeUniversityPress,2002.
(4)
SusanMann,“TheMaleBondinChineseHistoryand
Culture,”TheAmericanHistoricalReview,vol.105,no.5,
― 161 ―
161
December2000.
(5)
AndrewMorris,MarrowoftheNation:AHistoryofSport
andPhysicalCultureinRepublicanChina,Universityof
CaliforniaPress,2004.
(6)
たとえば︑女性の斷髮を﹁男性同Çと共に戰い學ぼうと
する決Bを表Iするもの﹂(一六〇頁)と位置づけるが︑
ファッションとして實踐した女性も少なくなかった
(拙稿
﹁一九二〇年代の中國における女性の斷髮:議論・ファッ
ション・革命﹂石川禎浩﹃中國社會N義�Eの硏究﹄京都
大學人�科學硏究︑二〇一〇年)︒
(7)
侯艷興﹃上海女性自殺問題硏究
(1927-1937)﹄上海辭書出
版社︑二〇〇八年︒
(8)
須Î瑞代﹁民國初YのQZ烈女﹂辛亥革命百周年記念論集
集委員會﹃總合硏究辛亥革命﹄岩波書店︑二〇一二年︒
(9)
吉澤Ð一郞﹁淸末剪辮論の一考察﹂﹃東洋�硏究﹄五六卷
二號︑一九九七年︑高嶋航﹁辮髮と軍:淸末の軍人と男性
性の再3築﹂小濱正子﹃ジェンダーの中國�﹄勉Ð出版︑
二〇一五年︒
(10)
このことからわかるように︑﹃舊中國體育見聞﹄は學7書
とは言いがたい書物で︑現在の硏究狀況からすれば︑ほとん
ど典據とする價値はない︒著者はこの一QをSusanBrownell,
TrainingtheBodyforChina:SportsintheMoralOrderofthe
People̓sRepublic,UniversityofChicagoPress,1995から孫
引きしているが︑ブラウネル自身は王が革命のN張をすべり
こませていることをa識していた︒そもそもブラウネルの本
は中華人民共和國のスポーツをuっており︑淸末のスポーツ
について知るのに�yの本とは言えない︒
(11)
Andrew
Morris,“T̒oMaketheFourHundredMillion
Move:̓TheLateQingDynastyOriginsofModernChinese
SportandPhysicalCulture,”ComparativeStudiesinSociety
andHistory,vol.42,no.4,October2000.
(12)
ただし︑體操は別である
(拙稿﹁軍ßと社會のはざまで:
日本・O鮮・中國・フィリピンの學校敎練﹂田中á一﹃軍
ßの�E人類學﹄風l社︑二〇一五年)︒體操とスポーツの
關係については拙稿﹁なぜ
baseballは棒球と譯されたか:
2譯から見る}代中國スポーツ�﹂﹃京都大學�學部紀w﹄
五五號︑二〇一六年を參照︒
(13)
拙稿﹁﹁東亞病夫﹂とスポーツ:コロニアル・マスキュリ
ニティの視點から﹂石川禎浩︑狹閒直樹﹃}代東アジアに
おける2譯槪念の展開﹄京都大學人�科學硏究︑二〇一三
年︒
(14)
拙稿﹁なぜbaseballは棒球と譯されたか﹂Þ(81)を參照︒
(15)
インドにおけるコロニアル・マスキュリニティの議論を中
國に應用したのが拙稿﹁﹁東亞病夫﹂とスポーツ﹂である︒
二〇一五年六
東京
\凡社
A五ª
三一六頁
二八〇〇圓+
稅
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